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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第8話
72/596

エピソード(外伝) 8-2 ~ケイ視点~





     自分らしく




     8-2




 毎日朝食を摂っているせいか、朝から気分がいい。

 早く寝ているため寝不足も無く、今までいかに不摂生だったかが分かる。

 という訳でもないが、俺は屋上で空を仰いでいた。

 秋の高く青い空と、程良く澄んだ空気。

 普段なら見過ごしがちな日常。 

 それをこうして、感じていられる。

 視線の彼方には熱田神宮の森、霞んではいるが名駅のクワード(quad)タワーもおぼろげに姿を見せる。

 薄雲の向こうには瀬戸や多度山系も望め、子供じみた感慨を抱かせてくれたりもする。


 いつにない穏やかな気持で手すりに持たれていると、視界の隅に人影が映った。

 シーツを干しに来た看護婦ではないようだ。

 俺と同じように、息抜きへ来た患者だろうか。

 向こうも一人の方が気楽だろうと思い、階段のあるドアの方へ歩いていく。

 するとその人影が、手すりの向こうへ消えた。

 景色を、より良く見ようとしたので無いのは明らかだ。


「何してるんです」

 刺激しないよう、距離を置いて声を掛ける。

 振り向いたのは、俺よりやや年上っぽい男性。

 甘い顔立ちと、品のいい高そうな服装。

 近くの床に杖が落ちているのを見ると、外来の患者らしい。

「う、うるさいっ。あ、あっちに行け」

「そう言われても」

「事情も知らないくせに、分かったような顔するな」

 それはそうだ。

「お、俺に構うな。あっちに行け」

「しかし。飛び降りられたら、後で俺も困りますし」

「そんな事知るかっ。行けって言ってるだろ」 

 必死になって叫ぶ男。

 仕方ない。

 寒くなってきたし、帰るとするか。

「お、おい。どこ行くんだ」

「帰る。自分で言ったでしょ」

「だ、誰かを呼んでくるんだろ。駄目だ、屋上から出るなっ。俺の見える場所にいろっ」

 なるほどね。

 ただこのまま突っ立ているのは寒いので、風の来ない壁際に腰を下ろした。

 日に干してある枕もあり、ちょうどいい感じだ。

「に、逃げるなよ」

「あ、はいはい」

 適当に返事をして、壁に立て掛けた枕へ背を持たれる。

 程良い日差しが降り注ぎ、暖かいというかぬくい。

 今寝ると夜目が冴えるんだが、この心地よさには変えられない。

 そういえば丹下、今日は実家に行くから来られないって言ってたな。

 毎日来るのは大変だろうし、しばらく家で休んでいればいいんだ。

 俺も、少し……。


「ん?」 

 頬の辺りに、微かな痛みを感じた。

 虫でもいるんだろうか。

 せっかくいい気持なんだから、後にしてくれ。

 そう思っていると、今度は胸元へ何かが落ちてきた。

 さすがに虫ではないだろうから、ため息混じりに目を開ける。

 寝起きでぼんやりした視界の先。

 例の男が、手すりの向こう側で動いている。

「……何か」

「お、俺は。し、知らないぞ」

 手にしていた小石を捨て、前へ身を乗り出す男。

 何がやりたいんだか。

 仕方ないので壁際から立ち上がり、男の傍へと歩み寄る。

「く、来るなっ。あっちに行けっ」 

 一切無視して、その前へと立つ。

 すると男は片手を離し、何もない空間へとその身を乗り出した。

「それ以上来ると、飛び降りるぞっ」

「勝手にしろ」

 鼻を鳴らし、男の杖を拾い上げる。

 怪訝な顔をするそいつを無視して、俺は杖を振りかぶった。

「後片付けが大変だけど、ここは病院だ。レジデントの手助けと思って、解剖してもらえ」

「な、なにを」

 手すりを掴んでいる男の手を目掛け、杖を一気に振り下ろす。

 上がる悲鳴と、鈍い衝撃。

 その結果は。


「な、何するんだっ」

