第二十八話 紗良と牢屋と脱走リスザル
「それにしても、この塔、すげえな――」
ジョバンニは、感心した様子で鉄格子に手をかけた。彼がどんなに力を入れてもびくともしないその鉄格子にジョバンニは、安堵の表情を浮かべた。
「こんなに頑丈なら、こいつがどんな獣人だったとしてもこの牢を破られることはなさそうだな。でも、なんでこんな島に、こんな頑丈な牢屋があるんだ?」
ジョバンニが尋ねた先で、カイルは背を向けたまま首を傾げた。カイルは鉄格子の中で男性の身体を拭いている――。
昨日浜に流れ着いた男性は、彼が塔の地下室に運ばれてすぐに高熱に見舞われた。
カイルは、高熱で意識朦朧としている男性を一晩中看病した。紗良は、リスザルを薪小屋に運んでからジョバンニにヴォルフを託すと、この地下室で夜通し彼らのことを見守っていた――。
「――俺にもわからないっす。これ、侍婆様が陛下のために作ったってじいじが言ってたっすけど、詳しくは知らないっす。俺、ちょっとここ苦手っす。だから、ここに近寄らなかったし、ここの話も聞かなかったっす」
ジョバンニの隣に立っていた紗良は、カイルの言葉に納得した様子で辺りを見回した。
紗良たちがいる地下室は、頑丈な岩で隙間なく囲まれ、外の音、光、全てから隔離されていた。
紗良たちは、昨日、夜をここで明かすために、何本もの蝋燭を立てた。しかし、それでも地下室の全てを照らすことはできず、蝋燭が揺れると隅の闇もゆらゆらと不気味に揺れ、紗良はその先の漆黒を見ながら一晩中肩を震わせていた。
「昨日は一晩ここで三人で過ごしたけど、カイルが嫌うように、ここ、確かに不気味だわ。地下だから日の光も一切入ってこないし、何もない。牢屋が一つあるだけ。この蝋燭が消えて、さらに上の扉も閉められたら――」
思い出しながら紗良は、また、身震いした――。
「――これで、当分は大丈夫っす」
カイルは、振り向きながら紗良に言った。紗良たちに向かって歩いてきたカイルは、鉄格子の扉を開けて牢屋から出てきた。
ゆっくりと音を立てないように扉を閉める。
彼らの視線の先には、ベッドに横たわっている男性がいた。彼は、目を瞑ったまま微動だにしない。この男性の生存を唯一確認できるのことは、彼の胸が規則正しく上下しているということのみであった。
カイルは、男性を眺めながら、
「この人の熱、ようやく下がったっす。でも、薬草をいつもの倍量使ったっす。冬にとっておいた分もちょっと使っちゃったっす」
補充のためこれから、薬草畑に行ってくるというカイルを、紗良が手で制しながら言った。
「カイル、あなたは、昨日一睡もしていないんだから、ちょっとは休んだ方がいいわよ。熱冷ましの薬草なら私も知っているし、薪小屋におさるさんの様子を見に行った帰りに摘んでくるから。あなたは、ヴォルフと二人でお昼寝しててちょうだい」
紗良は、腰のおんぶ紐を解きながら言った。カイルは申し訳ないと眉尻を下げながらヴォルフの脇に手を入れて彼を抱っこした。
ヴォルフをカイルに託した紗良は、うんと背伸びをしながらジョバンニに言った。
「ジョバンニは、ここで、この人を見張っていてね」
紗良の言葉に、ジョバンニは嫌そうな顔をした。うんと言わない彼に、紗良は眉を上げて詰め寄った。
「ジョバンニ、あなた、昨日ぐっすり寝ていたじゃない、誰よりも元気なはずよ。カイルは一睡もしていないのよ。こんな時くらい彼を助けてあげようとか思わないの? いつもカイルにはお世話になっているでしょう。それに、あなた、ヴォルフの護衛なのよ。ここで、ヴォルフを守るために監視役を引き受けないで、あなた、どうするのよ」
不服そうにしながら未だ黙っているジョバンニ。紗良は、彼を見てため息を吐いた。
