体育会系婚約者の愛情はわかりづらい
「勝負あり!」
ワー
キャー
闘技場に歓声が響く。
勝者となった長身で黒髪の青年が、地に両膝をつけて肩で息をしている対戦相手に手を差し伸べる。
場内の歓声がますます大きくなった。
黒髪の青年が手を振ってその声に応えた。
「ブレンダンお疲れ様。これ使って」
「ああ、すまない」
大会終了後、ケイティは急いで控室にいる婚約者の元を訪ねた。
今大会の優勝者、そしてケイティの婚約者でもあるブレンダンにタオルを渡す。
「おめでとう!優勝なんてすごいわ!」
タオルでごしごしっと額の汗を拭くブレンダンに声を掛ける。
年に一度この大会のために彼がどれほど努力して毎日鍛練したか知っているケイティは心を込めてお祝いの言葉を述べた。
「ありがとな」
ブレンダンはタオルを返しニッと笑うと、ケイティの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「も、もー髪がぐしゃぐしゃよ」
怒った振りをして乱れた髪を整える。
気安いブレンダンの態度が、内心は嬉しくてケイティは口元が緩むのを必死に堪えた。
ケイティとブレンダンは共に子爵家の出身でそれぞれの屋敷も近かったため幼いころからずっと一緒にいる幼馴染みだった。
家同士も古くから付き合いがあり、特に仲が良かった祖父同士が、同じ年に孫が産まれたことでさらに盛り上がってしまい、赤ちゃんの頃からケイティとブレンダンの婚約は結ばれていた。
小さいころから身体を動かすことが好きで、運動神経も抜群だったブレンダン。
外遊びの好きな元気な男の子だった。同い年なのに運動神経ゼロの小さなケイティはそんな男の子の後を必死に付いてまわった。付いていけなくて、時々転んで泣き出すケイティをブレンダンはいつも嫌な顔ひとつせず助け起こしてくれた。幼馴染みというよりは兄と妹のようだと言われることも多々あった。
ブレンダンの夢はいつか国立騎士団の騎士になること。夢に向かって剣術に励む、そんな彼が大好きでケイティはいつもそばで見守ってきた。
本人には恥ずかしくて話せないけどケイティの夢はブレンダンのお嫁さんになって騎士になった彼をずっと側で支えることだった。
◇
「えっ?じゃあ姉上、プレゼントどころかお祝いの言葉ももらってないの!?」
学園内の庭園で、一つ下の弟エリオットがケイティの話を聞いて驚きで目を丸くしている。
「ちょ、ちょっとエリオット、声大きい。仕方ないよ。ブレンダン忙しかったんだから」
ケイティとブレンダンが婚約者同士だということは学園で結構知られている。誰かが聞いて不仲だと噂が流れたら困る。
「姉上、優しすぎるでしょ?去年だって確か遅れて花か何かもらっただけだろ」
「う、うん」
「ちょっと許せない。僕、ブレンダン義兄さんに抗議してくる!」
エリオットが眉間にシワを寄せベンチから立ち上がりかけるのをケイティは必死に押さえ込んだ。弟、エリオットは姉思いの優しい子だ。
「い、いいのよ。それに、この前久しぶりに一緒にお出かけできたし。それだけで嬉しかったのよ」
「姉上はお人好しすぎるよ」
エリオットが大きなため息をついて、またベンチに腰かけた。どうやらブレンダンに抗議に行くのは諦めてくれたらしい。
ケイティの誕生日は闘技大会の2日前だった。
昨年は準決勝で負けてしまい悔しい思いをしたブレンダンは今年こそ優勝を目指し、人一倍剣術の稽古に励んでいた。忙しすぎてそれどころではなかったのだろう。
大会が無事終了した先日、ケイティは久しぶりにブレンダンと休日を過ごすことができた。
ここ数ヶ月ブレンダンは闘技大会のために休日返上で稽古に励んでいた。
天気も良くて暖かかったのでピクニックでもしようと大きな広場のある公園に誘ったのだが、公園の広場に着くなりブレンダンはどこからか木刀を持ち出してきて素振りを始めてしまった。
「ちょっと、ブレンダン!?」
「わりぃ、最近身体を動かしていないとどうにも落ち着かなくて」
「そ、そうなんだ」
幸い?広場の人影は疎らで、素振りの練習にもってこいの環境だった。
ケイティは真剣な顔つきで木刀を振るブレンダンを見つめる。
短く切り揃えられた少し癖のある黒髪、派手さはないが整った顔立ち。深い森の木々を連想させるダークグリーンの瞳に、日々の鍛練で引き締まった体躯。
ケイティにとってブレンダンは本当に見惚れるぐらい格好が良い婚約者だった。
結局お昼すぎまでブレンダンの素振りを見ていた。
