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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第9話
80/596

9-4






     9-4




 制服に着替えを済ませ、ロッカールームから出てくる。

「それで、何か用事?」

「用事というか、さっきも言ったけど何してるのかなと思って。ユウだけじゃなくて、サトミも」

「あの子は今、中部庁の分室にいると思う。私も会いたいし、行ってみようか」



 そういう訳で向かったのは、中部庁・草薙高校分室。

 場所としては自治体や企業、それに学校職員が使う特別教棟に入っている。

 もう夕方は過ぎたんだけど、みんなきびきびとした動きで仕事に励んでいる。

  一般生徒の立ち入りは制限されているものの、サトミの名前を出したらすんなりと通してくれた。

 それだけ彼女が優秀だという証でもある。

 とはいえ不慣れな場所なので、表示板や端末のマップを見てもよく分からない。


「サトミ呼べよ」

「嫌だ」

 何と言われても、それだけは出来ない。

 「いい年して迷子?お母さんとはぐれたの?ほら、アメあげるから泣かないで」

 くらいは平気で言ってくる。

 そんなのだったら、一生ここで迷ってた方がいい。

「もう、どこよここは」

「だから、サトミに聞けって」

「私に、魂を売り渡せって言うの?」

 自分でも訳の分からない事を言って、ショウを睨み上げる。

 ただ向こうもそんな私には慣れているので、あまり嫌な顔はしない。

 あまり、ね。

「迷子かな」

「え……。あ、こんにちは」

「ああ、こんにちは」

 穏やかに微笑む、ダブルのスーツを着た壮年の男性。

 天崎教務監査官。

 もしくは、モトちゃんのお父さん。

「あの、ちょっといいですか」

「どうぞ、玲阿君」

「中部庁の分室に行きたいんですけど」

「今、遠野さんがいるところだね」

 さすがモトちゃんのお父さんだけあって、話は早い。

 そしてサトミに借りを作らなくて済んだ。

 神様って、やっぱりいるんだ。


「すぐそこだよ。ほら」

 端末に送られて来たデータを、画面で確認する。

 今いるのがここだから、上に登って……。

「分かったかな」

「あ、はい。どうも、ありがとうございます」

「いや。いつも智美が面倒見てもらって、こちらこそ済まないね」

「面倒見られてるんですけどね。特に、ユウは」

 余計な事を言うショウを肘でつつき、そろりと歩き出す。

 スーツのポケットに、見たくない物が見えたのだ。

 ショウもそれに気付いたらしく、慌ただしく頭を下げて私に付いてきた。

「ちょと待って」

 口調は優しく、笑顔は穏やか。

 その親切心はありがたい。

「よかったら、これを持って行きなさい」

「い、いえ。私達、健康過ぎて困ってるくらいで」

「体を労り過ぎて困る事はないよ。チベットから取り寄せた物なんだけど、久し振りの当たりだね」

 小さなビニールパックに包まれた、木の根。 

 昆虫やトカゲでないだけ、まだましか。

 仕方ないので、それを押し頂くショウ。

「私の部屋にはまだあるから、足りないようなら取りに来るといい」

「は、はい。どうも……」

「今度、智美と一緒にご飯でも食べよう」

 明るい笑い声と共に去っていく、天崎教務監査官。

 本当、気持は嬉しいんだけどね……。


 あれこれあって、やっと中部庁分室へと辿り着いた。

 綺麗な受付の女性にサトミの名を告げると、奥へ行くよう促してくれた。 

 カウンターの裏にあるスペースはワイシャツ姿の男性とスーツ姿の女性達が、端末や書類を前にして仕事に励んでいる。

 こんな所で、あの子は手伝いをしているんだ。

 辛い思いとか、寂しい気持になっていないだろうか。

 ちょっと心配になりつつ、奥へ続くドアを開ける。

 廊下を歩く人も、その左右に見える室内もみんなキビキビと動き回っている。

 そんな中にある「渉外部門」というプレートの掛かったドアの前に立ち、インターフォンを押す。

「はい」

「あの。遠野さんの友人で、彼女に会いに来たんですが」

「伺っています。どうぞ」 

 横へスライドするドア。

 私とショウは佇まいを直して、恐る恐る足を踏み入れた。 



 正面右にある、大きなデスク。

 それを前にして幾つもの机が集まっている。

 机には端末とそれを操作する人達がいて、大きなデスクに座った女性が彼等に指示を出している。 

 やや低い、しっとりとした声。

 腰まで伸びた黒髪と、吸い込まれてしまいそうな切れ長の瞳。

 ほっそりとした顎を引いた彼女が、私へ手招きをした。

「突っ立ってないで、こっち来たら」

 言われるがままに、周りの人へ頭を下げつつ歩いていく。

 彼等も会釈を返してくれるけど、私を呼んだ人は腕を組んでこちらを見据えているだけだ。

「ちょっと待ってて。広報との連絡は?」

「了承したとの事です。ただ早急に資料を下さいと」

「分かりました。回線をこちらへ……。 It asks concerning student's acceptance as telling it last time it. Moreover, the training of the school personnel has the possibility to which some schedules are delayed. It will be reported later, and report that setting to the curriculum, please. 」