 真っ青な顔で、俺を睨み付ける男。

 手を素早く持ち替え、杖から逃れたのだ。

 しかも今では屋上側に体が向けられ、両手で手すりを掴んでいる。

「死にたいんだろ。ほら、手離せ」

「さ、殺人だぞ、お前のしてる事は」

「自殺幇助だ。いいから、落ちろ」

 縦に叩いても駄目なので、杖を横になぐ。

 こうすれば嫌でも、手すりから手が放れる。

「わ、わっ」

 機敏な動きで沈み込み、杖をかわす男。

 俺は手すりの下を掴んでしゃがみ込んでいる男を、杖で押し始めた。

「臓器は、全て提供って事にしてやる」

「や、やめろっ。ひ、人殺しっ」

「だから、自殺幇助だ」

 傷が痛くて、腕に力が入らない。

 こうなったら、押す場所を変えよう。

 例えば。

「わ、わっ」

 男の左目に杖を突き付け、腰をためる。

 眼球は神経が最も集中する場所で、軽い一突きでもその痛みには耐えられない。

 また反射的に、手は目を押さえてしまう。

「や、止めて下さいっ。お、俺は、死に、死に……」

「黙ってろ。今すぐ、落としてやるから」

 鼻で笑い、杖を持つ手に力を込める。

 そしてそのまま、杖を前へと押し出した。


「ど、どうしたんですっ」

 血相を変えて、ドアから駆け付けてくる看護婦達。

 これだけ騒いでいれば、その内気付くだろうとは思っていた。

「景色見てて、向こう側に落ちたみたいです。助けようとして、杖を出したんですけど」

 遥か真下の、渡り廊下へと落ちていった杖。

 何とも乾いた音が、遠くから聞こえてくる。

「と、とにかく、こっちへ」

 力仕事はお手の物の看護婦が、すっかり力の抜けた男を屋上側へと引き込んだ。

 そうされても男は呆然としたままで、声も出ない様子だ。

「……惜しかったな」

 男の耳元にそうささやき、看護婦達の間を抜けていく。

 死ぬ度胸もないくせに、みんなの同情でも引く気だったのだろう。

 どうでもいいし、勝手にしろと言いたい。

 俺はもう男の事など気にも止めず、騒ぎの大きくなり始めた屋上を後にした。 



「上の方で、何かあったの?みんな騒いでるみたいだけど」

「さあ」

 適当に答え、軽くあくびをする。

 さっきの眠気が、まだ残っているようだ。

 そんな俺に、いつもの可愛らしい笑顔を見せてくる柳君。

「はい。今日のお土産」

「お見舞いとか、差し入れって言うんじゃ」

「いいから、ほら」

 好意は好意なので、彼から品物をありがたく受け取る。 

 鉢に植えられた、葉っぱばかりの植物を。

「普通鉢植えは、入院している人へもってこないだろ。病院に根付くとかいって」

「大地に根を張るような男になれっ、て言う意味じゃないの」

「何だそれ」

 柳君の指先が、雑誌を読み耽っている名雲さんへと向けられた。

「センス、いいですね」

「だろ。お前なら、分かってくれると思ってた」

 確かに面白い。

 俺以外の人間には、あまり通じないだろうが。

「名雲君も柳君もふざけないの。はい、これは私と真理依から」

「済みません」

 ベッドの上に、白いウサギの小さな人形を置く池上さん。

 縫製の具合からいって、手作りだろうか。

「嬉しいんですけど、俺にはちょっと」

「だから止めればよかったんだ。猫だろう、普通は」

 真顔で指摘する舞地さん。

 この人も、よく分からない。

「だったら、誰か知り合いにでもあげなさい」

「知り合いって、ここ病院ですよ」

 まあいいか。

 せっかくの好意を受け取らないのも失礼だ。

 取りあえず、枕元にでも。


「なんだそれ。とことん似合わないな、お前」

 名雲さんが、ウサギと俺を指差して大笑いしている。

 分かってるよ、俺だって。

「可愛くていいと思うけど、僕は」

「優しいな、柳君は」

「え?可愛いのはウサギだけだよ」

 何とも楽しげに笑う柳君。

 この連中は、俺をからかいに来たのか。


「それで、退院はいつになるの?」

「またしばらく掛かります。脇腹以外も怪我してますし。出血が多かった分、体調がどうも」

