第二話
レノアに手を引かれ、見知ったアストラルの街角を歩くイルア。手のひらの暖かさが心地よく、イルアは思わず握る手に力を込め、レノアが不思議そうに振り返る。
「なに?」
「なんでも。ほら車くるぞ」
そう言ってレノアを抱き寄せると、大量の鉱物を乗せたトラックが二人のすぐそばを通り過ぎる。幌をかけたトラックの荷台から微かに赤く光る石が覗き、段差で揺れた拍子にひとかけらがイルアの足元に転がり落ちた。
「あれ?これって…」
「ああこれアストラメタルよ。ほら、父さん達が二か月前に掘り当てた新しい鉱物」
「へえ…これがかぁ…ねえレノア。これって届けたほうがいいのか?」
赤く輝く石は手のひらに乗っているのかすら分からないほど軽い。興味深そうにじっとアストラメタルを見つめるイルア。この石を見ていると、なんだか不思議な気分になってしまう。それがなんなのかは説明できないけど、一番近いのは『焦り』じゃないか、とふと思った所でレノアが口を開けた。
「別にいいと思うけど…まあ気になったらヘラ姉かおじさんに渡したらいいんじゃない?」
それもそうかと思い、アストラメタルをポケットに入れる。
「それにしてもさ。急に、その…抱きしめてくるからビックリしたよ…」
「え?ああ悪い。この道狭いのにあのトラックが後ろから来たからさ。その…迷惑だったか?」
「ううん。違うよ。ありがと」
微かに赤くなった顔を隠し、レノアはイルアの手を振りほどく。ショックを受けて呆然とするイルアに気づかず、レノアはニ・三歩後ろに下がって無理やりな笑顔を見せる。
「じゃあ、アタシこっちだから。イルアも早く帰りなさいよ。後、ヘラ姉に迷惑かけないこと!いいね?」
「あ、ああ…」
片手を上げて走り去るレノア。その後ろ姿に拒絶されたような寂しさを感じ、イルアはしばらく立ちすくむ。振りほどかれた手をそのままに、どんどん消えていくレノアの体温の暖かさが不安を煽る。
「迷惑…だったんなら言えよ…!!」
不安を振りほどくように走り出すイルア。イルアとレノアの家はまだ遠く、しばらくはまだ一緒の道のはずなのに、レノアの姿は分かれ道まで見つけられなかった。思わず俯き、トボトボと歩き出す。
「ただいま…」
頭の中にごちゃごちゃした不安感が押し寄せてくる不快感に囚われつつ家の玄関の扉を開ける。玄関先には靴が一足。鉱山の泥がついたままだから父さんだろう。
「おかえり。どうした?元気ないな」
イルアの養父カルマ・ジュデアスが、リビングでテレビを前に既に缶ビールを開けながら片手を挙げる。勤めている役場が鉱山労働者の詰所も兼任しているから、いつも仕事場から帰ってくると靴が泥まみれだった。
「別に…姉さんは?」
「ヘラなら買い物だ。もう直ぐ帰ってくるだろ」
カルマがそう言い終えるより先にもう一度玄関のドアが開く音が聞こえてきた。重い足取りが少しだけ軽くなり、玄関まで迎えに行くイルア。買い物袋を抱えたイルアの義姉ヘラ・ジュデアスは、いつも通り柔らかい表情で風に煽られて僅かに乱れた腰まで届く金髪のロングを玄関先のロッカーに置かれた鏡を見ながら整えていた。
「姉さん。おかえり」
「うん。ただいま、イルア」
買い物袋を床に置き、ぎゅっと抱きしめてくれるヘラ。柔らかくて暖かい匂いにようやく安心するイルア。お互いたっぷり五秒堪能した後、床の買い物袋をイルアが持ち上げリビングに戻る。
だけどヘラはリビングに入る直前、聞こえてきた缶を開ける音に顔をしかめた。
「おう、おかえりヘラ」
「父さん…私、これから夜ご飯作るんだけど」
絶対零度の視線に凍りつくカルマ。そろりと空になった缶を背中に隠すも、ずんずんと踏み込んだヘラがそれらを無言で回収する。
「あ、あのな?ヘラ。お前も知ってるだろうが最近は俺も仕事で疲れていてな。ほら、例の鉱石の採掘量を上げろとの上様からのお達しが…」
すでに三つの空になった缶ビール。いそいそと買い物袋の中身を冷蔵庫に入れるイルアの頭をため息をつきながら撫でたヘラはそれらを拾い、無言で握りつぶしてみせる。
「ひっ…」
「私言ったよね。ご飯作ってる横で酒飲まれるの、急かされてるみたいですっごく不愉快だって」
原型をとどめていないほどにぐしゃぐしゃになった空き缶をひとつにまとめ、最後にドン!と派手な音を立てて拳で叩き潰す。空き缶三つは大きな円形のアルミ板に変わった。
「ごめんなさい…」
「いいのよ父さん。最近疲れてるだろうからって思って色々買ってきたけど、無駄になっちゃったわね。イルア、今日は外で食べよっか?」
「…いいのか?」
プルプルと親とはぐれた子犬のように震えるカルマを見てちょっとだけ同情するイルア。しかしヘラはそんなカルマを養豚場の豚でも見るような目で見ていた。
「いいじゃない別に。そう言えばこの間マイの居酒屋に新しいメニューが追加されたって…」
「申し訳ございませんでした…!!」
素早い動きで先回りし、父親の尊厳をかなぐり捨てた見事な土下座を決めるカルマ。見ていて正直引いたけど、流石にヘラもこれ以上はバカバカしく思えたのかため息をついた。
