第2話
俺と尾藤は恙なく裁判を終えて、裁判所の出入り口へ向かっていた。
「……あのぉ、今回の料金は、お幾ら万円ほどですか?」
「何だよ、また苦しいのか? ならいいよ、ムリに払わなくて」
「さ、流石は尾藤さん。よっ、超敏腕弁護士!」
「その雑なよいしょが無ければ、もっと気分よく帰れるんだが……」
「タハハ、ごめんごめん。でも本当に助かったよ。ここ最近は出費が重なっててさ」
「その自転車操業が終わった時に、まとめて請求するからな」
笑って誤魔化す俺を尾藤の鋭い視線が貫く。この敏腕弁護士への未払いは、流石にリスクが高すぎる。そう思わせるだけの確かな迫力があった。
「わ、わかってるさ。……あの、お手柔らかにね」
「う~ん、まぁ気分次第かな」
軽く微笑むも冗談にしては質が悪く、俺の額に汗粒が溜まる。
ほどよく談笑をしていれば、ドタドタと大きな足音が背後から聞こえてきた。それに俺達が足を止めれば、向こうもまた立ち止ったようだった。
「おい! このクソゾンビ野郎! お前のせいで俺の人生は台無しだ!」
「渡辺さん、俺はゾンビじゃありませんよ。それに台無しって、借金して義手を買って、また働けばいいじゃないですか。こちらは何も請求していませんよ?」
恨みを買うので、よほどじゃなければ裁判では何も要求しない。それが俺の身を守る為のルールだ。尾藤も「バカだな」と言って理解してくれている。
とはいえ、残念ながら今回のような例外もあるが……。
俺は振り返って渡辺さんに視線を向けた。
「あらら……随分と立派な義手がついてる。それを買ったから裁判に勝ちたかったのね」
右腕の肘から先が、金色の輝きを放っている。どこか鈍く光るそれは、歴史書に記載される五百円玉のような色合いだった。
渡辺はそれ以外にも、スポーツ用の大きなショルダーバッグを肩にかけている。その紐の苦しみ方が、中身の重量を伝えている。
「どうせコイツの支払いが出来なきゃ俺は殺されるんだ! お、お前らも道連れにしてやるよぉッ!!!」
渡辺氏が義手の掌を俺に向ける。すると、それはルービックキューブのように縦横自在にクルクルと回転しつつ形状を変動。やがて腕から伸びる「バルカン砲」となった。
ショルダーバッグからボールペンほどもある弾薬を伸ばし、それをバルカン砲に装填すれば、後は撃つだけになった。渡辺氏の本気度が砲の黒い穴から覗いている。
「わぉ!? それ何処から買ったの? ねぇ銃刀法って知ってる?」
「わ、渡辺君、冷静になりたまえ。現状を打破する手段として、それは最悪だぞ!」
珍しく尾藤が狼狽えつつ、両手を前に出して必死に渡辺氏を宥めている。その様子を見ると、渡辺は口角を上げて嬉しそうに微笑んだ。
「その面が見たかったんだ。お前らみたいなエリートの屈服するその面が! だから、このバルカン砲を買って銀行を襲撃するつもりだった! ……いいや、今からでも間に合うか。お前らを殺した足で銀行に向かって、もっと大勢を殺してやる。金を奪えば支払いもできる。俺は……まだやり直せるんだッ!」
そうして、左手をバルカン砲に添えて、俺らに狙いを定める。
「死ねぇッ!!!」
――ドドドドドドドドッ!!!!
