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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第8話
73/596

エピソード(外伝) 8-3 ~ケイ視点~





     8-3




 部屋の中が、暖かくて明るい。

 それは決して、暖房や日差しのせいだけではない。

「可愛いね、これ」

 枕元にあった、白いウサギを手に取り笑う。

 モノクロだった景色が、華やかに彩られてもおかしくないくらいの笑み。

「牛乳ばっかり」

 今度は冷蔵庫を開け、おかしそうに笑っている。

 室内には、それへの会話と笑い声が広がっていく。

「漁るな」

「だって、面白いもん」

 子供っぽい答えを返し、冷蔵庫にあったミニサイズのショートケーキを手にする。

「あ、美味しいこれ」

「だから、食べるなって」

「もう遅い」

 口に付いたクリームを舐め取りながら、ユウはそう言い放った。  

 それはいいが、何しに来た……。


 勿論見舞いの品を食べに来た訳はなく、わざわざ会いに来てくれたのだ。

 丹下程ではないが、彼女も良く顔を見せてくれる。

 この二人は「そんなに来なくてもいいから」と言っても、聞いてくれない。

 斬られた時一緒にいたのを気にしてるのだろうが、こっちは全く気にしていない。

 むしろ、そうして気に病む方が困る。

 俺の事なんて、放っておけばいいと思うんだが。

「いやだ。本当に美味しい」 

 ユウからもらったケーキを、嬉しそうに食べているサトミ。

 日頃は冷静だが、一度火がつけばユウかそれ以上。

 思考、面立ち、スタイルと全て申し分なし。

 そしておそらく将来の義姉であり、他の女の子とは違う気持を抱く時もある。

 勿論それは、恋愛感情とはまた違う物だが。

「甘い」

 ケーキを食べたくせに苦い顔をするのは、玲阿家のおぼっちゃま。 

 こいつも外見、性格、能力、家柄と何もかもが揃っている。

 最近は甘い部分も抜けてきたし、ユウともいい感じになってきているようだ。

 3年掛かって、やっと。


「でも、顔色は良くなってきてるわね」

 安堵と若干の怒りを込めた視線を、サトミが向けてくる。

 それも俺を心配してくれる一心から来ているので、こちらとしてはただ頭を低くするしかない。

 また彼女は意外と気弱な面もあり、今回は一番心配を掛けたのかもしれない。

 今さらどうしようもないとはいえ、本当に申し訳ない事をした。

「あなたはショウみたいに強くないんだから、これからは大人しくしてなさい」

「分かってる」

「どうだか」

 ため息を付き、ベッドサイドに腰掛けるサトミ。

 俺の代わりに寝ていた方がいいくらいの疲れ方である。

 それは俺の心配だけではなく、また別な理由のようだが。

 ただ彼女にはモトやユウ達が付いているので、心配する必要はない。 

 それに、自分で立ち直る事が出来る子でもあるから。

 彼女が悩む理由など、そう幾つも無いのはこの際忘れるとして。


「寝れば」

「あなたのベットでしょ」

「シーツは替えてる」

 掛け布団を上げ、半ば強引に彼女を横にさせる。

 傷が少し引きつったが、いい運動だ。

「もう。私は病人じゃないのよ」

「昼寝だって、昼寝」

「全然分かってないんだから」

 苦笑の中に見える、小さな感謝の眼差し。

 気にするなと、俺も目線で応える。

 少なくともここにいる連中とは、そのくらいの事は出来る。

 おそらくは、俺の思い込みではなく。


 と思っていたら、険しい視線が向けられた。

「サトミだけ甘やかして」

「だったらユウは、そこに座ってろよ」  

 ショウの膝の上を指し、鼻で笑う。

「またそういう事言う。私はね、もう15才なの。大人の手前」

「だったら、拗ねないでくれるかな」

「う、うう」

 返す言葉がないらしく、小さく唸るユウ。

 怒りや衝動を抑え込んでいるのが、誰の目から見ても分かる。

 だから子供なんだ。

 それが、彼女の魅力でもある。

「ユウ、こっち」

 布団を上げ、手招きするサトミ。

「うん」

 一転笑顔になり、そこへ飛び込むユウ。

 今は彼女も精神的に不安定だし、和んだ雰囲気に浸るのはいい事だろう。

