表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第10話(第1次抗争編) ~過去編・屋神・塩田他メイン~
98/596

10-12






     10-12




 熱気と活気に溢れる講堂内。

 正面のステージではオークションも催されており、そのテンションはいやがおうにも高まっていく。

 売り手と買い手の興奮は周りにいる者へも伝わり、高揚した雰囲気が講堂全体を包み込む。


「邪魔だな」

「だってよ」

 蹴り倒される陳列棚。

 綺麗に並べられていた木彫りの人形が、音を立てて辺りへ散らばる。

「あ……」

 口元を抑え、慌てて拾い出す女の子。 

 それを蹴り倒した男達は侮蔑気味な一瞥をくれ、歩き出した。

「何をしている」

 彼等を囲む、プロテクター姿のガーディアン。

 しかし男達に、動揺の素振りは見られない。

「少し早いが、やるか」

「ああ」

 耳打ちする彼等に、ガーディアンが警棒を構える。

「馬鹿が。おまえら程度に……」

 最後まで言い終わる前に床へ倒れる男。


「馬鹿はお前だろ」

 前蹴りを引きつつ、塩田が鼻を鳴らす。

 彼の隣には、にやついている屋神の姿もある。

「お、お前っ」

「知り合いか、塩田」

「見たような、見た事無いような……」

 立ち上がりながら燃え盛る視線を送る男を、じっと見つめる塩田。

 どうも、よく分からないらしい。

「取りあえず捕まえて、放り出す?」

「ああ。三島、お前もやれ」

「分かった」

 いつの間にか男達の背後に回っていた三島は、彼等の腕を取って歩き出した。

 関節と指を極められているらしく、呻き声は上がっても身動きはとれていない。

「そっちは、塩田だ」

「屋神さんは、何するんだよ」

「俺は指示を出す」

「またそんな事言って」

 笑いつつ、床に倒れている男に指錠をする塩田。

 男は多少の抵抗を見せたが、屋神に顎を蹴られ気を失った。

「あんた、何すんの」

「手伝いだよ、手伝い。おい、大丈夫か」

「は、はい。済みませんでした」

 草薙高校の制服を身に付けた大人しそうな女の子は、恐縮気味に頭を下げた。

 その間に屋神は木彫りの人形を全て拾い終え、棚へと並べ直している。

「あ。す、済みません」

「気にするな。何かあったら、その辺のガーディアン呼べよ」

「は、はい」

「じゃ、頑張れ」

 ワイルドな笑みを浮かべ、その場を立ち去る屋神。

 後ろに三島と塩田と悪党を従えて。

 そんな姿がよく似合う男であった。



「さすが屋神さん。格が違う」

「あれが、凄腕なんですか?随分あっさり捕まりましたけど」

「最初からマークしてたからな。それに、ケンカが強いのと頭が切れるのとは別な話だ」

「確かに。何もか兼ね備えている人なんて、いませんからね」

 冷静に指摘する小泉。

 峰山は鼻で笑い、画面を切り替えていく。

「学校もこいつらは、陽動程度にしか考えてないだろう。雇っている人間の量を考えれば、一人や二人捕まっても問題ない」

「本当に、それで大丈夫なんですか」

「それは学校が考える事だ。自分達の生徒を傷つけるという意味を」

「だけど。ここで、こうして見てるだけで」

 続かない小泉の言葉。

 しかし視線は下がらず、切り替わってくモニターへ注がれている。

「さっき言った通り、被害を減らす努力はする。後は、屋神さん達の頑張り次第だろう。上手く行けば、多少の混乱だけで乗り切る事も可能だ。それだけの人材も、あの人の元には揃っている」

