売られた我が家
愛菜は吾郎に対して、『母に二度と近づくな』と要求した。要求というよりも命令に近い。『さもなくば過去のわいせつな行為をバラす』という切り札を見せれば、犯罪者の吾郎は観念すると思っていた。
だが、吾郎は自分の都合の良い形で、母の夕菜に相談する。
「吾郎さん、さすがに困っていたわよ。愛菜ちゃんが何に怒っているのかわかんないけどってさ」
愛菜の頭は怒りとか、呆れのようなもので混乱してくる。これがあの男のやり口なのか、本当にわかっていないのか。
「どうなの? あの人にそんなこと言っちゃったの?」
愛菜は母に問い詰められて、返答に詰まる。「言っていない」と答えればウソになり今後とも母と吾郎の関係に何も言えなくなる。
「言った。もう母に近づくなって。だけどさ・・」
「なんで?」
愛菜は母に問い詰められる形になる。自分は母を守ろうと思ったのに、その母は吾郎の側に立っているような物言いだった。
「アイツだけはマズいんだよ! アイツは私のことを・・!」
愛菜は自分と吾郎の間にあった出来事を、あの飯山商店の中で行われた事を言いかけた。お風呂場とか、座敷とか、吾郎の寝室のベッドの中での熱い時間のことを。
「私のことを・・って何? アナタ、吾郎さんと何かあったわけ!?」
苦笑いをしつつ愛菜を問い詰めていた夕菜が、驚いた顔をして目を丸くしている。夕菜は愛菜の様子からただならぬモノを感じたのか。
愛菜は言ってやろうと思った。隠すことはない。私はあの男にいやらしい事をされた、と言えば全てが終わるのだ、と、愛菜はそう考えたが。
「い、いやらしい目で見た・・ンだよ!」
言ったあと、愛菜は自分で何を言ってるんだ、と思った。夕菜は、何それ?的な苦笑いに戻っている。
言えなかった。実際のことが、口に錠がかかっているかのように言えない。
「そりゃあ、アナタ、背も伸びてこんなキレイになったんだもの。あの人だってエッチな目で見るでしょうよ」
母はそう言うのだが、愛菜は、そういうことじゃない!と返せなかった。
「とにかく。アンタ、吾郎さんには今度会ったときに謝っておきなさいね。で、そのいやらしい目で見るとかいうのは私から注意しておくから」
「いや、でも!」
「大丈夫、吾郎さんは私の言うことは聞くんだから。なんせ高校まで一コ上の先輩だったんだもの」
「あ・・・、ハイ」
私が吾郎に謝るということは決定なのか?、と愛菜は思った。愛菜は母には逆らえず、そして母と吾郎の間に自分が割り込めない雰囲気を感じた。
今度会ったときに謝るということなのだから、吾郎とは二度と会わないでおこうか、とも考えた。
「それとね、アンタ、今週の水曜日空けときなさいな」
「え!? 水曜に何かあるの?」
愛菜は母の突然の指図に戸惑う。自分は大学の課題のために時間を使いたいのもあるし、その日は母も仕事のはずなのだが。
「ちょっとね、アンタの誤解を解きたいというのがあるのよ」
夕菜はその日、一人になってから悩んでいた。
愛菜が自分と吾郎の仲に反発するというのは意外ではあったが、それでも予想はできたことだった。自分と吾郎は今では30代の後半。親がいい中年になってから恋仲の相手がいるというのは、子にとってみっともないというのもあるのだろう。
それに、8年前に亡くなった夫の十時茂のことも愛菜は忘れていないのだろう。
突然の事故死で亡くなった茂は若くして会社を興した実業家であり、一家の自慢の父ではあった。しかし、仕事で多忙な茂は家族をかえりみることが少なかった。その多忙さには理由があったことに、のちに気付いたのではあるが。
夫の死後に一家が手放すしかなかったかつての自宅。それは、茂が興した仕事の成果であり、亡き茂が家族に遺した一番大事な財産だった。
その8年間、住む者もなく空き家のままになってる我が家。それは現在、飯山吾郎が所有していると夕菜は愛菜に説明した。
ただ、その後のことについて、『吾郎がそれをタネに自分に求婚した』と説明したことがさすがにマズかった。
「いや・・、それは間違ってないんだけどさ。私だって、その時は怒ったし・・」
約7年前、当時31歳の十時夕菜は亡き夫から引き継いだ会社、「十時製作所」の破産整理をやっと終えたところだった。
夕菜は夫の死後に周囲の反対を押し切って十時製作所の社長に就いた。それは夫の遺した物を守りたかったというのもあるし、使命感があれば成せないことは無いという信念があったからだ。
だが、現実は厳しく、テレビの女社長ドラマの様にはいかなかった。十時製作所の経営は厳しい状態にあった。前社長の茂の頃には会社は債務超過であり、茂が残した生命保険金もあっという間に溶けた。
周囲の人間は忠告したのだ、十時製作所は継続しても傷口を広げるだけだと。実際にその通りになってしまい、会社は倒産。従業員は賃金の支払い遅れの末に全員解雇。取引先にも不良債権を残すことになってしまった。夕菜は自己破産せざるをえなくなり、一番守りたかった自宅は競売にかけられることになった。
夕菜が今にして思い返せば、そのときの自分は失敗知らず、忠告を聞かないただの無能者だった。そして、親類縁者で夕菜の社長就任を一番反対していたのが吾郎だった。
疲れ果てた夕菜が新居の安アパートに落ち着いたときに、そこへ吾郎が一枚の書類を持って訪れてきた。
「なんなんですか、吾郎さん。私、ヒマではないのですが」
さっさと帰れという念を視線に込める夕菜に、吾郎は喜々とした表情で言う。
「まあまあまあ、夕菜さん。これを見てくれ」
吾郎が見せてくれた書類を見ても、夕菜には見たこともないもので意味がわからない。
「なんなんですかぁ、これ」
「ああ、これは夕菜さんの家の落札に成功したんだよ」
落札と言われても、そのときの夕菜にはピンとこない。そういえば、あの家は競売にかけられるはずだったと思い出す。
「あー、不動産屋のアンタの仕事の話ね。誰かに売ってお金儲けするってことでしょう? 話が済んだら帰ってよ」
「違うよ、これは夕菜さんのために手に入れたんだ。人手に渡ってもおかしくないところを俺が取り戻した」




