30. 自分の道
アンナはアルヴァンに礼を言い、エヴァンを探しに行った。
ルミエールの特別ラウンジの扉をそっと開けると、そこにはエヴァン、セリナ、フィリップがくつろいでいた。
「アンナ!」
エヴァンがすぐに気づき、手を振る。アンナは「お邪魔します」と小声で言い、部屋へと入った。
しかし、セリナとフィリップの様子がいつもと違う。二人の距離が妙に近い。アンナは眉をひそめた。
「セリナ……? フィリップ……? なんかあった?」
尋ねると、セリナの顔が真っ赤に染まり、彼女は小さな声で呟いた。
「フィリップと、つ、付き合うことになったの……」
「え!? いつの間に!?」
思わず驚きの声を上げるアンナに、エヴァンがぽつりと呟く。
「まあ、ずっとフィリップの片思いだったからな」
「そ、そうだったんだ! おめでとう、二人とも!」
アンナは驚きながらも笑顔で祝福した。
「ありがとう。今度、ダブルデートでもしようか」
照れくさそうにフィリップが答える。
「それより、アンナ。何かあったのか?」
エヴァンがアンナに目を向ける。
「うん、ちょっとね……」
アンナが言いよどむと、セリナが気を利かせて言った。
「私たちはカフェに行くわ。アンナ、ゆっくり話してね」
セリナとフィリップは部屋を出て行き、ラウンジにはアンナとエヴァンの二人だけが残った。
「で、どうした?」
エヴァンが尋ねると、アンナは少し息を整えながら答えた。
「じ、実はね……人間界の私の家族が……生きてたの」
「え!? 良かったじゃん!」
エヴァンは驚きながらも笑顔を見せる。
「なのに、なんでそんな暗い顔してんだ?」
「えっ……」
アンナは言葉に詰まり、少し俯いた。
「会いに行くのか?」
「そのつもりだけど……」
アンナは続けようとしたが、言葉が出てこない。
「?」
エヴァンが首をかしげると、アンナは一呼吸置いて言った。
「人間界に戻ったら、もうこっちには帰れないんじゃないかなって……」
「は? なんで?」
「だって……あっちでの『普通の生活』があるから……」
「普通ってなんだよ?」
「普通は普通だよ! 高校通って、大学出て、就職して、結婚して、家買って、子供産んで、親に孫の顔を見せに行ったりすんの! いつか母親として家事とか子育てとか仕事とか頑張るの!」
アンナは言葉を重ねるが、どこか自分に言い聞かせているようだった。
「それ、本当にお前がやりたいことなのか?」
エヴァンは静かに問いかけた。
「やりたいとかじゃなくて……それが普通だから……」
アンナの声はだんだん小さくなる。
「……普通って言葉、便利だよな。自分で考えるのをやめるのにちょうどいい」
エヴァンの言葉に、アンナはハッとする。
「でも……両親の期待に応えないと……」
「期待? お前の親はそんなこと言ったのか?」
「……言葉にはしてないけど、きっとそう思ってる。普通に生きて、幸せになってほしいって……」
「でも、それってお前の人生じゃないだろ?」
「……」
アンナは黙り込む。
エヴァンは立ち上がり、アンナの目をじっと見つめた。
「お前がどう生きたいか、それを考えるのが大事なんだよ。他人の期待で動くな。お前の人生なんだから、自分で決めろ」
アンナはその言葉に何かを感じたように、そっと頷いた。
「……でも、簡単には決められない」
「いいんだよ、今すぐ答えを出さなくても。時間はあるんだからさ」
エヴァンは優しく笑った。
「ありがとう……」
沈黙のあと、エヴァンはふと思いついたように口を開いた。
「なあ、アンナ」
「ん?」
「アルカナ魔法学校に遊びに行ってみないか?」
「え、突然どうしたの?」
「普通、部外者は入れないんだが、エリオットが特別に招待してくれるらしい」
「それって、エヴァンが行きたいだけなんじゃないの?」
「ち、違う! いや、行きたいけどさ……今のアンナにちょうどいい刺激になるかもなって」
アンナは少し驚きながらもエヴァンを見つめた。
「……そうかな?」
「まあ、行ってみてダメならそれまでだし、とりあえず気分転換にはなるだろ?」
エヴァンは自信たっぷりに笑い、アンナもつられて小さくうなずいた。
「わかった」
「よし、決まりだ! ちょうどもうすぐルミエールも休暇期間に入るし、来週行ってみよう!」
エヴァンは嬉しそうに微笑んだ
翌週――。
アンナとエヴァンはアルカナ魔法学校への列車に乗っていた。
指定された客室に足を踏み入れると、そこには広々とした空間が広がっていた。ベッド、ソファ、キッチン、さらにはシャワールームまで完備されている。
「すごい……まるで小さな家みたい」
アンナは驚きの声を上げる。
「広いだろ? 長旅になるから、これくらい快適じゃないとさ」
エヴァンは得意げに笑った。
荷物を部屋に置いた後、二人は列車の窓辺に腰掛け、景色を眺めた。列車が動き出すと、周囲の風景が次第に地上から遠ざかり、空中を走るようになる。
「え!? 浮いてる!?」
アンナは目を丸くする。
「アルカナ魔法学校は遠いから、こうやって空の道を通るんだ。空中列車じゃないと辿り着けない場所だからな」
エヴァンが説明する。
列車は青い空を進み、やがて夜が訪れる。窓の外には満点の星空が広がっていた。
「綺麗……」
アンナは窓に顔を寄せ、星々に目を輝かせる。その横顔を見つめ、エヴァンは気づかれないように頬を赤らめた。
「そ、そろそろシャワー浴びて休もうぜ」
エヴァンは慌てて話題を変える。
シャワーを終えた二人は、それぞれベッドに入った。列車の振動が心地よく、二人の会話は自然と柔らかなトーンになる。
「両親が生きてて、本当に良かったな」
エヴァンがぽつりと呟く。
「うん、そうだね……」
アンナは微笑むが、どこか考え込んでいるようだった。
「なんだよ、その微妙な返事は」
「ううん、エヴァンの言ってた通りだなって思って」
アンナは少し目を伏せた。
「何が?」
「人間界にいた頃は、ずっと誰かの期待に応えることばかり考えてた。無意識にそうなってて……」
「……」
「でも、両親や周りの期待が無くなるわけじゃないんだなって。だから、自分でやりたいことを見つけて、それを言えるようにならないといけないんだなって気づいたの」
エヴァンは少し笑みを浮かべ、そっとアンナの顔に手を添える。
「そう気づけたなら大丈夫だ。お前ならきっと、自分の道を見つけられる」
そう言うと、エヴァンはアンナに優しく口づけした。けれど、すぐに距離を取って苦笑いを浮かべる。
「こ、こういうのは、お前の気持ちが落ち着いてからだよな」
アンナはくすっと笑い、エヴァンを見つめた。
「ありがとう。……おやすみ」
「おやすみ」
二人は静かに目を閉じた。