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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第9話
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9-6






     9-6




 停学はとりあえず免れた。

 ただ全員怪我を追ってしまったため、数日間学校を休む事となった。 

 理由は全然別だけれど、結果としては同じと言える。

 そんな怪我も癒え始めた、冬のある日。


 街並みは間近に迫ったクリスマス一色で、ディスプレイにはツリーやミモザなどが飾り付けられている。

 赤のブーツやトナカイのぬいぐるみ、小さなサンタクロース。

 見ているだけで、自然と心が暖かくなる。

 街路樹全体に取り付けられたイルミネーションも、その光景に彩りを添えている。


 スクーターにまたがり、エンジンを掛ける。

 微かなエンジン音と点灯するヘッドライト。

 アクセルを捻り、スクーターは緩やかに加速する。

 自分を追い抜いていく車の群。

 性能としては、その前に出られない事もない。

 ただ急ぐ理由も別にないため、車のテールランプを眺めていく。

 ジャケットを通して私を冷やす、夜の風。

 それもまた、悪くはない……。



「お疲れさま」

「寒い、外」

 たこ焼きのパッケージを沙紀ちゃんに渡し、ジャケットをクローゼットにしまう。

 これからしばらくは、チョキを出さないでおこう。

「ピリ辛たこ焼きって書いてあるけど」

「この間、知り合いから聞いたの。美味しいらしいよ」

「……あ、本当」

 もごもごした声が聞かれ、口元にたこ焼きが差し出される。

 ん、美味しい。

「怪我は、もういいの?」

「うん。頬を少し打っただけだから。体は、それ程痛めてなかったの」

「真理依さんも、少し怪我してたわよ。口には出してなかったけど」

 その名前に、治ったはずの頬を押さえる。

 彼女に叩かれた時の、あの痛みが蘇ったかのように。   


「やり過ぎだって言ったら、「あ、そう」だって。あの人も、よく分からないわよね」

「舞地さんだから。それに、私もやっちゃったんだし」

「先輩後輩でケンカしなくてもいいのに。理由はともかく、あまり感心出来ないわよ」

 やんわりとたしなめてくる沙紀ちゃん。

 ただ彼女にも、私の気持ちは分かっていると思う。

 他の誰でもない、舞地さんと戦う意味が。

 言葉だけでは説明出来ない、心が渇望する行為。

 それがこの間の出来事だと、私は考えている。

 実際のところ、停学云々はそれへのきっかけに過ぎなかったのかもしれない。

 勿論、停学にされたり矢田自警局長の行動には腹が立つけれど。


「……だって。聞いてる、優ちゃん」

「はい?」

 顔を上げ、首を振る。

 ちょっと、自分の考えに耽り過ぎていたようだ。

 最近、こういうのが少し多い。

 それだけ色々な事があったとも言える。

「真理依さん達、最近元気ないんだって」

 改めて言い直す沙紀ちゃん。

 ただたこ焼きを頬張りながらなので、いまいち深刻さがない。

「私はあれ以来、会ってないから」

 小声で答えると、曖昧に頷かれた。

 それでもたこ焼きを食べるのは止めない。

 この子、結構こういう所あるよな。

「優ちゃん達の事を後悔する人達でも無いだろうし。何かあったのかも」

「さあ、思い当たらない」

「そうよね。でも、ちょっと心配だわ」

 さすがに手を止め、表情を曇らせる沙紀ちゃん。

 彼女達とは付き合いが深いため、思う事は色々あるんだろう。

 そして私も、また。


「まあ、いいか。それより、遠野ちゃん達は」

 すぐに表情を変え、その手も再び動き出す。

「サトミは背中を少し打っただけだから、もう歩き回ってる。ショウは、頑丈だからね。完全に治ってはないけど、それは柳君もでしょ」

「ええ。この間会った時は、頬のガーゼが取れてた。今は、少し赤いくらい」

「あの二人こそ、やり過ぎなんだって」

 私と舞地さんとは違い、彼らは寝込むくらいの戦いをしていた。

 それが彼らの血であり、ある意味必然とも言える行為だろう。

 心配なのはお互いが遺恨というか、相手にどういう感情を抱いているか。

 仮にもそこまでやり合って、今まで通りとはいかないだろうから。

「柳君は、怒ってない?」

「負けたのは悔しがってた。でも、玲阿君に悪い感情は持ってないみたい。怒ってるとしたら、名雲さんね。「玲阿は、俺が倒すんだ」って言ってたもの」

「あの人も、よく分かんないな」

 一緒に笑った沙紀ちゃんだったけど、その目が何か言いたげだ。


「どうかした?」

「えーと、その。浦田の事なんだけど」

「ああ、そんな子もいたね」

 たこ焼きをパクついて、いい加減に頷く。

 すると沙紀ちゃんの大きな瞳が、一瞬鋭い光を帯びた。

 私も慌ててたこ焼きを飲み込み、激しく頷く。

「う、うん。浦田君も大丈夫。脇腹を軽く蹴られただけだから。足の火傷も、大した事無かった」

「それは聞いた。私が言いたいのは、どうして彼だけ置き去りにしたか」

 顔は笑っているけど、目は怖いくらいの鋭さを宿している。

 いっそ怒られた方が、まだましというくらいに。

「浦田をあそこから運んだのは、結局名雲さんっていうじゃない。確かにあの場で怪我はしなかっただろうけど、彼は元々怪我人なのよ」

「いや。私も忘れてた訳じゃなくて、自分の事だけで精一杯だったから。怒るなら、ショウにしてくれない」

