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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第10話(第1次抗争編) ~過去編・屋神・塩田他メイン~
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10-8






     10-8




 朝のHR直後に告げられる生徒会長の辞任。

 またそれに伴う再選挙と、生徒会の組織変更。

 運営母体となる委員会への参加も、同時に募集された。

「思ったより、混乱は少なかったわね」

「生徒会長がどうしようと、大抵の奴には関係ない。それよりも委員会への参加でもらえる報酬の方が、魅力的だったんだろ。生徒会の独占となっていた各種権限を使えるのも、悪くはない話だ」

「結局は権力とお金。学校案と、どう違うのかしら」

 受付用となってるアドレスには、延々とメールが舞い込んでくる。

 どれも委員会への参加を希望するもので、中には一人で何通も送ってくる人間もいる。

「学校側の、遠回しな布石だって?」

「そうでないように、祈りたい気分よ」

「悲観的だな。杉山の性格が移ったか?」

「どうとでも言って。私は生徒会じゃないから、関係ないし」

 素っ気なく返し、席を立つ涼代。

 屋神は一唸りして、画面を消した。

「俺も、関係ない」

「ご自由に。室内陸上部への予算、多めにしてね」

「杉下へ頼めよ。予算編成局局長に」 



 生徒会の組織変更より先に始動した、予算編成局。

 権限の大きくなった生徒会のチェック機能が主な役割で、生徒のみならず学校職員とスポンサーである企業と自治体も参画して運営される。

 前任の予算局長笹島と理事長の推薦により、予算局主計課課長杉下が初代予算編成局局長に就任した。

 生徒会とは完全に独立した機関で、局長も選挙ではなく今の通り学校などの推薦。

 その後出資企業や自治体、学校と生徒会を交えた審査の上選出される。

 メンバーはそのまま予算局の人間を引き継いではいるが、学内の組織としてはかな異色な存在といえる。

 また生徒会から独立した事に伴い、新築間もないA棟別館にその場所を移した。

 本来なら学校の渉外部門が入る建物だったのだが、理事長の一声であっさりと変更。

 すでに荷物の搬入は終わり、企業や中部庁などの自治体関係者も学生との話し合いを始めている。



「名刺、書類、署名、会合。名刺、書類、署名、会合。いつまで続くんだよ」

「愚痴らないで下さい。局長」

「からかってる暇があるなら、その辺を片付けてくれないかな。仕事にならない」

「総務課から、何人か連れてこないと駄目ですね。秘書さんを」

「呼び方はどうでもいいよ。とにかく、疲れた」

 執務用の机は勿論、応接用のテーブルや床にまで山と積まれた企業のパンフレットと補助金の概要書。

 現在支給されている各種補助金の説明は、DDとなって卓上端末のスロットに入っている。

 当然それ以外のDDも、机やテーブルにしっかりと積まれている。、

 容量からいえば書類の比ではなく、杉下は目を抑えて長いため息を付いた。


「笹島さんは、こんなに忙しくなかったけれど」

「予算局の仕事は、学校から渡された予算の配分でしたからね。予算案自体も、生徒会全体での合議制に近かったですし」

「予算編成局は違うって?企業との交渉、学校との調整、生徒会から示された予算案のチェックと再編成、臨時配分。高校生がやる事じゃないよ」

「それでも、私達が勝ち取った権利じゃないですか」

 朗らかに笑い、企業のパンフレットを本棚へ入れていく中川。

 二人とも制服で、エアコンが効いてるためか白いパーカーを着込んでいる。

 どこかの企業が置いていったものらしく、最近TVCMで見かける仔犬が背中にプリントされている。

「午後からは」

「中部庁及び中央政府の関係者との顔合わせ。その後は草薙グループの資金運用部。夕食の際には関係者が集まり、第1次補正予算案の概要説明が行われます」

「企業の重役じゃないんだから。中川さんも、当然来るんだよね」

「え、えと。私は単なる、編成部門の一員に過ぎませんから」

「局次長は空席にしてある」

 無記名のカードを、書類の上に置く杉下。

 草薙高校・予算編成局と冒頭にプリントされていて、その下の欄には「局次長」の文字がある。

 また杉下の胸元には、「予算編成局局長」というIDが付けられている。


「私は、まだ1年ですから」

「俺だって、2年だよ」

「分かりました」

 こくりと頷き、端末を取り出す中川。

 自分のスケジュールを、変更しているようだ。

「あ。分かったのは、夕食への出席ですから。局次長の件は、またいずれ」

「かたくなだな、君は」

「そこまでの自信がないんです。杉下さんと違って」

 中川はくすっと笑い、署名済みの書類を抱えて部屋を出ていった。

 一向に減らない書類と、次々と送られてくる概要書添付のメール。

 先行した予算要求も、生徒会の各局から届けられてくる。

 次の会合は、5分押し。

 その後の会合も、分刻みのスケジュールになっている。

「自信、ね。これを見たら、揺らいだよ……」

 杉下のやるせない呟きは、書類置き場と化した予算編成局局長室の壁に消えていった。 



 ほぼ同時刻。

 各運動部のクラブハウスが入った、D棟。

 そこにある一際大きな会議室に、体格のいい男達が集まっていた。

 彼等だけでなく末席の方は女の子の姿もあるが、正面近くの席は厳つい男達が席を占めている。

 各自の前にある小型ディスプレイに表示される、所属クラブの名称。

 男達のクラブ名は、殆どが格闘技になっている。

 また彼等の後ろには数名の屈強な男が控えていて、無言の威圧感を放っている。

「……欠席者無し。それでは、臨時のSDC総会を開始する」

 淡々とした口調で宣言する三島。

 正面の一番端に座ってはいるが、その存在感は圧倒的の一言だ。

 彼のディスプレイ表示は「拳法部・副部長」

「代表の辞任に伴い、新代表の選出をしたいと思います。選挙でもいいんですが、生徒会の体制が未だ定かでは無い状態。ここは揉める事無く、全会一致で代表を選ぶ方向にして欲しいです」

