10-2
10-2
連日の灼け付く日差しを浴び、元気を失っている木々の葉。
日陰には熱風が吹き込み、そこで憩う事もままならない。
太陽はまだ東の空にあり、本格的に暑くなるのはこれからなのだろう。
夏休みに入り、正門に生徒の姿はない。
時折部活の生徒や教職員の出入りは見られるが、今はそれすらも。
蝉時雨の響く、草薙高校正門。
そこに、一人の少年が入ってきた。
白の半袖シャツと、紺のスラックス。
これだけの暑さを気にも止めていない、涼しげな表情。
澄み切った雰囲気を漂わせた彼は、柔らかそうな髪をかき上げ足を止めた。
「監視かい」
唐突な独り言。
しかしそれに反応して、木陰から別な少年が出て来る。
黒のタンクトップに、紺のジーンズ。
精悍な顔立ちと、引き締まった細身の体型。
浮かぶ笑顔は、悪戯を仕掛けた子供のそれによく似ている。
「顔を見てただけだ」
「君は」
「塩田丈。あんたを呼んだ、屋神の使いさ」
歩み寄る両者。
しかし一定の距離を置いた所で、二人は足を止めた。
「君の姿は風景の中に見えていたのに、認識は出来なかった。気配を消すのではなく、その景色の一つとして溶け込んでいたから。さすが忍者。隠業の冴えも、並じゃないね」
「伊賀上野の出身というだけさ。俺の事はいいから、あんた名前は」
「沢義人。要請により、教育庁から派遣されたフリーガーディアンだ」
薄く微笑む沢と、屈託無く笑う塩田。
真夏の暑い風が吹く。
蝉時雨の中を……。
人気のない廊下を歩いてきた両者は、奥まった場所にあるドアの前に立っていた。
「特に鍵は掛けてないし、出入りは自由。今は、全員集まっている」
「簡単な報告書は受け取ったけど、詳しい話はいつしてくれる」
「俺は下っ端なんでね。偉い人に聞いてくれ」
ドアを開けた塩田に促され、足を踏み入れる沢。
その途端、微かに顎を引く。
彼の目の前を通り過ぎる、一陣の風。
「誰だ、お前」
「屋神さん、あんたが呼んだフリーガーディアンだよ」
大笑いして、塩田は大柄な男の肩を叩いた。
「ああ、悪い。でも当たらなかったし、いいだろ」
「僕と分かってて放った気もするけれど」
「気にするな。俺が屋神大。お前を呼んだ責任者だ」
男っぽい笑みを浮かべた大柄な男性は、窓際の椅子に腰を下ろしその長い足を組んだ。
会議室風の、意外に広い室内。
壁際には本棚が2、3あり、中央に大きなテーブルが一つ。
またそれとは別に、窓際の方に小さな机が2つ程置いてある。
奥にはドアがあり、他の部屋へつながっているようだ。
「ここが、君達の城かい」
「ちょっと狭いが、いざとなったら窓から逃げられる」
「あなたが逃げる絵は、あまり想像出来ませんが」
たおやかな仕草で、彼等の側へ歩いてくる男性。
長い髪と、優雅な顔立ち。
エアコンが効いているとはいえ、制服風のシャツにネクタイまでしている。
本人が意識しているかはともかく貴族的な雰囲気で、扇子が似合いそうである。
「申し遅れました。草薙高校生徒会総務局、大山真です」
「丁寧にどうも。参謀、といった雰囲気だね」
「下っ端に過ぎませんよ、私は」
塩田と同じ事を言う大山。
沢は窓際でじゃれている屋神と塩田を横目で見つつ、彼と向き合った。
「君の目から見て、勝算は」
「薄いです。何せこちらは、初めて顔を合わせたような生徒の集まり。方や向こうは、学校の全面的なバックアップを受けていますから」
「それでも、戦いに挑むのか。格好良いとも、無謀とも言える」
辛辣な意見に、大山は分かっているとばかりに頷いた。
「私は、そうは思わない」
話に割って入ってくる、ロングヘアの快活そうな少女。
強い意志を湛えた勝ち気な眼差しが、真っ直ぐ沢を捉える。
「予算局、中川凪よ。始めたばかりなのに、今から諦めるような事言わないで」
「それは失礼。しかしやる気だけでどうにかなると、君も思ってはいないだろ」
「だからこそ、あなたを呼んだんじゃない。フリーガーディアンは、特別国家公務員。それを相手に、向こうだってそう無茶は出来ないわ」
「逆に僕も、法律の範囲内でしか動けない。君達の不正や犯罪行為を見逃すなんて事もね」
冷静に返す沢。
頬を紅潮させた中川は、机を叩いて彼を鋭く見据えた。
淡いブルーのキャミソールに、パステルグリーンのボレロを羽織っている。
可愛らしい外観とは違い、熱しやすい性格のようだ。
「あなた、やる気あるの」
「呼ばれただけの事はする。それだけだ」
「ちょっと、誰。この人を呼んだのは」
塩田の首を絞めかけていた屋神が、おどけた感じて手を上げる。
「怒るな、中川。俺もそいつの事は詳しくないが、優秀らしい」