初弾が俺と尾藤の顔の間を通り過ぎる。その風圧だけで髪の毛が数本吹き飛び、頬に浅い切り傷ができた。ボンッ! という、暴力的な風切り音が鼓膜に痛みまで残して。
しかし、初弾以降の制御がされず、俺達の真上の天井を散らばる弾丸が掘削している。
そこから降ってくる破片の方が俺達にとっては脅威であった。直ぐに離れて様子を確認すれば、初弾で肩が外れてしまったのか、反動を抑えられずにバルカン砲が天井を見上げている。黄金色の鯉が餌をねだって水面で揺れているみたいだった。
裁判所の緊急装置が起動、スプリンクラーが水を降らすも適切な処置ではなかった。
警報よりも大きな発砲音が鼓膜を貫通して脳を揺らしてくる。
山道を走る車中かのように、三半規管が揺さぶられて気分が悪くなっていくのだ。
次第に、俺達は逃げることも出来ず、その場に膝を着いてしまった。
そのタイミングで、ようやく発砲が終わる。音は消えたが耳の中では、まだ「キーン」という無音が残って俺達を苦しめていた。
「む、ムリだ。こんなの災害じゃないか……絶対に殺される」
「お、俺も同感だ。まさか、こんな最後なんて想像してなかった」
渡辺氏が肩を入れなおして、再び俺達に銃口を向けた。
「も、もう慣れた。次こそ殺してやるからな」
彼は憤怒に支配された目で俺達を睨みつけている。
もはや二人揃って恐怖に震えることしかできないでいた。
――そんな俺達の真横を、一人の「美少女」が通り過ぎていった。
メイド服を着た15歳くらいの波打つ深い青色の髪の少女。その長髪を、まるでマントのようになびかせている。
「……ほぇ?」
秀才の尾藤がアホみたいな声を出しながら、その少女の背中を見つめている。
尾藤の気持ちは痛いほどに解る。それほどに現実感のない光景だったのだ。
「腐刃様、ご命令を」
「……美終、敵を撃滅しろ」
「腐刃様の仰せのままに」
おそらく、ここが水面でも彼女は同じように跳ねたはずだ。それほどに軽やかな素振りで、両手を広げながら髪をスカートの裾と一緒に浮かせている。
そうして、着地と同時に落下の勢いを直進に変えて彼女は踏み出した。
後からやってきた渡辺氏の反応が、美終を捉えようとバルカン砲を動かす。照準に捉えるべき彼女は、バルカン砲が向く度に霞んで消えてしまう。
人の眼球運動を優に上回る速度で移動しているだけのことだ。
「くッくそがぁぁぁぁああああ!!!!」
――チュ、ドドドドドドッ!!!!
狙いを定めている場合ではない、と気づいた渡辺氏が遂に発砲を開始する――も、それは彼女の跡を追うだけで、文字の練習の為に下書きをなぞる行為に酷似していた。
「伏せろッ、尾藤ッ!!!」
俺は尾藤の後頭部を掴んで強引に低い姿勢をとらせた。大の大人二人が伏せながら戦況を見守るなか、まだ幼さの残る少女がバルカン砲を振り回す敵に特攻している。
何とも情けない話だが、一般人の介入できる状況ではなかった。
いとも簡単に渡辺氏の下に到達すると、美終はバルカン砲を蹴り上げてしまった。
元より過剰な負荷によって限界を超えていた彼の肩は、美終の蹴りの威力に逆らえず風車のようにグルリと一回転。再び肩が外れたようで、バルカン砲は彼の制御下から離脱してしまった。それに焦ったのか発砲を止めて、彼は腕を元の義手へと戻してしまった。
――この間、およそ3秒。渡辺氏の視界から美終が消えていた。
「後ろかッ!!??」
素早く振り返る渡辺氏。しかし、その場には少女の陰すらなかった。
「上ですよ、お馬鹿さん」
バルカン砲の開けた穴に指を突っ込んで、美終が天井に貼りついている。不思議なことに、何故か彼女のスカートは重力に逆らったままだった。
渡辺氏は言葉を交わすことも無く天井に向かって義手を振り切った。
すると手首から先が離脱。いわゆるロケットパンチが放たれた。飛ぶ拳のケツから放つ青い火炎が、その威力を十分に想像させる。
「……おっそぉ」
美終が落下――いや、跳んだ。ロケットパンチを体の回転で躱しながら、入れ違いに渡辺氏の下へ迫る。そのまま彼の頭部を右手で掴んで無理やり地面に押し付けてしまった。
それで勝敗が決したのを察して、俺と尾藤が立ち上がる――も、中腰で留めた。
唐突に渡辺氏が「バーカ」と言ったからだった。
彼の表情までは見えないが、おそらく法廷でも観た、あの自信過多な笑みを浮かべているに違いない。無根拠に勝利を確信したあの嘲笑を。
天井にめり込んだ義手が声に反応して再起動、自ら方向を変えて美終を狙って飛んだ。
完全なる不意打ち、それは誰の目から見ても明らかだった。
俺の口が「び」の字に開かれた途端、それが杞憂だったと思い知らされる。
後頭部に目でもあるのか、美終は渡辺氏の上から離れる。それは宙に舞う紙を思わせる動きで、とても簡単そうに義手を躱してしまった。
その素早さと滑らかさに見惚れていたのか、義手が渡辺氏の頭部に激突した。
彼は床に倒れたまま、赤い絨毯を広げている。
……あれ、死んでないよな? ニヘラと苦笑いを浮かべて、俺は首を横に振った。
――とまぁ、ありふれた俺の一日を切り取った訳だが、ここで一区切りとする。
え? この後で渡辺氏がどうなったかって?
知らない、ゾンビにでもなったのかも。
まぁ、それは置いておいて、この物語について話そうと思う。
こう見えても俺は順風満帆な人生を送っている。
それもこれも俺の人生を激変させた「二人の女性」のおかげだ。
一人は……もう出たよな。この物語は、その二人から展開することになるんだ。