「人を助ける暇があったら、逃げれば良かったのよ」

 困ったものだという池上さんの視線。

 他のみんなも、同様な眼差しで俺を見つめている。

「彼女を突き飛ばして、軽くかわそうと思ったんです。ただ、そこまで器用に体が動いてくれなくて」

「雪野達に心配を掛けてまでする必要があったと思っている?」  

 その視線に、色々な思いを重ね合わせる舞地さん。

 俺は瞳を逸らす事無く、はっきりと頷いた。

「今雪野達が落ち込み気味なのは、お前だけが原因ではない。それでも、原因の一つなのは確かなんだ」

「まあ、それは分かってます」

「反省するだけではなく、行動で示す事。あの子達に心配掛けたのは、間違いないんだから」

 訥々と俺を説く舞地さん。

 普段の冷静な素振りは陰を潜め、ユウ達を気遣う優しさがにじみ出ている。

 それには、ただ神妙に頷くしかなかった。

「分かった?」

 さらにきつい、上目遣いの視線。 

「あ、はい」

 俺は深く頭を下げ、素直に自分の気持ちを示した。

「それならいい」

 凛々しい顔を、優しく微笑ませる舞地さん。

 普段が普段なので、時折見せるこういう表情は印象的である。

 本人がそれを自覚していない分、余計に。

「どうした?」

「いえ」

 まさか本当の事は言えないので、痛くもない脇腹を押さえる。

「可愛いだなんて、思ってたんじゃない?ねえ、浦田君」

「ウサギが、ですか?」

 適当に答え、池上さんの突っ込みをかわす。

 話題になっているはずの舞地さんは、相変わらずの素っ気ない様子だ。 

 愛想がいい舞地さんというのも、想像は出来ないが。


「しかし、お前これからどうするんだ」

「何を」

「雪野達は、もう大人しくしてるらしいぞ。自分達の事だけしか、関わらないそうだ」

 苦笑する名雲さんと、肩をすくめる池上さん。

 色々あったので、ユウ達も弱気になっているのだろう。

 俺はそれで構わないし、今までと変わらない。

「気楽でいいですね。脇腹斬られる事もなくなるし、一安心ですよ」

「本当に、そう出来るのか。何があっても、大人しくしていられるのか」

「俺は、今まで通りにするだけです」

「お前らしいよ、そういうの」

 おかしそうに笑う名雲さん。

 池上さんと舞地さんも、何となく笑い気味に見える。

 柳君は、いつもと同じように可愛らしく笑っている。   

「君は、どちらかといえば私達寄りだものね」

「よりって?」

「陽の当たる、まっすぐな道を歩くタイプじゃないって事。聡美ちゃん達とは、違って」

 さらりと言ってのける池上さん。 

 とはいえ否定する内容でもないので、申し訳程度に鼻を鳴らした。

「女の子は殴る、横領はする、生徒会は除名になる。それに、拷問まで受ける。すごいよ、浦田君」

「何が」

「その、面白さが」

 他人事だと思ってか、柳君が大笑いする。

 俺は面白くないんだけど、端から見ているとそうなのかもしれない。 

 確かに、まともな人間のする事ではない。

「良くみんなが、お前を受け入れてる」

「あのね、舞地さん。俺だって、そう悪さばかりしてる訳じゃないですよ」

「そう、自分で思い込んでるだけだろ」

 言いにくい事を、また平気で言う人だな。

 俺だって、多少は自覚してるというのに。

「それより、沙紀は」

「今日は来ません。実家に行くとか言ってました」

「それなら、来るんじゃなかった」

 冗談を言ってる顔でもないし、何しに来たんだ。

「僕は、浦田君に会いに来たよ」

「優しいのね、柳君は」

「でしょ」

 なんだ、それは。

 褒められるために、来てるんじゃないのか。

「私は真理依に付いてきただけだし」

「俺?俺は勿論、浦田の見舞いだよ。はは」

 だったらビデオを回すな、ビデオを。

 結局は、からかいに来てるんだろ。

 それでも日を置かずに来てくれるし、色々気を遣ってもくれる。

 正直人と接するのはそう得意ではないが、彼等とは気楽に付き合える。