 堅いながらも正確な発音で、連絡を取っている女性。

 内容はいまいち分からないけれど、周りの人達は信頼と敬意を持ってその様子を見つめている。

「こんなところかしら」

「ええ。後は私達で処理しますので、御友人方としばらく休んでいて下さい」

「ですって」

 前髪を横に流した女性は、知性的な笑みを湛えしなやかに席を立ち上がった。


 次に私達が通されたのは、今の部屋の隣にある少し小さな応接室。

 綺麗な女性が入れてくれた紅茶が、目の前でいい香りを立てている。

「どうぞ」

「頂きます」

 ティーカップを優雅に持ち、一口含む。

 ダージリンの風味が広がって、胸がすく様な気持にさせてくれる。

「お菓子はいかがですが」

「頂きます」

 差し出されたクッキーの袋を、ポケットに入れる。

 そんなにお腹が空いてないので。

「止めて」

「いいじゃない。ここで食べようと、寮で食べようと」

「御友人が、聞いて呆れるわ」 

 私が言った訳じゃないので、呆れられても困る。

「それで、何か用」

 書類に目を落としつつ尋ねてくるサトミ。

「別に。ただ、ショウが顔見たいっていうから」

「あ、そう。私は元気よ。少し忙しいけれど、こういうのも悪くないわ」

 さっきからの様子を見ていれば、それは分かる。

 他人に指示を出す事がではなく、適度な緊張と仕事をこなしていく達成感が。

 言い換えれば、自分の能力を発揮出来る場所である。

「顎でこき使ってるみたいだな」

「失礼ね。私はオブザーバーとして意見を求められているだけで、指示や命令は出してないの」

「あ、そう」

 さっきのサトミみたいな返事を返すショウ。 

 すごい目で睨んでいる女の子からは、目を逸らしている。


「じゃあ、そんなサトミにプレゼントだ」

「え、ケーキでも持ってきたの?」    

 ほころびかけた表情が、瞬時に暗転する。 

 ショウが取り出したのは、さっきモトちゃんのお父さんからもらった木の根。

 何の根なのか、また何に効くのかは全く分からない。

「どうやって口にするの?」

「煎じるんだろ」

「かじればいいじゃない。ガリガリと」

 他人事のように言ってみたら、半分渡された。

「何で私が。サトミは仕事で疲れてるんだから、この子が食べればいいのよ」

「あなたも慣れない陸上部で、色々ストレスがたまってるでしょ」

「大丈夫。知り合いも出来たし、これが面白くて」 

 この所話す機会が無かったので、最近の経緯をかいつまんで説明する。

 勿論、都合の悪い部分を除いて。


「あなたは愛嬌があるから心配ないと思っていたけど。でも、聞いて安心したわ」

「先輩も親切だし、ニャン達も優しいし。陸上部も悪くないね」

「いっそ、入部する?」

 さりげない質問に、笑いかけて止める。

 それが即ガーディアンを辞める事へは繋がらないけど、そのきっかけには十分だ。

