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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第10話(第1次抗争編) ~過去編・屋神・塩田他メイン~
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 勢いよく紙コップが置かれ、紅茶の表面が激しく揺れる。 

 長いため息が、それに合わせて漏れた。

「少し、冷静になったらどうだ」

「だって、あの人の態度って。あんなふざけた、あー」

 再び怒りがこみ上げてきたのか、腕を組んで唸り出す中川。

「君が苛立ってどうする」

「そ、そうですけど」

「あの程度の挑発では乗ってこないようだ。さすがは、フリーガーディアンと言うべきか」 

 知性的な落ち着いた表情を浮かべる杉下。

 先程までの会議で見せていた、そして今の中川のような怒りや苛立ちは微塵も感じさせない。

 ちなみに二人とも、制服姿である。


「屋神君達も、あくまで無難な反応しか見せなかった。塩田君は除いてだが」

「あの子が熱くなっても仕方ないですよ。杉下さんが見たかったのは、あのフリーガーディアンなんですから」

「ああ。教育長官直属の、強大な権限と優れた能力を持つ高校生。正義の味方と楽天的に捉えるのもいいが、教育庁と長官によって送り込まれた人間だからね。慎重に見極めないと」

 苦笑する杉下を、中川は困惑気味に見つめた。

「でもああいう態度を取ると、みんなから誤解されるんじゃありませんか?」

「敵を欺くには、まず味方から。熱しやすくて正義感に燃えた、視野の狭い男。そう思ってもらえた方が、これからも動きやすい」

「それは分かりますけど」

 不満げな口調は最後まで聞かれない。

 壁際を離れ、杉下との距離を詰める中川。

 しかしその距離が詰まる事はない。


「好意を向けてくれるのは嬉しいけど、俺よりましな人間はいくらでもいる」

「そんな」

「人を信じなくて、自分自身も信じなくて。こうして君の気持ちも知りつつ、それを利用するように手伝わせて」

 自嘲気味の笑い声。

 そして沈黙。

 杉下は白み始めた空を見上げ、長い髪を面倒げにかき上げた。

「……やっぱり、新妻さんの方がいいんですか」

「だから、それもないよ。屋神君達程、俺は熱くないんでね。彼女の身の上を聞いたからといって、どうとは思わない」

「そうですか」 

 その白い空へ吸い込まれていく、中川の呟き。

 杉下の視線も、また。

「午後からは、委員会がある。それまで体を休めよう。といっても、君はまだ頑張るんだろ」

「お互い様ですよ。それでは、失礼します」

「ああ」

 軽快なメロディが聞こえ、同時に杉下が端末を取り出す。

「……ええ。……いえ、計画通りですよ。……まあ、単純な連中ですから。……はい、分かってます。……ええ、お互いに」

 端末をしまった彼を、不安げな中川の視線が捉える。

「俺を疑ってる?もしかして学校と内通してるとか」

「い、いえ」

「大丈夫。君まで巻き込むつもりはないから」 

 醒めた笑顔を向け、足早にその場を立ち去る杉下。

 朝焼けに向かうその背中を、中川はじっと見つめ続けていた。

 苦しげに、そして悲しげに……。 



 人気のない、静まりかえった道場。

 そこに一人佇む影。  

 朝の日差しが、雄大な影を畳に落とす。

 低い息吹と共に突き出される、鋭い正拳。

 風が鳴り、周囲の雰囲気が一瞬にして引き締まる。

 それに続く前蹴りが、正拳と同じ位置を貫く。

 焦げるような香りが漂い、空気が激しく揺れる。

「……噂には聞いてたけれど、すごいのね」

 畳の縁を踏まないよう、恐る恐る歩いてくる涼代。

 彼女の手からペットボトルが放られ、緩やかな弧を描く。

「どうぞ」

「ありがとう」

 低い声で礼を言う三島。

 表情の読み取りにくい無愛想な顔立ちが、訝しげに彼女を捉える。

「唐突に聞くけど、あなたはどうしてこちら側に付いたの」

 ごく自然な感じで出される質問。

 三島は朝日に目を移し、ペットボトルを傾けた。

「答えられない理由かしら。どう考えてもこちら側は不利。正義感に燃えて行動する人ならともかく、学校と対峙して得になる事は何一つ無い」 

 答えを期待していないのか、一人で話を進める涼代。

「学内の各流派を束ねる、拳法部の副部長。そして学校最強とも噂されるあなたが、何故今の立場にいるのか」

「それを知ってどうする」

「興味本位よ」

 鈴の音のような笑い声。

 そして朝の一時にふさわしい、爽やかな笑顔。


「一応、私の理由も言っておくわね。その管理案が施行された学校に、知り合いの子がいたの。彼女は一度だけ、学校に反抗めいた態度を取った。それで停学にされちゃって」

 表情も口調も変わらない。

「態度を改めて彼女は復学出来た。だけど、心に残った傷は今も癒えていない。自分の意見を言えない、自由にやりたい事が出来ない。そんな事、あっていいはずがない。私はそう思って、管理案に反対する立場を取ってる」