「杉下さんは?彼は、学校側に付いてるんですよね」

「その辺りも含めて、見学するしかない。学校が荷担した証拠を握って、交渉する事も可能だしな」

「峰山さん」

「冗談だ。ただ、そういう手もあるにはある。そのために、俺はここにいる」

 真意の読みとりにくい、平坦な表情。

 小泉は膝の上に置いている拳を固く握りしめ、モニターを見つめ続けた。




「杉下さん」

 テーブルを叩き、彼に詰め寄る中川。

 しかし杉下は卓上端末の画面に見入ったまま、動こうとしない。

「このバザーには、予算編成局も関わってるんですよ。私達も、早く新妻さん達の所へ行かないと」

「君一人で行けばいい。交渉や段取りに、俺は関わっていないんだし」

「でもあなたは、予算編成局の責任者じゃないですか」

「だから仕事もたまっている。このめどが付くまでは、どうにもならない」

 執務用の机に置かれたDDと書類の山。 

 端末内に送り込まれてくるネットワークからの案件を含めれば、その仕事量は一日で終わるものではない。

「私も、後で手伝いますから。それにみんな、杉下さんの事誤解してるんです。その……」

「学校と内通してるっていうんだろ。もう慣れたし、否定する気もない」

「杉下さん……」

「俺みたいな裏切り者と一緒にいたら、君まで疑われる。ほら、早く新妻さん達の所へ行って」

 モニターを見たまま手を振る杉下。

 中川は拳を固め、それを体に押し付けた。

「もう、駄目なんですか?あの頃みたいに、みんなで笑えないんですか」

「道は一人一人違う。俺はこちらに、君達はそちらに。そのうち、交わる事もあるだろ」

「今だって同じですよ。同じ道を、私達は歩いてます」

「そう思ってるだけさ。……中川さんの気持ちは嬉しいけど、俺にその気はない」

 近付いてきた中川の体を、杉下はそっと押し戻した。

 口元を抑え、後ずさる中川。

 キーを叩く音が、室内にこだまする。

「私は、ずっと……」

「そういう目で君を見た事はない。とにかく今忙しいんだ。まだ何かあるなら、明日にしてくれないかな」

「それが、答えなんですか」

「前からずっと言ってきただろ。俺にその気はないって」

 駆けていく足音は、ドアの閉まる音に吸い込まれていく。

 室内には再び、キーの音だけが聞こえる。

「甘いんだよ」

 自嘲気味に笑う杉下。

 その手が、伏せられているフォトスタンドへと触れる。

「どいつもこいつも。馬鹿ばかりだ」

 小さな淡々とした口調。

 フォトスタンドは机の引き出しにしまわれ、そのまま鍵が掛けられる。

 そしてキーを叩く音がする。

 血の滲む拳は、キーを叩き続ける……。




「峰山情報によると、傭兵を3人捕まえたって」

「あの馬鹿達を?誰が」

「ほら、屋神さんと熊さん。後は忍者君。あいつらも腕は立つけど、格が違うようだ」

「ああ」 

 紙コップをゴミ箱へ捨て、口元を舐め取る清水。

 彼女の隣にしゃがんでいる林は、顔をしかめて飲んでいる。

「甘いな、これは」

「砂糖を入れ過ぎたんだ。ホットミルクなんだから、何も入れなくていいのに」

「甘いのが好きでね」

 ややムキになった口調で言い返す林。 

 彼等の座っている椅子の隣には「厳選・北海道直送生乳」と書かれたのぼりが立っている。

 威勢のいい男女のかけ声に、彼等同様ホットミルクで暖を取る者も多い。

「序盤は屋神陣営。しかし、学校側は痛くもない」

「人数が多いから。それで、君はどうする」

「監視に徹するよ。清水さんもだろ」

「ああ」

 素っ気ない答え。

 林は紙コップをゴミ箱へ投げ入れ、立ち上がりながら伸びをした。

「とにかく、まだ動く場面じゃない」

「自分を高く売ろうというのか。それとも、勝ち馬に乗るのか」

「清水さんこそ、どうなんだ」

「私は、自分のしたいようにする。君と同じように」

 淡々とした、しかし決意の秘められた言葉。

 目の前を通り過ぎていく人の流れ。

 それを通り越すような、遠い眼差し。

 時刻は、ようやく昼を過ぎようとしていた。




「……トラブルが増えてきたわね。警備本部へ連絡、SDCと協力して応援を出すようにと」

「了解」 

 新妻の指示を受け、連絡を取る運営企画局の局員。

「天満さんは、どこ行ったんですか」

「デートじゃないの」 

「あの子が?ふーん、意外というかうらやましいというか」

 かしましい運営企画局臨時詰め所。

 新妻はインカムで指示を送りながら、学内の見取り図を広げている。

「局長はどう思います?」 

「さあ。私、そういう事には疎いから」

「上手いですね、逃げるのが」

「いいから、コンサートの準備急いで」

「はい」

 笑いながら連絡を取り合う局員達。

 その間にも新妻は、見取り図を見続けている。

「コンサート開始20分前。会場閉鎖します」

「ガーディアン配置完了。現在の所、異状無し」

「出演者移動中。同じく、異状無し」

 飛び交う情報と、それに対する指示。

 しかしその中に、全員の注目を引く連絡があった。


「会場周辺警備担当者から連絡。入場出来なかった人達が、若干名暴れているそうです」

「グラウンド売店スペースで、客同士のケンカが複数発生。周囲に混乱が広がってます」

 それに続いて入る緊迫した状況。

 漂う不安げな雰囲気。

 そして彼等の視線は、ある一人へと向けられる。

「……企画課課長を呼び戻して。それと、警備本部へ連絡。現状への対策を、至急講じるようにと」

「了解」

「局長っ」

 インカムを外し、新妻へ詰め寄る局員。