 特にこの二人はコンビなので、こうしていれば少しは気も楽になると思う。

 お互いを思い合う姉妹、とでも言うのだろうか。

 仲良くベッドに収まってる様は、絵にして起こしたいくらいの煌めきを感じさせる。

 大体ユウはもう少し、自分の外見に自信を持てばいいだが。

 比較対象をサトミするからおかしいんで、元々基準が違ってるんだ。

 綺麗と可愛い、なのだから。


「お前は寝て無くていいのか」 

 格好良いお兄さんが、声を掛けてきた。

 この場合も、俺とは比較対象にならない。

 全く別な生物、もしくは別な進化の過程を経たのだろう。

 男でも振り向くような外見を持ちながら、それをさほど気にも止めない男。 

 こいつの場合外見以上に、内面が出来てるからな。 

 それが磨かれる分、また外見も良くなっていく。

 俺にとっては、結構嫌な相乗効果だ。 

「調子も良くなってきたし、昼から寝てても仕方ない」

 素っ気なく答え、軽く伸びをする。

 脇腹が引きつり、すぐ体を折ってしまう。

 分かっていても、これだ。

「あんな事するからだ」

 呆れ、それとも諦めか。

 ため息混じりに、そんな言葉が聞かれる。

「よくそう言うけど、自分が同じ立場だったらどうした」

「助けるかな、多分」

「俺もそうさ。斬られるためにやった訳じゃない」

「でも相手が、お前に色々やってた大内さんだろ」

 やや言いずらそうに、尋ねてくるショウ。

 つまり俺へ嫌がらせをした彼女のために、そこまでする必要があったのかという事だろう。

「俺は大内さんへ、それ程悪い気持ちは持ってない」

「お前の考える事は分からん」

「いいんだよ、分からなくても」

 鼻で笑い、脇を押さえる。

 分からないと言ったショウだが、こいつこそ例え相手が誰でも助けるだろう。

 そして俺のように、怪我を負う事無く。


「大体その前に、相当殴られたんだろ」

「おしっこを洩らしてしまいましたよ、僕は。高校生にもなって」

「本当に、どうしてそこまでやるんだ」

 今さら言われても困る。

 俺だって、好きで斬られたり殴られたりした訳ではない。

「お前らしいと言えば、らしいけどな」

「あ?」

「そこまで、人のために何か出来るって事さ。それか、自分の考えを曲げないのが」

 からかい気味に呟くショウ。

 俺は鼻を鳴らして、軽く流した。

 そう言ってもらえるのは結構だが、それは言い過ぎだ。

 駄目とは行かないまでも、世間並みからは下回っている人間だという自覚くらいはある。


「それで例のディフェンスラインとかは、大丈夫なのか。聞いた話だとおかしな連中は全員捕まって、かなりまともになったって聞いてるけど」

「さあ。俺は外に出られないから、そういう話には疎いんで」

 前自警局長から聞いた事柄をするのは色々と問題があるため、いい加減に答える。

 彼から聞いた話はショウ達に聞かせず、俺の胸の中に留めておけばいい。

 話しても仕方ない内容だし、聞いたからどういう事でもない。

 前自警局長は悪であり、そのために退学した。

 それが違っているとなれば、ユウはまた悩むだろうし。 


「どうした」

「病院のご飯は、味気ないなと思って」

 昼食として出された、金目鯛の煮付けをつつく。

 まずくはないが、そう食欲が沸くメニューでもない。

 たまには、体に悪そうな物でも出して欲しい。

「私は、好きだけど」

 言ってる先から、人の金目鯛を食べるユウ。

 彼女達は、病院前の店で買ったハンバーガーやフライドチキンを食べている。

 食事制限はされてないので、俺も少しは食べる。

 ただ栄養士からカロリーや栄養バランスの注意は受けているため、その量はどうしても限られる。

 入院していれば動かない生活が続くので、致し方ないとは思う。

 でも、味気ない……。

「サラダはいいんでしょ」

 小さなカップに入った、プチトマト入りのサラダをサトミが差し出してくる。

 いいけど、食べたくもない。

 それでもカップは、俺の前へと置かれた。

「ドレッシングは」

「あれは、意外とカロリーが高いのよ」

 そう言って、自分の分には掛けている。

 そして俺のには、ワゴンの上にあった塩を掛けてくれた。

「ああ、美味しい」

「良かったわね」

 楽しんでるな、他人の不幸で。

 俺は何も楽しくないし、美味しくもない。

 大体生ピーマンって、塩で食べるのか?

