10-13
10-13
「セッ」
2m近くある巨体を頭上まで抱え上げ、そのまま後ろへ叩き付ける。
プロレスのブレーンバスターに近いが、投げた方は倒れた相手を後方宙返りで飛び越えた。
「なんだ、それは」
呆れ気味に笑う屋神。
豪快なスープレックスを見せた三島は、頬に付いた返り血を拭い小さく息を付いた。
「さて、残ってる奴は」
「俺で最後だ」
今の男程ではないが、かなりの巨漢。
横幅のみで言えば、こちらだろう。
「じゃあ、俺が」
「順番なら、俺だろ。ほら、下がって」
強引に屋神を下げさせ、低い構えを取る塩田。
目尻は赤く、頬にも傷が目立つ。
右足は引きずり気味で、左手は殆ど上がらない。
「手加減、しないぜ」
「俺もだよ」
スナップの利いたジャブをヘッドスリップでかわし、カウンターのショートアッパー。
鳩尾にめり込む膝に手を掛け、そこを軸にひねり気味の肘打ち。
さらに相手の背後に回り込み、膝裏へローキック。
「ちっ」
脇腹を押さえ距離を取る巨漢の男。
塩田は足を引きずり、それに反応しきれない。
引いていた相手が、突然タックルに来る。
足元を掴まれ、後ろ向きに倒れる塩田。
一気にマウントを取りに掛かる男。
だがその首に塩田の足が絡まり、逆に引き倒される。
「そこまでだ」
男の鼻先で止まる拳。
塩田は手を差し伸べ、巨漢の男を立ち上がらせた。
「怪我人に負けるようじゃ、俺も終わったな」
「スピードの差だよ。殴られるより前に勝負を付ける、という意味でも」
「なるほど」
男は塩田の胸元を軽く拳で叩き、背を向けた。
「30人がかりで、全員負けとはな。来るんじゃなかったぜ」
「この後はどうする」
真剣みを帯びた屋神の問い掛け。
最初に彼と戦った革ジャンの男が、腕を押さえながら答える。
「俺達は、もう荷担しない。だが、お前らの仲間を襲った連中。そいつらは、これからも仕掛けてくると思えよ。そういう性格の奴らだし、雇い主もそのつもりだろう」
「忠告か。人がいいな」
「怪我の治療代代わりだ。人の事言えないけど、早く医者行けよ」
「ああ」
肩を貸し合い、笑い合い。
男達は去っていく。
復讐に燃える事もなく、捨て台詞を残す事もなく。
その胸元を軽く叩く仕草だけを残して。
彼等の姿が無くなった途端、塩田と屋神は三島に寄りかかる。
「重いぞ」
「いいから、医療部まで行ってくれ」
「一人10人は、無茶だって。骨、折れてないかな」
「俺も、新妻達の護衛に回ればよかったぜ。あっちなら感謝されて、お礼の一つもされるのに。こっちは色気もなんにもない」
愚痴る屋神。
三島は二人に肩を貸し、意外な程の早足で歩き出す。
「お、おい。早い」
「あ、あんたは怪我してないからいいけど、俺達は」
「弱いのにやるからだ」
「な、なにっ」
いきり立つ屋神と塩田。
しかしそのペースと痛みのせいで、反撃も何もないらしい。
「お、お前、後で話があるからな」
「痛いー」
「分かったから、少し黙れ。左右で喋られると……」
三島は突然足を止め、二人を後ろへ下げた。
両手を顔の上下に据える、独特のスタイル。
夕闇に重なる赤いオーラ。
塩田が言った通り顔には殆ど傷が無く、頬がやや赤くなっている程度。
実際相手の攻撃は、殆ど受けていない。
以前沢が指摘したレベルの違いは、まさに正鵠を射ていたと言える。
「俺だよ、俺」
草むらから、軽い調子で現れる林。
その傍らには清水もいる。
「なんだ、お前ら。今頃やりに来たのか」
のんきな口調で尋ねる屋神に、林は嬉しそうに笑った。
「それは面白そうだけど、峰山君に頼まれてね。取りあえず君らを護衛するようにと」
「あいつが?あんたらと、知り合い?」
「塩田君、怒らない。さっきの連中はともかく、別グループがまだいないとも限らない。さあ、急ごう」
「分かった」
二人を支え、早足で歩き出す三島。
上がる叫び声と怒号。
夕日は遠くにかすみ、全てを淡い赤に染めていた……。
医療部診察室。
派手に包帯を巻かれる屋神達。
室内にあるベッドには、伊達や阿川達も座っている。
「またケンカかい」
たしなめるような口調を取る、やや額の薄い医師。
胸元のIDには「緑」という名前が書かれている。
「他に、怪我してる人は」
「いえ。ただ、彼女がちょっと疲労気味で」
一番後ろにいた新妻を、強引に押し出す涼代。
天満も、その背中を押している。
「IDをちょっと。……定期検診でも異常は無し。取りあえず、診察しようか」
「え、でも」
「女医もいるから大丈夫だよ。スージー、彼女を頼む」
その呼び掛けに、ブロンドヘアの若い女性がカーテンの向こうから出てきた。
