決裂した求婚
「”俺か取り戻した”って何よ!? あの家をアナタが返してくれるわけ?」
「なんだよ、それだとあの家を俺が取ったかのような言い方じゃないか!」
夕菜と吾郎の間でケンカ腰のような雰囲気になる。
しかし、先に折れたのは吾郎だった。
「いやいや、俺が悪かった。いいかな、あの家は先代社長の茂兄が建てた時にはもう抵当に入っていたんだよ」
「そう・・みたいね。私もあの人が死んで初めて知ったんだけど」
夕菜の夫の茂は若くして家を新築した。大きくない家だったが、彼の事業の成功の証である。その自宅が彼の事業のための資金を借りるための担保になったのは皮肉な話だ。
「自宅を抵当に入れることは事業者なら誰でもやることだ。だが、茂兄の会社が経営悪化に入って変わった。銀行から何重にも抵当権が設定されたあの家は誰にも救えなくなっていたんだ」
「だから! 私は!あの家だけは守りたかった!」
「違う! 茂兄が死んだときに相続放棄するべきだったんだ。そうしておけば・・!」
吾郎の言う通り、夕菜がそうしておけば夫が遺した生命保険金まで使い果たすこともなかった。しかし、夕菜には夫がやり残した事業、その従業員を見捨てることができなかった。夕菜は敗北者のようにうなだれてしまう。
吾郎はそんな夕菜を見て反省し、笑顔を取り繕う。吾郎は夕菜をやりこめるつもりでここに来たのではない。
「だが、夕菜さん。見てくれ。夕菜さんの家はこうやって取り戻せたんだよ。ヨソに取られやしないかと色々と気をもんで、金もそうとう積んでしまった・・っと、いやいや俺はこんな事を言いに来たんじゃないんだ」
「吾郎・・さん」
少しうるんだ瞳で吾郎を見つめてくる夕菜。吾郎にしてみれば古いつきあいの夕菜からは「アンタ」と呼ばれるのが普通で、彼女からこのように真面目に「吾郎さん」と呼ばれたことを喜ぶ。
「夕菜さん、ようやく返ってきたわが家で一家、以前のように暮らしてくれ。・・ああ、うまく言葉にできないのがもどかしいな」
「・・夫を亡くした自己破産女の私には、家族を元通りに幸せにすることは・・できるかな?」
吾郎は笑って夕菜の手を両手で握る。
「今度こそ俺が夕菜さんを助ける! 俺はとときん・・、いやっ愛菜ちゃんにも幸せになってほしいからな」
「ハァ? アンタ愛菜のこと、とときんなんて呼んでるのぉ? それに純菜のこと忘れてるし」
吾郎は頭をかいて失態をごまかす。吾郎からすれば1年ほど会っていない愛菜のことが忘れられない。あの夏休みの一時でしかない逢瀬を思い起こす。あの愛らしい、とときんこと愛菜は今は小学6年生か。彼女のみずみずしくて柔らかいあの身体を抱きしめることが再び許されれば・・、というのが吾郎の本音でもある。あのかすかに女らしかった愛菜の身体は、今ではどの程度成長しているだろうか?
だが、吾郎は犯罪者の自分から大人の自分に戻ってくる。本来の目的を思い出したのだ。
夕菜さんの反応は思った以上にいい感じになっていると思った。そして、吾郎は用意していた言葉を切り出す。
「それで・・、あの家に俺も一緒に暮らせたら~って思うんだ。どうかな?夕菜さん」
これが吾郎にとっての夕菜への求婚の言葉だった。元より「はい、喜んで」などという返事は期待していない。それでも、色よい反応を期待して吾郎は夕菜の顔を見る。
「は・・・!? 何ソレ!?」
夕菜の表情は怒りで引きつっていた。
夕菜は「それは求婚のつもりで言ったの?」と問うと、吾郎は「そうだ」と答える。そうしたら夕菜は握りしめた塩を吾郎にぶつけた。
「私たちが大事にしていたあの家を質に取るようなまねをしないと求婚もできないのかよ!」
「待ってくれ! それは違うんだ! 俺はっ、ただ・・」
「じゃあナニ? あの家を無条件で、タダで返すつもりで来たわけじゃないんでしょう?」
恐ろしい顔をした夕菜から、そうすごまれると吾郎はしばらく考えて「そうじゃない」と答える。夕菜は二度目の塩を吾郎にぶつけた。
「待ってくれって! 俺は、家の所有権をすぐに夕菜さんにするわけにもいかないって意味で!」
「だいたい! アンタが連帯保証人になっていてくれれば! 銀行との取引は続けられてたんだよ! アンタがウチの会社を潰したんじゃないか!」
「何言ってるんだ! 俺があのボロ会社の連帯保証人になれるわけないだろうが!」
吾郎の夕菜への求婚は大喧嘩になり、散々塩をぶつけられた吾郎は部屋から叩き出された。
小学校から帰ってきた愛菜はアパートから逃げ出す男の後ろ姿を見て不思議に思った。会ったことがあるような気がしたのだが思い出せなかったのだ。
「なんか・・思い出せないな。ウチに来てたってことは学校の先生か親戚の人? ・・って何コレ!? ウチが塩まみれじゃんか!」
「あ!? バカな商売人を叩き出してやったところよ!」
夕菜はひどく不機嫌そうに掃除機をかけているところだった。
夕菜は昔を思い出して、思わず自嘲してしまう。
(さすがにあの時の私はバカだったわ。「ボロ会社の連帯保証人になれるか」と言い返されて、まあ当然よねえ)
吾郎は高額の資産を持ちながらも十時製作所の金銭的な支援、債務の担保はしなかった。商売人として当然のことであったが、夕菜から責められて心苦しさもあったのだろう。
吾郎はあの後も何かと十時家のことを見守ってくれていた。愛菜の連帯保証人になってくれたりしたのも吾郎の贖罪なのかもしれない。
「あの、母さんさぁ」
傍から愛菜から不満声を出す。
「長ズボンはともかく、長袖はさすがに暑いんだけどぉ」
愛菜はタンスから引っ張り出した高校のジャージの上下を身に着けている。愛菜は母から命じられてこの格好をしているわけだが、今は8月の夏真っ盛りであり、かなり暑い。
「ハイ、この帽子もかぶって」
「麦わら帽子って、これってハイキングってよりは、まるで百姓の格好だよね」
母から汚れても良い服装をと言われて、行楽をちょっと期待した愛菜だったがそんな感じでもない。
「じゃあ、コレも渡しとく」
愛菜が渡されたのは草けずりと小型の鎌、それに軍手。これで完全に百姓スタイルに近くなってしまった。
「これって・・」
「アンタの誤解を解きたいって言ったでしょ。まあ、少々キツイ作業になると思うけど」




