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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第8話
74/596

エピソード(外伝) 8-4 ~ケイ視点~





     8-4




 適当に理由を付け、光と永理を帰らせた。

 あの二人を巻き込む気はないし、特に光には話しても仕方ない。

 頭は良いんだけどな、あいつ。

「恨みを買ったって?」

「自殺志願者を手伝っただけさ」

「しないって、分かってたくせに」

 モトも本人を見ているので、どんな人物かは分かっているようだ。

 俺は推測で他人を判断のに対して、モトはその優れた精神感応力で相手を理解する。

 超能力なんて大袈裟な物ではなく、他人へのシンパシーを取れるという事だ。

 心を読むとユウ辺りは最初勘違いしていたが、そんな能力があれば誰も苦労しない。

 また仮にそうだとしても、彼女はそんな事をしない女の子である。

「知らないわよ、何かされても」

「そんな度胸も、能力もない。俺に仕掛けてくる分には、放っておく」

「丹下さんやその女の子に何かあったら、って事でしょ」

 俺の考えなどお見通しか。 

「それも、大丈夫だとは思う。俺を監視してるのも、殴ったのをリークしないか心配なんだろ」

「逆にコントロールしてるって言いたいの?呆れたわ」

「いいんだよ、そういうの好きなんだから」

「丹下さんは、嫌いだと思う」

 はっきりと言い切るモト。

 そして俺の答えを待たず、次の言葉を繋げてくる。

「分かってるでしょ、それくらい」

「性格でね。変えられないし、変える気もない」

「自分が犠牲になっても?」

「そういう考え方はしてない。俺にとっては、これが普通だから」

 小さく、そして淀みなく答える。

 誰かのために、なんて発想でもない。

 俺は、俺のために生きている。

 もし何かしたとしても、それは結局俺自身のため。

 言い換えれば、下らない自己満足。 

 そして俺は、それを貫き続ける。

 例え、何があっても。


「考え方は変えないって顔ね」

「前からこんな顔です」

「あ、そう」 

 素っ気ない言葉。

 彼女自身説得しようと思っていた訳ではなく、頭には入れておけという事か。

「あなたが何をやろうと、私は気にしないんだけど」

「そうですか」

「そうよ」

 「サトミやユウのため」というニュアンスを含んだ台詞。

 それは全くの本気ではないが、冗談という訳でもない。

 俺の事で彼女達が心配しないよう、軽く釘を差しに来たのだろう。

「とにかく、大人しくしてなさい」

「俺は、いつでも大人しいんだけどね」

「ふーん」

 愛想無く立ち上がるモト。

「それじゃ、私も帰る。ちゃんと、丹下さんの言う事聞くのよ」

「ああ」

「気のない返事ね。それじゃ」

 軽く手を振り、モトは颯爽とドアを出ていった。

 相変わらず、気の回る子だ。

 サトミ達が慕う気持も、よく分かる。

 俺も彼女には敬意を抱いているし、頭が上がらない部分も多い。

 とはいえ、今の話を全て受け入れるつもりもない。 

 誰からどう言われようと、こんな俺にだって譲れない事はあるのだから。



 次の日。 

 俺なりに考え事をしつつ、1Fのロビーへとやってきた。 

 そっちへ頭が行っていて、人の多さや喧噪も余り気にならない。

 取りあえずブドウ炭酸を買い、患者や看護婦達をすり抜けていく。

 ロビーを抜けた、非常階段前のソファー。

 患者や見舞客もそうは来ない、静かなスペース。

 そこへ腰を下ろし、酸味と炭酸の喉越しを味わう。

「……こちらの、患者さんですか」 

 目を見張るような美人が、俺の顔を覗き込むように屈み込んでいた。

 澄んだ二重の瞳と、輝くような黒髪が真っ先に目に付く。

 スタイルも抜群で、それこそ息を息を飲みたくなる程だ。

 ただ俺は肉体が弱っているため、何の感慨も沸き上がってこないが。

「ええ」

「失礼します」

 爽やかな笑みを浮かべ、俺の隣に座る女性。

 スーツ姿だが、スタイルにあって無いらしくややきつめの感じ。

 どうでもいい事だ。