「ちょっと足りないな」

 ユウのフィッシュバーガーまで食べやがった男が、ぽつりと洩らす。

 それを見かねたのかそれともお腹が一杯になったのか、ユウが食べていたおにぎりの半分を彼に渡した。

 はにかみ気味にそれを受け取り、美味しそうに食べる男。


「……見てられないな」

「ケイも、丹下ちゃんにそうしてもらってるんじゃなくて」

「まさか」

「あなた、そういうの嫌がるものね」   

 共感めいた笑いを浮かべるサトミ。 

 俺の事はある意味ユウ達以上に分かっているため、その辺はすぐ理解してくれる。

 あんな光の彼女にしておくのは、本当にもったいない。

 あいつは俺よりはまともだけど、普通でもないからな。  

 しかし「考え直したら」と言える訳もないので、放っておくしかない。

 全く、困ったものだ。

「どうしてレバー食べるの。そう好きじゃなかったでしょ」

「体にいいんだよ」

 丹下が昨日置いていった、レバーをかりかりに焼いたやつをかじる。

 美味しいんだけどね……。

「そう」

 俺と、そのレバーが入ったランチボックスをじっと見つめるサトミ。

 切れ長の綺麗な瞳が細まるが、気にしないでおいた。

「可愛いランチボックスだね」 

 明るく尋ねてくるユウ。

 サトミのように、無言でプレッシャーを与えるような事はしない子だ。

 そう、彼女はまっすぐに生きている。

 だから聞き方も、まっすぐだ。

「沙紀ちゃんが持ってきたの?」

「あ、ああ」

 さすがに、それには歯切れが悪くなる。

 その間に、サトミの視線は部屋の中へと向けられる。

 今までここへは何度も来ているが、この辺りで一つ突っ込もうとでも思ったのだろう。

 それを無言でやってくるから、こっちも参る。


「今日、いないじゃない」

「昨日来た時、置いていってくれたんだ」

 では何故、今日丹下がいないか。

 おそらくは、俺達だけの時間を作らせるつもりだったのだろう。 

 そんな事を気にする人間はいないのだが、そういう配慮をする子なのだ。

 またここにいて、何か言われるのを避けたのかもしれない。

 俺に全てを押し付けて。

「昨日も来て、その前も来て。いつもいるわよね、丹下ちゃん」

「そうだった?」

 すっとぼけるが、全然聞いてない。

 とうとう立ち上がったサトミは、ワゴンや机の上などをチェックし始めた。

 しかし見られて困るような物は事前に隠してあるので、そうは問題ない。

「ナイフ、ね」

 果物ナイフを手に取り、薄く微笑むサトミ。

 そこからは

 「ろくに皮も剥けないあなたが、何故こんな物を持っているの」

 という声無き言葉を感じ取れる。

「綺麗なメモ書きね」

 検査の時間や、簡単な注意事項が書かれたノート。

 「どう見ても、あなたが書いた字とは思えないわ」 

 という更なる言葉。

「隠しカメラでも、置いていこうかしら」

「俺の着替えが映るくらいだと思うけど」

「さりげなく、それを手伝う人がいたりして」

 やぶ蛇だったか。

 さすが、学年トップは伊達じゃない。

「冗談よ。さっきも言ったけど、あなたそういうの嫌がる物ね」

「自分の事くらいは、自分でしないと」

「それは分かるけど、せっかく来てくれてるんだから少しは頼ってもいいと思うわ。多分向こうも、そうしてくれるのが嬉しいと思う」

 諭すように語りかけてくれるサトミ。

 優しく思いを込めて、駄目な義弟へと。

「分かってるけど、性格的にちょっと。それに、俺はそういうキャラじゃないし」

「怪我人なんだから、それは関係ないでしょ。少しは頭に入れておきなさい」

「ああ」

 曖昧に答え、香ばしいレバーをかじる。

 無理だなと思いながら。

 俺が自分でやろうとするのは、照れや恥ずかしさ以前に心苦しいからだ。

 自分で出来るのに、それをわざわざ人にやってもらうという事が。

 確かに楽ではある。

 ただ、だから何だと思ってしまう。

 自分の面倒くらいは自分で見るべきで、他人を頼るのは本当にどうにもならなくなったときだけにすればいい。 

 そして今の俺は、そこまで追いつめれられてはいない。

 ただサトミの言ったように、丹下がどういう気持でここへ来ているを考えると困る面もある。

 入院して一番の悩みは、もしかするとそれなのだろうか……。



 ロビーまで降りて、帰っていくみんなを見送る。

 何か言いたげなユウも、すぐにきびすを返しサトミ達の後を追って走っていく。

 自分を責めるではないけど、今回の一件でかなり参っている彼女。

 今までのトラブルのストレスが、ここに来て一気に吹き出したのだと思う。

 ただ俺が何を言おうと、彼女は聞こうとしないだろう。

 結局それを解決するためには、ユウ自身が答えを見いだすしかない。

 だから冷たいと思われても、積極的にはこの話題を持ちかけない。

 そして彼女がどういう結論を出そうと、俺はそれに従うつもりだ。

 何と言っても、雪野優は俺達のリーダーなのだから。


 時間としては消灯時間間近。

 よろよろと病室へ戻っていくと、吉家さんが廊下の手すりを伝っていた。 

 自主練ではないけれど、少しでも早く自分の足で歩きたいという気持の現れだろう。

 声を掛けるのも何だと思い、踊り場の辺りで壁に持たれていた。

