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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第10話(第1次抗争編) ~過去編・屋神・塩田他メイン~
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     10-7




 書類の束を抱え、廊下を行く間。

 普段通りの気楽な雰囲気で、疲れや焦りめいた物は感じられない。

 半袖のワイシャツに紺のスラックス。

 臙脂のネクタイも、しっかりと締めている。 

 それを厭う様子は無く、むしろ彼の地味な顔にはよく似合っている。

「夏、か」

 窓から見える中庭へ目を移し、一人呟く。 

 意味はないらしく、ただその光景を楽しんでいるだけのようだ。

「これから、どうなるのやら」

 のんきな呟き。

 彼の表情に、微かな翳りが初めて帯びる。

 しかし視線は伏せられない。

 夏の日差しが注ぐ中庭へ、まっすぐと向けられる。

 今日は解放日で、学外の人間が幾組か散策を楽しんでいる。

 親子連れ、カップル、中学生、他校の生徒。

 以前は白鳥庭園という整備された場所だったため、今のような休日にはピクニック気分で訪れる人も多い。

 そんな彼等に向けられる、間の視線。

 暖かさも優しさも感じられない。

 その景色を、ひたすらに見入っている。

 今を逃しては、時がないとでもいうかのように。

 心に、焼き付けるように……。




 そんな日差しの中を、並んで歩く男女。

 間同様、制服にネクタイの男の子。

 妙にリアルな猫が描かれたTシャツに、赤のショートスカートの女の子。

 大山と天満だ。

 この間までの監視とは、また違うようである。

「こんな炎天下をうろつかなくてもいいでしょう」

 貴族的な顔立ちをしかめ、手で日差しを遮る大山。

 視線を足元へ向けていた天満は、やや丸い目をつり上げて彼を睨み付けた。

「仕方ないでしょ。この辺にしか、薬草は生えてないんだから」

「そんなのもらっても、新妻さんは喜びませんよ。大体、何に効くんですか」

「滋養強壮、肉体虚弱、精力減退……。は違うか」

 楽しげな笑い声が、夏の空へ吸い込まれて行く。

 熱い風になびく、天満の大きな麦わら帽子。

 彼女の愛嬌あるを引き立たせる、夏らしいアイテムだ。


「薬なり薬膳料理なりを食べさせばいいでしょう。どう考えても、そちらの方が喜ばれます」

「あなたは、人の心が分かってないわねー。こうして一生懸命頑張ってこそ、その価値があるんじゃない」

「では薬草の種類を、天満さんは分かってるんですか」

 真っ赤な細長い葉を握り締めたまま固まる天満。

 もう片手には、それとよく似た薬草を表示している端末がある。

「素人目には同じでも、実際は別物というケースがあります。毒キノコを食べて中毒になったというニュースを、良く目にするでしょう」

「大丈夫よ、多分。試すし」

「何を」

「毒味」

 差し差出される、妖しげな葉っぱの詰まったビニール袋。

 天真爛漫な笑顔と、額に浮かぶ汗。

 誰かのために頑張った、その証。

 笹島が中川が指摘した、「誰かのために頑張るのに、意味があるのか」という言葉。

 その場に天満も居合わせ、彼女の意図も理解はしただろう。

 でも天満は明るく元気に、野草を摘んでいる。

 新妻のために。

 そこに他意はなく、ただ彼女を思う心があるだけだ。

 人から非難されようと何を言われようと挫けない、強い心が。

「こういうのは頑強な屋神さんや三島さんにお願いしますよ。それか知識のある塩田にでも」

「いいからいいから。大山君細いし、丁度いいじゃない。何事も実践よ」

「天満さんだって、企画の人間でしょう」

「気にしないの。美味しいって、多分」

「いや、味よりも安全性を……」

 醒めた表情を崩し、必死に追いすがる大山。

 天満は相変わらずの、屈託のない笑みを絶やさない。 

 夏はまだ終わらない。

 そう思わせる日差しが、二人には降り注いでいた。



「実際は、どうなの」

「さあな。俺にも、よく分からん」

 鼻を鳴らし、ソファーへもたれる屋神。

 反対側に座っていた涼代は、手にしていたグラスを傾けアイスティーを一口含んだ。

「河合君と笹島さんは辞任。私達の案は採用。それでいいの」

「だから、俺に聞くな」

「じゃあ、誰に聞くの」

 屋神は気だるげに顔を上げ、険しい表情を浮かべる涼代を見つめ返した。

「仮に俺が生徒会ガーディアンズF棟隊長の立場で意見を言っても、理事長はその意味すら分からないさ」

「ガードマンて言ってたものね。全教棟を束ねる筆頭格の存在なのに」

「あの女が知ってるのは生徒会長と、学校との交渉で付き合いのある予算局くらい。頭は切れるけど、生徒活動の末端に関わる程暇でもなさそうだしな」

「だからって」

 涼代の言葉はそこで途切れる。

 彼女自身、言うべき事が無いのを分かっているのだろう。


「私に、もっと力があればいいのに。ただ叫ぶだけじゃなくて、みんなを本当に守る事が出来るような」

「無理言うな。理事長が言ってたように、俺達はただの高校生。向こうが本気になれば、それこそ子供扱いだ」

「だったらこのまま、向こうの言いなりになるつもり?今回も一見私達の意見が通ったようで、だけど実際はこの様じゃない」

「遊びと思わせておけばいい。ただの高校生がどこまで出来るか、見せてやれば」

 沈み掛けていた涼代の顔が上がる。

