第三十一話 紗良とベッドと砕け散った最後の砦
「だめね。ベッド、四台も入らないわ――」
紗良は、目の前の光景にため息を吐いた。紗良の隣ではカイルが困ったように眉尻を下げている。
紗良たちは、居間で四台目のベッドの搬入を試みていた――。
昨夜、アーサーは、渋々カイルが準備した特別室で寝た。しかし、やはり一人で最上階で寝るのは寂しい、血のつながった息子と一緒に寝たいと朝からごね続けるアーサーに、紗良は根負けし、四台目のベッドを居間に用意することを彼に約束した。
ベッドを移動する間手持無沙汰になるアーサーに、朝の湯あみをしてくるよう勧めた紗良は、それから居間の家具を動かしながら四台目のベッドをいれようと四苦八苦していた。
ヴォルフを抱っこしたジョバンニが、紗良たちに近づいてきた。不満顔で、
「やめてくれよ。カイルと一緒のベッドで寝てくれとか言わないよな」
彼は、いつもの口調で紗良に文句を言った。紗良は、胡乱な目をしながら、
「あなた、アーサーがいなくなった途端、それね」
ジョバンニは、紗良の言葉にさも当然といった様子で答える。
「偉い人に敬語を使って丁寧に接して何が悪い。不敬だと処刑されちまうからな。俺は、そう言う切り替えが得意なの。紗良は、クソしたり、ケツ切れたり――番様だとしても――適当でいいんだよ」
ニヤリと笑みを浮かべたジョバンニに、紗良はシーと自身の口に指を当てて、顔を真っ赤にした。必死の形相で、声を潜めながらジョバンニに早口で注意する。
「アーサーに聞こえたらどうするのよ! 彼だって狼なんだから耳が良いはずよ! 私のお尻事情はトップシークレット!」
「とっぷしーくれっとっすか?」
カイルが首を傾げる。紗良は、「重要機密ってことよ。絶対にばれたくない秘密なの。アーサーには何があっても、知られてはいけないの! これは、私の最後の砦なの!」
興奮しながら絶対に内緒よと念を押す紗良に、カイルは屈託のない笑顔を見せながら言った。
「紗良さん、大丈夫っす。今、陛下は湯あみ中っす。あそこは、岩に囲まれてどこよりも頑丈にできてるっす。俺らでも、ここの会話をあそこで聞くことはできないっす」
カイルは、うさ耳をぴょこんと出した。紗良は、胸をなでおろしながら大きく息を吐いた。
紗良の慌てふためく様子をみて楽しそうに肩を揺らしているジョバンニをひと睨みした紗良は、それから困った表情をして、カイルに尋ねた。
「それにしても、これどうする? どうやっても、四つ置けないわよ。私、床で寝ようかな。サークルの中でヴォルフと一緒に。あそこなら敷布団なしでもいけそうだし――」
紗良の言葉に、カイルが真っ先に反応した。
「紗良さんとヴォルフと、床でって、だめっす。悪いっす。紗良さんが床で寝るなら俺が床で寝るっす」
悲しそうな表情をしてだめっすというカイルに紗良は、眉尻を下げた。
「カイル、ありがとう。あなたは、いつでも天使ね。でも、私、大丈夫よ。あっちの世界では、私、よく床で寝ていたのよ。慣れっこなの。ほら、前に私の住んでいたところは、部屋が小さいって言っていたでしょ? ベッドを置く場所がないほど小さいこともあったから、それで床に布団をしいて――」
――ズズズ
ハッとして音のした方向に振り向いた紗良たちは、開け放たれた扉で鼻を啜っているアーサーを見つけた。
カイルとジョバンニは、驚愕の表情をしている。カイルは、「ぜんぜん気配なかったっす」と呟き、ジョバンニも目を見開きながらコクコクと頷いている。
紗良が、何とか口を開いた。
「アーサー、湯あみはもうお済みですか?」
紗良の言葉に、アーサーは首を横に振った。
「いや、湯あみはまだしておらん。――それより、紗良、おぬし、そんな酷い環境で生きておったのか? 床で寝るなど――」
アーサーは目に涙を溜めている。また、ズズズと鼻を啜った。
「えと、アーサー。その私の世界の部屋のことはその侍婆様も同じような環境にいたと思いまして、その、それが普通で、貧乏だからとかそういうのではないので、全然気になさることではないのですが――」
それよりもと紗良は、アーサーの顔を見た。必死に縋るように紗良は、
「アーサー、いつからそこに? 私たちのはなし――」
紗良が言い終わる前にアーサーは首を横に振った。
「大したことは聞いておらん」
アーサーは、ベッドを指さした。
「ベッドがうんぬんと言っておったが、そのベッド、間間に隙間があるから全部入り切らんのではないか? 全部くっつけたらどうだ?」
カイルはアーサーの言葉に、その手があったかと表情を明るくした――。
「四台、全部入ったっす」
カイルが、並べ終えたベッドを眺めながら嬉しそうに言った。
横並びに連なるようにして並べかえられた四台のベッドは、一つの巨大なベッドのようになった。
アーサーはその巨大なベッドを眺めながら、満足げに頷き、
「これなら皆で寝られるの。紗良も床に寝る必要もなくなったしの。よいよい。――それに、これくら大きさがないと私は、眠れないのだよ――」
アーサーの言葉にジョバンニがえ? と彼を仰ぎ見た。アーサーは、ジョバンニの反応に、ばつが悪そうにして肩を竦めながら、
「寝相がの。悪くてな。これくらいの広さがないと落ちてしまうんだ」
彼の言葉に、カイルとジョバンニは言葉を失った。
ずっと暗い表情で無言でいた紗良が、ようやく口を開いた。
「アーサー、ベッドの話、聞いておられたんですか? じゃあ、私のその、お、お尻の話は――」
「ん? おぬしのお尻?」
ああと言ったアーサーは、綺麗な笑みを見せながら、
「それは、聞いていたが、知っておった」
アーサーの言葉に、紗良は、え? と首を傾げた。
アーサーは、天を指さしながら「影がおると言ったろう。おさるさんじゃ。あやつから、すべて報告を受けておる。おぬしの便所といびきと痔、私は患ったことがないが、私の執事からは、本当に辛い病であると聞いておる。――春になったら、王宮医師を派遣しよう。それまで耐えるのだぞ?」
笑顔を見せるアーサーに、紗良はがっくりと肩を落とした。ジョバンニは「すべて、報告」と呟きながらわなわなと震え始めた。
彼らの様子を見ていたカイルが、「陛下」とアーサーに声をかけた。
アーサーは、ニコニコとしながら「アーサーで良い」と答える。カイルは、恐縮しながら、
「あ、あの、アーサーさん、その湯あみはどうしたっすか? あの、不手際があったっすか?」
上目遣いでおずおずと尋ねた。
アーサーは、ああそのことかと言いながら「カイル、おぬしがいつまで経っても来ないのでな、迎えに来たのだ」
さあ、行こうかと歩き始めたアーサーに、紗良が尋ねた。
「あの、カイルが何か?」
紗良の言葉に、アーサーは眉を顰めながら、
「カイルがいないと湯あみができぬではないか。それとも――今日は、ジョバンニが私の湯あみをしてくれるのか?」
どちらでも私は問題ないぞと笑顔になったアーサーに、紗良たちは愕然とした。