 池上さんが言っていたように、俺の本質はやはり舞地さん達と近いんだろう。

 口にこそ出さないが、それを嬉しくも誇りに思う俺であった。




 人の見舞い品を持っていった連中が帰り、俺も病室から外へと出ていた。

 それはあくまでも病院内に限られ、今いるのはリハビリ室。

 理学療法室ともいうのだろうか、とにかく様々な運動に励む人達があちこちにいる。

 ただ俺は彼等と違い、自分の意志でここに来ている。

 なまった体を少しでも回復させるため、トレーニング機器で多少の筋トレを行っているのだ。

 場所が場所なので設備は充実していて、ちょっとしたトレーニングセンター並である。

「ふぅ」

 持ち上げていたダンベルを降ろし、軽く右肩を回す。

 何せ脇腹の傷で、どうしても右側をかばう格好になる。

 また以前は難なくこなしていた重さや回数が、その半分で息切れしてしまう。 

 もしかして、このままおじいちゃんになるのではないだろうか。

 といった不安を抱かせるくらいに、弱り切っている。

「よかったら、どうぞ」

「あ、はい」

 俺が差し出した、使っていないタオルを受け取る吉家さん。

 彼女もたまたまここへ来ていて、バーを伝って歩く練習をしていたのだ。

 相当の負担や痛みがあるのか、子供ながら整った顔には珠のような汗が浮かんでいる。

「頑張るね」

「早く、自分の足だけで歩きたいですから。辛い分、それが早まると思って」

「なるほど」

 言葉だけでなく、気持でも素直に感心する。

 どう見てもまだ子供だけど、しっかりしたものだ。

 ユウ辺りに見習わせたいな。

「今日はもう終わり?」

「後、数回やろうと思ってます。やり過ぎかもしれませんけど、今気持が乗ってるんです」

 輝くような、はち切れんばかりの笑顔。

 多分俺には絶対浮かばない、そして浮かんでも似合わない表情。

 こういう子ばかりだと、世の中もう少し明るいんだろうに。


「あっ」

 そんな彼女の体が、不意に床へと崩れる。

 踏ん張ろうとした足は痛めた方で、体が完全に傾いた。

「よっ」

 落ちていくその体を抱きすくめ、彼女以上に顔を驚かせる。

 脇腹に、鋭い痛みが走ったのだ。

「おおっ」

 自分でもよく分からない声を出し、そのまま固い床へ倒れ込む。

 患者の身になって、マットくらい敷いてくれ。 

「だ、大丈夫ですか」

「ああ。女の子に抱きつけて、嬉しいくらい」

「ええ?」

 困惑と戸惑いの表情。

 俺の上に乗っていた彼女は変な物でも見たかのように顔を背け、壁伝いに立ち上がった。

「済みません、冗談です」

 ぺこりと頭を下げ、もう一度謝る。

 本当、何言ってるんだ俺は。

「分かってます」

 やや拗ねたようにそう言って、俺のパジャマに付いた埃を払ってくれる彼女。

「あ、済みません」

「だから、いいですって。お陰で、私は大丈夫でしたから。それより、浦田さんは」

「問題ない。大体今さら擦り傷や打ち身が増えても、同じなんで」

「そうでしたね」

 ようやく明るい笑みが浮かぶが、視線が前へ向けられた事で再びその表情が曇る。

 つまりは俺の肩越し、壁伝いにあるバー。


 よろめき気味に、バーを伝っていく若い男。

 甘い顔立ちと、身なりのいい服装。

 看護婦に付き添われ、懸命に前へと進んでいる。

「あの野郎」

「知り合いですか?」

「いや。ただ、人を突き飛ばして挨拶無しって言うのがちょっと」

「いいですよ。私は、気にしてませんから」

 本人がそう言うんでは仕方ない。

 俺は鼻を鳴らし、男の背中を睨み付けるだけにした。

 下らない自殺騒ぎを起こした男を。


 どうにかバーを渡りきった男は、付き添っている看護婦や理学療法士達に褒めそやされている。

 さっきまでは、吉家さんがされていた事でもある。

 他人の注目を浴びないと気の済まない人間がいるが、その典型らしい。

 そんなに目立ちたいなら、全国ニュースのトップを飾らせてやろうか。