 その視線の先にあるのは、力強く微笑む男の顔がある。

 何かに立ち向かうと決めた、その気持ちと共に。

 今の自分を知りつつ、そして相手の実力を理解しつつ。

 それでもあきらめてはいない。

 そして、後ろを振り返りもしない。


「男の子と女の子の違いかしら」

「俺達が冷たいだけさ。感傷的になれる程、立派な人間じゃないんだ。皮肉じゃなくて」

「ええ。杉下君も、それにあなたも。みんなどんどん、強くなっていくのね。沢君の影響?」

「かもな。どういう生き方をしてきたのかは知らないけど、あのシビアさは結構堪えた。杉下も負けてないが、あいつは少し無理してる気がする」

「それはきっと、沢君も同じよ。ただ彼はそういう生き方を選んだ。それだけの事で」

 静かに流れる、鈴の音のような声。

 涼代はグラスを傾け、中の氷で同じような音を立てさせた。

「前よりは、まとまってきたと思う。でも、まだこれからかしら」

「個性が強過ぎるんだ、全員。もう、十分だろ」

「そうだけど。ちょっと、寂しいわ」

「だから感傷的って言うんだ」

 軽く笑い、自分のグラスを傾ける屋神。

 浮かんでいた氷はアイスティーと共に飲み干され、口の中で小さな音を立てている。

「おなか、壊すわよ」

「親みたいな事言うな。あんまり細かいと、彼氏に逃げられるぞ」

「付き合ってる訳じゃ、その」

「年上っての、気にしてるのか」

 からかい気味の笑顔に、涼代は微かに頷く。

 屋神はもう一度笑い、彼女のグラスにアイスティーを注いだ。

「一才差なんて、世間にゴロゴロしてるぜ」

「ある程度の年齢に達したら、そうだろうけど。私達の年代だと、そうもいかないでしょ」

「分かったよ。じゃあ、今のまま仲のいい先輩と後輩でいろ。それでも、問題は無いんだし」

「そうするわよ……」

 やや不満げな口調。

 それを見て、笑いを堪える屋神。 

 涼代は言い返す事が出来ないらしく、口元で呟くだけだ。

「あんな子供の、どこがいい。ガキだぜ、ガキ」

「先輩のあなたから見ればそうかもしれないけど。まあ、それは私も認めるけど」

「好きにやってくれ。しかし、塩田に女ね。笑うしかないな」

「もう、いいわよっ」

 室内に響き渡る絶叫。

 それに続く笑い声。 

 窓から入る機会をうかがっていた塩田は顔を赤らめ、いつまでもそこに張り付いていた……。




「これから、どうするつもり」

 透き通った声に、笹島は肩をすくめて首を振った。

「考えてない。辞任したのも、行き当たりばったりよ」

「それでいいの」

「さあ。でも、終わった事だから。私の後は栄君も凪ちゃんもいるし」

「そう」

 素っ気なく相づちを打つ新妻。

 二人とも同じような赤いパジャマを着て、ベッドサイドに腰掛けている。

「観貴は深く考えないで、自分の体を気遣ってなさい」

「私は大丈夫。みんなに迷惑掛けて、申し訳ないくらいよ」

「そんなの、誰も気にしてないわ。特に大君と公威君はね」

 屋神と三島の名前を出し、笹島はベッドへ倒れ込んだ。

 小さな笑い声が、微かに聞こえる。

「あの二人が、あなたの事になると必死になるんだもの。恋愛とは、ちょっと違うかもしれないけど」

「知らない」

「はいはい。それにしても、私にはどうして男が寄ってこないのよ」

「怖いんじゃない」

 ぽそりと漏らす新妻。

 笹島の体が、一瞬揺れる。

「人をたぶらかす魔女。魔法を使い、人を操る。その赤い瞳の輝きを観た者は、彼女の虜になるであろう」

「人聞きの悪い。ちょっと周りの状況を見て、それを利用してるだけじゃない。目が赤くたって、いいじゃない」

「学内での評判を言っただけよ。それにあなたが魔女なら、私もそうだわ」 

 新妻の口元が緩み、彼女の体もベッドへと横たわる。

あかねはそれを、分かりやすくしているだけで。コンダクターという呼び名も、言い換えれば人を意のままに操るという意味よ」

「何なら二人して、この学校を支配する?格好いい男と可愛い男の子達を侍らすっていうのも、悪くないわよ」

「考えておくわ」

 珍しく声を出して笑う新妻。

 だがそれは、いつまでも続かない。

 彼女はその小さな手を自分の胸に当て、長いため息を付いた。

「この先、どうなると思ってるの」

「なるようになるわ。そして後悔しないよう、頑張るだけ」

「そう」

 先程と同じ、短い相づち。

 深い、いくつもの思いが込められたささやき。

 二人の手は重なり、照明が消える。

 エアコンの音に、虫の音は届かない。

 近づく秋の足音は。




 シンプルな、整った室内。

 壁際のベッドに横たわる杉下。

「お前。手、どうしたんだ」

「ドアでちょっと」

 包帯の巻かれた右手をしまい、完全に背を向ける。

「頭のいい奴が考える事は、分からん」

 脳天気に言った河合は、鼻で笑いジョッキを傾けた。

 女性なら持ち上げるのも一苦労というそれが、一気に飲み干される。

「ビール無いのかよ」

「まだ、お昼です」

 陰険な目でたしなめる中川。

 杉下の元を訪れたはいいけれど邪魔者が、という顔にも見える。

「夏なんだし揉め事も片付いたんだ。少しくらいは、羽目外せって」

「辞任して落ち込むとか、そういう心境じゃないんですか」

「やけ酒だよ、やけ酒。大体俺って、生徒会長って柄じゃないんだよな」

 豪快に笑った河合は、テーブルに置かれた3Lのペットボトルをそのまま飲み始めた。

「それで、何しにきたんですか」

「俺の後は、誰がやるのかと思って」

 中川の視線が杉下へと向けられるが、その背中はわずかにも動かない。

