第1話
――裁判は退屈だ。多くの人が想像するよりも、ずっと形式ばっているから。
いつも通り足を組んで机に乗せて、俺は心象最悪の態度で裁判に臨んでいた。
裁判長は目を細めて俺を見ているが、やはり注意してくることはなかった。彼らは学校の先生ではなく、あくまで法の番人なのだ。恐らく内心では「君、それでいいんだな?」と思っているのかもしれない。だが、それでいい! どうせ勝つから。
「では、証人尋問を始めます」
と言って、裁判長の視線が、こちらを捉える。
「まずは被告から人定質問に入ります。氏名、住所、生年月日を教えてください」
――俺の立場は被告、ここは民事裁判所。組んでいた足を解いて静かに立ち上がった。
「叉入 腐刃、東京都千代田区在住、2123年4月8日生まれの23歳です。黒髪黒目のオカッパヘア、黒縁の眼鏡がチャームポイントです。因みに、今日のスーツには拘りがあって――……」
「――聞かれたことにだけ答えてください。あなたの職業は?」
裁判長の視線に感情が覗く。それは苛立ちではなく、おそらく焦燥に近い。やはり彼もまた、この結末の見えた裁判を一刻も早く終えようとしているのかもしれない。
「自営業です。「ZMB」という社名で、ゾンビを生産・販売しています」
「以上で、被告人の人定質問を終えます。続いて、原告の人定質問に移ります。では、原告は、氏名、住所、生年月日を答えてください」
「渡辺 達也です。2112年、6月17日生まれ、千葉在住です」
「ご職業は?」
「清掃業です」
34歳にして、やや白髪の混じる黒髪。ほうれい線の深さが、彼の中に年輪のように重なる苦労を感じさせた。浅い青色の作業着が日常から余白を剥奪しており、何かの奴隷であるかのようにさえ見えた。清掃業がどうとか、そういう話ではなくて、現代の劣悪な労働環境そのもに、そういった不の印象が根付いているのかもしれなかった。
まるで卓球のラリーみたいにテンポのいい会話だった。これくらい君もできるね? と裁判長が俺を見る。さっと視線を伏せて、それを返答とした。
「以上で人定質問を終えます。では、続いて宣誓は……諸事情で省きます」
もはや隠す気もなく、速足で裁判を進める長。それに渡辺氏も気づいたか、目を細めて裁判長を見ている。いや、睨んでいる。
誰が見ても、裁判長からはモチベーションが感じられなかった。
彼は机の上で手を合わせつつ、空白を揉みしだきながら進行を続けている。
「それでは、原告から被害の証言をお願いします」
すると、渡辺氏が証言台に移動して、その横に代理人(相手方弁護士)が立った。
先に口を開いたのは弁護士の方であった。
「渡辺さんはZMB社にて購入したゾンビによって……右腕を失われましたね?」
渡辺氏の最たる特徴は肘から先が無いことだった。とはいえ該当箇所は作業着によって隠れており、その痩せこけた袖が診断書の代わりとなっている。
「その通りだッ! ほら見てくれよ、この腕を! 食われちまったから縫合も出来ないんだぞ! 一生このままだったら、どうしてくれるんだ?」
そう強調する割には、袖に患部を隠している。俺の予想では、既に義手用の手術済み。昨今の義手の性能なら元の腕より便利なはずだし、その資金調達に来た感じかな。
裁判長も渡辺氏の肘に視線を向けている――が「見せろ」と指示は出さなかった。どうせ包帯ぐるぐる巻きで、血のりの装飾がしてあって、こんな状態で包帯を解けるわけないだろうが! と、騒ぎ立てるに決まっているからだ。肩から先を動かすことで、わざとらしく袖を揺らしているのが滑稽だった。
「これは痛々しい。誰が見ても、今後の生活に支障をきたすような重傷で間違いありませんね。渡辺さんは輝かしい人生を失ったも同然だ!」