「別に、怒っては……」

 口元で何やら呟いているが、取りあえず怒りは収まったようだ。 

 大体本人が気にしてないからいいんだって。

 などと口にしたら血の雨が降りそうなので、ここは黙っておこう。


 変なしなを作っている沙紀ちゃんを眺めていたら、インターフォンが来客を告げた。

 モニターをチェックすると、日に焼けた可愛い顔が映ってる。

「開いてるよ、ニャン」

「分かった」

 ドアの開く音がして、そのニャンが入ってきた。

「あ、お客さん?私、帰ろうか」

「いえ。私こそ」

 妙に気を遣う二人。

 そういえば、面識がなかったっけ。

「いいから、ニャンも沙紀ちゃんも。この子は猫木明日佳で、小等部からの友達。陸上部では、短距離のホープだってさ」

「え。あの猫木さん?オリンピック候補にも名前が挙がってる」

「名前だけ、名前だけ。記録的には、まだまだだもん」

 照れくさそうに頬を撫でるニャン。

 それでも沙紀ちゃんは、憧れにも似た眼差しで彼女に見入っている。

「所詮は猫だって。で、この子は丹下沙紀ちゃん。生徒会ガーディアンズで、私がいるI棟Dブロックの隊長でもある人」

「へえ、生徒会の幹部じゃない。すごいわね」

「そんな。私はただ、その立場にいるだけだから」

 軽く謙遜する沙紀ちゃんと、満足げに頷くニャン。

 とにかく、お互いいい印象を持ったようだ。

 敬意を抱き合える間とでも言おうか。


「でも、ユウユウ達の世話なんて大変でしょ」

 失礼だな、この人は。

「そうでもない。遠野ちゃんにはいつも助けてもらってるし、玲阿君なんてDブロックにいるだけで治安の維持にはすごい役立ってるもの」

「あの二人はそうかも知れないけど。もう一人、困った子がいるじゃない。ねえ」

 同意を求めてくるニャンと、困惑する沙紀ちゃん。

 私はその間で、大笑いした。

「え。どうかしたの?」

「だ、だって。その困った子が気に入ってるだもん」

「誰が」

「沙紀ちゃんが」

 目を丸くするニャン。

 そして、カーペットにのの字を書く沙紀ちゃん。

 これを笑わずして、どうしようというんだ。

「ケイ君を、ね。思い直したら」

 真顔で説得するね、この人は。

 それは、私も同感だけど。

「悪い人じゃないわよ」

「ただ丹下さんの事を考えると、お勧め商品とは言えない」

「でも、納豆が好きな人もいるじゃない。あれって、腐ってるんでしょ」

 ははと笑ったら、真っ赤な顔をした沙紀ちゃんに睨まれた。

「ユウユウ、言い過ぎ。せめて、ヨーグルトにしたら」

「同じよ、猫木さん……」

 はあとため息を付き、床に倒れ込む沙紀ちゃん。

 大きな胸が押し潰されて、苦しそうだ。

 私なんて、肋骨が当たって苦しいのに。


「……そんな話はいいから。二人で、他の話して」

「つまんないな。それで、ニャンは何しに来たの」

「特に用は無いんだけど、クリスマスはどうするのかなと思って。私は、陸上部の子達とお店を借りるのよ」

 そういえば、もうそんな時期だった。

「んー。私は一応、いつものメンバーで遊ぶつもり。お母さんが、料理作ってくれるって言うし」

「そう。じゃあ、こっちはこっちでやるから。岩見君が、可哀想だけどね」

 くくっと、悪戯っぽく笑うニャン。

 それを聞きつけた沙紀ちゃんが、伏せたまま目線をこちらへ向けてくる。

「誰、岩見君って」

「陸上部の子で、ユウユウに熱い視線を送る男の子。結構、格好良いかな」

「へえ」

 匍匐前進して、私に手を掛けてくる。

 一転して、形勢不利だな。


「玲阿君は、知ってるの?」

「彼との短距離勝負で勝ったのよ、岩見君。でもせっかくいい場面見せたのに、ユウユウがショウ君しか見て無くて」

「そうなんだー」 

 体が揺さぶられるけど、無視。

 私は聞いてない。

 ここにはいない。

 夢だ、夢。

「その後でショウ君が砲丸を振りかぶって投げるから、岩見君驚いちゃって。女の子を巡る、男の熱い戦いっていうのかな」

「プレイガールじゃない、優ちゃん」

 古くさい事を言う女の子に耳を貸さず、ニャンが持ってきたジュースを勝手に飲む。

 しかしグレープフルーツの果汁100%だったため、口の中に猛烈な酸味が広がった。

 思わず口元を押さえ、少しえづく。


「うー」

「ユウユウ、どうしたの?もしかして」

 輝くニャンの眼差しを受け、口元を大きく緩める沙紀ちゃん。

「妊娠、したの?」

「そ、そんな訳無いでしょっ」

「ねえ、誰の子?」

 全然聞いてないな、この子達は。

 勝手に人を、つわりにして。

「ああ、違うわよ丹下さん。だって、子供が子供を産める訳無いじゃない」

「なるほど。ごめん、優ちゃん。私達の勘違いだった」

 何だそれ。

 良いけど、全然良くない。

 確かに外見は子供だけど、私だって子供くらいは産める。

 と思う。

 そういう経験もないし、相手もいないから断言は出来ないけど。

 今度サトミにでも、相談してみようかな。

 それこそ、子供相談室か……。 




 ことこと音を立てる鍋を背中に聞きながら、ボールを抱えて泡立て器をかき混ぜる。

「まだ?」

「もう少しね」

 クリームのかく拌度合をチェックしたお母さんは、絞っていたグレープフルーツを置いて軽く肩を回した。 

 今日はクリスマス・イブ。

 数日前から実家に戻っていた私は、お母さんと一緒にパーティ用の料理を作っていた。

 といっても私は手伝い程度で、メインはやっぱりお母さん。

 上手いし、好きなんだよねこの人。