「この子を診てあげて。診療記録は、IDに入ってるから」
「分かったわ。えーと、新妻さんね。向こうに行きましょうか」
「はい」
緑に頭を下げ、綺麗な女性の後についていく新妻。
その後を追おうとした屋神は、天満の頼りないローキックを喰らってうずくまった。
「お、お前な」
「足りませんか」
その顔に、かかとを近づける中川。
涼代は催涙スプレーを、山下も革製のグローブを付けようとしている。
「冗談だ、冗談。なんだよ、あんな先生いるなら俺も向こうに診てもらいたかったぜ」
「悪かったね、僕が相手で」
苦笑する緑に、全員が思わず笑い声を上げる。
「……触診と問診では問題ないみたいだね。採血などのデータも、異常は見られない」
別室から送られてくるデータを読みとっていた緑の言葉に、今度は安堵の声が上がる。
「ただ体調は悪いようなので、今日は入院してもらう。いいね」
「はい」
頷く涼代と天満。
中川は何となく遠い目で、壁を見つめている。
「君も、疲れてるのかな」
「え?わ、私は別に」
「そう。まあ君達は思春期だからね。悩みの一つや二つはあるよ」
自分で言いながら、自分で笑う緑。
他の者は中川も含め、黙って耳を傾けている。
「君達が何をしているのか詮索する権利は、僕にはない。ただ危険が及んでいると判断した場合は、即座に警察へ連絡を取る。君達の意志に関わらずだ」
「はい」
「君達が何かを思って行動しているように、僕も医師という仕事に信念を持っている。そのためには恨まれようとどうされようと、その信念は貫くよ」
静まりかえる診察室。
そして下がる視線。
語り過ぎたと思ったのか、緑は苦笑して席を立った。
「新妻さんの診察も、もう終わってる。今日は全員、ゆっくりと休みなさい」
草薙高校医療部内の施設。
緊急入院用に設けられている、幾つかの病室。
その一室だけに明かりが灯っている。
並行に備え付けられた、白いシーツの掛かる二つのベッド。
それを仕切るカーテンは開け放たれ、淡いクリーム色の壁が照明に薄く輝いて見える。
窓に降りる白いカーテン。
エアコンの緩やかな風に揺れている。
「暑くないですか」
「ええ、ありがとう」
布団を掛けられ、優しく微笑む新妻。
中川は首を振り、そのベッドサイドに腰掛けた。
「私まで入院しなくてもいいのに。こんな退屈な所に」
「私は、いつもの事だけれど」
「あ、済みません」
「冗談よ」
微かに上がる笑い声。
だがそれも、すぐに消えていく。
「杉下さんは、やっぱり裏切ったんですか」
「考え方の違いよ。彼は学校側の意見が正しいと思った。私達は自分達が正しいと思ってる」
「本当に、そう思ってます?そう割り切りたいという、願望じゃないんですか」
ひそめた声は力強く。
上目遣いの視線は、熱がこもっている。
「でも私達の居場所が漏れたのは、彼からよ。その意図は、ともかくとして」
「どちらにしろ、もう違うんですね。私達は、別々なんですね」
「道は一つよ。私は、そう信じてる」
握られる手。
込められる力。
伝わる思い。
全てはその中に溶けていく。
「何も考えないで、眠りなさい」
「とても、そんな気分には」
「仕方ない子ね。ほら」
その手を引き、中川を引き込む新妻。
呆気に取られる彼女に微笑みかけ、灯りを消す。
「いい年して、添い寝ですか」
「泣く子には、そうするものよ」
「経験上?」
「ええ、経験上」
薄闇の中に広がる笑い声。
切なさも、悲しさも、虚しさも。
その中に、溶け込んでいく……。
予算編成局。局長執務室。
応接セットで向かい合う杉下と間。
その間にあるテーブルには、疑似ディスプレイが浮かび上がっている。
「終わったね」
「ああ。君達の勝ちだ。俺が漏らした情報も、結局は君達の価値を上げたに過ぎない」
「これから、どうする」
「話す理由は無いだろ。君と俺は、敵なんだから。君達と俺、かな」
自嘲気味に笑う杉下。
間は席を立ち、固めた拳を壁に叩き付けた。
「おい」
「俺が何も出来ないから、君にまで迷惑を掛ける。みんなにも……」
「考え過ぎだ。それに俺の裏切りなんて、みんな分かってただろ」
「だからこそ、俺はっ」
再び叩き付けられる拳。
飛び散った血が、彼の頬を濡らす。
「らしくないな。何を熱くなってる」
「自分の馬鹿さ加減にだよ。仲間を集めて、上手く行った気になって。結局はこれだ。みんなに迷惑を掛けただけで、何も……」
「俺は俺の意志で行動してる。その責任は自分で取る。みんなもそのつもりさ」
「だけど、俺は」
壁に当たる拳。
力無い、あまりにもか弱い力。
間は血塗れの拳を握り締め、ドアへと歩き出した。
「これから、どうする」
