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第4話

 今度は後部座席ではなく、荷台で揺られながら目的地に輸送されている。


 どうやら俺達の任務は前線のゾンビ加工だけでなく、購入後のゾンビの輸送も含まれているらしかった。背後には例の大型トラックもついてきている。


「あ~あ、さっきまでは好待遇だったのに、いきなり屋根のない荷台かぁ~~」


 愚痴を肴に、またスームを一つ口に放る。スームには水分が豊富に含まれており、水分補給の頻度を減らすことができる。だからこその「スーパー」なのだ。


 荒廃した道路にはコンクリの剥がれた個所が点在していて、その上をタイヤが通過する度に砂煙が巻き起こるのだ。それが荷台の俺達を襲うのだから、当然のように愚痴が溢れてくるのだった。


 唯一の利点は、景観が良くなったところくらいだろうか。しかし、前線へ近づくにつれて、当然のように廃墟感が増していく。


 崩れた建造物の生々しさだけが、視界の中で存在感を増しつつあった。


「政府に依頼されてきたのに、まさかの嫌われ者でしたね」


 珍しく、美終まで愚痴っぽく呟いた。


「……酷いよな。まぁ可能性の話ではあるが、あの十人の中に軍人がいたのかもな。そりゃ知人をゾンビにされたら思う所はあるだろう」

「理不尽ですね。政府から渡された亡骸なのに」


 椅子の上で三角座りをする美終。拗ねているのか口を尖らせている。


「鶏が先か、卵が先か、みたいな話だろ。それに、まだ殺されると決まった訳じゃない」

「前線のゾンビ加工を依頼されましたね。素直に従えば生き残れるのでしょうか。あの会話の内容を思い返すに……望み薄な気もしますが」

「タハハ、かもな。もう気にしてもしょうがないし、暫くは悪路を楽しむとしよう」


 眼前に座る軍人を無視して、俺達は談笑を続けていた。

 最初こそ彼は目を細めて睨んできたが、次第に表情が解けていった。もしかすると、俺達が根っからの悪人ではない、と気づいてくれたのかもしれない。

 そんな時間が数分ほど続いた後、向こうから声をかけてきた。


「私は「百道ももち」だ。そちらは?」


 二十代後半くらいの若者で、軍服と帽子に身を包んでいるから、司令官と同様に外見の情報が少なかった。強いて言うならアサルトライフルを首にかけていることかな。


「叉入だ」と端的に答えた俺に続いて「美終です」と彼女も答えた。

「では叉入さん。戦場は危険だから、くれぐれも私の指示を厳守するように」

「心得ておくよ」

「……あんた商売人のくせに、敬語を使わないんだな」


 また表情に警戒を一つ潜めて、こちらを百道氏が睨んでくる。

普通に怖い。首から下がる銃が、彼の表情に合わせて迫力を増している気がした。


「ついさっき軍人相手に敬語を使わなくなったばかりだ」


 とはいえ、ここで弱気になるのは悪手に思える。

 自我を捨てて遜れば、より死が間近に迫ってくるだけである気がしたのだ。


「……お前にとって致命的なことに、俺も司令官と同意見だ」


 と、百道氏が続けるから、強気な態度は失敗だったのかもしれない。


 俺は冷静さを取り繕うために、またスームを一つ口に放った。飯が喉を通るなら、まだ心が折れていないはずだ、と百道に思わせる作戦でもある。


 しかし、そんな俺に向けてか、百道氏がアサルトライフルを少し傾ける。そのカチャリという音だけで、俺は簡単にスームをしまうことになった。


 やがて、俺達の耳に戦闘音が届き始めた。


 謎の爆発音が、やや近くから聞こえてくるのだ。その恐ろしさは尋常ではなく、いとも簡単に俺の無駄な虚勢を剥がしていく。

 もはや、高鳴る動悸を制御することができず、そっと瞼を閉ざした。

 この瞑想だけが、今の俺の救いであった。


 停車したのは、軍幕の側だった。一般的な平屋くらいのサイズ感で、これと言って特徴のない深緑色の軍幕といった感じだ。周囲は相変わらずの廃墟、近くに大きなマンションがあって、ここはその駐車場であるようだった。

