ミナカミの名
目を開けると、見慣れない天井が見えた。正確にはあった、もしくはある、だが。
その天井はコンクリートで出来ているのか、無機質な冷たさを感じる。
「目を覚ましましたか。」
聞き慣れない声だった。透き通るような凛とした声。
その声に応えようと、声のした方へ首を向けようとすると、
「痛っ。」
身体中が軋むように痛んだ。
「まだ安静にしていて下さい、傷が深いんですから。」
ああ、そうだった。俺はあの男に斬られたんだった。
きっと声の主に助けられたのだろう、ベッドに寝かされているのが何よりの証拠だ。
「...君は?」
声の主が視界に映る。青色の短髪が似合う赤縁メガネの女の子だった。
「私ですか?私はユイカです。あなたの<サポーター>ですよ、主。」
「あ...あるじ?さぽーたー?何を言っているんだ?」
「やはり主は<巻き込まれた>側の人でしたか。では、始めからお話しします。」
彼女は小さなため息をして、話を始めた。
「では、前提のお話から。主が<巻き込まれた>のは<プロエリウム>―。殺し合いのゲームです。このゲームは、<スレイヴ>―もとい武器と能力を扱う<スレイヴァー>と<スレイヴァー>をサポートする<サポーター>のタッグで参加します。そして、最後の一組になるまで戦います。」
「――ここまでは理解していただけましたか?」
ひと呼吸置いて確認してくる。
「あ、あぁ。なんとかな。話を続けてくれ。」
「了解しました。そして最後の一組は賞品として<願い>を叶えてもらうことができます。」
――願い。そういえば俺を襲ってきた男も言っていた。
「なあ、その<願い>ってのはどんなことでも叶えられるのか?」
「はい。文字通り何でも。」
即答だった。しかし、それほどの代物が存在し得るのだろうか...?
などと考えていると
「ところで、主は自分の名前を憶えていますか?」
唐突な質問に少し驚く。
「当たり前だ、自分の名前を忘れるなんて有り得ない、だろ...?」
...何故だ?自分の名前が思い出せない。
「...やはり覚えていないのですね。」
ユイカが物憂げな顔をして言う。
「なんで...覚えていない...?」
頭がパンクしそうななった瞬間――。
ガチャリ。音を立て、ドアが開かれる。
開かれた空間の向こうには女性がいた。年齢は20代半ばといったところだろうか。長い黒髪が純白の白衣に映えている。
「その質問に答えるとすればユイカが言ったとおり、<巻き込まれた>せいだよ。」
「そういえばさっきも言っていたな...ユイカ..ちゃん。<巻き込まれた>ってのはどういうことなんだ?」
「主。ちゃん、は不要ですので次からはユイカ、のみでお願いします。その...なんだかむず痒いです。」
よほど照れくさかったのか顔を赤くしてしまっている。
「あ、ああ分かった。次からは気をつける。」
「それでは、質問についてですが、先ほど話したゲーム、<プロエリウム>はある一定の基準で参加者が決められます。通常ならば、<スレイヴ>と異能力を付与されるだけなのですが、主の場合はどこかの過程でエラーが起きてしまい、記憶、主に名前を忘れてしまっているんです。」
エラー、か。
勿論、それだけで納得できるわけがなかった。
「...名前を取り戻すにはどうすればいい?」
ユイカは首を横に振った。
「まだ...分かりません。」
「そう、か...」
やりきれない気持ちで胸が詰まる。
「だが...可能性がないわけではないぞ?」
重い空気を切り裂いて女性の口から言葉が発せられる。
「...どうすればいい?」
「全力で勝ちたまえ。生き残り、勝利を掴め。そうすれば君の<願い>も叶うだろう。」
「勝つためには...どうすればいい?」
女性はフッと微笑み
「”欲せよ さらば与えられん”力が欲しければ求めるんだ。私、いや、私たちができる限りサポートしよう。」
「力を――俺に貸してくれッ!」
「...よろしい。君は今から私たちの家族だ。私は水奈神カオル。ユイカの保護者だ。これからは君も私の被保護者になる。」
カオル、と名乗った女性はこちらに手を伸ばし、握手を求めてきた。よろしくです、と手を握りながら軽く会釈する。
「ところで、俺の保護者になるってどういうことですか?」
「ああ、それかい?君は今、いわゆる記憶喪失状態にある。その状態で暮らすのはいささか不便だろうからね。だから、世界の”概念”を塗り替えて、君に仮の名前と親をつけることにしたんだ。この場合の親は私だ。」
...ダメだ、何を言っているのかわからない。
「端的に言うと君は周りから『ミナカミ家』の人間として見られ、私は君の仮の親となるということだ。」
「は、はぁ...ところで俺はどうすればいいんですか?荷物とかは持ってないですし...」
「心配には及ばない。」この家は君の家として認識される。概念変更の時に君の荷物は運んでおいた。因みにこの部屋が君の部屋となる。少々殺風景かも知れないがそこは君の腕でなんとかしてくれたまえ。」
「その...概念変更...?ってなんですか?」
「そうか...。君は自分の能力に気づいていないのか。」
カオルさんはクツクツと笑った。
「先程ユイカが言っていただろう?<スレイヴァー>には<スレイヴ>と<能力>が付与される、と君の能力は概念の変更――。というより屈折、歪曲らしい。私はそれを利用して空白状態だった君の<情報>を書かせてもらった。君は記憶を取り戻すまで『ミナカミ』だ。」
「なんだか...変な感じですね...。」
「まぁ、じきに慣れるさ。それより今はゆっくり休んだほうがいい。頭の中の情報を整理する時間が欲しいだろうからね。幸い、明日は暦で言うところの休日だ。思う存分やすみたまえ。」
正直なところ、この提案は嬉しかった。
「そうですね、じゃあ俺はもう少し寝てます。また、起きたら。」
そう言って布団に潜り込む。
「ああ、ゆっくり休むといい。では、また後で。」
ガチャリ。とドアが閉まる音が聞こえた。それに続いてドアが開けられ、
「おやすみなさい、主。」
という声がした。開けた時と同じような音がしてドアが閉まる。
いつも布団で寝ていたせいか、ベッドは体に馴染まなかった。
けれど、自分を包み込む暖かさのようなものを感じて――。
そして、俺は一時の休息を得た。
プロエリウムについての説明は次話でもしますのでお付き合いいただければ光栄です。