「ブレンダンが好きな甘さ控えめのマフィンも焼いてきたんだよ」
「うめえ」
「よかった」
身体を動かして空腹だったブレンダンはケイティの作ってきたサンドウィッチもデザートもペロリと食べてしまう。
食べ終わったあと2人芝生の上に並んで座ってなんとなく景色を見ていた時だった。
ケイティの少し右後ろに座っていたブレンダンが急に後ろから片腕をケイティの肩を抱き込むようにまわしてきたのだ。
「ブ、ブレンダン!?」
急に近づいた婚約者にケイティは心臓がドキドキして落ち着かない。
「―――こうして、こうだったかな?」
「………ブレンダン?」
「ああ、わりぃ、最近習った絞め技の練習だ」
「絞め技………」
(あードキドキして損した)
そもそも一緒にいても恋人のような甘い雰囲気になったことは今まで一度もない。
幼い頃からずっと一緒にいるブレンダンはケイティのことを妹のようにしか思えないのかもしれない。
このまま学園を卒業したら婚約者同士の2人は結婚する予定だ。
(ブレンダンはどう思ってるのだろう…)
久しぶりに一緒に過ごした休日、ケイティはひょっとして遅めの誕生日プレゼントに何か花でももらえるかしらなんて、ほんのちょっぴり期待していたが結局、ブレンダンは忘れたままで。
弟、エリオットには『仕方がない』と強がったけどやっぱり少しケイティは寂しかった。
三年制の学園に入学してケイティたちは今二年生だ。普通科に所属しているケイティと違い、婚約者のブレンダンは学園の花形ともいえる騎士科所属だ。毎年卒業生の多くがそのまま国立騎士団に入団する。
二年生でありながら学園の闘技大会で優勝したブレンダンは一躍時の人となった。
それに華やかさはないが顔立ちも整っていて、スラリと背が高い彼は少し注視してみればとても格好が良くて魅力的な男の人だとわかる。
そのことに気がついた学園の女子生徒たちが最近ブレンダンの周りに自然と集まっている。
婚約者の活躍は嬉しいが、会いに行っても、稽古の見学に行っても女子生徒が集まっていてなんだか気後れして上手く話しかけられない。
そしてもう一つ困ったことにブレンダンの婚約者であるケイティも少し女子の嫉妬混じりの注目を浴びてしまっていた。
「あの方がブレンダン様の婚約者?」
「地味な方ね」
「でも家同士が決めた政略婚のようよ」
「まあ、そうなの?ブレンダン様かわいそう。もっとお似合いの方がいるのにね」
通りすがりに聞こえよがしに話す女子生徒たちの声が聞こえる。
ケイティは小柄で茶髪と同じ色の瞳、地味な顔立ちだ。長身のブレンダンと並ぶと身長差もあり、妹だと思われてしまうことも多い。
そしてそれ以上に最近ケイティには気になることがあった。
「わあ、見て」
「セリーヌ様素敵!」
「ブレンダン様と並ぶとお似合いのカップルよね」
騎士科の数少ない女子生徒、セリーヌはブレンダンの同級生だ。女性でありながらそこらへんの騎士科の男子生徒よりよほど強かった。さらりとした綺麗な金髪をシンプルに束ね、手足もすらりとした長身美人の彼女は同じく長身のブレンダンと並ぶとバランスもいい。
最近、ブレンダンと並んで話している彼女の姿をよく見る。
あんなに綺麗な人がそばにいてブレンダンの心が移ってしまわないか、自信のないケイティは気が気ではなかった。
◇
(私にしてはなかなか上手くできたよね?ブレンダン喜んでくれるかな)
ケイティは裁縫の授業で作った刺繍入りのハンカチにリボンをつけてポケットに入れた。
「ブレンダンお疲れ様」
「おお、ケイティ」
稽古終わり、一人になったブレンダンを急いで呼び止めた。
「………ブレンダンそれって?」
その時、ブレンダンが使っている新しいタオルが目についた。端には美しいバラの刺繍が入っている。
「ああこれか?セリーヌにもらったんだ。練習でつくったものだから気にせず使ってくれって」
「そ、そうなんだ……」
ケイティは渡そうと思ってポケットに入れていた刺繍入りのハンカチをスカートの上から握りしめた。
セリーヌの刺繍は練習品とは思えないくらいの完成度で、ケイティが一生懸命作ったものよりずっとずっとよく出来ていた。
(レベルが違う…)
恥ずかしくてとてもじゃないがケイティの作ったものなど差し出す勇気がなかった。
「ケイティ?」
「ううん、なんでもない」
もやもやしたものがケイティの心を覆う。
きっとブレンダンは深く考えてないのだろう。
彼は真っ直ぐで誰にでも優しい。でもちょっと女子の気持ちには疎いところがある。