 この駐車場には、そんな軍幕が5つ。戦場にしては目立つ数に思えるが、戦略に疎い俺の指摘することではない。もしかすると死体を使った陽動の可能性だってあるのだ。


 周囲を観察する間も無く、百道氏が「軍幕に入れ」と指示を出してくる。

 既に、軍幕から異臭が漂っている。入るのに抵抗があるが、ここで逆らってしまえば、百道氏のアサルトライフルが火を噴くことになるだろう。


 あえて彼は先導を止めて、俺達を背後から動かす役割を買った。もはや客人への対応ではなく敵対存在への対応に思える。

 背中からアサルトライフルで突かれると、自然と軍幕に手を伸ばすことができた。

 小説のページを捲るみたいに軍幕を動かせば、尋常ではない悪臭が中から溢れる。

 鼻を摘まみそうになる手を咎めて、俺は奥へ進んだ。


 すると背後から「君は待機していたまえ」と指示を出す百道氏の声。容姿だけなら美終は子供だから気を遣ってくれたのだろうか。それとも性差別の一種か。どちらにせよ彼女には要らぬ心配に思えたが、あえて指摘する必要もないことだ。


 軍幕内にはブルーシートが並んでいて、その上に膨らみのある布が敷かれている。 

 まるで、布団で眠っているかのような彼らは――……既に息絶えているのだ。

 てきとうな膨らみを一つを選んで、なるべく優しく布を捲った。


「ウッ……」


 香りの語る通り、酷く腐敗している。大体30代前後の男性で、環境の悪い前線に常温で保管されていたからか、口内には蛆まで湧いていた。

 どうやら顔は無傷だから、死因は胴体にあるのだろう。


 俺はそれ以上に捲らず、布を被せなおした。

 クルッと体を回して背後に居る百道氏に視線を移す。銃口が背中から腹部に動き、その感触がやけに鮮明だった。この極限状況に集中力が増しているのかもしれない。


「取り合えず、確認したから外に出してくれ」

「ここで手術をするのに一度でも退室する理由が分からない」

「まぁまぁ、そうイライラするなよ。実は道具を車に忘れたんだ。冷静に考えて手ぶらで手術ができると思えるか?」

「迷いどころだな。そう言っておいて護身用の武器を取るかもしれない」

「仮に俺が護身用の武器を取るとして、そのアサルトライフルがあれば問題ないだろう。立派な軍人さんなんだから、武器を持った商人なんて余裕で無力化できるはずだ」

「殺すのは簡単だが、無駄に傷を負いたくないんでな。戦場での傷は日常よりも軽いもので致命傷に成りえるんだ」

「だから落ち着けって。俺は一介の商人でしかない。それ以上でも、それ以下でもないから……道具を取らせてくれよ」

「……まぁいい、許可する。両手を上げて、お前から出るんだ」

「はいはい、わかりましたよ。仕事熱心ですねッ!」


 変わらず俺の背後をとる百道氏。ここまで疑われてしまうと、余計な行動を一つ取っただけで発砲されてもおかしくなさそうだ。


 両手を上げつつ軍幕から出れば、俺を見てキョトンとする美終と目が合った。


「あれ? 死体の確認をしに行っただけのはずですが、身分が一つ落ちましたか?」

「晴れて犯罪者予備軍になったみたいだ」

「それは以前からですよね。死刑囚になったのでは?」

「俺の何処が犯罪者予備軍だ! まっとうに商人を続けてきただけなのに!」

「本当は中で死体にエッチなことをしようとしたのでは?」

「俺って普段からどう見えてる? そんな新生の変態に見えてる?」

「見えてます。真実の変態に」

「今の状況と相まって、本気で泣きそうになるから勘弁してくれ!」


 俺達の雑談に痺れを切らしたのか、百道氏が銃口をギュッと押し付けてきた。やや痛いくらいには力が込められている。


「さっさとしろ! 余計な会話をするな!」


 はぁ、芳しくない状況すぎる。でもまぁ美終の側まで戻れたし、ここは正直になるとするか。真実を教えたら絶対に揉めることになるだろうなぁ。


「なぁ、あれじゃ無理なんだ」

「ん? 何がだ?」

「だから……ゾンビの加工が」

「おいッ! 中と言っていることが違うじゃないか!」

「だ、だってぇ、あの場で正直に言ったらぁ、殺されるんじゃないかと思ったんだよ! ほらぁ、周りには死体も沢山あったしぃ、一つ増やすのなら適した場所じゃん!」


 と、逆ギレしてみるも、冷徹な百道氏の視線に射抜かれてしまった。


「バカにしているのか? それとも本当は殺されないと思っているのか?」

「んな馬鹿な! 本当に加工できないんだよ! しばしば勘違いされるんだが、腐敗していたらゾンビにはできないんだ!」


 ドンッ! 背後から蹴り飛ばされて、俺は地面に両手両膝を突いた。土下座寸前の姿勢のまま、後頭部にアサルトライフルの銃口を押し付けられている。


 あれ、もしかしてゲーム終了? 俺って殺されるのか?