「でも、こんなに作って食べられるの」

「10人近くいるんだし、大丈夫。それにあなた達は、食べ盛りなんだから」

「私は、それ程でもないけど」

 何せ体が体だ。 

 この辺りは、目の前にいるお母さんの遺伝だね。

 大体同じ赤のエプロンしてるから、見た目も同じ。

 よくサトミやモトちゃんが言うけど、将来の自分を観ているみたい。


「七面鳥は」

「無いわよ、そんな物。あれは、ニワトリ」

「そうなの?私、ずっと七面鳥だと思ってた」

 オーブンの奥で良い照りを見せている鳥の背中。

 ちょっと可哀想で、ちょっと滑稽。

 そして、とても美味しい。

「クリスマスって、七面鳥ってイメージじゃない」

「そうね。でもあまり美味しい物じゃないわ。昔お父さんと食べて、後悔したもの」

「ふーん」

 遠い目で微笑むお母さん。

 昔お父さんと、か。  

 今は珍しいけど、その当時は主流だったという学生結婚。

 大学内で知り合い、そのまま結婚まで行ったんだとか。

 ただ恥ずかしいのか、詳しい事はあまり話してくれない。

 あまり聞かされても、私の方が恥ずかしいけど。


「出来ました」

「ありがとう、智美ちゃん」

「いえ」

 にこやかに微笑み、おにぎりの山にラップをかけるモトちゃん。

 この子も家庭的なので、料理はお手の物だ。

「私も」

「はい、ありがとう。沙紀ちゃん」

「ちょっと、不格好ですけどね」

 チーズフォンデュ用のパンやハムを切っていた沙紀ちゃんは、包丁をナプキンで拭いて大きく息を付いた。

 不格好と言った割には、綺麗な形をしたフルーツや野菜達 

 サトミ程ではないけど、凝り性らしい。


「マメですな、皆さん」

 誰だと思ったら、空のコップを持ったケイがキッチンに入ってきた。

「そんなの適当にやればいいのに。どうせ、チーズに浸けるんだし」

「食べやすい大きさもそうだけど、料理は見栄えも大事なの。あなたには、分からないのよ」

「それは失礼。水下さい」

 全然関心のない顔。

 根本的に、私達と考え方が違うんだろう。

「ワインは、珪君」

「まだ夕方ですよ。それに、飲めませんから」

「じゃあ、ショウ君は」

「親父殿と遊んでます」

 何だ、それ。 

 大体遊ぶって。

「優、ちょっとお父さん見てきて。いい年して、張り切らないように」

「はーい」

「世話が焼ける大人ですな」

「いいから。あなたは優が抜ける代わりに、料理を手伝って」

 逃げだそうとするケイの喉元に、沙紀ちゃんのナイフが突き付けられる。

 冗談とは思えない程の早さとその距離。

 さすがのケイも、喉を鳴らした。

「あ、あの。喉に当たってるんですけど」

「大丈夫、ケイ君。ご飯を食べる所が増えるだけ」

 コロコロと笑うモトちゃん。

 ちょっとお酒が入っているせいもある。

「まずは、そこのごまを摺って」

「ちっ。フードプロセッサー使えばいいでしょうに。山椒の木は」

 何だという顔をするモトちゃんと沙紀ちゃん。 

 しかしお母さんはニコリと笑って、棚の奥から見慣れないすりこぎを取り出した。

「はい、どうぞ。さすが浦田珪、どうでもいい事は知ってるわね」

「グルメと言って下さい」

「松茸としいたけの区別も付かない癖に」

 鼻で笑い、さっさとキッチンを飛び出す。 

 なんか文句が聞こえたけど、気にしない。

 その内、庭に生えたキノコ食べさせてやる。



 リビングへ行ったら、お父さんとショウがTVゲームをやっていた。

 本当に、いい年してだ。

「暇なら、料理手伝ってよ」

「ああ、ごめん」

 明るく笑い振り向くお父さん。

 その途端、小ネズミが宇宙の彼方へと飛んでいった。

「あ、ごめん」

 今度は私が謝るけど、気にしないという顔で笑われた。

 だから、お父さんなんだ。

「さすがに疲れた」

 いつからやってるのか、赤い指を見せてくるショウ。

 意外とケイよりも、ゲーム好きなんだよね。

 その腕前も。

「ほら、ショウ。お母さんが、餅切ってくれって」

「え、今クリスマスだろ」

「じき正月なの。いいから、ほら行った」

 ぶつぶつ文句を言うショウの背中を押しまくり、キッチンへと放り込む。

 ケイの声が聞こえるけど、気にしない。

 でも、あの子の料理を食べるのも結構困るかな。


「あの餅、硬かったからね」

「すぐ切ればよかったのに」

「ちょっと仕事が立て込んでたんだよ。お母さんにも手伝ってもらってたから、つい」

 申し訳なさそうな視線をキッチンへと向けるお父さん。

 とはいえ餅は玲阿家で先週つかれたもので、ショウにも切る義務はあると思う。

 もらっておいてさらに仕事をさせるというのも、何だけど。

 どうせなら、大晦日くらいに届けてくれればいいのに。

 と、贅沢な事を思ったりもする。

「聡美さんと、光君は」

「まだ二人で遊んでるんじゃない。何せ、恋人だもん」

「はは、そうだったね」

 明るく笑ったお父さんは、TVを消して窓辺の方へと歩いていった。

 私もすぐに、その隣へと行く。


 庭に見える白樺とドングリの木。

 他にも色々植わっているけれど、この二つは背が高い分特に目立つ。

「今年も終わり、か」

「なに黄昏てるの。まだ、一週間くらいあるじゃない」

「年を取ると、そう思えてくるんだよ」

 どこか寂しげな笑顔。

 何となく私も胸が切なくなって、空を見上げた。 

 茜色に染まるクリスマス・イブの空。

 窓を隔ててはいるけれど、庭の植物が木枯らしに揺れている。

 夕闇から本当の夜へと変わる時。

