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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第10話(第1次抗争編) ~過去編・屋神・塩田他メイン~
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     10-13




「セッ」

 2m近くある巨体を頭上まで抱え上げ、そのまま後ろへ叩き付ける。

 プロレスのブレーンバスターに近いが、投げた方は倒れた相手を後方宙返りで飛び越えた。

「なんだ、それは」

 呆れ気味に笑う屋神。

 豪快なスープレックスを見せた三島は、頬に付いた返り血を拭い小さく息を付いた。

「さて、残ってる奴は」

「俺で最後だ」

 今の男程ではないが、かなりの巨漢。

 横幅のみで言えば、こちらだろう。

「じゃあ、俺が」

「順番なら、俺だろ。ほら、下がって」

 強引に屋神を下げさせ、低い構えを取る塩田。

 目尻は赤く、頬にも傷が目立つ。

 右足は引きずり気味で、左手は殆ど上がらない。

「手加減、しないぜ」

「俺もだよ」


 スナップの利いたジャブをヘッドスリップでかわし、カウンターのショートアッパー。

 鳩尾にめり込む膝に手を掛け、そこを軸にひねり気味の肘打ち。

 さらに相手の背後に回り込み、膝裏へローキック。

「ちっ」

 脇腹を押さえ距離を取る巨漢の男。

 塩田は足を引きずり、それに反応しきれない。

 引いていた相手が、突然タックルに来る。

 足元を掴まれ、後ろ向きに倒れる塩田。

 一気にマウントを取りに掛かる男。

 だがその首に塩田の足が絡まり、逆に引き倒される。


「そこまでだ」

 男の鼻先で止まる拳。

 塩田は手を差し伸べ、巨漢の男を立ち上がらせた。

「怪我人に負けるようじゃ、俺も終わったな」

「スピードの差だよ。殴られるより前に勝負を付ける、という意味でも」

「なるほど」

 男は塩田の胸元を軽く拳で叩き、背を向けた。

「30人がかりで、全員負けとはな。来るんじゃなかったぜ」

「この後はどうする」

 真剣みを帯びた屋神の問い掛け。

 最初に彼と戦った革ジャンの男が、腕を押さえながら答える。

「俺達は、もう荷担しない。だが、お前らの仲間を襲った連中。そいつらは、これからも仕掛けてくると思えよ。そういう性格の奴らだし、雇い主もそのつもりだろう」

「忠告か。人がいいな」

「怪我の治療代代わりだ。人の事言えないけど、早く医者行けよ」

「ああ」

 肩を貸し合い、笑い合い。

 男達は去っていく。

 復讐に燃える事もなく、捨て台詞を残す事もなく。

 その胸元を軽く叩く仕草だけを残して。


 彼等の姿が無くなった途端、塩田と屋神は三島に寄りかかる。

「重いぞ」

「いいから、医療部まで行ってくれ」

「一人10人は、無茶だって。骨、折れてないかな」

「俺も、新妻達の護衛に回ればよかったぜ。あっちなら感謝されて、お礼の一つもされるのに。こっちは色気もなんにもない」

 愚痴る屋神。

 三島は二人に肩を貸し、意外な程の早足で歩き出す。

「お、おい。早い」

「あ、あんたは怪我してないからいいけど、俺達は」

「弱いのにやるからだ」

「な、なにっ」 

 いきり立つ屋神と塩田。

 しかしそのペースと痛みのせいで、反撃も何もないらしい。

「お、お前、後で話があるからな」

「痛いー」

「分かったから、少し黙れ。左右で喋られると……」

 三島は突然足を止め、二人を後ろへ下げた。

 両手を顔の上下に据える、独特のスタイル。

 夕闇に重なる赤いオーラ。

 塩田が言った通り顔には殆ど傷が無く、頬がやや赤くなっている程度。

 実際相手の攻撃は、殆ど受けていない。

 以前沢が指摘したレベルの違いは、まさに正鵠を射ていたと言える。


「俺だよ、俺」

 草むらから、軽い調子で現れる林。

 その傍らには清水もいる。

「なんだ、お前ら。今頃やりに来たのか」

 のんきな口調で尋ねる屋神に、林は嬉しそうに笑った。

「それは面白そうだけど、峰山君に頼まれてね。取りあえず君らを護衛するようにと」

「あいつが?あんたらと、知り合い?」

「塩田君、怒らない。さっきの連中はともかく、別グループがまだいないとも限らない。さあ、急ごう」

「分かった」

 二人を支え、早足で歩き出す三島。

 上がる叫び声と怒号。

 夕日は遠くにかすみ、全てを淡い赤に染めていた……。



 医療部診察室。

 派手に包帯を巻かれる屋神達。