「らしいって。あなた先輩なんですから、もう少し真剣に考えて下さい」
「そういうのは、大山や杉下に任せる。俺は何かあった時、暴れるだけだ」
「そうそう」
彼の隣で、にこやかに頷く塩田。
中川はため息を付き、離れた所にいたセミロングの女の子に声を掛けた。
「本当に、これで大丈夫なの」
「さあ。私も、呼ばれただけだから。それより、これ。これも、ほら。こんなに、集まってる」
「レトルト食品の、アレンジレシピ対決……。天満さんの企画?」
「そう。勝った人には、カレー1年分。メーカーも参加して、盛り上がるわよ」
早口で、その後の企画を話し出す天満。
理路整然としてはいるが、その情報量が普通ではない。
中川は彼女に笑いかけ、その場から少しずつ後ずさった。
「優勝者が決まったら、その時に教えて」
「うん。後は、手作りキノコって企画もあるの。これも面白くて」
話が始まる前に逃げ出した。
しかし天満は離れた所にいる、沢へと話しかけ始めた。
醒めた表情で窓を眺めている彼は、相づちも打たない代わりに面倒げな顔も見せない。
「……天満さん、何してるの」
奥の部屋から出てきたのは、ロングヘアの清楚な女性。
白いワンピースが、彼女の雰囲気にもよく似合っている。
「キノコの良さを、彼に知って欲しくて」
「そ、そう。あなたが、沢さんかしら」
「ええ。松茸の量産化も、そう遠くはないらしい」
真顔で語る沢。
話はちゃんと聞いていたようだ。
「私は、涼代水葉。SDCという、運動部の部長で構成される親睦会のメンバーよ。そしてあなたにキノコの良さを説いていたのが、企画局の天満嶺奈さん」
柔らかな笑顔を浮かべる彼女。
沢はそれに軽く会釈を返し、その後ろに立っていたジャージ姿の偉丈夫を見上げた。
愛想のない、いかめしい顔立ち。
ただ彼から放たれているのは温かな雰囲気と、確固たる存在感。
その側にいさえすれば何の不安もないと実感出来る程の。
「三島公威。拳法部に所属している」
「他校では、熊と呼ばれてるよ」
「ははっ。止めてやれ、そいつ結構気にしてるから」
大笑いする屋神。
塩田は一応、笑いを堪えている。
「他のメンバーは」
「奥にいるわ。よかったら、挨拶してきて。それとも、向こうから出向かないと駄目かしら」
「意外と厳しいね」
苦笑して、奥のドアへと向かう沢。
その後を、涼代と三島が続く。
「屋神」
「俺もかよ」
「いいから、こい」
肩をすくめ、閉まったドアへ入っていく屋神。
「結局は、2年だけで話し合うつもりか」
「責任を取る、という意味でもあります」
「どうでもいい。俺は、暴れられればそれで」
拳を振り、塩田はその精悍な顔を緩ませた。
大山の、醒めた視線に気付く事もなく……。
「予算局の杉下栄だ。よろしく」
長身で細身の男性が、手を差し伸べる。
整ってはいるが、やや神経質そうな顔立ち。
彼も制服を着ていて、ネクタイもはめている。
その手を軽く握り、会釈する沢。
腰はやや落とされ、不意な仕掛けに対応出来るようにはしてある。
「学校との交渉は、基本的にこいつがやってる」
「ケンカは、君や三島君だろ」
「まあな。で、こっちの彼女が」
屋神に促され、沢と握手を交わすショートカットの女性。
沢以上に落ち着いた、静かな佇まい。
光を当てれば、そのまま透き通ってしまいそうな程の。
「運営企画局、新妻観貴です」
「コンダクター、とも呼ばれてもいるよね」
沢の言葉に、目礼で答える新妻。
そこから彼女の意志や意図は、殆ど読み取れない。
「そして最後に、俺達を集めた男だ」
苦笑気味に、中央の場所にいた男を示す屋神。
中肉中背。
大人しそうな、どちらかといえば頼りない顔立ち。
ポロシャツに茶の綿パンという、服装も似合ってはいるが目立たない。
「間剛士です。特に、所属はありません」
「こういう言い方は失礼だが。送られたデータを見る限り、君が彼等をまとめ上げているとは思えない」
「でしょうね。僕も、自分で不思議なくらいです」
はにかみ気味に視線を伏せる間。
「成績は上位に位置してるけれど、それ以外は特に目立った点はない。そうなってますか?」
「ああ」
「学校のやり方に我慢出来なかった。ただ、それだけです」
あくまでも静かな口調。
闘志や迫力めいたものは、これといって感じられない。
「神様から、啓示でもあったかな」
「ジャンヌ・ダルクのように?俺のはもっと、個人的な感情です。腹が立ったという程度の」
自嘲気味に微笑み、書類の束を指ではじく。
「君の事情はともかく、戦略はどうなってる」
「杉下か、新妻さんに聞いて下さい」
「君は語らないのか」
「立案や交渉は、全て彼等に任してあります」