 ああいう健気さや頑張りを見ていると、胸の詰まる思いがする。

 あまりにも俺とはかけ離れた、そして持ち得ない気質。

 羨望、それとも憧憬。

 年下の彼女に抱く感情ではないかもしれないが、今の俺の胸にはそんな気持が去来していた。


 いつまでも聞こえる足音に耳を傾けていると、それへ慌ただしい音が重なった。

 続いて、男の声がする。 

 この声は、例のあいつか。

 外来なのに、どうしてこんな時間までいるんだ。

 それはともかくリハビリ室での事を考えたら、放っておく訳にはいかない。

 脇腹や手足の痛みが多少気になるが、俺は階段を上り始めた。


 案の定、吉家さんの前に立ちふさがる男。

 彼お得意のスタンドプレーを目の前でやられたため、何やら文句を言っている。

 彼女にそのつもりはなくても、こいつには通じないだろう。       

「人の目を引いて楽しいか」

「わ、私はそんな……」

「いいから、そこどけよ」

 大きく手を振り、吉家さんを払いのけようとする男。

 だがその手はさらに大きく流れ、たたらを踏む。

「なっ」

「お前こそ、邪魔だ」

 俺は男を蹴りつけた足を引き、吉家さんを後ろへかばった。

 無理な動きをしたせいで、体中が激しく痛む。

「う、浦田さん」

「後は俺に任せて、病室へ帰って」

「え、でも」

 困惑する彼女へ後ろ手で手を振り、強引に促す。

「わ、分かりました」

 背中に聞こえる足音を確認して、壁に持たれる。

 走るは蹴るはで、ちょっとやり過ぎた。

 ただ吉家さんはもういないので、心配事はない。


「お前、何のつもりだ」

「子供をいじめる奴に言われたくないな。悲劇の主人公さん」

 一瞬にして男の顔が真っ赤になり、口元から唸るような声が漏れだした。 

 本人も、自覚はあるらしい。

「外来の患者なら帰れよ。それとも、看護婦に慰めてもらいに来たか」

 さらに唸る男。 

 底が浅いな。

「この野郎っ」

 手にしていた杖が振りかぶられ、俺の真上から振ってくる。

 速度も迫力も何もない。

 ただ振り回しただけだ。

 当たる訳がない。

「おっ」

 肩口をすれすれで杖が通り過ぎ、脇の辺りから汗が噴き出る。 

 何だこの体、全然動かん……。


 ただ男も杖で思いっきり壁を叩いたため、腕が痺れたようだ。

「こ、この」

 懲りる事無く、すごい形相で俺を睨む男。

 杖は止め、蹴ってくるつもりらしい。

 構えも何もない、ただいい加減に出した回し蹴り。

 大体こいつは足を怪我をしてるのだから、当たっても大した事は……。

「がっ」

 男の足が俺の右腕をしたたか捉え、そのまま脇腹を刺激する。

 頭の先まで突き抜けるような痛みに、そのまま床へと倒れ込んだ。

 息も出来ないような激痛で体を丸めていると、背中が何度と無く押された。 

 いや、蹴っているのか。

 今は脇の痛みがひど過ぎて、何も感じない。

 元々素人の蹴りなので、威力が無いというのもある。

「こ、今度俺に口出しして見ろ。この程度じゃ済まないからな。分かったか」

 返事をする気もそんな余裕もなく、とにかく激痛に耐える。

 すると再び、背中が押された。

「分かったのかっ」

 しつこい野郎だな、分かったから帰れよ。

 俺は適当に手を振り、返事の真似事をした。

「ちっ。弱いくせに、格好付けやがって」

 なるほどと思わせる事を言い捨て、足音が遠ざかっていく。 


 確かに俺は弱いが、その辺の奴とやり合って負ける気はしない。

 それがまさか、ここまで弱っているとは。

 本当、格好付け過ぎた。 

 これを誰かに見られていたら、相当に恥ずかしいだろうな。

「くぅ」

 多少痛みが収まってきたので、壁伝いに立ち上がる。

 周りを見渡すが、吉家さんも患者や看護婦の姿もない。

 あるのは、ホコリまみれになった俺だけ。

 そして俺はさっきの彼女と同じく、手すり伝いに廊下を歩き始めた。

 自分の馬鹿さ加減に呆れつつ……。



「どうしたの、それ」

「トイレに行こうとして、転んだ」

 頬や額にある生傷をじっと見つめてくる丹下。

 昨日の事を話す訳にはいかないので、無表情でそれに答える。

「足の怪我は、それほど大した事無いと思ってたのに」

「運動不足で、突っ張ったんだよ。俺も、もう年かな」

 ベッドから降りて、軽く体を解す。

 どうも顔以外にも痛めたらしく、昨日までは無かった場所が多少痛む。

「ジュース買ってくる」

「私が行く」

「子供じゃあるまいし、そのくらい平気だって」

「だったら、付いていくわ」 

 ますます子供だな。


 とはいえ断る理由もないので、丹下と一緒にラウンジへとやってきた。

 病室のあるフロアではなく、リハビリ室が近い所へと。

 またあいつが来ていたら、吉家さんに何かするかもしれない。

 看護婦や警備にはそれとなく伝えてあるが、俺の飲みたいパイン炭酸がここにしか売ってないからでもある。

「あ、あの」

「いいから」

 見た事のない栄養ドリンクのボタンを押し、満面の笑みでその瓶を取り出す丹下。

 なんだこの、「本当のマムシを使ってます」という但し書きは。

 そんなの、偽物でいいんだよ。

「……まず」