 室内にあるベッドには、伊達や阿川達も座っている。

「またケンカかい」

 たしなめるような口調を取る、やや額の薄い医師。 

 胸元のIDには「緑」という名前が書かれている。

「他に、怪我してる人は」

「いえ。ただ、彼女がちょっと疲労気味で」

 一番後ろにいた新妻を、強引に押し出す涼代。

 天満も、その背中を押している。

「IDをちょっと。……定期検診でも異常は無し。取りあえず、診察しようか」

「え、でも」

「女医もいるから大丈夫だよ。スージー、彼女を頼む」

 その呼び掛けに、ブロンドヘアの若い女性がカーテンの向こうから出てきた。

「この子を診てあげて。診療記録は、IDに入ってるから」

「分かったわ。えーと、新妻さんね。向こうに行きましょうか」

「はい」

 緑に頭を下げ、綺麗な女性の後についていく新妻。

 その後を追おうとした屋神は、天満の頼りないローキックを喰らってうずくまった。

「お、お前な」

「足りませんか」

 その顔に、かかとを近づける中川。

 涼代は催涙スプレーを、山下も革製のグローブを付けようとしている。

「冗談だ、冗談。なんだよ、あんな先生いるなら俺も向こうに診てもらいたかったぜ」

「悪かったね、僕が相手で」

 苦笑する緑に、全員が思わず笑い声を上げる。


「……触診と問診では問題ないみたいだね。採血などのデータも、異常は見られない」

 別室から送られてくるデータを読みとっていた緑の言葉に、今度は安堵の声が上がる。

「ただ体調は悪いようなので、今日は入院してもらう。いいね」

「はい」

 頷く涼代と天満。

 中川は何となく遠い目で、壁を見つめている。

「君も、疲れてるのかな」

「え?わ、私は別に」

「そう。まあ君達は思春期だからね。悩みの一つや二つはあるよ」

 自分で言いながら、自分で笑う緑。

 他の者は中川も含め、黙って耳を傾けている。

「君達が何をしているのか詮索する権利は、僕にはない。ただ危険が及んでいると判断した場合は、即座に警察へ連絡を取る。君達の意志に関わらずだ」

「はい」

「君達が何かを思って行動しているように、僕も医師という仕事に信念を持っている。そのためには恨まれようとどうされようと、その信念は貫くよ」

 静まりかえる診察室。

 そして下がる視線。

 語り過ぎたと思ったのか、緑は苦笑して席を立った。

「新妻さんの診察も、もう終わってる。今日は全員、ゆっくりと休みなさい」


 草薙高校医療部内の施設。

 緊急入院用に設けられている、幾つかの病室。

 その一室だけに明かりが灯っている。

 並行に備え付けられた、白いシーツの掛かる二つのベッド。

 それを仕切るカーテンは開け放たれ、淡いクリーム色の壁が照明に薄く輝いて見える。

 窓に降りる白いカーテン。

 エアコンの緩やかな風に揺れている。

「暑くないですか」

「ええ、ありがとう」

 布団を掛けられ、優しく微笑む新妻。

 中川は首を振り、そのベッドサイドに腰掛けた。

「私まで入院しなくてもいいのに。こんな退屈な所に」

「私は、いつもの事だけれど」

「あ、済みません」

「冗談よ」

 微かに上がる笑い声。

 だがそれも、すぐに消えていく。

「杉下さんは、やっぱり裏切ったんですか」

「考え方の違いよ。彼は学校側の意見が正しいと思った。私達は自分達が正しいと思ってる」

「本当に、そう思ってます?そう割り切りたいという、願望じゃないんですか」

 ひそめた声は力強く。

 上目遣いの視線は、熱がこもっている。

「でも私達の居場所が漏れたのは、彼からよ。その意図は、ともかくとして」

「どちらにしろ、もう違うんですね。私達は、別々なんですね」

「道は一つよ。私は、そう信じてる」

 握られる手。

 込められる力。

 伝わる思い。

 全てはその中に溶けていく。

「何も考えないで、眠りなさい」

「とても、そんな気分には」

「仕方ない子ね。ほら」

 その手を引き、中川を引き込む新妻。

 呆気に取られる彼女に微笑みかけ、灯りを消す。

「いい年して、添い寝ですか」

「泣く子には、そうするものよ」

「経験上?」

「ええ、経験上」

 薄闇の中に広がる笑い声。 

 切なさも、悲しさも、虚しさも。

 その中に、溶け込んでいく……。



 予算編成局。局長執務室。

 応接セットで向かい合う杉下と間。

 その間にあるテーブルには、疑似ディスプレイが浮かび上がっている。

「終わったね」

「ああ。君達の勝ちだ。俺が漏らした情報も、結局は君達の価値を上げたに過ぎない」

「これから、どうする」