沢は肩をすくめ、名前を呼ばれた二人に顔を向けた。
「概略は、報告書の通り。管理強化と報償をリンクさせる学校側と、それに同調する生徒達。俺達はその撤回を主張して、現在学校と交渉中だ」
落ち着いた口調で語る杉下。
机の上に疑似ディスプレイが現れ、彼が述べた内容がより詳細に表示された。
「卒業後には、それを元に草薙グループへの協力をアドバイスしている。断れば就職先に圧力を掛け、アドバイスは強要へと変わる」
「他校で極秘に行われた、モデルケースの例は御覧になりましたか」
涼しげな、澄みきった声。
新妻は感情を交えない表情で、ディスプレイの表示を変えた。
流れ出すビデオ。
学生が、俯き加減で語っている。
「就職後ではなく、学生の時学校に異議を唱えたら彼女のようになります。様々な妨害工作による、半ば強制的な自主退学。他校への転校阻止。自治体などのオンライン授業は受けられますが、就職についても当然妨害はなされています」
「何人かに、話は聞いてきた」
無機質とも言える新妻の説明を遮るように、手を上げる沢。
ただ彼の表情も、彼女と大差はない。
「僕が聞いた限り、現状では単位の回復と卒業認定を受け就職を斡旋されていた」
「俺達が、学校に交渉した結果だ。でも学校は考え方を変えた訳じゃない。そしてこの高校に、管理体制を敷く事も」
「学校に同調する生徒は」
表示が変わり、何名かの男女がプロフィール付きで映し出される。
「報告書でも見たけれど、優秀な人ばかりだね」
「彼等にとって、学校の管理案は悪い申し出ではない。自らの進路を、より有利な方向へ導くためにも」
「なるほど。それで管理案は、どうやって導入される事になっている」
別な疑似ディスプレイが現れ、フローチャートが表示された。
「基本的には、選抜された生徒達の採決で決定する。当初は学校の意向を受けた生徒ばかりだったが、今は我々も参加している」
「勢力としては」
「我々と学校側生徒は、同数。意見保留というか中立も同じく5名」
「結局学校が付いている以上、向こうが有利なのは分かっているけれど」
苦笑する杉下と、相変わらず無表情の新妻。
「それで僕をわざわざ呼んだ理由は。確かに草薙グループを相手にするのは厳しいにしても、君達の能力を見る限りでは問題ないと思う」
「あなたには、護衛をお願いしようと思っています」
ようやく口を開く間。
微かに眉間を狭めた沢は、中庭の見える窓を横目で捉えた。
「襲撃してくる相手は、その学校側生徒かい」
「その件については、屋神君と三島君にお願いします」
「全て人任せか。君は何をやってる」
「みんなを集めたという事だけです。俺自身は、何もしてませんよ」
間はごく自然な態度で答えた。
恥ずかしさや屈辱という雰囲気は、わずかにも見られない。
「なるほど。とにかく護衛なら、僕の専門だ」
「それはよかった。二人とも、沢さんと細かい点を詰めて」
「ああ。小難しい話はお前らに任せる」
沢の肩に触れ、ドアを出ていく屋神。
三島も、巨体をしなやかに動かしてその後に続く。
「詳しい話は、後で杉下達から聞いて下さい」
「分かった」
口元を小さく緩め、沢も部屋を出ていった。
静かに閉まるドア。
室内には、それ以上の静寂が訪れる。
「彼を信用していいのか」
醒めた眼差しで間を見下ろす杉下。
「フリーガーディアンといえば聞こえはいいが、教育庁長官直属の私兵とも言える。現在の長官は、草薙グループと強い協力関係にあるんだ」
「分かってる。ただ彼が選任されたのは、前任の長官だから。その人は、特定の学校グループとは関係ない学者だと聞いてる。それにフリーガーディアンが持つ権限や能力を考えたら、味方に付けておく方が得策だろ」
「彼が味方なら、という条件でだ。教育庁とコネクションのある草薙グループが送り込んできたスパイとも限らない。だから俺は、フリーガーディアンを呼ぶのには反対した」
「疑り深いね」
苦笑する間。
杉下は厳しい表情を変えず、沢が出ていったドアを見つめている。
「という事なんだけど、涼代さんはどう思う」
「現実的な面だけを見れば、杉下君の考えに賛成ね。数も資金も権限も無い私達が学校側と対等な立場を維持するためには、意思の統一が図られないと」
「沢君の加入でそれが崩れるって?元々俺達自体が、知らない者同士なんだよ」
もう一度笑う間に、涼代は微かに首を振った。
「草薙高校に在籍しているからこその気持があるわ。でも彼には、それがない。仮にスパイではないにしても、仕事としてするか学校を思ってするかでは自ずと行動が違ってくるわ」
「精神論、か。意外と古風だな」
