エピソード(外伝) 1 ~ユウ視点~
休日の過ごし方
寝返りを打ったところで、ふと目が醒めた。
偶然時計が視界に入る。
わずかに開いた瞼の隙間から、時間を確かめる
「なっ」
慌てて布団を跳ね除けようとしたが、すぐに止めて再び枕に顔を埋めた。
今日は土曜。
当然学校はお休み。
だけど普段ならとっくに起きている時間なので、休みの日には時々勘違いしてしまう。
ドラマみたいに制服へ着替えなかっただけ、まともな方か。
今日は……。
安心したところでもう一眠りと思い、体の力を抜く。
頭の中に霞がかかり、意識が薄れていく。
夢の世界が優しく手招きをして……。
「ピロピロピロ」
寝入ったところを見計らったかのような、端末の着信音。
何でこの音は、人をここまで目覚めさせるのか。
唸りながら手探りで枕元のリモコンスイッチを押し、通話をオンにする。
こうすれば、枕の側にあるマイクが音を拾ってくれる。
「……はい」
思いっきり押し殺した声で返事をする。
「嫌な声ね」
スピーカーからは、対照的にしっとりとした声が返ってきた。
布団が邪魔で見えないが、モニターには声の主の顔が映っているはずだ。
サトミの顔がね。
私の方は映像をオフにしてあるので、相手には見えていない。
他人に寝姿を見せる趣味は持ち合わせていないので。
「寝起きだもの、仕方ないでしょ」
相変わらず無愛想な私。
向こうも慣れているので、突っ込んでこない。
お互い様とも言える。
「分かった。それより、今日暇?」
「ええ、別に予定はないけど」
頭の中のスケジュール表を軽くめくってみるが、やはり思い当たるところはない。
「だったら、ちょっと遊びに行かない」
「どこへ?」
「大曽根の方で、かわいいアクセサリー屋さんみつけたの。そこが今日セールをやるんだって」
「いい話ね」
布団から這い出てきて、映像をオンにする。
サトミの笑い声が聞こえるのは、私が目を閉じたままニヤニヤしているからだろう。
とにかく眠いんですよ。
「早く行かないといいのが無くなるから、すぐに用意して」
「分かった。ケイとショウは?」
「一緒に来るって。何か欲しいのがあるらしいけど。光はレポートが忙しいって連絡があったわ」
「いいじゃない。顔だけなら同じのケイがいるんだし」
モニター越しに笑う私達。
こちらは未だに目を閉じたままで。
支度を済ませた私は、待ち合わせ場所である私やサトミの部屋がある女子寮の玄関前へと急いだ。
男女は当然別棟だけど、行き来は比較的アバウトだ。
遅刻は腹筋100回らしいので、私はエレベーターを降りるや外へと飛び出した。
「眠い」
壁にもたれかかっていたケイが、よたよたと近付いてくる。
「相変わらずその格好?」
GパンにTシャツ、スニーカー。
単色のパーカーを羽織りリュックを背負うという、いつもの格好。
「気楽だし、動きやすい」
シャドーボクシングを始めるケイ。
だが眠いせいか、動きは相当に緩慢だ。
「太極拳でもやってるの」
手を挙げながらサトミがやってきた。
長い足にフィットしたスリムジーンズ、きれいに色の落ちたGジャンに黒のTシャツ。
足元にはがっちりとした茶のブーツを履いている。
長い黒髪は後ろで束ねられ、大きめな濃茶のキャップと丸めのサングラスをはめている。
女の私が言うのもあれだが、何とも格好いい。
「軍人は時間厳守よ」
「俺はまだ学生だ」
今度は物陰から突如ショウが現れた。
革ジャンに焦げ茶の綿パン、下は白のシャツ。
足元は赤を基調としたスニーカーである。
彼もまたサングラスをはめ、襟元には淡い赤のペンダントが光っている。
当然この人も、格好いい。
ケイだって別段悪い訳じゃないんだけれど、二人が並ぶとさすがに悲しいものがある。
私は眠そうなケイに同情の視線を送り、小さな吐息をついた。
「俺が、どうかした?」
「別に。とにかくこれで全員……、きゃっ」
春独特の突風が、スカートを舞い上がらせる。
私は素早く足を閉じ、スカートを抑えた。
「なかなかいい反応ですな」
嫌な笑い方をするケイ。
睨む私。
二人はたじろぎつつ、口を開いた。
「そんなのはいてるからだ。俺は悪くない」