 一生マスコミに追われるようにしてやってもいい。

「色んな奴がいるわい」

「浦田さんみたいな人もいますからね」

「そうですね……」

 鋭い即答に何一つ返す事が出来ず、俺は痛くないはずの脇腹に手をやっていた……。



 その翌日、中庭にやってきた。 

 柳君からもらった鉢植えを抱えて。

 これの面倒を見る自信がないので、植え替るために。

 勿論柳君や発案者の名雲さん、そして病院の許可は得てある。

 陽が当たり、水回りも栄養もいい場所。

 そんな都合のいいところがあればいいのだが。     


「この辺かな」

 病棟の裏手、外壁と面した狭い空間。

 ただ多少南からの日が射し込み、掃除用か水場もある。

 栄養はよく分からないが、植えるにはちょうど良さそうだ。

 痛みを堪えてしゃがみ込み、持ってきた割り箸で地面を掘る。 

 水場が近いせいか土は軟らかく、簡単に穴が開いた。

 これで割り箸を立てたら、ペットの墓みたいだ。

 どうでもいいか、そんな事は。


「何してるの」

「穴を掘ってる」

「どうして穴を掘ってるか、聞いてるんだけど」

 俺は無言のまま、鉢植えを指差した。

「こんな寂しい所へ植えないで。可哀想じゃない」

「植物に、感情ってあるの」

「そうじゃなくて、私の主観としてよ」

 たしなめるような口調が、しゃがみ込んで地面と向き合っている俺の背中に掛かる。

 場所は病院の裏手、ややじめっとした人気のない所。

 そこで、背中を丸めて穴を掘るパジャマ姿の男。

 知らない人間が見たら、かなり怪しいだろう。   

「これは、私が責任を持って植えます」

「だから、ここに」

「浦田君、私の言葉が聞こえた?」

「あ、はい。聞こえました、丹下さん」


 せっかく掘った穴を埋め、ため息を付く。

「どうして、俺の居場所が分かった」

 上を指差す丹下。

 位置的には確か、俺の病室がすぐ傍の廊下になる。

 最初から見られたのか。     

 それも知らずに、こんな所で穴を掘って。

 何やってるんだ、俺は。

「ほら、そこの辺りを掘って」

「どこでもいいと思うんだけどね」

「文句言わない」

 それでも隣にしゃがんだ丹下も、一緒になって掘ってくれる。

 俺みたいに割り箸なんて使わずに、ちゃんとスコップを借りてきて。

「せっかくもらっても、あなたには意味無いわね」

「風雅を愛でる程、人間が出来てないんで」

「もしかして、これの名前も知らないとか」

 何だ、名前って。 

「植物なんて、食べられるかどうかじゃないの」

「だからあなたの知識は偏ってるっていうのよ」

「はあ」

「これは、アイビー」

 鉢から取り出した、そのアイビーを丹下は丁寧に地面の穴へと収めた。 

 よく分からないが、埋めるか。

「葉っぱじゃん」

 と俺がつい洩らした通り、クローバーの親戚のような格好。 

 やや大きめの三つ葉で、縁がややクリーム掛かった白。

 それが群生というか、ツタ状の茎に幾つも連なっている。

 時折見かけるようにも思えるが。

 気にも止めないし、まして名前なんて。

「……これの花言葉は、友情」

 丹下のささやきが、風に乗って俺の耳元を過ぎていく。

 周りの花の脇に添えられたアイビーは、申し訳なさそうに秋の日差しを浴びている。

 目立たない、見過ごしてしまうような外観。

 その花言葉が、友情。

「誰が持ってきたの」

 すぐには言葉が出ず、何となく口ごもる。

 丹下はそんな俺を気にせず、しゃがみ込んだままアイビーを眺めている。

 誰が持ってたのか分かっているといった横顔。 

 それはきっと、俺の独りよがりではないだろう。

「困ったもんだ」

「誰が?」

「俺が」

 屈託無い笑い声は、秋の空へと吸い込まれていく。

 俺の小さな感謝の気持ちを乗せて……。   



 手を洗って病室へ戻ると、ちょうど昼食の時間になっていた。 

 看護婦が持ってきてくれた食事をワゴンに乗せ、軽く見渡してみる。

