第三十六話 家族で寝過ごした朝
始まったばかりの長夜。紗良は、厨房にいた。
かつてカイルと二人で食事をとっていたテーブルに向かい、紗良は縫い物をしていた。
翌日の食事の仕込みを終えたカイルが、濡れた手を拭きながら紗良の方へと歩いてくる。彼は、紗良の手を覗きながら尋ねた。
「紗良さん、今日は何を作ってるっすか?」
「今日はね。ベッドの仕切りカーテン」
「カーテン?」
カイルがコテンと首を傾げた。紗良は、針を刺していた黒い布を持ち上げてカイルに見せながら、
「これでベッドを囲おうと思って。目隠しみたいな感じかな」
作業の手を止めた紗良は、笑顔で話し続けた。
「私たち三人、みんな夜更かしじゃない? 今は、厨房とか、それぞれの部屋で過ごせばいいけど、これからはそうもいかないから――」
「そうっすね。ここもめっちゃ寒くなるっす」
「そうそう。ここ、もうすでにひんやりしてるし、底冷えが最強なのよね。寒さが厳しくなったら、夜は居間で過ごすしかなくなるじゃない? でも、アーサー、寝るの早いし――。
彼、毎晩げっそりしてるから、これからもこの環境に慣れるまで当分早く寝ちゃうと思うのよね。
でも、私たちは、カイルは仕込みしたり、私は、編み物とか裁縫とかしたいし、ジョバンニは――、あの子は寝酒するだけだからいいけど。とにかく、アーサーと同じ時間に寝ていたら仕事が進まないじゃない?
で、幸運にもアーサーは、眠りがめちゃくちゃ深い。私の豪快ないび――、じゃなかった、豪快な寝息を隣で聞いても朝までぐっすり。
だから、私たちは彼の隣で起きてても、小声で話すくらいなら全然大丈夫。彼が起きることはないわ。
ただ、彼、部屋は暗くして寝る方が好みみたいだから――、蝋燭の灯がね。それで、この布でベッド周りを囲おうと思っているのよ。天井、確か、鉄の釘なら打ちつけられるのよね?」
紗良が尋ねると、カイルは「打てるっす。大丈夫っす」と答えた。それから、彼は不思議そうにして、
「でも、アーサーさん、寝る時暗い方が良いって言ってたっすか?」
カイルが尋ねると、紗良は得意げに天井を指さした。
「おさるさんっすか」
カイルは、ああと納得した様子で天井を見上げた。天井からは反応がなかった。
カイルと同様に天井を眺めていた紗良は、何も声が降ってこないことを確認すると、その視線をカイルに移しながら言った。
「この前、お便所で転んじゃったアーサーをおさるさんと一緒に助けた時に、色々と彼女に聞いてみたのよ。食事のこととか、彼女の服のこととか――。その時にアーサーの好みについても、ちょっとね、聞いていたの」
「そうっすか。おさるさん、食事はあのままで良いって言ってたっすか?」
カイルが尋ねると紗良は明るい顔で頷いた。
「大丈夫って言っていたわ。本当は、食事を用意してもらうとかはダメみたいなんだけど。ここはね、特殊だから......食糧を自分で調達するって訳にも行かないしね。アーサーの許可を得たみたい。だから、これからも夜、ここに食事を置いておいてくれればいいって――」
紗良は、テーブルを指さして言った。カイルは、紗良の言葉に笑顔で頷いた。
「了解っす。じゃあ、これからもおさるさんの分の食事は、ここに置いておくっす」
「うん。よろしくね」
「――お前ら、ここにいたのか」
頭をさすりながらジョバンニがしかめっ面で現れた。彼は、紗良の隣にあった丸椅子にどかっと座りながら「アーサーさんに殴られた」と、上目遣いで紗良に訴えた。
「大げさね。アーサーの寝返りパンチくらいで――。たんこぶすらできてないわよ。全然平気じゃない」
紗良は、ジョバンニのカールがかった茶色の髪をくしゃくしゃと撫でながら言った。ジョバンニは、やめろよと体を仰け反らせながら口を尖らせた。
「でも、夜、何回も起きちまうんだよ。全然寝た気しねぇ。なあ、紗良、お前、俺と代わってくんね? 俺がヴォルフとカイルとサークルで寝るから、紗良はベッドで寝てくれよ」