「悩みがあるっていう顔ですね」

「そうかな」

 悩み、ね。

 病院で悩みのない人間がいたら、お目に掛かってみたい。

「学校の事でしょうか」

「まあ多少」

 どう見ても、俺は学生。

 入院していたら学校へ行けるはずもないので、悩むに決まっている。

「大変ですね」

「ええ」

「何か、今困ってる事とかありますか?」

 綺麗な顔の下から、わずかにその素顔が覗く。

 勿論わずかであって、それはすぐ元へと戻る。

「傷口が痛いとか、お金が無いって事かな」

「そんなあなたを、助けてくれる人とかはいらっしゃいますか?」

 それとなく距離を詰めてくる女性。

 避ける理由もないので、そのままにする。

「身の回りの世話をしてくれる人はいますよ」

「その方は、親身になってくれます?あなたの気持を理解しようとしてくれますか?」

「さあ。そこまで突っ込んで考えた事はないんで」

 彼女の澄んだ目がきらりと光り、やや厚い唇が大きく緩む。

 沼地に足を取られた獲物を見つけた、肉食獣のように。


「誰かを信頼し、信頼される。そんな素敵な事はないと思いますよ」

「そうですね。現実に、そう上手く行くかはともかく」

「私も、以前はそう思ってました。でも、今は違うんです」

 床にあったバッグから、小冊子とパンフレットを取り出す女性。

 それを受け取った俺は、一言呟いた。

「医療施設での勧誘は、宗教倫理法で制限されてるんじゃ」

 しかし女性はうっすらと微笑んで、たおやかに手を振った。

 奇妙な形をした指輪が、目の前を通り過ぎていく。

「宗教じゃないんです。人と人とのつながりをサポートするサークルとでも言うんでしょうか。みんなで食事したり、旅行へ行ったり。とっても面白いですよ」

「はぁ」

「ほら。こうして入院していると、何かと気弱になるじゃないですか。ですからそんな方々のお手伝いをしたくて、時折声を掛けさせてもらってるんです」

 弱気につけ込む、という気もするが。

 当人がそう言うなら、そうなのだろう。

 信じる者は救われるとも言うくらいだから。


 そして人の命の尊さと、聖なる者の偉大さをし始めた。 

 色々突っ込みたかったが、話を腰を折るのも何なので適当に相づちを打つ。

 オーバーアクションと、ハイテンションな口調。

 人によっては、これだけで元気になった気になるかもしれない。

 ただ俺としては、辟易という日頃口にしない言葉を使いたくなる。

 ジェメイザ様だろうが、意志無き旅人か知らないけど。

 聖霊界の第8層に誰がいたっていいだろ。

 どうせ俺は、地獄行き超特急へ乗る運命にあるんだし。


 下らない事を考えている内に、ようやく来光臨拝のありがたいお話が終わった。 

「どう思われますか?」

 キラキラと目を輝かす女性。

 「うさんくさいと思いました」とは言えないので、適当に頷く。

 ただ、女性を勧誘員にしている点は面白い。

 逆に対象者が女性の場合は、おそらく勧誘員は男性になるんだろう。

 しかも、彼女みたいにある程度の容姿が必須で。

 人間、綺麗な人に声を掛けられて悪い気はしない。 

 その後に何が待つかは、あまり考えたくないが。

「人はまず、心を解き放たなければならない。我々も、常にその実践に心がけています。恥ずかしいとか照れるという事を気にせず、ありのままの自分を表現するんですよ」

「はあ」

「現状でもあなたは素晴らしいかもしれない。ですけど、あなたを取り巻く世界は無限に広がっている訳です。そのためにも、自分の殻を打ち破るべきなんです」

 熱く力強い口調。

 彼女との距離も非常に近く、香水の香りが鼻をくすぐる。

 勘違いする奴もいるんだろうな、多分。

 俺も見た目には楽しいので、聞いている素振りをする。

 歩合制なのかとか、ノルマはどうなんだろうという感じで。

 組織内でのランクは、やはり勧誘者の人数かな。 

 それとも、お布施の金額。

 ただ俺は地位も名誉も金もない学生なので、勧誘してもポイントは低いだろう。

 だからここをとっかかりにして、他の学生を引き込もうという考えか。

 芋づるのつるだな、俺は。

 でもってサトミ達が、芋だ。

 彼女が想像している以上の芋が俺からは取れるんだが、「冴えないガキ」くらいにしか考えてないだろう。

