第二十五話 紗良と最後の日向ぼっこ
「カイル、塔の前にあるヴォルフのお散歩サークルなんだけど、あそこで柵として使っていた木の板、あれも薪に再利用できるわよね?」
紗良は、向かいに座ってパンを食べているカイルに尋ねた。カイルは、もぐもぐとしながら頷いている。
紗良は、ヴォルフを膝に乗せながら朝食を食べていた。先にご飯を食べ終わったヴォルフは、上機嫌でテーブルをバンバンと叩いては、キャッキャとはしゃいでいる。
時折ヴォルフの頭の匂いを嗅ぎながら紗良は、「赤ちゃんのこのほわほわの髪と匂い、病みつきになるわ。永遠に赤ちゃんのままでいて欲しい」
あぁ最高と天を仰いで大きく息を吐く紗良を横目に、ジョバンニが口を開いた。
「そんなに、薪が足りないのかよ」
「全然足りないっす。三部屋分を温める必要あるっす。俺は、何とかなるっすけど――二人は、初めての冬っす。多分暖炉がないときついっす。だから、居間と紗良さんとヴォルフの部屋、ジョバンニさんの部屋、三部屋分の薪がひと冬分、必要になるっす」
パンを食べ終えてスープを飲もうと深皿に手をかけたカイルが、真剣な表情で答えた。
「でも、いくら慣れているからと言ったって、カイルだって寒いのには変わりないでしょう? 風邪を引いたら大変だし、やっぱりもっと薪を集めましょう」
膝を揺すりながら紗良が言った。ヴォルフは、紗良が膝を揺らすたびにキャッキャと喜びの声を上げている。
「俺は、大丈夫っす。俺の部屋で寒くなったら、炬燵使うっす。じいじといつも半纏着て炬燵で過ごしてたっす。今年は、ヴォルフ殿下のやけどとか危ないからここには出さないっすけど、倉庫に小さい火鉢があるっす」
「え? 半纏と炬燵?! もしかしてそれも侍婆様から?」
「そうっす。紗良さんの世界にもあったっすか?」
「あったわよー。なっつかしい。そっか、昔の炬燵は炭とかを入れてたって、あ、だから火鉢なのね。――だったらそっか、ヴォルフには危ないわね。あ、でも半纏もあるの? 見たい! カイル、ご飯食べ終わったら見せてくれる?」
紗良の言葉にカイルは笑顔で大きく頷いて、
「じいじと俺のと、ちょっと古いけど侍婆様のもあるっす。侍婆様のは、少し修繕が必要っすけど、じいじと俺のは、すぐに使える状態っす。みんなの分あるっす」
「炬燵だか、半纏だかって一体なんなんだよ。二人だけで盛り上がって――」
口を尖らせるジョバンニに、紗良は、
「冬を乗り切るための最強の装備品よ。ご飯を食べ終わったらジョバンニも一緒に見せてもらいましょう」
紗良は、嬉しそうに微笑んだ――。
「――へぇ。これが半纏か。薄い布団を着ているみたいだな。ちょっと動きずらいけど、冬には温かくて重宝しそうだ。これ、じいじのだろ? 俺が着てもいいのか?」
ジョバンニの言葉に、カイルは「もちろんっす」と笑顔で答えた。
「ただ、ちょっとジョバンニさんには、袖が短かったっす」
「これくらいなら私でもなんとかできるわ。まだ端切れが残っているから――中綿はないわね、どうしよう? 予備の古い枕とかある?」
紗良は、ジョバンニが着ている半纏の袖口を触って縫い目を確かめながらカイルに尋ねた。カイルは、「あるっす。後で持ってくるっす」と言って頷いた。
よろしくねとカイルに微笑んだ紗良は、それからジョバンニの半纏姿を見上げた。
彼の姿を眺めながらふふふと微笑んだ紗良は、
「本当は、こういうのはもっとゆったりと着るものなんだけど、ジョバンニ、あなた、身体が大きいから――。これ以上大きくなったら駄目よ? 冬を越せなくなっちゃう。
ふふふ、こうしてあなたを見ていると、なんだか成長期の子どもがいる親みたいな気分になるわ。
お隣のおばさんがね、おばさんの息子さんが成長しすぎるって、彼、中学校の入学当時より予想以上に成長しちゃって、折角高いお金出して買った学ランを一年もしないうちに買い替えなければいけないかもって、最近の制服って本当に高いのよっておばさん――私の母に愚痴っていたのよ。
それで、次の日その息子さんに会ったらね。ふふふ、彼、本当に窮屈そうに学ランを着ていて――ズボンもすっごく短くなっててね。くるぶしも見えてて――」
思い出しながら笑顔を見せる紗良。
ジョバンニは、また口を尖らせた。
「また、俺の知らない話かよ。学ランってなんだよ。それに、俺もう成長しないし、酒も飲めるし、俺は、もう大人なんだからな。勝手に母親面すんなよ」
頬を膨らませながらふいと顔をそむけるジョバンニ。彼の耳がほんのりと赤くなっているのを見逃さなかったカイルは、紗良にニヤリとしながら目配せした。紗良も、カイルに微笑み返す。
「ふふふ。じゃあ、大人の執事、ジョバンニ。袖の長さも測り終わったし、そろそろ半纏を脱いでちょうだい。
今日は、やることたくさんよ。これから、ヴォルフに最後の散歩サークルを満喫させて、柵を引っこ抜いて、乾燥させて――」
今日も一日頑張りましょうと紗良は、背中で大人しくしていたヴォルフを振り返った。彼は、ふっくらとした手のひらで紗良の頬をぺちぺちと叩いた――。