「それは、SDC(運動部部長親睦会)としての意見か」

「私はまだ平幹部よ。SDCの主流派は、あなた達のような格闘系クラブ。私の室内陸上部なんて、とりあえずいるだけだもの」

 額に手をかざし、高い天井近くにある窓を見上げる涼代。

 透き通った、今までと同じ表情のままで。

「嫌なものは嫌だ。そのくらいは主張したいから。例え相手が誰であろうと」

「その信念の強さが、格闘系クラブ以外の執行部入りを認めさせたんだろうな」

「SDCは、運動部の集まり。空手や拳法部の私物じゃないわ。……あなたも、拳法部だったわね」 

 謝ったつもりか、軽く手を顔の前へと持っていく。

 先程強烈な技の冴えを見せた三島に対しても、引くつもりはまったくないようだ。


「屋神君と違って、真面目というか寡黙よね」

「あいつと比べられても困る」

 三島の声色に、やや色が付く。

 暖かな、と評してもいいくらいのわずかな変化。

「あの子がいるから、私達はまとまってるようなものね。軽い性格みたいだけど、本当は意外と真面目なのかしら」

「屋神はあのままの男だ」

「そう。とにかく彼が要なのは間違いないんだから、そこを学校側に切り崩されると辛いかも」

「それはない」

 即座に否定する三島。    

 完全な信頼と、自信を込めて。

「だったらいいけど、他の人はどうなの?知り合いはともかく、そうでない人の事までは分からないじゃない」

「信じるしかないだろう、結局は」

「まあね」

 小さく頷く涼代。

 それは三島の態度とも通じる、はっきりとした力強い仕草であった。



「寝ないのかい?」

「目が冴えて、ちょっと」

 クッションを抱き、なにやら気合いを入れる塩田。

 彼の隣でタオルケットにくるまっていた沢が、その身を起こす。

「悪い。俺、外行って来る」

「いいよ。僕も、正直眠くない」

「興奮する性質じゃないだろ、あんた」

「考え事が色々とあってね」

 穏やかな顔が塩田から逸れ、離れた所で端末を操っていた大山へと向けられる。

「君は」

「徹夜明けの方が、調子いいんです。今日はこのまま、委員会に臨みますよ」

「僕を監視、ではなくて?」

「そう簡単に尻尾を掴ませてくれる相手なら、私はとっくに寝てます」

 醒めた、しかしどこか楽しげな笑み。

 塩田も口元をわずかに緩め、テーブルにあったペットボトルを傾けた。

「僕達の話し合いはかろうじてまとまりを見せたけど、その会議でも統一した意見を出せるかな」

「問題ないでしょう。発言は基本的に杉下さんが攻めて、そのフォローを屋神さん。我々は、傍観していればいいです」

「杉下さん、か」

 意味ありげな口調に、サラミスティックをかじっていた塩田が話に入ってくる。

「あの人が、どうかした?あの熱い男が」

「確かに、その通りだよ。虚々実々、策士とでもいうのかな」

「は?」

「知らぬが仏、とも言います。無理に詮索するより、彼の出方を見守ってもいいんじゃないでしょうか。その後で対処すればいい訳ですし」

 何言ってるんだ、という顔の塩田。

 沢と大山は、探るような視線をお互いにぶつけ合う。

「彼がどう行動しようと、僕は自分の任務を果たすだけだ。君達が学校と交渉する際の手助け、という任務を」

「随分醒めた考え方ですね」

「君程じゃないよ」

 今度は微かな笑い声が聞かれる。

 塩田は鼻を鳴らして、再びサラミをかじりだした。

「杉下さんが裏切るって言いたいのか?」

「それは分かりません。ただ、彼が我々と行動を共にする理由は薄いです。予算局という性格上、むしろ学校側に近い人間ですからね」

「お互い様だろ、それは。俺だって、そんなに深い理由がある訳じゃない。学校のやり口が気にくわない、ってくらいで」

「すると、他のメンバーはどうして危険を冒してまで管理案に反対するのかな」

 当然とも言える質問に、大山が軽く頷いた。


「感情的な意見で参加しているのが、塩田と涼代さん。杉下さんはやや謎で、中川さんは彼を慕っているからです」

「なるほど。それは見ていて分かったけれど」

「新妻さんも、感情に近いですね。天満さんも、彼女を慕ってます。そして三島さんと屋神さんは、彼女のためにでしょう」

 やや間が置かれ、表情を改めて話が続けられる。

「彼女は幼少の頃から病弱で、学校へもあまり来られない体だったそうです。そしてようやく体調が良くなり高校へ通い出したところへ、この管理案。誰よりも学校の楽しさや素晴らしさを知っている彼女がそれに反対するのは、当然と言えるでしょう」