 よく分からないけれど、お父さんの気持ちが伝わったかのようだ。

「……優は、まだサンタクロースを信じてるかな」

 唐突な、つい笑い出しそうな質問。

 でも今は、それを素直な気持ちで聞く事が出来た。


「分からない。想像や絵本の話にも思えるけど、やっぱり信じてるかもしれない」

「僕もそうなんだ。子供っぽいといわれても、サンタクロースはいると思ってる。心の中なんて、曖昧な事ではなくて。本当に、いるんだと」

 静かな、心に染みいるような声。

 ふと見上げたお父さんの顔は、何だか透き通って見えていた。

「10年くらい前の事だけど、この家にサンタがプレゼントを届けてくれたんだ。そのドングリと、雪だるまを」

「この間お母さんから聞いたけど、どうして雪だるまを?」

「僕の願いを聞き届けてくれたんだよ。サンタクロースが」

 そう呟き、苦笑するお父さん。

 私に何か伝えたいような素振りを一瞬見せ、すぐに首を振った。

「だから優も、お願いをするといい。きっと神様は、その願いを聞いていてくれるから」

「うん。だけど、私は別に願いなんてないよ」

「まだ今日は時間があるんだから、ゆっくり考えてみて」

 そっと私の頭を撫で、お父さんはキッチンへと消えていった。

 そこから聞こえる楽しげな会話と笑い声。

 明かりのないリビングに残った私は、暮れていく空を眺めながら胸の中で自分の願いを考えていた。



 物音に我へと帰り、玄関へと向かう。

 サトミとヒカルが来たんだろうか。

「あれ、どこ行くの」

 ダッフルコートを羽織りながら靴を履いているケイへ尋ねる。

「非常招集が掛かった」

「え?」

「……舞地さんが、こいって」

 キッチンを気にしつつ、小声で教えてくれる。 

 私は曖昧に頷き、その顔をじっと見つめた。

「この間の事とは、関係ないって言ってた。すぐ戻る」

「うん」

「みんなには、適当に言っておいて」

 そう言い残し、手を振って出ていくケイ。

 私も閉められたドアへ手を振り、端末を取り出した。 

 ジョグシャトルを動かし、彼女のアドレスを表示させる。

 向こうからも、こちらかも。 

 連絡はない。

 元々そうはなかったのだけど、あの日を境にして完全に途絶えてしまった。

 そして、今も。

 いい知れない寂しさを感じながら、私はキッチンへと足を向けた。     


 食事とお酒も進み、自然と会話も楽しくなる。 

 いつも会っている人達。

 でもこうして形を変えて会うのが、また新鮮で嬉しい。

 笑顔と笑い声と、その雰囲気も。

 心の奥から暖かくなるような、何とも言えない気分。

「寂しい背中ね」

 グラスを持った手で、リビングの隅を差すモトちゃん。

 そこには、あぐらをかいてワイングラスを舐めている木之本君がいる。

 本当なら、彼女と二人きりで過ごすイブ。 

 でも彼は、ここにいる。

「この時期に振られるのも、結構きついわよ」

 案外遠慮なく言い放つ沙紀ちゃん。

 木之本君の背中が揺れたけど、気にせずクッキーをかじっている。

「もう少し、労ってやれよ。本当に、ケイがいなくてよかったぜ」

「いいんだって、玲阿君。僕に彼女がいた事自体、どうかしてたんだ」

「嫌な発想するな」

 慰めようとして彼の肩を叩くショウ。

 しかし木之本君の体は、さらに沈み込んだ。

 可哀想だけど、おかしいからいいや。

「私は知らないけど、どういう人だったの」 

 興味津々という顔のお母さんに、モトちゃんが顔を寄せた。

「可愛くて、まあ普通の子でした。ただ木之本君より素敵な人が出来たから、さよならって」

「却ってよかったと思うけど。そんな程度の子と、ずっと付き合うよりは」 

 やはりシビアな沙紀ちゃんは、彼にも聞こえるくらいの声でそう言った。

「冷たいな、みんな。俺も同感だけど」

 結局は慰めないショウ。

 あれこれ言われて少しは振り払えたのか、さっきよりは元気な顔で木之本君がこっちへやってきた。


「ごめん。僕のせいで、どんよりしちゃって」

「肴よ、肴。それに、女の子は他にもいるんだから」

 朗らかに笑い、彼のグラスにワインを注ぐモトちゃん。

 木之本君との付き合いは彼女が一番長いので、その気心もまた知れている。

 労り半分、からかい半分と言ったところだろう。

「優し過ぎたんじゃないのかな、木之本君は」

「僕が?」

「そう。相手に合わせ過ぎたとか、話を聞き過ぎたとか。それはそれでいいと思うけど、自分をもっと主張しても悪くないわよ」

 今日は妙に語る沙紀ちゃん。

 私は語る程の経験も知識もないので、楽しく話を聞いている。

「俺達は、男が弱いからな」

 しみじみと呟くショウと、万感の思いを込めて頷いている木之本君。

 すると、女の子は強いという訳か。 

 サトミ、モトちゃん、沙紀ちゃん。 

 後はニャンとか、ケイの妹のエリちゃん。 

 取りあえず思い付くだけでも、結構なメンバーだ。         

「そういえば、珪君がいないね」

 お母さんと一緒に少し離れた所にいたお父さんが、周りを見渡しながら聞いてくる。

 勿論みんな気付いていたんだろうけど、あえて口にしたという感じ。

「買い物にしては、遅くない?」

 何となく私を見てくるお母さん。

 一応お母さんにだけは、さっきの経緯を伝えてある。

「そうだね。私お店知ってるから、少し見てくる」

 お皿をテーブルへ置き、ソファーにあったベンチウォーマーを着込む。

「ショウ君、付いていってあげたら。ユウだけだと、心配だわ」

「モトは付いてこないのか」

「私はサトミを待つ。外寒いもの」