「――散歩サークル。しばらく使わないうちに、結構草が生えちゃってたわね。どうする? 草の上から敷物をしいちゃえば気にならない?」
紗良は、柵に手をかけながら中を覗き込んで尋ねた。ジョバンニとカイルも紗良に倣ってサークル内を覗いている。
「俺は、敷物なしでも問題ないが、確かにここにヴォルフを寝かせるのは、ちょっと抵抗があるな――」
敷物を持ってくるわとジョバンニが踵を返した。紗良は、お願いと言いながらジョバンニを見送った。
彼女の後ろからカイルが声を上げた。
「あ、ここにもじいじの薬草が飛んできたんだ」
カイルの言葉を聞いた紗良が、振り向きながら尋ねた。
「薬草って、塔裏の畑の? こんなところまで来るの? どの薬草?」
どれどれとカイルの隣に立った紗良は、カイルの視線を追った。
「あ、あの黄色のかわいいお花の――」
紗良は、サークル内を指さした。彼女の指さす方角には小さな黄色の花が何本か咲いていた。カイルは、紗良の言葉に頷きながら、真剣な表情をした。
「多分、風に運ばれてきたっす。今年は結構風の強い日が多かったから。すぐに処分するっす」
「そうね。そうしましょう。禁止されているのに島中に咲きほこってるのばれたら大変だわ。私も手伝うわね」
既に柵を跨いで薬草の方へと歩き出したカイルの背中に紗良は言った。
紗良も慎重に柵を跨ぐと彼の隣にしゃがみ花を手にした――。
「――あ、ヴォルフどうしたの? いきなりしゃがんだのがダメだった?」
背中で騒ぎ出したヴォルフのお尻をぽんぽんと叩きながら紗良は立ち上がり、ヴォルフをあやした。からだを上下に揺すりながらサークル内を歩き回る。
摘み取った薬草を手にカイルが言った。
「紗良さん、ここの薬草そんなに数ないっす。俺一人で大丈夫っす。ヴォルフ殿下、もしかしたら昼寝の時間っす」
「そうね。今朝はヴォルフずっと起きていたものね。ちょっと、このまま私、浜辺まで歩いてヴォルフを寝かせるから、カイル、薬草のこと、あなたにお願いできる?」
「もちろんっす。任せてくださいっす」
カイルは笑顔で手を上げた。カイルに笑顔を返した紗良は、ヴォルフのお尻をトントンと叩きながら、浜辺を目指した――。
『――お、ヴォルフぐっすりだな』
サークル内で、羊の姿をしたジョバンニが敷物の上に体を横たえていた。カイルも兎の姿で日向ぼっこをしている。
紗良は、無言で頷きながらゆっくりとジョバンニの腹の前で腰を下ろした。背中を仰け反らせながら、ゆっくりとおんぶ紐を緩めるとぐっすり寝ているヴォルフは、そのままくたんとジョバンニの腹にもたれ掛かった。
ヴォルフは、そのまま起きることなくジョバンニを枕にすやすやと寝息を立て始めた。
『俺の腹、お前らの枕じゃないんだからな』
小声で抗議するジョバンニに、紗良は無言のままニヤリと口角を上げた。
ヴォルフの隣に寝転がった紗良は、ジョバンニの腹を満喫しながら、
「カイル、おいで撫でてあげる」
自身の腹をぽんぽんと叩いた。
兎カイルがぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねながら紗良の腹の上に乗った。
空を見上げながら、紗良は腹の上の兎カイルを撫で始める。
「最高の日向ぼっこも、ひと冬お預けね」
紗良は、暖かな空気を胸いっぱいに吸いながら目を閉じた。
――クシュン
紗良は、身震いしながら目を開けた。人の姿に戻ったカイルがニコニコとしながらヴォルフを抱いている。
「もう、みんな起きたんだ」
紗良は目をこすりながら尋ねた。
『寝てたのお前とヴォルフだけだよ。早くその頭どけろ』
羊ジョバンニが、体を捩りながら言った。
「ちょっと待ってよ。寝起きで寒いのよ。もうちょっとあなたの毛を堪能させて」
紗良は、ジョバンニの毛に顔を埋めた。ぐりぐりと顔を擦り付けた紗良は、はっとして、
「ちょっとまって、ジョバンニ、あなた、羊よね?」
紗良の言葉に、ジョバンニは、何を今さらと訝しがった。
「え? ってことは、この毛。羊毛――ウール」
紗良の呟きに、ジョバンニはびくりと体を震わせた。
「え? じゃあ、あなたのこのふわっふわの毛で――」
紗良の言葉に目を見開いたジョバンニが、ボンっと羊の姿を人へと変化させた。全裸のジョバンニに抱き着いたままの紗良。
カイルは、ヴォルフを抱きながら呆然としている。
「ちょっ。あなた、いきなり裸にならないでよっ!」
顔を真っ赤にしながら紗良は、ジョバンニに回していた手を離すと後ろを向いた。
ジョバンニも顔を真っ赤にしながら、
「お、お前が悪いんだろ!」
ジョバンニは、傍らのトラウザーをひったくって足に通しながら、
「絶対に、俺の毛は渡さねえからな。あっぶねぇ。俺、もうお前の前で羊になるのやめるわ!」
慌てながら服を着るジョバンニを横目に紗良は、
「――だって、また、生えてくるんでしょ?」
――以降、ジョバンニが紗良の前で羊の姿になることはなかった。




