第二話 復讐に燃えた召喚士とのすれ違いの会話
「いや、この天井は――」
紗良は、ふたたび、ぎゅっと目を瞑った。ふぅと深呼吸すると、片方ずつゆっくりと瞑った目を開いていく。
「あーー、だめ。やっぱり変わらないわ。この天井――家のじゃない」
はぁとため息を吐いた紗良は、レンガに覆われた薄暗い部屋にいた。簡素なベッドに仰向けの状態で、紗良は独り言ちた。
「この状況、わかるわよこれくらい。ばばあでも、おばさんでも、――ここ、完全に異世界よね。私、異世界転移したのよね。」
しばらく天井を眺めていた紗良は、それから、ごろごろと寝返りを打ち始めた。紗良に追いやられるようにして薄手のブランケットがベッドからずり落ちる。
紗良は、皺くちゃになった灰色のスーツを着ていた。横向きになって自身のお腹回りを見遣った紗良はため息を吐いた。
「転移するならせめて、この贅肉は置いてきて欲しかったわ。召喚する人間は間違えるくせに、きっちりと原型は留める正確さはあるのよね。ここは、もっと美補正とかしてくれても良かったんじゃない?」
スラックスからだるんとはみ出ている贅肉を摘まみながら「贅肉まで転移させる必要あった? ご都合主義は、どうなってるのよ」と、愚痴をこぼした。
「大体、やつらが求めたのは、若くてきれいな人なのよね。あの銀髪の白タキシード、もろ嫁を望んでましたって顔してたじゃない。しっかし、召喚する必要ある? わざわざ嫁を召喚する? どういう設定?」
紗良は、再び仰向けになると、その顔を歪めた。
「いたたたた。あのキンキン女に扇子をぶん投げられてから、どれくらいたってるのよ。頭はまだ痛いってのに、腰まで痛くなってきたわ。ばばあの身体は、長時間睡眠に対応していないのよ。寝すぎると、腰が痛むのよ」
よっこらと呟きながら、紗良は体を起こした。ぼさぼさになった髪を無造作に撫でつけながら、ベッドの端までいくとつま先を床に落とす。
「冷たっ! やばっ。こんなとこ歩いたら、速攻、下痢よ、下痢」
こわっと身震いした紗良は、ベッドに足を戻すと手を伸ばして床に落ちていたブランケットを取り上げた。
ブランケットをぐるぐると腹に巻き付けた紗良は、それからベッドに四つん這いになり、床に視線を漂わせながら、靴を探し始めた。
「お探しの物は、これかね」
年老いた男性の声を聞き、紗良は、はっとして素早く顔を上げた。目の前には、濃紺のフードをかぶった老人が黒いパンプスを掲げていた。
「あ、あの時の魔法使い」
紗良は、四つん這いの状態で呟いた。老人は、丁寧にパンプスを床に置き、楽しそうに笑った。
「ふぉふぉふぉ。魔法使いか。近からず、遠からず。おぬし、勘が良いのう」
ふぉふぉふぉと言いながら老人は、部屋の隅の椅子に手をかけた。よっこらしょと言いながら、老人は椅子をベッド脇まで移動すると、彼は納得した様子で椅子に腰かけた。
紗良も、彼に倣うようにしてベッドに正座した。目の前でニコニコとしている老人を見つめながら紗良はおそるおそる尋ねた。
「あの、それで、私はいつ戻されるのでしょうか」
老人は、紗良の問いに意外そうな顔をすると彼女の言葉を否定した。
「戻しはせんよ。五年に一度の大事な王子の番様じゃからのう」
「え? 番? でも、私、あの、おばさんですよ? あの白タキシードさんが言っていたように、私、召喚に失敗したんですよね?」
私を見てくださいと紗良は、老人に近づいた。
「わしをなめてもらっちゃ困るよ。失敗なんてしとらんよ。わしが召喚したのは、おぬしで間違いない。」
「え? でも、私、可愛くも美しくもない、ただのずんぐりむっくりのおばさんですけど」
不満げな表情の紗良に、老人は眉尻を下げながら、
「ふぉふぉふぉ。ずんぐりむっくり、ふぉふぉふぉ。おぬしも、なかなか根に持つタイプじゃの。まぁ。よいよい。――この国ではな、五年に一度、王族の番を異世界召喚するのじゃ。昨日の召喚がそれ。だから、次は、五年後じゃな。」
老人がさらっと答えた内容に目を見開きながら紗良が尋ねた。