「予算編成局のガーディアンが……。え、えとフォースが、引き上げ始めてますっ」

「理由は」

「学外の警備に回るとか。非公式ですが、予算編成局からの指示だそうです」

「分かった。現時刻をもって、通信回線を非常回線に切り替え。生徒会各局と各委員会、警備本部及びSDCにその旨を連絡」

「は、はい」

 指示を出す間も、新妻は見取り図から目を離さない。

「ど、どうなってるんでしょうか」

「なんか、怖いです」

「嫌な予感が……」

 浮き足出す彼女達。

 表情には不安の色が浮かび、指示や連絡もままならなくなっている。

 焦りと緊張感が辺りに漂い、外部からの連絡だけが室内に響いていく。


「たかが子供のケンカよ」

 軽い、小馬鹿にした口調。

 全員が手を止め、口を開ける。

「ほら。遊んでないで仕事して」

 笑いながら手を叩く新妻。

「は、はい」

 気を抜かれた表情から一転して、引き締まった顔付きで作業に戻る局員達。

 先程までの緊張感ではなく、集中といっていい適度に張りつめた雰囲気。

 突然の混乱に困惑しうろたえる者は、もういない。

「少し出かけるから、その間は企画課課長の指示を仰いで」

「了解」

「今日は、長い一日になりそうね」

 口元でそうささやいた新妻は、厚手のコートを羽織って詰め所を後にした。



 予算編成局、局長執務室。

 机ではいつも通り神経質な表情を浮かべる杉下の姿がある。

 中川が去った後も、その仕事振りは変わっていない。

「どうしてガーディアンを引き上げさせたの。屋神君の許可は得ているの」

「俺に言われてもね。フォースは今、予算編成局の指揮下にはない」

「予算や事務関係の人員は、予算編成局で賄っているはずよ。その指揮系統は依然として、あなたが頂点でしょ」

「さあね。とにかく、今は忙しいんだ」 

 叩き落とされる書類。

 杉下は微かに口元を歪め、それを拾い上げた。

「あなたが学校に付くのはかまわない。それを止める権利も、私にはない。だけど、他の人へ危害を及ぼすような真似はしないで」

「中で暴れてる連中がいるのは、俺も聞いた。でも、外で暴れ出しそうな連中もいるんだ」

「学外の警備は、ガーディアンではなく外部委託している警備会社の仕事よ。現に今日も、普段以上の人間を派遣してもらっている」

 机を叩き、杉下を見下ろす新妻。

 しかし呼吸が続かないのか、胸元を押さえ歯を食いしばる。

「新妻さん」

「息が切れただけよ。とにかく、今日の事は覚えておくわ」

「好きにすればいい。俺は俺の道を行くだけだから」

「そう。凪さんが悲しまなければ、私は構わない」

 微かに変わる杉下の表情。

 新妻はそんな彼を、厳しい眼差しで捉え続ける。

「あなたが何を考えているのか、どうしたいのか。それは私にもよく分からない。でも今日の行動は、決して理解出来ないわ」

「そうしてもらうつもりもない。俺は、俺のために生きている」

「そのために、誰かが傷付いてもいいというの」

「沢君が言っていたけど、幸せは相対的な物だ。全員が同時に幸せになるなんて、不可能なんだよ」

 絞り出されるような、重い口調。

 それでも新妻の鋭い眼差しは変わらない。

「あなたの信念は分かったわ。ただ私も、この企画の関係者として防御策はとるから」

「俺が混乱を仕掛けた訳じゃない」

「増長させているのは確かよ。……もう、昔のように笑い合えないのかしら」

「中川さんにも、同じ事を言われた。でも俺は、昔も今もこのままさ」

「そう」

 素っ気なく呟き、背を向ける新妻。

 ドアを出て行くその瞬間まで、彼女が振り返る事はなかった。

 そして、拳を壁に叩き付けた杉下が呼び止める事も……。




「取りあえず、今騒いでる連中は抑え込みました。それ以外で兆候が見られる者も、監視体制にあります」

「ありがとう。屋神君達はこっちにいるから、何かあったら連絡を」

「分かりました」

 通信を終え、インカムを外す峰山。

 その間にも運営企画局からの別な連絡や、警備中のガーディアンと格闘技クラブ関係者からの情報が入ってくる。

「杉下さんは、完全に裏切りか」

「でも、どうしてあの人はそんな事を」

「学校に付いた方が、メリットは大きい。子供のお遊びに付き合う程人がよくないんだろ」

「そうでしょうか」

 やや不満げな小泉。 

 峰山は画面を切り替え、コンサート会場内部を映し出した。 

 ステージ上ではインディーズのバンドが、画面越しに伝わるような熱い演奏を繰り広げている。

「さすがに、この中で騒ぎを起こす奴はいないようだな。ファンに殺される」

「すると、この外で騒いだのも陽動」

「全部が全部陽動さ。ただそれを抑えられなければ、陽動は暴動へ変わる。そこは、屋神さん達の力量次第だ」

「そこまで分かっていて……」

 言葉に詰まる小泉をよそに、峰山は小さく伸びをした。


「所詮俺達は外野に過ぎない。勿論参加するのは、可能だけどな」

「本当に、これでいいんですか」

「いいも悪いもない。爆発5秒前の爆弾を取りに行くのは、まともな人間のやる事じゃない」

「でも、爆発はするんですよ」

 小声でささやく小泉。 

 だがそれはあまりにも自信がなさげで、頼りないものだった。

 結局この場から、一歩も動かない者としての……。




 運営企画局詰め所の一室。

 ただそこにいるのは局員ではなく、屋神達である。

「大山、どう思う」

「以前も言いましたが、混乱を起こしてそれを名目に我々の退陣を要求。続いて、管理案を施行するつもりでしょう。これだけの人混みで、誰が何者かを把握する術はありませんし」