「人の服装に文句付けないで」
ちなみに私は赤いハイウエストのショートスカートに、黒のニットシャツ。
黒地にワンポイントが入ったソックスに赤のローハー。
それ程悪くはないと思うのだが。
「文句なんて、まさか。サトミにも着て欲しいくらいだね」
「馬鹿。さ、早く行きましょ」
「どうやって」
ケイの言葉に思案する一同。
「バスは無料だけど混むからな」
「車は?家から持ってきてるんでしょ」
「調子が悪くて、修理に出してる。まだそんなに乗ってないのに」
情けない顔で呟くショウ。
「仕方ない、バイクで行くか」
科学技術の発展や成長の前進傾向により、年齢制限があった様々な物はそのどれもが前倒しになっている。
乗り物関係の免許はその代表例で、四輪は12才から二輪関係は10才から取得できる物もある。
私やサトミは、一般免許と呼ばれる免許を持っている。
これは乗用車と中型までの単車、小型の船舶などが運転できる。
中等部では必修の教科として組み込まれているので、殆どの人が持っているはずだ。
ケイはその上の上級免許で、さらに大型の車種が運転可能。
特筆すべきはショウ。
彼は特別上級免許と呼ばれる、通常ではまず取得出来ない免許を持っている。
これは公道を走る全種の車は勿論、大型の船舶、航空機、特殊車両が運転可能だ。
ただ航空機関系は別途講習が必要なので、現時点では乗れない事になっている。
これは彼の父親が昔軍人で、その影響も強いと思う。
お父さんを越えるのが目標だって、いつも言っているから。
ただ彼のお父さんは英雄とも言われる人だから、相当大変だと思う。
でもいつの日か、その日が来るんだと私は知っている……。
寮の地下にある駐車場へ降りていく私達。
そこには生徒の車やバイクが無数に置いてあり、ショウ達のバイクもその一角にある。
「さて、調子はどうかな」
カードキーを差し込みエンジンを掛けるショウ。
微かな唸りを上げる水素エンジン。
ガソリン車程の馬力はないが、騒音や排ガスをまき散らすなんて事はない。
そういうのが好きな馬鹿連中は別だけど。
「悪くないな」
「俺のも」
ショウのはかなりの改造が加えられ、いかにも近未来のバイクといった感じ。
極端に突き出た前輪とそれを覆うカウル。
まるで馬をも連想させる長いスタイル。
遙か後方には絶妙な形、のウイングがある。
何が絶妙なのかは理解不能だが、昔のマンガに出てきそうなすごいバイク。
彼はこれ以外にも、実家に何台か持っている。
ケイのはもっと小さくて、どちらかといえば華奢な感じ。
ショウのが人目を引くものだから、余計そう見える。
ちなみに私は、もっと小さなスクーターを愛用している。
近所を動くなら、こっちの方が楽だしね。
エレベーターを使ってバイクを外に出す二人。
バイクには大抵スタビライザーとセミオートパイロットが備え付けられているため、手を添えていれば勝手に進んでいってくれる。
文明批判する人が結構いるけど、こういう恩恵も忘れちゃいけないね。
「ほら」
モニター付きのメットをショウが投げてくる。
後ろに乗れという意味らしい。
「何なら運転するか」
裾がまくり上がらないようにどうにかバイクにまたがったら、ショウが振り向いてきた。
「免許もないし、こんなの無理よ」
「慣れさ、慣れ。ケイなんか、昔は車乗るのも怖いって言ってたぞ」
「今も怖い」
苦笑するケイ。
その後ろではサトミも笑っている。
バイクは自分が死ぬだけだから、気楽なのだそうだ。
だが、そういう問題だろうか。
引き締まったショウのウエストに腕を廻し、しかと抱きしめる。
少し恥ずかしいが、こうしないと本当に危ない。
ショウの運転が荒いという訳ではなく、バイク自体が。
色々な安全装置は付いているけど、転べば終わりなのは今も昔も変わらない。
隣を見れば、サトミもケイの腰に手を回している。
それに対しての照れは、お互いに見られない。
「競争するか?」
「ハンディは?」
にやりと笑うショウ。
バイクの性能は圧倒的にショウの方がいいので、ケイがそう言うのも当然だ。
運転者の技量も、また段違いだし。
ケイが駄目という意味じゃなくて、ショウがすご過ぎる。
「3分は」
