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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第8話
69/596

8-5






   8-5




 地元では、木枯らしが吹いている時期。

 でもこの奥飛騨は、雪がちらついている。

 真冬になると道路は完全にアイスバーンとなり、1日で車の高さまで雪が積もる時もあるとか。

 観光で来るのは楽しいけど、住むとなったら大変だろう。

 そう思うと自分が都会でしか生きられないと、強く実感する。

 良くも悪くもの意味で。


 ハンドルを握るショウを、横目で窺う。

 何となくだるそうで、サングラス越しの瞳も普段の輝きが褪せている。

 勿論私もだるく、眠い。

 お酒をさんざん飲んで、お風呂に長い間浸かって。

 しかも遊びに行くため、早起きして。

 それで元気な人がいたら、お目に掛かりたい。

「雪野さん、眠そうだね」

「うん、眠い」

「玲阿君も」

「ああ、眠い」

 二人してあくびをして、ため息を付く。

 昨日ショウが言った通り、1日経って気が滅入ってきた。

 ああいうのは、ドラマで見ているだけで十分だ。

 自分でやる事じゃないと、つくづく思い知った。

「何かあったの?」

「別に」

 だるいので、動揺せずに答えらえる。

 それだけで満足したのか、柳君は後ろでニコニコしている。

 いつもしてるけどね。


「それよりも、ショウ大丈夫」

「ああ。眠いだけだ」

「お酒飲み過ぎなのよ」

 よく寝たサトミは、つやつやしたお肌で瞳もキラキラと輝いている。

 それとも温泉の効能のためだろうか。

 私の場合は浸かり過ぎで、ふやけるくらいだ。

「サトミは元気ね」

「早く寝たもの。モトも、すぐ寝たんでしょ」

「まあ、そうかな」

 意味ありげな視線を背中に感じつつ、あくびをする。

 モトちゃんも変な事は言わず、張りのあるサトミの頬を触って笑った。

「あー。今日は早く寝る」

「私も」

「夜に風呂なんて……、まあ面白かったけど」

 最後は小声となったショウに、私もつい笑う。

 勿論、みんなには気付かれないように。



 という訳で私達がやってきたのは、平湯大滝。 

 岐阜から長野を結ぶ阿房トンネル近くにある、この辺りでの数少ない観光名所だ。

 私はここへ来るのが初めてで、大滝というくらいだから大きいのだろう。

 といった程度の知識しかない。

 それを知識とは言わないか……。

「寒い」

 この旅行で何度目になるか分からない言葉を口にする。

 昨晩の星降る夜空から一転して、どんよりとした曇天。

 変わらないのは、降りしきる雪。

 昨日のは風に乗って来たものらしいけど、今日のは雪雲がすぐそこにあるようだ。 

 とにかく、真綿のようなのがよく降ってくる。

 旅館で聞いた話では、今私達の前にある坂を延々と登っていった先にあるらしい。

 坂の隣にあるスキー場を眺めつつ、登っていく。

 スキー合宿でもやっているのか、中学生らしい集団が雪の上の歩き方を練習している。

 そんな坂を、私達は行く訳だ。


 一応除雪はしてある物の、足場はそれ程よくもない。

 こんな所で転ぶのはサトミと相場が決まっているので、私の手を握っている。

「長靴借りてよかったわね」

「私は、膝まで埋まりそう」

 サトミと同じ長靴なのに、困ったものだ。

 いや、私の足が。

「冬になったら、どうなるのかしら」

「頭まで埋まるんじゃない。ユウは、特に」

「言い過ぎよ、モト。せめて首までと言ってあげたら」 

 全然フォローしないサトミ。

 失礼だなと思いつつ、視線を前へ向ける。 

