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「ねーパウロ」

「あ?」

「あのね、たいくつなの。ジエルいつ帰ってくる?」


 それは俺が聞きたいと、パウロは言葉にするのも億劫だった。頭の悪いガキのお守りを押し付けられた段階で逃げておくべきだったと後悔している。


「ジュリアはグラサン紳士好きだねー」

「う?仲良しなの!」

「うんうん、仲良しだねー」

「仲良しって思ってんのはお前のおめでたい頭だけだろ……」


 昼食時を少し過ぎた閑散とした店内は、マスターお気に入りの映画が音量を控えめに流れている。控えめでなければとんでもなく物騒なカフェになってしまうだろう。マスターの今のお気に入りは、英国の諜報員がドンパチやりながら任務を遂行するハリウッド映画だからだ。

 昼下がりのカフェ・アウローザは、いつもこんな感じだった。休憩にやってくる客が仕事に戻るその時間、マスターのニーナと、その妹であるジュリアは好き放題に遊び始める。一応客であるパウロがいようがいまいが、お構いなし。数十分前に注文したコーヒーがまだ出てこないのにももう慣れた。


「つーか、お前仕事はどうしたよ?」

「ジュリア、今日おやすみだもん。ニーとあそぶの!」

「……お前みたいなチンチクリンが成人して尚且つ働いてるって言うんだから世も末だ」

「あのね、パウロみたいなおチビさんがなに言ってもね」

「よーし腹ごなしに100回殺す」


 パウロはいつも通りジュリアの頭を鷲掴みにし、こめかみに強い力を加えている。ジュリアは成人している女性とは到底思えない奇怪な悲鳴を上げた。いつも通りじゃれている。店のものは壊さないでねと、ニーナの切実な声が2人に届いているとは考えにくい。すっかり忘れていたパウロの注文の品を用意しながら、ニーナは小さく溜息をついた。




***




「ジェラルド王子、ヴェレーノ・ファミリーの皆様が到着なさいました」

「入ってくれ」


 執事に促され部屋に入ると、王子と呼ばれた青年らしき後ろ姿が目に入る。と言うより、風がカーテンを煽っているためか背中から下しか見えなかった。王子はバルコニーから外を見下ろし、物思いにふけっているようだ。

執事は恭しく一礼すると、部屋を後にした。


「お招きいただき光栄です、ジェラルド王子。此の度、王子の身辺警護を仰せつかりました、ジエルとテトラにございます」

「ようこそ、プリマヴェーラ王国へ。大変な任務を押し付けてしまって申し訳ない」

「我々に何なりと、……え!?」


 ジエルはその先の言葉を紡ぐことができなかった。代わりに彼らしくない素っ頓狂な声を上げ硬直している。後ろに控えていたテトラは、どうしたと駆け寄り、ジエルと同じ状態になった。くっついていたノライもきょとんとしている。


「は!?」

「え、えっと……」


 ようやく王子は振り返り、そして驚愕の表情を浮かべる。育ちの良さか、あまり顔には出さず、それでも目を見開いて静かに驚いていた。

 たっぷり20秒ほどお互いが見つめあった後、我慢できずにノライが叫ぶ。


「て……、テトラが二人いるぞ!?」


 思い出したようにバルコニーから部屋へ入るジェラルドの足取りは定まっておらず、視線はじっとテトラに集中していた。テトラもジェラルドから目が離せないでいる。

 鮮やかなオレンジの髪、顔立ち、体格……。全てにおいて2人はそっくりだった。違うのは、目つきの悪さが目立っているのがテトラ、柔和な表情をしているのがジェラルドであることくらいだろうか。初対面の人間どころか、見知った相手であっても一目では到底気づかないだろう。


「いや、驚いた……。まるで自分をそのまま複写したようだ」

「変な視線はこれのせいか……」

「すれ違う使用人さんたちがテトラに頭下げようとしてたからね。いや、でもびっくりしたなー」

「テトラって双子なのか?テトラも王子なのか?」

「ノライ、ややこしくなるから黙っててくれ」


 文句を言うノライを、脇にあったぬいぐるみ(やたら高そうなクマのぬいぐるみだ。王子の趣味だとは思いたくない)で静かにさせながら、テトラはあらためてジェラルドを見た。骨格まで似通っているのだろうか、声までそっくりだ。