「分かった。さて、どうするよ」

 壁際にもたれ、室内にいる全員を見渡す屋神。 

 そして返ってくる一人一人の眼差しに、大きく頷く。

「よし。暴動を事前に鎮圧。それによって学校側への俺達の意思表示、ならびに示威行動とする。間、いいな」

「全て任せる」

 相変わらずの台詞。

 屋神は苦笑して、話を続けた。

「ガーディアン全体の指揮は、この後も峰山に任せる。あいつも腹に何か抱えてるが、ここでおかしな行動を取る人間じゃない」  

「だったら、俺達は何するんだよ」

「個々に動く。その方が、やりやすいしな」

 その視線を新妻へと向ける屋神。

 新妻は小さく頷き、学校の見取り図を疑似ディスプレイで表示した。


「餌。つまり囮を使って、連中を一カ所へと集める。その間に一般客の誘導と避難。どうかしら」

「問題ない。全体の指揮は新妻、補佐に涼代。大山、天満、中川もだ。他の人間は、その指揮下に入る」

「俺は」

「お前は杉下の所へ行け」

 室内に流れる複雑な空気。

 それぞれの思惑が交差し、探るような眼差しも交わされる。

「じゃあ、行ってくる」

 いつも通りの軽い調子。

 みんなの重い雰囲気など、さして気に留めた様子もない。

 そして間はそのまま、部屋を出ていった。


「相変わらずだな、あの人は。何考えてるんだか」

「この状況でも、あれだけ気楽なんだ。大物と言えば大物さ」

 鼻で笑い、全員へ向き合う屋神。

「それで、動けるのは。俺、三島、塩田、伊達の4人か。もう少し、駒が欲しいな」

「連絡を取ってみるわ。……私です。ええ、誰か信用の置ける人をこちらへ」

「何だって」

「二人だけなら、何とかなるって。山下さんと阿川君」

 プロフィールを画面に映し出す新妻。

 中等部からの生徒会ガーディアンズ所属で、各評価も非常に高い。

 男性の方はやや甘い顔立ち、女性の方は優しい雰囲気だ。

「そいつなら、悪くない。呼ぶように伝えてくれ」

「峰山君、連絡をお願い。ええ、詰め所まで」

 通信が終わり、画面は学内全体の状況が映し出されていく。

 現在は比較的落ち着いているが、険悪な雰囲気があちこちで見取れる。

「時間が惜しい。阿川達には、追って指示しろ」

「分かったわ。学校はずれの、旧クラブハウスへ行って。そこへ追い込むから」

「よし、行くぞ」




 腕を組み、壁際にもたれる屋神。

 その隣には、三島も同じような格好で収まっている。

「元気だな、あいつらは」

 スパーリングを行う塩田と伊達を見て、屋神が苦笑する。

「しかし、新妻さんはどうやってここへ追い込む気だ」

「あいつにまかせるさ。そのくらいは、軽くやれる女だし」

「ああ」

 珍しく微笑み気味に頷く三島。

「惚れてるとか」

「なに」

「冗談だ、冗談」

「それは、お前だろう」

 軽いボディーブロー。 

 屋神は脇腹を押さえ、三島の足を蹴った。

「手加減しろ、この野郎。しかし、新妻のためにやってるのも事実だからな」

「それは否定しない」

「あいつ程学校に思い入れがあるかどうかは分からないが、その手助けは出来る」

「その通りだ」

 拳を重ね合う二人。 

 笑顔が陽光に溶けていく。


「屋神さん。俺達に何か」

 甘い顔立ちの男が、優しい雰囲気の女性を伴い彼の前に立つ。

「ちょっと、悪者退治をな。詳しい事は話せないが、協力してくれ」

「分かりました。私達に出来る事ならば、全力でやらせて頂きます」

 女性は柔らかく微笑み、人差し指と中指を揃えこめかみに当てた。

「事情は、聞けないのかな。例えば、転校した先輩の事とか」

「巻き込まれて困るのは、お前達だ。手助けは、今回だけでいい」

「了解。しかし全員で6人。大丈夫ですか?」

「それだけのメンバーさ。勿論、お前達も含めてな。……いや。伊達、お前は戻れ。向こうもガーディアンはいるが、万が一という事がある」

「分かった」

 その一言だけを残し、駆けていく伊達。

「これで、5人」

 阿川はぽつりと漏らし、両挿しの警棒を抜いた。

 警棒はバトンのように手の中で回り、再びフォルダーへと戻される。

「使えるのか、それ」

「ギミックですよ、勿論」

「お前の話も、当てにならないからな」

 適当に笑い、その肩を叩く屋神。


「だけど、本当に私達だけで大丈夫なんですか」

「新妻も、全員を追い込む気じゃないだろ。その中でも俺達に抵抗するのは、限られてるはずだ」

「そういう状況でも抵抗する人達、か。ぞっとしないですね」

 放たれるフリッカージャブ。

 正方形の形を貫いたそれは、その形のまま屋神の髪を揺らした。

「お前は通信担当だ。阿川がそのフォロー」

「了解」

 再び敬礼する山下。

 阿川もにやりと笑い、塩田を相手にスパーリングを始めた。

「学校が雇ったのは、全員が傭兵という訳でもないんだな」

「傭兵なんて、そんなにいない。ある程度は街のチンピラや、ケンカ自慢の連中さ」

 鼻を鳴らし、スラックスのポケットに手を入れる屋神。

 三島は腕を組んだまま、彼を見据えている。

「そういう連中なら、ガーディアンだけで事足りる。つまりは、傭兵だけを相手にするという事か」

「基本的はな。勿論チンピラでもなんでも、ここに来たら覚悟して貰うが」

「分かった。細かい事を考えるのは、後でも出来る」

「ああ。年の終わりに、一暴れと行くか」

 その言葉とは裏腹に、やるせないため息を付く屋神。

 三島も、普段以上に素っ気ない表情を浮かべている。

 冷たい風が吹き抜ける中、彼等は来る時を待っていた……。




 それとほぼ同時刻。

「第1次配信完了。二次配信開始」

「来客者移動状況35%。最大移動人員予想まで、1時間弱」

「一部来客者に、行動変化発生。旧クラブハウスへ移動しています」

「……上手く行ったようね」

 インカムを外し、新妻を振り返る涼代。

「普通の人を集める情報と、危険人物を呼び寄せる情報。両者の分離と、色分け。しかも、危険度の高い人間ほど向かいたくなる情報。仮に学校側の雇った人間が旧クラブハウスへ向かわなくても、その程度の人間はガーディアンだけで対処出来る」