 勿論それは、当たらずとも遠からずである。


「……顔に傷があって、それが痛むんですよ」

「大変ですね。大丈夫ですか」

「ええ、ここんですけど」

 自分の頬当たりを指刺す俺。

 一応、覗き込んでくる女性。 

 少し顔を寄せれば、頬が触れ合うくらい。

 しかし自分で仕掛けておいて、自分で耐えられなくなった。

 あまりもの下らなさというか、俺には似合わない事に。

 正直笑いがこみ上げ、脇が痛い。

「どうかしました?」

「いえ、別に」

 彼女との距離を置き、息を整える。

 痛いのは痛いが、面白いのも確かだ。

 滅多にない事なので、もう少し楽しませてもらおう。

「いいですよね、自分が解放されたら」

「そうですよ。その通りです」 

 俺が話に乗ったと思ったのか、喜々とした表情で再び距離を詰めてくる女性。

 今すぐにでも契約書くらい取り出しそうな勢いで、その熱意には頭が下がる。

「でも自分を解放するって、どこまですれば良いんですか?」

「限度はありませんよ。あなたが自分で思っている以上に、世界は広がっています。ですから、思いの限りをさらけ出せばいいんです」

「なるほど」

 俺はゆっくりと頷き、わずかに口元を緩めた。

 それを見て、女性の顔が微かに強ばる。

 何か、見てはならない物を見てしまったかとでも言うかのように。

「あ、あの」

「じゃあ、早速さらけ出してもらいましょうか。まずは、あなたから」

「い、言っている意味が、分からないんですけど」

 後ずさる女性。

 俺もすかさず距離を詰め、その上へ覆い被さるように立ち上がる。

「さあ、ありのままの自分になって下さいよ」

「そ、そういう事は、支部の研修室でやってますから。そ、それに先師の許可がないと、勝手には……」

「場所とか許可とか、形式に問われては駄目でしょう。一切のしがらみを捨てる、まずはそこから始まるんじゃないんですか」

 醒めきった眼差しを落としたまま、口元だけを緩める。

 顔を引きつらせる女性にかまわず、パジャマのボタンを外す。

「俺も自分をさらけ出しますから、あなたもお願いします」

「ふ、服を脱ぐのと、自分を解放するのと何の関係が」

「そんな既成概念に捉えられている、あなた自身を解放するためです。さあ、早く……」 

 「ひっ」叫ぶ女性へ、じりじりと手を伸ばす。

 その手をはね除ける力は弱く、今起きている事がまるで信じられないといった様子。

 だがこれは紛れもない現実で、これから起きる事もまた然りだ。

「心配しなくても、大丈夫。これであなたも俺も、今までの自分とは違う新しい世界へと……」



「な、何してるんですかっ」

 戸惑いと、焦りの入り交じった問い掛け。

 俺はパジャマのボタンをはめながら振り返った。

 見慣れない男性の職員が、バインダーを抱えこちらを怪訝そうにうかがっている。

「彼女が気分悪いって言うから、ちょっと」

「そうなんですか?」

 疑念を含んだ視線をかわし、女性の耳元へ口を寄せる。

「続き、やります?」

「い、いえ。もう、もうここへは来ません」

「じゃあ、俺が出向きますよ。あなたを指名して」

「そ、それも結構です」

 カバンを掴み、乱れた服装もそのままに駆け出す女性。

 一瞬俺を振り返ったその視線に怒りはなく、その代わって恐怖にも似た意志が感じられた。 

 冗談だっていうのに。

「本当に、何があったんです」

「勧誘ですよ、宗教の。それを断っていただけです」

「そうには、見えませんでしたが」

 それはそうだろう。

 あまり突っ込まれても困るので、こっちからも少し言うか。

「随分、都合良く出てきましたね」

「わ、私の仕事場はここの階段を使わないと行けないですから」

「ここって非常階段で、使う人なんていないはずですよ」 

 何かを言い繕おうとする男性へ手を振り、軽く頷く。

「法律で勧誘が禁止されてるとはいえ、実際にそれを防ぐのは不可能。中にはその宗教を拠り所に、入院生活を送る人もいるでしょうし」

「た、確かに、穏健な宗派に関しては当病院でも黙認をしてます」

「こういった場所や患者情報の提供、なんてのもありそうですよね」