「すると三島さんや屋神さんは、その姿勢に打たれてという事かな」

「簡単に言えば」

「健気に頑張る少女を思い、黙って戦うその姿。男なんだよ、あの人達は」

 拳を固め、一人吠える塩田。

 彼には、非常に共感出来る話のようだ。

「君は気楽でいいよ。それで、大山君はどうして」

「塩田に誘われたからです。それにここらで名を挙げて、生徒会での地位を高めようと思いまして」

「こいつこそ策士だから、気にしなくていい。全く、俺みたいに素直になれよ」

「いいんです。私はこれで」

 なんだかんだといいながら楽しげな大山。

 彼をからかっている塩田は勿論、二人の様子を見ている沢もまた。

 仲の良い友人同士の光景が、そこにはあった。



 雑然とした、寮の一室。

 ファッション雑誌やマンガ、DDデジタルディスクなどがあちらこちらに散乱している。

 食べ物の空き袋などはさすがに無いが、決して綺麗とは言えない状況だ。

「俺に、何か用?」

「一応リーダーだろ。それらしい事しろ」

 半開きの目で見上げる間を、鋭い眼差しで見下ろす屋神。

「とりあえず一眠りして、英気を養うよ」

「他の連中は、多分徹夜で委員会に出るつもりだぞ。新妻は別にして」

「ご苦労様です」

 頭を下げ、間はそのまま横になった。

「おい」

「体を休めないと、交渉の時集中力が途切れる。俺はそれ程、強靱な精神を持ってないんで」

「気構えを言ってるんだ。場を仕切るのは杉下や俺にも出来る。だけど俺達を集めたのはお前なんだぞ、それを忘れるな」

 半ば怒りを含んだ口調でそう言い放った屋神は、タオルケットにくるまった間を一瞥して部屋を出ていった。

 そして間がそれを見送る事も、別れの挨拶を告げる事すら無かった。

 小さな、寝息を除いては……。




 広く、長い机が向かい合うように備え付けられている室内。

 席に着いた者の前には端末とモニターがあり、過去の発言記録が検索出来るようになっている。

 そしてドリンクと、発言時間表示のディスプレイ。

 幾分緊張気味の表情が多いのは、やもう得まい。

 正面から見て右に座る生徒は殆ど制服、逆に左の生徒は私服が多い。

 その正面にはスーツ姿の男性と女性が数名。

 反対側にいる生徒達は、制服と私服が半々だ。 


「第5回、生徒会規則変更案に対する委員会を開催します」      

 淡々とした声で宣言する、スーツ姿の男性。

 胸元のIDは、「学校運営担当理事」とある。

「前回までの議事録は、端末を参照して下さい。今まで通り、発言者は規則通り最大2分。発言中の反論は、発言者が認めた場合のみ許可します」

「それでは、始めて下さい」

 小さなアラーム音がして、中央の疑似ディスプレイが「記録開始」の表示に変わる。

 各員の前にも小型の疑似ディスプレイがあり、発言者が誰かを示すようになっている。

 それがわずかに浮き上がり、挙手と共に杉下が口を開いた。

「採決は委員会終了まで行わないという規則は、守っていただけるんですね」

 頷いた理事を確かめ、視線を正面に据える。 


 横幅のある、相当に大柄な男。

 朴訥な顔立ちだが、鋭い視線がその雰囲気を消し去っている。

「生徒会規則変更案。我々は管理案と呼んでいますが、それを導入する理由がどこにあるのか。北陸や北海道のように荒れた学校ならともかく、この学校は至って平和そのものです。つまり一部の人間を利するために、導入するとしか到底思えません。……どうぞ」

「どうも」

 朴訥な顔立ちの男が挙手をしていた手を下げ、杉下に笑いかけた。

 発言中の反論を認めてくれた事への感謝らしい。

 豪快とも、場違いとも言える笑み。

 しかし杉下は、くすりともしない。

「結局議論の中心は、それになるんだろうな。確かにここは、平和そのものだ。でも今までが、自由過ぎたんじゃないのか。生徒が好き勝手やって学校が荒れた過去の経験を踏まえ、その轍を踏まないための規則変更だ。保険だ、保険」

 太い、そしてよく通る声。

 意識していていなかった者すら、思わず視線を向けてしまう程の。

「学校が荒廃したのは、戦後の混乱のせいです。生徒の自主性とは相関が無いと、統計的にも示されています」

「同じだろ。教師や設備が無くて、生徒は自分で学ばなければならない状況に追い込まれた。それが、好き勝手やってたって事だ」

「荒廃した地域は、戦争の影響が強かった北陸や北海道、中国方面で顕著です」

「捉え方の違いだろ。お前は荒れたのを戦争のせいにする。俺は生徒のせいにする。噛み合わないな、これじゃ」

 再び豪快に笑う男性。

 そこで杉下の持ち時間が終了した。


「じゃあ、俺達に賛成しろよ。管理案は学校主導ではなく、生徒で決めればいいだろ」

 発言権を得、男性に笑いかける屋神。

 スーツ姿の男女が険しい顔付きになるが、それは承知済みらしい。

「駄目だ。それだと、どうしても自分に都合のいいものを作りたくなる。学校の案は、第3者が作った公正なものだ。他校でのケースは俺も聞いてるが、その反省を踏まえてもいる。規則で手足を縛られるのは辛いが、それは俺達の向上にもつながっていく内容だ」

 如才ない否定。 

 理事達は無言で、何度も頷いた。

「それに縛るだけじゃなくて、報償も厚く設定してある。まずはそれを目当てに、自己管理をする。いずれはそういった、規則正しい生活がいいと分かるようになる」

「遠回しな洗脳だろ」

「考え過ぎだ、お前ら。世の中を、もっと好意的に捉えろって」

 その視線が、熱心に議論を聞いていた中立派の男子生徒に向けられる。

 恥ずかしそうに頷く彼を見て、それ以上に大きく頷く男。

 同時に全体の雰囲気が、和やかになっていく。

 彼の発言と存在が、そうさせるのだ。


「お前が相手だと、正直辛いな」

 ペースが狂うとでも言いたげに苦笑する屋神。

 対して男は、身を乗り出して手招きするように手を振った。

「じゃあ、そっちこそ賛成しろ。そう悪い案じゃないだろ」

「懲罰が厳し過ぎる。退学の権限は、今まで理事会と学校長の協議が必須とされていた。だがこれでは、理事個人や教務主任でも可能になってる」

「相応の規則違反を犯した場合だけだろ。軽微な違反に対しては、退学なんてあり得ないシステムだ」 

「今はな。規則の変更は理事会と教職員の2/3の賛成を必要とする、の文言。つまり学校側の意向で、いくらでも変えられる。管理案がこれ以上変わらないなら、俺もそれでいいが」