「そいつは駄目だ。笹島さんの跡を継ぐから」

「すると、屋神さんでしょうか」

「ああ。ただ、あいつが受けるかどうか。表に出たがるタイプじゃないからな」

「でも、三島さんはもっとあれですし。新妻さんも、涼代さんも」

 身近な2年を挙げていく中川。 

 河合も腕を組み、唸るような声を上げた。

「だからその辺じゃなくて、俺達の知らない人間が出てくるかもしれない。繰り上げ選挙をするなら、だが。それとも副会長が一時的に代行するとか」

「どういう人ですか」

「仕事は出来るけど、やっぱり前に出るタイプじゃない。そいつにやらせるのは、酷だ」

「どちらにしろ後期が始まった途端、生徒会長辞任ですか。結局、揉めそうですね」

「済んだ事さ」

 河合は事も無げに言い、半分程になったペットボトルをテーブルへ戻した。


「……何も、1年から出してもいいんだ」

 タオルケット越しに聞こえる小さな声。

 中川の顔色が変わるが、河合がそれを手で制する。

「大山君なら、十分に務まる。俺達が全員で推せば、当選もたやすい」

「この間まで、中学生だった奴だぜ」

「年齢は関係ない。大事なのはその能力があるかどうかだよ」

 小さな声ながらも会話を続ける杉下。

 体は横たわったまま、壁に向けられたままだが。

「でも大山君こそ、そういうのやらないタイプに見えますけど」

「俺以上に、醒めてるからね。それに、例えばの話だから」

「何だ、それ」

 もっともな感想を漏らす河合。

 結局杉下の意図は、分からない。

「まあ、なるようになるか」

「もう、笑わないで下さいよ」

 室内に響く豪快な笑い声。

 背を向けていた杉下の体が震える程の。

 誰の心にも届く、力強い感情。

 それは部屋の壁に染み込むかのように、大きなものだった……。




 数日後。

 理事長室に集められる一同。

 今回も2年のみで、違うのは杉下が参加している事。

 そして沢も、やはり席に着いている。

「提出されたDDはチェックしたわ。それなりに、面白い案ね」

 この間同様、落ち着いた態度で微笑む高嶋。

 だが赤いマニキュアを塗られた指先が、テーブルに置かれた1枚のDDを指し示す。 

 彼等が提出した物とは違う、やや汚れたDD。

「この間担当理事が参考用に提出したのと、殆ど同じ内容。彼はあなた達が盗作というか、データを盗用したと言ってるけれど」

「もしそうなら、何か問題ですか」

「彼にとっては。自分の手柄になるか、生徒の案をどう手に入れたのかという疑問の瀬戸際」

「判断は理事長にお任せします。私達は、採用されればそれで」

「正直言えば、私はどちらでもいいわ。規則改正を申し出たのは理事達で、それが妥当だと思って承認しただけだかから。誰の案だろうと、内容に問題が無ければね」

 上目遣いで高嶋を見やる笹島。

 返されるのは薄い微笑み。

 その意図は、掴み辛い。

「あくまでも、干渉はしないと」

「私はね。その改正案が生徒に支持されれば、理事達の出番はない。逆に支持がなければ、次年度からは学校案を採用する。委員会の採決では同数だし、これでどう?」

「ええ。かまいません」

 静かな返事。

 他の者も、それに合わせて小さく頷く。


「特別地方警備担当監査官として、一言発言してもいいかな」

「どうぞ」

 突然の申し出に、動揺する素振りも見せず促す高嶋。

 沢は視線をテーブルに落としたまま、口を開いた。

「退学者に対する扱いについて、良くない評判を聞いている」

「私もよ。それについては改善して、報告書は職員達が教育庁に出してあるわ」

「僕も、そう聞いている。これからも、それは遵守して欲しい」

「勿論」

 何を今さらという顔はしなく、皮肉を言う訳でもない。

 むしろ屋神達の方が、不思議そうに沢の様子をうかがっている。

「成績面や刑事事件になる場合はともかく、それ以外は留意する」

「ここにいるメンバーについても?」

「ええ。退学したい、という人がいるのならね」

 苦笑して生徒達を眺めていく高嶋。

 それに返される視線は様々だが、彼女が気にした様子はない。

「分かった。あなたが考えを翻すとは思わないが、理事や職員にも公式な形で通達して欲しい」

「ええ、かまわないわ。ただし退学後の面倒は見るけれど、退学したい人間を止めるのは知らないわよ」

「それは個々の生徒の問題だ。そこまで学校に責任を負わせる気はない。自分の面倒くらいは、自分で見ないと」

 冷静な、無機質とも思われる態度。

 沢は姿勢を正し、足元にあったバッグから数枚の書類を取り出した。


「4名の退学願いを受け取っている。彼等の転校先と大学への進学を、斡旋して欲しい」

「おい、これってっ」

 高嶋よりも先に書類を手に取る河合。

 総務局局長、情報局長、ガーディアン連合議長、SDC代表。

 そこに書かれている名前は、ついこの間まで彼と席を共にしていた者達だ。

「後で学校長と相談して、受理するわ。転校先については、担当者に彼等と連絡を取るよう指示しておく。それにしても、どうして辞めるのかしら」

「あんたには、分からないよ」

 苦しい、絞り出すような声。

 手にしていた書類が、小刻みに揺れる。

 他の者は、一言も発しない。

「俺がそいつらと話す。それまで、受理は待ってくれ」

「かまわないけれど、提出した時点でもう気持ちは決まってると思うわよ。そのくらいは、私の方が経験上詳しいわ」

「分かってる……」

 その言葉は殆ど音にならず、河合の口元だけでささやかれる。

 書類は彼の手を離れ、高嶋の前へと置かれた。

