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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第8話
71/596

エピソード(外伝) 8-1 ~ケイ視点~





     自分らしく




     8-1





 ロビーには外来の患者や見舞客、看護婦や医師達がせわしなく動き回っている。

 そして自分はパジャマ姿で、腕には「浦田珪」と書かれたタグ。

 紛れもない入院患者だし、病室を出る許可が出たのはつい最近。

 リハビリを兼ねての散歩だが、すでに息が切れてきた。


 病室へ戻る階段の踊り場で、つい足を止める。 

 たかが4階。

 それを一気に上れない、今の自分。

 脇腹を斬られて、ベッドに釘付けになっていたのはほんの一週間程度。

 しかしそれが、元々無かった体力すら奪い去った。

 体重も10kg程減り、鏡で見ても痩せたと分かる程だった。

 勿論病院内にはエレベーターがあり、それを使えば何の苦労もない。 

 それでも体力を回復させるには、この方がいいだろう。

 とにかく、きつい……。


 病室に入るや、直ぐさまベッドへと倒れ込む。

 ただそれは気分的な物で、体の傷を刺激しないようゆっくりと身を横たえた。

 健康の大切さを噛みしめつつ。

 手術直後、体に付いていたチューブは4本。

 心拍をモニターする装置と酸素マスクを加えれば、6本になる。

 自分で自分の姿は見えないが、怪奇管男と言ってもいい姿だっただろう。

 手術から二日くらいの記憶は殆ど無く、かろうじて誰が来たかを覚えている程度。

 だから自分で言った事や、向こうから言われた事は殆ど覚えていない。

 それからも傷は痛み、何度と無く鎮痛剤の世話になった。

 また体に付いているチューブのため、身動きの取れないという事もあった。

 そんな状態でベッドに寝ていると、その周りで歩いている人達に憧憬の眼差しを送ってしまう。

 普段なら気付かない、健康の大切さ。 

 彼等はただ歩いているだけだが、俺には絶対に出来ない事。

 これからは体に気を付けようと、強く思った。

 脇腹に付いていたチューブを抜いたのが一週間前。

 つまり今の俺は、歩いていられる。

 これがどれほど貴重なのか。

 「苦労は買ってでもしろ」、という言葉が身に染みて分かった。

 体に刺さっているチューブを抜く時は麻酔をしろ、という教訓と共に。

 これこそ映画のワンシーンで、体に刺さったナイフを抜く心境がよく分かった……。



 俺の病室があるフロアのラウンジに行くと、小学生高学年くらいの女の子がソファーに腰掛けていた。

 長い黒髪を左右に分けて束ねていて、あどけなさが残る可愛らしい顔立ち。

 赤いパジャマというのも、病院ならではだろう。

 俺だって、パステルグリーンのパジャマを着ているくらいだから。

「こんにちは」

「あ、こんにちは。浦田さん」

 朗らかな笑みで会釈をしてくれる彼女。

 吉家よしいえさんとはリハビリ室で知り合い、顔をあわせれば会話をするくらいの間柄。

 彼女は階段から足を踏み外し、どこかの腱を痛めたらしい。

 まだしばらくは治療が必要で、俺と同じ外科の病棟に入院している。

「よかったら、どうぞ」

「ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げ、俺が渡したカードを受け取る吉家さん。

 病院内の自販機や売店で使用出来る物で、なかなか重宝させていただいている。


 ミルクティのペットボトルをソファーへ置き、カードを渡してくる彼女。

「頂きます」

「どうぞ」

 子供らしい素直な態度と、可愛らしい笑顔。 

 ジュース一つでこれだけ喜んでくれるのは、俺も素直に嬉しい。

「浦田さんは飲まないんですか」

「下のロビーで、ブドウ炭酸を飲んで来たから」

「炭酸好きなんですね。骨、溶けますよ」

 どこから仕入れたのか分からない事を、真顔で語られた。

 それならビールを飲みまくっている俺の知り合いは、みんな骨無し人間だ。

「今後、気を付け……」

 ペットボトルが当たって床へ落ちた彼女のポシェットを拾い、埃を払ってソファーへ戻す。