 男の顔が一気に青ざめ、バインダーがカタカタと揺れる。

「今見た内容を誰に話そうと結構ですけど、その時は俺も色々と話しますので」

「お、脅してるのか。わ、私は協力なんてしていない」

 自分で言っては世話がない。

 そういう人間だからこそ、簡単につけ込まれるとも言えるが。

「分かってます。それより俺は、彼女が福祉局の内部監査官だと言っても信じますけどね」

「なっ」

「それじゃ」

 とうとうバインダーを落とした男へ手を振り、よろよろと非常階段を上っていく。

 まさかそんな訳はないんだけど、暇つぶしになったし感謝しておくか。

 本当、一番悪いのは誰何だか……。



「機嫌いいわね」

「そうかな」

 自分で顔を撫で、鼻で笑う。

 さっきの出来事を、知らない内に思い出していたようだ。 

「また何かしたの」

 ため息混じりに尋ねてくる丹下。

 俺は首を振り、軽く背筋を伸ばした。

 冬間近にあって、中庭に咲き誇るたくさんの花。

 弱々しい日差しの中、懸命に咲いている。

 誰かに見せるという訳でもなく、ただ生きるために。

 植物だからそんな感覚はない。

 大体色鮮やかなのは、昆虫を引きつけるためだ。

 あまりにも冷静で無機質な感想なので、自分で笑う。

「たまには、こうして外へ出るのも良いでしょ」

 風に吹かれる前髪を流し、優しく微笑む丹下。

 俺は曖昧に頷き、小さく息を付いた。

 この子は、どうしてここにいるんだろうと思いながら。

 それにも、理由はないのだろうか。

 どうでもいい事だ、といつものように流していいのかどうか。

「……あなたって、辛いとか苦しいとかあまり言わないわね」

「え、ああ」

 不意な質問に、頭を切り換える。

 辛い、か。 

 口に出して楽になるなら、幾らでも出す。

 ただそんな訳はないので、言わないだけだ。

 それを聞かされる方も、楽しくはないだろうし。

「弱みを見せないっていうか、自分を強く律してるっていうか」

「感情に乏しいんだよ」

「表現するのが苦手なんでしょ。した事がないから、下手なのよ」

 くすりと笑い枯れた木々を見上げる丹下。

 憂うような眼差しではなく、その寂しさを受け止められるだけの強い光を湛えた瞳。


 彼女は俺と違い、あるがままの自分を表現する。

 ユウの無邪気さとも異なる、はっきりとした自己主張。 

 内心を曖昧にはせず、自分はこうであると明確な意志を示す。

 だから俺が自分を語らない事に、いい感情を抱いていないのかもしれない。

 ただ彼女はモトのように、それを直せとはあまり言わない。

 言っても仕方ないと思っているのか、それでいいと思っているのか。 

 それを考えてどうなるのか、という気もするが。

「ずっと病院にいて、退屈じゃない?」

「いや。マンガとゲームがあれば、俺はそれで十分」

「もう少し、他の趣味も持ったら」

 屈託無く笑う彼女の表情に、俺へ対する不満や苛立ちは感じられない。 

 先程までの会話を引きずる様子も。

 気にし過ぎてるな、ちょっと。

「丹下は、学校大丈夫なの」

「ええ。オンラインでは出てるし、レポートも提出してあるから。でなければ、安心してここへ来られないわよ」

「ああ、そう」

 そうだろうとは思っていたが、聞いて安心した。

 俺なんかにかまけて追試にでもなったら、それこそどうしていいのか分からない。


「それよりも、自分はどうなの?」

「この間自警局の人間が来て、テスト結果がどうでも進級はさせてくれるらしい」

「へぇ。でも、レポートは出さないと駄目なんでしょ」

「追試を受けるよりはましさ」

 調子も良くなってきたし、そろそろレポートも書き始めるか。

 多少面倒ではあるが、数学のテストを考えれば何でもない。

「代筆でもしようか?」

「腕は動くよ」

「怪我して無くても、あの字じゃね」

 大袈裟に首を振る丹下。

 何も、そこまでひどくはないだろう。

「いいんだよ。俺には読めるんだから」

「読むのは先生よ」

「まあね」

 それを言われては、こっちとしても返す言葉がない。

 というか俺自身の事を言われたら、大抵は言い返せない。

 そういう人間なのだから、仕方ない。

 どうしようもない、とも言える。