「私から見ても、いい学校だと思うけれど。子供の考える事は、理解出来ないわ」

「だろうな」

 かろうじて呟く河合。

 高嶋は聞こえていないのか気にとめていないのか、書類をバインダーにしまっている。

「それで、特別国家公務員さんはいつまでいるの。この学校に編入するなら、手続きするわよ」

「じき帰るよ」

「あなたに、帰る場所なんてある?」

 ただ聞いただけという口調。

 彼女自身、深い意図はなかったのだろう。

 しかし沢の表情は、一瞬闇の中へと消えた。

 あくまでも、一瞬。


「痛いところを付くね」

「あら、ごめんなさい。この前の大戦で家族を亡くした人も多かったから、私も気を付けてはいるんだけど。今は、失言だったわね」

「戦争で死んだ訳じゃない」

 いつにない、険しい物腰。

「とにかく、僕はいなくなる。その方が理事長も、やりやすいだろ」

「特別公務員を取り込めるのなら、話は別よ。献金するよりも強いコネクションが、教育庁に出来るから」

「平気でそういう事を口にするところは、悪くないと思ってる。どちらにしろ、相容れない存在だろうけど」

「まあね」

 軽く視線を交わし、それとなく逸らす両者。

 そしてお互い、真意を語る様子はない。

「取りあえず、退学届けは保留にしておくわ。結果が決まり次第、連絡して」

「ああ」

「後、生徒会長の後任も決めないと。せっかく再任されたのに、その前に辞めるだなんて」

「それは済まないと思ってる」

 うっそりと頭を下げる河合。

 高嶋は軽く笑い、「冗談よ」と付け加えた。

 彼女との間に越えられない壁があるのは誰しもが感じているが、彼女自身のキャラクターはそれ程悪い印象を与えない。

「副会長を代行にするか、後期開始直後に再選挙をするか。その辺りも、当然生徒が決めるのよね」

「ああ、そのつもりだ。勿論、学校とも相談はするが」

「私はどちらでもいいわ。有能で、話の分かる人間が選ばれるのなら。まさか理事長権限で選任する訳にもいかないし」

 一人で笑う高嶋。 

 だが笑い事ではないと思っているのか、屋神達はくすりともしない。

「ただし生徒会長は学校と生徒の窓口兼交渉役なんだから、早く決めてもらいたいわね。そのくらいは、口を挟んでもいいでしょ」

「……9月中には、必ず選ぶ。それと、おそらく選挙になると思う」

「予算局の局長も、早く選んでね。誰にお金を渡したらいいか、困るから。あ、予算局はスタイルを変えるのか。そちらは私にも関係するけど、それも含めてお願い」

「分かってる」

 小さく頷く河合。

 他の者は黙って、二人の会話を聞いているだけだ。

「取りあえずは、そのくらいかしら。何か、他に言いたい事はある?」

 気さくな態度で尋ねてくる高嶋。

 手も声も上がらず、視線も交わされない。

 高嶋も、ついでに聞いたというくらいなのだろう。

「それでは、解散。また呼び出すかも知れないけれど、その時はよろしく」

 明るい彼女の声が、理事長室に響き渡る。

 静まりかえった生徒達の間を抜けて。

 そして颯爽とドアを出ていく彼女の姿を見届けた者は、殆どいなかった……。




 ほぼ一方的に押し切られたと言っていい会談。

 人気のないラウンジに集まった彼等は、未だに重苦しい雰囲気に包まれていた。

「退学、か」

 ぽつりと漏らす屋神。

 河合と笹島の顔色が変わるが、二人とも口を開かない。

「お前らが責任感じてるのは分かる。でも、あの女が言った通り決まった事だ。今さら、あいつらも撤回する気はないだろ」

「屋神君」

 困惑気味に遮る涼代。

 屋神はため息を付いて、席を立った。

「少し、休む。襲われるかも知れないから、女はうろつくなよ」

 そう言い残し、ラウンジを後にする。

 その大きな背中は、頼りない足取りで廊下へと消えていく。

「結局、私達に巻き込まれた様なものよね」

「笹島さん」

「元々学校案に賛成する人達を強引に引き込んで、その結果がこれ。謝りようもないわ」

「それは私達の言う台詞よ」

 苦い表情で額を抑える涼代。

 三島の顔付きも、いつになく厳しい。

 間ですら、顔を伏せて額を抑えている。

「自分で決めた事だ。仕方ないさ」

「おい」

「河合君も笹島さんも、強要した訳じゃない。退学しようと決めたのも、彼等の意志だよ」

「そうだけど、でも」

 反論し掛けた笹島は、顔を背けた杉下を見てため息を付いた。

 無言で壁を叩く杉下。

 何度も、何度も。

 それに気付いている者はいないだろう。

 彼の拳から、血があふれている事にも。


「杉下君の言う通りよ」

「新妻さん」

「落ち込んでる場合じゃないわ。夏休み明けまで、後2週間。大まかな体制は現状を維持するにしても、組織変更が必要な部分もある。規則の通達や、配置換え。学校から私達に委任された職務のチェックと、そのリハーサル。とにかく、やらなければならない事はいくらでもあるわ」

「冷静なのね、あなたは」

 声を押し殺して問い掛ける涼代。

 怒りと悔しさを押し殺した顔が、まっすぐと新妻へと向けられる。

 だがそれに返される言葉は無い。

「もう一度言うわ。時間がないの。この改正案を勝ち取ったのは誰。それを、実行に移すのは誰なの」

「私達よ」

「じゃあ、そのために頑張ろうとした人達は。自分達の存在が邪魔になると思い、身を引こうと思っている人達は」

 新妻の澄んだ声は変わらない。

 透き通った表情も。

「どうして彼等が手を下ろしたのか。過半数に持っていくためには、8名の挙手だけで十分。私達と茜達だけで、8人。それ以上の人間は、手を挙げてはいけなかった。それに気付いたのは、誰」