ジョバンニは、縋り付くようにして羊耳を出した。くたんと耳を垂れさせて紗良の表情を確認する。
紗良は、彼の耳を見ながら、
「ジョバンニ、ずる。私があなたの垂れ耳ファンだからって、そういう時だけ――。ずる。
で、でも、駄目よ。どんなに垂れ耳が可愛くっても、私がアーサーと二人っきりでベッドなんて......絶対にダメよ」
ふいと顔をそむけた。ジョバンニは、紗良を横目で見ながら意地悪く口角を上げた。
「お前、アーサーのこと意識してんのか? 確かに、アーサーは俺らと違って、大人だし、お前の言うイケオジだしな。でも、アーサーには王妃も側妃もそれに――、ヴォルフの母親のことをアーサーは愛してるんだろ?」
「そんなことわかってるわよ。私だって今さら、恋だ彼氏だなんていうような感じでもないし――。でも、駄目なのよ。なんか……色々思い出しちゃうのよ」
紗良は背中を丸めた。小さくため息を吐く。二人の会話を黙って聞いていたカイルが、紗良の後姿を見ながら口を開いた。
「じゃあ、みんなでサークルで寝るのはどうっすか」
「え? 狭くね? 俺らにヴォルフ、四人はさすがにきついって――」
ジョバンニは、カイルの提案に不満をあらわにした。
「大丈夫っす。俺とジョバンニさんが獣の姿で寝ればいけるっす。俺、兎っす。それにジョバンニさんの羊も、人の姿より小さいっす」
カイルは笑顔でそう言うと、うさ耳を露わにした。ぴこぴことそれを動かしながら紗良に近づいたカイルは、紗良の顔を覗き込みながら「紗良さんも、俺らとサークルで日向ぼっこみたいに寝るっす」
柔らかな笑みを浮かべるカイルに紗良はこくりと頷いて、ジョバンニに視線を送った。
ジョバンニは紗良の表情を見て、はあとため息を吐くと、頭の後ろで両手を組んだ。天井を眺めながら、
「仕方ねえな。寝返りパンチで夜起きるより、お前の枕になる方がましだしな」
「よかったっすね」
カイルの言葉に、紗良は「ありがとう」と呟いた――。
「――これは、どういうことだ」
翌日の朝早く、アーサーは一人呟いた。彼の目の前にはサークルがある。
サークルの中には羊が横たわっていた。彼の腹では紗良がその頭を乗せて寝息を立てている。
紗良の上下するお腹の上には子狼が体を丸めて寝ていた。大の字で寝ている紗良の脇の下では黒兎が横になってぐっすりと眠っていた。
呆然と紗良たちを眺めていたアーサーが銀色の耳を露わにした。ピクリとそれを動かすと、納得した様子で呟く。
「私の寝相か――。そうか、悪いことをしたな」
アーサーは、サークルの前で胡坐をかいた。柵に手をかけて中を眺める。ヴォルフの幸せそうな寝顔に頬を緩ませたアーサーは小さく呟いた。
「ヴォルフ、よい家族に恵まれたな」
しばらくサークル内を眺めていたアーサーの背中に朝の光が差し始めた。
白んでくる室内。それでもまだすやすやと寝入っている紗良たちを見たアーサーは、ふっと笑みを浮かべると、狼に変身した。
トンっと柵を乗り越えた銀狼は、紗良の隣にその体を横たえた。
『――家族か』
銀狼は呟いてゆっくりと目を閉じた――。
獣の姿になったアーサーの寝相は、人の姿の時より幾分かましになっていた。それでも、もぞもぞと移動した彼の顔は、ジョバンニの至近距離にあった。
強くなった陽射しに目を覚ましたジョバンニは、目の前で口を開きながら寝ている大きな狼に、恐れ慄き悲鳴を上げた。
ぼんっと人の姿に戻ったジョバンニの腹の上で目覚めた紗良は、その感触の違いに飛び起きて「ジョバンニ! 早く服を着て!」両手で顔を覆った。
目を覚ましたヴォルフがキャンキャンと楽しそうに声を上げながら紗良の周りをくるくると回っている。
カイルは、ぴょんと器用に柵を超えた。
彼らの喧噪にアーサーは耳をぴくぴく動かした。目を閉じたままで、アーサーは幸せそうに笑顔を浮かべた。