「代筆はともかく。せっかく時間があるんだし、ゆっくり書いたら」

「考えとく」

 素っ気なく答えたら、顔を指差された。

「また。「分かった、丹下さん。僕、頑張るよ」くらい言えないの」

「言って欲しい?」  

「嫌だけど」

「じゃあ、言うなよ」

 今度は俺が、彼女の顔を指差す。

 楽しそうに笑った彼女を見ていて、ふと思い出した。

 だけど、口に出す事でもない。

「それで、誰が来たの?」

「え」

「だから、生徒会からの説明には誰が来たの?私の知ってる人?」

 向こうから聞いてきた。

 いい加減に答えても、すぐに分かる事だ。

 だから、言うしかない。


「大石進と名乗ってた」

「へぇ……」 

 ぎこちなく頷く丹下。

 まさか、そんな名前を聞かされるとは思ってもいなかったのだろう。

 俺だって、口にするとは思っていなかった。

「何か、言ってた?」

「昔、丹下が会いに来たって。それ以外は、別に」

「そ、そう」

 はにかみとも焦りとも付かない表情で、落ちつきなく体を触れ回る丹下。

 彼女が思い出しているのは夢の人物で、まさかあの小デブちゃんでは無いだろうが。

「丸くて、でもそれなりには出来る人だった」

「どうでもいいわよ。その名前は、私が聞き間違えたか思い違いしてるだけなんだから。彼とは、何の関係もないもの」 

 口調はやや荒いが、この話題を避けたがっている様子ではない。

 俺が避けたいという事は、この際ともかく。

「夢の中で私を助けた、本当の「大石進」君はどこにいるんだろう」

「夢だから、丹下の中にしかないだろ」

「ええ。夢、なら」

 表情が緩み、儚げな笑みを浮かべる丹下。

 秋の弱い日差しすら、透き通ってしまいそうな程の。

「あの時どうしようもなかった私だけど、今はここまでになりました。そう彼に伝えたいと、ずっと思ってたのに」

「心の中で想ってれば、届くんじゃない。現実に、そんな人はいないんだから」

「そうね。私の、夢の中での出来事だものね」

 頼りない口調と共に、その口元が緩む。

 それは彼女自身、何度も考えてきたのだろう。 

 でも、夢であっても出会いたい。 

 そんな気持を込めながら。

 俺には、理解出来ても持ち得ない気持。

 そして、それを解決する方法もまた。

「そうやって、夢を見ている方がいいんじゃないかな」

「え」

「この前丹下が言ってただろ。吉家さんを励ましてた彼が、仮にまた会えても幻滅するような子だったら困るって。それと同じっていう意味」

「そんなはずは……」

 勿論言い切れる訳はなく、不満気味に俺を見てくる。

「丹下の見たのは夢じゃなくて、その男も現実にいたとして。でも実際に会ったら、今までのいい思い出が消えるって事もある」

「それは、分かるけど」

「思い出は思い出。頭の中だけで思い返してた方が、幸せだと思うよ」

「随分、夢のない話ね」

 だが俺が言った意味は、自分でも分かっているのだろう。

 反論めいた言葉は返ってこない。

 確かに、夢はないかもしれない。

 でも、その方がいい。

 思い出は、思い出として取っておいた方が。

 現実は、何かと辛過ぎるのだから。



 病室へ戻っても特にする事がないので、ベンチに座る。

 丹下は俺の隣で、料理雑誌を読んでいる。

 会話がある訳でも、何かをする訳でもない。

 ただ座っているだけだ。

 俺に至っては、全く何もしていない。

 せいぜい、空に浮かぶ雲を眺めているくらいで。

 いつも何かを考えている癖があるせいか、少し変な気分だ。 

 無心ではなく、心が静かになっていく。

 隣には可愛い女の子がいて、自分のために作ってくれる食事を考えている。

 暖かな秋の日差しと、目を楽しませる色とりどりの花。

 時がゆったりと流れ、心を占めている様々な事が薄らいでいく気持。

 それに、しばし身を任せていたい。

 そう思わせるだけの、穏やかな瞬間。

 らしくないなと思ってしまう俺は、多分心にゆとりがないんだろう。

 全てを、この状況に浸りきる事が出来ない。

 気を緩め、体を楽にしていても。

 どこかで、別な俺がそれを見つめている。

 気を休めている自分。

 それを把握し、頭を巡らす自分。