婚約者がいるんだから、他の女性からの贈り物をもらわないでなんて狭量なことは思っていても言えない。
「そうだ、俺、国立騎士団の稽古に参加させてもらえることになったんだ」
「そうなんだ!すごいねブレンダン」
「おお。だから忙しくてなかなか会えないかもしれない、ごめんな」
「ううん、稽古頑張ってね」
ブレンダンの言葉通り、騎士団の練習にも参加するようになった彼はとても忙しく、学科の違うケイティは顔を会わせるのも難しくなった。
たまに騎士科の実技の授業を遠くから見る機会があったが。そういうときに限って交代稽古の休憩中なのかセリーヌと話しているブレンダンが目にはいる。
セリーヌがブレンダンの額をサッとタオルで拭いてあげていた。仲が良さげで打ち解けた様子が伝わってくる。
あんなに二人の距離は近かっただろうか。
(ブレンダンは私の婚約者なのに…お願い…そんなに近づかないで…)
遠くから見つめるケイティの気持ちを余所にその後も二人は楽しそうに笑って何か話していた。
◇
ケイティたちの通う学園には三年生になってすぐの四月に一大イベントの舞踏会がある。
三年生とそのパートナーだけが出席を許される特別なものだ。
ケイティはこの学園に入ってすぐ、この舞踏会の存在を知り、ずっとブレンダンとパートナーとして出席するのを楽しみにしていた。
今、ケイティたちは二年生の冬を過ごしている。
三年生の舞踏会は婚約者のいる者はもちろんそのパートナーと出席するのだが、いない者は舞踏会にむけてパートナー探しにそわそわする季節でもある。
そのためのちょっとしたパートナー探しのイベントもあった。それはパートナーとして舞踏会に一緒に行きたい男性に女子生徒がお菓子を贈って好意を伝えるというものだった。
せっかくのイベントの日なので、婚約者ではあってもお菓子を渡したい。
この日のためにケイティはブレンダンの好きな甘さ控えめのマフィンを焼いて持ってきていた。
「ブレンダン、ちょっとだけ時間いいかな?」
放課後、恐らく騎士団の稽古に行く前のブレンダンを呼び止める。
「ケイティか、わりぃ、先約がいるんだ」
「せ、先約って?」
「セリーヌだ。なんか話があるって」
「そ、そうなんだ。じゃあ、その後は?」
「あー、騎士団の稽古があるんだ。ごめんなっ。また今度」
「あっ」
そう言ってブレンダンは走り去って行ってしまった。
(今日でなければ意味がないのに…)
ひょっとしてセリーヌもブレンダンにお菓子を渡すつもりだろうか。ブレンダンはそれを貰うのかな。それとも婚約者がいると断ってくれるだろうか…
否、ブレンダンのことだきっとあまり深く考えずに貰ってしまうのだろう。
結局、ケイティはイベントの当日に直接会って渡すことはできなかった。
ブレンダンは今、学園の寮で生活している。以前は休日は子爵邸に戻っていたが今は休日も稽古で忙しいらしく寮にいるようだった。
ケイティは仕方なく男子寮の受付にお菓子を預けた。その際聞けばブレンダン宛のお菓子がたくさん届いているらしかった。ケイティのお菓子もそれらに紛れてブレンダンには気がつかれないかもしれない。
案の定、数日経ってもブレンダンからは何の反応もなかった。
ブレンダンのことだからイベントのことも忘れてるだけなのかもしれない。そもそも騎士になること以外はあまり興味がないからイベントのことさえ知らないのかもしれない。
しかし翌月信じられない話がケイティの耳に入ってきた。
「ブレンダン、セリーヌに花をあげたらしいよ!」
「えっ、本当!?でも確かブレンダンって婚約者いたよね?」
「本当よ。花を渡してるところを見た子から聞いたんだもの。もともとの婚約者って地味で目立たなそうな子だったし。婚約解消じゃない?あのブレンダンとはどう考えても釣り合わないよ」
(嘘…)
女子生徒からお菓子を贈るイベントの翌月、今度は男子生徒が舞踏会のパートナーにしたい女性に花を贈るイベントがあった。
そして前の月にお菓子を貰った女性に花を贈る。それはパートナーを了承するという意味があった。
ブレンダンはその日、ケイティに花を贈りに会いに来ることはなかった。
(何かの間違いよ…)
「あの―――」
「わりぃ、すぐ稽古行かなきゃ」
「ブレンダン――」
「わりぃ、また今度」
ブレンダンに真相を聞こうとケイティは何度も話しかけた。しかし忙しいブレンダンはろくに話も聞いてくれない。