「あ、済みません」

 恐縮せずに、明るく会釈する吉家さん。

 礼を言われる程の事はしていないので、俺も頭を下げる。

「それじゃ、私検査がありますから」

「ああ。また、リハビリ室ででも」

「はい。失礼します」

 杖を付いて、廊下を歩いていく吉家さん。

 その歩行を手助けするのは簡単だけど、それは彼女のためにならないし本人もよく分かっている。

 俺に出来る事といえば、せいぜいその背中を見守るくらいだ。

「たまには優しいのね」

「いつも、と言って欲しい」

 振り向かないまま、無愛想に答える。

「それは失礼しました」

 耳元をかき上げ、爽やかに笑う丹下。

 窓から射し込む秋の日差しが、その黒髪を輝かせていた。



 個室になっている病室に入り、取りあえずベッドの脇に腰掛ける。

「これ、差し入れ」

 はにかんだ表情と共に差し出されるランチボックス。

 それを両手で受け取り、傍にあったワゴンへ置く。

「ありがとう」

「いいの。でもよかったわね、元気になって」

「おかげさまで」

 俺は紛れもない真摯な思いを込め、そう答えた。

「……真面目な顔もするんだ」

「あのさ」

「冗談よ」

 朗らかな笑顔を見せ、ワゴンを自分の前へ持ってくる丹下。

 彼女は毎日午前中から来ては、何かと世話を焼いてくれる。

 俺が入院して2週間程になるが、その間ずっと。

「果物でも、食べる?」

「面倒でないなら」

「分かった」

 器用な手つきで、梨の皮を剥いていく丹下。

 カットされて小皿に乗せられたそれが、ワゴンへと乗せられる。

「どうぞ」

 俺が取るより前に、フォークごと差し出された。

 こうやって気を遣われるのは慣れていないので、結構困る。 

 何が困るのかは、俺自身分からない。

「あ、はい。頂きます」

 妙に他人行儀な挨拶をして、梨を頬張る。

 程良い水気とさくさくとした食感が、口の中に広がっていく。

 暖かな視線を感じるが、気にしないようにして新聞を広げる。

 正直、こういう雰囲気には慣れていないので。


「……コンビニでエビ天丼400円を窃盗し」

 コンビニの外観と並んで掲載されている、エビ天丼。

 かろうじて吹き出すのを堪え、ペットボトルのお茶で流し込む。

 駄目だ、TV見よう。

 ちょうどニュースがやっていて、若い男性アナが真顔で原稿を読んでいる。

 どこかで観光バスの、交通事故があったらしい。

「ニコちゃん観光バスの、レッツ青春ツアー・歩け木曽路……」

 止めてくれ。

「大丈夫?顔色悪いわよ」

「な、何でもない」

 脇腹を押さえ、深呼吸を繰り返す。

 やっと交通事故のニュースが終わり、動物の危機管理問題を扱う特集コーナーが始まった。

「脱走したライオンを捕まえるため、警察と職員が共同で……」

 ライオンのぬいぐるみを来た職員が、明らかにおもちゃの銃で撃たれている。

 そして倒れたライオンに、目の粗い網を覆い被せた。

 いい加減にしてくれ。

 と思っていたら。

「……豚舎が燃え、中にいた豚100頭が焼死しました。不審火の疑いもあるため、消防と警察が共同で捜査に当たっています……。どう思います、これ」

「可哀想な話ですね」

 話を振られた若い女子アナが、真面目な顔でそう言った。

 もう、駄目だ。


「ちょ、ちょっと」

「だ、大丈夫」

 この傷のせいで、少し笑っただけでこれだ。

 迂闊にニュースも観れないな。

「そんなに、おかしかった?」

「傷が開くかと思った」

「あなたの価値観は理解出来ないわ」

 あっさり言い放つ女の子。

「豚が可哀想と思わない?」

「後でチャーシューになるか、今丸焼けになるか。その違いだけだろ」

「もっと、労りや思いやりの気持ちを持ったら」

 怒られた。

 しかしむきになって反論するような事でもないので、枕元にあった書類を適当に取る。


「目は通した?」

「一応。授業はレポートを出して、保険とかの申請書を書けばいいんだろ」

「まあね。その内生徒会から、誰か説明に来るって聞いてるわ」

 そんな事よりも、金を持ってきて欲しい。

 今俺のカードには、殆ど金が入っていないから。

 元々金が無かった所へ、この入院。

 身の回りの物を揃えてもらったら、数字が二桁になっていた。