「大した事じゃないわ。実際に連絡を取ったあなた達の手腕があってこそよ」

「指揮を執ったのは観貴ちゃんじゃない」

 新妻は口元だけを緩め、インカムで指示を送り続ける。

「商品を倍額に。ええ、予算は大丈夫。時間があれば、コンサート出演者も動員して。許可は、私が取るわ」

「少し、休んだら」

「全体が落ち着くまでは無理よ。あなたも、そのつもりでしょ」

「体を気遣って言ってるの。同情と思われてもいいから、横になって。天満さん、ソファーに毛布敷いて」

「は、はい」

 インカムで連絡を取りつつ、毛布を敷く天満。

 涼代は足元のおぼつかない新妻をそこへ寝かせ、タオルケットを掛けた。

「ごめんなさい」

「いいのよ。勿論、少し休んだらまた指揮を執って貰うけれど」

「結局は休めないのね」

「そういう事。天満さん、現状維持のまま報告だけお願い」

「あ、はい」

 端末を見入ったまま、涼代は彼女の前に腰を下ろす。

 中川達はその間にも、連絡を繰り返している。

 瞳を閉じ、深い呼吸を繰り返す新妻。

 青白い、しかし満ち足りた表情。

 そんな彼女を見守る涼代も、また。



 突然ドアが開き、伊達が飛び込んでくる。

「この部屋以外に、人はいるか」

「え?他の局員は別の場所へ移動して貰ったけど」

 キーを器用に操りながら質問に答える天満。

「緊急事態ですか」

 大山は落ち着き払った態度で尋ね返す。

 その手はすでに、全電源とネットワークを遮断出来るスイッチに触れられている。

「新妻さんの策に気付いた連中が、おそらくここを狙ってくる。ガーディアンだけでは厳しい」

「分かった。その子達には、局員の護衛に回って貰うわ」

 素早く指示を出す涼代。

 中川は席を立ち、窓から外の様子を眺めている。

「誰もいないけど」

「下がれ。いきなりレーザーで撃ち抜かれるぞ」

「えっ?」

「今日はそこまでしないだろうが」 

 それが冗談だと気付いた頃には、伊達は新妻の枕元に立っていた。

「疲労だけだな」

「ええ。移動するなら、すぐに」

「いや。外で迎え撃つ。俺に何かあったら、すぐ屋神さん達を呼び戻してくれ」

「分かった」

 否定も何もない、たった一言。

 それでも伊達は薄く笑い、胸元を拳で軽く叩いた。

「何、それは」

 上体を起こそうとする新妻を支えがら、涼代が尋ねる。

「大した事じゃない。窓辺には立つな。それと大山は一応、警棒を出しておけ」

「ケンカは苦手なんですけどね」

「俺も事務仕事は苦手だ」

 大山と軽く拳を合わせ、部屋を出ていく伊達。


 その大山は言われた端から、窓辺に立っている。

「危ないわよ」

「ええ」

「誰か見える?」

「物騒な連中が、ぞろぞろと。楽しそうな顔をしてますよ」

 苦い表情で語る大山。

 涼代は新妻の手を強く握り締め、耳元でささやいた。

「最悪、窓から飛んで貰うわよ」

「ダイエット、しておくんだったわ」

「私もよ」

 微かに笑う二人。

 その手は、さらに強く握り締められる。

「だって」

「本当に、どうなってるのかしら」

 舌を鳴らしつつ、防犯用のスプレーを取り出す中川。

 天満も、閃光用の小さなボールを手の中で転がしている。

「サングラス、しようか。新妻さん達もお願いします」

「私は似合わないんだけれど」

 困惑気味な新妻が、フィルム製のサングラスをはめる。

 自分で言う程似合わない事はなく、違和感があるのはむしろ天満の方だろう。

「伊達君一人で大丈夫なのかな」

「私達が行っても、足手まといになるだけよ」 

 中川は拳を固め、学内の状況を映し出すモニターを睨んでいる。

 その一角に映る、学校の各門。

 フォースのガーディアンがその付近に陣取り、何をするでも無く佇んでいる。

 学外の警備は、警備会社の担当。

 しかしフォース、予算編成局子飼いのガーディアンは学外で暇を持て余している。

「馬鹿馬鹿しい」

「え?凪ちゃん、何か言った」

「いえ」

「そう」

 小さく呟き、それとなく画面を切り替える天満。


 学外の様子は画面から消え、急遽催されたチケット番号による抽選会会場を映している。

 企画立案は彼女で、全体の統括と指揮は新妻。

 一般客を今回の混乱に巻き込まないための策である。

 またここにはガーディアンとSDC関係者が多数配置され、それと分かるように腰の警棒へ手が掛かっている。 

 仮に暴動を発生させようとする者が流れこんで来ても、この状況で暴れる程馬鹿ではないだろう。

「後は、屋神さん達か」

「あの人達は、負けませんよ」

「そうね。そうだよね」

「問題は、その後だと私は思いますが」

 小声でささやかれる大山の呟き。

 天満と中川はそれが聞こえなかったかのように、彼の側から離れていく。

 伏せられる全員の視線と、漂う重苦しい雰囲気。

 戦いを人に預けているという後ろめたさではなく、今後への不安。

 だが誰一人それに言及する事はなく、時は過ぎていった……。



 旧クラブハウス前。

 一人、また一人と集まってくる。

 いかにも柄の悪そうな者もいれば、目立たないどこにでもいそうな者もいる。

 だが彼等の目付きは一様に鋭く、殺気めいた物すら漂わせていた。

「30人くらいか。思ったより少ないな」

「多くても困るさ」

「まあ、そうだけど」

 鼻で笑い、塩田は軽く首を回した。

 三島は壁にもたれたまま。

 阿川と山下も、少し下がったところで様子を見ている。

「俺達を呼んだのは、お前らか」

 体格のいい革ジャン姿の男が、声を張り上げる。

 屋神は手を挙げ、塩田の前に出た。

「見て分かっただろ、俺達が賞金首だって」

「確かにお前ら3人は、リストと顔が一致する。わざわざ、やられに来たのか」

「暴動を起こされたらまずいんでな」

 直接的な答え。

 傭兵達に微かな動揺が走る。

「おまえらがここへ来た時点で、それも失敗だ。向こうに残ってるのはせいぜい街のチンピラ程度で、組織的に動けない連中ばかり。もし暴れても、ガーディアンに鎮圧されて終わり。陽動にもならないさ」