最初はブレンダンは多忙だから仕方がないと自分に言い聞かせていたケイティも、それが何度も続くとさすがに考えずにはいられない。
ブレンダンは自分を避けているかもしれない、と。
ブレンダンは優しい。幼い頃からずっと一緒にいたケイティに面と向かってはっきり拒絶するような言葉を口にはできないのかもしれない。
だから今回みたいにわざと避ける態度を取り続けて、鈍感なケイティに察してもらおうとしているのだろうか。
「来月の舞踏会、セリーヌはもうドレス用意した?」
「ええ、彼の瞳の色に合わせてグリーンのドレスにしたのよ」
「まあ、素敵ね!」
「ありがとう」
学園内のカフェで偶然セリーヌとその友人の話が耳に入る。幸せそうに微笑むセリーヌはとても綺麗だった。
グリーンと言えばブレンダンの瞳の色だ。
ケイティがどんなにやきもきしても、もうすでにセリーヌとブレンダンがパートナーとして舞踏会に行くのは決定事項のようだった。
それでも幼い頃からずっと一緒にいたからこそ、せめて本人の口から聞きたかった。それが婚約解消だとしても。
「ブ、ブレンダン!ちょっとだけ、本当に数分でいいの。お願い、話をさせて」
いつになく必死なケイティに少し驚いたように目を見開きブレンダンは頷いた。
「ブレンダン、あの…舞踏会ってセリーヌさんと―――」
「ブレンダン!先生が急ぎだって」
セリーヌが少し離れた場所からブレンダンを呼びに来た。
「あっ、おお!……ごめんな、ケイティまた今度」
ブレンダンは足早に行ってしまう。
「えっ、ちょっと待っ―――」
「ケイティさんごめんなさいね。知ってると思うけどブレンダンは忙しいの。私が代わりに用件を聞いて彼に伝えてあげるから」
追いかけようとするケイティをセリーヌが引き留めた。
舞踏会のこと、婚約解消のことを彼女に聞くのはさすがに気まずい。
「大丈夫です。急ぎでないのでまた今度、直接本人に聞きますから」
ケイティの言葉を聞いたセリーヌがわかりやすく大きなため息を吐いた。
「ケイティさん、いくら元婚約者だったとしてもつきまとわれるのはブレンダンも迷惑です」
(元婚約者…)
「あっ、そ、そうですよね。ごめんなさい。気を付けます」
衝撃的な言葉にケイティは頭が上手く働かなかった。とっさに謝って頭を下げるとケイティは足早にその場を後にした。
―――元婚約者
ケイティの知らぬ間に、セリーヌとブレンダンの間では自分は元婚約者となっていたようだ。
婚約解消に同意した覚えもないのに。
(いや、そもそも…)
そもそもケイティとブレンダンの婚約は子爵家同士の簡単な口約束だった。正式に結ぶ婚約とは違う。それは二人の婚約を決めた両家の祖父による、将来二人がもしそれぞれ別の道を選ぶことがあった時に簡単に婚約解消ができるようにとの配慮でもあった。
「きゃっ」
何もないところでケイティは盛大に転んでしまう。
「痛い……」
転んだ拍子に膝を擦りむいてしまい血が滲む。
ズキンズキンッ
いつの間にかケイティの目から涙が流れていた。
怪我をした膝よりも、胸のうちがひどく痛む。
(馬鹿だな…)
いつの間にブレンダンはケイティから心を離したのだろう。
ひょっとして誕生日プレゼントをくれなかったあたりから…
それとも、そもそもブレンダンはケイティのことを最初からそういう対象には思えなかったのかもしれない。きっと妹のようにしか見れなかったのだ。
涙が止まらず、その日は屋敷に帰ると自室にひきこもり、食事もとらずにずっと泣き続けた。
次の日にはさすがに涙は止まったが一晩中泣き続けたせいで目がパンパンに腫れていてとても学園に行ける状態ではなかった。
両親も弟もとても心配そうにしていたが、ケイティから話してくれるのを待っているようだった。
夕食の前、ケイティは覚悟を決めて、両親に話をした。
婚約解消されたのだ、と。
何かの間違いじゃないかと両親は言ってくれたが、すでに他に舞踏会に行くパートナーの女性がいるのだと話すとさすがに理解してくれた。
はあ…
ケイティは部屋の中で大きなため息をついた。
あれから数日、学園に行く気になれずずっと休んでいた。
部屋の隅にはずっと前から舞踏会のために用意していたグリーンのドレスがかけられていた。ブレンダンの綺麗なグリーンの瞳に合わせて作ってもらったものだった。
(せっかく作ってもらったのに無駄になっちゃった…)
これを着てブレンダンと舞踏会に行くのを楽しみにしていた―――またケイティの瞳に涙が浮かぶ。
トントン
「はい」
「姉上…大丈夫ですか?」