「何事にも見直しは付き物だって。弾力的な運用だ、運用」

 室内に響き渡る野太い声。

 中立派の雰囲気は、彼への同意が多くなっていくように思われる。


「堅い事言わないでよ、だい君」

 艶を含んだ甘い声。

 大きな二重の瞳が、誘うように屋神を捉える。

 やや厚めの唇が緩み、微かな笑い声がそこから漏れた。

「真面目にしてればご褒美が貰えるっていう話じゃない。ちょっとくらい窮屈なのは、我慢したら」

 男とは対照的に、かなりいい加減な内容を話し始める女性。 

 だが視線は自分を見つめる一人一人を確実に向けられ、意味ありげに微笑むのも忘れない。

 それには男性のみならず、女性までもが頬を赤らめる始末だ。

 勿論そうしてしまうだけの身体的な魅力と、また人間的な魅力を感じさせる女性ではある。


笹島ささしまさん、真面目な話をして貰えますか」

 苛立った顔立ちで注意する杉下。

 しかし名前を呼ばれた彼女は、喉を見せて笑い柔らかな指の動きで耳元をかき上げた。

「真面目結構。で、それで議論はどこまで進んだの?合意は出来たの?出来て無いじゃない。ちょっとは息抜きしないと、まとまる話もまとまらないわよ」

「場の雰囲気を乱すなと、俺は言ってるんです。大体あなたは……」

「お互い、発言は申請後にお願いします」

 それとなく制する、先程の理事。

 彼も笹島にウインクされ、顔を赤くしている。

「とにかく君が何と言おうと、我々の主張は変わらない。第1に、管理案の撤回。第2に規則変更に際しては、生徒の参加を確約する事。それがない限りは……」

「どうでもいいじゃい、そんなの。要は、楽しければ」

「君は一体っ」

 怒号と笑い声が室内に響き渡る。

 数名の醒めた、何かを観察するような視線の中。

 活発な、そして和やかな議論は続いていく……。




 昼食を挟んだ委員会が終わり、参加者はため息や伸びを繰り返しながら会議室を出て行き始める。

 中立派の生徒には両派の生徒が張り付き、それと無い説得が試みられている。

 だがそれもお互い冗談めいたもので、むしろそこから始まる議論を楽しんでいる様子だ。

 反対側で説得工作をしているのは涼代と天満、中川、杉下、大山。

 それ以外の人間は一固まりになって、彼らを横目に教棟を後にした。


 三島と屋神が新妻を送ると言って、途中で分かれる。

 間はすでに、寮へ戻っている。

「あー、疲れた。話聞いてるだけでもだるいな」

 大きく伸びをして、笑いかける塩田。

 沢は肩をすくめ、去っていく大きな二つの影と小さな一つの影を見守っている。

「しかしあのままでは、平行線を辿って結論は出そうにないね」

「さっきも言ってた通り、結局同じ事の繰り返しなんだ。かといって今採決されたら、どう考えても俺達の負け。学校に楯突きたい奴なんて、そうはいないから」

「ああ」

 頷いていた沢が、ふと顔を上げる。

 大きな影が、彼の体に落ちていたのだ。

 屋神や三島の姿はすでにない。 

「あなたはさっきの」

河合かわいだ」

 豪快に笑う男。

 身長こそ屋神達に及ばないが、その横幅はそれを補って余りある。

 しかもどう見ても筋肉という雰囲気で、ある意味彼ら以上の威圧感を感じさせる。


「山鯨か」

「なんだそれ」

 真顔で聞き返す河合。

 塩田が笑っているのを見て、ますます訝しむ。

「あなたの事よ、さとる君。陰で、そう呼ばれてるの」

「……猪だろ、山鯨って」

 傷付いたのか、大きな背中を丸める山鯨。

 その背中を、意外な程強い力で叩く女性。

「気にしないの。ねえ、フリーガーディアンさん」

「知ってたのかい」

「そのくらいの情報は入ってくるわ。反対側なんて付かずに、私達と一緒にやりましょうよ」

 妖艶な笑みを浮かべ、たおやかな仕草で手を伸ばす笹島。

 その指先が顎を捉えるより先に、沢はバックステップで後ろへ遠のいた。

「愛想のない子ね。それとも、女の子は嫌い?」

「魔女に惑わされるのも悪くはない。でも僕は、屋神さん達の要請でやってきた人間だから」

「人聞きが良くないわね。こんな綺麗な女の子を捕まえて、魔女だなんて」

 しかし鼻にかかったような声と甘い笑顔は、まんざらでもないという様子だ。

 少なくとも河合のように、落ち込んではいない。

「生徒会長の山鯨に、予算局長の魔女。学校も、良い人材を味方に付けている」

「屋神君達には、熊とそこの忍者君がいるじゃない。後はコンダクターも」

「どうせ俺は、猪だよ」

 まだ立ち直れないらしい。