 それが理由でしょと心の中で突っ込み、私とショウは連れだってリビングを出ていった。



 この時期にしては暖かな外の気温。

 風もなく、大きなお月様が真上に浮かんでいる。

「結構、歩いてきたな」

「う、うん」

 ごまかすように頷いて、辺りの建物をさっと見渡す。

 間違いない、ここだ。

「アパートだぞ。それにここって」

「いいの。ショウは、ちょっと下で待ってて」

「ああ」

 訝しげな視線を避け、アパートの入り口へと入る。

 入居者のリストをチェックして、私はエレベーターへと向かった。


 薄暗い廊下に立ち、しばらく待つ。

「はーい。あれ」

 ドアを開けて出てきたのは、赤いワンピースを着た綺麗な女の人。

 向こうも、そして私も見覚えがある顔。

「知り合いを迎えに来たんですけど」

「来てるわよ。名雲くーん、雪野さんが来てるー」

 部屋の奥に、大きな声で呼び掛ける白鳥さん。

 先日も、こんな状況だった。

 ただ違うのは、今の私の心境。

 彼に、そして彼女に会い辛いという。

 そして以前と変わらぬ甘い笑顔で、名雲さんが出てきてくれた。

「寒いだろ、上がれよ」

「でも」

「浦田なら、奥にいる」

「ほら、ほら」

 強引に手を引っ張る白鳥さんに、私はなし崩し的に足を踏み入れた。


 この間来た時も物が少ないと思ったけれど、今日は一段と殺風景だ。

 部屋の隅にバッグが幾つか置かれているのも、少し気になる。

「誰ですか、その子」

 つい見取れてしまいそうな、格好いい顔立ちをした男のが私の前に立った。

 やや細身だけど、街を歩けば女の子の方から声を掛けて来そうな雰囲気。

 軽い笑顔も、そんな彼によく似合っている。

「後輩だ」

「へえ。こんな子がいるなら、もっと早く紹介して下さいよ」

「お前なんかに、教えられるか」

 私達の間に割って入り、紅茶を出してくる名雲さん。

 何となく頭を下げ、マグカップを両手で受け取る。

「雪野さん、だったよね。俺なんて、どう?見た目も悪くないし、結構良いと思うんだけど」

「え?」

 言われた意味を頭の中で整理して、慌てて首を振る。

 でも彼は、甘い笑みを絶やさない。

「警戒しなくてもいいよ。本当、明日くらいどこか行こうか。大丈夫、変な事は絶対しないから」

「い、いえ。私はその」

「止めとけ。雪野はもう、彼氏がいるから」

 それにも否定しようと思ったけど、今の雰囲気を考えて取りあえず黙っておいた。

「結構。俺とその彼氏とどっちがいいか、選んで欲しい。なんなら、最初は二股でもかまわない」

「負ける勝負は止めろと言ってるんだ」

「どうして分かるんですか。名雲さんも、俺の事は知ってるでしょ」

「ああ。でも、負ける」

 それに対し、自信満々の顔で笑う彼。

 すると名雲さんが、端末を取り出した。

「今、どこにいる」

「え、えと。アパートの下に」

「よし。……俺だ。……ああ。……悪いけど、上がってくてくれ。……ああ」

 どうしたという目付きをする彼と、にやにや笑う名雲さん。

 私は少々気まずくなって、壁際へと持たれた。


 待つ事もなくドアがノックされ、白鳥さんが出迎えに行く。

「あれ」 

 驚きと戸惑い、感嘆の声とも取れる。

「白鳥さん。何かあったんですか」

「参った。君も相当だと思ってたけど、世の中広いわよ」

「よく分かんないな」

「すぐ分かる」

 訝しむ彼をよそに、白鳥さんが戻ってくる。 

 その後ろに、名雲さんが呼んだショウを連れて。

「あ……」

 言葉が出ないらしい。

 完全に動きを止めじっとショウに見入る男の子。

 怒りとか対抗するとか、そんな気すら無くしたようだ。

 もうそれは、仕方ない事なんだけれど。

 見慣れているはずの私ですら、時折胸が高まったりするんだから。

 彫りの深い、精悍な顔立ち。

 モデルもかくやという、バランスの取れた長身。

 革ジャンの着こなしも様になっていて、飾らない態度がその格好良さを引き立てる。

 と、心の中だけで思う。


「う、嘘だ。俺は、俺は認めない」

「え?」

「立場がないでしょうが、俺のっ」

 恥ずかしさとようやくこみ上げてきた悔しさでか、赤い顔で声を張り上げる。

 すると、隣の部屋からあくびまじりの柳君がやってきた。 

 彼は今叫んだ男の子より前に、ショウへと視線を合わせる。 

 当然ショウも、それを重ねる。

「……手加減、した?」

「少しは」

「そうだよね。僕も、少しはした。負けたけど」

「紙一重だよ」

「うん……」

 微かに微笑む柳君。

 その手がそっと、ショウへと伸ばされる。

 そして当たり前のように握り返される、小さな手。 

 戦ったからこそ分かるとは言わないけれど、言葉にはならない思い。

 それを伝え合う、強い確かな握手。

 わだかまりも何もかも、その中に吸い込まれていくような。

「それで、どうしたの二人とも」

 いつものにこやかな笑顔で尋ねてくる柳君。

 私は少しの間を置いて、部屋の中を見渡した。

「ケイを、向かえに来たんだけど」

「いないな」

 ショウも顔を動かしていくが、彼の姿はどこにもない。

「いるわよ、彼なら」

「え?」

「隣」

 たおやかに、閉められたドアへ指を差す白鳥さん。

 そういえば、部屋はまだ他にもあったんだった。

「鬼が出るか、蛇が出るか。開けてみようかなと」

 悪戯っぽく笑った彼女は、忍び足で進み一気にドアを開けた。 


 その言葉通り、ケイはいた。

 部屋の真ん中に正座をして、顔を伏せ。 