「話す理由は無いだろ。君と俺は、敵なんだから。君達と俺、かな」

 自嘲気味に笑う杉下。

 間は席を立ち、固めた拳を壁に叩き付けた。

「おい」

「俺が何も出来ないから、君にまで迷惑を掛ける。みんなにも……」

「考え過ぎだ。それに俺の裏切りなんて、みんな分かってただろ」

「だからこそ、俺はっ」

 再び叩き付けられる拳。

 飛び散った血が、彼の頬を濡らす。

「らしくないな。何を熱くなってる」

「自分の馬鹿さ加減にだよ。仲間を集めて、上手く行った気になって。結局はこれだ。みんなに迷惑を掛けただけで、何も……」

「俺は俺の意志で行動してる。その責任は自分で取る。みんなもそのつもりさ」

「だけど、俺は」

 壁に当たる拳。

 力無い、あまりにもか弱い力。

 間は血塗れの拳を握り締め、ドアへと歩き出した。

「これから、どうする」

 今度は杉下が、同じ問いを繰り返す。

「俺も、自分の責任を取る。それだけだよ」

「そうか。次に会う時は、敵としてだな。今度こそ、本当に」

 無言のまま部屋を出ていく間。

 ドアが閉まり、疑似ディスプレイも消える。

「これから、か」

 笑い気味に呟く杉下。

 固められた拳が壁に向かうが、それは寸前で止まる。

 赤く濡れた、壁の前で。

 杉下はそれでも、痛さを堪えるように拳を押さえた。

 苦しげに、切なげに……。



「裏切りね」

 軽い調子で呟く林。 

 しかし、それを聞く者達の表情は一様に重い。

「お前はどうなんだ」

「一応は中立さ」

 あくまでも林の態度は軽さを含んでいる。

 はぐらかされたとは言わないまでも、鋭い切っ先も軽く受け流されるかのようだ。

「今日はどうにかなったけれど、年明けからは学校も本腰を入れてくる。俺なら学校と妥協して、適当にやるけどね」

「俺達にも都合がある」

「辞めていった者達への義理立て?でもその人達は、君達へ累が及ばないように犠牲になったんだろ。それじゃ、本末転倒だよ」

「なんとでも言え」

 包帯の巻かれた拳をテーブルに叩き付ける屋神。

 その衝撃で、乗っていたグラスやマグカップが宙に浮く。

「屋神君、落ち着いて」

「落ち着いてられるか。杉下は裏切り、新妻と中川は入院。俺達はこの様だぜ」

「仕方ないわよ。そういう道を、私達は選んだのだから」

「仲間に犠牲を強いる道か。ったく」

 舌を鳴らし、腕を組む屋神。

 涼代は小さく肩をすくめ、壁にもたれている伊達へ顔を向けた。

「座ったら?顔色も悪いわよ」

「元々こういう顔だ」

「あら、ごめんなさい」

 その台詞に、微かな笑い声が起きる。

 あくまで、微かな。


「結局君達のやっているのは、自己満足だ。今は自分達だけで済んでいるが、来年度までこんな事をしていたら一般の学生にまで被害が及ぶ」

「だからなんだ。学校の言いなりになれって言うのか」

「選択肢の一つとしては、存在する。プライドだけで人は生きられない」

 はっきりと言い放つ清水。

 屋神はその鋭い眼差しをはじき返し、拳をもう一度テーブルにぶつけた。

「お前の言ってる事は分かるし、正しいさ。その方が被害が少ないってのもな」

「それで」

「馴れ合いっていうのは、年寄りになってからやる事だ」

 低い、そしてラウンジ内に響く声。

 顔を伏せ気味の全員が、それを上げる程の。


「馬鹿に付ける薬はない。峰山の方が余程利口だ」

「馬鹿で結構。そういうのは、他の連中に任せるぜ」

「俺も」

 にやりと笑い、包帯の巻かれた拳を重ね合う屋神と塩田。 

 清水のみならず、大山も呆れ気味にため息を付いている。

「なんだよ」

「峰山君の行動は道義的にはともかく、今言われた通り選択としては悪くありません。他にも何か、企んでいるようですし」

「どっちつかずのコウモリ野郎だろ」

「賢明な生き方とも言います。玉砕覚悟で突っ込むよりは、余程ましですよ」

 辛辣に返す大山。

 塩田は鼻を鳴らし、ソファーの背もたれに崩れた。

「で、二人はどうするの」

 いつも通り脳天気な口調で尋ねる天満。

 しかしその下がり気味な眼差しは、確かな理性を湛えている。

「君達の監視と、状況によっては介入。それは変わらない」

「一緒に動けばいいじゃない。そうすれば監視も楽だし」

「ありがたい言葉だけど、仲間と思われても困る。君達に情を移してしまいがんじがらめになるのも、十分に考えられるしね」 

 笑いかける林に、天満は見抜かれたという顔で応える。

「あなた達は1年生なんでしょ」

「一応、編入試験には受かってるよ」

「草薙高校の生徒として、思うところはないの」