 三島の隣にいた「拳法部・部長」が、静かな物腰で促す。

 横幅では及ばないが、彼に匹敵する程の長身。

 またその物腰とは裏腹に、屈強な男達は畏敬の念すら込めて彼を見つめている。

「すでに後期が始まっていますし、申し訳ないですが前回通り私達3年は除外という事で」

 低く響く、同意の声。 


 SDCはその名の通り、各クラブ部長(主将)の集まり。

 大抵のクラブは3年が部長なので、出席者の大半が権利を持っていない事となる。 

 三島のような副部長や、護衛の人間は別にして。

「自薦他薦は問いません。今言った条件で行くと、副部長の方が該当者になりやすいと思いますが」

 拳法部部長の言葉に反応して、視線が三島へと集まり出す。

 総合格闘技オープントーナメント高校生部門優勝、学内でも有数の規模を誇る拳法部に所属。

 条件に当てはまる、副部長。

 そして、学内最強という肩書き。

 しかし彼は動かない。

 言葉を発しようとしない。

 また他の連中にそうさせまいとするかのように、腕を組み難しい顔で虚空を睨んでいる。


「三島君は、やらないと思いますが」

 元々そういう顔よ、とはさすがに指摘しない涼代。

 かなり末席の方だが、執行部の一員なので一応全員の目が向けられる。

「その根拠は」

「能力や資質はあるでしょうけど、目立つのが好きな人ではないですから」

「SDC代表ともなれば在学中は勿論、将来の進路も相当有利になります」

「そうなの、クマさん?」

 親しみを込めた軽い口調。

 会議室全体にざわめきが走るが、三島が怒る様子はない。 

「俺は、やらない」

 淡々とした一言が返されただけだ。

 それ以上の言葉は、聞かれない。

 そして会議室は、再び喧噪に包まれる。

「静粛に」

 拳法部部長の良く通る声。

 縦社会の人間だけあり、指示は即座に聞き入れられる。

「すると、涼代さんは誰を推薦するんですか。それとも、自薦ですか」

「まさか。私がどうして……」

「彼女の方が適任だ」

 ぽそりと呟く三島。

 涼代の叫び声は、周囲の騒ぎに飲み込まれる。

 今度は拳法部部長がどれだけ静めようとしても、落ち着きはしない。

 それを静める方法は、いくつも残っていない。 

 怒号と叫び声と笑い声の中、一つの動議が提出された……。



「三島君っ」  

 普段は穏やかな輝きを湛える瞳を尖らせ、太い腕を叩く涼代。

 叩かれた方は何かを感じた素振りもなく、ゆっくりと顔を向けた。

「どうして、私がっ」

「決議は済んだ。後は生徒会と学校へ報告するだけだ」

「だからそうじゃなくて。どうして私が代表をやらないといけないのっ」

 涼代は拳を固め、三島のお腹を激しく突き始めた。

 彼女自身は結構な力を込めているつもりらしいが、やられている方は全くの無表情である。

「執行部入りをしたかったんだろ」

「もう、入ってるじゃないっ」

「格闘技系以外のクラブの意見を吸い上げるには、どうしたらいい」

「……私に、犠牲になれと言いたいの」

「考え方の問題だ。俺が上に立っても、付き合いやしがらみで上手くは立ち回れない」

「今日は、良く喋るのね」

 最後に鋭い一撃を叩き込む涼代。

 偶然正中線を捉えたそれで、三島の頬が微かに震える。

「当然、俺も補佐はする。部長もおそらくそのつもりだ」

「拳法部が後ろ盾?それは助かるけれど、私にそんな力はないわよ」

「殴り合いで人をまとめる必要はない」

「全く。屋神君もあなたも、全部人任せにして」

 口元でぶつぶつ呟いた涼代は、急に姿勢を正し三島の前へと立った。

 それに合わせ、三島も姿勢を正す。

「あなたを代表補佐に任命します。臨時職ではありますけど、よろしくお願いします」

「ああ、分かった」

 微かな、はにかみ気味の男っぽい笑み。

 小さく華奢な手と大きく厚い手が、重なり合う。

「その代わり、私の後はあなたが代表よ」

「それは、知らない」

 何か叫ぶ涼代を置き去りにして、疾風のごとく駆け出す三島。 

 それは室内陸上部の女子部部長である彼女をしても追いつけない、尋常ならざる早さ。

 その後しばらくの間は

 「熊を狩る女がいる」

 という噂がまことしやかにささやかれた……。




 運営企画局の一室。

 マニュアルにアンダーラインを引いていた新妻は、小さく息を付いてそれを閉じた。 

 予算編成局局長室とは違い、膨大な量の書類やマニュアルは分野別に整理整頓されている。 

 チェックする書類や仕事量が段違いなので一概に比較は出来ないが、彼女が慌てふためいている様子はまるでない。