「大丈夫大丈夫」

 自分はイチゴオレを飲んでいるで、陽気に笑っている。

 しかしこんなの飲んで、夜寝られるのか。

 大体栄養ドリンクのくせに、300mlは多過ぎるだろ。


 苦みというか渋みというか。

 言い表しようのないまずさと戦っていると、またあいつの姿が見えた。

 向こうも俺をすぐに見つけ、嫌みな笑みで近付いてくる。

「やあ。昨日は大変だったね」

「別に」

 本当に何でも無かったので、そう答える。

 ただ向こうは俺の虚勢と取ったらしく、威丈高となって笑い出した。

 あくまでも周りの目は気にして、小さくだが。

「弱いくせに、格好付けるなよ。なんなら、またやるか」

 調子に乗るとは、まさにこれか。

 俺は腹を立てる気すらなくし、変な構えを取る男を眺めていた。

「誰」

 そんな会話に、怪訝そうな顔で尋ねてくる丹下。

 「また下らない事をして」という顔にも見える。

 すると男の瞳に、それまでとは違った輝きが宿った。


「君は、彼の知り合いか」

「ええ」

 警戒気味に頷く丹下へ、男はわざとらしい仕草で首を振った。

 どこかの劇団にでも所属してるんだろうか。

 面白いから、もっとやって欲しい。

「こんな奴放っておいて、俺と遊びに行かないか。それとも車で来てるから、家まで送って上げるよ」

「結構」

 はっきり断る丹下にも、男はめげた素振りを見せない。

 本当、面白いなこいつ。

「君みたいな綺麗な子が、こんな奴の面倒見て無くてもいいだろ。その優しさは素敵だけど、後は看護婦に任せて」

「あなたも患者でしょ。診察でもリハビリでも済ませてきたら」

「もう終わったよ。取りあえず、今からレストランの予約を入れる」

 端末を取り出し、操作し始める男。 

 強引なのがテクニックなのかな。

 とにかく、俺の事など全く眼中に無いらしい。

「いい加減にして。私は、あなたに付いていく気はないの」

「だからって、そんな男にかまっていても仕方ないだろ。そんな弱くて情けない奴に」

「なに、それ」

 一瞬にして丹下の表情が引き締まり、細くなった瞳が俺を捉える。

 それをどう勘違いしたのか、男は輝くような表情で話し始めた。

「言ってもいいけど、彼が傷付くから止めておくよ」

「どういう事」

「自分の面倒も見られないのに、格好付けるなっていう意味さ。床へ這いつくばった時には、俺の方が情けなくなったよ」

 顔を伏せ、深く息をする丹下。

 それを俺への呆れとでも取ったらしく、男の顔に余裕の笑みが浮かぶ。

「ケンカするのはいいけど、少しは相手を見てやるんだな」

「その相手が、あなたという訳」

「掛かってきたから、やり返しただけだ。軽く蹴っただけで倒れるんだから、参るよ」

 風の鳴る音がしたと思った時には、男の顔に汗が噴き出ていた。 

 こめかみ寸前で止められた上段回し蹴り。

 全く揺るぎないバランスで足を戻した丹下は、凛々しさを増した表情で男へ視線を送った。

「だったら、私が代わりに相手をするわ」

「な、何を言ってるんだ」

「ケンカを売ってるのよ」

 固めた拳を、男の鼻先へ突き付ける丹下。

 男は泣き出しそうな顔で、よろけるようにして壁際へと追い込まれた。

「今すぐ消えて」

「え、ええ?」

 微かに動いた拳が、男の前髪を激しく揺らす。

 男は杖を脇に抱えると、恐ろしい早さで廊下を駆け抜けていった。


「治ってるじゃないか、あいつ」

 取りあえず軽く笑い、丹下を振り向く。

「あんな事言われて、何黙ってるの」

 馬鹿にされた俺以上の怒りをもって、声を上げる彼女。

 それでも怒りは収まらないらしく、しきりに床を蹴りつけている。

「落ち着けよ」

「出来ないから、こうしてるんじゃない」

 言っている事は、きわめて理にかなっている。

 やっている事は、ともかくとして。 

「あなたが何したのかは知らないけれど、もう」

「だからいいんだって。俺はどうでも」

「普段なら、私も心配はしないわ。でも今は、事情が違うでしょ」

 真剣な眼差しで、まっすぐに見つめてくる丹下。

 そうされると俺も返す言葉が無く、ただ頭を下げてしまう。

「ごめん」

「謝っても仕方ないでしょ。私はただ……」

 丹下も言葉が続かなく、伏せた顔からため息が洩れる。 

 俺と彼女の間に流れる、入院してから何度目かの沈黙。

 原因はいつも俺の、こういった行動にある。

 自分の理屈だけで行動して、彼女を困らせてしまうという。

 俺は自分のする事に間違いがあるとは思ってないし、それを変える気もない。

 ただ彼女をこういう顔にしてしまうのは、正直辛い。 

 悲しみでも怒りでもない、やりきれないような表情は。

「……さ、病室へ戻りましょ」

 それまでの雰囲気を振り払うように、やや声のトーンを上げる丹下。

 そして俺も、何の解決や変化を見せる事無くそれに乗ってしまう。

 これでいいのかどうかは、分からない。

 彼女が、どう思っているのかも。

 俺は今まで感じた事のない気持を抱きながら、丹下の後を付いていった……。




 何をするでもなく、窓の外を眺めていた。

 相変わらず木枯らしが吹きすさび、木々に緑は見受けられない。

 澄んだ空に浮かぶ雲はやはり薄く、天気の良さとは裏腹な雰囲気である。