「気持が大事だと言いたいの。私達自体固まっていないのに、ここで部外者が増えたらまた揉めるのよ」
詰問に近い涼代の言葉に、間は額を抑えた。
「悩んでる暇はない。彼の処遇と、涼代さんの言った通り俺達の意見統一。学校側生徒との交渉の、具体的な指針。管理案の採用を決める委員会参加者への働きかけと、その行動内容。役割分担と命令系統。やる事は、いくらでもある」
「だからそれは、君達に任せるから」
「俺達を呼んだのは自分だろ。少なくとも、その責任だけは取ってくれ」
涼代以上の厳しい叱責。
ため息を付いた間は、先程から無言の新妻を上目遣いで見上げた。
「新妻さんは、どう思う」
「個人的な意見ですか。それとも、あなたへの評価ですか」
「い、いえ」
慌てて目を逸らし、卓上の端末を起動させる。
「大山君達と話し合ってくるから、自分なりの意見を考えておいてくれ」
「あ、ああ」
足早に部屋を後にする杉下達。
一人残された間は、虚ろな眼差しで各メンバーから提出された要望書の山を見つめていた。
「話すって、何を」
「護衛だよ、護衛」
肩をすくめる屋神。
塩田は壁際に持たれている沢に、指を差した。
「あいつを?」
「馬鹿か、お前。あいつが、護衛をやるんだ」
「誰を」
「もういい。改めて、割り振るぞ」
低いがよく通る声。
室内にいた全員が、自ずと彼へ目を向ける。
「塩田は、涼代と大山。三島は、間と杉下。沢が、天満と中川。以上」
「あんたは」
「全体の統括だ。それと状況に応じて、それぞれの護衛に付く」
「あ、そう」
頷き掛けた塩田の視線が、離れて端末を向き合っている新妻を捉えた。
「彼女は、誰が護衛するんだよ」
「天満と一緒に行動する分には、沢の担当だ。それ以外は、俺か三島がする」
「結局あんたは、何もしないんじゃないか」
「いいんだよ。女は今まで通りスタンガンを必ず携帯して、インナーのプロテクターも身につけろ。閃光用のボールと催涙スプレーも」
真剣な面持ちで頷く女性達。
「外出の際は、必ず誰かに連絡を入れろ。それと、定時連絡も。単独で動かず、誰かと一緒に行動しろ。自分だけで対処しようとするな。応援を呼ぶ、それだけを考えていればいい」
「呼べない場合は」
静かに尋ねる新妻。
「定時連絡の場所から、こっちで推測する。お前達が諦めなければ、必ず俺達が助けにいく」
「分かったわ」
屋神から視線を外し、端末に向き直る。
彼女の周りだけは、他とは違う涼しげな空気が流れているようだ。
だがそれは決して冷たさを感じさえない、透明な物である。
「男も、自分で倒そうとか切り抜けようと考えるな。まずは逃げろ。それでどうしようもなくなった時だけ、立ち向かえ。沢、お前から何かあるか」
「今の内容を守ってくれれば、大丈夫だと思う」
淡々とした肯定。
壁際にもたれている様子を見ている限りでは、華奢な男の子にしか見えないが。
「君の実力は、どうなんだ」
「杉下さん……」
困惑気味な中川を手で制し、沢へ迫る。
その顔に、いきなり拳が突きつけられる杉下。
そして即座に腕を押さえ、床へ崩れる。
沢が動いた形跡は殆どない。
だが杉下が倒れているのは、紛れもない現実だ。
「下らない真似するな。お前がこいつをどう見てるか知らんが、腕の骨を折られてからじゃ遅いぞ」
「ど、どういう意味だ」
「僕は脱臼させるだけだよ。大抵の場合はね」
肯定とも、否定とも取れる言葉。
羞恥でか、赤い顔で睨み上げる杉下。
一方の沢は、無表情を変えようとしない。
両者の間に不穏な雰囲気が流れ出す。
「杉下さん、大丈夫ですか?」
そんな彼に、不安げな顔で手を差し伸べる中川。。
そして沢には、杉下以上の険しい視線が向けられた。
「フリ-ガ-ディアンなら、そんな事しなくても簡単に避けられるでしょ」
「今のが君達を襲っている相手だったら、同じ事を言えたかな」
淡々とした、しかし鋭い指摘。
唇を噛み締め、中川はなおも沢を睨み続ける。
「自分を過信するな、相手を甘く見るな。沢は、そう言いたかったんだ」
「屋神さん」
「揉める暇があるなら、今自分に割り振らている仕事をこなせ。今日は、もう解散だ」
手を叩き、全員に出ていくよう促す屋神。
真っ先に出ていったのは新妻で、天満がその後を急いで追っていく。
「とにかく俺は、君を認めた訳じゃない」
そう言い残し出ていく杉下に、中川が付き従った。
「護衛は、どうするんですか」
苦笑する大山に話を振られた屋神は、鼻を鳴らして顎をドアへ向けた。
「三島、杉下達を追ってくれ。沢は、新妻達を」
「分かった」
うっそりと頷き、屋神に一瞬視線を止める。
「三島さん、どうかした?」