「大丈夫ですか、先輩」

 一方はいつも通り、髪を乱している天満。

 とはいえ彼女も焦っている訳ではないらしく、仕事のペースもそう悪くはない。

「ええ。少し、疲れただけ。あなたは」

「私はもう、いつでも元気一杯です」

 見慣れない栄養ドリンクを傾けた天満は、書類の束を抱えて立ち上がった。

 言っているそばから、一枚また一枚と落ちていく。

 腰を屈め、それを拾い上げる新妻。

「あ。す、済みません」

「いいのよ」

 優しい、先輩故の微笑み。

 天満は顔を真っ赤にして、大慌てで書類を受け取った。

 今度はそれを絶対に落とすまいとしてか、必要以上の力で抱え込む。

「う、運営企画局の局長は、やっぱり先輩なんですか」

 場を取り繕うような、唐突な質問。

 小さく首を振った新妻は、彼女に座るよう促し自分の腕を抱え込んだ。

「選ぶのは、今度の選挙で選ばれる生徒会長。今の局長は3年だから変わる可能性はあるけれど、私はその任じゃないわ」

「前期に河合さんから指名された時も、そうして断ったじゃないですか。もったいないですよ」

「じゃあ、あなたを推薦しましょうか?」

 からかいを含んだ反論に、天満は言葉を詰まらせて大きく手を振った。

 人にあれこれ言うのは楽でも、というところだろう。


「だけど今までだって、実質的には先輩が指揮を執ってた訳ですし。手当や卒業後の就職先を考えたら、やっぱりもったいないな」

「表に出ない方が楽な場合もあるの。あなただって、そうでしょ」

「私は企画の人間ですから、みんなを仕切る能力も才能もないですよ」

 明るく笑う天満。 

 しかし新妻はその顔を、彼女へと近付けた。

 涼しげな、澄んだ瞳。

 照明を受け、不思議な色へと変わる。

 動きを止め息を飲む天満に、新妻はそっと声を掛けた。

「自分の可能性を信じなさい」

「で、でも」

「仮に私がいなくなれば、誰かが現場を指揮しなければならなくなる。その時に自分の企画が実行出来なかったら、あなたはどう思う」

「それは、残念というか。悔しいというか」

 優しく、慈しむように合わせられる指先。

 微かな、仄かな温もりが伝えられる。

「先輩はいるじゃないですか。だから私は今のままで」

「私だって、いつかはここを去るわ」

「そ、そうですけど。だ、だけど」

「大丈夫。あなたなら、必ず」

 新妻の声に力がこもる。

 彼女が出したとは思えない程の熱意と、力強さ。

 戸惑いの表情を浮かべていた天満が、思わず頷いてしまうくらいの。

 そしてそれを見届けた新妻は視線を伏せ、彼女の肩へそっと触れた。

「だからその時までは、私と一緒に仕事をしましょう。色々と、教えてあげるから」

「は、はいっ。が、版張りますっ」

 新妻に負けないくらいの力強い返事。

 床に落ちた彼女の視線に気付く事のない、明るく純粋な答えであった……。 



 生徒会各局の入る、特別教棟。

 その中でも各局から出向した者達だけで構成される、総務局。

 強大な権限を有する生徒会長と各局との調整が主な役割で、局長は他局の局長が兼務する。

 兼務していた情報局長が退学した今それは空席となっていて、生徒会長選挙後に各局が選任する事となっている。

 その、総務局の一室。

「もういいよ」

「次は、寮運営の概要書です」

 有無をいわさず分厚いマニュアルを彼に手渡す大山。

 難しい顔でそれを受け取った屋神は、表紙をめくった。

「料理とか作るんじゃないんだ」

「賄いのおばさんじゃないんですから。運営といっても寮生の交流や助言が殆どです。食事や清掃、建物や各種メンテナンスは以前通り外部委託になってます」

「要は、お兄さん役をやるって?俺は、そういうキャラじゃないんだが」 

 文句を言いながら、読み進んでいく屋神。

 何か面白い記述が合ったらしく、その男らしい顔が微かに緩む。

「寮に入っている生徒会の関係者は、全員寮運営委員会に強制参加となっています。屋神さんは幹部ですから、主幹として頑張って下さい」

「面白くないな。その内、寮出よ」

 テーブルに置かれるマニュアル。

「ふーん、アパートか」

「お前もどうだ」

「寮の方が気楽だよ。学校にも近いし」

 のんきに答える塩田。

「まあ屋神さんは女の子の出入りが激しいから、その方が楽かも知れないけど」

「いっそ、泊まり歩いたらどうです」

「好き放題いいやがって」 

 声を上げて笑う3人。

 その間にも他の生徒が書類やマニュアルを運び込んでくるが、それに気を留める様子はない。


「それで、生徒会長選挙は」

「泡沫候補は、何人かいますよ」