 特に、今の私には。

「あなた次第だけど」

「私は、別に。ただ楽しいなって思うだけだから」

「資格停止の間はずっと通うんでしょ。だったらいっそ、兼部の形で席を置いてもいいんじゃなくて」

 静かな口調で勧めてくるサトミ。

 でもそういう形は取らないと、ガーディアンを始めた頃私達は決めていた。 

 それが今では個々に活動し、仮とはいえ別々の違う組織に参加する形になっている。

 昔には戻れない。そして引き返せない。

 当たり前の事が、強く認識される。

 微かな痛みと共に。

「……考えてみる」

「あなたがしたいようにすればいいのよ。私達の事は気にしないで」

「うん」

 そっと手を重ねてくれるサトミ。

 その温かさに胸が詰まる。

 最近感傷的になり過ぎてるとは思うけど、そんな自分を恥ずかしいとは思わない。

 感情があるから私なのであって、それすらなかったら私ではなくなってしまう。

 今のように自信や気力を無くしても、それさえあればやっていける。

 少なくとも、雪野優ではいられる……。


 しばらくサトミと話していて、ふと気付いた。

「ケイは?」

「ああ。あいつもいたな」

 ショウも今気付いたとばかりに頷いた。

「運営企画局にいるんでしょ。何度か、ここへ来たわよ」

「どうして」

「企画の持ち込み。中部庁に掛け合うのを手伝ってくれって」

 一体、何をしているんだろうか。 

 でも持ち込みなので、仕事はしているようだ。

「まともな企画か?」

「ええ。中部庁に協賛してくれとか、施設を貸してくれとか。特に問題は無かったわ」

「ケイが、ね。雪かな、そろそろ」

 あり得る話だ。

 熱心に仕事をするケイなんて、あり得ないとは言わないけど想像もしにくい。   

 まさか、ガムで釣られているとも思えないし。

「少し気になるわね。見に行きましょうか」

「仕事、いいの」

「オブザーバーだから、制限はされてないの。それに友達の身を案じる方が、今は大事でしょ」

 言っている自分が一番信じていない顔付き。

 面白い遊びを見つけた子供の顔とも言える。

 それは、私とショウも同じだけど。



 教棟を移動してやってきたのは、生徒会運営企画局。

 以前は特別教棟へ入る前によく止められたけど、最近はIDを見せさえすればすぐ通してくれる。 

 避けられているという説は、気にしないでおく。

「えーと」

「迷ったの?」

「ま、まさか」

 へへと笑い、端末と壁にある表示板を見比べる。

 間違えてはいない。

 ただ、合ってもいない。

 つまり、迷っている。

「そこを曲がって、入って、右の左でしょ」

「ああ?」

「聞き返さないで。館内放送してもらう?白のベストにタータンチェックのスカートを履いた雪野優さんを、お預かりしています。お心当たりの方は、お近くの生徒会関係者までご連絡下さいって」