「お前には関係ない。いいから涼代を護衛してろ」
頬を赤らめる塩田と、はにかみ気味に微笑む涼代。
二人はそれとなく目線をかわし、それでも仲良く部屋を出ていった。
「付き合ってるのかい。あの二人は」
「そこを相手に付かれるとでも言いたそうだな」
「情を揺さ振るのは、効果的だからね」
「結束が固まるとも言う。お前の心配も分かるが、ここは大目に見てやってくれ」
かなり強めに肩を叩かれ、前によろける沢。
今まで冷静だった彼の顔に、微かな驚きの色が宿る。
「フリーガーディアンの自分が、どうしてこの程度でよろけるのかって顔だぜ」
「三島さんの方が上だと他校では評されていたけれど、こうなると判断に苦しむね」
「あんな熊野郎と一緒にするな。いいから、お前も新妻達を追え」
「了解」
こめかみに手をやり、ガーディアン式の敬礼をして出ていく沢。
それを見届けたところで、大山が屋神に近付いた。
「杉下さんは、かなり彼を警戒しているようですね」
「そのくらい慎重でないと、参謀は勤まらないさ。あいつは最悪のパターンを想定して、そこから考えだすタイプなんだろ」
「もう少し度量というかおおらかな面があれば、彼が全体を率いていけるんですが」
やや辛辣な大山の批評。
「そのフォローを屋神さんがしているからいいにしろ、今のままだと私達の間だけでも二派に分かれてしまいますよ。杉下派と、沢派に」
「中川は杉下だな。塩田はああいう性格だから、強い沢に好意を寄せる。お前もああいう冷静な意見のタイプだ」
冷静に分析する屋神。
「三島と涼代は何があっても中立、新妻と、それに従う天満は除くとして」
「あなたが要なんですよ。片側だけに賛意を示したら、それこそ揉める原因です」
「嫁姑に挟まれた亭主みたいだな。お前こそ、考え過ぎだ」
しかし彼の顔も決して笑ってはいない。
「規則強化反対だけでつながってるんですから、組織としては脆すぎます。一部に友人関係があるとはいえ、難しいですね」
「杉下も、それは分かってるさ」
「だからこそ、彼にだけ責任を追わせるのは酷すぎます」
奥の部屋へと続くドアを見やる大山。
屋神は軽く肩をすくめ、テーブルの上に腰を降ろした。
「仮にも俺達を集めた人間だ。まとめる策なり能力はあるだろう」
「だと、助かるんですが」
「悲観的になるな。俺はもう、あいつの事は深く考えないようにした」
屋神は小さくため息を付き、大山から名前を呼ばれなかった間のいる部屋を遠い眼差しで見つめた。
「それに、お前こそどうなんだ」
「私が」
意外そうな顔をする大山。
「能力は認める。ただ客観的過ぎる。何事にも、自分の事にも」
「そうでしょうか」
「感情を出せとは言わない。ただ、もう少しお前自身の意見を言ってもいいんだぞ」
諭すとまでもいかない、さりげない語り口調。
静かになった室内に、さらなる沈黙が訪れる。
「私は違うと?」
「どちらかといえば、学校に付くタイプだろ。別に、お前を疑ってる訳じゃない。それ程単純な男なら、説教じみた事を言う必要がない」
苦笑する屋神。
冷静なのか装っているのか、大山は無表情である。
「お前はお前なりの考えがあって、こっちに付いた。その先に何を考えてるかまでは、俺には分からん。ただ、人を観察してるだけじゃ面白くないぞって事さ」
「仰っている意味は理解していますよ。でもこのポジション、一歩引いて傍観している方が楽なんです。それがいいか悪いかは、私にも分かりませんが」
「俺だって、悪いと言う気はない。お前の才能をこのままにしておくのが惜しいと思っただけだ」
「ありがとうございます」
微笑んだ大山の表情に、一瞬の鋭さが走る。
今まで彼が見せていた面とは違う、怜悧ともいえる表情。
屋神はそれに言及する事なく、テーブルの上にあった自分の端末を手に取った。
「夏休みが終わるのが……、後一ヶ月か。それまでに片を付けないとまずいな。一般生徒まで巻き込む事態になったら、収集が付かなくなる」
「ええ。フリーガーディアンも来た事ですし、明日には全員で今後の方針を決定しましょう」
「杉下が沢と上手くやってくれれば、少しは何とかなるんだが。それとも、競争心を煽らせるか」
「色々な意味で、お互いそれ程単純ではないですよ。どうなるのか、こればかりは経緯を見守るしかありませんね」
頷き合う二人。
室内を包む沈黙は、なおも深くなっていった……。
「野宿よりはましだろ」
「ああ。ホテルは遠くて、正直心許なかったんだ。何かあった時、すぐに駆け付けられない」
「仕事熱心だな、あんた」
鼻歌混じりに備え付けのTVを付ける塩田。
沢と彼は今、草薙高校男子寮の空き部屋にいた。
