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福ちゃんの苛立ち

作者: 小泉阿難

 分かっている。


 胸が大きい。


 背が高くって、さばさば系で、体育会系。

 明るくて面白い、しゃべると辛口のお笑い系。

 女子っぽくない。っていうか、おっさんっぽい。

 面倒見がよくて、割と正義感が強くて、女子に人気。

 バレー頑張ってる。中学時代はキャプテンで県大会までいった。

 おちゃらけているようで、実は努力家。


 ――で、胸が大きい。



 フクちゃんこと、1年4組の福田美咲を、どんな人物かと聞かれて、大体の人間が思いつくのはこんな感じか。美咲は考える。加えるなら、小学校時代、あらゆる球技で男子に引けをとることはなかった。バレンタインには男子より沢山チョコをもらった。


 でも、キャラ部分の説明だけでは、最後までお分かりにならなかった貴兄が、ピンと来た瞬間に口にするのは、きっとこんなセリフだろう。


 ああ、あの子ね!あの背え高くて、胸デカい。


 3組の那智健太郎。この男を説明するなら、まず、声がでかく鈍感だ。あの菩薩のような葵ちゃんが、高校で珍しく自力で作った友だち。きっと悪い奴じゃないんだろう。葵ちゃんと気が合うんだから。


 ――でも、私は、あいつが嫌い――美咲は躊躇なく思う。


 なぜなら、あいつは、会うと必ず、まず最初に、胸を見る。


 もちろん、あいつだけが、ってわけじゃない。美咲だってそんなにボケっと、思春期男子に囲まれて学生生活を送ってるわけじゃない。中学のころ、男子はもっとずっと幼稚な生き物で、彼らにとっては、美咲たちの「気になる部分」など、興味とからかいの対象でしかなかった。

 ブランド牛の銘柄とか、いろいろ、嫌なあだ名をつけられてきたものだ。


 そんな罪のない、の割にけっこう残酷な、数々の陵辱に耐え、おかげで美咲は精神的にずいぶん逞しくなったと自負している。男子どもはそれを、オッサン女子とかなんとかいう。上等だ。小4で無理にスポブラをつけさせられた頃から、お前らのそういう目線を意識させられてきたのだ。お前らから見てオッサン臭いなら、むしろ本望だ。男達のぶしつけな視線を跳ね返す鎧は、上手く機能していた。



 しかし、それでも、那智が会う度に美咲の胸に一瞬走らせる視線は、美咲の神経を激しく逆撫でする。


 「どこみてんのよ!」とビンタのひとつも張ってやれば、それですむ話しかもしれない。

 だけど、高校になると男子も、それなりに分別がついてくるから難しい。女子への興味をオブラートでくるみ始めるため、こちらもリアクションしづらいのだ。

 そうして鬱屈した気持ちを持て余しているうちに、ビンタで解決できる段階は過ぎてしまった。そして行き場をなくした苛立ちは、彼女を萎縮させ、その分悔しさと屈辱感を増長し、重く黒い感情に育っていった。


 葵ちゃんとアラタは、美咲の胸をあからさまに見ない数少ない男子生徒だ。

 本格的にゲイなんじゃないかと思う。ビジュアル的にもあの2人の間に特別な関係を切望する腐女子連中の気持ちは分からなくもない。

 というか、めちゃくちゃ分かる。

 というか、ちょっとくらいなんかあってやれよ、とすら思う。


 ともかく。

 美咲にとっては、胸に目が向けられることは、そのくらい嫌で、激しく屈辱なのだった。


 でも、こんな気持ちは、ちゃんとラップして密閉容器に入れ、心の冷蔵庫にしまっている。臭い漏れもしていない自信はある。だけど、自分でもあきれるくらい、この気持ちは消えてはいかないし、慣れることもないのだ。