 端末を取り出したサトミの手を下げさせ、すたすたと歩いていく。

「ユウ、違う。こっち」

「わ、分かってる」

「何を分かってるんだ……」

 呆れるショウと鼻で笑っているサトミ。

 人を迷子扱いにして、失礼な人達だな。 

 私は方向音痴じゃなくて、地図を読めないだけなのに……。



 やっとの事で運営企画局へと辿り着いた私達。

 そう思っているのは私だけで、サトミ達は普通に着いたとしか思ってないだろう。 

 受付には可愛らしい女の子がいて、こちらに微笑みかけてくれている。 

 どこかのデパートガールみたいな服装で、似合ってはいるけど場違いにも見える。

「あの、浦田君いますか」

「ええ。局長達と、お話をされています」

 にこやかに答えてくれる女の子。 

「迷惑とか、掛けてません?」

「浦田君が、ですが?」

 全員で頷く私達。 

 しかし予想に反し、首だけでなく手まで振られた。

「企画案は幾つも出されてますし、運営の方にも参加されてますよ。褒める人はいても、悪く言う人はいないと思いますけど」

 真顔で語る女の子。

「どう思う」

「外面がいいのよ。丹下ちゃんの所でも、そうだったじゃない」

「一皮剥けば、悪魔だっていうのにな」

 言いたい放題の私達。

 一応、小声にするくらいの配慮はしているけど。

「お呼びしましょうか」

「いえ、みんなにも挨拶したいので」

「分かりました。ご案内致しますから、こちらへどうぞ」


 女の子に連れられて、奥まった所にある部屋へとやってきた。

 ドアは開いていて、楽しそうな話し声が廊下まで聞こえてくる。

「局長。浦田君に面会の方が来ていますが」

「雪野さん達でしょ。入って」

「どうぞ」

 彼女に促され、会議室らしい部屋の中へと入る。 

 顔を揃えているのは、男女が数名ずつ。 

 お菓子やジュースを前にくつろいでいるといった雰囲気だ。 

「こんにちは」

「どうも。お菓子食べる?誰か、シフォンケーキ買ってきたでしょ。それそれ。リンゴの炭酸が奥にあるから、あれもってきて」

 相変わらず、慌ただしく喋る天満さん。

 ただそれは愛嬌があって、親しみやすい物だ。

 他人事とは思えない点もあるから、余計そう思えるのかもしれない。

「済みません、お忙しいところ」

「いいのよ、遠野さん。唸って企画が出る訳でもないんだし、こういう時間がまた大事なの」

「なるほど。それで、ケイ……。浦田は何を」

 腕を組み顔を伏せている彼に視線を注ぐショウ。

 一見何かを考え込んでいる雰囲気。

 ただ、微かな寝息が聞こえてくる。

「寝てるの?」

「いいのよ、雪野さん。彼、徹夜で会場設営してたから」

 運営局の子が、手元にあった書類を私達の前に差し出してきた。 

 「学内共同バザーにおける、会場設営の手引き書」

 署名欄にあるのは女の子の名前で、終了確認欄にも別な人の名前が書かれている。

「企画局の手伝いじゃなかったんですか」

「どこも人手が足りないんだ。浦田君みたいに使える子は少ないから、助かってる」

「却って邪魔してない?」

「細かい作業をしなければ、問題ない」

 よく分かっている。

 確かにそれさえさせなければ、あの子は使える。

 使い方にもよるけれど。

「馬鹿とハサミは使いようと言うし、そうかもしれません」

「あなた達、浦田君には厳しいわね」  

「そうですか?これでも、甘い方ですよ」

 全く容赦のないサトミ。

 私とショウも、すぐに頷く。

「仕事の出来る、いい子だと思うけど」

「本性を隠しているだけです」

「自警局の予算を横領するとか?」

 くすくす笑い出す女の子達。 

 ケイが矢田自警局長のお金をごまかして差し入れをしたというのは、どうやら彼女達らしい。

 この子も、人がいいんだか悪いんだか。