「痛いところを付くな」

 微かに口元を緩める林。

 涼代は澄んだ眼差しで、彼を見つめている。

「ただ傭兵としては、契約が第1でね。理事長が何を思って俺達を入学させようとしたのかはともかく、契約した以上任務は全うする」

「私達に協力しても、任務は果たせるんじゃなくて」

「確かに、それは止められていない。だけど、フェアでもない」

「誰に」

「君達の仲間、杉下さんに」

 形になる言葉。 

 顔を伏せる一同。

 平静を保っているのは伊達と清水、後は大山くらいだろう。

「君達の仲間になり、彼と敵対するとしよう。仮に彼と意見が対立する場面になれば、俺は杉下さんを容赦なく叩きのめす。それでもいいかな」

「無理ね。あなたがではなくて、私達の心情的に」

「そういう事。心配しなくても、今の理由で杉下さんにも付かない。状況が変われば、別だけれどね」

 軽い身のこなしで立ち上がった林は、鼻歌交じりでラウンジを出ていった。



「痛い」

「格好付けるからよ」

「一応俺も、男だからね」

「理由になってないわ」

 苦笑して、それでも阿川に肩を貸す山下。

 お互い傷ついてはいるが、その程度は阿川の方がひどい。

 足は引きずり気味で右腕は肩から吊られてあり、顔中にガーゼが貼られている。

「申し訳ありませんね。せっかくのクリスマスに、俺なんかを担いでもらって」

「本当。お礼のプレゼントでも欲しい所よ」

「考えておきます」

 どこかが痛むのか、顔をしかめる阿川。

 山下が心配そうに、その顔をのぞき込む。

「大丈夫?」

「まあね」

「あなたも、入院してればよかったのに」

「屋神さん達が訳ありみたいだったから、あそこにいてもと思って」

「それは分かるけど。本当に、格好付けて」

 山下は肩を担ぎ直し、彼の手をそっと指先で触れた。

 赤くあざになった手の甲。

 彼女を警棒からかばうために出された手。

 阿川はそれに気付かないのか、辛そうに顔を歪めている。

 単なる怪我の苦痛ではない程に。

「左古さん達の事を考えてるの?」

「俺だって、少しくらいは先輩を思う気もあるさ。風間達を転校させたのは、こうなるのを予想してたのかな」

「血の気が多いものね、あの子」

 苦笑。

 信頼と、親しみと。

 切なさを込めた。

 街灯の向こうに消えていく笑い声。

 もう一つの仲間のストーリーが、小さくもそこにはあった。



 年明け。

 テストも終わり、後期日程も残りわずか。

 学校へ来る学生は普段の半分以下で、授業への出席する者はさらに限られてくる。

 単位の取得と進級がほぼ確定している者は、旅行や個人的な遊びに勤しんでいる頃だろう。

 そのため学内にいるのは、固い考えを持つ者や進級の危ない者という両対照な学生。

 またはクラブに所属する者。 

 後は委員会や生徒会の関係者となる。

「襲われた?またか」

「軽くあしらったけど、どうに参るね」

 言葉の割には平然とした態度の塩田。

 屋神は頬杖を付いて、隣に傍らに控えている大山を見上げた。

 いつもの総務局長室ではなく、今日は自警局長室に集まっている。

 屋神の本来の役職は自警局長なので、これが普通なのだが。


「学校側とコンタクトは取れたか」

「関係なしの一点張り。間さんも会合や報告書提出の際に言及していますが、逃げの一手ですね。証拠らしい物も、これといってありませんし」

「その内飽きるって。それに俺は、別に困ってない」

「お前はな。でも、女達は違うぞ」

 屋神の真剣な眼差しに、塩田が顔を背ける。

 それでも自分の発言や考えを撤回する気は無いようだ。

「杉下は」

「例によって、非協力的です。接触はおろか、場合によっては向こうのガーディアンが襲ってこない勢いですよ」

「あの野郎。一度、意見してやらないと駄目か」

「お前が先走ってどうする」

 重い、巌のような声。

 三島は黒いシャツの袖をまくり、木枯らしの吹きすさぶ窓の外へ目をやった。

 その表情から、彼の気持ちを読み取る事は難しい。

「峰山小泉両名も、学校側と接触しているようですし。彼等は生徒会と予算編成局の人間ですから、当然といえば当然ですが」

「どうでもいい、あんな連中は。勝手にやってろ」

 裏拳を壁に叩き付ける塩田。

 間や杉下とは違い、鮮血ではなくコンクリート片が辺りに飛び散る。

「壊すな。結構脆いんだぞ、それは」

「どうして屋神さん知ってるの」

「次は実費だと、この前杉下にすごまれた」

 一カ所だけ綺麗になっている壁を指さす屋神。

 丁度彼の拳が繰り出しやすい位置でもある。