「了解。サトミ」
「分かった。先行ってるから」
「すぐ追い付くから、心配しないで」
ギアを入れ、静かに走り始めるケイのバイク。
辺りの安全を確認し、やはりゆっくりとアクセルを開く。
エンジンが微かな唸り声を上げ、二人の姿を徐々に遠ざけていく。
「安全運転ね、相変わらず」
感心というか、ちょっと笑ってしまう私。
するとショウが振り向いてきた。
しがみついているので、距離が近い。
「な、何?」
「いや、今は掴まってなくてもいいと思って。別にいいんだけど……」
「あっ……」
慌てて手を離し、口元を抑える。
確かにスタートは3分後だから、離れてもいい訳だ。
どうかしてた。
何となく気まずいというか、こうむずかゆい。
お互い無言の3分間が過ぎていく。
「そ、そろそろ行くぞ」
「わ、分かった」
一瞬ためらって、やはりしかと抱きつく。
何度も言うけど、こうしないと危ないの。
ギアを入れ、アクセルを開くショウ。
タイヤが空回りを始め、地面と激しくこすれ合う。
「しっかり……」
そこまでしか聞き取れなかった。
解き放たれた狼のように、バイクは道路を駆る。
あまりの加速にしがみついているのは私の魂だけで、身体はどこかに置いてきてしまったかと思う程。
低い排気音と心地よい振動。
風を切って突き進む爽快感。
見る見る間に背後に過ぎていく風景。
車とはまた違う魅力である。
速度が安定したところで、ヘルメットのモニターをオンにする。
車体カメラの映像や速度などが、次々と映し出される。
またアイカメラが搭載されているので、目線で操作する事も可能だ。
例えば、目的地までの地図を映し出すとか。
「追い付ける?」
「当然」
レシーバーとマイクもオンになったので、共通の周波数を使用してるなら会話も出来る。
モニターには「カーブ連続・速度減速」と表示されている。
だがショウは速度を全く落とさない。
それどころか加速している。
早速右カーブ。
ショウは車体を傾け始める。
私もそれに合わせ体を倒す。
視界の隅に地面が迫ってくるが、あえて気にしない。
というか、気にしたくない……。
ガードレールが目前に押し寄せ、そのすれすれをバイクは矢のような速度で駆け抜けていく。
レシーバーはさっきから「速度超過・減速」を連呼しっぱなしだ。
右へ左へと続くカーブをどうにか抜けた所で、遙か前方に小さな影が見えてきた。
「どう?」
「画面見てくれ」
視線でスイッチを入れ、前方の影の識別サインを確認する。
待つ事数秒……。
「ブルーの3、ケイよ」
私の言葉を受けてさらに加速するバイク。
少しでも気を緩めると体が吹き飛んでしまいそうだ。
影との距離は徐々に縮まり、二人乗りのバイクであるのがはっきりと見えてきた。
白、青、赤のトリコロールカラー。
この色は、間違いなくケイのバイク。
「肉眼で確認。いくぞっ」
ギアを一つ落とし、エンジンの回転数を上げるショウ。
スピードメーターは200km/hをとっくに通り過ぎている。
後は追い付くか爆死するかだ……。
一気に距離を詰め、抜きにかかるショウ。
するとケイは、突如左に車線を変え道を譲った。
よく分からないが、ここはチャンス。
ショウはケイの前に躍り出て、引き離しにかかる。
はずだった。
ケイのバイクが素早く背後に付き、全く振り切れない。
それどころかサトミは片手を放し、私達に向かって手を振っている。
「どうしたの?」
「……後ろに付けば、空気抵抗をかなり減らせる」
「だ、だったら前に行ったら駄目じゃない」
「簡単に引き離せると思ったんだ。小回りは向こうの方がきくから、これは振り切れないぞ
何とも弱気な発言。
そして道は最終コーナーへと向かう。
バイクと体を傾け曲がっていく私達。
車載カメラの映像から、ケイ達も同じようにして曲がっていくのが分かる。
その姿は徐々にモニターに広がっていく。
カーブの立ち上がり。
ケイのバイクが右に流れ、私達の脇を悠然と過ぎていった。
そしてカメラの映像にはサトミのVサインが……。
市内の駐車場に入ると、既にメットを取ってくつろいでいる二人の姿があった。
ショウもバイクを停め、情けないため息を一つ。