「杉下君の策を分かっていたっていう意味?」

「先の読める人達よ。だから今度も、自分から身を引いた。反対者が生徒会や組織に残っては、その後の学校運営に邪魔になると思って」

「それは、新妻さんの推測でしょ……」

 頼りない涼代の言葉。

 河合と笹島は身じろぎもせず、ずっとテーブルを見つめている。

「そうね。私も、聞いた訳じゃない。でも、彼等が学校を去るのは事実よ。これからを、私達に託して」

「もういい」

 席を立つ河合。 

 笹島も、無言でその後を追う。

「河合君、笹島さん」

「話をしてくる」

「後で、連絡するわ」

 そう言い残し、二人はラウンジを出ていく。

 他の者は、動こうとしない。

 そして杉下の拳は、壁を叩き続ける……。




 男子寮ラウンジ。

 河合と笹島の前に座る、4名の生徒。

 総務局局長、生徒会長付きの総務課長、ガーディアン連合議長、SDC代表。

生徒会の二人は女性で、後者は屋神達ほどではないが引き締まった体格の男性だ。

「……本当に、辞める気か」

「学校を裏切って、あなた達も裏切って。居場所がないもの」

 自嘲気味に漏らす、ロングヘアの総務局長。

 緩いウェーブの掛かった総務課長も、申し訳なさそうに頷く。

「転校先も斡旋してくれるっていうし、心機一転頑張るさ」

 ぎこちない笑みを浮かべたのは、五分刈りのガーディアン連合議長。

 チェックのバンダナを頭に巻いているSDC代表は、面白く無さそうに鼻を鳴らした。

 彼の傍らには、使い込まれた長めの木刀が置いてある。

「後は好きにやってくれ。俺達は、もう関係ない」

「新妻が言ってたぞ。お前らは、自分達が犠牲になって……」

「下らない。そんな立派な人間なら、学校辞めるかよ」

「済まん」

 テーブルに手を付き、深く頭を下げる河合。

 誰もそれを止めようとはしない。

 言葉も、怒号も、拳も。

 何もない。

 その心の他は。


「大体、辞めてどうする気」

「私は、地元へ戻るわ。いいわよ、北海道は」

「私も、四国へ。名古屋は、冬が辛いです」

「北海道は、もっと辛いわよ」

 苦笑する総務局長。 

 総務課長は「済みません」と呟き、冗談っぽく頭を下げた。

「俺は、東京かな。大学も、向こうに行くつもりだったし」

「奇遇だな、先生」

「付いてくるなよ」

「旅は道連れ、世は情け。裏切り者同士、仲良くしようじゃありませんか」

 楽しげに笑い合うガーディアン議長とSDC代表。

 だがそれを見ている笹島には、苦しげな表情しか生まれない。


「また、会おう」

 短い一言。 

 万感の思いが込められた言葉。

 誰も、答えを返さない。

 微かな笑みを除いては。

 伸ばされる四つの手。

 重なる六つの手。

 言葉はなく、ただ思いだけが伝わっていく。

 交わされる視線と、重ねられた手を通して。

 自分達の存在を確かめるように。

 例え今は意味が無くても。

 そしてこの先も、無駄な事だと思われても。

 後悔はしない。

 全ては成し遂げた。

 だから、自分達は誓い合う。

 いつの日か、また会おうと。

 語り合おうと。

 その時も、笑顔で……。   




「また君か」

 疲れ切った顔でドアを開けた杉下は、面倒げに手招きをした。

「怪我の具合が、気になって」

「大した事はない。ドアで、挟んだだけだから」

「前より、悪くなってる」

 淡々と指摘する沢。

 だが、壁に飛び散った血にまで言及する事はない。

「医者ではないけど、薬は持ってる。後は、それ以上痛めないようにするだけだよ」

「君に、気遣われるようでは」

 白い錠剤を受け取り、無造作に噛み砕く杉下。

 味は殆ど無いらしく、表情は変わらない。

「睡眠薬とか自白剤とかを疑わないのかい」

「俺の考えくらい、お見通しだろ」

「考えは分かっても、感情は分からない」

「同じさ。仲間の反感を買う、策に溺れるインチキ策士」

 面白く無さそうに笑い、血の滲んだ包帯をめくる。

 皮膚が裂け、血の固まりがあちこちにこびりついている。 

 消毒スプレーを掛けた時はさすがに眉をひそめたが、ガーゼと包帯を巻く作業では以前の神経質な顔立ちに戻った。