「なんかこの人元気ないから、私達も帰るわ。今度の委員会では、あなた達も発言してよ」

「俺は、忍者じゃないんだけどね」

「気にしないの」

 塩田の背中も叩き、河合を促してこの場を去っていく笹島。 

 人を魅惑する雰囲気とは別に、姉御肌の人間でもあるようだ。



「まさか、当人にお目にかかれるとは。これだけで、草薙高校に来た甲斐があった」

「下らん事言ってるな。とにかく俺達の要が屋神さんなように、向こうはあの山鯨こと河合さんだ。いい人だけに、こっちも攻め辛くて」

「杉下さんも、そうらしいね。彼には、別な思惑もあるんだろうけど」

 口元だけでささやく沢。 

「まだ疑ってるのかよ」

「聞こえたのかい?」

 沢の細い目が、ほんの少しだけ大きくなった。

 彼なりに驚いているらしい。

「耳はいい方なんだ。考え過ぎとは言わないけど、もう少し相手を信用しろ」

「経験上、疑り深くなっててね。背中にナイフを突き立てられた後では遅いから」

「分かるけどさ。一応俺達は仲間なんだし、多少は協力してやっていこうぜ」

「ああ」

 軽く頷く沢。


 なおも言葉をつなごうとした塩田が、突然表情を強ばらせる。

「どうかした?」

「……ちょっとな」 

 はっきりしない答え。

 彼の視線はまっすぐと、前に向けられている。

「知り合いかい」

「俺の知り合いじゃない」

 否定と肯定の入り交じった回答に、沢もこちらへ歩いてきている男性二人へと視線を向けた。

「委員会は終わったんだ。帰ったらどうだ」

 やや高い、強い意志の感じられる口調。 

 地味な顔に表情はなく、剣呑さを含んだ塩田の視線をものともしていない。

「言われなくても帰る」

「何を、そう怒ってるんだ。屋神さんを取られて、嫉妬してるのか」

「ふざけるな」

 先ほどまでの和らいだ表情から一転して、厳しく男を見据える塩田。

「あの人は元々、自警局の人間だ。ガーディアン連合の君とは、別なんだよ」

「お前に言われなくても分かってる」

「屋神さんが俺の上司になったのが、そんなに気にくわないのか。嫉妬だな、やはり」

「貴様」

 腰をため、胸元に拳を構える塩田。

 彼の気迫が一気に増し、滑るようなすり足でその体が前に動き始める。

 しかし男は鼻で笑い、いい加減なステップで後ろに下がった。

「落ち着け。お前とやり合うほど、俺も馬鹿じゃない。忍者に勝てる程、強くないんでな」

「減らず口を……」


 さらに足を進めた塩田の前に、不意に人影が現れた。

 男の隣にいた、華奢な体付きの男性。

 可愛らしいとも言える、中性的な顔立ち。

 構えこそ取っているのの、それ程様にはなっていない。

「こ、この人に手を出すな」

「な、何だ」

「下がれっ」

 かろうじて張り上げられた声が、辺りに響く。

 甘い顔は真剣に、まっすぐに塩田を捉えている。

 その言葉通り、何があっても男を守り抜くという決意をみなぎらせて。

「心配するな、小泉」

 男の顔が微かに和らぎ、彼の肩に手を置いた。。

 小泉と呼ばれた男の子は頬をさらに赤らめる。

 しかし塩田を睨む目付きは、真剣そのものだ。

「……もういい」

 構えを解き、背を丸めて歩き出す塩田。

 苦笑気味に、沢も彼の後に続く。

「お前の勝ちだ、小泉」

「い、いえ。そんな」

「忍者を退けたんだから、少しは誇ってもいい」

 峰山の表情に宿る、紛れもないねぎらいの意志。

 彼は小泉の肩に手を置いたまま、去っていく彼らに声を掛けた。

「フリーガーディアンとはいえ、草薙グループが相手では勝ち目はないぞ」

「すると君は、勝ち目のある方に付いたという訳か」

「どうかな」

 一瞬にして鋭さを取り戻す峰山。

 小泉も控えめに頷き、翻意を求める。


「早く教育庁へ戻った方が、経歴に傷も付かなくて無難だと思うが」

「気遣いには感謝するけど、出向命令が出てるんでね。任務を果たすまでは帰れないんだよ」

「そういう規則なのか」

「僕の信念さ」

 柔らかな沢の口調に、峰山は鼻を鳴らして答えた。

「正義感や気合いだけで勝てたら、誰も戦争なんてしない。優劣を決するのは物量と指導者だ」

「学校がバックに付いている君達には、その両方があると」

「ああ。高校生だけで頑張るのは楽しいだろうが、現実的じゃない」

 淡々とした、とても親身とは思えない口調。

 それでも沢は、軽く会釈してそれに答えた。

「君の心遣いには感謝しておく。峰山君と小泉君か。覚えておくよ」

「好きにしろ」

 小泉の背中を軽く押し、歩き始める峰山。