 野菜の煮物と、魚の塩焼き。後は漬け物と、みそ汁。

 デザートにブドウ。

 味はいいし、栄養バランスも取れている。

 ただ、もう少し脂っぽい物が出てもいいと思う。

 口に出来るなら何でもいい方ではあるが、そう続けて食べたいものではない。

「暖める?」

「いや、このままでいいよ」

 丹下の作ってきてくれた、ネギとニラとささみの炒め物を口にする。

 この差し入れがあるため、何とか食べていける様なものだ。

「煮物も食べればいいのに」

「ああ」

 申し訳程度にニンジンを口に運び、ご飯を少し食べる。

 まずくはないけど、おかずにならないな。

「でも良かったわね。食欲が出てきて」

 くすっと笑い、お茶の入ったマグカップを手に取る丹下。 

 確かに手術直後は全く食欲が無く、お粥すら喉を通らなかった。

 体力が回復する事に食欲も増し、今では食事が待ち遠しいくらいになっている。

 ただ、これだけはどうにも。

 とはいえ、食べない訳にも行かない。


「そんなに、慌てて食べなくても」

「いや、美味しいんで」

「また」

 朗らかに笑う丹下に、俺も微笑みかける。

 本当、美味しいんだ。 

 ただ、毎日毎食食べるものじゃない。

 今日は、レバーソーセージか。 

 これは手作りじゃなくて、どこかで買ってきたんだろう。

「ノリもあるわよ」

「ああ」

 レバーに続く、俺の目に付く食材。

 佃煮であったり、おにぎりであったり、ふりかけであったり。

 食べ飽きないので、困りはしない。

 毎食でなければ……。


「はい」

「あ、どうも」

 差し出された牛乳を、一気に飲み干す。

 これも毎食だが、味が殆ど無いので気にはならない。

 「貧血にもいいんだって。毎食後、飲んでみたら」

 と爽やかに笑われたため、病室内の冷蔵庫には1Lの瓶が常に何本かある。

 ただ健康になる前に、腹をこわすような気もする。


 食器を戻しに配膳室へと歩いていく。

 看護婦が取りに来てくれるとはいえ、このくらいは自分でやれば済む事だ。

 彼女達は他に優先してやるべき仕事が幾つもあるはずで、その手を煩わす必要はない。

「あ、こんにちは」

「こんにちは」

 にこやかに挨拶を交わす、丹下と吉家さん。

 俺に付き添っている時間が長いため、二人とも多少は顔見知りになっている。

 それに無愛想な俺よりも、丹下の方が親しみやすいのだろう。

「少し、残してるわね」

「ちょっと、量が多いんです」

「病院にいたら、そうなのかな」

 納得したように頷く丹下。

 吉家さんのトレイを見ると、残っているのはご飯だけ。

 彼女は俺以上に子供なので、このおかずで食べるのは辛いのかもしれない。

「もったいないから、食べたら」

「おかずが無いだろ」

 すると丹下は薄く微笑んで、俺の食器を指差した。 

 そこには彼女が実家から持ってきた、オイキムチの切れっ端がある。

「おかず」

「はいはい。嫌じゃなかったら、俺食べるよ」

「それはいいんですけど」

「じゃ、頂きます」

 俺ももったいないと思っていたので、吉家さんの茶碗を持ちオイキムチを乗せる。

 そして、一気に掻き込む。 

 何せオイキムチは小さいため、ご飯の味しかしない。 

「ごちそうさまでした」

「良かった良かった」

 一人納得する丹下。

 何一つ良くないぞ。

「あ、あの」

「ん、どうかした」

「今から、ちょっといいですか」

 やや深刻気な表情と、細かい手の動き。

 俺はモトのように他人の心を共感する事は出来ないが、今の彼女がどんな気持くらいかは分かったつもりだ。

「丹下は結構頼れるから、彼女に相談したらいいよ。俺は、席外すから」

「い、いえ。浦田さんも、出来れば一緒に聞いて下さい」

 さらに真剣な眼差しで、俺達を見つめてくる吉家さん。

 丹下は彼女の手をそっと握りしめ、廊下の突き当たりを指差した。

「向こうに静かな場所があるから、あっちに行こうか」



 やってきたのは、何の事はない俺の病室。