ケイティの弟エリオットが心配そうに部屋の中へ入ってきた。
「う、うん。もう平気よ」
「姉上…」
「何、エリオット?」
「舞踏会に行きましょう!」
「えっ、む、無理よ。ブレンダンとは婚約解消になってしまったから今さらパートナーだっていないし…」
「僕がパートナーになります!姉上、舞踏会のために苦手なダンスもずっと練習していたじゃないですか。もったいないですよ」
「で、でも……」
舞踏会に行って、楽しそうなブレンダンとセリーヌの姿を見たら平静を保つことはきっとできない。泣いてしまうかもしれない。
「無理にとはいいません。でもあんなブレンダンのために姉上が我慢することはないんです。一曲だけでも踊って帰りませんか?」
(くそやろう…)
「エリオット……」
エリオットの言うとおり、このまま引きこもってはいつまで経ってもブレンダンのことを吹っ切ることはできなそうだ。勇気を出して参加すれば、幸せそうな2人の姿を見るのはかなり辛いだろうけど、現実を見て、未練を断ちきることができるかもしれない。
◆
「もうすぐだな」
「何が?」
「何がって舞踏会だよ」
「ああ、そんな時期か…」
稽古の休憩中、友人の話をブレンダンはたいして興味もなく水分補給しながら聞いていた。
「ブレンダンはセリーヌと行くんだろ。羨ましいな」
「へ?セリーヌ??なんで」
「だってセリーヌと付き合ってるんだろ?隠したってもう有名だぞ、ケイティと婚約解消してセリーヌと婚約する予定だって」
「は!?ゲフッ、ゴホゴホッ…婚約解消!?」
耳慣れない言葉に思わず口に含んでいた水を噴き出したブレンダン。
全く訳のわからないまま友人の話をとりあえず聞いた後、顔を青くした。
どうやらブレンダンは知らぬうちに舞踏会のパートナー探しのイベントでセリーヌを選んでしまったらしい。
(イベントなんて全然知らなかった…)
それでも何故か花束を持っている男子生徒が多い日があって、通りすがりに聞いてみると前の月にお菓子をもらった女子生徒にお返しするのだと教えてもらったことがあった。セリーヌからお菓子をもらったことを思い出したブレンダンは、そういうものかと思って軽い気持ちでセリーヌに花を渡したのだった。
ただ、思い返してみると花を渡したときセリーヌが、「私でいいの?」って泣きそうな顔をしていて、花くらいで大げさだなって思いながら「ああ」と答えてしまった記憶がある。
まさかそれが舞踏会のパートナーのことだとはブレンダンは知らなかったのだ。
(そうだ!ケイティ!)
とりあえずケイティを探しに学園をまわるが見つけることができなかった。
(休みなのか?そもそもいつから会ってない?)
ブレンダンは国立騎士団の稽古に参加するようになって、そのレベルの高さについていくのに必死になっていてしばらくまともにケイティに会っていないことを思い出す。
「エリオット!」
ケイティは見つからなかったが彼女の弟を見つけ、呼び止める。
「…………何か用ですか?ブレンダン先輩」
「先輩って…」
エリオットは小さい頃から自分のことを「義兄さん」と慕ってくれていたはずなのに。今、ブレンダンの目の前の彼はひどく冷たい瞳でこちらを見ていた。
「あ、えっと…」
予想もしてなかったエリオットの態度にブレンダンは上手く言葉がでない。
「……もう何の関係もないのですから、親しげに話しかけるのは止めてください」
そう言うと、エリオットはくるりと背を向けて行ってしまった。
その背中を呆然とブレンダンは見送った。
『もう何の関係もない』
ブレンダンは数ヵ月ぶりに実家へ戻ると、慌てて父の執務室へむかった。
「父上!」
「なんだブレンダン?そんなに慌てて」
「そのケイティのことですが…」
「ああ、婚約解消のことか。心配するな。もともとが先代同士の口約束だったからな。向こうからも了承すると返事が来たぞ。ただお前も忙しいとは言っても一言くらい事前に婚約解消する旨、私に相談すべきだったぞ。突然向こうから婚約解消の件、了承したと連絡が来て私がどんなに慌てたか―――」
「っ自分は、そんなつもりなかったんです!」
「―――は?」
ブレンダンは多忙すぎてケイティと会っていなかったこと、そうしている間に少々誤解があって、ケイティと婚約解消して他の女性と舞踏会に行くことになっていたことを父親に話して聞かせた。
ドンッ
話を聞いた父親は拳で机を叩き、呆れたように自分の息子を見た。