ヴォルフを抱きながら二人の会話を聞いていたカイルが、紗良に尋ねた。
「紗良さんは、薪小屋に一人で行っても大丈夫っすか? おさるさん、この人と違って熱もなかったし、薬草を少ししかあげてないからもう少しで起きちゃうと思うんすけど、俺も一緒に行った方がいいんじゃないっすか? 俺、そんなに眠くないっす。大丈夫っす」
心配そうにそう言うカイルの目元には、うっすらと隈ができていた。紗良は、カイルのその顔を見ながら眉尻を下げて、
「大丈夫よ。私に任せて。実は、昨日、ちょっとかわいそうだったけど、あの子を鉄籠に入れてきたの。
あんなに小さな籠の中で人型に戻ることは出来ないから、彼女きっと、目を覚ましたとしても、おさるさんのままでいてくれているはずよ。
鉄籠の中のおさるさんなら、私一人でもなんとかなるし、でも、カイルが心配するなら、ちょっと様子を見てくるだけにするわ。とにかく、カイルは、ちょっとでも体を休めて、あなた、目の下に隈ができているわよ」
紗良は、カイルの目元をやさしく撫でた。私は、大丈夫だからとカイルに微笑む紗良。
彼らを眺めていたジョバンニは、大きくため息を吐きながら、階段上を指さした。
「わかったよ。俺がこいつを見張ってるよ。だから、そこの扉は――、絶対に閉めるなよ」
――コンコン
「入るわね」
紗良は、ゆっくりと薪小屋の扉を開いた。
鉄籠の中のリスザルは、既に目を覚ましていた。紗良の言葉に反応した彼女は、目を見開いて叫び声を上げた。
『お前! これはなんだ?! 早く出せ!』
リスザルは鉄柵をガンガンと叩き始めた。キーキーと叫びながら、力の限り鉄柵を揺らし続ける。
紗良は、リスザルの興奮した様子を見て驚いた表情を見せたが、これ以上彼女を興奮させまいと、穏やかな笑みを作りゆっくりとその歩みを進めた。
大丈夫よ、落ち着いてと、紗良は彼女に何度も囁いた。しかし、リスザルは紗良の言葉を無視し、彼女が近づくごとにさらに激しく鉄籠を揺らして紗良に抵抗する姿勢を取り続けた。
紗良は、リスザルが鉄籠を揺らすたびに、歩みを止めて鉄籠の下の薪の山を注視した。
リスザルが鉄籠を揺らすたびに揺れる薪の山。下にあるその薪の一本一本がリスザルの動きとともに徐々にずれていく。
紗良が、あともう一歩で鉄籠に届くというところで、とうとう、薪の山がそのバランスを崩した。
「危ないっ!」
紗良は慌てて鉄籠に手を伸ばした。それを両腕で抱え、尻もちをついた紗良。彼女の頭上に、間髪入れず何本もの薪が崩れ落ちてきた――。
「――いたたたた」
紗良は、起き上がりながら頭をさすった。頭を振りながら立ち上がった紗良は、腕の中の鉄籠を見た。
「え? うそ!?」
鉄籠と薪小屋、両方の扉が開け放たれていた。先ほどまで興奮していたリスザルの姿は、どこにもなかった。
「ヤバイ! 逃げられた! ヴォルフ!!」
紗良は、顔を真っ青にしながら薪小屋を飛び出した。
塔の方へと全速力で走っていった紗良は、塔裏の畑で屈みながら薬草を取っているカイルを見つけた。
「カイル! ヴォルフは?!」
カイルは、紗良の叫び声に、反射的に背中を向けてみせた。カイルの背中には、ぐっすりと眠って手足をだらんとさせているヴォルフがいた。
気持ちよさそうに目を瞑っているヴォルフを見た紗良は、ぺたりとその場に座り込んだ。
肩ではぁはぁと息をしている紗良に、カイルは、心配そうに尋ねた。
「紗良さん、どうしたっすか? おさるさん、なんかあったっすか?」
紗良の顔を覗き込むカイルに、ようやく息を整えながら、
「おさるさんが――」
紗良の声を掻き消すように、ジョバンニの悲鳴が響き渡った。