私も付き合いで、一つ。
「おや、今お着きですか」
「寝るかと思ったわ
妙に盛り上がっているケイとサトミ。
「そんな事はいいから、早くアクセサリー屋さんに行こうよ」
「そんな事ね。はいはい」
むふふと笑って歩いていくサトミ。
何とも悔しいが、敗者に弁を語る資格はない。
今日は休みなので、通りには買い物や遊びにと忙しそうな人で溢れかえる。
私達もその一員。
楽しそうな人の流れに加わり、とりとめない話をしながら歩いていく。
メインの通りから少し逸れた道をしばらく行くと、そのアクセサリー屋さんはあった。
店の前には既に、何人かが並んでいる。
む、これはまずい。
「急ぐわよっ」
早足になるサトミ。
当然私も負けてはいない。
その後から、ケイとショウが苦笑して付いてくる。
待っていた女の子達はシャカシャカしてやってきた私達に一瞬たじろいだが、すぐに自分達の会話に戻っていった。
だがそんな女の子達も、開店時間が迫るに連れ少しづつ寡黙になっていく。
私達もまた然り。
ドアの前に下りていたブラインドがゆっくりと上がっていく。
そして中からエプロンをした店員さんが出てきて、ドアの前に立った。
「おはようございます。お待たせしました、どうぞごゆっくりご覧下さい」
笑顔を見せ、私達を促すように手を店内に差し出す。
前の女の子に続いて、私達も入っていく。
ケイとショウもぎこちなく後に続く。
「これどう?」
「悪く無いわね。こっちもいいかな。あっこれもいい」
「それ、それいい!」
「そう?じゃ、これは?ちょっと派手かな」
嬌声が響き、華やいだ笑い声がさざめいていく。
買い物特有の熱気と、ティーンエイジャー独特のハイテンションが店内に渦巻いていく。
私達もそれを構成する一部なのだが、若干2名違う人達がいる。
「俺達は外で待ってるから」
「じゃ、そういう事で」
すっかり疲れ切った様子の二人。
わずか数分であったが、彼らには相当応えたようだ。
私達は彼らの背中に向かっておざなりに手を振り、自分達の買い物に没頭していった。
多少買い過ぎた気はするが十分に欲求を満たした私達が店を出ると、ケイとショウが店の脇に立っていた。
退屈してるかなと思って様子をうかがったが、そうでもなさそうだ。
「ごめん。ちょっと気合いが入っちゃって」
「何が楽しいんだか。別になくて困る物でも無し」
「あって困る物でもないの」
「そうですか」
軽口を交わしながら、店を離れる私達。
それから近くのスパゲティ屋さんに入り、少し早い昼食を取る。
私にとっては、こちらがメインとも言える。
で、食べ終わったところでティータイムとしゃれこむ。
「天気もいいし暖かいし、言う事無いな」
窓から外を眺めしみじみというケイ。
そして紅茶をひとすすり。
「急におじいちゃんね。そろそろ楽隠居?」
そう言ってイチゴパフェを頬張るサトミ。
私も負けじと、イチゴジェラードを舐める。
「でも、休みの日くらいはのんびりしたいよな」
髪をばさっとかき上げ、ブラックコーヒーを口に運ぶショウ。
いつも飲んでるところを見ると、本当に平気なのだろう。
私には信じられないが。
「これからどうする?」
「あのさ、俺ちょっと行きたい所があって」
「本気か」
「いいだろ、別に」
何故か恥ずかしそうなケイ。
へ、変な所じゃ。
「どこ行くの?」
「この先のデパートに、トラとかの子供が来るんだって。トラの子とか、トラの子とか」
妙に熱弁を振るい出す男の子。
というか、トラの子ばかりじゃない。
「トラ、ね」
サトミは感心なさそうに呟き、グラスのそこにたまったイチゴクリームを頬張った。
子供なら喜ぶだろうが、私達も一応はいい年になっている。
「いいから。さ、早く行こう」
レシートを持って、レジへ促すケイ。
本当、珍しいくらい積極的になっている。
その熱意に押され、私達も仕方なく席を立つ。
デパートに入ると、ロビーの中央に「ライオン・トラの赤ちゃんとの撮影会」と表示するディスプレイがあった。
少しすると、その表示がこう変わる。
<よい子のみんな、早く来てね。ぼく達待ってる>
同じ台詞がスピーカーから流れ、可愛らしいトラやライオンの絵が映し出された。