勝利を確信しているのか、弁護士の口には既に笑みが覗いている。
「この腕じゃ清掃業も続けられない! 職を失ったも同然だぞ!」
それは渡辺氏も同様で、怒っているのか曖昧になるくらいだった。
当初は腕を失ったことに関しては同情していたが、そんな思いも消し飛んでいく。
そもそも、どう騙したら弁護士を捕まえられたのだろうか。こんな負け確定の裁判に。
「以上の被害を持ちまして、今後の渡辺さんの生活を保障できるだけの金銭を保証して頂きますッ!」
「具体的な金額を提示して下さい」
「今回の被害を鑑みれば「10億円」ほどが妥当かと思われます」
不当だろ、馬鹿。サラリーマンの生涯年収は、2・5億まで落ち込んでるんだぞ。
「わかりました。では続いて、反対尋問に移ります」
もはや裁判長でさえ相手にせず、機械的に進行を続けている。あくまで無機質な対応を貫くことで、彼らを間接的に拒絶しているのかもしれない。
指示に従って、俺の雇った弁護士である「尾藤 敏光」が立ち上がった。黒髪のオールバック、銀縁の眼鏡、能面のような無表情、見ればわかる高額な紺色のスーツ。偶然にも同学年で馬が合って、家業を継いでから世話になっている。
敏腕弁護士だから、ほぼ会えないのが難点だが、俺の窮地には必ず駆けつけてくれる。
「渡辺氏の購入したゾンビを調査しました。暴行の形跡がありましたよ?」
「そ、それに何の問題があるんだよ! 俺の所有物をどう扱おうが、俺の勝手だろうが。それにゾンビには人権なんて関係ないだろ! 暴力を振るおうが、犯そうが、全ては俺の勝手なんだよ!」
「購入の際に叉入氏の提示した契約書の通りに、ゾンビへの暴力は御法度です。つまり、あなたが腕を失ってしまったのは単なる自業自得でしかありません」
「ふ、ふざけるなよ! そんなの知らねぇんだよ! 契約書なんて、俺が読んでなきゃ無いのと一緒だろうが!」
「では、ここに証拠品の契約書を提示します」
と、尾藤の視線が裁判長を捉えると、個々人の手元の小さなモニターに契約書が映し出された。そこには契約内容が記されているだけでなく、渡辺氏のサインまであった。
これを見せられた途端に相手方弁護士の表情が硬直、それこそ死人のようだった。まさか、渡辺氏から契約書に関する説明を受けなかったのだろうか。仮に隠されたとしても、疑うべき特記事項であるはず。いくら何でも、おとぼけ弁護士がすぎるだろ。
「だ、だから何だってんだよ! お、お客様は神様なんだぞ!」
激しく怒声を上げる――も、ただ滑稽なだけだった。そこに恐ろしさは無い。あたかも居酒屋のような立ち振る舞いが、足を組む俺よりも彼の心象を貶めている。
そうして、そんな神様の一言を鼻で笑ったのは、まさかの裁判長であった。
「随分と古い価値観をお持ちのようですね。残念ながら生産者と消費者は対等ですよ」
その冷たい視線に晒されて、渡辺氏は口を閉ざした。歴戦の裁判長とは、幾つもの人生を定めてきた、ある種の神に近い存在なのかもしれない。
更に裁判長の視線は相手方弁護士にも向かう。
彼もまた、何かを言おうとする口を静かに閉ざしてしまった。
しかし、その表情には――……まだ光がある。
「では続いて、被告側の証人尋問に移ります」
とぼとぼと席に戻る渡辺氏を眺めながら、俺は証言台に向かった。彼の後ろ姿には、もはや当初の雄々しさはなかった。
俺の後に続いて尾藤が隣に立った。彼も渡部氏を眺めていたが、直ぐに興味が失せたようで、サッと俺に視線を戻してしまった。
「渡辺氏との取引は、契約書に基づいて公平に行いましたか?」
「はい。渡辺氏の目の前で契約書を読み上げて、それを録音してあります」
「では、証拠品の音声を再生させて下さい」
尾藤の視線が、裁判長へと向けられる。彼は頷きながら「許可します」と回答した。