「なるほど。俺達は、罠に掛かったって訳か」

「分かってて来たんだろ」

「草薙高校の屋神と三島。それに塩田。その名前を聞いて燃えない奴はいない」

 一気に気配を濃くする傭兵達。

 後ろの方では警棒やバトンを抜いている者もいる。


「本当に、いい餌だぜ」

「何か言ったか」

「いや。それで、どうする。学校に戻って暴動を起こすか。それとも、ここで俺達とやりあうか」

「愚問だな」

 男は革ジャンを脱ぎ捨て、拳を顔の前で構えた。

「下らない仕事だと思ってたが、急に楽しくなった。それにお前達をやっても、金はもらえる」 

「どうして暴動に荷担しようと思った。普通の人間の殴って、何が楽しい」

「一応、俺達同士で暴れるつもりだった。それに自分達が生きていくためには、感情なんて邪魔なだけだ。金になれば、なんでもやる」

「多少は後ろめたさがあるんだな。安心したぜ」

 嬉しそうに笑い、同じく構えを取る屋神。

 するとその傍らに、山下がやってきた。

「新妻さん達が、襲撃されています。さっきいた伊達という子が、それに応戦してるとか」

「女を殴りたがるクズ野郎も、世の中にはいる。勿論俺達も、大差は無いがな」

「ここへ来た時点で、俺はお前達を認めてるよ」

「敵に誉められても仕方ない」

 苦笑する男。

 全体に、その笑いは広がっていく。

 共感、一体感。

 言葉にはならない、同じ思い。

 例え敵でも、拳を交える関係であっても。

 気持ちは伝わる、思いは共有出来る。

 分かり合えると。


「あっちは伊達一人だ。少し不安だったんだが」

「気になるなら、お前らも行けよ。やるのは、その後でもいい」

「ありがたい言葉だが、気になる事が……」

 突然背後へ目を向ける屋神。 

 すると草むらから数名の男が出てきて、一目散に走り出した。

「俺達が全員こっちへ来てるか確認したんだな。山下、新妻へ連絡。敵の数が増えるぞ」

「了解」

「少し、減らすか」

 阿川は軽く呟き、警棒を両方抜いた。

 そして右の警棒を上へ投げ、そのグリップを左の警棒で叩き付ける。

 鈍い音を立てて飛んでいった警棒は、一人の男の首筋に辺りそのまま角度を変えて隣の男の足も払った。 

「取りあえず、二人減った」

「何が、ギミックだ」

「使い方が、ギミックなんですよ」 

 ジャケットの袖から、新しい警棒を取り出す阿川。

「俺も、向こうに行きましょうか」

「頼めるか。山下も」

「ええ。連絡係は暇だと思ってたんです」

 敬礼をして、風を切って走っていく二人。

 その姿は、もう遙か彼方に消えている。

「ああいうのが普通にいるから、草薙高校は怖いんだ」

「あいつらも、特別な人間さ。で、誰からやる」

「俺からだ。相手は、お前で」

「掛かってこい」




 膝が途中で角度を変え、ミドルからハイキックへと変化する。

 壁に叩き付けられた男を乗り越え、数名の男が警棒を振りかざす。

 水面蹴りでそれらを床へ叩き付け、鳩尾へかかとを落とす。

「万が一で、この数か」

 廊下の左右から迫る何十人という人の数。

 屋神達の予想とは違い、囮ではなく頭を潰しに来たようだ。

 廊下には呻き声を上げる者が床を埋め尽くしているが、数は一向に減らない。

 すでに頬と額を切り、ジャケットもあちこちが切り裂かれている。

 ジャブ一本で5人を叩きのめし、後ろ回しからのかかと落としで3人を倒す。

 微かに上がり出す息。

 それでも伊達は、ドアの前から動かない。

 壁やドアに刺さる数本のナイフ。

 彼の二の腕にも、その形通りの穴が開いている。

「今なら、お前一人だけ逃がしてもいいんだぞ」 

 リーダー格風の男が、警棒を肩に担いで伊達に笑いかける。

 侮蔑と勝利を確信した、甲高い笑い声。

