19. 嫉妬
翌朝――。
アンナが身支度をしていると、部屋のドアがノックされた。
(またエヴァンかな?)
少し警戒しながらドアを開けると、そこにはエリオットが立っていた。
「え!? こんな朝からどうしたの?」
「おはよう、アンナ。朝からごめん。でも、昨日のことを謝りたくて」
「謝るって……?」
「昨日、帰り際に俺……嫉妬してた。素っ気ない態度取っちゃって、本当にごめん」
エリオットの真剣な表情に、アンナは少し驚きながらも首を振った。
「き、気にしてないよ! 本当に大丈夫だから」
「なら良かった」
エリオットは安心したように微笑んだが、どこかためらいがちに続けた。
「でも、ひとつだけ聞いていい?」
「え、何?」
「エヴァンって……友達なんだよね?」
唐突な問いに、アンナは一瞬目を丸くした。
「あ、うん、そうだよ。ただの友達だよ」
「そっか。アンナがそう言うなら信じるよ」
エリオットの表情が少し柔らいだのを見て、アンナも自然と笑顔を返した。しかし、その心の奥には、彼がなぜそこまで気にするのか分からない不思議な感覚が残っていた。
「じゃあ、またね」
「うん! ありがとう、エリオット」
エリオットが去ったあと、アンナは彼の言葉を反芻しながら、小さなため息をついた。
(なんでこんなに気を使わせちゃったんだろう……私、何かしちゃったのかな?)
アンナは今日も授業を終え、バイトへと向かった。
バイトが終わる頃にはすっかり日が沈み、街の灯りがちらほらと輝き始めていた。今日はエリオットは来なかったため、一人で帰ることにした。
(今日は来なかったなあ……でも勉強もあるし、忙しいよね)
少し寂しい気持ちを抱えながらも、前向きに考えようとしていたその時だった。
背後から突如、鋭い風の攻撃魔法が飛んできた。
「えっ――!」
アンナは反応する間もなく吹き飛ばされ、石畳の地面に叩きつけられる。
「痛っ……」
起き上がりながら振り返ると、そこには以前街中で襲ってきた人物と同じフードを被った影が立っていた。
(また、あの人……どうして……?)
影は答えることなく再び攻撃魔法を放ってきた。
「アクア・スクートゥム!」
咄嗟に防御魔法を展開するアンナ。しかし、水の盾は一瞬で砕け散り、次の衝撃が彼女の体を襲った。
「ぐっ……!」
地面に倒れ込んだアンナの目の前に、フードを下ろした男の顔が現れる。その顔を見て、アンナは愕然とした。
「ジェイムズ……?」
それは、エリオットのグリフォネス魔法学校の友人であるジェイムズだった。
「ああ、バレちゃったか」
ジェイムズは口元に不気味な笑みを浮かべ、ゆっくりと近づいてきた。
「グリフォネスのトップであるエリオットが、こんな薄汚い人間と付き合ってるなんて、笑えるよな」
「な、何それ……」
「エリオットにふさわしい相手じゃないってことだよ。学校の評判を汚すわけにはいかないだろ?」
「そ、そんなことで――」
アンナが反論しようとするその声を、ジェイムズの次の攻撃がかき消す。
(だめだ……もう、動けない……)
全身に力が入らないまま地面に倒れ伏すアンナを見下ろしながら、ジェイムズは冷たく吐き捨てた。
「ルミエールの学生のくせに、こんなに弱いとはね。まあ、今日はこれくらいで勘弁してやるよ」
そう言い残し、ジェイムズの姿は闇の中に溶け込むように消えていった。
アンナは動けず、ただ地面に伏したまま震えた。悔しさと恐怖、そしてエリオットの名前を持ち出された怒りが入り混じり、気づけば涙が頬を伝っていた。
(どうして……)
夜の冷たい風が吹き抜ける中、アンナはただ無力感に押し潰される思いで、自分の拳を強く握りしめた。
しばらくして、静まり返った夜の闇の中で、誰かが全速力でこちらに向かってくる足音が聞こえた。
「おい! アンナか!? しっかりしろ!」
その声に、アンナはかろうじて顔を上げると、駆け寄ってきたのはエヴァンだった。
「エヴァン……? どうしてここに……?」
か細い声で問いかけたが、エヴァンの顔色はすっかり青ざめており、すぐに彼女の状態を確認した。
「お前……血が出てるじゃないか! 一体何があったんだ!」
アンナはうまく答えられず、言葉が途中で途切れる。
「いい、もう喋るな。まずは治療が先だ」
エヴァンは真剣な表情で、アンナを抱き上げようとしたが、彼女が小さくうめいたのを見てすぐにおんぶに切り替えた。
「ごめん、ちょっと痛いかもしれない。でも、我慢してくれ」
「う、うん……」
アンナは辛うじてそう答えるだけで精一杯だった。エヴァンは優しく彼女を背中に乗せると、そのまま学校へ向かって走り出した。
揺れる背中の上で、アンナは少しだけ安心感を覚えながら、心の中で感謝の言葉を繰り返した。
(エヴァン……来てくれてありがとう……)
意識が徐々に薄れていく中で、その言葉が彼女の胸に温かく響いた。
アンナが目を覚ますと、見慣れない部屋のベッドに横たわっていた。周囲にはフィリップとエヴァンの姿があった。
「おお、目が覚めたか? フィリップに頼んで治療してもらったんだ」
エヴァンが微笑みながら声をかけてきた。
「ここは……?」
アンナは目をこすりながら問いかけると、フィリップが答えた。
「サルス寮の俺の部屋だよ」
フィリップは優しく微笑んで、アンナの様子を見守っている。
「もう大丈夫そうだから、俺はちょっと出てくるよ」
そう言って、フィリップは部屋を出ていった。部屋に残されたのは、アンナとエヴァンだけだった。
「あれ、今何時……?」
アンナは寝ぼけた様子で目をこすりながら、時計を見ると、エヴァンがすぐに答えた。
「朝の3時」
「ご、ごめん……! こんな時間まで……フィリップの部屋だし……」
慌てて謝るアンナに、エヴァンは穏やかな表情で肩をすくめた。
「あいつなら大丈夫だ。近くに別荘もあるしな」
そして、エヴァンは真剣な顔に戻り、話を続けた。
「で、何があったんだ?」
アンナは少し戸惑いながらも、話し始めた。
「……グリフォネス魔法学校の学生委員会の子に襲われた」
「なんだと!?」
エヴァンの表情が険しくなる。
「一度会ったことのある学生で……ショックで……それより、どうして私のこと見つけられたの?」
アンナは気になったことを尋ねる。
「いや、寮でお前の独特の魔力を感じなかったから、夜遅かったし、心配で……」
エヴァンの声は真摯で、まるで自分のことのように心配していることが伝わってくる。
「……ありがとう」
アンナは少しだけ目を伏せ、感謝の気持ちを素直に言った。エヴァンは小さく頷き、少しだけ表情を和らげた。
「まあ、犯人がわかってるなら、エリオットに言えば何とかしてくれるだろう」
「うん、そうだね。明日、話してみるよ」
「でも、一人になった時にまた襲われるかもしれないから、気をつけろよ」
エヴァンは真剣な眼差しで続ける。
「ありがとう」
アンナは小さく頷き、再び感謝の気持ちを伝えた。エヴァンもそれを確認し、少しだけ安心したように見えた。