「全くお前というやつは!!運動神経は抜群なのに他はどうにも抜けている!どうやったら知らぬ間に婚約解消して、他の令嬢と舞踏会に行くなどということになるんだ??呆れてものも言えない………しかしすでに婚約解消は両家で了承しあっている。さすがに今さら間違いでしたなどと気軽に取り消せるものでもないだろう」
「そんな…」
「ときにブレンダン、舞踏会に一緒に行くご令嬢の出身は?」
「――伯爵家ですが」
「なんと!伯爵家と親戚関係になるのは我が家にとっても喜ばしいことだ。ブレンダン、このさいその令嬢と婚約を考えたらどうだ?」
「セリーヌと?」
セリーヌとは騎士科の同級生で、学園に入学して以来の友人―――と思っていた。ハキハキした性格で、異性を感じさせない話しやすい友人として好感は持っていた。
『その令嬢と婚約を考えたらどうだ?』
父親からそう言われたところでブレンダンは全くピンとこなかった。卒業すれば自分はケイティと結婚するとずっとそう思っていたからだ。
だからブレンダンがなんとなく自分の将来を想像するとき決まっていつも隣には妻となったケイティがいた。微笑む彼女が。それがブレンダンにとって自然で当然のことだった。
(くそ、なんでこんなことに…)
気づけば舞踏会は1週間後に迫っていた。ケイティには避けられているのか未だに会えていない。
「セ、セリーヌ…」
放課後、ひとりでいる時を見計らって彼女に声をかける。
「ブレンダン、何?」
「その、舞踏会のことなんだけど…」
「心配しないで!」
「え?」
「衣装のことでしょ?ブレンダンのことだから稽古に夢中で忘れてると思ったからばっちり用意しといたわよ。パートナーなんだから色合いも合わせてあるし」
「……………あり、がとな」
セリーヌとの会話の後、ブレンダンは一人頭を抱えていた。
(全部自分が悪い…)
ブレンダンが舞踏会のパートナーを了承してくれたと思っているセリーヌは、忙しいブレンダンの為に衣装まで用意してくれていた。それを嬉しそうに話されて、今さらパートナーを断ることなんて人として最低なことできそうになかった。
(ケイティなら後で説明すればきっとわかってくれる)
◇
舞踏会5日前。
「ケイティ!」
呼ばれて振り返ると、ブレンダンが走りよってくる。
「あっ、ブレンダン……久しぶりね」
「ケイティ、そ、その、今度の舞踏会行くのか?」
「!…う、うん」
「パパパパートナーは?」
「あっ、えーと、弟に頼む予定だよ」
「そうか…」
「……………」
今さらどうして、そんな気まずいことを聞いてきたんだろう。
優しいブレンダンのことだから、自分が婚約解消してしまってケイティが舞踏会のパートナーに困ってないか心配してくれたんだろうか。
でも、余計なお世話だ。気にしないでほしい。
こちらが惨めになるだけだから。
何か言いたげなブレンダンに急いでいるからと告げ、ケイティは足早にその場を去った。
「姉上、すまない!」
「い、いいのよ!喜ばしいことじゃない。今度紹介してよね!」
「あ、ああ」
舞踏会の3日前になってなんと弟、エリオットに恋人ができた。エリオットの一学年上、つまりケイティと同じ三年生の女子生徒だ。聞けばエリオットが以前から想いをよせていた相手で、ダメもとで告白したところオッケーしてもらえたらしい。彼女は兄に舞踏会のパートナーをお願いしていたそうだが、エリオットが恋人としてパートナーを務めることになった。
「それで姉上―――」
「?」
舞踏会、当日。
「ケイティ先輩、そのドレスとても似合ってます。綺麗です」
「あ、ありがとう」
(どうしてこんなことに…)
ケイティは今日、既製品でなんとか用意できた青い生地に白で細かく花の刺繍が施されたドレスを着ていた。
急遽、パートナーを引き受けてくれた隣の男性を見上げる。白銀の髪に青い瞳の美しい容姿。弟、エリオットの友人で侯爵令息のセドリックだった。
「セドリック様」
「パートナーですから、呼び捨てにしてください」
ケイティに向け、美の化身がにこりと微笑む。
(うっ、笑顔が美しすぎて、眩しいっ)
「今日は本当に急なお願いを聞いてくださってありがとうございます」
「そんなに畏まらないでください。エリオットは僕の大切な友人です。こういう時に頼ってくれて嬉しいぐらいです」
エリオットは優しくて素直で自慢の弟だ。しかし、そんな弟にこんなに美しい、しかも侯爵家の友人がいたなんて知らなかった。
臨時パートナーが眩しすぎるお蔭か?今のところブレンダンとセリーヌの姿は見当たらない。
しばらくすると会場にダンス曲が流れ出した。