 病室内の暖かさとは違う、晩秋の光景。

 だからなんだという訳でもないが。

「ずっと外見てて、面白い?」

「ああ」

「寒いよ、外」

「ああ」

「聞いてる、私の話」

 突然体が揺すられ、強引に振り向かされる。

 秋の日差しに輝くロングヘアと、大きな黒の瞳。

 愛らしい笑みを浮かべた少女は、そのまま俺を小さく揺すった。

「痛いよ、永理」

「じゃあ、人の話はちゃんと聞いて」

「ああ」

 また適当に答えると、永理がさらに揺すってきた

 とはいえそれは心地良い程度の揺れで、傷が痛むような事はない。

 やや元気がない雰囲気の俺を、軽く和ませるつもりなのだろう。

 俺の妹とは思えない可愛らしい外見と、素直な優しさ。

 一度、DNA鑑定をしたいくらいだ。


「学校、今日あるんだろ」

「いいの。私は優等生だから」

「俺とは違って、休んでも平気だって?」

「その通り」

 明るく笑い、ベッドサイドへ座る永理。

 赤のジャケットに淡いクリーム色のショートスカート。

 兄の俺が言うのもなんだが、なかなかに可愛い。

 ただ彼氏という単語を聞いた事はなく、その辺りは謎だ。

「永理って」

「なに」

「好きな子とかいる?」

 唐突な質問にも、動じる気配はない。

 その点は、やはり俺の妹だ。

「いいなって思うくらいは。でも、付き合いたくなるような人はいない」

「あ、そう」

 わざわざ聞いておいて、素っ気ない相づちを打つ。

 永理もそれには慣れているので、別に怒りはしない。

「どうしてそんな事聞くの」

「俺も一応は兄貴だから、多少は気になるさ」

「人を心配してる暇があるなら、自分の世話を焼けば」

 もっともな答えを返してくる妹。

 性格的には素直さが目立つが、その機転も並ではない。

 勿論、身内のひいき目を差し引いてもだ。

「例えば、丹下さんとか。それとか、丹下さんとか。後は、丹下さん」

「全部丹下じゃないか」

「ああ、そうだね」

 すっとぼけて、ベッドに寝転がる永理。

 スカートの裾がはだけ、細い足が上の方まで見えるようになる。

「永理」

「あ、はい」

 俺の言いたい事が分かったらしく、すぐ裾を直す。

 別にしつけや身だしなみという訳ではないが、注意する点は口にする。

 勿論それは相手が妹だからであって、他の女の子がやっていたら黙って目の保養をさせてもらうだけだ。


「それよりも、珪君こそ丹下さんとどうなの」

「どうもこうもない。彼女はこの前の事を気にして、付き添ってくれてるだけだよ」

「本当に、そう思う」

 大きな瞳に真剣さが宿り、心の中を見透かすように視線を投げかけてくる。

 大抵の者なら動揺してしまうだろう、力の込められた眼差し。

 ただ俺はその程度で慌てる程純粋ではないため、鼻を鳴らしてそれに応えた。

「彼女みたいな子が、俺なんか相手にしないさ。釣り合いが取れないだろ」

「外見はね」

 あっさり言ってくれる我が妹。

「でも珪君馬鹿じゃないし、やるべき事はしっかりやるじゃない。釣り合いが取れないとは、思わないけど」

「いいんだよ、そんな事はどうでも。それと、丹下にこの話はするなよ」

「うん……」

 多少不満げであったが、それでも永理は小さく頷いた。

 丹下と俺、ね。

 それこそ月とスッポン、女神と悪魔だ。

「さてと、お茶でももらってくるか」

「私が行ってくる」

 俺より先に、水筒を手に取る永理。

 日に2度配膳室でお茶が配られるので、食事時のために俺もそれをもらいに行っている。

 水筒には妙に可愛らしい動物の絵が描かれていて、これを持っていくのは恥ずかしいんだが。

「いいよ、俺が行くから」

「病人は寝てなさい」

 軽く俺をたしなめドアへと向かった永理が、ふと後ろへ下がる。

 それより先にドアが開き、俺と同じ顔をした奴が入ってきたのだ。

「お兄さん」

「やあ、永理」

 多分俺には一生浮かばない、穏やかな笑み。

 双子の兄である光は、そんな笑みを不肖の弟にも向けてきた。


「私ちょっと用事があるから、珪君の事お願いね」

「ああ、気を付けて」

「うん」

 軽快な足音を立て、永理が部屋を出ていく。

 下らない見送りの言葉を掛けた兄上は、手にしていた紙袋をベッドの上に置いた。

 よく分からないが、取りあえず開けてみる。

「バナナ?」

「お見舞いといったら、バナナ」

「いつの時代だ、それ」

 とはいえ結構つぼにはまったので、つい笑ってしまう。

 悔しいが、さすがは俺の兄貴だ。

 人が笑う所を、しっかりと抑えている。

「修士論文は」

「一休み。今は、高校生だよ」

 俺がいないからと言って、大学院を休んでまで高校に来ている光。

 人がいいというか、何も考えて無いというか。

 勉強してろよ、お前は。

「調子、良さそうだね」

「ああ」

 愛想のない返事をして、光の顔を見上げる。

 俺によく似た外見と、全く違う雰囲気を持つ男。

 大抵の奴に負ける気はしないが、おそらくこいつには絶対敵わない。


 何が、どうという訳ではない。

 ただ、勝手にそう思っているだけだ。

 兄、能力、生き方、性格。

 それらが俺の中で、複雑に絡み合っているのだろう。

 俺とは違う、穏やかで人を安心させる佇まい。

