第十五話 ジョバンニが見つけたおかしな幸せ
「もしかして、お前ら知らなかったのか? 満月の光が必要なのは、最初の変化の儀式のときだけだぞ――」
ジョバンニは、ヴォルフを抱きながら目を見開いた。
「変化の儀式って――そういうのものがあるの? その儀式の後は、いつでもこの子を人の姿に変えられるってこと? でも、どうやって? あなたの手が光っていたけど、それって、私たちにもできることなの?」
首を傾げている紗良に、ジョバンニはそんな事も知らなかったのかと呆れた表情をしながら答えた。
「そんなん、常識だぞ? 俺たち獣人は、みんな獣の姿で生まれてくるんだ。産まれてきた子どもは、まだ体内の魔力の流れが未完成だからな。それを完成させるために儀式が必要になる。
満月から降り注がれる力と俺らの魔力とを交ぜ合わせて、子どもに注ぎ込んで、それで獣と人を入れ替える回路を体内に完成させるんだ。
儀式以降は、俺らが定期的に子どもらに魔力を注いでやって、こいつらが獣から人、人から獣に変化するための魔力の流し方を教えるんだ。
習うより、慣れろだっけか? そんな感じだな。何回も繰り返すうちにだんだんと子どもらもコツを掴んでいくんだ。
お前は、違う世界から来たから魔力とかそういうのがあるのかわからんから、何とも言えねぇけど――でも、そこの兎ならできるはずだぞ、そいつも誰かからそうやって魔力を注いでもらって育ったんだからな」
ジョバンニは、ヴォルフを抱いたままカイルを顎で指した。ジョバンニの腕の中では相変わらずヴォルフが両手を上げながらきゃっきゃと笑っている。
「俺、じいじとの記憶しかないっす。俺が双子だったことも、この瞳のこともじいじから教えてもらって、だから、俺、今までこんなに小さい子にも会ったことなくって――俺、じいじに、それ、教えてもらってたのかな。紗良さん、俺……」
カイルは、ごめんなさいと俯いた。
「カイル、あなたは何も謝ることはないわ。あなたは、この島でじいじとずっと二人っきりだったんだから仕方ないわよ。そういうことを覚える機会がなかっただけなんだから、なんにも気にすることなんてないのよ。
私だって、この世界のことなんてこれっぽっちもわからないんだから。あなたにこの島のことを教えてもらいながら、やっと生活しているような状況なのよ」
紗良は、しゅんと項垂れているカイルの背中をさすりながら「あなたには、いつも感謝しているわ」と、やわらかな笑顔を向けた。
それにねと、顔を上げた紗良はヴォルフの方を見た。
「ヴォルフだって、大丈夫よ。だって、見てよ。あの子のあの腕とお腹――」
紗良は、目に涙を溜めながらジョバンニの方へと歩いていくと、彼の前にすとんと腰を下ろして、正座をした。
「ジョバンニ、私もヴォルフを抱っこしてもいい?」
紗良の真っ直ぐな眼差しに、ジョバンニは戸惑いながらふいと顔を逸らした。
「あ、当たり前だろ。そんなこと。なんだよ――ほら」
ジョバンニは、ヴォルフを持ち上げて紗良の膝に乗せた。
「ジョバンニ、ありがとう。ああ、良かった。ヴォルフ――本当に良かった」
紗良は、ヴォルフを抱き寄せながら、震える声で言った。彼の頭と背中を抱えるようにギュッと抱きしめた紗良は、ヴォルフを胸に、深く息を吸い込んだ。
幸せをかみしめるように目を瞑り、しばらくしてゆっくりと息を吐いた彼女は、あふれる涙も気にせずに、カイルを振り返った。
「カイル、この子、あなたの美味しいご飯のお陰で、こんなにムチムチになったわ。ふかふかよ。カイル、あなたも抱いてあげて」
ヴォルフを抱いたままいそいそと膝立ちで移動した紗良は、戸惑った表情をしているカイルに、大丈夫よと言って彼に座るように促すと、胡坐をかいたカイルの上にヴォルフを座らせた。
カイルの手を取りながら紗良は、倒れないようにここを押さえててと言ってカイルの手をヴォルフの脇に動かした。
「――本当だ。ヴォルフ殿下、あったかいし、ふかふかっす」
カイルは、瞳をキラキラとさせながら白い歯を見せて喜んだ。
「そうでしょ、ふかふかよね。ふかふかのヴォルフよね。カイルのお陰よ。本当に良かった」
良かったと繰り返しながら涙を拭う紗良の背中に、
「なんなんだよ。お前ら、赤ん坊は、普通、ムチムチしてるもんだろう。それなのに、なんで、そんなことで――」
ジョバンニは、呟きながら天を仰いだ。ボロボロのレンガの天井を眺めていたジョバンニの目元に涙が滲み――
――ぐうううう
「あ、ごめんなさい。なんか安心したら――」
「紗良さん、お腹すいたっすか?」
カイルがいつもの調子で尋ねた。紗良も「やあね、私ったら、安心したらすぐにお腹が空いちゃう。もう夕食の準備始めちゃう? 今日は、ヴォルフの変身をお祝いして、また、ちんぴらパーティーにしちゃおうっか?」
「紗良さん、大丈夫っすか? じいじがちんぴらを毎日食べると太るっていってたっすよ」
「大丈夫よ。明日、また、たくさん動くから。それに、今日はさすがにお酒は控えるわ。ジョバンニも来たことだし、歓迎会も兼ねて。ね? パーっとサクサク楽しく――揚げ揚げよ!」
楽しみねと笑顔を見せる紗良に、ジョバンニは、
「なんなんだよ――泣いたり、腹鳴らしたり」
ため息を吐いて、またゴロンと床に仰向けになった。天井を眺めながら一人呟き始める。
「ま、でも、仕方ねえからな。あいつら、なんも知らねえし、なんも気にしねえし、なんか楽しそうだし、全然わけわかんねえけど――、ま、このままもうちょっと、島で、あいつらと――まあ、それでもいいか」
ジョバンニは、肩の力をふうと抜いてゆっくりと目を閉じた。
キャッキャと楽しそうに笑うヴォルフの声を聞きながら、ジョバンニは幸せそうに微笑んだ。