 すでに点となっている、ショウと柳君。

 どっちが早く着くか、歩きという条件付きで競争してるらしい。

 何やってるんだか。

「どうして普通に登れないのかしら」

「男の子だからなのよ、きっと」

「よく分からないわ」 

 慎重に一歩一歩進むサトミと、それを笑うモトちゃん。

 といっても、私達より遅い人達がいる。


「大丈夫?」

「無理しなくていいのよ」

 そう声を掛けられた男の子は、問題ないとばかりに手を上げた。

 そんな彼を支えている女の子も、また。

「ああ元気ないと、からかい甲斐がないわ」

「嘘ばかり言って。病院に行くたびに、笑ってたくせに」

「モトもでしょ」

「一応、ケイ君には聞かれないようにしてた」

「あれであの子、丹下ちゃんには気を遣ってるものね」

 そんな二人の会話を耳にして、改めて振り返る。

 普段通り表情のないケイ。

 そして普段通り、気さくな表情を浮かべている沙紀ちゃん。

 これを見ている限り、男女の仲と言うよりは仲のいい友人同士の関係だ。 

「何か」

「別に」

「あ、そう」

 短い受け答えをして、何となく沙紀ちゃんへ手を振る。

 彼女も別にケイの腕を支えている事を照れる様子もなく、手を振り返してくれる。

 やっぱり分かんないな。


 しばらくして、どうにか坂を上りきった私達。

 息を切らしたり汗をかく程ではないので、ちょっとしたいい運動だ。

「だるい」

 そんな中、一人膝に手を付く男の子。

 病み上がりなので、体力が落ちているのだろうか。

「疲れたの?」

「そうじゃない。久し振りに外へ出たから、精神的にちょっと」

「ふーん。そういう感情があるのね」  

 ひどい事を言いつつ、ケイの肩を揉むサトミ。 

 口には出さないけど、彼女も結構気を遣っているらしい。

「ありがとう」

「あ、お礼言ったわ。あなたでも、そんな事言うの?」

「生まれ変わったのよ、ケイ君は」

「……俺だって、そのくらいは言う」

 鼻を鳴らし、視線を彷徨わせるケイ。

「滝って、あれ?」

 私達のいる地点からさらに上にある場所へ、指が差される。

 コンクリート壁を伝う、弱々しい流れ。

 頼りない、細い水の筋。

 だだ洩れ、と言いたいくらいの。

「違うよ、浦田君。あっち」

 笑いながら、右手を指さす柳君。


 雄大な、力強い迸り。

 高く荒い岩場を流れ落ちる、止めどもない水流。

 水飛沫が飛び散り、爆音が木霊する。

 見る者に感嘆の吐息を付かすには十分な、立派な滝がそこにある。

「ああ、なるほど」

 珍しく顔を赤くして、視点を変えるケイ。

 本気で間違えてたらしい。

 一目見れば分かるじゃない。

「前言撤回。ケイ君は変わってない」

「当たり前よ」

 鼻で笑うお姉さん達。

 笑われた男の子は脇腹を押さえ、少し腰を屈めた。

 自分も笑って、傷口が痛んだようだ。

 本当、何やってるんだか。 

「冬は凍るんだろ」

「みたいね。ガイドブックでは、そうなってる。寒いもん」

「ああ。今でも、これだもんな」

 ショウが見上げた、黒い雲に覆われた空。

 吹き付ける、大きな白い花。

 分かりやすく言えば、吹雪。

 寒いというか、私達が凍る。


「山の天気は舐めるなって、おばあちゃんが言ってた」

「モトのおばあちゃんって、山に住んでた?」

「マンションの15階に住んでる」

 サトミとモトちゃんの会話も、色んな意味で凍っていく。

 一本道を降りていくだけなので、遭難という事態はない。

 でも上着に雪が積もっていき、手足が固くなる。

 吹き付ける雪が、顔に当たって痛い。

「ほら、俺の陰入って」

「あ、うん」

 トコトコと歩き、風の吹かないショウの右側へ回り込む。

 全く防げる訳ではないけど、少しは楽になった。

