第三十四話 アーサーは摘みたい大きなお花
「では、アーサー。今日は一日、私とヴォルフと一緒に過ごしましょう。いろいろ案内しますね」
紗良は、ヴォルフをおんぶしながらやわらかな笑みを浮かべて言った。
「うむ。よろしく頼む」
アーサーは、笑顔で頷いて見せた。彼は、ベッドの上で胡坐をかいている。
紗良は、アーサーの露わになっているくるぶしを見ながら、
「アーサーの服、少し丈が短いですね。――その裾、どれくらい下げることできるかしら」
ちょっと失礼しますねと、紗良はアーサーの足に手を伸ばした。
――ぐる、きゅ
紗良は、腹の音に顔を上げた。彼女は、眉尻を下げて心配そうな表情をしながら彼に尋ねた。
「アーサー、ごめんなさい。今朝のご飯少なかったみたいですね。昨日は、朝ご飯と、カイルが用意してくれたおつまみだけだったし――。確かに、全然足りないか。食べるもの持ってきましょうか?」
アーサーは、紗良の言葉に一つ咳ばらいをすると、
「いや、だ、大丈夫だ。腹は減っておらぬ。――それで、その、少しおぬしに聞きたいことがあるのだが――」
――コンコンコン
紗良が扉の方へと視線を移すと、カイルが顔を出した。彼は、開け放たれていた扉に手を添えて顔だけを覗かせながら、
「紗良さん、夕方には戻ってくるっす。お昼は、厨房に用意しておいたっす。スープもたくさん作ったっす。温めなおして食べてくださいっす」
カイルの言葉に紗良は「わかったわ。ありがとう」と微笑んだ。
紗良に笑顔を返すカイルの後ろにはジョバンニが立っている。彼は、首回りを気にしながら不満げな顔をしていた。
「ジョバンニ、そのじいじの作業着――まだきつい?」
ジョバンニの表情を見た紗良が立ち上がりながら尋ねた。扉の方へと歩いていく。
「――首が、すげえきつい。何とかしてくれ」
眉をしかめながら何度も襟ぐりを引っ張るジョバンニに、紗良が慌てて手を伸ばす。
「あっ。ちょっと、無理やり引っ張らないで! それしか作業着ないのよ。もうちょっと丁寧に扱ってよ。破れたらどうするの」
もうと息を大きく吐きながら彼の首もとに触れた。縫い目を確認しながら紗良はジョバンニの背中へとまわり、
「これなら――、もうちょっと広げられそうね。今晩、アーサーのズボンと一緒に直しちゃうから、作業が終わったら私の部屋に置いておいて。もう絶対に引っ張っちゃだめよ」
ぽんとジョバンニの背中を叩いた。
ジョバンニは、紗良の言葉にへいへいと口を尖らせる。
「じゃあ、紗良さん行ってくるっす」
ジョバンニの態度に苦笑しながらカイルが明るい声で言った。カイルの言葉にジョバンニも「いってくるわ」とぶっきらぼうに言いながら踵を返す。
「二人とも気をつけてね」
紗良は、ちいさく手を振りながらそう言ってカイルとジョバンニを見送った。紗良の背中ではヴォルフがキャッキャと手足をばたつかせ始めた。紗良は、振り返りながら背中のヴォルフに話しかけた。
「さあ、今日は天気も良いし、少し寒いけどアーサーにはまずお外から案内しましょう――」
「――あそこの丘の、木の間に見える茶色のところ――あれが野菜畑です」
アーサーを連れて塔裏に来ていた紗良は、遠くに見える小高い丘を指さした。木々に囲まれたそこで、カイルとジョバンニが野菜の収穫をしている。葉が落ちて露わになった枝の隙間から二人の姿が小さく見えた。
「あそこで食糧を育てておるのか」
アーサーが感心した様子で言った。
紗良は、カイルとジョバンニの姿に目を細めながら、
「そうです。ここからじゃなくてもっと近くでお見せしたいんですけど、あそこへ行く途中の森の中で毒草が見つかって、危険なんです。