 女子がブラのサイズの話しをする時は、必ず


「いーじゃーん!美咲は既に立派なものがあるんだしー」

 と、さも羨ましそうに言ってくるけれど、それすら――私たち、女子学生らしい清純さを損なうほどのデカパイでなくて、良かったー♡――みたいな優越感に裏打ちされた余裕発言なんじゃねえの?などと穿った見方をしてしまう。


 そう、それは美咲のコンプレックスだった。心が歪むほど強い。

 そして、そのコンプレックスを会う度に刺激する、那智健太郎を、密かに疎んでいた。

 表面上はふざけ合う友人の1人のように接しながら。



***


 その朝は、珍しく、バレー部は朝練の日だった。

 思いがけず地区予選の決勝まで勝ち進んだので、先輩たちも、にわかにスポ根モードになっているようだ。いつもは葵ちゃんとアラタと駅で合流するけど、なので今日は1人で早い電車にのることになってしまった。漠然とした不安と寂しさを胸に、普段は乗らない各駅停車に乗り込む。


 この時間の各停は混んでいる。だからこそ彼らは普段、一時間に一本の急行を逃さないようにしているのだ。だけど今朝はやむなし。覚悟はしていたが久々のラッシュは物理的にも精神的にも相当キツい。

 扉の近くに陣取ろうとする美咲の意図は、同じ考えを持つ人の濁流にあっという間に押し流された。かろうじてドアに近いつり革を掴みとり、美咲はなんとか立ち位置を確保し体勢を保った。まるでアクション映画のスタントさながらの登校風景である。


 こんな風に他人と密着したまま何十分も過ごし、かつそれを何十年も毎朝続けるとか、ジャパニーズサラリーマンは、もっと世界の賞賛を浴びてもいいんじゃないか――。スマホもいじれないほどのラッシュのなか、そんなとりとめのないことを考えて暇つぶしをしていると、日本のサラリーマンを敬う気持ちが、腐って地に落ちるような事件が起こった。


 ―――後ろの人、なにか探してる?


 もぞもぞと、美咲の背後で不振な動きをするスーツの男に、美咲は一瞬、そんな想像をした。鞄から、なにか取り出したいが、ままならない――そんな状況を思わせる手の動き。

 その電車の揺れに合わせたような規則的な動きが、だんだんと別の目的と意志をあらわにし始めた。


 ―――え・・触ってる・・・?


 その瞬間、がたん、と電車が大きく揺れた。乗客の足下が一斉におぼつかなくなった一瞬に乗じて、その手は、美咲の両腿の前にまわされ、その下半身を自身に押し付けて固定しようとしてきた。


 ―――・・・痴漢・・だ・・!


 どうしよう・・・!と頭が考えを巡らそうとする前に、背後からの荒い息づかいが、思ったより近く、生々しく美咲の耳を陵辱した。

 ぞっとすると同時に、鳥肌が立つ。まさに冷水を浴びせられた様な感覚に、血の気が引き身がすくむ。本当なら美咲は、恐怖が凍らせた心を、屈辱を燃料にした怒りの炎で溶かすことを知っている。

 しかし、そんな暇もあたえずに、耳元で小さく囁かれた言葉が、美咲の心を打ちのめした。


「・・エッロい胸してんな、高校生が・・」


 かあっと顔に血が昇ると同時に、すうっと潮が引くように足下が寒くなる。気付けば、美咲の両膝はガクガクと震えていた。なぜか今、自分がどんな顔をしているのかが、やけに気になった。