どの程度の年齢を対象にしているかは、大方判断が付く。
「5階、5階」
エスカレーターを駆け上っていく、15才の男の子。
そんな事しても大して変わらないって。
一人御陽気な人と共に5階へ辿り着くと、右手の方から甲高い声が聞こえてきた。
小さな子供特有のあの声が。
「あっちか」
ケイは近くにあった案内表示を確認するや駆け出した。
よい子かどうかは分からないが、私達も小さな子供達の脇を抜け特設会場に入っていく。
「お」
声を上げ固まるケイ。
目の前にある囲いの中で、トラやライオンの子供が数匹でじゃれあっているのだ。
小さな愛らしい彼等が床を転がり、重なり合ってはまた転がる。
確かにこの姿を見れば、彼でなくても顔がほころぶかな。
「こ、この手。見て見て」
いつの間にか囲いの中に入っていたサトミが、ライオンの子供を抱いて手というか前足をニギニギする。
つまり、優しく何度も握りしめる。
「かわいいー」
あ、頬ずりし始めた。
ショウはどこから持ってきたのか紐をふらふらさせて、トラの子をじゃれつかせている。
さっきまで乗り気じゃなかったのに全く。
「やっぱりこの肉球がいいよねー」
かくいう私もライオンの赤ちゃんを抱きしめ、そのピンクの肉球を指先でつついていた。
人の事言えないか。
「あれ?ケイは」
「そう言えばいないな」
「自分が来たがってたのに、どこいったんだろ?」
あちこちに目線をさまよわせる私達。
だが誰も、この場を離れようとはしない。
だってそんな事したら、この子達を手放さないといけないから。
「あ、いた」
「どこ?」
「あそこよ、あそこ」
トラの手を差し出し、右手の方を示すサトミ。
その先を見つめると、確かにケイの姿があった。
「な、何あれ」
「ねえ……」
私達が言葉に詰まったのも道理。
まるで吸い寄せられるかのようにふらふら歩いている男の子。
その行く手には、大人のトラがいるコーナーが。
そして大きなトラが入っている囲いの前に立つと、ゆっくりと指を伸ばした。
体長は彼の倍あまり、胴の太さは丸太の様。
だがトラが吠えたのか、硬い表情で数歩後ずさる。
それでも懲りずに、再度トラに手を伸ばす。
今度は大丈夫みたいだ。
ケイはトラの大きな額を、手の平で撫でている。
トラは気持ちいいらしく、ぶちかましのようにその手に頭をすり寄せていく。
ついには囲いの中に入り、係員さんの手を借りてトラの背中に乗った。
私はとりあえずこの子を置いて、ケイの元へ急いだ。
「ビ、ビデオ撮って」
「はいはい」
私はリュックからビデオを出して、感極まった表情でトラの首筋を撫でているケイの勇姿を収め始めた。
ここにいるトラは感情を催眠によってコントロールしてあるので、人を襲う事は絶対にあり得ない。
らしい。
ビデオの画面を覗いていると、何か変なのが映った。
気になってもう一度パーンしてみると。
順番待ちをするサトミとショウの姿が。
「何やってるのよ」
「順番だから」
「後ろ」
自分の後ろを指差すショウ。
さ、先を越された。
それでも黙って列に並ぶ私。
だって囲いの脇に、「よい子は仲良く並びましょう」って書いてあるんだもん。
私もまだまだ子供だね。
というか、私達しか並んでない……。
充実した一日を過ごした私達は、駐輪場のバイクに戻り帰宅の途に着いた。
沈みゆく夕陽は薄雲を赤く染め、伸ばした影を遠くへ投げかける。
私だけかも知れないが、夕刻の風はどことなく切ない香りがする。
日は落ちきり、その夕焼けが西の空にわずかに残る。
そこから続く空は徐々に色を変え、赤からオレンジ色、淡い青、青、藍……と夜空をグラデュエーションで染めていく。
「なんだか切ないね」
薄暗い道路をヘッドライトが照らしていく。
「春なのに、もう感傷的な気分?」
サトミが、茶化すように言ってくる。
「夕陽は空を染めるだけじゃないさ。人の心もまたしかり」
ケイの言葉が胸に響く。
もし彼がトラのオモチャを買わなかったら、もっと心を打っただろう。
しばらくして寮に着いた私達は、バイクをしまって食堂へ向かった。
時間が遅いので、テーブルには空席が目立つ。
「あそこ座ろ」