今度は杉下が、同じ問いを繰り返す。
「俺も、自分の責任を取る。それだけだよ」
「そうか。次に会う時は、敵としてだな。今度こそ、本当に」
無言のまま部屋を出ていく間。
ドアが閉まり、疑似ディスプレイも消える。
「これから、か」
笑い気味に呟く杉下。
固められた拳が壁に向かうが、それは寸前で止まる。
赤く濡れた、壁の前で。
杉下はそれでも、痛さを堪えるように拳を押さえた。
苦しげに、切なげに……。
「裏切りね」
軽い調子で呟く林。
しかし、それを聞く者達の表情は一様に重い。
「お前はどうなんだ」
「一応は中立さ」
あくまでも林の態度は軽さを含んでいる。
はぐらかされたとは言わないまでも、鋭い切っ先も軽く受け流されるかのようだ。
「今日はどうにかなったけれど、年明けからは学校も本腰を入れてくる。俺なら学校と妥協して、適当にやるけどね」
「俺達にも都合がある」
「辞めていった者達への義理立て?でもその人達は、君達へ累が及ばないように犠牲になったんだろ。それじゃ、本末転倒だよ」
「なんとでも言え」
包帯の巻かれた拳をテーブルに叩き付ける屋神。
その衝撃で、乗っていたグラスやマグカップが宙に浮く。
「屋神君、落ち着いて」
「落ち着いてられるか。杉下は裏切り、新妻と中川は入院。俺達はこの様だぜ」
「仕方ないわよ。そういう道を、私達は選んだのだから」
「仲間に犠牲を強いる道か。ったく」
舌を鳴らし、腕を組む屋神。
涼代は小さく肩をすくめ、壁にもたれている伊達へ顔を向けた。
「座ったら?顔色も悪いわよ」
「元々こういう顔だ」
「あら、ごめんなさい」
その台詞に、微かな笑い声が起きる。
あくまで、微かな。
「結局君達のやっているのは、自己満足だ。今は自分達だけで済んでいるが、来年度までこんな事をしていたら一般の学生にまで被害が及ぶ」
「だからなんだ。学校の言いなりになれって言うのか」
「選択肢の一つとしては、存在する。プライドだけで人は生きられない」
はっきりと言い放つ清水。
屋神はその鋭い眼差しをはじき返し、拳をもう一度テーブルにぶつけた。
「お前の言ってる事は分かるし、正しいさ。その方が被害が少ないってのもな」
「それで」
「馴れ合いっていうのは、年寄りになってからやる事だ」
低い、そしてラウンジ内に響く声。
顔を伏せ気味の全員が、それを上げる程の。
「馬鹿に付ける薬はない。峰山の方が余程利口だ」
「馬鹿で結構。そういうのは、他の連中に任せるぜ」
「俺も」
にやりと笑い、包帯の巻かれた拳を重ね合う屋神と塩田。
清水のみならず、大山も呆れ気味にため息を付いている。
「なんだよ」
「峰山君の行動は道義的にはともかく、今言われた通り選択としては悪くありません。他にも何か、企んでいるようですし」
「どっちつかずのコウモリ野郎だろ」
「賢明な生き方とも言います。玉砕覚悟で突っ込むよりは、余程ましですよ」
辛辣に返す大山。
塩田は鼻を鳴らし、ソファーの背もたれに崩れた。
「で、二人はどうするの」
いつも通り脳天気な口調で尋ねる天満。
しかしその下がり気味な眼差しは、確かな理性を湛えている。
「君達の監視と、状況によっては介入。それは変わらない」
「一緒に動けばいいじゃない。そうすれば監視も楽だし」
「ありがたい言葉だけど、仲間と思われても困る。君達に情を移してしまいがんじがらめになるのも、十分に考えられるしね」
笑いかける林に、天満は見抜かれたという顔で応える。
「あなた達は1年生なんでしょ」
「一応、編入試験には受かってるよ」
「草薙高校の生徒として、思うところはないの」
「痛いところを付くな」
微かに口元を緩める林。
涼代は澄んだ眼差しで、彼を見つめている。
「ただ傭兵としては、契約が第1でね。理事長が何を思って俺達を入学させようとしたのかはともかく、契約した以上任務は全うする」
「私達に協力しても、任務は果たせるんじゃなくて」
「確かに、それは止められていない。だけど、フェアでもない」
「誰に」
「君達の仲間、杉下さんに」
形になる言葉。
顔を伏せる一同。
平静を保っているのは伊達と清水、後は大山くらいだろう。
「君達の仲間になり、彼と敵対するとしよう。仮に彼と意見が対立する場面になれば、俺は杉下さんを容赦なく叩きのめす。それでもいいかな」
「無理ね。あなたがではなくて、私達の心情的に」
「そういう事。心配しなくても、今の理由で杉下さんにも付かない。状況が変われば、別だけれどね」
軽い身のこなしで立ち上がった林は、鼻歌交じりでラウンジを出ていった。
「痛い」
「格好付けるからよ」
「一応俺も、男だからね」