 ただ個室なので、そういう話をするには向いている。

 吉家さんは丹下と一緒にベッド脇に腰を掛け、俯き加減で足をぶらつかせている。 

 俺はそれを見るとは無しに、窓際で外を眺めていた。

 風が強いのか、窓が時折音を立てて揺れる。

 小さな雲が途切れ途切れに浮かぶ、寒そうな秋の空。

 そろそろ、冬か。

 どうでもいいけど。

「突然済みません。私、勝手な事言って」

 頭を下げようとする吉家さんに、丹下は優しい表情で首を振った。

「いいのよ。それより、話って何かな」

 気さくな態度で、切り出しにくそうな彼女を促す。

 奇をてらったものではなく、あくまでも自然で受け入れやすい方法。

 人の上に立つ人間は、そつがない。

 それでもまだ表情の硬い彼女。

「怪我が辛いとか、リハビリの事?」

「い、いえ。それは治りかけてますから、別に」

「じゃあ、学校かな。勉強が遅れるとか」

「それも、オンラインの授業を受けてますから大丈夫です。友達も、よく来てくれますし」

 さりげなく焦点を縮めていく丹下。

 こうなっていくと、話す内容も自ずと限られてくる。

「だったら、その友達と何かあった?」

「い、いえ。そうでもないんです」

 何となくさんの答えが変わってくる。

 要は、核心に近付いたのだ。

「友達じゃないとすると、この病院で何かあるの」

「え?そ、その。あるというか」

 ほぼ当たり。

 丹下も彼女が考えている事は分かっているようだが、それを口にはしない。

 相談しに来たのは吉家さんであり、丹下はそれを受ける立場でしかないのだから。

 そして吉家さんの表情が瞬間にして変わり、まっすぐに顔を上げる。


「……あの、先月の事なんですけど」

「うん」

 素直に頷く丹下。

「足の手術が終わって、私リハビリ室で歩く練習してたんです。でも痛いし怖くて、なかなか歩けなくて」

 丹下は小さな相づちだけを打ち、言葉を挟まない。 

 あくまで、彼女が話す事だけを聞いている。

「その時、私を励ましてくれる人がいたんです。それから会う度に、その人は私を励ましてくれて」

「どんな人かな」

「多分私と同じくらいの年齢で、普段着だったから外来の人だと思います。優しい顔立ちの、男の子でした」

 ふと表情が和み、やや視線が伏せられる。

「でもしばらくしたら、その人とは会えなくなっちゃって。リハビリが終わりみたいな事は、聞いていたんですけど」

「そうなの」

「勿論、また会えれば嬉しいです。でも私は、その人の事を誰かに聞いてもらいたくて」

 遠い、その時を懐かしむかのような視線。

 誰かに聞いて欲しいとは言ったが丹下や、まして俺などは見えていないのかもしれない。

 それは自分の気持ちを改めて確認するための、きっかけに過ぎなくて。

「済みません、変な話を聞かせてしまって」

「全然。その彼と、またどこかで会えるといいわね」

「ええ」

 輝くような微笑みをそっと浮かばせ、吉家さんは静かに頷いた。


 友達が来るとの事で彼女は、自分の病室へと戻っていった。

「どう思う」

 さっき彼女へ向けられていたのとは違う、からかうような視線。

「淡い恋というより、友情だと思うよ。俺は」

「それは、子供同士だから?」

「いや。人の結び付きに年齢は関係ない。あるのは気持と……」 

 知らない内に、熱く語りそうになっていた。

 俺は軽く脇をさすり、ペットボトルに口を付けた。

「とにかく、その男の子と会えればいいんだろうけど」

「捜してあげたらいいじゃない」

「それは簡単だよ。でも、ちょっと違う気がする」

 俺自身何が違うのかは、上手く説明出来ない。

 ただ人の出会いを、そこまで恣意的にすべきでないとは思っている。

 何らかの必然性があれば、また別だが。

「それにしても、世の中優しい子もいるのね。困ってる人を、さりげなく助けてくれるなんて」

「何か、企んでるんじゃないの」

 鼻で笑い、池上さんからもらった白いウサギを手に取る。

 可愛いけど、やっぱり俺には似合わない。