食事が乗ったトレイを窓際の席に突き出す。
スープがこぼれそうになったので慌てて引いたら、今度はこっち側にこぼれそうになった。
あっ、駄目。
また行き過ぎた。
「何やってるのよ」
スープに弄ばれる私を醒めた眼差しで見つめるサトミ。
みんなはもうテーブルについている。
「このスープが、なかなか手強くて」
サトミの隣に座ると、ケイがお茶を渡してくれた。
彼にとってはごく自然な行為なので、私も特に礼は言わない。
「いただきます」
手を合わせ、小さく頭を下げる。
別にしつけられた訳じゃないけど、食べる時はこうしないと気分的に落ち着かない。
「くー」
食事に添えられたビールを一気にあおるショウ。
その脇にはケイとサトミのも置いてある。
度数はかなり抑えられていて、かろうじてアルコールといったところ。
だと、思う。
「いきなりいくね」
「バイクはもう乗らないし、少しくらいはな」
「じゃ、私も」
ショウほどではないが、ジョッキの半分程を飲み干した。
ふぅ、確かにこれだ。
年齢制限の緩和により、飲酒も高校程度の学校入学、または16歳以上と規定が変わった。
実際は、中等部の頃からみんな飲んでるけどね。
慣習というか、社会的にも黙認状態だし。
ちなみに喫煙は18から。
吸う人は吸ってるけど、私達は誰も吸っていない。
真面目ぶっている訳じゃなく、喫煙は心肺機能の低下を招くからだ。
それはガーディアンにとって、致命的である。
大体食事がまずくなると聞いたら、一生吸う気になれない。
「たまには飲まないのか?」
「俺は、禁酒法支持者だ」
嫌そうな顔で、ショウが差し出したビールを見る下戸のケイ。
そういう人は夕食に添えられるアルコール類を返すのだが、大抵ショウの前に並べられる。
私の前に置いてある時もあるが。
「何も、続けて飲まなくてもいいでしょ」
サトミの言葉も耳に入らないのか、のどを鳴らして飲んでいくショウ。
まさに天晴れ。
ショウは空になったジョッキを置き、休まず3杯目を手に取った。
鬼だ。
「ちょ、ちょっと。もう3杯目よ」
「なんだ、欲しいなら欲しいって言えよ」
「ち、違うって。体が大丈夫かなっと思って」
「いいから、ほら」
半分飲みかけのジョッキを差し出すショウ。
「えー」
と言いつつ、汗の掻いたジョッキをしっかり受け取る。
まず一口……。
んまいっ。
「二人とも、止めて」
呆れているサトミ。
確かにこれでは、私とショウが酒の飲み合い取り合いをしているみたいだ。
「ご、ご飯、食べようか」
「あ、ああ」
慌てて食べ始める私とショウ。
全く馬鹿である……。
お腹は一杯になったし、お酒も少し飲んで気分もいい。
後はお風呂に入ってゆっくりくつろごう
で、早速バスルームへ。
当然、ドアのロックも忘れずに。
暖かいシャワーを頭から浴びていたら、ちょっとよろけた。
少しまわってきたかな。
「だー」
バスタブに首までつかり、体の力を抜く。
湯気に煙るバスルームに、鼻歌が響く。
風呂上がりに一杯という誘惑もあるが、今日は我慢しよう。
「ふー」
バスタオルを巻いただけで、バスルームを出る。
部屋には誰もいないので、別に気を使う必要もない。
それでもバスタオルを巻くくらいの羞恥心は持ち合わせているが。
濡れた髪をク雑にタオルで拭き、ベットの脇に腰を下ろす。
リモコンのスイッチを押すと、スローないい感じの曲が流れてきた。
ベッドに寝転がり、しばしその曲に聴き入る。
なんだかいい気分。
エアコンの暖かい風がバスタオル一枚の体を優しく包み込む。
そして私は夢の中へ……。
朝になって目が覚めたら、妙に頼りない感じがする。
どうしてかと思ったら、バスタオルがベッドの下に落ちていた。
はは。
とりあえずタオルケットをまとい、ベッドから下りた。
全く。お酒飲んでお風呂入って、そのまま寝てては仕方ない。
単身赴任のおじさんでも、もう少ししゃんとしてる。。
今日は日曜、まだ休み。
それだけが、ただ唯一の救いだ。
朝食代わりに、シリアルとオレンジジュースをお腹に収める。
時計を見ればもう11時。
朝食じゃなかったね。
さすがに昨日は自堕落過ぎたか……。
い、いけない。