「寄生虫は、成長しないとその毒性を発揮しないのと同じです。居着かれたら、いつか恐ろしい事になりますよ」

「早めに退治した方がいいな」 


 寝ているケイに近付き、軽く肩を揺さぶるショウ。

「……なに」

「起きてるのか、お前」

「なにが」

 眠そうな答えは返ってくるが、顔は上げられない。

 今まで寝たふりをしていたという可能性だってある。

 そういう子なんだ。

「もうすぐ着くわよ」

「え?」

「早くしないと」

 サトミの言葉に、頭を揺らすケイ。

 一応、起きようとしているようだ。

「今、どこ」

「東別院。このままだと、名古屋港へ行くわよ」

「あ?」

 突然顔を上げ、後ろを振り向いた。

 駅の表示板でも確認しようとしたのだろうか。

「……冗談も、程々に」

 眠たい上に相当焦ったらしく、全く言い返せないようだ。

 さすがの彼も、寝起きはこの程度か。 

 別に寝込みを遅う気はないけど、いい事を知った。

 もしもの時に、利用しよう。

「えと、ツーリングツアーの企画でしたっけ」 

 書類をめくり、あくびをするケイ。

 眠気がまだ残っているらしく、動きも声も非常に緩慢だ。

「浦田君、今日はもういいから」

「済みません」

 弱々しく頷き、のろのろと立ち上がった。

 その途端脇が引きつったらしく、真顔になって腰を屈めてしまった。

「お前、何一人で楽しんでるんだ」

「ひ、他人事だと思いやがって」

「他人事だろ」

 鼻で笑い、それでもケイに肩を貸して上げるショウ。

 嫌がらないのは、眠気と痛みで余程辛いのだろう。

「それじゃ、天満さん。俺達はこれで」

「ええ、また来てね。浦田君、後で連絡するから」

 答える気力もないのか、微かに手が振られる。

 本当にこの人、役に立ってたのかな。


 どうしようもなくなっている男の子を運び、取りあえず特別教棟を後にした。

 外はすっかり暗くて、頬に当たる夜風が冷たい。

「ご飯食べようか」

「そうね、食堂行きましょ」

 後ろを振り向くと、多少は回復したケイがよろよろと歩いている。

 前聞いた話だと、寒さで傷口が痛むらしい。

「大丈夫?」

「ああ。痛いだけだから」

 脇を押さえ、一応は微笑むケイ。 

「全然治らないんだな」

「治ってる」

 ショウの何気ない問い掛けに、声を張ってはっきりと否定した。

 よく分からないけど、彼なりの事情があるんだろう。

「とにかく、ご飯食べに行こうよ」



 時間帯はやや遅めで、教棟内の食堂は生徒の数もまばら。

 閉める時間も迫っているため、こういう時はおまけが付いてくる場合もある。

 梅干し一つで、私は幸せになれる。

「和食のセット下さい」

 即決するサトミ。

 もう少し考えても良いとは思うんだけど、こういう場面ではあまり悩まない。

「俺も和食のセットに、ガーリックハンバーグとシーフードサラダ。全部大盛りで」 

 そう頼んだショウは、これでも腹6分目だろう。 

 体格が違うし、男の子だからね。

「えーと私は、中華のセット。全部少な目で」

 残すのがもったいないので、先に言う。

 でもビールは、勿論そのままもらう。

「俺も中華にするか。済みません……」

 頼もうとしたケイがカウンターへ顔を近付けたら、その隣から大柄な女の子が割って入ってきた。

「レバニラ定食下さい。私は和食セットを、ご飯だけ大盛りで」 

 勝手に頼み、私達に手を振る沙紀ちゃん。

 どうやら、仕事を終えてきたようだ。

「あの丹下さん。俺は、何故レバニラを」

「鉄分は貧血にいいの。まだ本調子じゃないんだから、栄養を取らないと」

「寝てればよかった」

 がっくり肩を落とし、やるせないため息を付くケイ。

 相変わらず仲がいいね、この子達も。。


「いただきます」

 手を合わせ、ご飯に一礼する。

 でもそれを食べる前に、ビールを一口。