「面白いけど、そういう事を言うな。……で、あいつは」

「登録を済ませました」

 苦笑気味に書類を取り出す大山。

 生徒会立候補届出書、と書かれた一枚の紙。 

 署名欄には、「間剛士」の名前が書き込まれている。

「何考えてるんだろう、あの人」

「塩田よりは、色々考えてますよ」

「悪かったな」

 鼻を鳴らし、それとは別に取り出された書類を手にする塩田。

 推薦人名簿と冒頭にプリントされており、15名の欄は全てが埋まっている。

 名前は2年の5人に、河合と笹島。

 さらに、先日退学した総務局長達4人。 

 その下には大山ら1年の名前。

「すでに立候補の辞退が相次いでますし、無投票での当選になると思います」

「あいつが、生徒会長ね。信任投票やった方がよくないか」

「選出を急ぐよう、学校からも要請がありまして。それに理事長も、彼を推薦するそうです」

「塩田じゃないが、あいつは何がやりたいんだか」

 屋神の気だるげな質問に、大山は薄く微笑んだ。

「生徒会長の専権事項として、各局局長の指名権があります」

「おい」

「今回私達を集めたのと同じように、各部署へ私達を配置するつもりでしょう」

「杉下さんも予算編成局の局長だし。俺達の天下って訳?」

 朗らかに笑う塩田へ、大山は曖昧に微笑んだ。

 屋神はやや表情が重い。


「他の連中から反発は起きないのか」

「私達が結束していると知っている人は少ないです。また仮に知っていたとしても、屋神さん達の能力に文句を付けられる人はいませんよ」

「ああ」 

 どうとでも取れる答え。

 その表情は未だ沈んだままだ。

「どうかしました」

「俺達はそうやって、いい思いを出来る。でも、河合達の事を思うとな」

「冷たいようですが、自分達で選んだ道です」

「分かってる。ただ俺は、そこまで割り切れないんだよ」

 重い顔付きのまま部屋を出ていく屋神。

 後に残された塩田は、それとなく大山の顔を見上げた。

「転校するんだろ、河合さん達」

「ええ。間さんの生徒会長選出も、ほぼ決まりましたから」

「そこまで責任を感じなくてもいいと思うんだけどな」

「彼等は、そういう道を選んだんです」

 屋神へしたのと同じ言葉。 

 だがそこに含まれる意味は、微妙に違っているようにも感じ取れる。

 大山自身が意図しているかどうかは、定かでないが。

「いつ、なんだ」

「明日ですよ」




 早朝の冷えた空気。

 夏は終わり、秋の気配をいち早く感じ取れる時刻。

 白い日差しが、校門を照らす。

 その背後にそびえ立ついくつもの教棟。

 湿り気を吹くんだ熱田神宮からの風が、髪を揺らす。

「何してるの」

「一応、別れを告げようと思って」

 豪快に笑い、「学校法人草薙学園 高等部」と書かれた大きなプレートを拳でつつく河合。

 ジーンズにポロシャツという、旅立ちにはラフな出で立ち。

 隣で笑っている笹島は、紺のスーツを身にまとっている。

「栄君や大君達には、何も言わないの?」

「自分は、言ったのか」

「まさか。泣くのも泣かれるのも、性に合わないのよ」

 風にそよぐ髪。

 笹島はそれを抑えようともせず、学内を見つめている。

 自分が過ごし、守り、去っていく場所を。

 涙はなく、笑顔もなく。

 それは河合も同様だ。

 無数の窓ガラスがきらめきを放ち、白い日差しを辺りに散りばめていく。

 生徒の姿は勿論無く、彼等の歓声も笑い声も聞こえない。 

 それでも二人は、視線を逸らす事無く学校を見つめ続けていた。


「……感傷に浸ってる、ってところ?」

 しとやかさを含んだ、良く通る声。

 白いブラウスに紺のタイトスカートという、落ち着いた服装。

「残りたいのなら、かまわないのよ。手続きは、私が差し止めるから」

「もう、いいんです」

「終わった事だ」

 はっきりとした答え。

 何の未練も、後悔もない口調。

 そして二人の視線は、学校から離れていく。

 名残惜しさを見せる事無く。

「こんな朝早くから、何だ」

「ご挨拶ね。せっかく、空港まで送ってあげようとしたのに」

「暇なんですね」

 くすくす笑う笹島。

 高嶋は肩をすくめ、校門脇に停めてあった赤のワゴンを指さした。

「向こうの学校まで、付いていくから」

「アメリカですよ」

「そのくらいはしても当然よ。あなた達になら」

 彼女の答えも、淀みはない。

 自らの信念と自信に、微かな揺らぎもない。

 河合達への負い目も、謝罪の言葉も無い。

 自分を、そして目の前にいる学生を信じる気持ち以外には。



 東海エアポートへ続く名港トリトンを走る、赤のワゴン。

