第十四話 紗良とジョバンニの攻防
「紗良さん、あいつ、どうするんっすか?」
カイルは、部屋の隅で膝を抱えているジョバンニに視線を投げかけた。
昨日、殿下と番の真実の姿を見たジョバンニは、こんなはずじゃと項垂れ、そのまま自室に引きこもっていた。
カイルが用意した夕食にも手をつけず、紗良の声掛けにも一切答えず、一晩無言を貫いたジョバンニは、昼過ぎにようやく部屋から出てきた。
しばらく塔内をうろついていたジョバンニは、一階の広間で楽しそうに作業をしている紗良たちを見つけると、彼らに声をかけることもなく、むっすりとした表情で広間へ入り、どかっと無言で隅に座った。
「――なんだよ、第七王子って、第七って……聞いてねえぞ。しかも、王子って、まだ、赤ちゃんじゃないかよ。それにあの番……なんでこっちは赤ちゃんじゃなくて、ばばあなんだよ、小太りばばあ。どうなってんだよ……」
はぁーと大きなため息を吐いて背中を丸めたジョバンニは、彼らの反応がないことに苛立ちの表情を滲ませ、ついには紗良を睨みつけ始めた。
ジョバンニの憎々し気な視線にもしれっと無反応を貫く紗良に、彼は、チッと、舌打ちをした。
ジョバンニの不貞腐れた態度に、カイルは眉と耳をピクリと動かした。ジョバンニにキッと鋭い視線を向ける。
紗良は、カイルの腕をポンポンと叩いて首を横に振った。カイルの腕を引っ張りながらジョバンニに背を向けた紗良は、カイルに小声で話し始めた。
「彼、現実を受け入れるのに時間がかかっているだけだから、もうちょっとそっとしておいてあげましょう。そもそも、彼もつらい立場にいるのよ。
――アレックスが私に言っていたのよ。『お前が噂の太ったおばさんか』って。ってことは一部界隈では、私って有名だったってことよね。少なくとも王城の主要な人物には私のことが伝わっていたはずだわ。
でも、ジョバンニはそんなこと聞いてないって――それって、彼にまで私の噂がいっていなかったってことでしょ?
ジョバンニ、第三王子の側近候補だったって昨日自慢げに私たちに言っていたわよね? でも、それっておかしくない? だって、あの白タキが一番初めに私を見たのよ。彼の側近ならすぐに知らされるはずでしょ。それに、白タキ...あの性悪、第三王子――」
「全部、聞こえてるからな」
振り向いた紗良は「あら、聞こえてた? ごめんね」と薄く笑みを浮かべてジョバンニを見た。
ジョバンニは、紗良の言葉に口を尖らせながら、
「どうせ、俺は、側近候補止まりの、クソ野郎だよ。どうせ、俺は、王城で、用なしなんだ。フランツ殿下にも、家族にも見放されて、だから、あんなおんぼろボートで、お前たちを押し付けられて、それで、一生戻ってくんなって、そう言うことなんだろ。そんなこと、一晩考えりゃあ、馬鹿でもわかるよ」
膝を抱えて項垂れた。
ジョバンニが、がっくりと肩を落としているのを見た紗良は、眉尻を下げながら口を開いた。
「ジョバンニ、私、そこまで言ってないわ。誰も、あなたを見放さないわ。ごめん、ちょっと、おばさん、あなたに意地悪しちゃった。私が、悪かったわ。
私、独り身でいた時間が長くって、だから、つい――やられたら、速攻で、反射的に、徹底的にやり返しちゃうのよ」
ふふんと笑みを浮かべて腕組みを始める紗良に、ジョバンニが不満げに言った。
「ふん、なんだよそれ。謝ってるようで、ぜんっぜん謝ってねぇじゃねえか。いちいちむかつくばばあだな」
「お前が、先に、紗良さんを侮辱したんだろう! 紗良さんは、ばばあじゃない!」
カイルが、鬼の形相で紗良とジョバンニの間に入った。
紗良は、ジョバンニを睨みつけているカイルの背中をぽんぽんと叩いて言った。
「カイル、ありがとう。私も年長者のくせに、あの子の挑発に乗っちゃって申し訳なかったわ。もう言い争いはやめるから、ね。カイル、落ち着いて。
――それに、あなた、また『す』を忘れてるわよ。あなたのすぅ語、私好きなのよ。また、すぅ語に戻って、ね?」
カイルは、頬を膨らませながら紗良を見た。うさ耳をぴょこんと出しながら、
「俺は、紗良さんとヴォルフ殿下にしか『す』はつけないっす」
「え? どうして?」
紗良は、首を傾げながら尋ねた。
「これは、尊敬している人にしかつけないっす」
頬を染めながらもじもじと答えるカイルに、紗良は、嬉しそうに声を上げた。
「え?! うそ! そうなの? カイル、え?! あなた、私のこと、尊敬してるって、そうなの?!」
「そうっす!」
目をキラキラとさせてそう答えるカイルに、紗良は、目を見開いて口に手を当てた。喜びの表情でカイルを見つめる。
「そ、尊敬されてる? わ、私が? こんなスパダリ青年に? もう、やだぁ」
最高じゃないとカイルの肩をべしべしと叩きながら喜ぶ紗良に、ジョバンニが苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「お前ら、なんなんだよ。怒ったり、喜んだり……おかしいんじゃねぇの?」
はぁとまた大きなため息を吐いたジョバンニは、頭の後ろで腕を組んだ。
楽しそうに会話をしている紗良とカイルを交互に眺めたジョバンニは、最後に彼らの背中越しに小さな籠を見遣った。
「すぅすぅ言う兎に、すぐやり返してくる強気ばばあ。それに、なぜかずっと獣化したままの王子――お前ら、マジで、おかしな奴らだよ」
ジョバンニは、ゴロンと床に仰向けになった。
――キャン
部屋の隅で昼寝をしていたヴォルフがすくっと起き上がり、一声鳴いた。
籠から顔を出したヴォルフは、寝転がっているジョバンニを見ると、笑顔を見せた。
ぴょんと籠から抜け出し、ジョバンニに向かって駆け出す。
勢いのままジョバンニの腹の上に飛び乗ったヴォルフは、はっはっと白い牙を見せながら彼の胸元へ、ひとっ飛びに移動した。
彼の顔をぺろぺろと舐め始める。
ジョバンニは、なんだよと面倒くさそうにしながらも体を起こし、胡坐をかきながらヴォルフを抱き上げた。
ヴォルフと向かい合わせになり、彼の目をじっと見つめたジョバンニは、それからそっとヴォルフの頭に手を置いた。
ジョバンニの手から柔らかな光があふれだす――
「え? ヴォルフ?」
紗良とカイルは、目を見開いた。
「――なんだ、お前、ずっと獣のままだったから、なんかの病気かと思ってたけど、お前、ちゃんと人型になれんじゃん」
ジョバンニは、赤ちゃんを抱っこしながら安堵の笑顔を見せた。
赤ちゃんの背中を眺めながら驚き固まっている紗良。
彼女を見上げたジョバンニは、赤ちゃんの向きをくるりと変えて、紗良の方を向かせた。
赤ちゃんと紗良の目が合う。
赤ちゃんは、もちもちとした両手をブンブンと振りながらキャッキャッと紗良に笑いかけた。
「え? どういうこと? ヴォルフって満月の夜以外でも、人間になれるの?」
紗良は、信じられないといった表情でジョバンニを見た。