「ゾンビなんて腐っていて当然だろ! 下らん嘘をつくな!」


 その怒声は戦場という場所も相まって、とんでもない迫力があった。


「いや、論理的に考えてみてくれ。腐った筋肉が動くわけがないさ」


 ふと冷静になってみる。それが伝染してくれれば、あるいは助かるのかもしれない。


「いいや、そもそも死体が動くわけないのに、常識なんか解くなよ!」


 うわ、これ詰みだわ。だってゾンビ製造・販売業者の前で、そんなことを言うかな。

 もう聞く耳無しって感じが、すっごい伝わってくるもの。


 カチャリ……と、引き金に指をかける音が聞こえた。


「な、なぁ。味方同士で殺し合っても意味がないと思わないか?」

「黙れ! お前に助かる道があるとすれば、軍幕の死体をゾンビにすることだけだ!」

「わ、わわ、わかったよ。やるよ、やれば――……アゲェッ!!??」


 その瞬間、横からの強い衝撃によって、俺は吹っ飛んだ。


 飛び去る途中、俺を蹴り飛ばす美終の姿が視界に入る。肉体が窮地だと判断したのか、やけに景色が鈍重だった。だからこそ百道氏の頭上に迫る銀色の輝きまでも、視界に捉えることができたのだ。

隕石のようなそれは、銀色の軌跡を残しつつ、無慈悲に百道氏へと落下した。


 ボズンッ!!! どこまでも残酷な重低音だった。


 音と同時に凄まじい暴風が発生して、更に遠くへと俺を運んでしまった。空中で一回転した時には、このまま死んでしまうのではないか、と思ったほどだった。

 地面に落下してからも、ボールのように転がり続ける俺の身体。廃墟の一つに衝突したことで、ようやく俺は止まった。その際に後頭部をぶつけてしまったから、ムンクが大声で叫んだのではないかと思えるほどに視界が歪んでいた。


 それでも、先ほどの緊急事態を軽視することはできず、俺は目を擦って前を見た。

 そうして視界よりも先に復旧したのは聴覚であった。


 ――ドドドドドドドッ!!!!


「撃て撃て撃て撃てッ!!!」

「発砲を止めるなぁッ!!!」


 地鳴りのような銃声と怒声が一帯に響き渡っている。

 飛来した銀色の輝きと、ここまで俺達を運んだ軍人たちが争っているのだ。

 ゾンビ運搬用のトラックに一人、俺達を荷台に乗せた軽トラックに一人、計二人が命を懸けて、それと激戦を繰り広げている。


 だが、まるで潮が満ちるように彼らは後退しつつあった。あれだけの火器を用いても敵を牽制することができず、銀色の輝きが徐々に前進しているのだ。

 傍観に熱中していると、背後から声をかけられる。


「腐刃様、どうされますか?」

「おぉ、美終、生きてたか。さっきは蹴り飛ばしてくれて感謝するよ」

「あれ? 上手く背中を蹴ったはずですが頭に当たりましたかね? 私の主はここまでドMじゃなかったはずですが……」

「こんな時まで罵倒に余念がないな。戦争に巻き込まれて最悪の状況なんだが」

「仕方のないことです。腐刃様への罵倒は、私の仕事の一つですから」

「それは止めてくれないか、別に頼んでないから」

「――断ります。私は自分で仕事を見つけるのが得意なタイプですから。求められていることを察せて、初めて優秀なメイドとなれるのです」


 人差し指をピンと立てて、彼女は微笑んでいる。俺すら知らない我が深層心理まで見抜くとは……やはり優秀なメイドだな。


「と、とにかく、こんな雑談をしている場合じゃないぞ」

「ですね。もう直ぐ彼らの時間稼ぎも終わりますから」

「え? 終わるって? 今から彼らを、どう助けるか考えるはずだろ」

「え? でも……既に一人は殺されましたよ」


 と言って、美終が人差し指を軍人らに向ける。俺の視線が彼女の指から伸びる直線をなぞれば、いつの間にか地面に首が一つ転がっていた。


 その頃には俺の視界も完全に復旧しており、おそらくは軍人の首を飛ばしたであろう銀色の大鎌を視界に収めていた。


 ――機械のカマキリ。


 端的に言えば、そんな容姿をしている。但し、人の二倍ほどもデカいのだ。

 もしも虫が人と同じ大きさだったら? そんな空想の窮地に関する会話を、誰もが一度は経験したことがあるだろう。だが今回は、人よりもでかい虫が更には機械化している、という想像の遥か上を行く状況であった。