説明通り室内には何もなく、ローカルニュースの無機質な音声がその空間に虚しく響いている。
「夏休みでみんな帰省してるから、人もいないし食堂も殆ど動いてない。却って気楽とも言えるけど」
「残ってるのは、その管理案を話し合うする生徒達だけかい」
「事情があって帰らないって奴もいる。親に会いたくないっていう、理由で」
「なるほど」
どうとでも取れる答えを返す沢。
殺風景な部屋には彼のリュックと、近所のコンビニで買ったと思われる紙袋があるだけだ。
家庭的という言葉とは、対極に位置する眺めである。
「管理案や学校の詳しい話は、明日大山にでも聞いてくれ。それにこれからの事も、明日全員で決めるらしい」
「杉下さんは、僕を嫌ってるようだね」
「スパイだってよ、スパイ。何考えてるんだか、あの人は」
大笑いして、壁を叩く塩田。
少なくとも彼は、そういった疑いを抱いていないようだ。
それとも、悟られないようにしているのかもしれないが。
「欲しい物あったら、連絡してくれ」
「ありがとう。今日はもう寝るだけだから、十分だよ」
「分かった。それと……」
言葉を切り、床に伏せる塩田。
沢も同じ動作を見せる。
そして、照明が消えた。
「なっ」
叫び声と床に倒れる音が同時に響く。
鈍い、肉を打つ音も。
「がっ」
あちこちで上がる叫び声。
壁や床へ叩きつける、鈍い音が繰り返される。
すると耳をつんざくような高音が鳴り響き、引きずるような足音がドアへと向かう。
突然回復する照明。
明かりの下、そこには土足で汚れた床と飛び散る鮮血があった。
「怪我は」
「無い」
顔色一つ変えず答える沢。
訪ねた塩田も、傷一つない綺麗な顔で頷いた。
「随分、派手な歓迎会だね」
「フリーガーディアンの様子を見に来たんだろ。休みに入ってから、寮の警備も甘いんだ」
「例の学校側生徒かい」
それに対して塩田は、小さく首を振った。
「いや、違う。確かに顔を合わせれば殴り合う場合もある。ただ、こういうせこい真似をする人達ではないんだ」
「すると、学校が独自に雇った連中」
「ああ。何が困るって、俺達の意見が通るのは学校にとって一番困る」
手に付いた血を壁にこすりつける塩田。
そこには紛れもない、喜びの笑顔が浮かんでいる。
「後は、俺達と学校側生徒が妥協案を出す事。そうすると学校は、管理案を敷けなくなる。相互不信と、単純な潰しらしい。どうも学校側生徒も、襲われてるようだ」
「仮に向こうが潰れた場合は、君達の仕業として弾圧の名目が立つ。共倒れなら、学校側の意向を受けた生徒だけで採決すればいい」
「さすがフリーガーディアン、知恵が回るな。俺が言ったのは、大山の考えだけどな」
苦笑とともに告白される言葉。
沢は気にした様子もなく、リュックとコンビニの袋を手に取った。
「替えの部屋は、あるのかな」
「ああ」
何事も無かったかのように部屋を出ていく二人。
返り血を浴びた、その姿のままで。
そして彼らの顔には、どこか共感めいた表情すら浮かんでいた……。
翌日。
会議室風の部屋に顔をそろえる一同。
欠けている者は、一人もいない。
ただ席次を見ていると、彼らの思惑や関係は多少理解出来る。
杉下の近くには中川。沢の隣は塩田、そして大山。
両者は向かい合って座っている。
涼代と三島は、杉下達の右斜め前。新妻と天満も同様。
間だけが一人、大きなボードを背に腰を下ろしている。
「えーと。本題というか、今後俺達がどうすべきか。それについて決めようと思う。意見のある人は、挙手の後俺の指名を受けてから発言して。……杉下」
「もう決まってるだろ。委員会出席者の説得と、学校側生徒の切り崩し。その材料は、他校で行われた管理案の実体説明。妨害工作については直接的なものは三島君達で対応、それ以外の向こうからの切り崩しは俺達で対応。役割も、ほぼ決まってる。今更、何を話し合うんだ。それよりも、その具体案を話し合うべきだろう」
「沢君が加わったから、彼の経験を踏まえて問題点がないかと思ってね。どうかな」
苦い顔をする屋神と、苦笑を押し隠す大山。
これでは昨日彼らが危惧していた、杉下と沢という対立を煽るようなものだからだ。
競争心ならともかく、敵愾心を煽っても仕方がない。
「特にない」
「意見がないのかな。それとも、今の案でいいという事?」
「ああ」
どちらともとれる受け答え。
杉下の表情が、厳しくなっていく。
「言いたいなら、はっきり言ってくれ。俺だって、おかしい点があれば改める」
「机上の空論とまでは言わない」
「なっ」
「もしこの中の誰かが、人質に取られたらどうする」
静かな口調で語りかける沢。
一人一人にその醒めた眼差しが向けられる。