 だからこそ俺は、冷静な判断や推測を出来ると思っている。

 自分を客観視する、別な俺。

 今こうして落ち着いている俺を、らしくないなと苦笑する俺。

 そして落ち着いている俺も結局は、分かっていると答えてしまう。

 この感覚がある限り、俺は自分を変えられない。

 変える気がない、という大前提もまた。



 気付けば、消灯時間を過ぎていた。

 ただ俺の病室は個室なので、何かの制限を受ける訳ではない。

 学校へ提出する書類にめどを付け、今は授業のレポートを始めたところ。

 楽な作業ではないが、授業へ出るよりはましだ。

 しかし、物理も苦手だな。

 亀の子というか、この化学式がどうも。

 元素配列なんて、学者以外覚えても仕方ないと思うんだが。

 と愚痴っても、やはり仕方ない。

 新元素が宇宙にあるという説を何かで読んだけど、せめてそれが発見される前に卒業にしたい。

 元素式に唸っていると、インターフォンが音を鳴らした。 

 セキュリティ設備がぬるいので、相手が誰かは分からない。 

「はい」 

 例により布団を被り、キーを解除する。

「済みません……」

 遠慮気味な声と共に、おずおずと入ってくる少女。

 よく見る赤いパジャマと、幼さの残る可愛らしい顔立ち。

「吉家さん。どうしたの、こんな時間に」

 ベッドから降り、無言の彼女へ歩み寄る。

 顔を伏せ、ドアの前に立ち尽くしたまま動こうとしない。 

 俺は彼女の背中へ手を回し、その歩みを促した。


 差し出したペットボトルに手を付けようともせず、俯いたままの吉家さん。

 俺も壁際に持たれたまま、カーテンを降ろした窓辺を眺める。

 消灯時間を過ぎ、まして子供の彼女が歩き回る時間ではない。

 それでも俺は、何も尋ねはしなかった。

 丹下のように、促すの事は出来なくもない。

 だからといって、それをするつもりもない。

 彼女が自分でここへ来た以上、話し始めるのは彼女の方だ。

 例えそれが、冷たいと思われてもかまわない。

 大事なのは俺への評価ではなく、彼女自身が何をするべきか。

 それだけだ。


「……ごめんなさい、こんな時間に」

 震える声に、ますます下がる肩。

 ただ、一言は発せられた。

 そして何でもないその言葉が、彼女にとってどれだけの勇気が必要だっただろう。 

「いいよ。俺、夜は遅いから」

「済みません……」

 殆ど俺の話など聞こえていない顔付き。

 吉家さんは、顔を伏せたまま謝り続ける。

「今日友達を見送りに、IFのロビーへ行ったんです」

「ああ」

「そこで私、見たんです。私を励ましてくれた、あの男の子を……」 

 もう一度相づちを打ち、彼女の言葉を待つ。

 予想の付いている言葉を。

「でも、声を掛けられなくて。すぐそこにいて、声を掛ければ振り向く距離だったのに。

私、何も出来なかったんです」

「そう」

「結局彼は、そのまま病院を出ていってしまって。そして私は、何も出来ないままで……」

 シーツが強く握りしめられ、肩が振るえる。

 涙は流れず、嗚咽の声も聞かれない。

 それを我慢しているのか、そんな事すら通り過ぎているのか。

 丹下にはああ言ったが、こういう現実が待っていたとは。

 彼女の勇気を責めるのは簡単だけど、果たして同じ場面で声を掛けれる人はどれだけいるだろうか。

 とはいえ済んでしまった事だ。

 彼女はもう彼に会えなく、彼はそれを知る事もない。

 そんな結末で。

「少し、寝たら」

「え?」

「俺ジュース買ってくるよ」

 何か言いかけた彼女に手を振り、俺は病室を後にした。


 人気のないラウンジに、一人腰掛ける。

 よく病院にはお化けが出るなどと言うが、こういう光景を見てるとそれも頷ける。

 真っ白な壁と、非常灯だけの薄暗い照明。

 同じようなドアがどこまでも並び、人の気配はまるでない。

 まして病院とはその性質上、死者が出る場所でもある。

 色々な噂の一つや二つ、あって当然だ。

 ただ仮にお化けなり幽霊がいたにしても、俺など相手にしないだろう。

 相手にされても困るが。

 さて、結構時間も過ぎたしそろそろいいかな。



 病室へ戻り、ゆっくりとドアを開ける。

 そして照明を落す。