 あたしのせいじゃない。あたしの体のせいじゃない。あたしはーー

 パニックになっていた。


 ―――違う、逃げなきゃ、逃げなきゃ・・


 つり革から手が離れ、泳ぐように、もっと頼りになる拠り所を探す。その指先も細かく震えていて、自分のものとは思えなかった。

 使い物にならない両足に代わって、この体を救い出さなければならないのに、その手はひどく頼りなく、彼方の銀色の手すりを目指して、歯がゆいほどおずおずと伸ばされる。


 ―――泣くな、泣くな、泣くな・・!!――――


 これ以上の屈辱から自分を守る為に、美咲はひたすら、心で唱え続けた。涙腺を恫喝して言う事を聞かせる。


 と、いきなり、手すりに伸ばした美咲の手が、ドアの前に立っていた何者かに、すごい力で引っ張られた。


 美咲は思わずつんのめったが、体育会系の名に恥じないバランス感覚で踏みとどまる。

 その人物は、そのまま美咲の腕を引っ張って、自分の背後とドアの間に彼女を引き入れた。押しのけられたり、ぶつかられたりした周りの乗客は、あからさまに顔をしかめ、んだよ、あぶねぇな・・!と小声で漏らし、舌打ちする。


「・・おい・・」

 低く、獰猛なうなり声が、そのさざ波の様な不満の声を凌駕した。

「あんた、今何してたんだよ・・。」

 黙っていれば人の良さそうな細いタレ目が、今は猛々しい光をおびて、目前の獲物を射すくめていた。


「え、な、なんだよぉ・・・」

 本当にどこにでもいそうな、平凡な会社員と言った風体の男が、周りを見回し、睨まれているのが自分であることに戸惑っているかのように、さも不満そうな声を漏らした。


「ッ・・・てめえッ、今・・!」

 殴り掛からん勢いで言葉を続けようとした、その少年を

「・・待って!那智!ちょっと待って!」

 美咲は反射的に制した。


 と同時に、列車はホームに滑り込み、彼らのいる方とは反対側のドアが開いた。目にも留まらないほどのスピードで、痴漢社員は人波をかき分けて逃げ出した。


 「コラァッ!この野郎ッ・・!」

 後を追う那智の制服の後ろを掴みながら、美咲も列車から脱出する。

 人ごみを乱暴にかき分けて追いかけようとする那智を「待って!那智!本当に待って!」その腕に取り縋って引き止める。


「・・んだよッ!離せよッ!」

 美咲の腕を振り払おうとこちらを振り返った那智は、今まで見た事もない、野生の獣を思わせる獰猛な表情をしていた。しかし腕に縋り付く美咲の顔に目を留めると、途端にその眼に猛る炎が静まっていった。


「オイ、大丈夫かよ・・?」

 かわりに元々細い目を更に細めて、心配そうに美咲の顔を覗き込む。気の良さそうな本来の彼の顔に戻っていた。


 人波から逃れ、ホームの柱を背にして立つ。

 膝の震えは収まっていたが、心臓はまだ、バクバクと音を立てていた。手の震えにも、気付かれているだろうか。先ほどの那智の表情の変化で、今自分がどんな顔をしているか、美咲にも大体想像がついた。


 彼らが乗っていた列車はとっくに行ってしまい、痴漢野郎もとっくに見失い、人の波も去っていた。美咲はやっと息をつき、そこで初めて、自分の右手がもの凄い力で、那智の手首を握っているのに気付いた。