 入院費の支払いもあるし、一番の問題はこの個室。

 大部屋との差額を考えると、多分保険でも足が出るだろう。

 勿論個室の方が気楽なので、部屋を移る気はないが。

 今はそんな事を気にせず、自分の体だけを気遣おう。

 そうでも思わないとやっていられない。

 つくづく、金には縁がないな。


 丹下はほぼ毎日来てくれるが、一日中俺と一緒にいる訳ではない。

 この病院には広い中庭があり、そこで草木を見て過ごしたりしているそうだ。

 また小児病棟へ行き、子供達と遊ぶ事もあるんだとか。

 俺はそういうキャラじゃないので、小児病棟へ行ったりはしない。

 大体、向こうがなついてこないだろう。

 ふと時計に目をやると、午後10時。

 面会時間は終わり、丹下もとっくに帰っている。

 さらに言えば消灯時間も過ぎ、個室でなければ明かりを消されている。

 それでもインターフォンは、来客を告げていた。

「開いてます」

 リモコンでキーを解除させ、病人らしく布団を被る。

「夜遅くに、済まない」

 言葉の割には、平然とした態度で入ってくる男。

 その後ろには、俯き加減の女の子が従っている。

「俺に、何か」

「ああ。少し、話がしたくて」

 悪びれもせず、前自警局長はそう言った。



「あなた、警察に拘留されてるんじゃ」

「告訴が取り下げられたんでな」

「なるほど」

「取り下げたのは、君だろう」

 鼻で笑い、大きな長い箱をベッドの上に置く自警局長。

 形状から見て、おそらくは洋酒だろう。

「見舞いの品だ」

「俺病人だし、それ以前に飲めないんですが」

「そんな事は知らない」 

 じゃあどうして持ってきたと心の中で突っ込み、取りあえず礼を言う。

「それで、話したいって何をです。また斬りますか」

「俺は命令も指示もしていない。君、正確には大内を狙ったのはあいつの独断だ」

「分かってますよ」

 お互いに、動揺も慌てもしない。

 ただ事実だけを述べているこの感覚。

 たまには、悪くない。


「丹下と戦わせて、派手に水を掛けて。最後に俺が吐き出させやすいよう誘って。それであなたが捕まったから、共犯者の意見としてあの馬鹿連中を告発は出来たんだけど」

「あいつらと会う事も、もうなくなる。あんな連中とは」

「学校があなた達に付けた、監視役。もしあなた達が去年の抗争に勝って、その際学校のコントロールを無視した場合。あいつらが暴走して、あなた達の立場を悪化させる。違いますか」

 分かってるなら聞くなという顔。

 話が早くて助かる。

「前期にあのサディストを使ったのも、ああすればあの馬鹿を退学に持ち込めると思ったからでしょう。結果学校側の目論見は失敗に終わって、あなたの思い通りになった」

「俺はそのせいで、退学になったぞ。君達のせい、でもあるが」

「元々、そのつもりだったんじゃないですか。最初は塩田さんとあなたの確執が原因だと思ってたけど、その確執はもっと違う意味がある。ようはお互い、退学したがってたんですよね」

「塩田は、屋神さんの出来事をまだ気にしてるからな」

 ほぼ俺の言葉を肯定する返答。

 うっすらと見えていた風景が、間近に迫ってくる感覚。

 それは、思っていた通りの景色でもある。


「去年のトラブルで屋神さんは学校に付き、塩田さんは取り残された。そして抗争後、学校側に付いたはずのあなたは自警局長の要職に収まった。上手く立ち回ったとも取れるし、もう一つ裏があるようにも思える。その辺の事情は、全く知らないんですけどね」

「下らない人間関係があったとだけ、言っておく。その内、塩田や大山が話すだろう」

「待ちくたびれてますよ」

 苦笑して、軽く脇腹を押さえる。

 しかし「大丈夫か」、とも言ってこない。

 鼻で笑っているくらいだ。

 俺は、それにも苦笑した。


「そんな事があって退学したあなたが、またここへ戻ってきた。確かに学校から渡される謝礼を受け取るという理由もあった。でももう一つは、ディフェンスラインに例の馬鹿連中が入ってたから」

 これには答えない前自警局長。 

 俺は構わず、話を進めた。

「学外とはいえ、同じ街にいる。しかも自警組織として。学校がどんな名目を付けて、あいつらを学校に送り込んで来るとも限らない。それを防ぐための、支部長就任。そして今回の事件だったんじゃ無いんですか」