「ケイティ先輩、一曲踊っていただけますか?」
「は、はいっ!ですが、あの、私そんなにダンスが上手くなくて。失敗してしまったらごめんなさい」
「平気です。楽しみましょう」
◆ ◇
頭が真っ白になった。
ケイティが知らない男と会場に現れたからだ。
(パートナーは弟だと言っていたのに)
ケイティと一緒にいたのは美しい白銀の髪が特徴的な整った顔立ちの男だった。
会場中の女性の熱い視線か彼に集まっている。
(普通科のやつだろうか)
「まあ、侯爵家のセドリック様よ」
「素敵ね」
「隣の女性はどなた?今まで女性と噂になったことも、こういう場にもあまり顔を出さないのに珍しいわね」
女性たちの会話が耳に入ってくる。
目が離せなかった。音楽が始まり、美しい侯爵令息と照れつつも楽しそうに踊るケイティ。
自分の知っている限り、彼女はブレンダンを除き親しい男性などいないはずだった。
胸がチリチリと熱くて焦げてしまいそうだった。
最初のダンスが終わった後、すぐさま彼女のもとへ向かった。
「ケイティ、一曲踊ってほしい」
困惑しながらも、頷いてくれたケイティにほっとして、その手を取る。
ダンスのステップを踏みながらブレンダンは気になっていたことを聞いた。
「今日はエリオットは?」
「…エリオットは他の子とペアになって、それで急遽、彼に頼んだの」
「あの侯爵令息とは、し、知り合いなのか?そのドレス…あいつに合わせて用意したのか?」
ケイティが急ぎ用意したドレスは偶然にもセドリックの瞳と同じ青色だった。
「私じゃなくてエリオットの親しい友人で、パートナーの代役を買って出てくれたの。ドレスの色は偶然よ」
「そうか、エリオットの…」
「ブレンダン…今日はセリーヌさんと来てるのよね?」
ケイティはまだセリーヌの姿を見てなかった。セリーヌはブレンダンの瞳の色に合わせてグリーンのドレスを着ると言っていた。2人で並んで立てばきっとお似合いだろう。あまり見たくはないけど。
「違うんだ」
「?」
ダンスの曲が終わったので離れようとしたケイティの手をブレンダンはいつまでも離そうとしない。
「ブレンダン?」
「ケイティ、話した―――」
「ブレンダン!騎士科のクラスのみんながあっちで待ってるぜ」
「ケイティ先輩、ドリンクをもらったので少し休憩しませんか?」
ほぼ同時にブレンダンの同級生と、セドリックが2人をそれぞれ呼びに来た。
休憩しようとセドリックの元へ戻るケイティの姿をブレンダンは名残惜しそうに見ていた。
「…もしかしてお邪魔でした?」
「ううん。気まずかったし、声をかけてもらって助かったわ。パートナーと一緒のところを見たらつらかったと思うし」
「…今でもまだあの男のことを?」
セドリックは事前にエリオットから、ケイティの事情を大まかに聞かされていた。
「そうね…ずっと長く好きだったから、なかなか切り替えられなくて…あっちはもう新しい相手がいるのにね」
「そうかな?それにしてはあちらも未練があるような印象だったけど…」
「へ?」
小声で話すセドリックの言葉がよく聞き取れなくてケイティが聞き返す。
「いえ、なんでもありません。それにしても…ケイティ先輩とエリオット、よく似てますね」
「そ、そうなの。エリオット、今でこそ身長も高くなったんだけど小さな頃はもっと小柄で顔も私にそっくりだったから姉妹に間違えられたりしたの」
大好きな弟、エリオットの話題にケイティは自然と笑みをこぼした。
「……笑った顔もそっくりですね」
セドリックはそう言うと、遠慮がちにそっとケイティの頬に触れた。
「!?」
「な、なにをしている!?離れろっ!」
次の瞬間、ケイティの身体がグイッと持ち上がり、気がついたらブレンダンの腕の中にいた。
いつの間に近くに来ていたのだろう。
「少し汚れが付いていたのでとってあげただけですよ」
「それにしても近づきすぎだっただろう!」
「仮にそうだとしても婚約者でもないあなたに関係がありますか?」
「それはっ…………」
「ブレンダン?」
いつもとは違う様子を心配するようにケイティがブレンダンの顔を見上げている。
「ケイティちょっといいか?」
そう言うが早いかブレンダンは返事も聞かずケイティを小脇に抱えてさっさとどこかへ連れていく。
視界の隅でヒラヒラと手を振っているセドリックが見えた。
そのまま人気がない庭園までやってくると、抱えられていたケイティはやっとベンチに下ろしてもらえた。
「ブレンダンどうしたの?」