 沢もきびすを返し、すでに塩田の姿がない教棟前の道を歩いていった。

 お互い振り返る事も無く……。




「変わった男に会ったよ。峰山と名乗っていた。君の、部下だとも」

 整頓された室内で向かい合う沢と屋神。

 彼らと別れた後、沢が屋神の部屋を尋ねてきたのだ。

 キッチンにはラッピングされた手料理がいくつか並んでいて、壁には女物のジャケットがかかっている。

 テーブルにもアクセサリーやファッション雑誌と、おおよそ屋神には似つかわしくない物が置いてある。

 ただそれらに統一されたファッションセンスは、どうも感じ取れない。

「ああ、それか。この前、女が置いていった」

「何人が」

「さあ。数えた事はない。来る者は拒まず、去る者は追わずだ」

 にやりと笑う屋神。

 沢も、薄く微笑む。

「っと、俺の事はどうでもいい。峰山は確かに、今俺の下にいる。無愛想だけど、仕事は出来るぞ」

「そのようだね。もう一人、小泉という可愛らしい男の子もいたよ」

「あれは笹島や杉下達の部署、予算局付きのガーディアンだ。華奢でか弱い感じだけど、意外と悪くない。いざって時は何があろうと引かないタイプだな」

 屋神の言葉に、一つ一つ頷いていく沢。

 先ほど見た光景と、重ね合わせているのだろう。


「嫉妬。そう彼は言っていた。屋神さんを取られて、塩田さんが怒っていると」

「下らない。確かにどっちも後輩だけど、俺は女が好きなの」

「分かってるよ。彼も冗談で言ったんだとと思う。ただ塩田君が、かなりむきになっていた」

 からかうような視線に、屋神はため息を付いて壁にもたれた。

「組織は別だけど、あいつとは付き合いが長いからな。俺を侮辱されたと思ったんだろ」

「いい後輩だね。僕にはそういう存在がいないから、素直に羨ましい」

「根付けよ、ここでもどこでも」

 今度は屋神が、からかうような視線を送る。

 しかし沢は、曖昧に頷いただけだ。


「それはともかく、学校側は結構強いね」

「山鯨に魔女。それと、峰山。他の面子も、殆どが組織中枢の人間だ。しかも当然だが向こうには、学校が付いてる」

「勝ち目があるのかどうかも分からないのに、君達はよくやり合う気になったよ」

 内容の割には声のトーンが高くなった。

 不利な状況を楽しんでいるようにも思える。

「仲間意識が薄いのは、多少気がかりだけれど」

「仕方ないさ。突然集められたメンバーなんだから。知り合い同士の奴もいるけど、全体としては初対面に近い。これからなんだ」

「夏休み明けまで、後一ヶ月。悠長な事は言ってられないんだろ」

「なんとかするさ。それに、それだけの事が出来る連中だ」

 屋神の声も明るい。


 彼の前には卓上の端末があり、管理案反対派生徒のプロフィールが表示されている。 

 その言葉通り成績や身体能力、様々な活動はどれもが学内のトップクラス。

 またそれぞれの就いている役職や人間性から、一般生徒の支持も高いとレポート調の文章には書かれてある。

「ただ相手が相手なだけに、切り崩しは難しいと思う。やはり河合達との妥協案を見いだすのが、行動を起こしやすいしあり得る展開だな」

「杉下さんはどうだろう。表面的に出してきた彼の案は、管理案断固反対だし」

「あいつは自由にやらせておく。何を考えてるかは知らんが、奥の手の一つや二つは用意するタイプだ。変に口を挟むよりはいい」

 屋神の言葉に同意の表情を浮かべる沢。

 何も提案めいた事を言わない分、彼の心の内も知れないが。

「とにかく徹夜明けで眠い」

「間さんは、寝てるんだろうね」

「あの野郎。委員会の前にも寝て、今も帰って寝て。何がしたいんだ」

「僕達を集めたかったんだよ」

 自分で言って笑う沢。

 今までの間の行動が、余程おかしかったらしい。

「笑い事じゃないぞ。あいつが俺達を集めたからには、あの男がリーダーなんだ。本当に対立や問題が起きた時、その矛先が向けられるのは自分だって分かってるのかな」

「理解はしていても、そうはならないと思っているのかも。楽天的なタイプなんだよ」

「頭に、空気が入ってるだけじゃないのか?俺も、学校側に付けばよかったぜ」

 冗談とは思えない、やるせない口調。

 沢はペットボトルを手の中で転がし、小声でささやいた。

「新妻さんがいる限り、君は引きそうにないね」

「誰だ、下らない事を言ったのは。……確かにあいつが頑張ってるのに、俺が下がる訳にはいかないとは思ってる。その理由は学校や生徒のためではなくて、お前の言う通り新妻のためだろうな」