俺以外の全員が生真面目に音声を聞いている。自分の声が気色悪く思えて、なるべく耳には入れず、俺は周囲の様子を窺っていた。
そうすれば、どぶ川のように目を濁す相手方弁護士の顔が見えた。これもまた、渡辺氏から聞かされていない情報だったのかもしれない。もはや、人が良すぎて可哀そうな領域に突入している。腕を失った渡辺氏よりも、弁護士の彼に同情し始めていた。
もちろん音声には渡辺氏の返答も入っている。証拠能力は十分にあるはずだ。
「契約書を読み上げた時、渡辺氏はどのような様子でしたか?」
「聞いていたと思います。二度も繰り返して読んだし、聞いての通り返答もありました」
「先ほども提示した、本件に関する契約書の正当性を十二分に証明できたはずです。本件の証拠品として、改めて契約書を提示します」
「許可します」
裁判長は、契約書の内容にサッと目を通している。場にそぐわぬ雑さだが、この契約書を読むのが初めてではないからだと思う。そもそも俺とも初対面ではなかった。これまでにも繰り返されてきた、似たような裁判でも彼の担当する回があったからだ。
「以上の証言、並びに証拠品を持ちまして、叉入氏に支払いの義務が無いことの証明とします」
尾藤は人差し指で眼鏡の縁を軽く持ち上げた。当然のことですが、という前文を省き、これもまたひと手間か、と溜息を付け足している。
「わかりました。では反対尋問に移ります」
相手方弁護士が立ち上がって、しっかりと俺に視線を合わせた。その顔に貼りつく 不気味な薄笑いが、何かジョーカーがあるのでないか、と想像させてくる。
今日一番の窮地に、俺の頬を冷や汗がなぞった。
「ゾンビによるクレームは、今までにどれくらいありましたか?」
「……まちまちですね。月に一件あれば多い方なのかな」
「その割には、この場での緊張感が欠落している。月に何件も裁判を行っているからではありませんか?」
――と、ここで尾藤が「憶測です」と口を挟む。
「認めます。原告側の弁護士は、証拠に基づいた証言をして下さい」
一度でも指摘されてしまえば、同じ話題に執着することはできない。心象を悪くするだけであり、そこまで腕の悪い弁護士はいない。
未だに薄ら笑いを保ってはいるが、もう不気味ではなく滑稽になりつつあった。証拠品のない尋問ほど、意味のない行為はないのだ。
あの笑いは、まさかはったりだったのか?
「……で、では、その月に一件ほどの被害は、どのような内容でしたか?」
酷く震えた声だった。薄っぺらい鎧が剥がれ始めている。
「急に動かなくなった、とかですね。襲われたなんてことは滅多にありません」
「それは嘘では? こうして実際に被害者が居る訳ですから」
そして、また「憶測です」と尾藤が遮る。
それに「認めます」と裁判長が続けば、相手方弁護士の口が、わなわなと震える。
しかし、諦めだけは悪いようで、意味のあるようで無い質問を繰り返して、尾藤と裁判長に遮られ続けていた。
十数回ほど似たような会話を繰り返してから、ようやく彼は黙った。今の彼からは完全に笑みが消えている。溢れる悲壮感が弁護士としての清潔感を上回っていた。
最後に震える声で「い、以上です」と言って、落ちるように席に座った。
お互いの尋問が終われば、後は結論を出すのみ。結果が解りつつも、全員の視線が裁判長へと集まった。彼が口を開き、静寂を切り裂く時、この裁判が終わる。
「では、判決を言い渡します。被告には支払いの義務はありません」
「う、嘘だぁぁぁああああ!!!」
と叫ぶ渡辺氏の声が、裁判所の高い天井に反響して俺達の鼓膜を揺さぶる。
それが、この裁判中で最も効果的な抵抗であった。
代理戦争社会でロボットとゾンビを戦わせる――みたいなテーマだったんだけどな。