 今も最後の一人が、そんな化物に対して必死に弾丸を見舞っている。

 しかし、そんな彼へと容赦なく迫る銀色のカマキリ。

 軍人の銃の腕は一流で、正確にカマキリの頭部を捉えている。よほど口径の大きな銃なのか、弾の当たる度にカマキリの首が昔のおもちゃのように揺れていた。


 ――が、それを意に介さず、カマキリが銀色の軌跡を描く。


 その美しき軌跡は、軍人の首を通過していた。やがて一秒ほど経ってから、ゆっくりと軍人の首がズレていく。そのままゴトリと音を立てて、それは地面に落下してしまった。


 そのあまりにも残酷な光景から、俺は視線を逸らすことができなかった。

 次にカマキリが視界に捉えたのは――……この俺だった。

 あ、不味い。順番が回ってきちゃった。


 圧倒的なエマージェンシーを前に、俺は「び、美終」と言って彼女の方を見る――も、何故か彼女はそこに居なかった。ついさっきまでは居たはずなのに。


 まさか……逃げたのか? いや、いやいやいや、確かに俺は彼女にとって素晴らしい主ではなかったのかもしれない。でも、いくら何でも、そこまで彼女は薄情じゃないはずなんだ。普段の毒舌とは矛盾して、情に厚い女性だったと記憶している。


 焦燥の最中、俺は必死に思考を回してる。しかし、そんな時間はもう無かった。

 いつの間にか、銀色のカマキリが眼前にて鎌を舐めている。

 この距離、完全に奴のテリトリーだ。もう俺が逃げるより、奴が鎌を振る方が速いはずだ。まるで本物のカマキリのように鎌を舐めるその素振りは、俺へと十分すぎるほど絶望を与えていた。これは上位生物による食事の一環である、と。


 それでも、ここで死ぬわけにはいかない。俺には人生を捧げるべき目標があるんだ。


「ま、待て。俺は軍人じゃない。ほ、ほら、これを見ろ。さっき貰った5000万の小切手だぞ。こいつがあれば、こんな戦場とはおさらばできるはずだ」


 右手に小切手を持って、それをカマキリに差し出す。

 戦闘用ロボットの多くはAIによる自動操縦だが、中には手動操縦の機体だってある。極僅かな望みではあるが、それに俺はベットしたのだ。


 実際、小切手に反応したのか、カマキリの動きが止まった。


「ほら、今日がお前の人生を変える日だ」


 決め文句を言った途端、大鎌が振り切られた。

 腕でも飛ばされたかと思えば、カマキリが狙ったのは小切手だけ。中腹から分裂していく小切手に、俺は意味もなく手を伸ばしていた。

 そして、直ぐに察する。コイツが手動操縦であると。今の間は、間違いなく葛藤。金を取るか、使命を取るか、その二択の中でコイツは悶えていたのだ。

 だからこそ、あえて小切手だけを狙ったんだ。その邪念を振り切るために。

 もはやコイツにとって俺は、邪な商人に見えていることだろう。


「……お前を殺す」


 遂に声まで出して大鎌を縦に構えた。真上から両断して、俺を「八」の字に割く気だ。


「死、ねねねネネネネネネ――……」


 ――突如カマキリの頭上に、美終が飛来した。

 彼の言葉の途中で、その頭を捥ぎ取ってしまったのだ。


「やはり、視野を確保する為に首は軟な造りになっていましたか。銃弾を被弾する度に揺れていたから弱点が解り易かったです」


 おそらく俺の背中側にあるビルに上って、決定的なチャンスを見定めていたのだろう。そうして上から飛び降りて、カマキリに乗って首を捥いだ。事実だけを並べれば、とても簡単な作戦ではある――無論、俺が囮であることを除けば、だが。