「うー」

 やっぱり美味しい。

 動いていても、動いていなくても美味しい。

 ちなみにサトミの分は、私の前に置いてある。

 ケイの分は、ショウの前に。

 いつもの事とも言える。

「レバーが好きになったのね」

 皮肉っぽい視線で、ケイを笑うサトミ。

 レバニラをかき込んでいた男の子は、答えもせず卵スープでそれを流し込んだ。

「もっと、ゆっくり食べないと。消化に悪いから」

 沙紀ちゃんが難しい顔で、それをたしなめる。

 しかしケイは、かき込むのを止めようとはしない。

 何か、恨みでもあるのかな。 

「余程食べたくない理由でもあるのかしら」

「遠野さんの言っている意味が、僕は分からないんだけど」

「あら、ごめんなさい。丹下ちゃんは、どう思う?」

 お茶を持ったまま固まる沙紀ちゃん。

 だが、口を割る気配はない。

 そんな中ケイは、レバニラ定食のレバニラだけを食べ終わった。


「ここの味付けはどう?」

「普通じゃないの」

「病院で食べていたのよりは、落ちるって訳ね」

「そうかな」

 ぎこちなく答えるケイと、何故かはにかむ沙紀ちゃん。

 サトミはもう満足したのか、知らぬ顔で春雨をすすっている。

「何の話」

「子供には関係ない話」

「失礼ね。私だって、もうすぐ16よ」

「若く見られて、よかったね」

 褒めているようで、結局褒めていない沙紀ちゃん。 

 悔しさを表現するため、彼女のトレイに乗っている薩摩揚げを一口だけかじる。

「そういう食べ方は、止めてくれる」

「だって、もう満足したもん」

「そういう言い訳も止めて……」

 ため息混じりに、それでも沙紀ちゃんは残りの薩摩揚げを平らげた。

「丹下ちゃんは、資格停止にならなかったのね」

「悪い事はしてないもの。目は付けられただろうけど」

「どうでもいい」

 ぶっきらぼうに呟くケイ。

 あれから口にはしないものの、矢田局長にはいい感情を抱いていないようだ。 

 無論それは私達も同じで、サトミや私は口に出すという点だけが違う。

 私達の中で一番彼と親しかったショウですら、その怒りを隠そうとはしていない。 

 とにかく、思い出したくもない。


「しばらくは、今のまま?」

「だって、無期限って通達が来たから。ケイの言う通り、もうどうでもいい」

「投げやりって気もするけど。私から、矢田君に言ってもいいわよ」

「いいわよ、丹下ちゃん。私達は別に、ガーディアンでなくても平気だから」 

 素っ気ないサトミの言葉に、沙紀ちゃんはポニーテールに軽く触れた。

 サトミだけでなく、私達にとってガーディアンとはなんなのか。

 その意味を、彼女なら分かってくれている。

 だからこその提案であり、それを拒否するサトミの気持もまた分かってくれるはずだ。


「玲阿君も平気なの?」

「平気じゃないさ。だからといって、暴れる訳にもいかない。な、サトミ」

「どうして私に振るのよ。あなたは大人しくしてればいいの。そうすれば、格好良い玲阿君のままなんだから」

 軽くショウをたしなめたサトミは、食べ終わったトレイを持ってカウンターへと戻しに行った。

 最近は大丈夫だけど、この人が暴れたらただじゃ済まないからね。

 遠回しな、サトミの気遣いと気苦労とも言える。

 ケイも困った人だけど、この人もまた困った男の子だ。




 金曜日。

 HRも終了し、明日からは二連休。

 すでにサトミ達は、今自分がするべき仕事に向かっている。

 私は陸上部が休みなので、HRを終えて教室を出ようとした。

「雪野、さん」

「どこ行くの」

「遊びましょ」

 可愛らしく声をつなげてくる女の子達。

 彼女達は厚生委員会に所属していて、一緒に遊ぶ事も多い。

「私、寮に帰るから」

「ガーディアンをクビになって、暇なくせに」