「中が空洞なんだ。手抜きじゃなくて、よく分からんが新理論の耐震構造なんだとか」

「振動を内部の空気で吸収して、反復する揺れを逆に送り返すんです。理論的にはまだ研究段階ですけどね」

「お、おい。そんな壁で、大丈夫なのか」

「何事も実践ですよ」

 さらりといってのける大山。

 屋神は嫌そうな顔で壁を睨み付け、机にその長い足を乗せた。

「伊達、お前は帰省しないのか。一週間くらいならいいんだぞ」

「その言葉は嬉しいが、任務が優先だ」

「固い男だね、あんたは。気楽にやれよ、気楽に」

 軽く笑って伊達の肩を抱く塩田。

 彼の方は相変わらずの無表情だ。

 しかしそれは不快感の表れやそれを相手に感じさせる物ではない、もっと涼しげな表情である。

「お前がいいならかまわんが。大体、年末年始なにしてたんだ」

「三島さんと、少し釣りを」

「こいつと?なんだ、それ」

 無表情で塩田を見つめる二人。

 そしてそのまま、お互いに見つめ合う。

 言葉はないが、二人には理解出来る何かが伝わっているようだ。

「訳分からん。せいぜい、ホモじゃないのを祈るよ」

「おい、あのな」

「冗談だ。しかし男ばっかで、色気無いなー」



 と、屋神が嘆いていた頃。

 草薙高校内の温水プール。

 水泳部が使用する所とはまた別な物で、授業後は生徒や近所の子供達の歓声で溢れている。 

 しかし今は学校が休みに近い状態という事もあり、閉鎖中。

 のはずだが。

「熱いー」 

 赤ら顔でプールサイドに這い上がってくる天満。

 紺のスクール水着に近い格好だが、胸元はかなり開き気味だ。

 彼女が上がってきた場所には、新妻がパーカーを羽織ってプールに足をつけている。

「泳がないんですか?入ってるだけも楽しいですよ」

「私は見てるだけで十分」

「あ、済みません」

 天満はペットボトルを両手で押し頂き、一礼して口を付けた。

「屋神さん達も誘えばよかったですね。運営企画局の権限で、貸し切り状態ですし」

「たまには女だけなのもも、いいんじゃないのかしら」

「まあ、そうですけど。気楽ではあります」

 大胆に足を開き、水の中で動かす天満。

 その意味は分からないが、彼女は楽しいらしい。

「いつまでも、こうだといいわね」

 澄んだ、奥深い湖のさざめきのような声。

 水しぶきのきらめきに消えてしまうような。

 透き通った言葉。

「ずっとこのままですよ。私は、そう信じてます」

 笑いながら答える天満。

 迷いのない、なんの疑いもない口調。

 新妻は微かに笑顔を見せ、ガラス張りの天井を見上げた。

 降り注ぐ冬の日差し。

 周りに守られた、穏やかな環境。

 心地よい、ぬくもり。

「そうね。私も、そう思いたい」

「え?」

「来年はあなたも2年。いつまでも私の後ばかり付いてもいられないわよ。今度からは、あなたも先輩になるんだから」

「え、ええ。まあそうですね」

 慌てて頷く天満。

 聞き返した事など、その戸惑いで消えてしまったようだ。


「嶺奈ー」

「ほら、凪さんが呼んでる」

「たまには、先輩もどうぞ」

「仕方ないわね」

 新妻は苦笑気味にパーカーを脱ぎ、その華奢な姿を冬の日差しに見せつける。

 白く長い手足と、少女の面影を残すボディーライン。

 白のワンピースはしなやかな動きで、水面へと消えていく。

「さすが」

 感心する天満の傍らへ、息を荒くした涼代がやってきた。

 赤のビキニという、意外に大胆な格好である。

「あの子、元気過ぎる」

「最近ストレスが溜まってますからね。先輩と競争でもすればいいんですよ」

「観貴ちゃんって、泳ぎ得意なの?」

「お医者さんに勧められて、ずっとやってるそうです。そのおかげで、体力が付いたとか。それに先輩相手なら、凪ちゃんも無茶はしないと思います」

「そう。とにかく、私はもう」

 ため息と共に、プールサイドへ腰を下ろす涼代。

 天満から渡されたペットボトルを一気に飲み干し、満足げに首を振っている。

「彼女、少しは元気になったみたいね」

「凪ちゃんですか」

「ええ。この間、観貴ちゃんと話をしたのがよかったみたい」

「先輩はそういう人なんです」

 自分が誉められたかのように、胸を反らす天満。

 涼代は苦笑して、その肩に触れた。

「そんなに好きなの?」

「好きというか、尊敬してます。勿論涼代さんや屋神さんも立派ですけど、先輩は別格なんです。偉いんです」

「あなたの企画を実現してくれるから?それとも、努力を惜しまない人だから?強い信念を持つ人だから?」

「さあ。とにかく、尊敬してるんです」

 はっきりと言い切られる、曖昧な一言。