部屋にこもっていると、どうも内省的になる。
ここは外に出て、気分一新改めよう。
私はクローゼットからショートスカートと綿のシャツをひっ掴み、手早く着替え出した。
寮の玄関をくぐったところで、暖かな春の風が吹いてくる。
昨晩お世話になったエアコンには悪いけど、やっぱり自然の風が一番。
それにこの、柔らかな日差し。
心の底から幸せを感じる瞬間だ。
人は馬鹿にするかも知れないけど、こんな小さな幸せが私は好きだ。
そしてそう思ってくれる人も。
外に出て正解だった。
そうしみじみ思いながら歩いていくと、知らずに寮近くの公園へ足が向いていた。
公園のグランドでは、子供達がサッカーやバスケに興じている。
もっと小さな子供達は、鬼ごっこやヒーローごっこに余念がない。
こればかりは、いつの時代も変わらない。
最近の子供はゲームばかりやっていると大人が言うが、そういう人はきっとこういう光景が目に入ってこないのだろう。
子供を都合よく解釈する人達には。
と理屈をこねてても仕方ないので、今は子供達の観戦に専念。
だけど少ししたら、子供達が解散し始めた。
どうしてか。
もうお昼だから。
私はさっき食べたばかりなので、いまいちピンとこない。
「あー、つまんない」
芝生に寝ころび、ゆったりと流れる雲を見つめる。
これはこれで気分がいい。
自然瞼が重くなり、呼吸は深くなる。
「……だ、駄目」
慌てて飛び起きる。
そう言えばこの先に、おしゃれなオープンカフェが出来たって話だ。
喉も少し渇いたし、ここは眠気覚ましに少し歩こう。
しばらく歩いているとだんだん体が暖まってきて、額にうっすらと汗が浮かんできた。
足取りは快調、気分も申し分ない。
やがてうっすらがじっとりになったころ、ようやくそのオープンカフェに辿り着いた。
店先のテーブルはアベックや家族連れで一杯。
私はアイスティーを頼み、テイクアウトして店を出た。
さらさら流れる小川の水面は、日差しをきらきらと跳ね返す。
川辺では小鳥が数羽、渇いたのどを潤している。
はは、なんだか私みたい。
そんな風景を眺めながら飲むアイスティーは、また格別。
うん、来てよかった。
小さな幸せをまたもや噛みしめていた私に、誰かが声を掛けてきた。
「……彼女一人?」
声に反応してアイスティーから顔を上げると、いかにもといった流行り物で身を固めた男の子が3人立っている。
誰?
「あのさ。俺達車で来てるんだけど、ちょっと遊びに行かない?」
「お金なら心配ないよ。ほら」
そう言って、一人がキャッシュカードを取り出した。
どうせ、親名義のだろう。
男の子達は愛想笑いを浮かべ、何やらしゃべり続けている。
どこどこの店が顔だの、車が高級車だの、有名人と知り合いだだの。
はっきり言って、聞きたくない。
せっかくのいい気分が台無しだ。
こんな連中は相手にしないに限る。
「私はいいわ。他の子でも誘ったら」
手を振って、背を向ける。
すると男の子達が追いかけてきて、私を取り囲んだ。
「もしかして、俺達が変な事するとでも思ってるの?そんな心配いらないって。ただ少し遊ぶだけだから」
「そうそう。帰りはちゃんと家まで送るよ」
「ね、少しくらいならいいだろ」
キャップを逆に被った男の子が、肩に手を回してきた。
何だ、こいつ。
触られたくないので素早くしゃがんで後ろに下がったら、バランスを崩してあっけなく倒れてしまった。
「ははっ、何やってんだ」
「かっこわりー」
仲間の失笑を受けるキャップ君。
周りにいた人も、くすくす笑っている。
私も少し。
「ば、馬鹿にしやがって」
キャップ君は血相を変えて立ち上がり、私に突っかかろうとした。
「お、おい」
「やめろって」
仲間が慌てて抑えるが、キャップ君は暴れるばかりで聞く耳を持たない。
仕方ないな。
私はキャップ君との間合いを一気に詰め、ストローを彼の目の前に突き立てた。
突然目の前に現れたストローに、顔を強ばらせるキャップ君。
彼を抑えている仲間も同様だ。
「……いい加減にしないと、これが伸びるわよ」
小声でそう言って、ストローの曲がっている部分を真っ直ぐにする。
その長さを足せば、彼の目を貫くには十分だ。