「あの4人の退学が受理された。女の子達は実家に、男の子達は東京に行くそうだ」

「せっかく中等部の特待試験をくぐり抜けて、入学出来たのに」

「杉下さんは」

「俺は小等部から、ここにいる。実家はちょっと遠いけれど、中等部での寮暮らしに憧れてたよ」

 ふと、あどけない表情になる杉下。

 本人はそれに気付いていないのか、柔らかな表情のまま語り続ける。

「その点でも、彼等は思い切れたんだと思う。ここじゃなくても、自分の居場所はあると。俺だって手を下ろしたのに、こうして居座ってる」

「他の学校に行くのも、悪い事じゃないよ」

「君はフリーガーディアンだからね。でも俺は臆病者だから、今さら転校なんて無理さ」

 普段よりもやや高いトーン。

 良く動く手と、明るい笑顔。

 韜晦ではない、自然な態度。

 肩肘を張らない、一人の高校生がそこにはいた。

「見知らぬ人と知り合うのは、確かに難しい。でも、別れの辛さに比べれば何でもない」

「どちらも、俺は駄目だね」

「だから杉下さんは、ここに留まり続ければいい。誰が、何と言おうと」

「言われなくても、残るよ。ここは、俺の母校なんだから」

 当たり前だろとでも言いたげな杉下の表情。

 沢も、苦笑気味に頷く。

「いっそ沢君も、ここに編入したらどうだ。理事長にはああ言ってたけれど、フリーガーディアンは辞めてもかまわないんだろ」

「自己申告すればね。今度の改正案で生徒の自主性が確立されるし、確かに悪くはない。でも、そう簡単にもいかない」

「そうか……。事情があるよな、君にも」

 軽く頷く杉下。

 残念そうな表情は見せるが、ある程度答えは予想していたのだろう。


「理事長との交渉でも、色々嫌な役をしてくれたし。君には本当に……」

「気にしなくていい。僕はここの生徒のために、赴任して来た。だから、誰にどう思われようとかまわない。自分の任務さえ果たさればね」

「任務は、もう終わるのか」

 独り言の様なささやき。

 答えも、それに似て。

 エアコンの小さな音が、今は大きく聞こえている。

「あなた達の改正案が施行されても、問題はまだ残る。学校も、巻き返してくるだろう。理事長はともかく、理事や職員にとっては死活問題だから」

「自分の仕事が奪われると、勘違いして?協調、分担という言葉を知らないのかな」

「知っていれば、今までだって襲ってこない。次に雇われる連中によっては、相当の覚悟が必要になるよ」

「この学校は、俺達が守る。辞めていった人達がそうであったように。俺も、自分に出来る事をする」

 いつもの醒めた語り口。

 だが包帯の巻かれた拳は、きつく握り締められている。

「年内はいられるのか」

「努力はするけどね。関わった以上、僕にも責任はある事だし」

「頼りにしている」

 その言葉に、どんな意味が込められているか。

 薄く笑う杉下。

 同じような笑顔を浮かべる沢。

 重なる拳と拳。

 窓の外に見える日差しは相変わらず強く。

 しかし木陰に入れば、その涼しさを味わえる。

 移り行く季節。

 止まらなく、変わり続ける……。



 名古屋港、フェリー埠頭。

 戦前は公害と有害排出物で汚染されていた港内も、今は2m以上の透明度を保つようになっている。

 港内付近の漁や釣りは一部を除いて原則的に禁止しているため、岸壁に立てば魚の泳ぐ姿を容易に見る事が出来る。

 展示用として係留されている、南極観測船しらせ。

 その隣には、鯱を象った金色の船が浮かんでいる。

 相当に趣味の悪い形だが、観光客には意外と好評のようだ。


「わはは」 

 指を指し、大笑いする天満。

 今日は妙にリアルなフェレットがプリントされたTシャツと、青いショートスカート。

 余程おかしいらしく、涙を流して体をくの時に折っている。

「そこまで、笑える?」

「俺は、別に」

 首を傾げ合う中川と塩田。

 大山はため息を付いて、息を切らしている天満の背中をそっとさすった。

「ご、ごめん。だ、だって。鯱」

「見れば分かります。何でもインドネシアへ売却する予定だったのが、市民の署名が集まって差し止められたとか。市民の力が集まり、鯱は助かったんです」

 今の説明を聞いて、また笑いをぶり返す天満。

 大山も、分かってやっているらしい。