 私の右隣にいるサトミとモトも、ほっとした顔をする。

「柳君は」

「大丈夫。寒いのは寒いけど、なんか楽しい」

 その言葉通り、白い視界の中でもニコニコしている。

 子供は雪の子と言うし、ちょっとしたイベントくらいの気持なんだろう。

 ちなみに彼の手は、ぐったりしてるケイの手を握っている。

 やはり寒さで、脇腹以外の傷も痛み出したらしい。

 大丈夫かな。

「ごめん、柳君」

「いいから。なんならおぶさってもいいよ」

 案外本気の顔に、弱々しく首を振った。

 そんな彼等の後ろでは、沙紀ちゃんがちゃんとケイの様子を見守っている。

「きゃっ」

 突然上がる叫び声。

 坂の段差から足を踏み外す沙紀ちゃん。

 危ないと思った瞬間、彼女の手が掴まれる。


「くっ」

 蒼白い顔で、必死に引き上げるケイ。

 柳君もすぐ回り込み、沙紀ちゃんのもう片手を素早く取った。

「よっ」  

 意外な程の力強さで彼女が持ち上げられ、全員に安堵の表情が浮かぶ。

 雪に空洞が出来ていて、どうやらそこでバランスを崩してしまったらしい。  

 ただ段差と言っても1mもなく、下にはクッション状に雪が積もっている。

 また沙紀ちゃんの身体能力なら、難なく着地出来ただろう。

「あ、ありがとう」

 それでも、はにかみ気味にお礼を言う女の子。

 彼女を助けた一人の男の子は、ニコニコ笑っている。

 でもう一人の男の子は、「ああ」とだけ言って突っ立っている。

 らしいと言えばらしいけどね。


 それでも凍り切る前に、坂を下りる事が出来た私達。

 駐車場の傍にあるスキー場用の喫茶店で一息付いていたら、そこのおばさんに笑われた。

「登る前に会ったら、止めたのに。吹雪きそうな空模様だったもの」

「それはどうも」

 苦笑する私達。

 あー、コーヒーがこんなに美味しいなんて。

 というか、暖かければなんでもよかったんだけど。

「元気ね、子供は」

「大差ないでしょ、私達と。ユウはともかく」

 ゲレンデでスキーの練習をしている中学生達を、窓越しに見ているサトミとモトちゃん。

 失礼だけど、今はコーヒーの方が先決だ。

「お昼、どうしよう」

「少し行くと、ソースカツ丼が食べられるわよ。車なら、ゆっくり走っても10分くらいね」

 壁にある、近隣の地図を差すおばさん。

 そして端末に、そのデータを転送してくれた。

「あ、済みません。ふーん、お昼どうする」

「もう決まってるって顔だけど」

「そ、そうかな」

 わざとらしく笑って、地図を確認する。

 ソースカツ丼と言えば、福井や長野。

 そのどちらも近いので、お店があるのだろう。

 なるほど。



 平湯大滝から南下する事少し。

 街外れにぽつりと立つ一軒の食堂。

 看板には「名物・ソースカツ丼」の文字が踊っている。

 そんな寂しい場所に出来ている、人の列。

 ちなみに私達が、一番最後尾だ。

「こっちは、降ってないな」

「結局、寒いけどね」

 耐えられないので、足踏みする。

 そんな事してるのは私一人だけど、恥も外聞もない。

 お腹も空いて、一石二鳥。

「ユウ、恥ずかしい」

「じゃあ、モトちゃんもやれば」

「そういう意味じゃない」

 ため息を付いて、見放された。

 サトミに助けを求めようとしたら、最初から顔を逸らしている。

 嫌な親友だ。

「沙紀ちゃん」

「あ、私暖かいから」

 先手を打ってきた。

 冷たい人だな。

「僕はやるよ」

 そう言って、軽快に腿を上げる柳君。

 いい子だね、この子は。

 可愛いし、優しいし、素直だし。

「ねえ」

「あ、勝手にやってれば」

 腕を組み、無愛想な返事を返す男の子。

 本当に、なんなんだ。


「あー、ここよ」