「この間もそのくらい喋れば、殴られずに済んだものを」

「失礼しました。あなたが、話に来たんですよね」

 とはいえ大部分は、今俺が話してしまったのだろう。

 前自警局長は、これといって切り出してこない。

「まだ、色々疑問点があるんですけど」

「昔の事は、塩田達に聞け。あいつはもう、退学する意志を無くしているだろうから」

「するとあなたは、自分の意志もあって退学したと認めるんですね。それと去年のトラブルは、どうして一般生徒に知られてないんです」

「初めの抗争は、夏休み中の出来事だった。二度目、つまり前の抗争で勝った人達が退学した時は、冬休みからテスト期間辺りの出来事だ」

 聞けば聞くほど面白い。

 変な駆け引きも楽しいが、すぐに話してくれるのも楽でいい。

「例の馬鹿連中は、結局どうなったんです」

「刑事処分を受けて、10年は出てこられない。君を斬った事以外にも、色々やっていたようだ」

「では、ディフェンスラインの連中は」

「活動はしている。今回の反省を踏まえ組織改革をする雰囲気もあるが、そう簡単にはいかないだろう。一歩一歩進むしかない」

 さすが前支部長、よく知っている。


「馬鹿連中を捕まえ、ディフェンスラインの危険な芽を摘み。さて、次はどうします」

「大学にでも行くさ。その程度の資格は持っている」

「さすが。で、彼女は。わざわざ連れてきて、どういう事なんです」 

 前自警局長の後ろで立ち尽くしていた女の子が、尖った眼差しを向けてくる。

 綺麗な顔立ちと、やや派手な服装。

「君が斬られた事で、今回は許す。後は好きにしてもらえばいい」

 鼻を鳴らし、露骨に顔を逸らす女の子。

 綺麗だが、可愛げは無い。

「結構人が良いんですね。変な事とか、しないんですか」

「君と一緒にするな」

「ああ。男にしか、興味がないんでしたっけ」

 冗談で言ったつもりだが、前自警局長は真顔で頷いた。 

 気を付けよう、色々と。

「それに去年のトラブルで、多少はこいつとも縁がある」

「塩田さんの話では、渡り鳥以外の転校生が何人かいたようですね」

「学校が導入した、特別編入生だ。まともな奴も、いたにはいたが」

「前期にフォースが他校の生徒を一時的に編入させたのは、それを倣ったと」

 軽く頷く前自警局長。 

 何せ当事者なので、話が早い。

「あの事件も、今考えれば底が浅いんですよね。もしかして学校の企みを、二人で潰そうとしたんじゃないですか。そしてあそこまで事件を大きくした責任も考えて、退学という結論を出したとか」