 オートパイロットが使用されていて、速度は出ていないが安全走行を保っている。

「二人とも、英語は」

「片言なら」

「そう。とにかく、住んでいれば何とかなる。私がそうだった」

 正面に見える朝日に目を細める高嶋。

 後ろに座っている二人は、バックミラー越しに彼女を見つめている。

「あなた達の籍は、卒業まで残しておく。そちらで掛かる費用も、全額私の基金でまかなうわ」

「俺達は、何の見返りもあんたに渡せないが」

「優秀な人間が得るべき、当然の権利よ。上を目指したいなら、どこまでも行きなさい。そのための援助は惜しまない。ただし、敗北を願う人はお断りよ」

 淡々とした口調。

 でもそれは、ありのままの彼女を伝えているようにも思えた。

「出来無いならやらなければいい。分不相応の事を望まなければいい。今回の改正案も、そう。その意味では、とても楽しみにしてるわ」

「試練も与えるという意味で?」

「あれだけの大見得を切ったんですもの。自分の言った事には、責任を取らないと。そうでなければやっぱり、子供は勉強だけしてればいいという事になるわ」

「俺達は、逃げ出した人間だからな」

 小声で呟く河合。

 笹島も視線を伏せる。

 しかし高嶋は慰めの言葉を掛けない。

 朝日に目を細め、海の彼方を見つめている。


「後悔してないなら、自分を責める必要はないわ。他人よりも、まずは自分を信じなさい」

「今日は、やけに熱心ですね」

「旅立つ子を思う、親の心境だと思って。あなた達みたいな優秀な子を手放すのは惜しいけれど、もう決めたんだものね」

「ええ」

 頷く二人を見て、高嶋は口元を微かに緩めた。

「それならいい。子供は勉強をして、色々学びなさい。何が自分に合っていて、何がしたいのかを知るためにも。雑務でその時間を無駄にするなんて、本当はもったいない事なのよ」

「はい」

「10代に出来る事なんてほんの少しで、その間にやれる事なんてもっと限られてくる。その貴重な時間を勉強以外で使うなんて、私は反対なのよね」

「何か、経験でもあるんですか」

 曖昧な笑みが返されるだけで、代わりに車が加速する。

「私の思い出話を聞いても仕方ないでしょ。それより、英単語でも覚えたら」

「そうします」

「屋神達に、あまり厳しくしないでもらえるかな」

 ぽつりと漏らす河合。

「悪いけれど、それは難しいわね。生徒への対応は、担当理事が行う規則なの。理事長がいちいち口出ししていたら、組織が動いていかないでしょ」

「ああ。だけど……」

「私も、中央校ばかりにはいられないのよ。これでも、全国にある草薙グループの学校を統括する立場の人間なの」

 苦笑気味の返答。

 細めのサングラスが掛けられ、視線は完全に消える。

「それに、何があろうとそれを乗り越えないとね。苦しくても、辛くても。そういう道を、あなた達は選択したのだから」

「襲撃され、暴行を受けても?」

「そういう真似はしないよう、厳しく伝えてはおく。ただ理事や職員がそれを守るかどうか。自分達の仕事を追われた彼等が」

「俺達は、そんなつもりはない。学校とも協調して……」

「大人の考えはもっとひねくれてるの。だから、どんな事をしてもあなた達を排除しようとする」

 沈黙が支配する車内。

 今まで聞こえなかったBGMが、耳を打つ。

 切ない、物悲しいメロディが。

「私がいない間は、その理事や職員達が学校を運営する事になっている」

「理事長の権限で止める事は出来ないんですか」

「彼等にもプライドがあり、それなりの信念がある。守るべき家族や仲間も。あなた達にとっては怒りの対象でしかない行為が、彼等にとっては信ずべき行為。他人から見れば理不尽で、馬鹿げた行為でもね」

 鼻を鳴らし、サングラスを直す高嶋。


 大きいカーブを曲がり、前方に海上フロンティアが見え出す。

 東海エアポート。

 VTOL機やSTOL機の利用も多い国際空港で、海上にある事から釣り客の施設利用も多い。

 ネットワーク上で搭乗手続きは済んでおり、彼等は国際線ターミナルの一角にあるラウンジに収まっていた。

 高嶋の名を出せばVIPルームの使用も可能だが、彼女が丁重にそれを断ったためでもある。

「仲間達が心配?」

「そう、ですね」 

 視線を伏せてささやく笹島。

 河合は目を閉じて、腕を組んでいる。

「私も心配よ。理事や職員達が、無茶をしないかどうか」

「だったら」

「力尽くで抑え込むのは簡単よ。現に今までは、そうしてきた。だけど私の目の届かないところで何をするのかまでは、監視しきれないわ。理事達が人を雇って何かを依頼したら、余計に」