「寒いー」

「早く早く」

 けたたましい声と、騒がしい足音。

 なんだと思って振り向くと、派手な格好をした女の子達が駆け寄ってきていた。

 私達より少し上、大学生といったところか。

「何、ソースカツ丼って」

「知らないわよ、ガイドブック見ただけだから」

「ほら、早く」

 私達を抜き、店へ入っていこうとする女の子達。

 それには並んでいる他の人達も、目を丸くする。

 しかしその勢いに押され、誰も何も言わない。

 年配の人ばかりなので、気圧される面もあるのだろう。

 そして私達は若い分、軽く見られているのだろう。

 なるほどね。


「並んでるよ」

 涼しげな、小さい声。

 思わず足を止め、振り向く彼女達。

「いいじゃない、ちょっとだけなんだから」

「少しくらい気にしない。私達遠くから来たのよ」

「ほら、早く」

 再び店へ入ろうとする彼女達に、鋭い一撃が浴びせられる。

 声でも、蹴りでも、拳でもない。

 足ですくい上げた雪が刃となって、彼女達の鼻先を通り過ぎていったのだ。


 俊速で飛んでいったそれは食堂の壁にぶつかり、一瞬にして辺りを白一色へと染めた。

 それ程の早さ、そして威力。

 顔を蒼くして、完全に動きを止める女の子達。

 舞い落ちて来る雪を払う事もなく、声にもならない声を上げている。 

「寒いのは、誰でも同じだよ。それに遠くから来たのは、君達だけじゃない」

 淡々と語られる台詞に、ぎこちないながらも頷きが返される。

 自分達も、その行動の意味を反省したのだろう。

 旅の勢いで、つい羽目を外してしまったというところか。 

「怖いな」

 小声で呟くケイ。

 だが顔付きは至って普通で、怯えるどころか笑っているようにすら見える。


「……どうぞ」

 そんなケイが、突然一歩下がる。

「え?」

 彼女達の後でやってきた、小学生高学年くらいの可愛らしい女の子はきょとんとした顔で彼を見上げた。

「そこの、格好いいお兄さんと可愛いお兄さんの間に。あそこなら、少しは寒くないから」

「で、でも、順番が」

 今の経緯と彼女の性格なのだろう。慌てて手が振られる。

「いいよ。俺達、我慢大会してるところだから。それに、さっき食べたばかりでお腹空いてないんだ」

「そ、そうですか?」

「ああ。どうぞ、前へ」

 ケイの言葉を受け、おずおずとショウと柳君の間に入る女の子。


 するとやや感情を高ぶらせていた柳君が、ふと表情を和ませた。

「あ、どうも」

「こ、こんにちは」

 ぎこちないけれど、暖かさが感じられる会話。

 ショウは自分のコートを脱ぎ、そっと彼女の肩に掛けた。

 照れもあってか、女の子の頬が赤くなっていく。

「優しいのね、子供には」

「本当に、お腹は空いてない

「そういう事にしておくわ」

 くすっと笑い、彼の肩に触れる沙紀ちゃん。

 ケイは鼻を鳴らして、トボトボと歩きだしたさっきの女の子達に声を掛けた。


「食べてかないんですか」

「え?で、でも私達、もう……」

「さっきの子は、順番を守れと言っただけです」

「私も、そう思います」

 ケイの言葉をフォローした沙紀ちゃんは、近くにいた一人の女の子を半ば強引に引き寄せた。

「遠くまで来たんですから、食べていきましょうよ」

「す、済みません」

「いえいえ」

 沙紀ちゃんは朗らかに笑って、女の子達の服に付いた雪をそっと払った。

 まったく、いいコンビだ事で。

 これでケイがもう少し愛想良いなら。

「何」

「別に。売り切れだったら、あなたソースだけだからね」

「ユウは、キャベツだけ食べれてれば」

 言うね、この人は。

 脇腹を突こうとして、さすがに思いとどまった。

 これは貸しにしよう。

 そして、その内取り立てよう。