「もう、忘れた」

「あ、そうですか」

 肝心な部分は話さないな。

 事件の本質ではなくて、自分の心の内を。

 ただそれは、別に聞かなくてもいい。

 興味がないのではなく、無理に聞く事ではないのだから。

「しかし、何で彼女は斬られそうになったんです。例の報酬で連中に多少の分け前が行くとはいえ、そこまでしますか?」

「そういう連中なのよ、あいつらは」



 小馬鹿にした口調で、俺を責める大内さん。 

 なるほど。

「舞地さん達みたいにふ抜けた連中ばかりだと思わない事ね。この学校で平和ボケしてるから、そういう言葉が出てくるのよ」

 同じ全国を渡り歩くアシスタントスタッフでも、両者には違いがある。

 舞地さん達は「渡り鳥」と呼ばれ、自らが決めた誓約に基づいて動く。

 そして大内さん達はそんな誓約など無く、報酬のためだけに動くのだろう。

 状況によっては大内さん達の方が正当化され、より力を振るえるかも知れない。

 どちらが本当に良いのかどうかは分からないが。

「それに舞地さん達は、一部の連中にとって目の敵よ」

「嫌な人間と知り合いになっちゃったな」

「せいぜい、気を付けるのね」

 いつも通りの、きつい口調。

 表情も、相変わらず。

 どうも相性が悪いようだ。

「それで、例のカードは。結局、君が場所を変えたんだろ」

「いざという時の切り札と思って」

 露骨に顔をしかめる大内さんを気にしないようにして、カードのありかを告げる。

 俺が持っていても仕方ないので、本来の持ち主に渡すのは当然だろう。

「これで、用は済んだ。消灯時間も過ぎているし、早く寝たらどうだ」

「お気遣いどうも。それより、俺も金が無いんですが」

「分かった。少ないが受け取ってくれ」

 一枚の100円玉が、布団の上に投げられた。

「あ、あんた。あのカードの口座には、幾ら入ってると思ってるんです」

「確かにその怪我には、多少の責任を感じている。だから今のは、俺からの気持ちと思ってくれ」

「ご親切に、どうも……」

 面白くないな。

「じゃあ、安静にしていろ。それと他の連中に見つかったらまずいから、俺はもうここへはこない」

「はいはい。寝るから、早く帰って下さい」

「愛想のない奴だ」 

 お互い様な捨てぜりふを残し、部屋を出ていく自警局長。


 気を抜こうとしたら、すぐにドアが開いて戻ってきた。

「丹下さんはいないのか」

「面会時間を過ぎてますからね……。ああ、あなたは北地区だから先輩後輩か」

「古い話だ。向こうは俺の事なんて、どうとも思ってないだろう」

「彼女も、すぐにあなたの考えを読み取りましたよ」

 曖昧な頷き方。

 感じられるのは、丹下に対する気持。

 成長した後輩を見守る。

 いや、彼はこれ以上見守れない。

 そして、会おうともしない。

「昼に来れば、会えますよ。後は、誰が北地区だったかな」

「余計な事は考えるな。それに北地区は、負け組だ」

「負けって、何が」

「詳しくは言わないが、去年の抗争で。……話し過ぎたか」

 きびすを返し、病室を出て行く前自警局長。

 今度は戻ってくる事もなく、部屋には静寂が訪れる。


 しかし、少しくらい金を置いていっても……。

「情けない男ね。せっかく自分で隠したカードを、あっさり手放すなんて。しかも、はした金なんて請求しないでもらえる」

「俺がどうだろうといいだろ」

 舌を鳴らし、100円玉をしっかりと回収する。

 いくらだろうと、無いよりはましだ。

「最悪」

「だから、俺がどうでもいいでしょうが」

「ええ、どうでもいいわ」

 小馬鹿にした顔で、俺を見下ろす大内さん。 

 見た目は綺麗だけど、ちょっと苦手なタイプだ。

 というか、早く帰って欲しい。

「私を助けた理由は聞かない」

 まっすぐに俺を見つめながら、そんな言葉が掛けられる。


 初めて見る、真剣な表情で。

「……それでも、一応借りには思っておくわ」

「あ、はい。ありがとうございます」

「何それ、馬鹿じゃない」

 見下したような視線を残し、大内さんも病室を後にした。

 その結果手元にあるのは、飲めない酒と100円玉。

 元々大した事をやった訳ではないんだから、これで十分か。