 感情を抑えた、低い語り口調。 

 日差しが差し込まないラウンジ内でも、サングラスは掛けられたままだ。

「覚悟をしておきなさいとしか、私には言えない。無責任なようだけど」

「それは、私も同じですから」

「何とかなるだろう、多分……」

 いつにないか弱い声を出す河合。

 全てを吹き飛ばす豪快な笑い声は聞かれない。

 発着陸を告げるアナウンスが、ラウンジ内に響いていく。



「暗い顔してんな」

 不意に掛けられる低い声。

 笑いを含んだ、親しみを込めた。

「お前ら……」

 そう呟き、立ち上がる河合。

「勘弁してよ」

 口元を抑える笹島。

 屋神は二人の肩に手を置き、力強く微笑んだ。

 彼等を取り囲む新妻達も。

「茜こそ、黙って出ていく事無いでしょ」

「ごめん、観貴。泣くと恥ずかしいと思って」

「泣かなければ、いいだけよ」

「そうね……」

 笑顔で抱き合う二人。

 はにかみ気味に離れた彼女達の瞳が微かに潤んでるのは、誰にも責められないだろう。

「悪いな。逃げ出すような格好になって」

「気にするな。後の事は俺達に任せて、気楽にやってこい」

「ああ」

 重ねられる大きな手。

 集まる熱い視線。

 そしてアナウンスが、彼等の搭乗するスペースプレーンの到着を告げる。

「感慨に浸ってる場合じゃないわよ。大体あなた達、授業はどうしたの」

「さぼった」

「だから、子供には任せたくないのよね。今日は、大目に見るけれど」

 屈託のない、明るい笑い声。

 それに釣られて、屋神達も声を上げて笑い出す。

 今はそうする事が、最もふさわしいから。


「仕方ない、戻るわよ」

 高らかに言い放つ高嶋。

 それに釣られ、全員が彼女へ視線を向ける。

「どこへ」

「学校に。一つくらい記念を残してから、旅立ちなさい」

「記念って、なんだよ」

 顔を見合わせる河合と笹島。

 お互い、全く分かっていない様子だ。

「いいから。……済みません、高嶋です。……ええ、ちょっとお願い事が」

 高嶋は端末に向かって、しとやかな応対をしている。

「草薙高校までの航路を申請したいんです。はい、機体も。……はい、お願いします」

 端末がしまわれ、その視線が沢へと向かう。

「あなた、VTOL機の操縦は出来るわよね」

「一応、講習は受けている。ヘリの方が得意だけど」

「分かった。みんな、行くわよ」


 歓声と叫び声。

 それをかき消す、激しいローターの音。

「何で、空飛んでるんだ」

「早くていいじゃない。それにこの後は、アメリカまで飛ぶのよ」

「ヘリだろう、これは」

 顔をしかめ、窓の外へ視線を移す河合。

 一方の笹島は、何とも楽しげな顔付きだ。

 きらめく海面と、上空から望むクォータービューの名古屋市街。

 彼等がひた走ってきた海上高速も、その眼下にある。

「少し、下の空気が重いね」

 操縦桿を握ったまま、薄く微笑む沢。

 時折管制塔からの通信が入り、流暢な英語でそれに応対している。

「高校のヘリポートへ止めればいいのかな」

「ええ。あとどのくらいで着く?」

「10分くらい。後ろ、うるさいよ」

 苦笑気味の声がスピーカーから聞こえるが、窓の外を見て大騒ぎしている中川と天満は全く気付いていない。

「それで、戻って何を」

「記念」

 あくまでも答えない高嶋。

 沢も無理に尋ねようとはしない。

 遠目には、すでに熱田神宮の杜が見えている。

 歓声と叫び声と共に、ヘリは高度を下げ始めた。



 一人楽しげな高嶋に連れられ、学内を歩く一同。

 やがて彼等の前に、数名の生徒が現れた。

「お前ら……」

「どうして」

 絶句する河合と笹島。

 前総務局長達4名は、首を振って高嶋を指さした。

「寮で荷造りしてたら、連絡が入った。すぐ、正門前に来いって」

「記念なんですって」

「その通り」

 高嶋はくすりと笑い、胸元から小さなカメラを取り出した。

 端末に標準装備されている、動画も撮れるタイプの物だ。

「さあ、みんな並んで」

「俺達もですか」

「そのために呼んだのよ」

 曖昧に頷き、後ろへ下がる峰山。 

 小泉も、その隣へ付いていく。


「いい、撮るわよっ」

 カメラを構え、叫ぶ高嶋。

 草薙高校正門を背にした一同は、一斉に声を上げた。

「いい返事ね」

「理事長は」

「年齢差がきつくて」

 その場にひとしきり笑い声が起きる。

 彼女も冗談で言ったつもりのようだが、少し堪えたらしく表情が陰った。

「これだから、子供は」

「何か言いましたっ?」

「何でもない。ほら、笑って」

「はいっ」

 姿勢を正し笑顔を作る一同。

 高嶋の手が挙がり、上げられた指が一つずつ折られていく。

 そして焚かれるフラッシュ。

 上がる歓声と笑い声。

 今度はもうフラッシュは焚かれない。

 それでも高嶋の手も止まらない。

 肩を抱き合い、手を取り合い、声を掛け合う。

 そんな学生達をカメラに収め続ける。

 彼等の気が済むまで、いつまでも、いつまでも……。


 空の彼方へ消えるスペースプレーン。

 2時間後には、アメリカ本土上空に差し掛かっているだろう。 

 屋神達も見送り用のバルコニーから戻り、駐車場へと足を向けている。

 彼等が向かう先は、他のどこでもない。