 顔が似ている人間ならば見たことがある。すでに記憶の彼方ではあるが、自分の年の離れた兄とはよく似ていた。しかし、いくら血の繋がった兄とは言え、あの頃の兄と今の自分とでは体格に差がありすぎる。当然だ。過酷なマフィアの任務をこなすために鍛え上げたのだ(あまりにストイックに鍛え上げてきた所為で、脳筋なんてあだ名が密かに横行していることを、当の本人は知らない)。ジェラルドにも鍛えなくてはいけない理由があったのだろうか。テトラが王子と聞いて想像していたもやしのような姿とはまったく違う。

 そして、髪。ヴェレーノ・ファミリーには昔からのしきたりとして、盃を交わした者は自らの髪の色を捨て、全く違う色に染めるといった、よく分からない決まりがある。テトラは金髪を捨て、今の鮮やかなオレンジを選んだ。まさかジェラルドはこれが地毛なのだろうか?


「ジエルと、テトラで良いだろうか?……あと、ノライ嬢」

「あはは、テトラと全然違って王子様は物覚えがいいや」

「テトラはバカだからなー」

「うるせぇよ」


 メイドが紅茶と共に運んできた焼き菓子を、テトラは容赦なくノライの口に押し込む。おもちゃか食べ物か、ノライを黙らせるのに必要なものはどちらかだ。それでも駄目な時だけ自分が構う。今はその時ではないらしく、ノライは満面の笑みで菓子を頬張った。

 外の人間と話すのは随分久しい。明日死ぬかもしれないという危機的状況の中で、ジェラルドは心の底から笑うことができた。笑顔の力とでも言うべきか、出会って数分なのに彼らは信頼できる気がした。ひとしきり笑った後で、ジェラルドは本題を切り出す。


「叔父上から聞いているとは思うが、私は明日、王になる」

「若いのに大変だ」

「……恥ずかしい話だが、プリマヴェーラ王国は15年にわたり、王が存在しない国であった」


 ジエルとテトラに、自然と緊張が走る。普段触れることのない、他国の政治の話。ジェラルドの話は簡潔にまとめられていて分かりやすかった。先代の死後、テルツォが国の運営を任されることとなったが、お世辞にも良い政治とは言えず今に至るのだという。テルツォが国王代理に就任して以降、民衆の生活水準は日に日に落ち、明日の食糧すらままならない生活を送る者も目立つようになってしまった。

 聞きながら2人は、ヴェレーノに拾われる以前の生活を思いだす。舗装されていない土の道を裸足で歩いた。親はない。落ちている生ゴミをあさり、金を持つものを襲い、食糧の強奪だってした。毎日その日を生きるのに必死だった。異国であっても弱者の事情は変わらないのだと思うと、少し切なくなる。


「……城は豪華絢爛、王子もこんな着飾って立派なのにな」

「テトラ」

「事実だろうが」


 厳しい、しかしあまりに的確な言葉にジェラルドは俯く。だが、テトラの言うとおりだ。自国の民を思う余裕があれば、自分たち王族の生活水準を落としてでも救済ができたはずだ。

 過去に、生活の見直しをテルツォに頼んだことがあった。テルツォの答えは、王族が今の水準を保てなければプリマヴェーラ王国は衰退を加速させるであろうとの、今となって考えてみれば恐ろしく浅ましい持論。それでもと必死に食い下がった結果、十数人の使用人を路頭に迷わせてしまった。彼らはどうしているのだろうと、後悔しなかった日はない。


「……君たちを見込んで、頼みがある」


 間違いなく優秀な腕を持っているであろう二人の護衛は、王子である自分に対して物怖じをせず、正面から向き合ってくれる。そのうち一人は容姿まで自分と似ているときた。今日以上のチャンスは二度と訪れないだろう。


「テトラ!」


 それは真剣な目つきだった。そのためか、テトラは本日何度目か分からない嫌な予感を察知する。彼が身構えたのが、ジェラルドにとっては返事の代わりに睨みを利かされたのではないかと思われた。それでもこの好機を逃すわけにはいかない。意を決してジェラルドは自分と同じ顔に向き合った。


「……今日だけでいい、今日だけ!私と代わってくれ!!」


 何とも言えない微妙な空気が、流れる。真剣で熱いまなざしをテトラに向けるジェラルドに対し、ジエルは引きつった笑みを浮かべたまま焼き菓子を取り落とし、ノライは透き通った目をいっぱいに見開いてジェラルドをガン見するしかできなかった。


「はぁ!?」


 テトラ本人は当然の反応を返す。目の前の男はいきなり何を言い出したのかと、呆然としている。ジェラルドは発言できたことに達成感を覚え満足すると、3人の様子など気にも留めず、優雅な手つきで紅茶を一口啜る。喉を潤すと、先ほどよりも饒舌になった気がした。