「理由になってないわ」
苦笑して、それでも阿川に肩を貸す山下。
お互い傷ついてはいるが、その程度は阿川の方がひどい。
足は引きずり気味で右腕は肩から吊られてあり、顔中にガーゼが貼られている。
「申し訳ありませんね。せっかくのクリスマスに、俺なんかを担いでもらって」
「本当。お礼のプレゼントでも欲しい所よ」
「考えておきます」
どこかが痛むのか、顔をしかめる阿川。
山下が心配そうに、その顔をのぞき込む。
「大丈夫?」
「まあね」
「あなたも、入院してればよかったのに」
「屋神さん達が訳ありみたいだったから、あそこにいてもと思って」
「それは分かるけど。本当に、格好付けて」
山下は肩を担ぎ直し、彼の手をそっと指先で触れた。
赤くあざになった手の甲。
彼女を警棒からかばうために出された手。
阿川はそれに気付かないのか、辛そうに顔を歪めている。
単なる怪我の苦痛ではない程に。
「左古さん達の事を考えてるの?」
「俺だって、少しくらいは先輩を思う気もあるさ。風間達を転校させたのは、こうなるのを予想してたのかな」
「血の気が多いものね、あの子」
苦笑。
信頼と、親しみと。
切なさを込めた。
街灯の向こうに消えていく笑い声。
もう一つの仲間のストーリーが、小さくもそこにはあった。
年明け。
テストも終わり、後期日程も残りわずか。
学校へ来る学生は普段の半分以下で、授業への出席する者はさらに限られてくる。
単位の取得と進級がほぼ確定している者は、旅行や個人的な遊びに勤しんでいる頃だろう。
そのため学内にいるのは、固い考えを持つ者や進級の危ない者という両対照な学生。
またはクラブに所属する者。
後は委員会や生徒会の関係者となる。
「襲われた?またか」
「軽くあしらったけど、どうに参るね」
言葉の割には平然とした態度の塩田。
屋神は頬杖を付いて、隣に傍らに控えている大山を見上げた。
いつもの総務局長室ではなく、今日は自警局長室に集まっている。
屋神の本来の役職は自警局長なので、これが普通なのだが。
「学校側とコンタクトは取れたか」
「関係なしの一点張り。間さんも会合や報告書提出の際に言及していますが、逃げの一手ですね。証拠らしい物も、これといってありませんし」
「その内飽きるって。それに俺は、別に困ってない」
「お前はな。でも、女達は違うぞ」
屋神の真剣な眼差しに、塩田が顔を背ける。
それでも自分の発言や考えを撤回する気は無いようだ。
「杉下は」
「例によって、非協力的です。接触はおろか、場合によっては向こうのガーディアンが襲ってこない勢いですよ」
「あの野郎。一度、意見してやらないと駄目か」
「お前が先走ってどうする」
重い、巌のような声。
三島は黒いシャツの袖をまくり、木枯らしの吹きすさぶ窓の外へ目をやった。
その表情から、彼の気持ちを読み取る事は難しい。
「峰山小泉両名も、学校側と接触しているようですし。彼等は生徒会と予算編成局の人間ですから、当然といえば当然ですが」
「どうでもいい、あんな連中は。勝手にやってろ」
裏拳を壁に叩き付ける塩田。
間や杉下とは違い、鮮血ではなくコンクリート片が辺りに飛び散る。
「壊すな。結構脆いんだぞ、それは」
「どうして屋神さん知ってるの」
「次は実費だと、この前杉下にすごまれた」
一カ所だけ綺麗になっている壁を指さす屋神。
丁度彼の拳が繰り出しやすい位置でもある。
「中が空洞なんだ。手抜きじゃなくて、よく分からんが新理論の耐震構造なんだとか」
「振動を内部の空気で吸収して、反復する揺れを逆に送り返すんです。理論的にはまだ研究段階ですけどね」
「お、おい。そんな壁で、大丈夫なのか」
「何事も実践ですよ」
さらりといってのける大山。
屋神は嫌そうな顔で壁を睨み付け、机にその長い足を乗せた。
「伊達、お前は帰省しないのか。一週間くらいならいいんだぞ」
「その言葉は嬉しいが、任務が優先だ」
「固い男だね、あんたは。気楽にやれよ、気楽に」
軽く笑って伊達の肩を抱く塩田。
彼の方は相変わらずの無表情だ。
しかしそれは不快感の表れやそれを相手に感じさせる物ではない、もっと涼しげな表情である。
「お前がいいならかまわんが。大体、年末年始なにしてたんだ」
「三島さんと、少し釣りを」
「こいつと?なんだ、それ」
無表情で塩田を見つめる二人。
そしてそのまま、お互いに見つめ合う。
言葉はないが、二人には理解出来る何かが伝わっているようだ。
「訳分からん。せいぜい、ホモじゃないのを祈るよ」
「おい、あのな」
「冗談だ。しかし男ばっかで、色気無いなー」
と、屋神が嘆いていた頃。
