第十六話 紗良と出来上がった四人のたまり場
「ジョバンニ、小屋にある角材を四本運んでちょうだい」
紗良は、物置小屋を指さしている。ジョバンニは、気が進まないという態度でのろのろと小屋に入っていった。
「なんだよ、人使いの荒いばばあだな。俺は、お前らの執事なんだからな。こんな肉体労働は、普通はしないんだよ」
小屋からぶつぶつと文句を言いながら出てきたジョバンニは、紗良に不満げな視線を送っている。
彼の不平不満をよそに紗良は、肩にかけている籠の中のヴォルフを撫でていた。ヴォルフは、獣の姿ですやすやと眠りについている。
紗良は、ヴォルフの背中に顔を近づけて深く息を吸った。嬉しそうに顔を上げて息を吐くと、
「はぁ。ヴォルフの背中、太陽の光を浴びると香ばしい匂いが増し増しで、最高なのよね」
恍惚とした表情で空を仰ぐ。
ジョバンニは、角材を担ぎながら紗良に大げさにため息を吐いて見せた。
「――あ、ジョバンニさん、こっちっす」
カイルが笑顔で手招きをしている。彼は、塔裏の開けた芝生の上で丸い天板にやすりをかけていた。
紗良が、ジョバンニを追い越してカイルに駆け寄る。
「うわー、すごい、カイル、あなた、天才ね。もう出来上がったじゃない。この天板、角もないし、表面もつるつる。これで最高のローテーブルができるわ」
目を輝かせて喜ぶ紗良に、カイルは頬を緩ませた。ぱちぱちと手を叩きながら興奮してる紗良を見て不満げな表情をしたジョバンニは、ドカッと角材を放り投げた。
「ジョバンニさん、すごいっす、力持ちっす。角材、一気に持ってきてくれて助かるっす。ありがとうっす」
カイルは、屈託のない笑顔でジョバンニに礼をした。ジョバンニは、ふいと顔をそむけた。
「――みんなのお陰で最高の居間が完成したわ」
紗良は、大広間を眺めながら満足そうに頷いた。彼女の目の前には、脚の短い大きな丸テーブルが置かれている。
紗良は、丸テーブルの前に「よっこらしょ」と言って座りながら、
「これよ、これ。やっぱりこれが落ち着くわぁ。まーるい大きなちゃぶ台。可愛いわ。これだと角がないからヴォルフが頭を打っても平気だし、何よりこの高さ、ヴォルフの伝え歩きの練習用にぴったりなのよね」
正座をしながら嬉しそうにテーブルを撫でている紗良にカイルが話しかけた。
「このテーブルで、これからみんなでご飯をたべるっすか?」
「そうよ。この高さなら、ヴォルフが獣の姿でも人の姿でも、私たちと同じ目線で食事ができるでしょう? それに、日本では、私にとっては、この高さのテーブルの方が馴染みがあるのよ。最高にくつろげるの。一生座ってられるわ」
幸せだわとテーブルに肘をついた紗良は、カイルとジョバンニに「あなた達も座ってみたら?」と声をかけた。
カイルは、元気よく「はいっす!」と言いながら紗良の隣に座ると、紗良の正座を真似した。
「紗良さんの座り方、けっこう足が痛くなるっす。紗良さん大丈夫っすか?」
「私は、もちろん平気よ。子どもの頃からこういうテーブルを使っていたから、座り慣れているのよ――でも、カイルは無理に私の真似をしなくてもいいのよ。ジョバンニみたいに胡坐をかいても全く問題ないわ。みんなで楽しく食事を囲めれば、どんな座り方でもいいのよ」
紗良の笑顔に、カイルは「分かったっす」と言って足を崩した。
二人のやり取りをつまらなそうに眺めていたジョバンニは、大広間の隅にある柵で囲われたスペースを指さした。
「あれが、例のサークルってやつか?」
紗良はジョバンニの言葉で、彼の指先の方へと視線を移した。柵の中では、赤ちゃんの姿になっているヴォルフが、仰向けになりながら手足をバタバタと動かしていた。
「そうよ。あの中でああやってヴォルフを囲っておけば、ちょっと目を離してお手洗いに行くっていう時も安心しておいていけるのよ。