「実は、王位継承が決まるまでは、お忍びで一人市街を歩きまわっていたのだ」


 これはどういう話の流れだろうか。とんでもない一言を聞いたテトラはただただ呆れるしかできなかった。でなければ頭を抱える羽目になりそうだ。


「おい、こいつ、めちゃくちゃだぞ……」

「民の暮らしを見たかった!……それに、小さなカフェテリアに愛らしい娘がいた」

「下心丸出しで通ってんじゃねぇか!」

「振られたが」

「知るかよ!死ぬほどどうでもいい!!」


 テトラは疲れ果てた。もう帰りたかった。常識が通じる奴を連れてこいと、心の中で願う。残念ながら当分、その願いは叶いそうもない。

 隣でジエルは楽しそうに、にこにこと焼き菓子を堪能している。なんだ、似た者同士じゃないか。顔や姿だけでなく、身分をかえりみず無茶をするところまで、テトラとジェラルドはよく似ている。その無茶で人が散々苦労しているとも知らないで、いつになったらこの正義漢は少し落ち着いてくれるのだろう。


「王位継承が決定されてからは監視の目が厳しくなってな……、でも、もう一度見ておきたいのだ。王となる前に、この目が曇る前に、プリマヴェーラの現状を知っておきたいのだ」


 とんでもないスキャンダルまで飛び出したものの、ジェラルドは話を綺麗にまとめてみせた。つまり、テトラに了承させようと働きかけている。頭脳派のジエルは気づいたが、残念な頭をしているテトラが気づくはずもなかった。

 しあわせな国だと思う。国王となる人間が、必死に国民のことを思い、危険を気にせず一人で巡回していたのだ。テトラには協力したいという気持ちが山ほど芽生えつつあった。だが、あまりに状況が悪いのだ。


「でもな……、殺害予告の前日だぞ?」

「それは」

「お前から暗殺者にチャンス与えてどうすんだよ」


 心配そうな面持ちをしたテトラは、怒っているわけではない。ただ純粋に王子の身を案じていた。護衛のために来ているのだ。そうでなくても立派な王へとなるべき男を、どこの馬の骨とも知らない人間に殺させるのはあまりに惜しい。


「いいじゃない、予告は今日じゃないんだから。代わってあげなよ?」

「ジエル?」


 何かたくらんでいるような、意味深な笑みを浮かべながらジエルは紅茶を啜った。まずい。テトラは反射的に身構える。


「俺がついてたらいいんでしょ?それに今回は身代わりのテトラがいるんだからバレることもないって」

「いや、だから、あのな?」

「それともなに?ちゃんと演じきれないのが怖いの?テトラは演技下手くそだもんねー」

「この詐欺師!テトラをいじめるなー!」

「……舐めんなよ」


 ほら、乗った。笑いを押し殺しながら、ジエルはさらに畳みかける。


「無理にとは言わないよ、やっぱり危ないしね。テトラの短気も心配だし?」


 完璧だ。これで完全に落ちた。心配そうに、何か言おうとするジェラルドをそっと制し、ジエルは作り笑いを顔に貼りつけてテトラの次の一声を待つ。


「……王子なんざ!一日中そこに座ってふんぞり返ってるだけだろうが。やってやるよ完璧になりきってやるよ!」


 思い通りの結果になり、ジエルは心の中でガッツポーズを決める。

 なんて簡単なんだろう。共に過ごした時間が長いこともあり、ジエルにはテトラの感情の動きくらい手に取るように分かる。それに今回はテトラ自身、ジェラルドに協力したい気持ちがあることも分かっていた。ならばそれを止める理由がない。ジエルの、テトラに対する信頼の表れでもあった。2人で組めば何でもできる。現にそうして生きてこられた。


「よし、決まりだね。さあ二人とも、お互いの服を交換しなくちゃ!」


 ここでテトラはようやく気づく。ジエルにしてやられた、と。もう遅かった。スーツのボタンに手を掛け、テトラは本日一番長い溜息をついた。


「ふ、ふふ、あはは!よく似合ってるよテトラ、王子……、ふふふふ…!」

「どこからどう見ても私だ!完璧じゃないかテトラ、じゃない、ジェラルド王子!」

「俺の顔と俺の姿でその喋り方してんじゃねーよ、ぶっ殺すぞ」


 絶対に鏡を見たくない。目に入るのは純白の生地に金の糸で豪華にあしらわれた刺繍。そして臙脂色のいかにも高級そうな長いマントだ。何が悲しくてこんなコスプレ紛いのことをしているのだろうか。かと思えば、目の前には自分がいつもの恰好をして立っている。鍛え抜いた自分の体にぴったり合わせてあつらえたスーツが、何の違和感もなく他人に着られている。少しショックだった。