 伊達は壁に刺さっていたナイフを投げ、男の足元に縫い刺した。

「これが、答えか」

 唾を吐き、突進してくる男。

 空を裂き振り下ろされる警棒。


 右に飛び、壁を蹴る。

 その勢いのまま、3mはある左側の壁へ飛ぶ。

 舞い上がる伊達の体。

 空を切る警棒。

 宙で身を翻し、天井を蹴り付ける伊達。

 そのまま体が前に倒れ、男の肩口にかかとが振り下ろされる。

「グァッ」

 骨の砕ける音が同時にして、男は泡を吹いて床に崩れた。

 後ろに迫っていた男を裏拳ではじき飛ばし、伊達は軽く息を付いた。


「……なんだ、今のは」

「ムササビじゃないの」

 呆れ気味の顔で駆け寄ってくる阿川と山下。

 二人も制服には、汚れやほころびが目立つ。

「心配しないで。屋神さんの命令で来たの」

「俺は阿川、彼女は山下さん。生徒会ガーディアンズの人間だ」

「分かった」

 素っ気なく答える伊達。

 視線は油断無く、周囲に向けられている。

「外には、どれだけいた」

「まだまだこれからって感じだな。あくまでも死守するか、撤退するか。判断は君に任せる」

「新妻さんの体調が悪い」

「籠城か。中は、大丈夫なんだろうな」

「その前に、自分の心配をしろ」

 迫り来る敵。

 阿川は両差しの警棒を抜き、手の中でそれを回した。

 山下も革製のグローブを付け、その感触を確かめている。

「これを付ければ衝撃は3倍、手へのショックは1/10。靴先の特殊シリコンも同じ」

「怖い子なんだよ」

「女の子だから、このくらいの装備は当然でしょ。セッ」

 背後に迫っていたスキンヘッドの男は、ショートフックのトリプルで壁際に吹き飛ばされる。

「今日は体が軽い。事情は知らないけど、最後まで頑張れるわ」

「だってさ。俺は、適当にやるか」

 阿川の振った警棒は二人の男を床に這わせ、その勢いのまま壁にめり込んだ。

「君は中で休んでろ。少しの間は、俺達で何とかする」

「任せる」

 短く言い残し、伊達はドアの向こうへと消えた。

「格好付けて。二人だけで、大丈夫なの?」

「屋神さん達は、3人で30人以上を相手にしてる。今の彼も。ただ風間や土居さんでもいれば、助かるんだが」

「いないわよ。そういう特別な人達と一緒にしないで」

「まあね。でも俺達は、ガーディアンだから」

 拳を差し出す阿川。

 山下はそれに自分の拳を重ね、アップスタイルの構えを取った。

 ガーディアンの使命は生徒を守る事。

 そのためには拳も振るう、批判も甘んじて受ける。

 それが、ガーディアンだから……。



「怪我が」

「大丈夫だ。それより、窓は」

「入ってこようとした人が、吹き飛んだ」

 こわごわと窓の外を指さす天満。

 窓枠には小さな缶が幾つか取り付けられていて、わずかに開いた隙間からチューブを外へ出している。

 催涙ガスを噴霧する装置のようだ。

「あなたに渡されたので、取り付けておきました」

「話が早くて助かる」

 ジャケットを脱ぎ、腕の傷口に消毒スプレーを吹き付ける伊達。

 表情は少しも変わらず、手慣れた手付きでハンカチを巻き付けていく。

「外の様子はどう?」

「阿川と山下と名乗る二人が守ってる」

「あの二人なら心配いらないわ。あなた程かどうかはともかく、腕も立つ」

 眠りに付く新妻の髪を撫でつつ微笑む涼代。

 追い込まれている状況にも関わらず、焦りや不安はみじんも感じられない。

 そう振る舞っている素振りにも見えるが、それが他人へどれだけの安心感を生み出すのかは言うまでもない。

「あなたも少し休みなさい」

「そうもいかない」

「いいから、休むの。大山君、そっちのソファーに毛布を。それと、傷もちゃんと手当てしてあげて」

 柔らかな、しかし強く明確な意志を含む姿勢。

 苦笑する大山の手招きに、伊達はため息を付いてソファーに座った。