 私が彼に借りている分は、この際忘れるとして……。


 思った通り、私達の所で売り切れとなったソースカツ丼。

 ただお店の人に頼んで、カツの量は少ないけど人数分を作ってもらった。

 食べるって言うのは食べ物その物だけじゃなくて、その雰囲気や状況も大切だから。

 大学生の人達も、さっきの女の子も。

 みんな楽しそうに箸を進めている。

 食事というのは、やっぱりこうでなくては。

「食べないの?」

「さっき言っただろ。……済みません、これ包んでください」

「あ、はい」 

 お店の人に頼んで、テイクアウトを頼むケイ。

 結局お茶と野沢菜を少しかじっただけで、本当に食べようとしない。


 そしてみんなで店を出た時、それを柳君に手渡した。

「あの女の子に、渡してあげて」

「いいの?」

「ああ。お金はもう払ってあるからって」

「よく分からないけど、渡せばいいんだね」

 ニッコリ笑った柳君は、大学生達に囲まれて楽しそうにしている女の子の元へ駆け寄っていく。

 そして一言二言声を掛け、ソースカツ丼のパックを手渡した。

「気が利くのね」

「たまに、優しいのよ。ケイ君は」

「ええ。たまに、ね」

 くすくす笑うサトミとモトちゃん。

 二人はもう、事情が分かっているようだ。

「どういう事。沙紀ちゃん、分かる?」

「はっきりしないけど。リュックとメモ持ってたから、お土産に持って帰るつもりだったかも」

「じゃあ、どうして自分で渡さないの」

 今度は、ケイに向かって尋ねる。

 しかし、いつも通り答えは返ってこない。

 ぺこぺこと、柳君に頭を下げている女の子。

 それを遠目に見ていたケイの口元が、少しだけ緩んだように見えた。       

 普段の皮肉っぽいものではなくて、優しい暖かな笑顔に。

 色々あって、他人のためにあれ程の大怪我をして。

 でもやっぱり、この人は変わっていない。

 それは少し困るかも知れないけど、私もつい頬を緩めずにはいられなかった。  



 お腹も膨れ、気分もいい。 

 今は旅館に戻って、前を流れる川をのんびりと眺めている。

 流れはやや急で、当たり前だけど冷たそう。

 秋なら鮎が釣れるらしく、夏は流れの緩い所なら泳げるのだとか。

 そういう季節に来ても、また楽しいのだろう。

「あ、雪野さん」

「柳君も散歩?」

「え。うん、まあ」 

 曖昧な返事に、私は特に言及する事なく川へ視線を戻した。 

「僕、隣にいても良い?」

「うん、どうぞ」

 明るく笑い、ちょっと場所を空ける。

 場所なんて幾らでもあるけれど、そういうものだと私は思っている。

「あ、ありがとう」

 ぎこちない答えが返ってきて、私の隣で川を見つめる柳君。

 可愛らしい顔が、どこか寂しげにも見える。

「みんな、楽しそうだよね」

「うん。柳君もでしょ」

「僕?僕は……、そうかもしれない」

 一瞬の間の後に返される、ためらいがちな台詞。

 寂しさと笑顔の混じり合った、複雑な表情。


「……みんな、僕といて楽しいのかな」

「聞いた事はないけど、つまらなかったら一緒にいないでしょ」

「そ、そう」

 安堵の表情が浮かび、でもそれは川のせせらぎともに消えていく。

「みんなは昔からの仲間で、お互いの事をよく知ってる。だけど僕は、知り合ったばかりだし」

「沙紀ちゃんだって、付き合いは柳君とそう変わりないわよ。それに長さなんて、私達はあまり気にしない。楽しいから一緒にいる、くらいね」

「そう、なんだ」

 伏せられる目線は前髪に隠れ、彼の表情は読み取れない。

 彼の意図も、心も。

 分かるのは、彼が悩んでいるという一点だけ。

 ただ今の私には、それを解決するだけの余裕がない。

 だから自分の素直な考えを、そのまま語った。