 とにかく今日は、よく眠れそうだ。




 朝は早い。 

 俺がどれだけ眠かろうと、看護婦が朝から問診に来るから。

 また普段は食べない朝食が持ってこられ、必然的にそれへ手を付ける。

 カロリーと栄養バランスを考えて作られた食事。

 それなりには規則正しい生活。

 嫌でも健康になってくる。

「まだ寝ていたら」

「昼寝すると、夜が眠れなくて」

「1日中寝てるんだものね」

 納得という顔で頷く丹下。

 俺が言うのもなんだけど、彼女は綺麗でスタイルも申し分ない。

 気が利き、気さくで、言う事ははっきりと言う。

 そんな子が傍にいれば、それは嬉しい。 

 ただ、どうして俺の傍にいるのかがよく分からない。

 いや考えようとしていないだけか。

「温泉行くんですって」

「ああ。今度の旅行」

「あなたの怪我は、その頃には治ってるのかな」

 優しい、暖かな笑顔。

 正直、俺には眩し過ぎる程の。  

「別に、俺は寮で寝ててもいいから。みんなに迷惑かけてもなんだし」

「またそういう事言って」

 微笑んでいた丹下の顔に、やや困った表情が混ざる。

 大抵この後には「誰も迷惑だなんて思ってないわ」と続く。

 そうかもしれないが、他人に気を遣われるのは苦手なのでつい口に出てしまう。

「普段は自分気を遣ってるんだから、少しくらいみんなの世話になってもいいでしょ」

「分かってる」

「そういう顔には見えないけど」 

 たしなめるような、やや鋭い視線。

 適当に言ってごまかす事が出来る相手ではない。 

 とはいえ俺も、考え方を変える気はない。

 人は人、自分は自分。

 そんなひねくれた性格だから、こんな所で寝る羽目になったとも言えるが。


「……そういえば、今日生徒会の人が来るって。昨日言ってた、説明をしてくれるらしいわ」

 小さくため息を付き、話題を変える丹下。

 彼女もああいう話を俺にしても、無駄だと分かっているのだろう。

 それでもあえて口にする理由は、やはり考えないでおこう。

「誰が来るって」

「さあ。それより、愛想良くしてなさいよ。あなた、生徒会では評判悪いんだから」

「ああ」

 それは俺も重々分かっているので、素直に頷く。

 しかし、生徒会か。

 ちなみに俺は、二回も生徒会をクビになっている。

 一つは光のIDが絡んだ、この間の一件。

 そしてもう一つが、中1の最後。

 元々好きで入った訳ではないので、別に気にはしていない。

 向こうが俺を恨んでいるのはともかくとして。

「どうかした?」

「ん、ちょっと」

 かゆいので、背中を壁に押し付けていた。

 傷のために右腕は殆ど上げられないし、左腕もそれ程変わらない。

 熊の心境がよく分かる。


「ちょっと待ってて。背中拭いてあげるから」

「ええ?」

 とんでもない事を言い出す子だな。

「それはその。別に、なんて言うのか」

「いつも、看護婦さんにはしてもらってるんでしょ」

「いや、まあ、そうだけど。でも、大抵は自分で……」

「少し、待ってて」

 俺の動揺など気にも止めず、彼女は部屋を出ていった。

 はっきり言えば、看護婦に拭いてもらうのさえ気疲れする。 

 ましてそれを、丹下がするだなんて。

 とはいえ、逃げるのも変だろう。

 しかし、どうするよ……。


 一人唸っていると、いつもの爽やかな表情で丹下が戻ってきた。

 その手には洗面器と、小さなクーラーボックス。

「さあ」

 クーラーから湯気の立つタオルを取り出し、壁を指差す。

 後ろを向けという意味だろう。

 参ったな。

 しかしここまでされて断るのは、さすがに気が引ける。

「……失礼します」

 ボタンを外し、脱いだパジャマをベッドの上に置く。

 右の胸元から背中に掛けて、大きく張られているガーゼ。 

 それ以外にもあざや切り傷、小さなガーゼが幾つかある。

 何せ蹴られるはスティックで殴られるは、骨がやられなかっただけまだよかった。

 前自警局長が、やり過ぎないよう奴らを抑えていたお陰だろう。 

 ただあいつらを捕まえるために俺を利用したとも言え、一概に感謝は出来ない。

 人の事は言えないが、あの男にも困ったものだ。