草薙高校内の温水プール。
水泳部が使用する所とはまた別な物で、授業後は生徒や近所の子供達の歓声で溢れている。
しかし今は学校が休みに近い状態という事もあり、閉鎖中。
のはずだが。
「熱いー」
赤ら顔でプールサイドに這い上がってくる天満。
紺のスクール水着に近い格好だが、胸元はかなり開き気味だ。
彼女が上がってきた場所には、新妻がパーカーを羽織ってプールに足をつけている。
「泳がないんですか?入ってるだけも楽しいですよ」
「私は見てるだけで十分」
「あ、済みません」
天満はペットボトルを両手で押し頂き、一礼して口を付けた。
「屋神さん達も誘えばよかったですね。運営企画局の権限で、貸し切り状態ですし」
「たまには女だけなのもも、いいんじゃないのかしら」
「まあ、そうですけど。気楽ではあります」
大胆に足を開き、水の中で動かす天満。
その意味は分からないが、彼女は楽しいらしい。
「いつまでも、こうだといいわね」
澄んだ、奥深い湖のさざめきのような声。
水しぶきのきらめきに消えてしまうような。
透き通った言葉。
「ずっとこのままですよ。私は、そう信じてます」
笑いながら答える天満。
迷いのない、なんの疑いもない口調。
新妻は微かに笑顔を見せ、ガラス張りの天井を見上げた。
降り注ぐ冬の日差し。
周りに守られた、穏やかな環境。
心地よい、ぬくもり。
「そうね。私も、そう思いたい」
「え?」
「来年はあなたも2年。いつまでも私の後ばかり付いてもいられないわよ。今度からは、あなたも先輩になるんだから」
「え、ええ。まあそうですね」
慌てて頷く天満。
聞き返した事など、その戸惑いで消えてしまったようだ。
「嶺奈ー」
「ほら、凪さんが呼んでる」
「たまには、先輩もどうぞ」
「仕方ないわね」
新妻は苦笑気味にパーカーを脱ぎ、その華奢な姿を冬の日差しに見せつける。
白く長い手足と、少女の面影を残すボディーライン。
白のワンピースはしなやかな動きで、水面へと消えていく。
「さすが」
感心する天満の傍らへ、息を荒くした涼代がやってきた。
赤のビキニという、意外に大胆な格好である。
「あの子、元気過ぎる」
「最近ストレスが溜まってますからね。先輩と競争でもすればいいんですよ」
「観貴ちゃんって、泳ぎ得意なの?」
「お医者さんに勧められて、ずっとやってるそうです。そのおかげで、体力が付いたとか。それに先輩相手なら、凪ちゃんも無茶はしないと思います」
「そう。とにかく、私はもう」
ため息と共に、プールサイドへ腰を下ろす涼代。
天満から渡されたペットボトルを一気に飲み干し、満足げに首を振っている。
「彼女、少しは元気になったみたいね」
「凪ちゃんですか」
「ええ。この間、観貴ちゃんと話をしたのがよかったみたい」
「先輩はそういう人なんです」
自分が誉められたかのように、胸を反らす天満。
涼代は苦笑して、その肩に触れた。
「そんなに好きなの?」
「好きというか、尊敬してます。勿論涼代さんや屋神さんも立派ですけど、先輩は別格なんです。偉いんです」
「あなたの企画を実現してくれるから?それとも、努力を惜しまない人だから?強い信念を持つ人だから?」
「さあ。とにかく、尊敬してるんです」
はっきりと言い切られる、曖昧な一言。
そして彼女の表情は、先程と同様迷いはない。
「観貴ちゃんも辛いわね。そう入れ込まれると」
「慣れたって言ってましたよ」
「あ、そう。あの子もちょっと変わった子だものね」
「変わってません」
睨み付ける天満を涼代は笑顔でかわし、プールの中央で水を掛け合っている二人を見つめた。
屈託のない笑い声と、弾けるような笑顔。
差し込む日差しは穏やかで、春の日の中にいるようで。
「だけどまだ、冬なのよね」
「え?そんなの当たり前じゃないですか。どうしたんですか、急に」
「改めて、確認したかっただけ。それにしても、女の子同士っていうのも味気ない」
「気楽ですけどね」
何となく悪そうに笑う二人。
そしてその頃。
生徒会特別教棟前。
荒い息と、ぶつかり合う肉体。
苦痛の呻き声が、辺りに響く。
「うぁーっ」
上がる砂煙、頬を伝う汗。
叫び声は、さらに大きくなる。
「や、やめ……」
「押しくら饅頭っ、押されて泣くなっ。押しくら饅頭っ、押されて泣くなっ」
笑い気味の掛け声と、後ろ向きで腕を組む男達。
その間に挟まれた塩田は逃げ出そうと必死にもがいているが、このメンバーでは不可能だろう。
「面白いな、これ。いい汗かくぜ」
「暑い」
「何で俺まで」
三者三様の感想。
しかし塩田の声が聞こえなくなったので、彼等はその包囲をようやく解いた。
「し、死ぬ……」