 何も出来ない分、それくらいはしてあげたい。

 少なくとも私は、柳君が好きなのだから。

 友達として、仲間として。

 ちょっと憧れを抱ける、可愛い男の子として。

 だからそんな表情は、ちょっと辛い……。


「あら、お忍びでデート」

 不意に現れたモトちゃんが、くすくす笑いながら私達を指さす。 

 柳君もそれまでの翳りを帯びていた顔付きが、瞬間笑顔に変わった。

「そういう事言われると、後で玲阿君が怖いんだけど」

「大丈夫。今のあの子、お風呂行ってるから。ふーん、羨ましい」

 じっと私達を見つめるモトちゃん。

 そして小走りに、柳君の隣へと回り込んだ。

「ユウ。ビデオ」

「はいはい」

 カメラを取り出し、川をバックに二人を映す。

 なんとも嬉しそうなモトちゃんと、固さの残る柳君。

 戸惑い、と言ってもいい。

「あ、あの。元野さん」

「いいから。笑って、笑って。ユウ、アップもお願い」

「細かいわね」

 一応アップにして、柳君をメインに撮る。

 今さらモトちゃんを撮っても、仕方ないので。

「撮影会かしら」

「サトミ」

「ちょっと、私も混ぜて」

 パタパタと駆け、やはり柳君の隣に収まるサトミ。

 困惑する彼をよそに、二人は今さらカメラに向かってピースをしてきた。


「柳君もやりましょうよ」

「ほら、ほら」

「え、ええ?」 

 抵抗があるのだろう。 

 そりゃそうだ、私でもしない。

 と思っていたら、恥ずかしそうにピースをした。

「あ、あのね。今時それはないでしょ」

「いいの。シチュエーションがちょっとあれね。お姉さんと可愛い弟という雰囲気で……。柳君、私達を追い付かない程度に追いかけてくれない?」

「はい?」

「私とモトで吊り橋の方へ走っていくから、それを追いかけるの」 

 下らない演出を語るサトミ。

 結構夢見がちな少女の部分があるからな。



「ほら」

「ま、待って」

「早く、早く」

「ま、待ってよ。お、お姉さんー」

 こぼれるような笑みで、小径を駆けていく二人の美少女。 

 その後を、健気に追いかける可愛らしい少年。

 川のせせらぎが彼女達の声に重なり、つかの間射し込む日差しが辺りに積もる雪を輝かせる。

「司、ここよ」

「と、智美お姉さん。さ、聡美お姉さん」

 何となく棒読みな柳君と、楽しくて仕方ないという顔のサトミとモトちゃん。

 相当に馬鹿馬鹿しいシーンを撮る、こっちの身にもなってほしい。

「さあ、勇気を持って越えてらっしゃい」

「で、でも僕。足がすくんで」

「大丈夫。私達が待ってるわっ。例え、この橋が落ちようともっ。例え、この身が引き裂かれようともっ」

 吊り橋の上で、良い声を響かせるモトちゃん。

 サトミは揺れるのが少し怖いので、腰が引けてる。

「う、うん」 

 可愛らしい表情を引き締め、パタパタと駆け出す柳君。

 吊り橋が、音を立てて大きくたわむ。

「司っ」

「お姉さんっ」   

 橋の真ん中当たりで、しっかりと手を握り3名。


 遠野劇団の小芝居がやっと終わったと思ったら、私の隣にショウがやってきた。

「お風呂に入ってたんじゃなかったの?」

「何時の話だ、それ」

 そういえば、撮影を始めてから結構立つな。

 日もすっかり傾いて、周りも薄暗くなってるし。

「で、何してる」

「サトミが、馬鹿やってる。目立つの嫌いなのに、女優兼演出家だって」

 説明するのも面倒なので、端末をリンクさせ今撮った映像を再生した。

「……ああ」

 かろうじて、そう呟くショウ。

 それ以外に、言葉がないと思う。

「モトまで一緒になって。他に客がいなくてよかったよ」

「旅館の人は見てるかもね」

「んー」

 旅先で羽根を伸ばすのは良いけど、恥はかかないで欲しい。

 ただ、他人事とも思えない。