「イルア。冷蔵庫の中から豚肉取ってくれる?」
「分かった」
ようやくヘラの怒りが収まったことを確認したイルアとカルマ。ジュデアス家における絶対的なヒエラルキーの縮図だった。
「そう言えばイルア。帰る途中でレノアとすれ違ったんだけど…」
リビングでようやく三人で夕食を食べている途中、ふと思い出したのかヘラが顔を上げる。だけどイルアにとってその話題は辛いものだった。
「レノア、何か言ってた?例えば、俺が変なことしたとかさ…」
「そう?何も言ってなかったけど…」
そこまで言って不安げな顔をしているイルアに気づくヘラ。しかし事情を全く知らないカルマはズケズケと話に切り込んでくる。
「もしかしたら、何かやっちゃった気がするのか?」
「分かんないけど…でも、いきなり手を払われて、そんでまだ遠いのにちゃっちゃと帰っちゃうしさ」
やはり大きな勘違いをしている。少なくともあれは嫌がったり怒ったりしているときの顔ではなかった。と言うかどう見てもあの真っ赤な顔はウブな少女の顔だった。
「あのね。イルア…」
「取り敢えずまずはちゃんと謝る所からだな。その上で一体何が足りなかったのかをちゃんと聞いて反省するんだ。大丈夫さ。あの子が本気でイルアのことを嫌いになるはずが…」
事情を察することなく、本気で的外れなことを言ってのけるカルマ。そんなことを言われてしまえば当然イルアは自分に非があったと言うことで決着をつけてしまう。それではお互いあまりにも不憫な展開になってしまう。
「父さん。しばらく黙っててくれる?邪魔だから」
「!?」
ヘラにばっさり切り捨てられ呆然とするカルマ。一応イルアにも声を掛けようとするが、肝心のイルアはもう完璧に自分の殻に閉じこもっていた。
「全く…イルア、言っとくけどレノアは怒ってるわけじゃないわ」
「どうして?」
「そんなの決まってるでしょ。イルアのこと怒ってるなら、面と向かってその時に言うわ。レノアはそういう子よ」
「そう言われてみればそうだけど…でもならなんであの時…」
そう呟いて右手を見つめるイルア。よほど手を振りほどかれたのがショックだったらしい。本当にいつまで経っても子供みたいな義弟は、細かい相手の仕草やセリフをいつまでも覚えていることがある。そしてそのことを嫌われたのではと曲解してずっと悩んでいるのだ。そういう時はさり気なく違う、と教えてあげるのが一番なのだが、父親であるはずのカルマが見計らったように最悪の対応をするのだ。悪意はないのは分かっちゃいるけど、それでもそんなことがある度にジュデアス家内のヒエラルキーは更新されていくのだった。
「取り敢えず、細かく教えてよ。一体何がどうなってそうなったかをさ」
「えーっと…そうだ。帰り道で、トラックが後ろから来て危なかったから引き寄せたんだ。そしたら急に…」
ヘラに促されてイルアがしゃべりだす。しかしヘラは途中ですでに大体分かっていた。大方その時に抱き寄せてレノアが恥ずかしさのあまり逃げ出したんだろう。しかもそれをイルアは拒絶されたと勘違いしてしまったのだ。
「ま、それなら大丈夫よ。明日になったらころっと戻ってるわよ」
「そういうもんかぁ?」
まだ良く分かっていないイルアが首を傾げるが、これ以上は無用な混乱を助長すると判断したヘラは苦笑いを浮かべておかずの焼き魚を口に入れる。
「しかし、トラックか。山からの方角なら鉱物を運んでいたんだろうが、それならもう午後一番でとっくに終わっているはずだが…」
「あ、そう言えばあのトラックなんか落としてったっけ。これ…」
カルマが首を傾げて呟く。その呟きを聞いたイルアはポケットの中にある落し物のことを思い出し、テーブルの上に置く。
「これは…アストラメタル!?」
「父さん、これって…」
赤く輝くアストラメタルの欠片を見た二人の顔色が変わる。呆然とするイルアをよそに、カルマが慌てて立ち上がり役場に電話をかける。そしてヘラもまた深刻な表情でイルアに向き合う。
「イルア。そのトラック、どこに行ったか分かる!?」
「い、いや…でも確か、北の港の方に向かってたと思うけど…」
「もしもし?ああ、ケンさんか。いや、うちの息子がアストラメタルを積んだ見慣れないトラックを見たと言うんだ…あ?連合軍の検閲?なんだってこのタイミングで…まあいい。事情を説明して、北の港方面の調査を依頼してくれ。大至急だ」
イルアが今まで見たことがないくらいに真剣な顔つきで電話越しに矢継ぎ早に指示を出すカルマ。ヘラも食べさしの焼き魚に目も呉れず心配そうな顔でカルマの背中を見つめていた。
「なに?連邦軍の領域侵犯が確認されただと?どこだ…」
連邦軍の領域侵犯、物騒な単語を口にすると、カルマは目でイルアとヘラに合図を送る。この冷戦が始まるより前から何度も戦場になったこの島に住むアストラ島民は、こういった危険の兆候を感じたときは真っ先に避難の準備をする習性が出来てしまっていた。
感想待ってます。