「大げさな事言うな。あばらは折れても、すぐにひっつく」
「あのさ」
塩田を起こした屋神は、その視線を動かしていく。
と同時に走り出す伊達。
「遅いっ」
いつの間にか彼の前に現れる塩田。
驚く伊達の腕を掴み、すかさず屋神の前へと突き出す。
「次はこいつだ。無口な男の叫び声を、寒空に響かせようぜ」
「お、おい。俺は」
無言で後ろになって腕を組む男達。
陽気な掛け声が、足踏みと共に上がり出す。
そしてその後も、幾つかの違う叫び声が特別教棟前へと響き渡った。
つかの間の、休息の時は過ぎていく……。
「また襲われた?」
「寮の玄関を出た途端、がつんと。日に日に回数が増えてくる」
「特にお前は目を付けられてるな。何か、やったのか」
「心当たりが無い訳でもない。ほら、屋神さんが顎を蹴った男。良く考えて見たら俺、あいつの前歯を全部折ったから」
肩をすくめる塩田。
屋神は机から立ち上がり、軽く伸びをした。
「しかし、いつまで仕事するんだよ。ガーディアンなんて、来期まで必要ないだろ」
「まあな。ただ多少は学内に人が残ってる。完全な休みになるまでは、我慢しろ」
「襲われるのも?」
「それが向こうの手だ。こっちからつっかって行けば、それを逆手に退学させられる」
「ちっ。それが教育者のやる事かよ」
執務用の机に腰を下ろした塩田は、その上にあったフォトスタンドを手に取った。
「河合さん達は、それが分かってたのかな。ここにいたら我慢しなくちゃいけないって。勿論辞めるのも勇気がいるけど、我慢するのも俺はちょっと」
「辞めてどうする」
塩田は押し黙り、屋神もそれ以上は何も言わない。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
ようやくの一言。
屋神は塩田からフォトスタンドを受け取り、軽く指で弾いた。
「ここで俺達が辞めたらどうなる。全てが無意味だ。河合達の気持ちも、俺達の今までしてきた事も」
「河合さん達の分まで頑張れって?」
「まあな。それに、そうでも思わないとやってられなくなる。人を辞めさせておいて、仲間割れなんて」
自嘲気味に呟き、フォトスタンドを机へと戻す。
塩田はやるせない表情で、拳を机にぶつけた。
「壊すなって言ってるだろ」
「だって、そんなの。辞めるな、我慢しろ。じゃあ何するんだよ」
「さっきも言った通り、完全な休みに入れば落ち着く。それまでは耐えろ。学校側は俺達を挑発して、退学させるつもりなんだぞ。それか最低限でも、執行部の全員解任だろうな」
「俺は困らない。好きで副代表をやってる訳じゃないし」
「みんなもそれは困らないさ。だけど始めたからには、責任って物があるだろ」
「何の」
距離を詰める両者。
ぶつかる視線。
お互いそれを逸らす事はない。
「ガキじゃないんだから、少しは状況を見ろ。退学してどうする。今の役職を解かれてどうする。それは学内を混乱させて、学校に管理案を施行させる口実へとつながるんだぞ」
「俺だって、そのくらいは分かる。でも、だからって何でずっと我慢してないと駄目なんだよ。襲ってるのは学校って分かってるのに。証拠なんて、ここまで来たら関係無いだろ」
「そうやって突っ走る人間が出てくるのを、学校は待ってる。お前はどうなろうといいかもしれないけど、他の連中はどうする。自分のせいで涼代が退学になっても、平気か」
「それとこれとは」
「同じ話だ。今日は帰って、頭を冷やせ。以上だ」
昼下がり。
男子寮へと続く、草薙高校内の小道。
生徒の姿はほとんどなく、冷たい冬の風が木の枝を揺らしている。
その中を、背を丸めて歩く男。
足元に、ワイヤーが掛かる。
ワイヤーは足全体へとからみつき、男は地面にと倒れ込む。
「簡単に掛かったな」
「随分手こずったって言うから、どんな奴から思ったら」
「馬鹿だ、馬鹿」
木の陰から、警棒やバトンを担いだ男達が現れる。
侮蔑と敵意に満ちた表情。
一人の足が、床に転がる男の脇腹へと突き進む。
「同時に上がる、叫び声。
塩田は足首を極めたまま男を地面へ叩き付け、バラバラになったワイヤーを払いながら立ち上がった。
「て、てめぇ」
「やれっ」
一斉に飛びかかる男達。
3方向から打ち込まれる警棒。
飛び散るスタンガンの火花。
軽く飛び上がった塩田は男達の手首に足を乗せ、その体勢で低い回し蹴りを放った。
顔をしたたか蹴られ、声も上げず倒れる男達。
スタンガンの乾いた音だけが、虚しく辺りに響いている。
「これでも、まだ我慢してろっていうのか」
唇を噛みしめ、呟く塩田。
その声は、冷たい冬の風にかき消される。