「子供が、そんな事する訳無いわよ。浦田じゃあるまいし」

「それは失礼しました。なあ、ウサ」

「え?」

「変?」

 思いっきり、はっきり、力強く頷かれた。

 名前くらい付けてもいいだろ。

 ウサギだから、ウサ。

 問題ない。

「恋愛云々はともかくとして、彼女の気持ちは大事にしてあげたいわね」

「なんだ、それ」

「もしその男の子とまた出会えても、実際は彼女が幻滅するような子だったら可哀想じゃない」

 なるほどね。

 ただ俺は、そういう現実も認識した方がいいと思う。

 いい面ばかり見て生きていくなんて、都合が良すぎるしいつかは無理が生じる。

 辛い事もあるから、現実なんだ。


「でも良かった」

「なにが」

「私、浦田さんが好きなんです。なんて言い出さなくて」

 そう言って、自分が笑う丹下。

 余程おかしいのか、目元にはうっすらと涙まで浮かんでいる。

 なんだ、それは。

「俺なんて、相手にする訳無いだろ」

「そうかな。一緒にいるって事は、多少なりとも好意を抱いているからでしょ」

「カードだよ、カード。ジュースをくれる、変な奴だと思ってるんだって」

 そんな答えにも、丹下は頷こうとしない。

 涙を流していた目元を拭き、息を切らしてベッドサイドへと腰掛けた。

 つまりは、俺の隣へと。

「あなたって自分を冷静に見ているけど、その評価は低いのね」

「実際そうだから。多少の企画力と、先を見る事が出来るくらいさ」

「多少、か」

 上目遣いの大きな瞳が、俺の顔を覗き込む。

 間近に迫る彼女の端正な顔。 

 一瞬勘違いしてしまいそうなシチュエーション。

 強い木枯らしの窓を打つ音が、俺の鼓動と重なっていく。

 ただそれが、決して早くないとは分かっている。 

 少なくとも、動揺や焦りは覚えていない。

 俺はそういう人間だし、そうだから俺だとも言える。

 どうして鼓動が気になったかは、ともかくとして。

「前も言ったけど、いつも一歩下がるのね。決して前には出ないで。それが出来るはずなのに」

「出来るのと、実際にするのとは違う。俺はユウやモトみたいに、人を引っ張る素質がない」

「そう思い込んでるだけでしょ。それとも、ただ面倒がってるだけで。私も、前はそうだったから」


 今では100人近いガーディアンを従え、そんな彼等からの信頼も厚い丹下。

 その彼女が洩らした、意外とも言える告白。

 詳しい事情は知らないが、人は変われるという事だろう。

 そして俺は、変わる気がない。

 出来る出来ないではなく。

 自分のすべき事を、俺はするだけだから。

 こればかりは、例え何があろうと譲れない。

 その結果として生徒会をクビになろうが脇腹を切り裂かれようが、何一つ気にならない。

 意固地と言われも、偏屈と言われても。

 俺は自分のしたいようにするだけだ。


「別に、説得という訳じゃないのよ。ただ、私はあなたの能力が惜しいと思って」

 申し訳なさそうな表情を見せる丹下。

 そういう顔をされると、こっちが困る。

「ごめん。もう、この話は止めるわね」

「俺こそ、悪い。変に気を遣わせちゃって」

 丹下が俺を想って、あえて言ってくれているのに。

 それを、結果として断る形になる。

 本当に、俺はどうしようもない。

「頭下げないで」

「え?」

「自分でそうしたいから、人前に出ようとしないんでしょ」

「まあ、一応は」

「だったら、謝る必要ないじゃない」

 優しげな笑顔と共に、肩へ手が置かれる。

 俺の気持ちなど、分かってると言わんばかりに。



 正直こういう雰囲気は苦手で、どうしていいのか分からない。

 視線を合わせる事も、その手を重ねる事も出来そうにない。

 また俺は、そういう事をしたいと思っている訳でもない。

 今はただ、この雰囲気に浸っていたいだけなのだから。









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