 そして彼女の表情は、先程と同様迷いはない。

「観貴ちゃんも辛いわね。そう入れ込まれると」

「慣れたって言ってましたよ」

「あ、そう。あの子もちょっと変わった子だものね」

「変わってません」

 睨み付ける天満を涼代は笑顔でかわし、プールの中央で水を掛け合っている二人を見つめた。

 屈託のない笑い声と、弾けるような笑顔。

 差し込む日差しは穏やかで、春の日の中にいるようで。

「だけどまだ、冬なのよね」

「え?そんなの当たり前じゃないですか。どうしたんですか、急に」

「改めて、確認したかっただけ。それにしても、女の子同士っていうのも味気ない」

「気楽ですけどね」

 何となく悪そうに笑う二人。

 そしてその頃。



 生徒会特別教棟前。

 荒い息と、ぶつかり合う肉体。

 苦痛の呻き声が、辺りに響く。

「うぁーっ」

 上がる砂煙、頬を伝う汗。 

 叫び声は、さらに大きくなる。

「や、やめ……」

「押しくら饅頭っ、押されて泣くなっ。押しくら饅頭っ、押されて泣くなっ」

 笑い気味の掛け声と、後ろ向きで腕を組む男達。

 その間に挟まれた塩田は逃げ出そうと必死にもがいているが、このメンバーでは不可能だろう。

「面白いな、これ。いい汗かくぜ」

「暑い」

「何で俺まで」

 三者三様の感想。

 しかし塩田の声が聞こえなくなったので、彼等はその包囲をようやく解いた。

「し、死ぬ……」

「大げさな事言うな。あばらは折れても、すぐにひっつく」

「あのさ」

 塩田を起こした屋神は、その視線を動かしていく。

 と同時に走り出す伊達。

「遅いっ」

 いつの間にか彼の前に現れる塩田。

 驚く伊達の腕を掴み、すかさず屋神の前へと突き出す。

「次はこいつだ。無口な男の叫び声を、寒空に響かせようぜ」

「お、おい。俺は」

 無言で後ろになって腕を組む男達。

 陽気な掛け声が、足踏みと共に上がり出す。

 そしてその後も、幾つかの違う叫び声が特別教棟前へと響き渡った。

 つかの間の、休息の時は過ぎていく……。




「また襲われた?」

「寮の玄関を出た途端、がつんと。日に日に回数が増えてくる」

「特にお前は目を付けられてるな。何か、やったのか」

「心当たりが無い訳でもない。ほら、屋神さんが顎を蹴った男。良く考えて見たら俺、あいつの前歯を全部折ったから」

 肩をすくめる塩田。

 屋神は机から立ち上がり、軽く伸びをした。

「しかし、いつまで仕事するんだよ。ガーディアンなんて、来期まで必要ないだろ」

「まあな。ただ多少は学内に人が残ってる。完全な休みになるまでは、我慢しろ」

「襲われるのも?」

「それが向こうの手だ。こっちからつっかって行けば、それを逆手に退学させられる」

「ちっ。それが教育者のやる事かよ」

 執務用の机に腰を下ろした塩田は、その上にあったフォトスタンドを手に取った。

「河合さん達は、それが分かってたのかな。ここにいたら我慢しなくちゃいけないって。勿論辞めるのも勇気がいるけど、我慢するのも俺はちょっと」

「辞めてどうする」 

 塩田は押し黙り、屋神もそれ以上は何も言わない。


「じゃあ、どうしろって言うんだよ」

 ようやくの一言。

 屋神は塩田からフォトスタンドを受け取り、軽く指で弾いた。

「ここで俺達が辞めたらどうなる。全てが無意味だ。河合達の気持ちも、俺達の今までしてきた事も」

「河合さん達の分まで頑張れって?」

「まあな。それに、そうでも思わないとやってられなくなる。人を辞めさせておいて、仲間割れなんて」

 自嘲気味に呟き、フォトスタンドを机へと戻す。

 塩田はやるせない表情で、拳を机にぶつけた。

「壊すなって言ってるだろ」

「だって、そんなの。辞めるな、我慢しろ。じゃあ何するんだよ」

「さっきも言った通り、完全な休みに入れば落ち着く。それまでは耐えろ。学校側は俺達を挑発して、退学させるつもりなんだぞ。それか最低限でも、執行部の全員解任だろうな」

「俺は困らない。好きで副代表をやってる訳じゃないし」

「みんなもそれは困らないさ。だけど始めたからには、責任って物があるだろ」

「何の」

 距離を詰める両者。

 ぶつかる視線。

 お互いそれを逸らす事はない。

「ガキじゃないんだから、少しは状況を見ろ。退学してどうする。今の役職を解かれてどうする。それは学内を混乱させて、学校に管理案を施行させる口実へとつながるんだぞ」

「俺だって、そのくらいは分かる。でも、だからって何でずっと我慢してないと駄目なんだよ。襲ってるのは学校って分かってるのに。証拠なんて、ここまで来たら関係無いだろ」