受け止め方も様々で、笑顔や苦笑、睨み返す者もいる。
「護衛とはいえ、僕達は所詮高校生。銃を突きつけられて、それでも自分の意見を貫ける程強くはない」
「じゃあ何か。俺達に学校の言いなりになれって言うのか」
「そのための話し合いだ。先程の、あなたの意見は正しい。ただ、正論が通じない相手にはどうすればいいのか。そう言いたかっただけさ」
あくまでも落ち着いている沢。
対照的に杉下の顔色は、見る見る赤くなっていく。
「僕はアドバイザー的な立場だから、みんながそれでいいならばかまわない。その時は僕に出来る、最善の行動を取らせてもらう」
「文句は言うのに、自分の意見は言わないつもりか」
「部外者だからね。今起きているのは、君達の学校での問題だ。僕がするのは、その手助けに過ぎない」
やや厳しい言葉に、杉下はそれに合わせるかのように熱くなる。
「君の手を借りる気は、元々無い」
「それは助かる」
うっすらと微笑む沢。
さらに顔を赤らめる杉下。
気まずさを通り越した雰囲気が、二人の間に流れ始める。
すると突然、テーブルを叩く響いた。
「あなたね、どうしてそう偉そうなの」
まなじりを上げ、沢を睨み付ける中川。
杉下の紅潮が屈辱なら、彼女のは怒りのそれだろう。
放っておけば、今にも飛びかかりそうな勢いだ。
「正論だろうが何だろうが、これ以外の方法はないでしょ。それを何、アドバイザーだなんて逃げる場所を作って。文句を言うだけじゃなく、対案を出しなさい」
「君は、彼の意見に賛成なんだね。他の人は」
「反対する人なんて、いる訳が……」
中川の顔付きが、さらに険しくなる。
彼女の正面に座っている塩田が、手を挙げたのだ。
「杉下さんの意見が正しいのは、俺も分かる。でも沢の言った通り、学校相手に通用するか?」
「私達は、獣じゃないの。話し合って解決するのは、当然じゃない」
「そこまで、あいつらを信用していいのか。例の管理案を、学校は実際に施行したんだぜ」
「力尽くで解決は出来ないって、私は言ってるの」
感情を押さえ込んだ表情で語る中川。
塩田は受け流すとまでは行かないが、それとなく彼女から視線を外した。
話はここでも、平行線を辿る。
「採決よ。そう、多数決で決めましょう。間さん」
「……それは、どうだろう」
「え?」
尋ね返す彼女だけではなく、室内にいる全員に間の視線が向けられる。
問い掛けや、怒り、屈辱でもない。
ただ一人一人と、視線を合わせていく間。
そして誰もが、その瞳を見つめ返す。
「せっかくこれだけのメンバーが揃ってるんだし、ちゃんと話し合った方がいいと思う。お互いの意見を、忌憚無く」
「そんな、悠長な事を言ってる場合じゃない。委員会は明日から再開される。今は俺達の意見を統一して、学校側生徒との討論に備えるべきだ」
「時間がないのは、俺だって分かってる。でも、採決はしない。意見が出尽くすまで、みんなには話し合ってもらう」
気負いも焦りもない、自然な笑顔。
不信や怒り、訝しむ視線があちこちから向けられても、それを意に介した様子はない。
「さあ。今言った通り、時間がない。話を進めて」
間はマグカップを片手に、気楽な口調で全員を促した……。
淀んだ空気を入れ換えるために開け放たれた窓から、心地よい風が吹き込んでくる。
熱田神宮の杜を抜けた涼風が、ここまでやってきているのだ。
それと、日が落ち気温が下がってきたためでもある。
「だるい……」
窓の外に顔を出し、うなだれる天満。
彼女の隣では、新妻が澄んだ表情で外を見つめている。
「体、大丈夫ですか?」
「ええ。ありがとう」
新妻の端正な顔が、微かな色で染められる。
笑顔、そして感謝、優しさ。
言葉では言い表せない、彼女の心の色で。
「熱いですよね、みんな。私は出たとこ勝負でいいと思うんですけど」
「あなたらしいわ、その考え方は」
「だって向こうの出方が分からないんですから、慎重に行っても結局同じじゃないですか。策を練るのは私も好きです。今でも、そういう部署にいますし。でもそれは、柔軟な運用があるからこそなのに」
隣を恐る恐る伺う天満。
「気を遣わなくてもいいのよ」
「そ、そういう意味では、なくも無いですけど。それに私は、先輩のおかげでここまでこれたようなものですから」
「あなたの能力は、もう誰もが認めてるわ。私は、それをみんなに教えただけ」
ため息と共に、新妻が近くの椅子に座り込んだ。
天満はそれを見て、慌てて彼女の背中をさすり出した。
「だ、大丈夫ですか?く、薬は?お、お医者さん?」
「落ち着いて。少し、疲れただけだから」
「で、でも」
「本当に大丈夫。無理をして倒れる程、馬鹿じゃないわ」