 それを羨む気持は無いが、引け目を感じるのは確かだ。

 これは誰にも分からないだろう、俺だけが抱く感情でもある。

「どうかした」

「別に。それより、サトミとはどうなってる」

「変わらないよ、僕も彼女も」

 普通に、何のよどみもなく答える光。

 そう返ってくるのは、最初から分かっていた。


 確かに、何も変わっていない。

 仲の良い、お互いを信頼しあうカップルという図式は。

 ただ俺は、そんな彼等に若干の不安というか疑問を抱かずにはいられなかった。

 誰もが羨む、仲むつまじい二人。

 本人も、そしてユウ達もそれを当たり前のように受け止めている。

 しかし俺は、そんな彼等を危ぶむように見てきていた。

 具体的に、何かがあった訳ではない。

 この先俺の不安は、全くの杞憂で終わる可能性もある。

 それなら、それでいい。

 第一、俺がいちいち口出しすべき事でもない。

 光はともかく、サトミが幸せならそれでいいのだから。


 そんな俺の考えを、はたしてこいつは分かっているのだろうか。

 双子には不思議なつながりがあり、一種の精神感応能力があるとも言われている。

 少し、試してみるか。

 取りあえず、光の前にあるペットボトルを取ってもらおう。

 意識を集中して……。

「そろそろ、冬瓜の季節だね」

「ああ」

「でも、あれってあんまり美味しくないんだよね」 

 ……全然駄目だ。

 というか、そんな事が出来たら苦労はしない。

 大体、何が冬瓜だ。

 どこから、その発想が出てくる。

 まあ、そういう奴だから仕方ない。

「ところで、お兄さん」

「何でしょう」

 作った真顔で見つめてくる光。

「俺、お金がないんですよ」

「それは、大変ですね」

「もしよかったら、幾ばくか工面してもらえると非常に助かるんですが」

 他の誰にも頼まない、光にだけ頼める事。

 何だかんだ言っても、やっぱりこいつは俺の兄貴だから。

「惜しかったね」

「あ?」

「この間本をたくさん買い込んで、僕もお金がないんだ。来月まで、待ってもらえるかな」

「遅いよ……」

 なんだ、使えない兄貴だな。

 最初から当てにしてなかったけど、聞くくらいはいいだろうと思ったのに。

 やっぱりか。

「それなら、ユウ達に頼めば」

「出来ないから、頼んでるんだろ」

「変な所で、気を遣うね。禿げるよ」

 「その時はお前もだ」と、心の中で突っ込む。


「ごめん、遅くなっちゃって」

 ドアが開き、水筒を抱えた永理が戻ってきた。

「お兄さん、大学院はいいの?」

「ああ。僕は、優等生だから」

 すると駄目なのは、俺だけか。

 とはいえ反論も出来ないので、特に口を挟まない。

「珪君も、少しはお兄さんを見習ったらいいのに」

「俺だって、お前の兄だ」

「赤点、追試、停学、生徒会除名。それで、誰が兄だって?」

 言いにくい事をさらりと言ってくる永理。

 やはり反論が出来ないため、黙ってやり過ごす。

 改めて聞くと、ろくでもない人間だな俺は。

 自分でも、そんな人間を兄とは呼びづらい。

「いやいや。珪も良い所はたくさんあるよ」

「例えば?」

「すぐには出てこないけどね」

 何だそれ。

 だったら言うなよ。

 というか、身内なんだから少しは褒めてくれ。


「そんな事はともかく、まだ退院出来ないの?」

「当分無理さ。やっと傷がふさがったって所なんだから」

「そうなんだ」

 小さく呟いた永理は、ベッドを降りて窓辺へと立った。 

「誰かもよく分からない人のために……」

「いいんだよ、俺が勝手にやったんだから」

「そうだけど」

 不満の残る表情で、窓の外を見つめる永理。

 色々言いはするが、やはり俺を気遣ってくれている。

 それに対して、何も言う事が出来ない。

 謝っても仕方ない、自分を責めても意味がない。

 悪いのは俺で、それは痛い程分かっているのに。

 結局は、みんなに迷惑を掛けているだけだ。

 勿論あの時の判断、行動を後悔する気持ちはない。 

 ただ永理が浮かべている、そして時折丹下が見せる表情を見ていると。

 いい知れない気持が胸に募ってくる。

 それを解決する方法が無いと分かっている分、余計に。


「お兄さんは、何も言わないの」

「僕が?」

 意外な事を聞かされたという顔の光。

 一応考える素振りは見せるが、何かが思い浮かぶような雰囲気はない。

「お兄さん」

「え、ああ。その、どう言えばいいのかな。左側が斬られなくて良かったね」

「何だそれ」

 ある意味正論で、結局は的はずれな答え。

 しかしそれには、俺だけでなく永理も笑い出した。

 つい深刻になってしまった自分が馬鹿馬鹿しくなったのかもしれない。

 こういう時は光のように、楽観的に考える方がいい。

 悩んでも、後悔しても、俺の怪我が治る訳ではないんだし。

 そして俺の、馬鹿げた行動も。

「もう、何言ってるの」

「ああ、ごめん。深刻な話、苦手でね」

「分かってるけど、もっと気の利いた事を言ってよ。仮にも、院生なんだから」

 矛先が光へと逸れたので、俺は新聞を読み始めた。


 相変わらず世の中は、事件に溢れてるな。

 何、マチュピチュの遺跡で反重力装置の痕跡を発見?