「・・・ごめん」

 おそるおそる手を離すと、やはり、彼の手首には怪談話の呪いのようにくっきりと、美咲の手形がついていた。


「いてぇなぁ」と那智が笑って、大げさに手首を振る。

「バレー女子の握力、パネエ。恐るべし。」


 そんな言葉に、美咲はやっと、本当に心底ほっとして、大きく長い息を吐いた。


「いや・・・ホントに・・・」

 目を伏せ、へたり込みそうになる心と体を奮い立たせる。

「ありがと・・助かった・・」


「いやいや。普通やるっしょ。あのくらい。あの場合。」

 那智は、あらぬ方向に視線を泳がせながら言った。ちらりと目線だけでこちらの表情を盗み見る。

 美咲は、やれやれ、大変な目に遭いましたよ、というように肩をすくめて見せた。

 すると、那智は途端にいつものモードで、調子に乗り出した。

「いやー、ここで見ないフリとかありえないだろ、俺レベルの勇者ともなると」

 でも、その目にはまだ、こいつ大丈夫かな?と探る様な、美咲を気づかう様子がちらついている。


「いや、那智サン、さすがっす」と美咲も調子を合わせる。

 努めて普通の声を出したつもりだが、いつもの勢いは出ない。頬の赤味も、額の冷や汗もひいてはいないだろう。


「・・つうか、お前、マジで大丈夫なの?学校行けんの?」

「行くさ・・・ていうか今日、朝練じゃん!」

「つうか、俺もだし」

「あ・・・そっか。うわ、ごめん!」


 いいよ、しゃあねえじゃん、と今度は那智が肩をすくめると、次の列車がホームに入ってきた。ちらり、とこちらを気にする那智に頷き返し、共に列車に乗り込む。


 今度は人波の最後について、ドアの前を無事に陣取った。那智は当然のように美咲の横の手すりとドアに手をついて、彼女を囲う。


「・・ヤダ・・今度は那智クンが、どっかのイケメンに取り押さえられてしまうカモ・・・」

「お、元気出てきやがったな」と那智がニヤニヤする。「はぁ、くるなら来いよ、ですよ」

「あ、乱闘騒ぎになった場合、私は無関係でよろしく。バレー部、決勝進出決まったんで、スキャンダルとか、マジNGなんですよー。」

「んだよそれ。そこはお前が泣いて俺をかばうシチュだろ。」


 つうか、俺らも地区予選、勝ってんだよなー、俺がまだレギュラーじゃねえのに、おかしいな、というぼやきに、いや、それはむしろ、那智さんがレギュラーでないからでは?とお約束につっこむ。

 那智の方も、通常運転に戻ったようだ。お前ふざけんなと膝蹴りしてくる。


 美咲はほっとため息をついて窓の外を見た。映る自分の顔に、活を入れる。

 前にも痴漢にあったことはある。でも、自分でなんとかできた。ただ、それ以来、絶対に葵ちゃんとアラタと一緒に登校した。もちろん、奴らに自分の盾をしているという自覚は一切ないが。


 なんだか情けないような恥ずかしいような気持ちをごまかす為に、美咲はずっと那智に突っ込みを入れていた。今回ばかりは、これが那智で良かったと思う。どなたでも安心してイジっていただけるクラス公認のお調子者が相手だから、気まずい空気に耐えなくて済んだ。

 そして、今まで、心の底でコイツを嫌いフォルダに分類していたことを、ちょっと申し訳なく思った。気のいい奴なのは分かっていた。ただ・・嫌なものは嫌なのだ。たかが視線くらいで理不尽だの、男子なら無理もないだの、なんだの、言われても。




 やがて列車は彼らの降りる駅に着いた。

 那智は部活の朝練が気になるらしく、僅かに早足だ。


「いいよ、先行って」と美咲が言うと

「ん?・・ああ・・」と一瞬迷い、しかしどうやら学校まで走ることに決めたようだ。おし、と背筋を伸ばし、二三足踏みをする。


「しっかし、意外だったな」と鞄を肩に担あげながら那智が言う

「何が?」

「いや、福田ってああいう時、相手ビンタとかして、怒鳴りつけそうな感じじゃん。」


 やっと冷めた美咲の頬に、また血潮が昇った。

 ――恥ずかしい、情けない、悔しい気持ち――向ける相手のない、自分のふがいなさに対しての苛立ち。ていうか、やっぱりコイツだ。那智健太郎。無神経で、余計な事ばっか言う。逆恨みで上等だ。やっぱり私はコイツのことが――


 思わずうつむいて黙った美咲の、頭の上に手が置かれた。予想外に大きな手と、優しいひと撫で。


「ま、意外と、可愛いところもあったのね、ってことで。」


 世界不思議発見!たーんたたーん♪とクイズ番組のテーマを口ずさみながら、那智健太郎は、んじゃっ!っと勢いをつけて、風のように改札を駆け抜けていった。


 美咲一人に、もう今や理由もわからない、意味不明な火照りを残して。


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