 託された思いがまた増える。

 辛く、悲しい思い出も。

 それでも彼等は顔を上げ、歩いていく。

 自分で選んだ道を……。




 それから数日後。

 無投票で生徒会長が選出される。

 大山の指摘通り対立候補が、全員辞退したためだ。 

 アメリカの高校へ転校した河合に代わり、後期の生徒会長に就任する間。

 学内では無名の存在で、親しい友人ですら驚きを隠せない結果。

 そのため「陰で屋神と杉下が操ってる。それに分離したと言っても、生徒会と予算編成局は同じなんだよ」というまことしやかな噂がささやかれてはいるが。

 企業の重役室を思わせる、広く機能性に優れた室内。

 調度品も一級品ばかりが揃えられ、ともすれば緊張感が張りつめるような雰囲気。 

 正面には執務用の大きなデスクがあり、この部屋の主らしき男が書類をめくっている。

 デスクの前に居並ぶ男女の視線を避けるようにして。


「どういう事なの」

 珍しく語気を強める新妻。

「おい、何とか言えよ」

 普段通り荒く尋ねる屋神。

「間さん」

 厳しい口調で詰問した大山は、その勢いのままテーブルを叩いた。

「だから、今言った通り。新妻さんは運営企画局の局長。屋神君は自警局の局長。大山君は生徒会長付きの総務課課長。それ以外の局長は留任で、情報局は俺が取りあえず兼任する」

「総務局長は」

「各局での話し合いになるけど、俺は屋神君を推薦しておいた。他の局長は異存ないって」

「俺はあるぞ」

 射殺すような屋神の視線を書類でかわし、間は後ろに控えていた天満と中川を呼び寄せた。

「天満さんは新妻さんの補佐を。役職は、取りあえず企画課課長で」

「ええ?」

「中川さんは俺の管轄外だから、特になし」

「杉下さんが、局次長になれとうるさいです」

 俺は知らないと言いたげな間を、険しい顔で睨み付ける中川。 

 天満は困惑気味に、新妻を上目遣いでうかがっている。

「悪い話じゃないだろ。とにかくこれは意見じゃなくて、生徒会長としての命令だから」

「俺は」

「塩田君は、ガーディアン連合の副代表をお願い。向こうにも、話は通してある」

「議長はいないんでしょ」

「それは屋神君が議長待遇で、兼任するから」

 歯を噛みならす屋神。

 しかし間はついでとばかりに、彼へ視線を向けた。


「前、ガーディアンの人数が多過ぎるって言ってたよね」

「減らすアイディアでも考えたのか」

「うん、杉下の策なんだけど。生徒会ガーディアンズの約半数を、予算編成局へ移す。時期を見てそちらを解散させれば、相当数を削減出来る」

「今は別組織だし、金を扱うところだからガーディアンを置く名目も立つか。悪くない」

「で、そちらのガーディアンの指揮も屋神君という事で」

「なっ」

 テーブルを捉える屋神の拳。

 大山のそれとは違い、聞き慣れない音がする。

「とにかく、決めた事だから。細かい点は、杉下と話し合ってよ」

「その内、お前ともじっくり話し合ってやる」

「俺も忙しいんで、その内ね」

 強引に話を打ち切り、間は視線を彼等の後ろへと向けた。

「杉下、今月分の概算要求は受け取った?」

「ああ。今審査中だけど、おそらく通る。SDCからの、概算案も」

「それはどうも」

 大げさに頭を下げる涼代。

 杉下は苦笑して、ソファーから立ち上がった。

「会議、会合、会食。理事長じゃないけれど、高校生のする事じゃない」

「いいじゃない、企業にコネが出来て。ついでに私も、売り込んでおいて」

「涼代さんもに夕食会へ出ればいいんですよ。親父共が群がってきますから」

 あまり品の良くない事を言う中川。

 色々と経験をしているようだ。


「……お前は気楽そうだな」

 壁際にもたれていた三島を、屋神が恨めしげに睨み付ける。

「気楽だ」

 あっさりとした答え。

 屋神の顔色が赤くなるが、その態度は変わらない。

「所詮は熊だ。人の悩みが分かる訳無い」

「せいぜい、頑張ってくれ。いえ、頑張って下さい。自警局長」

「こ、このっ」

 ついに飛びかかる屋神。

 だが三島は軽くその手をかわし、肘を極めに行った。

 天井へと突きつけられる屋神のつま先。

 それを顎先のすれすれでかわす三島。

 お互いの顔に、不適な笑みが浮かぶ。

「二人とも、ケンカならよそでやってくれるかな」

「うるさいな。何ならお前を相手にしてもいいんだぞ」

「どんどんやって下さい……」

 あっさりと頭を下げる間。

 屋神は舌を鳴らし、三島から離れた。

 最後にローキックを放ってだが。

「それで、ガーディアンをどうするって」

「半分を俺が預かり、予算編成局の手駒として使う。それで、今同様各ブロックに生徒会と同数のオフィスを構える。備品も最新の物を支給する」

「何のために」

「経費の無駄使いとして、後で解散出来るように」

 事も無げに言ってのける杉下。

「その後でガーディアン連合も統合して、ガーディアン組織を一本化する」

「悪くないな、それ。後は、SDCとの関係か。今までも、さんざん揉めてきただろ。どっちが強いのどうのって」

「公式ではないけど、取りあえず不干渉っていうのはどう?ガーディアンはSDCの教棟をパトロールしない。逆に各運動部は、ガーディアンの試合会場警備とかに注文を付けない」

