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俺は答えないまま、そのゾンビを見ている。
ゾンビは俺が何回か瞬きしたのを見てから、こちらに近寄って来た。
鎌を出すか考える。
迷っている間にゾンビはすぐ近くまで来ていて、タイミングを失った俺はそのまま立っている事にした。
齧られても痛いだけで、俺がゾンビになる事はないし。
「俺の妹を見なかったか?ピンクのワンピースを着ているんだけど」
「…見なかったよ。ここに来るまでは誰にも会っていない」
「そうか。ありがとう」
俺に頭を下げてから、またゾンビは歩き出した。
ゆっくりと辺りを探しながら。
俺はゾンビの身体を観察している。
右半分は多分放射能の影響で変形している。皮膚は爛れているし腕や足は服の下でも分かるほど凸凹していた。けれど俺を見た半分の顔は人間だった。半分は潰れているけれどこっちを見た片目は確かに人間らしい目だった。
暫く、歩いていく背中を見送る。
彼の頭に雪が積もっては滑り落ちていくけど、彼はそれを気にしていない。
こんな壊れた雪の世界で、たとえ生きていたとしても彼の妹が見つかる可能性は、ほぼ無いだろう。
ゾンビもどきになった人間が、妹を探して歩いていく。
勿論そんな事がずっと平和に続けられる訳がない。
彼の前に、人型が立ちふさがった。
彼よりも大きなゾンビ変異種だ。
「どけ!俺の邪魔をするな!」
彼が手を変形させて変異種に切りかかる。
もちろん身体を変形させられる時点で、彼も変異種なんだろうけれど。大きなゾンビが彼の身体を力任せに殴り付けた。彼の身体が横っ跳びに吹っ飛ぶ。
俺は駆け出していた。
傘を捨てて右手に鎌を持つ。
彼に掠らないように変異種のデカ物だけを睨みつけて、鎌を振るった。
俺の鎌の風がゾンビをなぎ払い、力なくゾンビが倒れ込む。
彼が飛ばされた先から脱出して俺の近くに来る。
雪が積もっているから衝撃で穴が出来て埋まっていたらしい。雪が断衝材の代わりになったのだろう。大した怪我はしていないようだ。
倒れているゾンビを屈み込んで見る。
変異種だからと言って、魂魄が抜ければ動かなくなるのは普通のゾンビと同じで安心する。
春留が造ったあの人造人間と言っていい物には、魂魄がなかった。心が無いという事は痛覚もコントロールされている可能性がある。
倒されても死んでいるのだから、神経系統の中枢である脳を破壊する以外に動きを止める手立てはないだろう。
俺がじっとゾンビを見ていると、傍に着た彼が遠慮がちに話しかけてきた。
「…何か面白いのか?」
「ん?いや。考え事をしていた。無事でよかったな」
「ありがとう。…俺は真田一士。あんたは?」
俺は立ち上がってから彼の顔をしっかりと見る。
「俺は、黄泉坂四緑」
「シロ」
「のっけからそれは、ちょっと」
取りあえず意見したが、聞いて貰えないのはもう分かっている。
分かっているんだよ。
「シロ。何処に行く予定なんだ?」
「…渋谷に行こうと思っている」
「そうか。…生き縋らでいいのだけど、一緒に妹を探してくれないか?」
言ってくるとは思っていた。
どうせ行く方向が同じなら別段不便でもない。
「いいよ」
「ありがとう、シロ」
嬉しそうに笑う真田さん。
そうやって笑った顔半分だけ見ていると、普通のお兄さんに見えて。
俺は心底、心が痛い。
死神には癒しの力が無いからだ。
癒しの力を持っているのは、いわゆる神界という世界に属する人たちが保有している力だ。それでもそれぞれの区分があって、呪いや心霊的な物の除去や癒しならできる人たちはたくさんいるのだけど、実質的な物理の回復となると本当の上級者が一人一人を治すぐらいしか出来ないっていうのは聞いている。
真田さんと歩きながら、ぼちぼちと話を聞いた。
それは俺が知りたかった事もかなり含まれていて、真剣に聞く事にする。
「朝起きたら、辺りにはゾンビがいっぱいいたんだ。俺は妹と一緒に家に隠れていたんだけど、家にもゾンビが入って来て。無我夢中で倒したんだけど咬まれててさ。ゾンビになっちゃうならって妹を置いて出て行こうとしたんだけど、妹が血が廻らなければ全部はならないかもって血を止めてさ」
「…血を止める?」
「うん。ゾンビだから血が止まっても問題ないし。脳や内臓に行く前に止血体でぎゅっとしてさ。だから、ここら辺は大丈夫みたいだ」
真田さんが自分の顔と右側の腕と肩、胸のあたりを指さした。
確かにそこら辺は色が変わっていない。
「その後で、この灰色の雪が降ってきて。これにずっと触ったところから変形してきて、こんな形だけど、不自由はしていない。…けれど、ゾンビにならないで生きていた人達がどんどん血を吐いて死んでいってしまったから、良くない物なんだよな?この雪はさ」
「…人間にとっては、とてもよくないね」
「やっぱりそうか。…妹が心配だな。ご飯を探しに行ったはずなんだけど」
俺が立ち止まると、彼は首を傾げた。
「どうしたんだ?シロ?」
「妹さんもゾンビ?」
そう聞くと、真田さんがムッとした顔をした。
「違うよ。妹は人間だよ」
ええ?
人間がこの雪の中に出て行って、生きている訳ないと思うのだけれど。
怒った顔のまま真田さんが俺を追い抜いて歩いていく。
あれ、怒らせちゃったな。
ざくざくと怒って歩きながらも、真田さんは辺りを見回すことも忘れない。
俺もきょろきょろと見てはいるのだけど、そんなピンクの服なんて目立つ色だから見逃すわけもないし。
先を行っている真田さんを見ながら歩き続ける事三十分。
右側の奥に変な穴を見つけた。
ん?
近づいてみると、そこはどうやらコンビニの屋根っぽくて。そこに続くように雪のトンネルが出来ていた。覗いてみるとコンビニの窓に続いている。
誰か掘って潜ったんだよなあ。
でも女の子一人で出来るかな、こんな力仕事。
俺の後ろに真田さんも来たから、身体をどかして穴を見せると一つ頷いた。
ええと。
「妹さんかな?」
「多分。あいつこういうの得意なんだ」
え、穴掘りが?
俺が呆気にとられていると、真田さんは何故か自慢そうに言った。
「昔から、穴掘ったり木に昇ったりするのが得意なんだよ。家の妹」
…随分アクティブですね、妹さん。