 精悍すぎる顔がはにかみ、それとなく沢から逸れていく。

「恋愛感情とかとは、また別だぜ。人間として、ああいうのは尊敬出来るっていう意味だ」

「分かるよ、それは。三島さんも、そうらしいね」

「森に迷い込んだ少女を助ける熊、か。あいつは熱い男なんだよ、無口だけど」 

 微かに上がる笑い声。

 もう一つのそれも、重なっていく。

 楽しげで屈託のない笑い声が……。   



 学校前の、小さな喫茶店。

 客の大部分を生徒が占め、夏休み中の今でも寮に残っている者達の憩いの場所となっている。

 可愛らしい内装と、アンティーク調の家具。

 BGMは控えめで、客の会話をさりげなく演出してくれる。

 また生徒の入りが良いのは地理的な条件だけでなく、メニューの豊富さと量の多さのためだ。

 勿論サイズのチョイスは出来、女生徒はワンランクサイズを落として注文するのが普通になっている。

「徹夜明けにパフェはきついわね」

「でも、頼んじゃったから」

 周りの客に比べてかなり低いテンション。

 目の前にあるパフェも小さめで、しかも一つしか置いていない。

 それでも中川と天満は、恨めしげにストロベリーパフェを睨んでいた。

「新妻さんの調子はどう」

「大丈夫。もう病気は治ってるから。ただ無理が出来ない体っていうか、体力がまだね」

「そうなの。彼女がいるといないとでは全然違うから、元気になってもらいたいわ。勿論管理案の事だけじゃなく、尊敬出来る先輩として」

 その言葉に、まるで自分の事のように嬉しがる天満。

 彼女にとっては何を差し置いても、新妻が大事なのだろう。

「仕事は出来て、綺麗で、みんなからも慕われて。ああいう人に、私もなってみたいわよ」

「難しいな、それ。あ、別に中川さんが駄目っていう意味じゃなくて。やっぱり先輩は特別っていうか、素敵っていうか。憧れても、届かない存在なの」

「語るわね、随分」

 指先でイチゴを捉え、、目を細めて頬張る中川。

「あーあ。格好いい男の子でも、やってこないかな。君の仕事を、手伝わせてくれないかって」

「沢君が来たでしょ」

「駄目よ、あんな変な奴。でも杉下さんは素っ気ないし、間さんはぼんやりしてるし」

「三島さんは黙りっぱなし、屋神さんは女の子と遊び過ぎ」

「大山君は醒めてるし、塩田君は子供だもの。みんな仕事は出来るかも知れないけど、まともな男の人はいないわね」

 ため息を付き、肩を落とす二人。

 そしてお互い顔を合わせ「自分はどうなんだ」と言い合って笑う。


「楽しそうね、あなた達」

「あっ」

 声を上げ立ち上がった二人を、手で制する女性。

 胸元だけのタンクトップに、へそまで見えているホットパンツ。

 やや焼けた肌はどこまでも滑らかで、浮かんだ汗を珠にして弾かせている。

「笹島さん」

「こんにちは。男の品定め?」

「そういう訳でも」 

 否定は出来ない中川。

 笹島は笑いを堪えた顔で、天満の隣に腰を下ろした。

「他の子達は」

「作戦を練ってます」

「真面目ね、あなた達は」 

 気さくな笑い声があがり、その手が天満の頭を強く撫でていく。

 元々荒れ気味だった彼女のウルフカットが、ますます乱れてしまった。

「あの」

「あ、ごめん」

 今度は豪快に、撫でつけていく。

 ただ元々荒れているので、大差はない。

「何しに来たんです」

「素っ気ない子ね、凪ちゃん。私は、あなたの上司で先輩よ」

「今の立場は、敵同士だわ」

「中川さん」

 困惑する天満と、それにかまわず睨み付ける中川。 

 笹島は肩をすくめ、運ばれてきたアイスコーヒーに口を付けた。

 漏れるため息が妙に艶を含んでいるが、中川の態度は変わらない。

「悟君の前進は何もかもを乗り越えるものだけど、凪ちゃんのは脆そうね」

「え?」

「誰かのために、なんて思ってるようじゃ難しいっていう意味。勿論それが力になる場合もあるけれど、自分なりの信念を持たないと。例えば、観貴のように」

 表情を強ばらせる中川と天満。

 しかし抱いている思いは、お互い別なものだろう。


「先輩と、親しいんですか」

「まあね。あなた達も知ってるように、彼女学校をよく休んでたでしょ。私は家が近所で、顔を見に行けって先生に言われたの」

「はあ」

「最初は面倒だなと思ってた。でも彼女の部屋に合ったノートの山を見て、自分の馬鹿さ加減に気づいたわ。学校へ行かなくても、それなのに学校へ行っている誰よりも頑張ってる彼女を見て。私がする学校の話を聞いて、すごい嬉しそうに笑うの彼女。何でもない先生の愚痴や生徒の失敗を聞いて……」

