4. ラッキーアイテム
(やばいよ、やばい、やばい! どうしよう……男の子にビンタしちゃった……しかも学校で一番有名なエヴァン・ドレイクに……!)
放課後、アンナはバイト先の片隅で頭を抱えていた。カウンターに突っ伏して、ため息をつく。
一方その頃――。
ルミエール・アカデミーの特別ラウンジ。豪奢な装飾とふかふかのソファに囲まれたその空間で、エヴァン・ドレイクは頭を抱えていた。
「ブレスレット……お揃い……どうでもいい……触らないで……」
ぼそぼそと繰り返す彼の前に、リオ・ヴァルデが現れる。
「おい、エヴァン。お前、呪いでもかかったか?」
「……おお、リオ」
「いや、なんだその顔。具合悪いのか?」
「……いや、頼むから誰にも言うなよ。実は……パワーストーンが欲しくて、ちょっと離れた怪しげな魔法具屋に行ったんだ」
「お前またかよ! そんなとこ通ってるのバレたら、学校の評判に関わるぞ!」
「そうだ……その通りなんだ……」
「で、まさか誰かに見られたのか?」
「……見られた」
「誰にだ?」
エヴァンは答えず、ソファの背にもたれたまま遠い目をする。
「ちゃんと口止めしたんだよな?」
「……」
「おい、エヴァン?」
「……口説いたら黙ってくれると思ったんだ」
「……何を?」
「……口説いたら黙ってくれると思ったんだ」
「二度言うな!」
リオは額に手を当て、深々とため息をついた。
「で、どうなった?」
「……『触らないで』って言われて……ビンタされた」
リオは数秒間、沈黙した。そして突然、爆笑し始める。
「ハハハハッ、マジで!? お前が? ビンタされて?」
「そんなに笑うなよ……」
「お前が普段どれだけモテようと、相手の女の子は人形じゃねえぞ」
「俺、ちゃんとやったつもりだったんだ……」
「幼なじみの俺でも、お前が恋愛してるとこなんか見たことねえからな。そりゃダメだ」
「全然ダメだった……」
「ったく。これがバレたらルミエールの天下のエヴァン・ドレイク様も地に落ちるな」
「だからここでしか言わないんだ……ここなら誰にも見られない」
リオが肩をすくめて笑うと、エヴァンは視線をそらしながらぼそっとつぶやいた。
「……今日のラッキー占いで、ラッキーアイテムは庭園って出たんだけどな……」
「いや、それただの占いだろ!」
「あ、でも、『どうでもいい。誰にも言わない』って言ってたな……」
「……口止めはできたってことか? なら、何でそんなに落ち込んでんだ?」
「……なんでだろうな」
その日の夜――。
アンナはバイトを終え、寮に向かって帰っていた。
「ボーっとしてたら遅くなっちゃった……」
夜の街灯がちらちらと灯る小道を一人歩いていると、背後から足音が近づいてきた。
「お嬢ちゃん、ルミエールの学生か? いい身なりだな」
男の声が耳元に響く。振り返ると、薄汚れた三人組の男たちがニヤニヤと笑みを浮かべて立っていた。
「お金持ちか?」
「えっ……いや、全然そんな……」
アンナはぎこちなく後ずさったが、男たちは杖を取り出し、彼女に向ける。
「ムカつくんだよな……お高くとまった学生ってやつは」
ひとりが呪文を唱えかける。
(やばい……! 防御魔法、何でもいいから――!)
声にならない叫びが心の中で渦巻いたその瞬間。
「ケラウノス・フルミナ!」
激しい雷鳴と共に稲妻が空を裂き、三人を吹き飛ばした。男たちは地面に叩きつけられ、杖を手から落とす。
「な、なんだ……!?」
「逃げろ!」
慌てふためいた三人は這うようにして逃げていく。
アンナは息を呑みながら振り返った。
そこにはエヴァン・ドレイクが立っていた。暗い道でも目を引く、堂々とした佇まい。カリオン寮のローブが月明かりに揺れ、片手に握られた杖はまだ魔力の余韻を残している。
「……大丈夫か?」
「う、うん。ありがとう……」
アンナは涙をぬぐいながら答えた。
「またあの店でバイトしてたのか?」
「あ、はい……というか、どうしてここに?」
「い、いや、たまたま通りかかっただけだ。……その、昼間のこと、謝ろうと思って……」
「謝るって、私に?」
驚いた表情のアンナに、エヴァンは視線をそらし、少し口ごもりながら言葉を続けた。
「ああ。……気を悪くさせたなら、悪かった」
アンナはしばらく黙っていたが、柔らかな笑みを浮かべた。
「私こそごめんなさい。驚いて叩いちゃって……でも、本当に誰にも言わないので、安心してください」
エヴァンは口元をわずかにほころばせ、学校の方へと歩き出した。
「そのローブ、お前もカリオン寮だろ? 帰るぞ」
「は、はい」
「というか、名前、まだ聞いてなかったよな?」
「アンナ・ベネットです」
「アンナ、か。……お前、何であんな魔法具屋で働いてんだ? 貧乏なのか?」
アンナは少し言い淀んでから、軽く笑って首を横に振った。
「いえ、あれは趣味みたいなもので……貧乏っていうか、私、本当の親はもう亡くなってて」
「……悪い。変なことを思い出させたか?」
「ううん、大丈夫です! もうとっくに吹っ切れてますから!」
エヴァンは短く息を吐いた後、低くぼそりと言った。
「……もっと早く帰れよな。こんな時間に出歩くな」
「……でも、帰り道にある庭園、夜はすごく綺麗なんです。通るたびに癒されるんですよ。ほら、あそこ!」
アンナが笑顔で振り向くと、彼女の指差す先に、月の光に照らされた庭園が広がっていた。葉が風にそよぎ、花が静かに輝く様は幻想的ですらあった。
「綺麗でしょ?」
振り返ったアンナの笑顔に、一瞬、エヴァンの頬が赤く染まった。