「え? 五年? それだけ? じゃあ、もしかしてあの白タキシード、彼、次の番を召喚するまで五年も待たないといけないんですか? それまで――まさか、私も戻れないってこと?!」
ひっと怯えるように尋ねた紗良に老人は、手をひらひらと振りながら言った。
「違う、違う。あやつが勝手に自分の番だと勘違いして召喚に立ち会っただけじゃ。あやつの番を召喚した覚えは、ないわい」
「え? じゃあなんで、あの人、白タキシード着て――」
理解できないと困惑した表情の紗良は、老人を見つめた。
老人は、意地悪そうな笑顔を見せると、
「この国の第一王子、第二王子の番は、十年前と、五年前に召喚済みだからの。本来なら、第三王子である、あやつの番を召喚をするのが、順当であろうが、そんな決まりは一切ない。
誰の番を召喚するのかを決めるのは、王族の誰でもない、このわしだけじゃ。それを奴は、勝手に自分の番を召喚したんだと勘違いしたのじゃ」
「――それじゃあ、あの時のあなたの、間違えました、そんなはずじゃみたいな、あの狼狽えようって演技?」
「もちろん」
自慢げに髭をさする老人に、紗良は呆れた様子で尋ねた。
「そこまでして、なんで? なんでそんな人を騙すようなことをわざわざしたの?」
老人は、黒い笑みを浮かべながら言った。
「復讐じゃよ」
「復讐」
ごくりと唾を飲む紗良。老人は目を細めながらゆっくりと口を開いた。
「あやつめ、わしの自慢のこの髭にな――」
「髭に」
「――枝毛があると言いふらしたんじゃ」
真剣な表情でそう伝える老人に、紗良は拍子抜けした様子で尋ねた。
「は、え? 枝毛?」
「そうじゃ、しかもその枝毛、三つ股だったと。あやつ、みなの前で、わしの自慢の髭を侮辱しおった!」
悔しい、あやつの罪、万死に値する! と老人は、目尻に涙を滲ませながら拳を握った。
「え? ただ枝毛があるってだけで、私、召喚されたの?」
紗良は、信じられないと呆けながら言った。
「そうじゃ、ただの枝毛ではないぞ。みつまた、三本に割れていたと、――そんな侮辱! 誰が許せるというのじゃ!」
老人は、また悔しいと言いながら、地団太を踏んだ。椅子がガタガタと揺れている。
紗良は、思わず叫んだ、
「はぁ?! 三つ股枝毛ぐらい、私の年齢になれば日常茶飯事よ!! このご時世、枝分かれしてない毛を見つける方が難しいわよ! しかも、分かれるくらいならまだしも、もっと歳をとると――
縮れるのよ!!! 縮れた毛がぴょんぴょんって出てくるの!? わかる?! そう言うことなのよおばさんはっ!! それが普通よ! それくらい言いふらされたって、白タキは、ただ事実を伝えただけなのよ!! 侮辱でもなんでもないわ! それなのに、あなた――、私よりもうんと年取ってるくせに!!! 枝毛くらいで、――無駄に人を召喚するんじゃないわよ!!」
ふぅふぅと肩で息しながらそう言った紗良は、ベッドに仁王立ちしていた。
怒り心頭の紗良は、「武士の平均寿命超えた私、なめんなよ!!」と腕を組みながら、
「で、ずんぐりばばあの私を、あの白タキシードの目の前に曝して、あなたのくだらない復讐劇は終わったのよね。だったら、もう私に用はないじゃない。さっさと、戻してくれる?」
――キャン
突然響いた場違いに可愛らしい鳴き声に、へ? と振り向いた紗良の足元には、小さな銀色の子狼がいた。
引きちぎれんばかりに尻尾をぶんぶんと振ったその子狼は、つぶらな瞳をキラキラとさせながら、もう一度嬉しそうに鳴いた。
――キャン
呆けて微動だにしない紗良をすり抜けるようにして手を伸ばした老人は、子狼をそっと抱き寄せた。
よしよしと柔らかい笑みを浮かべながら、子狼を撫でた老人は笑顔を浮かべながら言った。
「この子が、おぬしの運命の番じゃ。わしが、召喚すると決めたのは、第三王子の番ではなく、第七王子のじゃよ――。」
老人の腕の中で、ブンブンと尻尾を振っている銀色の子狼は、紗良を見上げながら、はっはっと、笑顔で可愛らしい犬歯を覗かせた。
――キャン
「うそでしょ」
紗良は、力なくベッドに座り込んだ。