 ふと一息ついた途端、カマキリが息を吹き返す。肩車のように上に乗る美終へと、大鎌を薙いだのだ。常識外れの関節構造をしている。


 その不意打ちに反応を間に合わせて、彼女は仰け反るように倒れる。鼻先を通り過ぎる大鎌は、俺には掠れてしか見えなかった。


 そのまま後転しつつカマキリから落下、バク転をしながら距離を取った。


「普通の生命体のように、頭部を奪っただけでは終わりませんか」


 音声システムを失ったのか、カマキリは喋らず静かに美終へと体を向ける。


「それにカメラも死んでない。本当に飾りの頭部なんですね」


 残念そうに、美終は首を横に振った。

 そんな彼女へと迫るカマキリ。


 正面からの戦闘では、やや分が悪いか、と俺が予感した直後に戦闘が始まった。

 カマキリの振るう横薙ぎの一撃を屈んで回避する美終。これまでは単発の攻撃が主だったが、それは相手を侮っていただけのようで、今度は連撃に派生する。

 左右のどちらからも複雑に迫る連撃を、彼女は軽やかに舞いながら躱し続けている。

 その絶技に思わず見惚れていれば、数秒後には戦況が動き出す。

 まるで、サンドウィッチでも摘まむように、カマキリの大鎌を手に取ったのだ。

 掠れてしか見えなかった大鎌が鮮明になり、俺は状況を掴むのに時間を要していた。


 その間にも彼女は動き続けており、体を素早く回転させて体重を利用しながら大鎌を捥いでみせる。先ほどの頭部よりは遥かに頑丈であるはずのそれを、いとも簡単そうに捥いでしまったのだ。


「力の方向が分かれば、自ずと関節の可動域も理解できます。私の前で大鎌を振り過ぎましたね。チアリーディングじゃないのだから」


 間髪入れずに、もう片方の大鎌が美終へと振り切られる。それすらも見切って、美終は奪った大鎌を構えて、最後の一本を斬り落としてしまった。


「優秀な武装ですが、使い手が三流だったようで」


 と、毒舌を一つ見舞ってから、宙を舞う斬り落とした大鎌を掴む。身体をクルクルと回しながら、その両の手にある大鎌を二本ともカマキリに刺しこんだ。

 さながら黒ひげ危機一髪、二本目が刺さった時点でカマキリは動かなくなった。


「せっかくの服が砂まみれです。死ね、鉄くず」


 更に毒舌による追撃も忘れず、彼女は動かなくなったカマキリを蹴飛ばした。

 

 戦闘が終わったことを理解した途端、俺を襲ったのは達成感ではなく――……

 

 ――尋常ではない喪失感であった。


「クソがァァァアアアア! お、俺の小切手ガァッ!! いや、5000万がァッ!!」


 叫ばなければ発散できない程のストレスがあった。単発5000万なんて、そうそう稼げる金額ではなかったのに。

 二枚になった小切手を両手に握りしめながら叫ぶ。その激情は、やがて悲しみに代わって、俺の頬から涙が伝った。


 そんな俺を他人行儀に見つつ、美終が「そんな場合ですか?」と咎めて来る。


「そんな場合だろ! この世に金より大事なものなんてあるか!」


 彼女は無言で俺に近づいてくる。大鎌よりも素早く動く右手は、直ぐに俺の視界から霞んで消えた。それが頬にバチンとぶつかれば、衝撃で足がふらつくほどの威力だった。


「次はグーですけど……このままお金についての議論を膨らませますか?」

「い、いいえ。けっこうれしゅ」


 口内が腫れて喋り辛いし、鉄の味までしている。


「切り替えられたのなら現状について一言ください」


 衝撃によって冷静さを取り戻して、俺は無力化したカマキリへと近づいた。今の状況を簡単に述べれば情報不足、そしてカマキリは情報媒体なわけだ。


「あぁ……コイツは「LIMBOリンボー社」の戦闘ロボット、「インセクタス」のカマキリモデルだな。ほら、ここを見てくれ。このお腹にあるロゴが目印だ。リンボーダンスを踊る愉快な男のマークがあるだろ」

「とても挑発的なマークですね」

「確か……踊るように戦場を潜り抜ける、とか言う意味合いだったかな。でもふざけたマークとは一転して、近代戦争の要でもあるんだ」

「知識は及第点ですね。では、そこから導き出される結論は?」

「あ、あぁ。つまり前線が崩れたってことだな」

「となると、私たちがここから脱出するのは?」

「うん、ムリムリ、死んだわ、これ」


 そう断言すると、満面の笑みで拳を作って、それを俺に提示する美終。美しい笑顔の陰に覗く怒気に、俺は両手を上げて素早く振った。


「う、ううん、一生懸命かんがえりゅ。だから手はパーにしておいて」


 美終の拳が解けたのを確認してから、俺はニヘラと笑った。

 差し当たってまずは、俺達を運んだトラックから確認することにする。


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