 ベッドに横たわる、赤いパジャマ。

 そのまま寝入ってしまったようだ。 

 これで、少しは気が楽になるだろう。

 忘れるのがいいかどうかはともかく、悩み続けるよりはましだ。

 そうなると、今度は俺に悩みが持ち上がってくる。

 まさか一緒に寝る訳にも行かないし、どうしよう。

 ラウンジやロビーは看護婦が見回るし、トイレで寝る気もない。

 空いている病室は鍵が掛かっていて、その他の部屋も同様。 

 病院の外へは出ていけないから、それ以外の場所といえば限られてくる。 

 俺は思い浮かんだ場所へ行くべく、余っていたタオルケットを肩に掛けた。

 そして多少の準備をした後、彼女を起こさないようそっとドアをくぐった。

 暖房が切れ、寒くなり始めた廊下へと……。


 しかしそれがどれ程暖かかったのか、即座に思い知る。

 真っ暗な景色、吹き付ける夜風。

 見上げた空に月はなく、星明かりだけが俺を照らしている。

 晩秋とはいえ、夜の屋上は寒い。

 大体この病院は高台にあり、ただでさえ気温が低い場所だ。

 少なくとも、病人が夜を過ごす環境ではない。

「あー」

 風を避けられる壁際へ張り付き、ベンチウォーマーの上からタオルケットを被る。

 当たり前だが、まだ寒い。

 取りあえず、暖を取ろう。

 病室から持ってきた、普段持ち歩いているライターを取り出す。

 煙草は吸わないのに、これだけは手放せない。

 しかしここでたき火をしてはまずいので、ライターの火だけを付ける。

 微かに、本当に微かに暖かくなった。

 弱々しい赤い炎が、妙に物悲しい。

 それでも暖かくなるのだから、ここは……。

「あちっ」

 ライター自体が熱せられて、持っていられなくなった。

 やっぱり、無理があったな。

 仕方ない。

 使いたくはなかったが、これの世話になろう。

「くっ」

 ペットボトルに口を付け、一口含む。 

 その途端、激しくむせかえしてしまった。

「飲めるかっ、こんなの」

 暗闇の中、小声で一人怒る。

 コニャックを入れたペットボトルは何も答えず、その闇に溶け込むだけだ。

 それでも怒りとアルコールのためか、少し暖まってきた。 

 ただこれ以上はとても飲めないので、ふたを閉める。

 そして見たくもないため、その辺へと転がした。


 ほろ酔いでいい気分になれる訳もなく、痺れるような感覚がやってくる。

 ただ寒さは多少薄れ、何となく眠気もやってきた。 

 一応、これを持ってきた前自警局長にも感謝するか。

 それと、持って帰らなかった丹下にも。

 とにかく、急にだるくなってきた。

 馬鹿は風邪引かないというし、早いところ寝てしまおう。

 このまま凍死するのも、また楽しだ……。



 朝日で目が醒めた。 

 しかし爽快な朝を喜ぶ気分ではなく、体中がみしみし音を立てている。

 寒さのため、相当身を縮こまらせていたのだ。

 結局眠れていたのは2、3時間もない。

 いつも朝は眠いのだが、今日はその比ではない。


 こっそり病室へ戻ると、吉家さんの姿はなかった。 

 看護婦の問診時間前にタイマーをセットしておいたので、自分の病室へ戻ったのだろう。

 とにかく、少し寝よう。

 ベットがこんなに柔らかいなんて、初めて知った。

 建物の中が、こんなに暖かいのも。

 どうでもいい事に感動をしつつ、俺は目を閉じた。

 これまでにない幸せな気分の中で……。


 と思ったら、体が揺すられた。

「あ?」

「あ、じゃないわよ。いつまで寝てるの」

 開かない目を開け、相手を見上げる。

 ……丹下か。

「まだ朝だろ。どうして、こんな時間に」

「お昼よ、もう」

「あ?」

 まさかと思いつつ、枕元の時計へ目をやる。

「壊れてるとか、時空に歪みがあったとか」

「寝ぼけてるの?」

「冗談だよ」

「調子悪いなら、まだ寝てる?」

 首を振り、ベッドサイドへと腰掛ける。

 やられたな。

 一人時差ぼけだ。

「えーと」

「お昼よ。ご飯は」

「少しだけ、食べます」

 寝起きで食欲がない。

 それでも丹下が持ってきてくれた料理だけは、どうにか平らげる。

 あっさりした味付けと、食べやすい調理法。

 食欲の無いのも忘れ、自然と箸が進む。 