 一体何をやってるのかと思ったら、その前にあるソファーに人が座っている。

 一人は池上さん、そしてもう一人は舞地さん。

 向こうもこちらへ気付いたらしく、席を立つ。

「久し振りだな」

「ええ」

 動揺を抑えながら、小さく頷く。

「この間は、済まなかった」

 微かに視線を伏せる舞地さん。

 素っ気ない物言いと態度。

 でも。

 私にはもうそれだけで十分だった。

 他に何も言わなくても、何もしてくれなくてもいい。

 ただ彼女にこうして会えただけで、私の中にあった全ては解決した。

 悔しさも、苛立ちも、せつなさも、苦しさも。

 何もかもが。

 まるで今までの悩みが、溶けていくかのように。

 胸のつかえや重苦しさ、目の前にあったもやが晴れていく気分。 

 全てを忘れ、舞地さんと戦ったあの時から。

 私の中で何かが変わったのか。 

 それともあれがきっかけだったのか。

 とにかく、私は少し変われた気がした。


「ところで、ケイはなにしてるの」

 正座をしている彼を見下ろしながら尋ねる。

 池上さんは、変な棒をその頭に向けて口元を緩めた。

「ちょっと、説教をね」

「ああ、なるほど」 

 勝手に納得するショウ。

 私も異論はないので、素直に頷く。

「あのさ。俺はここに、顔を出しに来ただけで……」

「発言は控えろと言ったはずだ」 

 怖い声でケイを遮る舞地さん。

 恨みがましい視線も、全く気にしてない。

「犬や猫でも、もう少しは反省するんだが」

「俺は人間なんで。罰を怖がって行動を変えるなんてしないんですよ」

森山もりやま君。スタンガン貸して」  

 明るい笑顔で、さっきの彼に声を掛ける池上さん。

 放られたのは、伸縮式の細長い棒。

 詳しくはないけど、確か先端から電撃が出るタイプだ。


「拷問にも耐えられたんだし、これも大丈夫よね」

「い、いや。俺、おしっこ洩らしちゃうから」

「森山、バケツに水を汲んでくれ」

 舞地さんに言われ、すぐにバスルームへ向かう彼。

 下働きだね、まるで。

「ク、クリスマス・イブにやる事じゃないですって。みんな幸せ、俺も幸せって」

「苦しみますって、浦田君さっき言ってたよね」

「柳君。それは無いでしょうが」

 真顔で見上げるケイに、優しく微笑む柳君。

 そして、そっと彼と舞地さん達の間に立った。

「この辺で止めようよ。こう見えて、浦田君も反省してるから」

「そうなの?」

 棒を振る池上さんに、ケイは素早く頷いた。

「仕方ない。ここは柳君に免じて、許してあげる」

「どうも」

 ぺこりと頭を下げるケイ。

 頭の中で何を考えてるのかはともかく、反省した素振りではある。

「あれ。もう終わったんですか」

「ああ。バケツは、戻してくれ」

「はあ」

 水の入ったバケツを手に提げる、格好良い森山君。 

 そのギャップは、結構面白い。      



「足、痺れた……」

 ぐったりするケイを放っておいて、聞き耳を立てる。

 知らない人の声が、聞こえてきたのだ。

「まだ、誰かいるの」

「俺達の知り合いが、少し。起きてきたんだろ」

「僕はまだ眠いよ」

 あくびをする柳君。 

 何でも、彼が迎えに行ったらしい。

「どうかしたの」

 部屋に入ってきたのは、サトミもかくやという綺麗な女性。  あの子よりも背が高く、スタイルもいい。 

 さっきの白鳥さんじゃないけど、世の中広い。

 つい見取れていると、向こうもこっちをじっと見てきた。

 何となく見つめ合う私達。

 別に、意味はない。


「迷子?」

 真顔で言ってくる女性。

 みんなは面白いだろうけど、私は全然面白くない。

「違う、伊藤いとう。俺の後輩だ」

「中学生?」

「僕と同じ、高1だよ」

 名雲さんと柳君の言葉が聞こえていないのか、伊藤と呼ばれた女性は私を見るのを止めようとしない。

 私も視線を外す事が出来なくて、そのままずっと見つめ合う。

「どうでもいいけど」

 なんだそれ。

 全く私から関心を無くし、部屋を出ていく伊藤嬢。

 その後を付いていったら、さっき柳君が出てきた部屋に入っていった。

 中にはまだ人がいて、雑魚寝をしているようだ。 

 男の子もいれば女の子もいて、ちょっとだらしない。

「全員、渡り鳥って訳か?」

「まあな。取りあえず、近くにいた連中だけ呼んだ」

「僕は、福井まで行きました」

 タオルケットにくるまった柳君が、眠そうな顔で名雲さんを見上げる。

「俺は山梨まで行ったよ。いいから、寝てろ」

「そうする」

 床へ倒れ込んだ途端寝息が聞こえ、可愛らしい寝顔も見えている。

 余程疲れていたんだろう。

「でも、特別ゲストがまた来てないのよ」

 ククッと笑った池上さんは、完全に寝入っている室内の人達に悪戯そうな視線を送った。

「映未ー。誰か来てるー」

「噂をすれば影。来たわね。さつきー、いいから通してー」

「分かったー。どうぞ……。あっ」

 突然上がる驚きの声。

 さっきショウを出迎えた時とはまた違う、もっと緊迫感に満ちた物だ。

「誰?」

「雪ちゃん達も知ってる人。そして、ここにいる全員とも知り合い」

「余計分からん」

 私もショウも分からないので、取りあえず見に行く事にした。


 玄関先で、コロコロと笑っている白鳥さん。

 さっきの驚きとは打って変わった態度だ。

 一体、誰が……。

「沢さん」

「やあ」

 いつも通りの落ち着いた佇まい。

 相変わらずの薄着で、薄い革ジャンを羽織っているだけだ。

「来たわね、沢君」

「呼んだのは、君だろ」