 翳りを帯びた顔を下げる笹島。

 垂れ下がった前髪の中にのぞく大きな瞳は、苦しむかのように細められている。

「その時は小学生だから、難しい事は考えなかった。でも、この人は私とは違うって思った。その強さを、痛いくらいに感じたわ」

 女性にしては大きな手が強く握りしめられる。 

 白く、血が滲みそうな程に。

「あなた、観貴の後輩だったわよね」

「え、ええ。はい」

「まだ体調は完全じゃないんだから、ちゃんと面倒見て上げてよ」

 一転して笑顔になり、天満の肩を抱く笹島。

 天満は目を丸くしつつ、何度と無く頷いた。

 そこには意見を対立させる相手同士という雰囲気はない。 

 むしろ、仲のいい先輩後輩という図式である。


「そうやって、私達を籠絡するつもり」

 そんな二人を鋭く睨む中川。

 天満は慌てて離れようとするが、腕が微妙に絡まっているらしく逃げられない。

「どう思ってもらっても結構。ただそうやって私達を敵視するのがあなたの意見なのか、どうか。自分で分かってる?」

「他人の意見に賛同して、何が悪いの。その人のために尽くして」

「凪ちゃん。あなたのは、流されてるって言うのよ。好きな人のために頑張るのはかまわない。でも彼が、もし裏切ったらどうするの?それでも、付いていく?」

 大きな瞳を細め、中川を見つめる笹島。

 照明の光を受け複雑に輝くその瞳。

 長い彼女の指が、テーブルを規則正しいリズムで刻む。

 焦点をぼかし、小さく揺れる中川。

 意志の消えた顔も。

 そしてゆるやかに、その口元が開き出す。


「と、こんな手に引っかかる程動揺する」

「え?」

 目の前には笹島の差し出したストローがあり、それは彼女の眉間に触れんばかりだ。

 普通なら、どう考えても気付く場所。

 しかし中川の様子を見る限り、いきなりそこにストローが現れたという顔である。

「それが、魔女の力なんですか?」

 口を開けて呆然と見上げる天満に、笹島は鼻で笑い首を振った。

「言ったでしょ。動揺を付く手だって。たわいもないトリックよ」

「い、一体……」

「人を好きになるのもいい。何かに打ち込むのもいい。ただ、それに流されないで。観貴までとは言わないけど、信念を持ってね」

 それぞれの頬に軽く手を置き、レシートを持ってレジへと向かう笹島。

 そして窓からは、笑顔で手を振ったまま歩いていく彼女の姿が見えている。

「どういう事だと思う、天満さん」

「さあ。とにかく頑張れっていう意味なんじゃ」

 何もされなかったのに、いまいち訳の分からない事を言う天満。

 大きく間違えてはいないだろうが、中川が聞きたかった答えでもないだろう。

 なんとなく見つめ合った二人は、小首を傾げたまま頬に手を当てていた……。



 人気の無い、広いラウンジ。

 夏休み中なのでそれは仕方なく、売店も全てが閉まっている。

 普段は生徒達の歓声や笑い声で賑わっている分、寂涼感が漂う。

 ただ生徒会で働く生徒のために、エアコンと自販機は作動している。

 炎天下の中練習に励んでいるクラブの生徒達にとっては、ありがたい配慮だろう。

「暑そうね、外は」

 アイスティーをストローで飲む涼代。

 服装は半袖のシャツと紺のスカートという、草薙高校の制服。 

 襟元には、細いベージュのリボンが巻かれている。

「夏だよ、今は」

 素っ気なく答えた杉下は、手にしていた書類を片付け封筒へと収めた。

 彼も半袖のシャツと紺のスラックスという、制服姿。

 しかもネクタイまで、しっかりと締めている。

「だったらプールでも行く?くらい言えないの」

「君と付き合ってる訳じゃないんでね。それに今は、管理案の事を優先しないと」

「屋神さんみたいに、少しは余裕を持ったら。あなたが優秀なのは認めるけれど、結局一人でやれる事には限界があるんだから」

「分かってるさ、そのくらい。でも、性分なんだ」

 起動させた端末から目を反らさない杉下。

 指は絶え間なく、キーの上を滑っていく。

「それで、俺に何か用」

「親睦を深めようと思って」

「屋台骨は屋神君。精神面でのサポートは君がする訳か。良いアイディアだ」

「分かってもらえて嬉しいわ。考えている事をもう少し話してくれると、こちらも助かるんだけど」

 涼代の爽やかな笑みも、端末を見つめ続ける杉下には届いていない。

 それでも彼女は、その笑みを絶やしはしない。 

 真剣な面持ちで端末を操る彼に、微笑み続ける。


「あなたが本当は何を考えて、どうしようと思ってるかは私程度には分からない。新妻さんや大山さんの考えも」

「彼らはともかく、俺はもっと単純だよ」

「いいの。例え何があっても、誰がなんと言おうと。私はあなたを、仲間だと思ってるから」

 鈴の音のような声が、人気のないラウンジに広がっていく。

 顔を伏せ、端末に見入っている杉下にも。

 しかし彼の表情に変化はなく、言葉を返す素振りもない。

「これから何があるのか、どうなるのか。あなたや大山君は分かってるんでしょうね」

「推測くらいは。でも、迂闊に話して盗聴されても困る」

「そういう疑り深さが、私としては気に入ってるわ」

「そんな事褒められたの、初めてだ」

 端末から顔を上げ、苦笑する杉下。

 屈託のない、高校生の笑顔。

 それを見つめる涼代の表情もまた。

「私達は確かに寄せ集めの人間よ。でもあなたに言った通り、私は全員を仲間だと思ってる。あの沢君も含めて」

「輪を乱す存在じゃ無かったのか?」

「彼の細かい詮索については、あなたに任せるわ。私はただ、人を信じていたいだけ。目を背ける、とも言い換えられるけれど」

 ささやくようなその声は、ラウンジには響かない。 

 杉下の耳にすら、かろうじて届いたかどうか。

 でも彼女は顔を上げている。

 弱気な表情を浮かべようとも、伏せてはいない。

「君も強いな。新妻さんも」

「ありがとう。でも私は、みんながそうだと思ってるから。それぞれの強さが発揮出来れば、きっといい結果が導き出せるわ」

「ああ」



 笑顔の涼代に、小さく頷く杉下。

 彼女から顔を背けるように、その視線を伏せて。

 ラウンジに訪れる沈黙。

 そこには杉下が操作するキーの音だけが、聞こえていた。





 







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