 気付けばランチボックスは、空になっていた。

「無理して食べなくてもいいのに」

「そうでもない」

 煮込んだレバーをお茶で流し込み、これだけは無理してるなと思う。

 美味しいんだけどね。


 食事を終え、また眠くなってきた。

 体もあちこち痛いし、なんか訳が分からないな。

「まだ眠いの?」

「え、ああ」

「少し寝たら」

 壁に持たれ、腕を組んだままそう呟く丹下。

 窓へ背を向けているため、その表情は逆光へと消える。

「……何をしてたとか、何があったとか。いちいち聞かれるのは嫌だろうけど」

「別に、嫌じゃないよ」

「コニャックが減ってるとか、ライターがないとか、タオルケットが汚れてるとか。聞いてもいいの」

 丹下の言う通り、言葉に詰まる。

 他人からの気遣いを、俺はそれ程望んではいない。

 むしろ、避けている。

 彼女もそれを分かってくれているから、最小限の事しかしてこない。

つまり、そうして気を遣わせている。

 自分は自分で、他人は他人。

 今までそう思って、距離を保ってきた。

 ユウ達のような例外はあるが、それでも近付き過ぎる事はない。 

 彼等が何といおうと、俺はその距離を変えてこなかった。

 それでいいと思っていた。

 これからも、そうなのだと。

「……ごめん、変な事言って」

 小声で謝る丹下。

 その表情は、やはり逆光の中に消えたままだ。

「少し、外へ行こうか」

「ああ」


 痛みを堪え、中庭を歩く。

 元々弱っていたところへ、昨日外で寝たのが堪えた。

 脇以外の傷も、きりきりと痛んでくる。

「大丈夫?」

 軽く手を振り、額の汗を袖で拭う。

 晩秋の午後。

 暑いはずはないのに、全身に汗をかいている。

 幸い風邪を引いた訳ではなく、傷の発熱と急に運動したせいだろう。

 どっちにしろ、きついのに変わりはない。

「座ったら」

「あ、ああ」

 ほんの少し前にあるベンチへどうにか近付き、崩れるようにしゃがみ込む。

 弱り過ぎだ。

 馬鹿な事をし過ぎとも言える。     

「……でも、頑張るわよね」

「何が」

「浦田がよ」

 表情を和らげ、俺の顔を指差す丹下。

 言っている意味が分からないので、その指をじっと見つめる。

「とにかく自分の力でやろうとするし、最後にはそれを成し遂げる。弱音も文句も言わずに、誰のせいにもしないで」

「自分勝手なんだよ、俺は」

「自律心が強いって言うの。でも……、もう少し人を頼ってもいいと思う」

 間を置いて、静かに語る丹下。

 それは俺の答えを促すためというよりは、彼女の考えを伝えるようだった。

「前も言ったけど、あなたは大抵の事を自分だけで出来る。それに、人を頼るのが好きじゃないのも分かってる」

「そうかな」

「それは立派で、強い生き方だと思う。だけど、もっと弱くてもいいと思う。そこまで自分を律しなくても」

 花壇を見つめたまま、淡々と語る丹下。

 俺は枯れた木々を、見るとは無しに視界へ収めていた。

「冷静で、醒めているのもあなただけど。それとは違うあなただっている訳でしょ。……ごめん、今の話忘れて」

 強引に話を打ち切り、丹下はベンチから立ち上がった。

 秋の日差しが彼女を照らし、その陰が俺に落ちる。


 光の中にある丹下と、闇に溶けている俺。

 心象風景と言ってしまえば、それまでだが。

 そのくらいの違いがあると、思わずにはいられない。

 気に掛けてくれるのは嬉しい。

 けれど。

 俺の傍にいても、彼女があるというんだろう。

 俺なんかの世話を焼くより、自分の事をしていて欲しい。

 こんな所で無駄な時間を過ごして良い人では無いんだから。

 俺とは違う、もっと彼女にとってふさわしいところがあるはずだ。

 それは少なくとも、俺と一緒にいては得られない。

 だから、もうここへは……。

「どうかした。怖い顔して」

「え。ちょっと、風が」

「薄着だものね。そろそろ、戻ろうか」


 彼女が手を差し伸べるより早く俺は立ち上がり、足早に歩き始めた。

 鈍い痛みを感じながら。  





 






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