「ガーゼ剥がすわよ。後で看護婦さんが、また貼ってくれるって」

「ああ」

 俺も、自分の手が届く部分のガーゼを剥がしていく。

 小さい部分はまだいい。

 問題はこの、脇腹だ。

 血はもう出ていないが、多少はガーゼと肌がひっついている。

 決して楽しい行為ではない。

「痛い?」

「なんとなくは」

 それよりも、傷口に触れる感触がぞっとしない。

「……取れた」

 満足げな声が、背中で聞こえる。

 と同時に、小さく息を飲む音も。

「いいよ。後は自分でやるから」

「だ、大丈夫。ちょっと、驚いただけ。ふ、拭くわね」

 肩の辺りに感じる、暖かな感触。

 自分の手が届かない所に与えられる、心地よい刺激。

 正直抵抗があったけど、実際にやってもらうと気持いい。


「あー」

「変な声出さないで」

「え、俺?」

「自覚症状無しね」

 おかしそうな笑い声。

 その間にも暖かな感触は、背中を降りていく。

 そして傷口の上に、そっとタオルが押し当てられた。

「このくらいなら、大丈夫?」

「なんとか」

 ぞっとしない感触は、暖かさに掻き消される。

 伏せた視線の先に見える白い手。

 それは先程までの心苦しさをも、薄れさせていくかのようで。

 らしくないなと思いつつ、俺はその心地よさに身を任せていた。



 体を拭いてもらったせいか、気分もいい。

 せっかくだし、中庭にでも行って少し体を動かそう。

 そう思った矢先に、インターフォンが音を鳴らした。

 今日、誰か来るって言ってたかな。

「はい、開いてます」

 昨日の今日なので、やはり布団を被る。

 入院した理由を考えれば、警戒してし過ぎる事はない。

「失礼します」

 そんな俺の考えをあざ笑うように、小太り男の子が入ってきた。 

 人の良さそうな顔で、草薙高校の制服を着ている。

 しかし小デブちゃんだからといって、油断は禁物だ。

 取りあえず布団を被ったまま、向こうの出方を待つ。

「ご療養中のところ、申し訳ありません。浦田さん、ですよね」

「ええ」

「失礼しました。僕は生徒会・自警局総務課から派遣されました、大石進おおいし すすむと申します」 

 どこかで聞いた名前だな。

 ……ああ。

 丹下を夢の中で助けたっていう、あれ。

 こんな小デブちゃんだったのか。初めて見た。  

 いや、その呼び方は失礼だ。   

 年齢別の平均身長をやや下回り、かつ年齢別の平均体重をやや上回るとでもしておこう。


「こちらがお配りした書類には、目を通されましたか」

「一応」

 こくりと頷き、年齢別の平均……。

 面倒だ、やっぱり小デブちゃんでいい。

「それでですね。今回の治療費に関しては、全面的に学校が負担するそうです」

「差額ベッド代も?」

「ええ。学内で起きた事件ですし、傷害保険とは別に学校が負担します」

 いい話を聞いた。 

 これなら、もっと余計な物でも頼むか。

「また一時見舞金と簡易補償制度により、来週には若干の金額が口座に振り込まれます。正式な補償は生徒会が学校との交渉後になりますので、もうしばらくお待ち下さい」

 運気が向いてきたな。

 ただ、俺は今すぐ金が欲しいんだが。

「色々物入りなんで、もう少し早くなりませんか。カードの残金が、殆ど無いんですよ」

「申し訳ありません。手続きがやや遅れていまして」

「いえ、こちらこそ」

 慌てる事はないか。 

 病院にいる間なら、例のカードだけで事は足りる。

 ショウからもらった物だけど、本当にあれは助かる。

 唯一の命綱とも言っていいくらいに。


 やがて保険や補償費の話が終わり、授業の事へと話題が変わった。

「出席に関しては、入院されている間とそれから一ヶ月程度を免除します。オンラインで受講された分は、考査点を追加するとの事です」

「年明けにはテストですよね。それはどうなります」

「もし間に合わない場合は、レポートの提出でその代わりとします。また追試になった場合でも事情を加味するとの事で、進級に関しては問題ないと思って下さい」

「どの教科も?」

「ええ」

 怪我様々だ。

 これで数学の悪夢からは開放された。

 赤点?0点?追試?