背を丸め再び歩き出した彼の前に、今度は数名の女が現れた。
愛らしい顔に浮かぶのは、天使もかくやという柔らかな笑顔。
「誰」
「あなたのファン。って言ったらどうする」
「は?」
困惑気味に聞き返す塩田。
その体が、またもや地面へ倒れる。
「気を抜き過ぎね」
警棒を背負い、薄く笑う女。
そして塩田に笑い掛けた女達も、嬌声を上げながら駆け寄ってくる。
「やり過ぎじゃない?」
「女だからって、油断する方が馬鹿なのよ。油断しなくても、私はやられないけど」
「さすが恭夏。遠慮がないんだから」
「それがいいのよ。もう、私惚れ直しちゃった」
悪びれる事のない、楽しげな雰囲気。
塩田を一撃で倒したロングヘアの女は、鼻で笑い顎を軽く振った。
するとどこからか、数名の男が駆け寄ってくる。
「取りあえず、一人確保。報酬は、ちゃんともらうわよ」
「分かった。マンションへこい」
「運ぶのも、そっちでね。そのくらいは、あなた達にも出来るでしょ」
冷たい笑みを残し、仲間達と去っていく大内。
そして男達は屈辱の表情で、塩田を担ぎ上げた。
今まで彼に受けた傷を、押さえながら……。
草薙高校近くの、高級マンション。
林達がいた場所とは、また別のマンションのようだ。
「連れてきたか」
苦い表情で彼女達を見上げる、金髪の男。
革のジャケットを脱いだ女性は何も答えず、彼から離れた場所にある椅子へ腰を掛けた。
他の仲間も、その傍へと座る。
「おい。聞いてるのか?」
「何言ってるのか分からないわよ。前歯、入れ直してきたら」
どす赤くなる金髪の男。
女性達は気にも留めず、くすくすと笑いあっている。
「お前ら、中学生だからって」
「高校生なのに、人一人捕まえられないなんて」
殺意に満ちた視線を向ける金髪の男と、見下げた視線でそれを跳ね返す女性。
「やめろ。こいつには、かまうな」
「大内もだ。金もらったら、とっとと帰れ」
それとなく間に入る、スキンヘッドとバンダナの男。
ただ彼等の視線もどこか剣呑さを含んでいる。
「言われなくても帰るわよ。私は報告を受け取りに来ただけだから」
「会費と一緒に、今度送る」
「それなら結構。組織に属すると大変ね。私達は、フリーでよかったわ」
「お使いお使い」
大内に合わせてはやし立てる女の子達。
彼女達の周囲にいる男達もかなりの形相で睨み付けているが、全くそれを意に介してはいない。
今の言葉でいくと同じグループではなく、仲間という事でもないようだ。
しかし女の子達はふざけた態度を止めようとしない。
それは組織という後ろ盾を傘に来たものではない、彼女達の確かな自信から来ているのだろう。
「真理依さん達にも結構やられてるし。あなた達、大丈夫?」
「お前ら、調子に乗ってると」
部屋の隅にいたロンゲの男が、指の間に細いナイフを数本揃える。
だが彼の手首が返るより前に、その喉元に針のようなナイフが突き刺さった。
「次は、目でいく?」
「あ、あ……」
「弱い癖に、何してるなんだか。しつけもなってないね」
「そんなものよ」
「お気楽でいかないと」
あくまでも軽い女の子達。
大内は壁際に座り込んだ男の前に立ち、腕を組んで彼を見下ろした。
薄い、冷たい笑みで。
「その顔、覚えたわよ。これからは、夜も寝ないでいる事ね」
「あ、ああ……」
「大内、止めろ。今回の件は、後でそいつにいくらか払わす」
「ならいいわ。命拾い、したわね」
襟元から針を抜き、それを指の間に消す大内。
男は脂汗を流しながら、微かに頷いた。
「それじゃ、後はお願いね。また、くるわ」
軽く手を振り、嬌声を上げながら出ていく大内達。
後に残された男達は、しらけきった表情で淀んでいる。
また大内に針を投げられた男は動く事もままならず、そのまま奥の部屋へと連れていかれた。
「あの女。一度何とかしないと駄目だな」
「しかし、腕は立つし頭も切れる。逆にやられるのがオチだぞ」
「まあ、いい。今は、こいつの方だ」
鼻を鳴らした金髪の男は、塩田の髪を掴みその頬を叩いた。
「起きたか」
「う、うぅ……」
「心配しなくても、殺す訳じゃない。学校を辞めるか、今の役職を辞めるか。それでいい。金は払うし、転校先も用意する。悪い話じゃないだろ」
「え、ああ」
素っ気ない、感情のこもらない言葉。
まだ頭が痛むのか、しきりに目を開けたり閉じたりしている。
「他の連中を説得すれば、ボーナスも付く」
「あ、ああ」
「お前への恨みも、腕の骨だけで我慢してやる。金を渡せば、打撲でも良いぞ」
「ん、ああ」
塩田は軽く頷き、そのまま顔を伏せた。
「おい。聞いてるのかっ」
その頭を抑え、耳元でがなる金髪の男。
突然跳ね上がる塩田の頭。