「そうやって突っ走る人間が出てくるのを、学校は待ってる。お前はどうなろうといいかもしれないけど、他の連中はどうする。自分のせいで涼代が退学になっても、平気か」

「それとこれとは」

「同じ話だ。今日は帰って、頭を冷やせ。以上だ」



 昼下がり。

 男子寮へと続く、草薙高校内の小道。

 生徒の姿はほとんどなく、冷たい冬の風が木の枝を揺らしている。

 その中を、背を丸めて歩く男。

 足元に、ワイヤーが掛かる。

 ワイヤーは足全体へとからみつき、男は地面にと倒れ込む。

「簡単に掛かったな」

「随分手こずったって言うから、どんな奴から思ったら」

「馬鹿だ、馬鹿」

 木の陰から、警棒やバトンを担いだ男達が現れる。

 侮蔑と敵意に満ちた表情。

 一人の足が、床に転がる男の脇腹へと突き進む。

「同時に上がる、叫び声。 


 塩田は足首を極めたまま男を地面へ叩き付け、バラバラになったワイヤーを払いながら立ち上がった。

「て、てめぇ」

「やれっ」

 一斉に飛びかかる男達。 

 3方向から打ち込まれる警棒。 

 飛び散るスタンガンの火花。

 軽く飛び上がった塩田は男達の手首に足を乗せ、その体勢で低い回し蹴りを放った。

 顔をしたたか蹴られ、声も上げず倒れる男達。

 スタンガンの乾いた音だけが、虚しく辺りに響いている。

「これでも、まだ我慢してろっていうのか」

 唇を噛みしめ、呟く塩田。

 その声は、冷たい冬の風にかき消される。

 背を丸め再び歩き出した彼の前に、今度は数名の女が現れた。


 愛らしい顔に浮かぶのは、天使もかくやという柔らかな笑顔。

「誰」

「あなたのファン。って言ったらどうする」

「は?」

 困惑気味に聞き返す塩田。 

 その体が、またもや地面へ倒れる。

「気を抜き過ぎね」

 警棒を背負い、薄く笑う女。

 そして塩田に笑い掛けた女達も、嬌声を上げながら駆け寄ってくる。

「やり過ぎじゃない?」

「女だからって、油断する方が馬鹿なのよ。油断しなくても、私はやられないけど」

「さすが恭夏きょうか。遠慮がないんだから」

「それがいいのよ。もう、私惚れ直しちゃった」

 悪びれる事のない、楽しげな雰囲気。

 塩田を一撃で倒したロングヘアの女は、鼻で笑い顎を軽く振った。

 するとどこからか、数名の男が駆け寄ってくる。

「取りあえず、一人確保。報酬は、ちゃんともらうわよ」

「分かった。マンションへこい」

「運ぶのも、そっちでね。そのくらいは、あなた達にも出来るでしょ」

 冷たい笑みを残し、仲間達と去っていく大内。

 そして男達は屈辱の表情で、塩田を担ぎ上げた。

 今まで彼に受けた傷を、押さえながら……。



 草薙高校近くの、高級マンション。

 林達がいた場所とは、また別のマンションのようだ。

「連れてきたか」

 苦い表情で彼女達を見上げる、金髪の男。

 革のジャケットを脱いだ女性は何も答えず、彼から離れた場所にある椅子へ腰を掛けた。

 他の仲間も、その傍へと座る。

「おい。聞いてるのか?」

「何言ってるのか分からないわよ。前歯、入れ直してきたら」

 どす赤くなる金髪の男。

 女性達は気にも留めず、くすくすと笑いあっている。

「お前ら、中学生だからって」

「高校生なのに、人一人捕まえられないなんて」

 殺意に満ちた視線を向ける金髪の男と、見下げた視線でそれを跳ね返す女性。

「やめろ。こいつには、かまうな」

「大内もだ。金もらったら、とっとと帰れ」

 それとなく間に入る、スキンヘッドとバンダナの男。

 ただ彼等の視線もどこか剣呑さを含んでいる。

「言われなくても帰るわよ。私は報告を受け取りに来ただけだから」

「会費と一緒に、今度送る」

「それなら結構。組織に属すると大変ね。私達は、フリーでよかったわ」

「お使いお使い」

 大内に合わせてはやし立てる女の子達。

 彼女達の周囲にいる男達もかなりの形相で睨み付けているが、全くそれを意に介してはいない。

 今の言葉でいくと同じグループではなく、仲間という事でもないようだ。

 しかし女の子達はふざけた態度を止めようとしない。

 それは組織という後ろ盾を傘に来たものではない、彼女達の確かな自信から来ているのだろう。 


「真理依さん達にも結構やられてるし。あなた達、大丈夫?」

「お前ら、調子に乗ってると」

 部屋の隅にいたロンゲの男が、指の間に細いナイフを数本揃える。

 だが彼の手首が返るより前に、その喉元に針のようなナイフが突き刺さった。

「次は、目でいく?」

「あ、あ……」

「弱い癖に、何してるなんだか。しつけもなってないね」

「そんなものよ」

「お気楽でいかないと」

 あくまでも軽い女の子達。

 大内は壁際に座り込んだ男の前に立ち、腕を組んで彼を見下ろした。

 薄い、冷たい笑みで。

「その顔、覚えたわよ。これからは、夜も寝ないでいる事ね」

「あ、ああ……」

「大内、止めろ。今回の件は、後でそいつにいくらか払わす」

「ならいいわ。命拾い、したわね」

 襟元から針を抜き、それを指の間に消す大内。

 男は脂汗を流しながら、微かに頷いた。

「それじゃ、後はお願いね。また、くるわ」

 軽く手を振り、嬌声を上げながら出ていく大内達。


 後に残された男達は、しらけきった表情で淀んでいる。

 また大内に針を投げられた男は動く事もままならず、そのまま奥の部屋へと連れていかれた。

「あの女。一度何とかしないと駄目だな」

「しかし、腕は立つし頭も切れる。逆にやられるのがオチだぞ」

「まあ、いい。今は、こいつの方だ」

 鼻を鳴らした金髪の男は、塩田の髪を掴みその頬を叩いた。

「起きたか」