 そんな言葉は、もう怖くない。

「お茶、飲みます?」

「いえ。浦田さんは、ゆっくり休んでいてください」

「そうですか」  

 今までの悩みが、一気になくなった。 

 大内さんもどうやら大丈夫みたいだし、前自警局長から事情も聞けた。 

 後は小デブちゃんの言う通り、体を休めるとしよう。

 いや、その前に一つ聞くか。


「大石さんって、中等部でも自警局に所属してました?」

「ええ。事務部門ですけど。浦田さんも、一時期所属していたと聞いてますよ」

「俺はクビになる程度の人間でして」

 愛想良く笑い、核心をつく。

「……だったら、丹下沙紀という子知ってますか?以前直属班の隊長で、今はI棟Dブロックの隊長をやってる」

「ええ」

 ごく自然に頷く小デブちゃん。

 俺ははやる気持を抑えつつ、さらに言葉をつないだ。

「会った事とか、あります?」

「確か中等部の頃、一度だけ会いました。人違いだとか言って、謝ってましたよ」

「人違い」

「誰かが僕の名前を使って、彼女を助けたみたいです。詳しくは知らないんですが」

 なるほどね。

 夢の男へ会いに行ったら、この小デブちゃんが出てきた訳か。 

 その時の丹下の心境も、ちょっと聞いてみたい。

「丹下さんが、何か」

「いえ。彼女から以前、あなたの名前を聞いた気がしたので。どういう事情かなと思いまして」

「ああ。浦田さんは同じブロックですし、先日は補佐もやってましたね」 

 人の良さそうな丸顔をほころばせる小デブちゃん。 

 見た目はともかく、出来はいいようだ。

「俺は、迷惑かけてばかりですが。補佐してた時も、結局生徒会をクビになりましたし」

「不正の摘発で、一部の人の反感を買いましたからね」

 よく知ってるな、そんな事まで。

 何か企んでる……、訳無いか。

「確かに怒ってる人もいますけど、良くやったと思っている人も多いですよ」

「だといいんですが」

「特に運営企画局では、結構評判いいって知ってました?」

 相変わらずの、人のいい笑顔。 

 ただ運営企画局といえば、俺が横領した金で差し入れをしたところ。

 その事を、暗に皮肉ってる訳でもないようだが。


「それで、これを預かってきました」

 小デブちゃんが、ワゴンの上に大きめな紙袋を置いた。

 俺が聞くより前に、中身が取り出される。

「インスタントのラザニアや、焼きプリンとかがあります。よろしかったら、どうぞ」

「請求書、なんてないですよね」

「え?」

「いえ、こっちの話です」

 明らかに知らないという顔だった。   

 しかし、こういう形で返して来たか。

 退院したら矢田君の金をちょろまかして、別な物も差し入れるようにしてもらおう。

「それでは、僕はそろそろ」

「何のおかまいも出来なくて済みませんでした」

「いえ。あ、そのままで結構です」

 ベッドを降りようとした俺を制して、ポテポテと歩いていく小デブちゃん。

 そして前転しそうな感じで頭を下げ、部屋を出ていった。



 大石進、か。

 夢や勘違いではなくて、本当にいたんだな。

 なかなかに、貴重な体験をさせてもらった。

「どうしたの。一人で笑って」

「ちょっと、マンガを思い出してた」

「そう」

 呆れもせず、花瓶の水を入れ替えている丹下。 

 サトミが持ってきた綺麗な花が生けてあり、無機質な病室に彩りを添えている。

 ただ俺は花を愛でるような性格ではないので、殺風景なままでも気にならない。

 それに受け取るのは花ではなく、その気持ちだろう。

「……このコニャック、どうしたの」

 窓辺に花瓶を置いていた丹下が、目ざとく例の箱を見つける。

 下戸の俺に対する見舞い品にしては、確かに不自然だ。

「さあ。昨日誰かが置いていったんだろ。変わり者もいるもんだ」

「あなたをよく知らない人よね。お酒を持ってくるくらいだから」

「どうでもいいよ。丹下、持って帰れば」

 中身が酒なのは、すでに確認してある。

 何せ持ってきた相手が相手なので、危険はないにせよ用心は必要だ。

「ふた、開いてるわね」

「飲み差し持ってきたんだろ。ますます、ろくな人間じゃない」

「そう。とにかく、ここに置いておきましょ。何かの時に、飲むかも知れないから」

 丹下探偵の推理はひとまず終わった。

 ただ、何かの時ってなんだ。

 ここで、宴会でもやる気か?

「コニャック……」

 そう呟き、深刻な顔をする丹下。

 何かを思い出しているようにも見える。

「どうかした?」

「ううん、気のせいだた。私もそろそろ、帰ろうかな」

「ああ。気を付けて」

 ベッドを降りようとした俺を、笑って制する丹下。

「いつも言ってるけど、ここでいいわよ。それと、ランチボックスは一応洗っておいてね」

「分かってる」

「それじゃ、また明日」

 元気良く手を振り、爽やかな笑顔と共に部屋を出ていった。

 俺も弱々しく振っていた左手を降ろし、ワゴンへ目を移す。 

 その上に鎮座ましますランチボックス。

 丹下がわざわざ作ってきてくれた食事が入っている。

 その中身はと言えば。


「……やっぱり」

 ゆで卵のしょう油煮、ニンジンのきんぴら、鮭の皮の和え物。

 よく作れるなと思う総菜の中に、一つある。

 レバー料理が。

 これだけは、差し入れが始まってから毎日入っている。

 炒め物、ペースト、揚げ物、刺身。

 調理法は様々で、味も申し分ない。  

 レバーの栄養価は、何といっても鉄分。 

 大出血した俺には、最適の食材。 

 ただ、毎日食べるとなると話は別だ。

 とはいえ残したり捨てるなんて出来る訳もなく、俺は毎日感謝を込めて食べている。



 本当に美味しいんだよ、丹下さん。

 でも、朝昼晩とレバーは食べたくないんだ。  











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