「話はまだ続きがありまして。東海エアポート建設の際、沖の浮島へ作業員を運ぶのにあの船を使ったんだとか」

「う、嘘」

「本当です。ほら、データベースを見て」

「わっ」

 完全に言葉を失う天満に、大山は冷静に記事を読み上げていく。


「どうした、沢」

「いや、なんでもない」

 白いシャツにジーンズの沢は、伏せていた顔を上げ岸壁の手すりに手を掛けた。

 狭い港内の先に見える、昼間でもライトアップされた名港トリトン。 

 東海エアポートへ直結する、海上高速である。

「たまに、バイクで走るぞ。面白いよな、海の上だから」

「そうだね」

「のりが悪いね、君は。やっと休みをもらったんだし、弾けろよ。夏休みだぜ、夏休み。もう、終わるけど」

「僕も、休みを返上してこの学校へ来てるよ」

 軽い反撃に、あっさりと口をつぐむ塩田。

「河合さん達は、どうすると思う」

 何気ない口調で尋ねる中川。

 それに答えたのは再び顔を伏せた沢ではなく、普段通り醒めた表情を浮かべる大山だ。

「本人達次第ですよ。辞めた人達に責任を感じて、自分達も辞めるか。改正案を軌道に乗せるために、あえて残るか。沢君が恨みを買ってまで勝ち取った、改正案を」

「僕の力じゃない。みんなが頑張ったからさ」

「あなたも含めてです。フリーガーディアンとしての権限を振るうと、期待していましたけど。殆どは高校生としての、沢義人でしたからね」

 皮肉っぽい、どこかからかいを含んだ言葉。 

 沢は何も言わず、足元の石を海へと蹴り込んだ。

 海面が小さな波紋を作り、それは緩やかな波に消されていく。

「僕がフリーガーディアンとして振る舞っても、その結果はすぐに消えてしまう。そうならないよう他校では無茶もしたけれど、ここではね」

「必要ないと」

「屋神さんや、君達がいる。僕の出番はない」

「杉下さんは、あなたを頼りにしてますが」

「疲れて、気弱になってるだけさ」

 ため息混じりの返事。

 大山は醒めた視線を彼に注ぎ、それを海の彼方へと移した。

「沢君の力がいるのは、むしろこれからだと思ってるんですけど」

「僕も、そう思う」

 沢の顔も、海へと向けられる。

 きらめく海面。

 飛び交うカモメ。

 潮の香りが体にまとう。

 二人はどちらからともなく、海から顔を背けた。

 きらめきが、まぶしかったかとでも言うかのように。


「わーっ、フナムシーッ」

「やっ。いやーっ」

 離れた所から聞こえる、天満と中川の叫び声。

 塩田は手すりにもたれ、彼女達の側に佇んでいる。

「あの子は、何をやってるんだか」

「女の子だからね」

「まあ、そうですけど」 

 やるせないため息を付く大山。

 塩田も苦笑して、彼女達の様子を眺めている。

 屈託のない笑顔と笑い声。

 最近あまりなかった、高校生らしい光景。

「それよりも、君こそどうするんだい。人が減る分、その穴埋めが必要になるから」

「表に出るのは苦手なんですが」

「今は2年がいるからいいにしろ、いずれは君達だって2年、3年となっていく」

「私が無理をしなくても何とかなるでしょう。この学校は人材が揃ってますし」

 あまり楽しそうではない大山の口調。 

  沢の言う通り、いつまでも傍観者の立場にいられないと自分でも気付いているのだろう。

「まあ、僕には関係のない話だ」

「冷たいんですね」

「君程じゃないよ」

 苦笑する二人。

 しかしその笑い声も、長くは続かない。

「暑くも楽しい夏の日々は、いつまでなのか。なんて、考えてしまいそうです」

「秋には秋の、冬には冬の楽しさがある。そう思いたいね」

「だといいんですが」

「いずれにしろ、事態は動いていく。誰の思惑通りかは、ともかくとして」

 沖合から聞こえる汽笛。

 カモメの鳴き声が、それに重なっていく。

 潮風の、切ない香りと共に……。




 夏休み明けも間近に迫ったある日。

 書類の束に埋もれていた間が、ゆっくりと顔を上げた。

「空のある部署は、どことどこ?」

「大きな役職は取りあえず、これだけ。生徒会長、予算局局長。情報局長と、彼女が兼任していた総務局長。後は生徒会長付きの総務課課長。生徒会以外ではガーディアン連合議長に、SDC代表」