勿論、そんな事しないけど。
「は、は、はい」
ダクダクと汗をかいて謝るキャップ君。
仲間の子もひたすら頭を下げている。
どうやら彼らは、本気にしたらしい。
「分かればいいの。嫌がる子にはあまりしつこくしないように。じゃ、他の子を探してきたら」
「は、はいっ」
一目散に駆け出す3人。
周りにいた野次馬風の若い子達は、私と彼らを訝しげに見比べている。
当然と言えば当然の反応だが、出来れば止めて欲しかった。
だって、か弱い乙女が絡まれているんだから。
どうも最近の若者は、個人主義というか他人に無関心な人が……。
い、いや無関心でよかった。
もし知り合いでもいたら大変だ。
また何を言われるか分かったものじゃない。
ここは早急にこの場を離れよう。
そう、私は今日ここにいなかった。
私はじっと見つめてくる周りの人達に愛想笑いを見せながら、静かにその場を離れた。
そして、ダッシュ。
かなり走ったので、少し息が切れた。
でもこれだけ離れれば、もう大丈夫だろう。
特に知った顔にも出会わなかったし。
でも、走ったらまた喉が渇いた。
アイスティーはさっきの所に置いて来たし、まさか取りに戻るなんて出来る訳ない。
本当何やってるんだろ、私。
もう少し考えて行動しないと駄目みたいだ。
さっきも、もっと穏やかに対応してれば……。
駄目だ、また落ち込んできた。
ここは何か飲んで、気分を変えよう。
うん、そうしよう。
「彼女一人?」
また声を掛ける奴がいる。
この公園はこんなのばっかか。
こうなったら、もうやけだ。
「見れば分かるでしょっ。二人に見えるんならっ。目医者さんに行きなさいよっ」
怒りの表情で振り向いた、……その顔のまま凍り付く。
「荒れてるな」
苦笑するショウ。
「な、何で……」
「俺だって散歩くらいするさ。今日は休みだから」
「そ、そう」
曖昧に笑って背を向ける。
だが彼の声が、背中に突き刺さる。
「だけど仕事熱心な子がいてさ。女の子をしつこく誘う奴らに説教くれてた」
「み、見てたの」
「さあ」
ふ、不覚。
よりにもよってショウに見られるとは。
「今日は暑いな。こう暑いと喉が渇く」
「そ、そうね」
「コーヒーが飲みたいな」
ひょいっと前に出てきて、ニヤッと笑うショウ。
こ、この。
「えーと、報道部のアドレスは……。ガーディアン休日出勤。公園の治安を守る何てどうかな」
端末を取り出すショウ。
しかもベタな記事のタイトルまで考えてる。
「コ、コーヒーですね」
慌てて辺りを見渡すと、移動のカフェが目に入った。
でも、遠ざかってる。
くー、また走るのか。
ようやく買って来たはいいが、ショウがいない。
また周りを見ると、川辺の芝生にいた。
向こうもこっちに気付いて、手を振ってる。
今行きますって。
「お、おまたせ」
「ありがとう」
ショウは軽く口を付け、満足げに首を振った。
へっ、無料なら美味しいだろうさ。
私も飲むよ……。
くー、おいしい。
さんざん走った後だけに、もう言う事無い。
もう3口飲んだ所で、やっと一息ついた。
倒れないようにコップを置いて、大きく深呼吸。
ついで伸び。
「……疲れたか」
「ん?そうでもないよ」
横で動いているのが気になったのか、ショウが聞いてきた。
「とにかく、怪我が無くてよかったな」
「何言ってるのよ。最近ちょっと心配性になったんじゃない」
笑い飛ばそうとしたが、ショウが妙に真剣な表情だったので止めた。
「俺達はガーディアンだから怪我するのは仕方ないけど、傷なんてない方がいいだろ」
「まあね。でも、それを怖がってる訳にもいかないでしょ。そういう仕事だって、私は分かってるつもりよ」
「ああ。ただ、あまり無理はするなって事さ」
ぶっきらぼうな物言い。
だけど彼の気遣いは痛いほど分かる。
「……傷だらけの女の子なんて、男の子は嫌がるかな」
何となく真面目に聞いてみた。
「その人が好きなら、そんなの気にもならないさ。だろ」
優しい笑顔で答えてくれるショウ。
そうかも知れない。
うん、きっとそうだ。
私達はそれ以上何も語らず、いつまでも水面を見つめていた。
暖かな日差しが降り注ぐ、午後の公園で……。
了