 具体的な装置は皆無だが、重力場の異変からその可能性があるらしいと。

 宇宙人が来てたって話も、あながち冗談じゃないのかな。

「珪君、聞いてる?」

「ああ」

 記事が面白いので、適当に返事をする。

 ある部屋では光の速度に変化が見られ、推測としては時間の変動、つまりタイムマシンの実験をしていたと思われる。

 ほう、昔の人は偉いもんだ。

 外宇宙を調べるより、こっちの方が宇宙人に近付くんじゃないか。 

「珪」

「ああ、聞いてる」

 聞いてないけど、そう答える。

 えー、なんだ。

 国連軍創設10周年記念の大会で、演説中の司令官にパイがぶつけられる。

 今時、そんなせこい事やる奴いるんだ。 

 お、続きがある。

 司令官は顔に付いたクリームを少し舐め、こう呟いた。

 「かく拌が甘い。作った人は、後で私の妻の所へ行くように」

 気の利いた奴だな。

「ケイ君」

「聞いてるよ。これからは気を付ける」

「何を、気を付けるの」

「自重する、自重。とにかく俺は今……」

 新聞から顔を上げると、そこに永理はいなかった。 

 代わりに、白のセーターにジーンズ姿のモトが立っていた。


「よう」

「こんにちは。兄弟で楽しんでるところを、悪いわね」

「何言ってるんですか、先輩」   

 コロコロと笑い、モトの肩へ触れる永理。

 中等部ではモトの下でガーディアンをやっていたので、一応は上下の関係にある。

「……部屋の外に、格好良いけど陰険な目をした男がいた」

「何か、された?」

「別に」

「放っておけばいい。事情は、後で話す」

 耳元でささやいたモトへそう返し、彼女がベッドの上に置いた紙袋を引き寄せる。

 永理はともかく光にこの手の話をしても仕方ないので、俺の胸に止めておく。

 「恨みを買った?呪い殺されても、日本の法律だと犯罪とは立証出来ないんだよね」

 と、下らない知識を聞かされるだけなので。

「来る度に、顔色良くなってるじゃない」

「新しい俺に生まれ変わりつつあるんだ」

「今度のケイ君は、真人間であって欲しいわ」

 真顔で言ってくるモト。

 光と永理も同じような顔で頷いている。 

 評判悪いな、俺。

 勿論自覚はあるけど。

「それで、これは何を持ってきたんだ」

「お父さんが、是非にって」

「という事は……」

 開けずとも分かる、その中身。

 モトのおじさんといえば、教務監査官。

 そして、健康食品の収集家。

 出てくるは出てくるは、色も見た目もぞっとしない物ばかり。

 とにかく、は虫類は止めろ。

 あと、昆虫も。

「こんなの、食べられないって」

「大丈夫。体にはいい、らしいから」

 絶対断言しないんだよな。

「光、疲れてるだろ」

「僕も、こういうのは」

 何かの尻尾を掴み、強引に渡す。

 それを、頭から丸かじりにする光。

 一気に顔が強ばり、近くにあったペットボトルが空になった。

「モト、まずいよ……」

「薬だもの」

「僕には、トカゲに見えたけどね」

「気のせい、気のせい」

 光の言う通りなのだが、まあいい。

 さて、永理には何を。


「ほら」

「ええ?」

「いいから、兄と先輩の気持ちだと思って」

「うー」 

 嫌な顔をして、それでもカサカサの木の枝を受け取る永理。

 掴むのも遠慮したい昆虫の干物もあるのだが、それを食べさすくらいなら俺が食べる。

「……苦い」

「血行が良くなる、はずよ」

「根拠は何なの?」

「民宿の人が、そう言ってたんだって」

 推定で、さらに伝聞。

 勘弁してくれ。

「さあ、ケイ君も」

「俺はいいよ」

「遠慮しないの。はい、特別にこれを上げる」

 モトが取り出したのは、小さな瓶。

 澄んだ茶色の液体には、白っぽい物が浮いている。

 溶けているのか、はっきりとは形が見えない。

 それ以前に、何なのかがはっきりしない。

「怪我にはこれが一番、という話」

「それじゃ、遠慮なく……」

 頭を下げ、瓶に口を付ける。

 そして思った。

 もしかして、斬られた時の方がまだましかなと。

 丹下のレバーとはまた違う意味で、ありがた迷惑だ。

 本当、受け取るのは気持ちだけにさせて欲しい。












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