 眼鏡のよく似合う清楚な感じの子が、人の低い鼻をつついてくる。

 間違ってるし、止めてほしい。

「美味しいパフェのお店があるのにな」

 全体的にウェーブの掛かったセミロングの綺麗な子が、肩を揉む。

 耳に息を吹きかけないで欲しい。

「ウェーターも格好良いのよ」

 私の腕を取り顔を覗き込んできた前髪ウェーブの子が、ニマッと笑う。

 大きい胸だな、どうでもいいけど。

「あなた達、委員会があるんでしょ」

「今日は独立記念日で、お休みなの」

 日本にそんな記念日はないって。

「嬉しいけど、パス。ちょっと一人でゆっくりしたいの」

「悩める少女、雪野優」

「思春期ね」

「そこが、可愛いんだから」 

 好き勝手な事を言って、教室を出ていく女の子達。

 でもあの明るさは本当に楽しいし、何より私を励ましてくれているのがよく分かった。

 しかし、パフェか。

 それに、格好良いウェーターさん付き。

 もう少し考えればよかったかな……。



 女子寮へ向かう道を歩いていると、黒いキャップを被った女の子とすれ違った。

 キャップを被っている子はたまに見かけるけど、これだけ綺麗な人はそういない。

「舞地さん?」

「……雪野」

 目深に被っていたキャップの下から、わずかに私をうかがう舞地さん。

 服装はいつものジーンズとジージャンで、濃茶のトレッキングシューズを履いている。

 普段よりも表情が薄く、あまり元気が無いようだ。

「今、時間いい?」

「いいよ。喫茶店でも行こうか」

「いや。私の部屋へ」

 物静かな声でそう言い、来た道を戻りだした。

 学校に用事があったのではないのだろうか。

 ただ彼女が自分から誘ってきた事なので、余計な口を挟まずその後へと付いていった。


 フローリングにカーペットを敷き、シックな色合いで統一された家具や内装。 

 おそらく池上さんの描いた水彩画が、壁のあちこちに掲げられている。

 足の低いテーブルの上には、ファッション雑誌とダンベルが並んで置かれていた。

 この辺りは、私の部屋とも共通するものがある。

「ご飯は」

「今はいい」

「そう」

 キッチンから聞こえる、舞地さんの静かな声。

 どちらかといえば大人しい女の子が出す様なトーンだ。


「はい」

「ありがとう」

 コーンポタージュの注がれたマグカップを両手で持ち、湯気と共に一口含む。

 程良い暖かさとクルトンの風味が何とも言えない。

「美味しい」

「そう」

 微かに口元を緩める舞地さん。

 髪を束ねていた細いリボンを外しているため、今は背中辺りまでのロングヘアになっている。

 キャップにジーンズ、ジージャンという服装から普段はボーイッシュなイメージが強いけど、今は物静かで綺麗なお姉さんという雰囲気だ。

 舞地さんは自分のマグカップを手に取るでもなく、ハイチェストに背を持たれている。

 何か話す素振りもないし、TVやラジオをつける様子もない。

 私達の間に流れる沈黙。

 でもそれは決して気まずいものではなく、むしろそれが自然と思えてくる。

 何かする訳でもなく、また会話もない。 

 同じ部屋で、同じ時を過ごしているだけ。

 それが私にとってどれだけ嬉しい事なのか。

 サトミやモトちゃん達と一緒にいる時とはまた違う、尊敬する人と同じ時を共有する喜び。     

 今の私には及びも付かない、仰ぎ見るだけで精一杯の存在。 

 だけどいつの日か、その肩に並ぶ日が来るのを夢見ている。


 そう思うと、失われている気力が蘇ってくる気にすらなる。

 付き合いはまだ半年もなく、いつも一緒にいる訳でもない。 

 それでも彼女は私にとっての目標であり、憧れでもある。

 こういう女性になりたいというよりは、こういう人間でありたいという。 

 人に信頼され、自分を確立し、それに迷いを持たない。

 私に欠けている要素を全て持つ、大人の女性。