金髪の男は鼻を押さえ、床に転がった。
「てめえ」
警棒をもって詰め寄る男達。
しかし金髪の男が、それを制する。
「やるのは、俺だ」
「しかし」
「少し見張ってろ。医者に行ってくる」
口元を抑え、陰惨な笑みを浮かべる金髪の男。
スキンへドットとバンダナの男が彼を助け、部屋を出ていった。
やがてドアの閉まる音がして、冷たい風が一瞬だけ吹いてくる。
「珍しく、キレなかったな」
「時間の問題だろ」
「かもね」
一斉に笑う男達。
微かに浮かぶのは、憐憫の表情。
今の男達の性情をよく知っているのだろう。
「しかし、医者の前に歯医者行けっていうんだ」
「大内も、良い事言うぜ」
「全く。言いにくい事を、さらりと。俺達なら、殺されてるかもな」
再び笑う男達。
そんな言葉とは裏腹に、恐れの表情はない。
彼等にもまた、確かな自信とそれを裏付けるだけの実力があるのだろう。
「それにしても、本当にさらってどうするんだ?」
「さあね。確かにそういう命令もあるけど、やり過ぎだぜ」
「いくら金のためとはいえ、ここまではちょっとな」
「とはいえ俺達も、同じようなもんだ」
虚しく響く笑い声。
それと同時に、一陣の風が吹き抜けた。
「伊達か」
一人の男が、警棒を突きつける。
他の男達も周りを固め、腰や胸元に手を移している。
「久し振りだな。名雲達はどこに行った」
「長野だ」
「それで、ここに来た用は」
「言わなくても、分かるだろう」
胸元へ両手を入れる伊達。
一瞬男達の表情が変わるが、構えは不動。
敵意のみが、お互いを行き来する。
「俺達もそいつに用はないが、例の連中は違うみたいでな。あいつらと、話をしてくれ」
「それなら、もう済んでるぞ」
ブーツのまま、厳しい表情で入ってくる屋神。
頬の血を拭い、突きつけられる警棒を手で払う。
「金髪とハゲと、バンダナだろ」
「ああ」
「エレベーターの前で寝てる。という訳で、そいつは連れて帰る」
血塗れの拳。
獣のように輝く瞳。
一気に膨れあがるその気配。
「……屋神だったな」
「それが」
「一つ貸しだ。こいつは連れて帰れ」
伊達に警棒を突きつけていた短髪の男が、警棒をしまう。
それを見て、半数以上の男も警棒やバトンを元へ戻した。
しかし従わない者も、数名いる。
おそらくは、先程の金髪達と同系統の仲間なのだろう。
「逃がすかよ」
「なるほどね。伊達、相手してやれ」
「分かった」
軽い踏切からの、オーバーヘッドキックに近い動き。
右手が床を捉え、足が左右に開く。
回転する下半身。
ひねりの加わる上半身。
足先がうなりを上げ、男達の顎を叩きとばす。
「弱いな、こいつら」
床に横たわる男達に苦笑する屋神。
位置としては屋神や反抗しなかった男達もいた訳で、本来なら伊達の足裁きやテクニックを誉める場面なのだが。
「後始末頼むぞ」
「ああ」
「これでも、まだ俺達を襲うのか」
「契約でな。それに、さらうよりはましだろ」
一斉に笑う男達。
屋神も、伊達も口元を緩める。
敵との微かなつながり。
そして彼等が、一つの思いを抱いているのは間違いない。
口には出せない、思いもつかない気持ちを……。
「あ」
気の抜けた声を上げる塩田。
屋神は彼を背負い直し、その顔をのぞき込んだ。
「重いぞ、お前」
「屋神さん。どうして」
「一応伊達が監視したたんだよ。最近お前、変だったしな」
彼等の隣では、無表情の伊達が黙々と歩いている。
夕暮れにはまだほど遠い住宅街。
寮はその姿すら見えていない。
「恥ずかしいんだけど」
「俺だって恥ずかしい」
「あ、そう」
すれ違う人達は一様に、奇異な視線を向けてくる。
そのたびに屋神は愛想笑いを浮かべ、「足をちょっと」と言い訳をしている。
「少しは懲りたか」
「どうして。俺は全然悪くない」
「まあな。でも、そうして突っ張ってるからお前は狙われる」
「だけど」
塩田を背負い直し、歩く速度を速める屋神。
「向こうにもまともな連中はいるけれど、おかしな奴も相当いる。今日は何とかなったが、次はどうか分からん」
「俺は別に」
「さっきも言っただろ。お前以外の人間が標的になったらどうする」
「それは」
言葉を切る塩田。
「やり合ってどうにかなるなら、俺もそうしてる。だけど、それは無理だ。証拠も何もない。仮にあっても、揉み消される」
「そんなの。そんなのってありかよ」
「今は耐えろ」
「そんなの……」
屋神の背中に顔を伏せる塩田。
屋神も、伊達も口をつぐむ。
夕刻前の柔らかな日差し。
午前中の風は止み、冬にしては暖かい穏やかな陽気。
静かな一時。
ただ彼等の足音だけが、聞こえている。