 淡々と上げていく新妻。

 何か言いかけた間を、その澄んだ眼差しが捉える。

「ガーディアン連合議長とSDCは別にして、生徒会の各部署は生徒会長に任命権がある。だから、私達を集めたようにはいかないわ」

「そ、そう」

 ぎこちなく頷いた間は、再び書類の山に顔を戻した。

「屋神君がやればいいんだよ」

「知るか。お前がやれ」

 冗談っぽく睨み合う杉下と屋神。

 どう見ても、お互いその意志は無いようだ。

「でも、ちゃんとした子を付けないとまた揉める元よ」

 真剣な口調でそう諭した涼代だが、自分が立つとは言わない。

 三島は例により、一言も発しない。


「困ったね、それは」

 他人事のように呟いた間は、署名を終えた書類をテーブルの中央へ重ねた。

 学校から移行された仕事の引継ぎ書類で、それとは別なマニュアルは違う部屋に溢れかえっている。

 夏休みで生徒会が動いていない今、彼等がその窓口となっているのだ。

 またその権利を勝ち得た本人達であり、それだけの能力があると学校側から認められている証拠でもある。

「寮の運営?おい、そんなのどうやるんだ」

「マニュアルを読んで」

「お前は読んだのか」

「一通りは」

 事も無げに答える新妻。 

 屋神は「そうですか」と頼りなげに答え、署名欄にサインを入れた。

「やらないのは掃除と食事、後はクリーニングや売店くらい。私達が要求した以上の事を、押しつけられてないかしら?」

「そこが学校の手なんだよ。いずれ俺達が音を上げて、改正案を撤回するようにって」

「準備期間はあるにしても、年内には完全移行するんでしょ。気が重くなってきたわ」

「君はSDCだから、まだいいよ。大変なのは、生徒会の連中さ。夏休み明けに募集を掛けて、実行部隊を編成しないと。指示系統を生徒会、実際の運営をそちらに任すという形で」

 杉下の説明に、ペンを噛みつつ頷く涼代。

 指摘通り彼女には直接関係しないので、どこか気楽さが漂っている。

「中等部では生徒会が全てを管轄しているけど、それを委員会として別組織にするとか。……新妻さん、アイディアはある?」

「委員長は、それを管轄する生徒会の各局長が兼任するべきね。一応代表者、10名の委員での多数決という形を取って。ただし生徒会が10名の内、4名を確保。ほぼ確実に、各局長が委員長に就任出来るわ」

「多数決という大義名分は立つか。企画は生徒会、運営は委員会。二系統に分ければ、学校の介入にも色々対応出来そうだ」

 杉下は軽く頷き、申請書を作成し始めた。

 新妻はすでに、マニュアルの訂正に取りかかっている。


「沢、静かだな」

「ん、ああ」

 卓上の端末から目を離し、軽く首を回す沢。

 その仕事量は、新妻に次いで多い。

「ネットワーク上から、色々やってきたんでね。少し、遊んでたよ」

「クラッキングか」

「ああ。ネットワークの全切断と、この教棟の電源オフ。データの書き換えどころか、学校中のデータを消せる程のオーバーロード。2つ3つデータは飛んだけれど、かまわないよね」

「書類が殆どだからな」

 手も付けていない紙の束を、指で嫌そうにつつく屋神。 

「向こうも個人データを消されて、困ってるよ。戸籍無しで、これからどうするつもりなのやら」

「あ?そんな事、出来るのか」

「冗談さ」

 軽く手を振る沢

 薄く笑っている彼を、屋神は困惑気味に見つめ返した。

「おい、1年を呼べ。もう、もたん」

「みんなは、隣の部屋でマニュアル読んでるわよ。あの子達はまだ3年あるんだから」

「俺だって、2年あるぜ……」

 肩を落とす大男の背中を叩いて、涼代は新妻の隣へと座った。


「ちょっと、いい」

「ええ」

 ペンを置き、姿勢を正して彼女へ向き合う新妻。

 涼代は少し口ごもり、上目遣いでぽつりと漏らした。

「ごめんなさい。私、またあなたにひどい事を言って」

「気にしないで。その通りなんだから」

 気遣いを感じさせる、小さな声。

 二人はテーブルの下で軽く手を握り合い、そっと笑った。

「私もあなたみたいに、しとやかでいられたらいいのに」

「その元気さが、私はうらやましいわ」

「無い物ねだり?」

「かもしれない」

 くすくす笑う女の子達。

 考え方は違う、意見も違う。

 でもお互いを認め合い、理解しあえる関係。

 そう、親友という……。

「仕事しろよ、仕事を」

 大きな手でペンを握り締めている屋神が、唸り声を上げる。

「ああ、ごめん」

「ごめんなさい」

 謝りはするが、手は動かさない二人。

 屋神はまなじりを上げ、隣にいた三島へ顔を向けた。

「おい、お前からも何か言え」

 返らない答え。 

 閉じられる瞳。

 微かに聞こえる、小さな息。

「てめ、寝てるな」

「……休んでいただけだ」

 そう言って、口元を拭う三島。

 信憑性がまるでない。

「本当にこれで、上手くいくのか?」

 やるせない屋神の声は、みんなの笑い声にかき消される。

 日付は翌日に変わり、別な書類が朝方にも到着予定だ。




 でも誰の顔にも、辛そうな表情はない。

 自分達を信じ、明日を目指す決意以外は。

 夜明けはまだ遠く、虫の音が開けられた窓から聞こえてくる。

 晩夏の夜。

 いつか振り返る、オールデイズ。






  







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