「どうもこうも、ケイティ。まだ恋人でもないやつにあんなに無防備に触らして駄目じゃないか」
「そ、そんなことないわ。それにもうブレンダンには関係ないことじゃない」
今さら何でそうやってとても心配そうな顔をして自分を気にかけるのだろう。本当に構わないでほしい。
ケイティは泣きそうになるのをぐっと堪える。
「関係なくない。君が、他の男に触れられているのを見ると気がおかしくなりそうだ」
「な、今さら何言ってるの!?あなたにはセリーヌさんがいるでしょ!」
「っ違うんだ。すまない、ケイティ。聞いてほしい」
ブレンダンは、舞踏会のパートナー探しのイベントのことを知らずにセリーヌに花を渡してしまったこと。それに気づいたのは舞踏会の直前で、自分はケイティとの婚約解消さえ知らなかったことを話して聞かせた。
「セリーヌには本当に申し訳なかったけど、やっぱり舞踏会のパートナーとして行けないって伝えたんだ」
「えっ」
「ケイティにこれ以上誤解されたくないから」
直前で断ることに、罪悪感もあって悩んだブレンダンだが、やはりケイティ以外の女性とパートナーになることなど考えられなかった。
セリーヌに伝えたところ、騎士科の生徒らしく鳩尾に数発で手打ちにしてくれた。
「ケイティ本当にすまなかった。ケイティの家にも後日謝罪に行くつもりだ。だから改めて俺と――――」
「少し…考える時間をください」
「―――え?」
ケイティだったら許してくれると思っていたブレンダンは予想していなかった彼女の返事に思わず固まった。
「っケイティ、どうして?」
「私、貴方と舞踏会に行くのをずっと楽しみにしてずっと前からドレスだって用意してたのよ。忙しいのはわかっていた。だけど、セリーヌさんとの噂について私が何度も何度も聞こうとしたのに、貴方は数分さえ話す時間をつくろうとはしてくれなかった」
その時の辛く悲しかった気持ちを思い出してケイティの瞳に涙が滲む。
「それはっ…本当にすまなかった」
「結局、ブレンダンの中で私はそれくらいの存在でしかないのよ。このまままた婚約しても上手くいく自信がないわ」
「どうしたらいい?自分はケイティ以外考えられないんだ」
「…ブレンダンも私も生まれた時から婚約者だったから、それが当たり前のようになっていたでしょ?少し距離を置いて、お互い、外に目を向けてみた方がいいと思うの」
「無理だ」
「へ?」
「外に目を向けるなんて…ケイティ、君が他の男を見るなんて、考えただけで耐えられない。相手の男を切り殺してしまいそうだ」
「き、切り殺すって………怖っ」
ブレンダンの口からとびだした物騒すぎる言葉にケイティは若干ひいてしまう。
「ケイティ、そのぐらいには君のこと好きなんだ。だから考え直して欲しい」
「え?ブレンダンって私のこと好きなの?」
「あ、当たり前じゃないか。ずっと好きだ。騎士を目指したのだってケイティのことを守りたいと思ったからなんだ」
「今までそんなこと…」
「恥ずかしくて言えなかったんだ」
知らなかった。ケイティはずっとブレンダンには妹のようにしか見られていないと思っていた。
顔を赤くしながら話すブレンダンが嘘を言っているようには見えない。
「ずっと私だけが一方的に好きなんだと思っていたから」
「そんなことない」
ブレンダンはケイティをぎゅっと抱き締めた。
「……………絞め技じゃないよね?」
「ば、馬鹿、こんなときに絞め技なんかしねえよ」
ブレンダンはケイティから一度離れるとポケットから小さな箱を取り出した。
「卒業したら俺と結婚してほしい」
「!?」
箱にはエメラルドの宝石のついた指輪が入っていた。
「どうかな?」
目の前で固まっているケイティをグリーンの瞳で窺うようにブレンダンが見ている。
「…はい」
茶色の瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
ケイティの返事が嬉しくてもう一度ブレンダンは彼女を強く抱き締めた。
「よかった……………………………ケイティ?」
「ブレ、ダン、くる…しい」
「わっ、ごめん」
慌てて腕の力を弱めるブレンダン。
力加減が馬鹿になっている体育会系婚約者に危うく絞められるところだった。
そのことが可笑しくって、2人は顔を合わせて笑いあった。
ブラウンとグリーンの瞳があわさり、唇が重なるまであと少し。
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