「なるほど」

 満足げに頷く屋神と、さりげなく三島へ手を振る涼代。

 彼の性格を考慮した、三島のアイディアのようだ。

「それと生徒会と予算編成局は、最低でも週1度の会合をする。出来ればSDCとも」

「俺はそれでいい」

「私も」

 間の提案に同意する杉下と涼代。

「後は学校運営の母体となる委員会の運営とその調整。それは次期総務局長である、屋神君の仕事だけど」

「お前は何をするんだ」

「前と変わらないよ。人を集めて、配置するだけ。というか、そのくらいしか俺は出来ないから」

 自虐的ではなく、楽しそうに笑う間。 

 河合の豪快な笑い声とは違う、少し頼りない感じ。

 それを聞かされている者達は、もっと頼りない表情で彼を見つめていた……。




 物のない部屋。

 備え付けのクローゼットの存在が、却って空虚さを伝えている。

 少年は、振り返る事なく部屋を出た。


 枯れ始める木々の葉。

 日陰には涼風が吹き込み、心地よさを覚える程だ。

 太陽はまだ東の空にあるが、この先も暑くなる気配はない。

 授業中でもあり、正門に生徒の姿はない。

 時折教職員や業者の出入りは見られるが、今はそれすらも。

 静けさに包まれる、草薙高校正門。

 そこを、一人の少年が出ていく。

 白のシャツと、紺のスラックス。

 今の涼しさに似合わない、沈みがちな表情。

 澄み切った雰囲気を漂わせた彼は、柔らかそうな髪をかき上げ足を止めた。

「見送りかい」

「お前も黙って出ていくのか、沢」


 正門の前で対峙する二人。 

 涼しげな風が、その間を過ぎていく。

「フリーガーディアンとしては何も出来なかったし、君達には必要なかったようだね」

「そうかも知れないけど、お前という存在は必要だったぜ」

「ありがとう。でも僕は、もっと自分を必要としている所へ行く義務がある」

「お前の意志とは別にか」

「それが、フリーガーディアンだよ」

 淡々とした口調。

 全ては風と共に、流されてしまったとでも言うかのように。

「また、会えるよな」

「再赴任は、滅多にない」

「そうじゃなくて」

「分かってる」

 しかし沢の表情に笑顔はない。 

 尋ねた、塩田にも。

「杉下さんは、お前を頼りにしてる」

「大山君も、そんな事言ってたよ。ずっと、僕を嫌っていた人なのにね」

「俺もあの人の本心は知らない。だけど杉下さんだって、仲間を思う気持ちは持ってる。俺は、そう信じてる」

「あまり聞きたくなかった言葉だね。別れが、辛くなる」

 小さく漏らす沢。

 その視線が、塩田の後ろへと向けられる。


「一応、仲間だから」

 苦笑して沢を見やる杉下。

 手渡される、可愛いナプキンに包まれた弁当箱。

「中川さんと天満さんの手作りだ。昼にでも食べてくれ」

「返しには、こられないよ」

「それは、君の自由だ」 

 峻烈とも言える言葉。

 塩田のように止める事も、情に訴える事もない。 

「その代わりといっては何だけれど、一つ教えて欲しい」

「僕の代役となる人間を?」

「察しがいい。多分学校も、この先色々仕掛けてくる。君と同レベルに腕が立つ人を、紹介して欲しい」

 あくまでも沢が去る事を前提とした質問。

 塩田が何か言いたげな顔をするが、杉下は沢を見つめ続ける。

「以前話した、渡り鳥という連中を雇えばいい。連絡先は、これを」

「分かった。条件面は?君は公務員だから無償だったけれど」

「腕により、金額は違う。勿論渡り鳥と呼ばれる人達は、全員優秀だけどね」

 一瞬沢の表情に鋭さが宿る。

 きっと彼にしか分からない、刻まれた記憶への眼差し。

 それもすぐに、消えていく。

「屋神さんも聞いてきたから、もう交渉してるとは思うよ」

「またあの人は、勝手に。君を招いた時もそうだ」

「揉めた時の責任を取るつもりなんだよ。外部の人間を雇うんだからね」

「自分一人犠牲になって、どうするんだ。これ以上、犠牲を出して」

 杉下の怒りを含んだささやきは、塩田にすら気付かれなかっただろう。

 包帯の取れた拳が、固く握り締められているのにも。

「空港まで送ろうか」

「いや。僕はここでいい。またヘリで戻ってくるのは、さすがに疲れる」

「なるほど」

 笑う二人。

 それを見て、塩田も少しだけ笑う。

 どこか寂しげな、切ない笑い声。

 別れには付き物の、何度となく繰り返される光景。


 道路を走ってくる、青いワゴン。

 正門の前で止まり、運転席の男性が手招きをする。

 むずがる沢を押し込み、そのまま乗り込む塩田。

 杉下は走り去るワゴンを、見えなくなるまで見送った。

 日差しは柔らかで。

 風は涼しげで。

 秋はもう、すぐそこまで来ていた。









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