 こうして自信を無くしている今だからこそ、それは強く感じられる。


 暖かくて、柔らかくて。

 全てを忘れてしまいそうなくらいの、落ち着いた気持ち。

 このままずっとこうしていられれば、どれだけいいだろう。

 何もしなくて、ただこのままずっと。

 目的や使命、やらなければいけない事。 

 そんな事を考えずに。 

 今は考えないつもりだけど、そう思う事自体考えてしまっているのだろう。

 でもこの瞬間は、本当に気持ちを開放していられる。 

 自分とか、他人とかも意識しないで。 

 ただゆったりとした気分でいられる。

 まるで、眠っているような……。


「あ」

 顔を上げると、西日が部屋に射し込んでいた。

 体に掛かっているのは淡いピンクのタオルケット。

 当たり前だけど、私が持ってきた物ではない。

「起きた?」

 西日を背にした位置に、舞地さんが座っている。

 逆光でその顔は殆ど見えない。

 微かに揺るんだ口元以外は。

「ごめん。私、勝手に寝ちゃって」

「色々あって、疲れてたたんだろ」

「そうかな。とにかく、私帰る」

 何をしに来たのか分からないけれど、恥をかいたのは確かだ。

 また私を呼んだはずの舞地さんも、それを止めようとはしない。

「寮まで送るから、少し待ってて」

「いいよ。すぐそこだから」

「先輩の言う事は素直に聞く」

 優しい声でそう言って、舞地さんはマフラーを放ってくれた。

 首に巻くと、暖かさとコンディショナーのいい香りがする。 

 それ以外の、色々な香りも。 

 つまりは、舞地さんの匂いが。

 私は頬までマフラーを巻いて、その赤みを隠してドアへと向かった。



 夕日に背を向け、並んで歩く私達。

 やはり会話は殆ど無く、前に伸びる長い影を見つめているくらいだ。

 でも私はそれだけで満足だし、聞いてはいないけど舞地さんもそうだと思う。

 夕方にしては暖かく、風もない穏やかな感じ。

 それでも私にマフラーを貸してくれた舞地さん。 

 その気遣いが嬉しくもあり、少しおかしくもあった。

「ここでいいよ」

 寮の玄関先で、彼女と向き合う。

 マフラーを外して渡そうとすると、手を振られた。

「また、今度でいい」

「今度って、私もう着いてるけど」

「いいから。最後までしていろ」

 舞地さんはマフラーを手に取って、わざわざ首元に巻いてくれた。

 それが私は少し恥ずかしくて、でも嬉しくて。

 とても彼女の顔が見られない程だった。

「あ、ありがとう。気を付けて、帰ってね」

「ああ。もし今度……。いや、何でもない」

 言葉を途中で止め、夕暮れの空を見上げる舞地さん。

 端正で精悍な顔が、赤い影に翳っていく。 

 まるで彼女自身の思いを映し出すようにして。

「これからも色々あると思うけど、雪野なら大丈夫だから」

「う、うん」

 よく分からないまま、取りあえず頷く。

 舞地さんはキャップを目深に被り、私に背を向けた。

「……今日は、会えて嬉しかった」

 小さな、聞き逃してもおかしくないくらいのささやき。  

 その意味も、また彼女が何を考えているのかも分からなかった。 

 だから私が言えるのは、たった一言でしかなかった。




「私も。舞地さんに会えて、嬉しかった」

「……ありがとう」

 かろうじて紡ぎ出される言葉。

 そして夕日の中を歩き出した舞地さんは、背筋を伸ばした凛々しい彼女へと戻っていた。

 今そこにいた、物静かな女の子ではなくて。

 遠ざかるその背中を、私は見えなくなるまで見送っていた。

 彼女が振り返らないと分かっていて。

 消えていくその背中を、いつまでも見つめ続けていた。








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