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とにかく、この場所の安全確保が第一だろう。
俺は今まで取り込んできた不味い魂を吐き出すことにする。
さっきの恐ろしい話は後回しだ。
考えるだけで気が遠くなる。
上空に。
俺は自分の身体を空の上まで運ぶ。ここまで高く来るのはあまりやった事がないから、飛ぶことに慣れた俺でも少し足が震える気がする。
見降ろせば建物は見えるが人の形なんて判別がつかない場所をとおに通り越している。
此処から鎌を振るえば一発で外に出ているゾンビはいなくなるだろう。
不味いモノを吐き出して、また不味いモノを喰うだけなのが寂しいけど、仕方が無い。
早めに手を打ちたい事が増えてしまったのだ。
精神集中。
鎌を振るう。
大きな風が起こり、大地を吹き飛ばすかのように吹き荒れただろう。
俺の身体からは殆んどの魂魄が消え去り、その代わりに新たな不味い魂魄が前の何倍の数になって飛び込んでくる。
「…うえ」
本気で気持ち悪くなった。
本来死神は魂魄を糧にする。
つまり消化して自分の血肉にする訳だから、こんな混乱が起こるはずもない。
消化不良にはなるかもしれないけど。
俺の場合は特殊で、この世に受肉しているものだから、人間的な機能が魂魄の取り込みを阻害する。したがって魂魄を取り込んだもののそれを栄養素にできる訳ではなく、力としてのみ使う事が出来るという訳だ。身体の中を循環しているだけで、力を振るわない限り取り込んだ魂魄は消えて無くならない。ずっと重荷のままだ。
限界が近いのに、こんな無茶をやっているんだから困ったものだ。
ああ。本当に気持ちが悪い。吐きそう。
ふと、気が遠くなった。
自分が墜落してるって気が付いたのは、着地する寸前だった。
このまま落ちても俺は傷つかないけど、勢いで辺りがクレーター化してしまうだろう。人間一人の質量は結構侮れない。
あと数センチで勢いを止めてぼてっと落ちた。
間に合って良かったとは思ったけど、気持ち悪くて起き上がれない。
「大丈夫ですか、准尉?」
そんな俺に声を掛けてきたのは珍しい相手だった。
「…あれ?緑川医官?」
「お久しぶりですね。…起き上がれますか?准尉」
「…今はちょっと無理」
緑川医官は俺の顔のあたりに座り込んで俺の額を撫でる。
相変わらずひんやりとした手で、その綺麗な指先に俺は困ったように微笑んでみる。
美人の医官なのに、まだ誰のお嫁さんにもなっていないらしい。
左手の薬指をちらりと見ると、少し怒った目線が返って来た。
「結婚はしていません」
「そうですか」
すみません。視線が露骨すぎました。
この議事堂に派遣されていたのだろうか。いつもは中央病院で専修医として働いているはずなんだけど。緊急時にも医官が動かされることは稀なのになあ。
「何でしょうか?」
「…いや、珍しいなって」
みなまで言わない台詞に、緑川医官が笑って答える。
「あなたが出撃したと聞きましたから」
「え?俺?」
「はい。あなたの身体に詳しいのは私だろうと、少将から指名がありました」
変な事に気を回すなあ。あの御老体。
俺が死神だっていう事は、軍全体に知れ渡っている。
なにせ、銃で撃っても死なないし。落っこちたら空中に浮くし。変な奴というよりは化け物でしかない俺を、研究対象として扱っていた人がこの御仁だ。
毎日色んな事を強要されたし、ちょっと口に出しては言えないえげつない事もされたりしたけど。トラウマになる事もなく俺が淡々とやるものだから、逆に人として普通に扱われるようになった。
人間って不思議な生き物だなあって本気で思ったのはこの人が初めてだった気がする。
「起きられますか?」
ずっとこの場所に居る訳にもいくまい。俺はどうにか手を着いて半身を起してみる。グラッと視界が揺れた。
途端にポスンと後頭部が何かに支えられる。
こんな柔らかいクッションって今ここに在ったかな?
振り返ってみると柔らかい何かの正体が分かった。顔の半分ぐらいがそれに埋まったから。
「…あの、准尉。振り返らないでください」
「うん。起きるよ」
無理矢理足に力を入れて起き上がる。
女性の胸にいつまでも顔を埋めているなんて高等テクは俺には無理です。
誰かと付き合ったことさえないのに。
「…ごめんって言ったら変かな?」
「謝られると、余計に恥ずかしいです」
少し顔を赤くした緑川医官が、そう答えた。
そういうものなのか。女性心理は分からないな。
「俺休んでくるから。有難う心配してくれて」
「暫く私はここに居ますから。何か有ったら言ってくださいね」
医官に手を振ってから、議事堂の中に入る。
知らない場所だから適当に扉を開けてみると、中にいた士官とばっちり目が合った。
「あ。じゅ、准尉。ご、ご苦労様です。どど、どうされたのですか?」
うん。普通はこういう反応。通常運航。
「寝たいんだけど、場所あるかな?」
「は、はい。聞いて来ますので少しお待ちください」
飛ぶように走っていった士官に、心の中でごめんって謝りながら、また足から力が抜けていく感覚。
あれヤバいな。
俺どうしたんだろう。
何だか意識が。