ヴォルフもいるし、今はあの二人しか畑に行っていません。アーサーも、一人で森には入らないでくださいね」
アーサーに伝えると、彼は真面目な顔をしながら頷いた。
――それとと、紗良はゆっくりと視線を移した。彼女が眺めた先には小さな畑がある。
「あの、あそこの小さな畑のことなんですが――」
紗良は、アーサーの表情を確認しながら慎重に言葉を続けた。
「あそこは、あの、侍婆様の――」
そこまで言ったところで、アーサーが口を開いた。
「薬草が植わっているのであろう?」
「え? あ、はい。そうなんです。――えと、それもおさるさんから?」
紗良の言葉にアーサーはいやいやと手を振りながら、
「いや、実は、幼い頃に婆様に一度だけここに連れてきてもらったことがあっての。この畑のこともその時に教えてもらっておった。薬草の栽培は禁止されているが、ここのは、良い。私も知っておる――大丈夫だ。誰も罰することはない」
安心せよと笑みを浮かべるアーサーに、紗良は胸をなでおろした。肩の力を抜いてほうと息を吐いていると、今度は、アーサーがためらいがちに、
「それでだな。ちょっと気になっておったんだが――」
薬草畑のことが解決したことですっかり安心していた紗良は「はい、何でしょう」と屈託のない笑顔で尋ねた。
目をキラキラとさせてじっとアーサーの続く言葉を待っている紗良に、アーサーは、「いや、実はの。き、キジ、いや、そのお花を......」
「お花?」
紗良は、きょとんと首を傾げた。
「そ、そうだ。そのお花を摘みに、それでな。その時に、その、紙で......」
紗良から目をそらしたアーサーは、ただひたすら前方を眺めながらぶつぶつと呟くように話している。彼の耳は真っ赤に染まっていた。
何を言っているのだろうと紗良はアーサーの視線を追った。彼の視線の先には薬草畑があり収穫作業を一通り終えたそこには、黄色い花がぽつぽつと咲いているだけであった。
「――あ、アーサー、お花って、あの黄色い」
ああ、あれねと納得した紗良は、すぐに申し訳なさそうにしながら、
「あの黄色いお花、私も綺麗だから気に入っているんですけど、なんだか難しい薬草らしくて、扱いがわからないんです。だから、綺麗でもあれを摘むわけにはいけないんです――」
しゅんとしながらアーサーに答えた紗良。
――ぐるぐる、きゅっ
「うっ」
アーサーは、眉間に皺を寄せながらしゃがみ込んだ。苦しそうな表情をしている彼の額には汗がにじんでいる。
「だ、大丈夫ですか?! どこか痛むの? お、お腹? ま、まさか今朝の朝食にあたった? え? 腐ってた? え?」
慌てふためく紗良。おろおろとしながら、助けを求めようと丘に視線を移し、大きく息を吸って――
――トンッ
紗良の首筋にふわりとしたものが触った。
驚き固まった紗良の視界の端には黒みがかった細長い尻尾が揺らめいていた。
紗良の耳に、
『陛下を厠へ案内してください。もう二日ほどなさっておりません』
ふわりとまた紗良の首を撫でた。はっとして紗良は辺りを見渡したが紗良の視界に映るのは、苦しそうに蹲っているアーサーだけだった。
紗良は、「かわや……ふつか――、え? お花、摘む」ハッとして顔を上げた紗良は、周囲を見渡した。
隅に残っていたお尻拭き葉っぱを素早く引きちぎった紗良は、それを握りしめてアーサーの手を取った。
「アーサー! すぐです! 耐えてください!」
紗良は、アーサーの手を引きながら全速力で走った。
――どうか、間にあって
アーサーを引く手に力を込めた。