「う、うぅ……」

「心配しなくても、殺す訳じゃない。学校を辞めるか、今の役職を辞めるか。それでいい。金は払うし、転校先も用意する。悪い話じゃないだろ」

「え、ああ」

 素っ気ない、感情のこもらない言葉。

 まだ頭が痛むのか、しきりに目を開けたり閉じたりしている。

「他の連中を説得すれば、ボーナスも付く」

「あ、ああ」

「お前への恨みも、腕の骨だけで我慢してやる。金を渡せば、打撲でも良いぞ」

「ん、ああ」

 塩田は軽く頷き、そのまま顔を伏せた。

「おい。聞いてるのかっ」

 その頭を抑え、耳元でがなる金髪の男。


 突然跳ね上がる塩田の頭。

 金髪の男は鼻を押さえ、床に転がった。

「てめえ」

 警棒をもって詰め寄る男達。

 しかし金髪の男が、それを制する。

「やるのは、俺だ」

「しかし」

「少し見張ってろ。医者に行ってくる」

 口元を抑え、陰惨な笑みを浮かべる金髪の男。

 スキンへドットとバンダナの男が彼を助け、部屋を出ていった。

 やがてドアの閉まる音がして、冷たい風が一瞬だけ吹いてくる。

「珍しく、キレなかったな」

「時間の問題だろ」

「かもね」

 一斉に笑う男達。

 微かに浮かぶのは、憐憫の表情。

 今の男達の性情をよく知っているのだろう。

「しかし、医者の前に歯医者行けっていうんだ」

「大内も、良い事言うぜ」

「全く。言いにくい事を、さらりと。俺達なら、殺されてるかもな」

 再び笑う男達。

 そんな言葉とは裏腹に、恐れの表情はない。

 彼等にもまた、確かな自信とそれを裏付けるだけの実力があるのだろう。

「それにしても、本当にさらってどうするんだ?」

「さあね。確かにそういう命令もあるけど、やり過ぎだぜ」

「いくら金のためとはいえ、ここまではちょっとな」

「とはいえ俺達も、同じようなもんだ」

 虚しく響く笑い声。

 それと同時に、一陣の風が吹き抜けた。


「伊達か」

 一人の男が、警棒を突きつける。

 他の男達も周りを固め、腰や胸元に手を移している。

「久し振りだな。名雲達はどこに行った」

「長野だ」

「それで、ここに来た用は」

「言わなくても、分かるだろう」

 胸元へ両手を入れる伊達。

 一瞬男達の表情が変わるが、構えは不動。

 敵意のみが、お互いを行き来する。

「俺達もそいつに用はないが、例の連中は違うみたいでな。あいつらと、話をしてくれ」

「それなら、もう済んでるぞ」

 ブーツのまま、厳しい表情で入ってくる屋神。

 頬の血を拭い、突きつけられる警棒を手で払う。

「金髪とハゲと、バンダナだろ」

「ああ」

「エレベーターの前で寝てる。という訳で、そいつは連れて帰る」

 血塗れの拳。

 獣のように輝く瞳。 

 一気に膨れあがるその気配。


「……屋神だったな」

「それが」

「一つ貸しだ。こいつは連れて帰れ」

 伊達に警棒を突きつけていた短髪の男が、警棒をしまう。

 それを見て、半数以上の男も警棒やバトンを元へ戻した。

 しかし従わない者も、数名いる。

 おそらくは、先程の金髪達と同系統の仲間なのだろう。

「逃がすかよ」

「なるほどね。伊達、相手してやれ」

「分かった」

 軽い踏切からの、オーバーヘッドキックに近い動き。 

 右手が床を捉え、足が左右に開く。

 回転する下半身。

 ひねりの加わる上半身。

 足先がうなりを上げ、男達の顎を叩きとばす。

「弱いな、こいつら」

 床に横たわる男達に苦笑する屋神。 

 位置としては屋神や反抗しなかった男達もいた訳で、本来なら伊達の足裁きやテクニックを誉める場面なのだが。

「後始末頼むぞ」

「ああ」

「これでも、まだ俺達を襲うのか」

「契約でな。それに、さらうよりはましだろ」 

 一斉に笑う男達。

 屋神も、伊達も口元を緩める。

 敵との微かなつながり。

 そして彼等が、一つの思いを抱いているのは間違いない。

 口には出せない、思いもつかない気持ちを……。



「あ」

 気の抜けた声を上げる塩田。

 屋神は彼を背負い直し、その顔をのぞき込んだ。

「重いぞ、お前」

「屋神さん。どうして」

「一応伊達が監視したたんだよ。最近お前、変だったしな」

 彼等の隣では、無表情の伊達が黙々と歩いている。

 夕暮れにはまだほど遠い住宅街。

 寮はその姿すら見えていない。

「恥ずかしいんだけど」

「俺だって恥ずかしい」

「あ、そう」

 すれ違う人達は一様に、奇異な視線を向けてくる。

 そのたびに屋神は愛想笑いを浮かべ、「足をちょっと」と言い訳をしている。

「少しは懲りたか」

「どうして。俺は全然悪くない」

「まあな。でも、そうして突っ張ってるからお前は狙われる」

「だけど」

 塩田を背負い直し、歩く速度を速める屋神。

「向こうにもまともな連中はいるけれど、おかしな奴も相当いる。今日は何とかなったが、次はどうか分からん」

「俺は別に」

「さっきも言っただろ。お前以外の人間が標的になったらどうする」

「それは」

 言葉を切る塩田。

「やり合ってどうにかなるなら、俺もそうしてる。だけど、それは無理だ。証拠も何もない。仮にあっても、揉み消される」

「そんなの。そんなのってありかよ」

「今は耐えろ」

「そんなの……」

 屋神の背中に顔を伏せる塩田。

 屋神も、伊達も口をつぐむ。



 夕刻前の柔らかな日差し。

 午前中の風は止み、冬にしては暖かい穏やかな陽気。

 静かな一時。

 ただ彼等の足音だけが、聞こえている。      






  






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