「では、行ってくる。留守は頼んだぞテトラ、じゃない、ジェラルド王子」

「駄目だよー王子様。テトラはもっとこう眉間に深く皺寄せて……そうそう似てる似てる、ってあれ?こっちがテトラだったー」

「訳わかんねぇからさっさと行け!このすっとこどっこい共!!」


 楽しげに出ていく二人を力なく見送り、ここがアウローザと離れた場所で本当によかったと泣きたくなる。あんな姿を知り合いに見られては、翌日以降が地獄と化すだろう。

 玉座に腰掛けると、膝にノライが座りに来た。そろそろ相手をしてやらねばと、何度か頭を撫でる。ノライはジェラルドが装備しなかった銃をテトラに見せる。


「テトラ、銃どうするんだ?この服、かくせないぞ」

「確かに……。ノライ、持ってろ」


 持って行っていたとしても、ジェラルドには扱えなかっただろう。テトラの愛銃は、人を殺すために彼自身が改造を重ねたオリジナルだ。彼とは大人と子供くらい身長差のあるノライが、軽々とこの銃を持ちあげているという事実は、彼女のポテンシャルの高さを裏付けている。


「テトラはわたしがいないとなんにもできないなー!」

「……はいはい、感謝してますよー」




***




 ティーカップを持つ指が震えた。落ち着かない。ジエルに頼まれ、城の内部を把握するために使用人に案内してもらったが、大した収穫もないまま来客用のティールームに通されてしまった。これが相手の礼儀なのだから仕方ない。

 それにしても広いティールームだ。変な音を立てないようにと妙な力が入って、メルカは紅茶をなかなか飲めずにいた。


「大丈夫ですよ」

「あ、ごめんなさいリコルさん。なんか、緊張しちゃって」

「毒は入っていませんから」

「へ?」


 素っ頓狂な声が思った以上に響き、メルカは一人赤面した。とんでもない発言をした張本人は素知らぬ顔で紅茶を啜っている。カップを置くとリコルは、様子をうかがう使用人らしき男たちを眺めて不敵に笑った。


「最初からおかしいと思っていましたよ。ロイヤル・ファミリーはあまりに苦しい。あんな嘘に騙される馬鹿の面を拝んでみたいものですね」

「あのー、それ私に言ってますか……?」

「狂言ついでにヴェレーノを消したい連中といえばせいぜい3つくらいまで絞り込めますが、場所が悪いですねぇ。特定するのも簡単でした」

「ヴェレーノを消したいなんてそんな!」

「決定的だったのは使用人の中に紛れ込んだエージェント。駄目ですよ、マフィアを騙したいならばその上をいかないと。血なまぐさい品の無い姿を露呈していては僕だけでなく全員にバレています」

「……ごめんなさい、全然わかってませんでした、はい」


 会話になっていない。いや、参加させてもらっていない。目の前で紅茶を啜るリコルには、メルカと会話をしている感覚すらない。あくまでも目の前で血相を変えている男たちに対しての言葉だった。皮肉屋の彼らしく、たっぷりの嫌味をこめて。


「そこまで見抜いておられるとは」


 メルカは立ち上がり、身構えた。男たちの後ろから現れた、背の高い上品そうな男。しかしその姿は昔映画で観たマフィアそのもので、いくら諸事情に長けていないメルカであっても、彼が使用人でないことくらいは容易に想像できる。男が懐に銃を忍ばせていることも。


「銀は悪目立ちが過ぎますからね、僕の趣味に合わない」

「いやはや、片田舎の自警団に埋もれているのは勿体ない逸材だ。こちらに来てくださると言うならば、給料は倍額出しますよ」

「おやおや、随分と安く見られたものですね。あなたごときが僕を雇う?」


 リコルは立ち上がると眼鏡の位置を正した。それを合図にその場の男たち全員が銃を構える。逃げたい。震えるひざを何度か叩き、メルカは男たちを睨みつけた。リコルは、そんなメルカを含めこの場にいるすべての人間を嘲笑うかのように口元を歪め、一言を放った。


「寝言は寝てからどうぞ、不愉快です」

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