「学外で名の通ってるのは、屋神さんや三島さん達。しかし、それ以外にも色々いるようだな」

「私は小物ですけどね」

「向こうが大物過ぎるだけだ」

 伊達は腕を伸ばしたままソファーへ横たわり、目を閉じた。

「5分経ったら、起こしてくれ」

「それで、十分ですか?」

「ああ」

「分かりました。よい夢を」

 そう大山が言い終える間に、伊達の口元から寝息が聞こえる。

 健やかな、安堵の表情。

 つかの間の、戦士の休息であった……。



 大山が手を伸ばす前に、伊達が素早く立ち上がる。

「きっかり5分です」

「外は」

「助けを求めてくる様子はありません」

 早足で歩く伊達はそれを背中で受け、ドアを飛び出した。

「すごいな、なんか」 

 口を開け、そのドアを見つめる天満。

 インカムは付けたままで、一般客の誘導指示や抽選会会場への連絡も行い続けている。

「凪ちゃん、どうかした?」

「いえ。私は、何の役にも立たないなと思って」

 自嘲気味に微笑む中川。

 キーを打つ手は緩やかで、インカムへの指示にも声に張りがない。

「分野が違うもん。私だって予算案を考えろとか、企業と交渉しろって言われたら困るわ」

「そうじゃなくて、いつもみんなの役に立ってないなって事。ただいるだけで、それ以外は何も……」

「凪ちゃん」

 言葉に詰まる天満。

 中川は顔を伏せたまま、低い声でインカムに指示を送っている。

「結局は杉下さんの事も止められないし、本当に何やってるんだろ」

「辛いなら、止めてもいいのよ」

 澄んだ声で言い放つ涼代。

 その隣ではようやく目を覚ました新妻が上体を起こしている。

「涼代さん、そういう言い方は」

「嶺奈ちゃんは黙ってて」

「は、はい」

「私達は全員間君に集められた。でもそれは、自分の意志で参加した。そうでしょ」

 微かに頷く中川。

 涼代は前髪をかき上げ、そのまま額を抑えた。

「私だって自分の無力さを感じてる」

「涼代さん」

「口に出せるだけ、あなたは偉いわよ。皮肉じゃなくてね」

 微かに漏れる、中川と大差ない自嘲気味な笑い声。

 しかし彼女の視線は伏せられない。

 固く拳を握り締め、歯を食いしばり。

 懸命に顔を上げている。

「それにあなたはまだ1年なんだから。少しは、私達を頼ってよね」

「は、はい」

「そういう事。ね、観貴ちゃん」

「さあ。私に振られても」

 素っ気なく返し、インカムで指示を出し始める新妻。

 そこには涼代の懸命さも、中川の無力さも、天満の健気さもない。

 自ら出来る事をこなすという、態度の他には。

 それが先輩として、後輩にしてあげられる事だとも言うかのように。


「病人に任しててもしょうがないから、二人とも頑張って」

「は、はい」 

 張りのある元気な声。

 落ち込んでいる暇なと与えない、矢継ぎ早の指示。

 室内には適度な緊張感と活気がみなぎってくる。

「なんだかんだと言って、みんな熱いですね」

 涼代が語っている間、一人外部と連絡を取り合っていた大山が小さく呟く。

「大山君。遊んでないで、仕事して。ガーディアンの配置状況の再チェックと、来客者の分布状況。峰山君へ連絡の後、折り返し私へ報告」

「はい」

 素直に答え、インカムの位置を直す大山。




 屋神達や伊達達とは違う、もう一つの戦い。

 誰にも気付かない、そして目立たない行為。

 しかし彼等は全員が誇りと自信を持って、今の仕事に励んでいる。

 今自分に出来る、最高の力を持って。

 生徒や来客者のためだけではなく。

 自分のために。

 そして仲間のために。






 







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