「いいから、あがって。といっても、ここは名雲君の家なんだけど」

「遠慮なく」

 ブーツを脱ぎ、礼儀正しく向きを揃えて上がってくる。

「わっ」

 次に驚いたのは、水の入ったバケツを睨んでいた森山君。

 沢さんは気にした様子もなく、奥へと進む。

「おう、来たな」

「邪魔するよ」

「そこにみんないる。顔出してあげて」

 雑魚寝をしている部屋を指さす舞地さん。

 その凛々しい顔に、子供のような笑みがうっすらと浮かんでいる。

「襲われたりしないだろうね」

「多分、大丈夫」

「断言して欲しいな」

 そう言いつつ、何のためらいも見せず入っていく沢さん。

 そしてさっきと同様、叫び声が上がる。

 当然、部屋にいる人数分。


「……舞地」

 無愛想な顔で部屋から出てくる伊藤さん。

「なに」

 素っ気なく応える舞地さん。

「沢が入ってきた」

「映未が呼んだから」

「そう」

 長いため息を付き、膨らんだ胸を押さえて壁際にしゃがみ込む。

 よく分からないけど、彼女も驚いたらしい。

「前もって言ってくれないと困る」

「大丈夫。仲間という訳ではないけど、敵対はしていない」

「それでも……」

 自分以上に無愛想な舞地さんには負けるのか、伊藤さんはもう一度ため息を付いて池上さんを睨み上げた。

「池上」

「面白かったでしょ」

 うしゃうしゃ笑う池上さん。

 謝るとか反省するという気は、毛頭ないらしい。

ひろを、一度驚かせようと思って。さっき出てきた時の顔、すごかったわよ」

「あなたは、本当に……」

「名雲さんっ。今そこに、沢さんが……。あれ」

 何故かバケツを持ったままやってくる森山君。 

 今の今まで、固まっていたらしい。 

 そして、和んだ雰囲気の私達を見て疲れ切った顔で笑い出した。

「洒落になりませんよ。俺、何が起きたかと思って」

「大袈裟ね。そんなに驚かなくてもいいじゃない」

「だって俺は、一度腕折られたんですよ」

「人聞きが悪いな、森山君。脱臼だろ、あれは。それに、すぐはめた」

「同じです」

 子供のように拗ねる森山君と、その肩を抱いて大笑いしている名雲さん。

 沢さんはただ、穏やかに微笑んでいるだけだ。   

 私がサトミやモトちゃんやニャンと親友であるように、ここにもそんな関係がある。

 もしかすると私達以上の、強い絆が。

 離れていても、お互いの顔を見られない日々が続いても。

 こうして笑いあえる友。

 そんな彼らを羨ましく、そして憧れを持って私は見つめていた。


 結局部屋には10人くらいいて、一通りの自己紹介もしてもらった。

 それぞれ個性的で、次に会っても必ず思い出すだろう。

 そんな彼らと輪になって、その話に耳を傾けている。

 全国を渡り歩くアシスタントスタッフがいかに苛酷なのかから、話は始まっていた。

 危なかった体験や、その時負った傷、ちょっとした友情や儚い恋愛。

 多分私には一生経験出来ない、遠い世界の話。 

 そう。

 まるで夢を見ているような感覚。

 暖炉の前で、大人達の話に聞き入っている時の気分。

 現実味はなくて、でもその話はとても面白くて。

 自分の中にある冒険心を掻き立てられていく。

 遠い昔に読んだ、宝の石を探す冒険の絵本。

 もしかして自分も、その旅に行けるんじゃないかと思っていた。

 実際にそんな事は不可能で、宝の石自体どこにもありはしない。

 でも彼らは多分、その時私が抱いた思いをまだ胸に残しているんだろう。

 誰かがそう言った訳でもないけれど、私にはそう思えてならなかった。



「ごほん」

 突然夢から醒め、するめが目の前に見えた気分。

 何とも言えない気分で、咳払いをしたケイを睨み付ける。

「どうしたのよ」

「帰らなくていいの」

 彼が差し出した端末に映る、現在の時刻。 

 ……忘れてた。

「ごめん、私達戻らないと」

「そうだな」

 立ち上がった私達を見て、優しく手を振ってくれる女の子達。

 男の子達も、格好いい笑顔を見せてくれる。

「そりゃないっしょ。夜はこれから。まだ早いって」

「ごめん。家で、お父さん達や友達が待ってるから」

「しかしなー」

 一人引き留めてきた森山君は、その目線をケイへと向けた。

 まるで彼が知らせなければ、このままでいられたのにという雰囲気で。

「振られ男は放っておいて。ユウ、早く」

「お、おい。あんた、それはないだろ」

「ああ、失礼。女性に見向きもされなかった男と訂正しておきます」

 ケイの台詞に、室内がどっと沸く。

「あ、あのさ。こういう事言うの何だけど、少なくとも俺はあんたよりもてるぜ」

 赤い顔で唸るように言う森山君。 

 確かにこの顔とこのスタイル。

 どれだけ強気な発言をしても、決して言い過ぎにはならないだろう。

「分かってるよ、そんな事。とにかく、俺達は帰るから」

「いや、分かってない。大体あんたさ、彼女とかいるの」

「いないし、もういいって」

 逃げようとするケイと、その腕に絡みつく森山君。

 見ようによっては面白い。

「森山よ。そういう話は止めた方がいい。お前、また泣くぞ」

「どうしてですか、名雲さん。もしかして、彼女がいるとか?」

「向こうの方からアプローチしてたら、あなたどうするの」

 にやりと笑う池上さんに、森山君は軽く肩をすくめた。

「まあ、無いとは言わないですよ。大人くて、ちょっと可愛い子くらいかな。彼に似合うのは」

「どっちにしても似合わない」 

 ぽそりと呟いた舞地さんの言葉は、多分聞こえてない。

 その隣では池上さんが、端末を取り出している。