儚い、透き通るような笑み。
そして天満から不安げな表情が消える事はない。
「私もみんなの熱気に当てられて、熱くなってるのかもしれないわね。柄にもなく」
「と、とにかく、今日はもう帰りましょう」
「話し合いは、まだ続くわ」
「駄目ですよ。これからの経過は、端末で見ていて下さい」
愛嬌のある顔を険しくさせ、彼女のリュックを背負う天満。
それこそ、力尽くでも帰らせるという雰囲気だ。
「分かった。アパートまでお願い出来るかしら」
「はい。私は、何があっても先輩に付いていきますから」
「大げさよ。それに、意味が違うでしょ」
微かな笑い声が、新妻の口元から漏れる。
可愛らしい、年頃の女の子の笑い声が。
天満はそんな彼女にそっと寄り添い、ひたむきな顔で歩き始めた……。
休憩が終わり、部屋へ集合する一同。
新妻の席は空席のままだが。
「どこ行ったの、彼女は」
「体調が悪いので、帰りました」
大仰に頭を下げる天満。
尋ねた涼代も、釣られたように会釈を返す。
「帰ったって、天満さん。全員が揃ってないと困るよ。さっきの俺の話、聞いてた?」
「聞いてましたっ」
派手にテーブルが叩かれ、空のマグカップが横倒しになる。
間は激しく頷き、咳払いをして天満から視線を逸らした。
「え、えと。それで、新妻さんは」
「端末で経緯は見ていてもらってますっ。発言がある場合は、私が代理を務めますっ。他にはっ」
「いえ、ありません……」
身を小さくした間を睨み付け、倒れたマグカップを元に戻す天満。
近くに座っていた中川や杉下は、そんな彼女を驚きの表情で窺っている。
「こういう子だったのか?」
「知らなかった」
小声でささやく二人の会話は、まるで聞こえていないらしい。
それよりも、広角度カメラの設定や位置取りの方が大事のようだ。
「彼女殆ど喋ってなかったんだし、どうでもいいと思うんだけどね」
「黙ってろ」
屋神にすごまれ、肩をすくめる塩田。
そして三島のいつにない鋭い視線を受け、深く頭を下げる。
「俺が間違ってました。済みません」
「謝る必要はない。俺も、発言はしていない」
「三島君、いじめないの」
苦笑して助け船を出す涼代。
塩田は彼女にも頭を下げ、背もたれへとだらしなく崩れた。
「どういう事だい」
「後で、説明してやるよ」
訳ありという顔に、沢は小さく手を挙げて理解の意志を示した。
「えーと、そろそろいいかな。基本的には、杉下案を採用。それに今まで話し合った内容を考慮して、若干の修正を加える。問題、ないね」
異論は出ず、何名かが軽く頷く。
「結局元のままという気もするけど、とにかく話し合いで結論は見い出せた。これは、大事な事だと思う」
「どうでもいいわよ」
疲れ切った顔で、小さく漏らす中川。
こんな結果になるなら口を挟まなければよかった、という後悔にも見える。
「天満さん。新妻さんはどう言ってる」
「了承したとの事です」
「分かった」
席を立ち、テーブルに両手を付く間。
彼の顔からは、疲労や虚しさは殆ど感じ取れない。
むしろ晴れ晴れとした、清々しさすら漂わせている。
「長い間、ご苦労様でした。とりあえず、今日はこれで解散。明日というか今日の委員会に出席するメンバーは、定刻までに集合して下さい」
気だるげな同意の声が上がり、おざなりの拍手がまばらに起きる。
間は満足そうに、そんな彼らにねぎらいの声をかけ続けている。
「……忘れてましたよ」
「あ、何が」
目を閉じて自分の肩を揉んでいた屋神は、面倒げな口調で尋ね返した。
「彼、間さんの事を」
「どうでもいい、あいつなんて」
「そう思わせてしまうくらいの、あきらめの悪さ。これだけ癖のあるメンバーを、結局全員説得したのは彼なんです」
苦笑して、額を押さえる大山。
それを、聞きたくもないという感じで顔を背ける屋神。
「個々の能力を取れば、彼は平凡でしょう。だけどあの根気強さは、何にも増して代え難い能力のかもしれません」
「俺達を寝不足にしたいだけだろ。10時間以上話し合って、元に戻ってるんだから」
「そうですね。彼への評価は、もう少し先にしますか」
あくびをかみ殺し、書類を片づけている間に目をやる二人。
この長時間の議論の間、彼自身の発言は数える程しかなかった。
しかし結論だけを言えば、彼が望んだ結果が出ている。
採決ではなく、話し合いでの解決。
しかも、全員が納得した上での。
不満や疑問ははらんだままにせよ、かろうじて全体の和は保たれた。
それは実際、誰の力によるものなのか。
ただ今の時点でその考察に及ぶ事が出来る程元気な人間は、当の本人しかいなかっただろう。