それに、この部屋の暖房って、暖炉でしょ? 私、暖炉って初めてだから、心配なのよ。やけどとか、ヴォルフもまだ火に抵抗がないから、どんなことをするのか予想もつかないし――冬用の対策も兼ねているのよ」
「サークルの中の絨毯は、紗良さんが作ったっすよ。ふかふかなんす」
カイルは、そう言ってサークルの方へと歩いていった。サークルをひょいとまたいだカイルは、ヴォルフの寝ている横で腰を下ろした。彼の頬をぷにぷにとつつく。
ヴォルフは、きゃっきゃと手足を勢いよくばたつかせてカイルに笑顔を見せた。
「ヴォルフ殿下、可愛いっす」
カイルがヴォルフをあやしている姿に柔らかな笑みを浮かべた紗良は、それから、目元を指でぎゅうぎゅうと押しながら、
「あの、ふかふか絨毯を作るために、また、徹夜しちゃったわ。ヴォルフ、あの子、まだ、首が座っただけでしょう。
寝返りもうてないし、安定してお座りもできないし、色々と心配なのよ。ふかふかな絨毯を引いておけば、万が一倒れても、転んでも痛くないし、安心なのよ」
「手をかけ過ぎじゃないのか? 子どもって黙ってても、たくましく成長するもんだろ? 頭くらいちょっと打っても平気だろ」
ジョバンニは、言いながら床に仰向けになった。今日は、もう疲れたわと大きなため息をつく。
「ジョバンニ、あなた、あなたもこれから誰かと結婚したら、子育をするんだし、そんなんじゃだめよ。
未来の奥さんのためにも、もっと育児に参加するのよ。
それに、あなたはヴォルフの執事でもあるんだからね。そんなすぐにごろっとして、ぼうっとしてないで、ほら、カイルみたいに、ヴォルフの面倒を見てくれてもいいのよ?」
「今日は、もう十分、力仕事をしただろうが」
「あら、力仕事したって言うけど、あなた、今日一日ずっと、文句言っていたじゃない。夜も十分寝ているようだし? 何を頼んでも、俺の仕事じゃないってぶつぶつ言いながら嫌そうにして。
そんなに力仕事が嫌だったら、もっと頭を使ってくれてもいいのよ? この広間をもっと快適にするために、もっと知恵を出してくれる?
今の状態だと、テーブルの角を取ったり、柵を作ったりしてくれて、ヴォルフをかわいがってくれて、進んで仕事をこなしてくれるカイルの方がよっぽど執事っぽいわよ」
紗良は、ジョバンニにふんと片眉を上げてみせた。
「いちいちうるせえばばあだな。力仕事すれって言ったり、今度はそれじゃあ足りないから頭使えって、それに、勝手に俺の結婚にも口出してきやがって、大体、お前、かあちゃんみたいにうるさいんだよ、ぐちぐ――」
「あ、紗良さん!! ヴォルフ殿下、一生懸命、体を揺すってるっす! これって、寝返りっすか?!」
カイルが、声を上げた。嬉しそうに紗良にこっちに来て下さいと手招きしている。
「え? 寝返り?! うそ! 見たい! ちょっと待って――あ、つっ」
顔を歪めて足を崩している紗良を見たジョバンニは、ニヤリと黒い笑みを浮かべた。
「お前もしかして、足、しびれたのか?」
ゆっくりと獲物をねらうように起き上がったジョバンニは、心底嬉しそうな笑顔を見せながら一歩一歩と四つん這いで紗良に近づいていった。
「ち、違うわよ。や、やめてよ。絶対、絶対に触らないで――」
紗良は、両手を突き出しながら違う違うと必死になって首を振った。
紗良の表情に確信を得たジョバンニは、片眉を上げてみせてニヤリと口角を上げた。
「今日は、さんざんこき使われて、さんざん嫌味を言われたからな――」
「いやめてぇーー!!」
楽しそうに紗良の足に手を伸ばすジョバンニと、叫びながら後ずさりする紗良。
二人の様子を眺めながらカイルは「ヴォルフ殿下、家族って賑やかでいいっすね」と囁いた。
ヴォルフは、紗良とジョバンニの攻防をよそに、はっはっと顔を真っ赤にしながら手足をばたつかせ続けた。
ヴォルフの初の寝返りを見ることができたのは、カイルだけだった。