「……ええ、私。……え、こっちに来てる?……うん、名雲君の所。……はい」

「誰だ」

「沙紀ちゃん。遅いから探しに来たって。もう、すぐそこに来てるわよ」

「その子が、彼女ですか」

「違うよ」

 素っ気ないケイだけど、やや落ち着かない雰囲気だ。


 少しして、インターフォンが鳴った。

「開いてるぞ。上がってくれ」

「失礼します……」

 遠慮気味な声がして、規則正しい足音が聞こえてくる。

 部屋に入ってきたのは、ダウンジャケットを羽織った沙紀ちゃん。

 外との気温差でか、頬がほんのり染まってその凛々しさに華を添えている。

「え?」

 彼女を見て、森山君は完全に動きを止めた。  

 夢だ、とでも言いたげに。

「本当に?」

「え、何がですか」

「何でもない。悪かったな、わざわざ。俺達が引き留めちゃって」

「いえ」

 丁寧な態度を崩さず首を振る沙紀ちゃん。

 部屋にいる全員の視線が、多少気になるのだろう。 

 そこにいる無愛想な男の子と、この子がそういう仲だなんて。 

 私だって、世の中間違えてると言いたいくらいだ。

「こっちでも、盛り上がってたんですね」

「あ、ああ」

「でも、ユウは一応主催者なので。そろそろ、家へ帰らせてもらえませんか」

 不意に現れ、穏やかに頼むモトちゃん。

 名雲さんは照れ気味に返事を返し、下から大きく手を振った。

「そういう訳だ。森山、諦めろ」

「今日は、飲みます……」

「君、お酒飲めないでしょ」

 池上さんの突っ込みに再び沸く一同。


「どうでもいいと思いますけどね」

 理知的な面差しの男の子が、ノーフレームのメガネを押し上げ呟く。

 ちなみに伊達メガネらしい。

きし。何言ってんだよ」

「彼等は彼等の事情がある。それを妨げる理由は、俺達にない。そう言いたいだけだ」

 あくまでも冷静な言葉。

 森山君は言い返す事が出来なく、「うー」と唸ってどこかへ消えた。

「岸君、言い過ぎだ」

「普通の事を言ったまでだが」

「聞こえなかったのか。私は、言い過ぎだと言った」

 ショートカットの華奢な感じの女の子が、彼を見据える。

 岸君はため息を付いて、森山君の後を追っていった。

「済まない。あの二人、仲は良いんだけれど」

「い、いえ」

「私達は素直じゃない人間ばかりが揃っているから。例えば、舞地さんとか」

日向ひゅうが。余計な事は言わなくていい」

 舞地さんの言葉に、今度は日向さんが逃げていく。

 少し不思議な、でも強い絆で結ばれた人達。

 今の会話を聞いているだけでも、それが理解出来る。

 私達は上着を抱え、そんな彼らへ別れを告げた。



 来た時よりも冷たい夜風。 

 マフラーが、小さくなびく。

 舞地さんに借りていた、彼女の匂いがするマフラー。

「……一言、いいかな」

 ショウ達と少し離れ、舞地さんと二人きりになる。

 見送りに下まで来てくれた彼女は、ただ私を見つめている。

「これから、どうするつもり」

「意図しなかったとはいえ、お前達に怪我まで負わせてしまった」

 そこで言葉は終わる。

 言葉は、きっとこう続いたはずだ。

 「だから、転校する」と。

 名雲さんの部屋が片付いていた意味は、私も分かっていた。

 今度は私が、彼女を見据える。

 微かに伏せられる舞地さんの瞳。

 それでも私は、視線を逸らさなかった。

「……次は、負けない」

「え?」

 儚い、いつにない弱い表情を見せる舞地さん。

 私はもう一度、声を上げた。

「今度は、絶対に勝つ」

 唇を噛みしめる舞地さんに、私はそっと手を差し出した。

 今出来る、最高の笑顔と共に。

 夜風に晒される私の小さな手。

 でもそれは、すぐに暖かなぬくもりに包まれた。

「……また、来年だな」

「え?」

「今年は、もう終わりだ。だから、そういう事はまた来年にしよう」

 微かに伝わる彼女の震え。

 そして私の震えも、彼女に伝わっているだろう。

 勇気を振り絞った事、喜び、今の感動、彼女への気持。

 そんな思いが、私の体を震えさせた。

 舞地さんが何故震えているかは、分からない。 

 でも彼女の凛々しい顔に浮かんでいる、優しい笑みだけは分かる。

 きっとこれからも見続け、憧れ続けるその素敵な笑顔。 

 私はそっと手を離し、ジャケットのポケットに入れていた緑と赤の封筒を彼女に差し出した。


「クリスマスカード。名雲さん達の分も入ってる」

「ごめん。私は、何も用意してなくて。引っ越しの事とか……」

「これだけで、私は十分だから」

 首に巻いてある彼女のマフラーに触れ、元気よく笑う。 

 彼女の曇りかけた顔が、少しでも和らぐようにと。

「そう……。気を付けて」

 走り始めた背中に掛かる声に、振り向いて手を振る。

「これ、今度返すー」

「分かったー」 

 笑いを含んだ二人の声が、静かな路地に響いていく。


 コーナーを曲がり、見えなくなった舞地さんを確かめるようにマフラーを撫でる。

 柔らかな、暖かなマフラーを。

 そして、お父さんの言葉を胸に抱く。

 サンタは、本当にいる。

 だから、願ってみよう。



 私がずっと望んでいた、祈っていた事。

 舞地さんに、もう一度会えるように。

 それは叶った。

 私が想っていた以上の、素敵な笑顔と一緒に。

 お父さんに、サンタさんに。 

 そして舞地さんに。

 私は胸の中で、感謝を告げた。












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