 多分二人は、いつもこういう気分で私を見ているんだろう。

 我ながら、複雑な気持ちだ。


「あら、ショウ君」

 演技の興奮醒めやらぬという顔のモトちゃん。

 頬は赤く、瞳は輝き、息は弾む。

 大袈裟に手を動かすところなんて、こっちが恥ずかしいくらい。

 どちらかといえば舞台の動きだね、どうでもいいけど。

「四葉君。あなたも、参加したいの」

 首を振って髪を後ろに流し、斜になって構えるサトミ。

 当然手は、腰に当てられている。

 面白いけど、止めてよ。

「俺は遠慮しとく。後で後悔するような事はしたくないんで」

「今という時は、二度と来ないのよ」

「さあ、君も。私達と共に、夢と伝説の世界へと」

 付き合ってられないな。

 さすがに柳君も参ったらしく、こそこそとショウの後ろへ逃げ込んだ。

「あら、柳君。もうお終い?」

「い、いや、その。元野さん、僕はもうこの辺で」

「残念ね。でも私達は、いつでも君が戻ってくるのを待っている。そう……」

「もういいって」

 声を張り上げだしたモトちゃんを両手で押して、よろめかせる。

 後ろは川なので、怖い目で睨まれた。

「芝居芝居。フィクションだから」

「じゃあ、ユウが落ちてみる?」

「私は大丈夫。それにもし落ちても、すぐ戻ってこられるから」

「あなたは演技派じゃなくて、アクション派だものね」

 楽しそうな顔で腕を伸ばしてきたサトミを避け、逆にその腕を取る。

 当たり前だけど落とさなくて、その手を握った。

 寒くて、手が冷たいの。

「冷えてきたな」

「夕方だもの。そろそろ、戻りましょうか」

 旅館へと歩き掛けるショウ。

 サトミも、その後を追う。 

 手をつないでいるので、必然的に私も歩き出す。


「……柳君」

「え?」

「ちょっと」

 彼の耳に口を寄せ、こそこそと話し込むサトミ。

 真顔で頷いていた柳君は最後に大きく頷き、忍び足でショウの後ろへと迫った。

 辺りの空気に剣呑さが立ちこめ、手の平に汗がにじみ出す。


 赤い日を浴びて交差する二本の右足。

 ショウと柳君の、後ろ回し蹴り。

「さすが」

「なんの」

 夕日の中、にやりと笑うショウ。

 微妙な空気の揺れや、先程の気配から察したのだろう。

 また、それを作り出した柳君への笑みとも取れる。

「惜しい」

 物騒な事を言うサトミ。

 ただその手にはカメラが構えられていて、今の光景も予想済みだったのだろう。

「サトミ。不意を付きたいなら、自分でやれよ」

「私は無理だから、代理を立てたの。駄目じゃない柳君、手加減したら」

「普通の人なら当たってる」

 今度は柳君が苦笑する。

 確かにショウでなければ、今頃卒倒してるか川の下まで叩き落とされているだろう。

 私の場合は、頭の上を蹴りが通り過ぎている……。

「悔しい」

 サトミが不意を付けたら選手権は、結局失敗。

 今まで成功した事は、本当に数回だけ。

 私なら当てる自信があるけど、「それは駄目」というショウからの条件がある。

 ケイは「殺していいならやる」と訳の分からない事を言うので、もっと駄目。


「不意打ちって言うのは……」

 一瞬にしてショウの体が沈み込み、スライディング気味の蹴りが柳君へ迫る。

 前転を打ってショウを飛び越え、難なくそれを避ける柳君。

 そのまますかさず後ろ蹴りをとばすが、今度はショウが膝のブロックでそれを受け流す。

 息も付かせぬ激しい攻防。

 早く、重く、切れのある技。

 二人の掛け声と体を打つ音が、静かな山間に響いていく。

「だ、大丈夫なの?」

「と、止めた方が、よくない?」

 驚きと不安の表情で、激しくやり合う二人を見つめるサトミとモトちゃん。 

 私からすれば軽いスパーリングにしか見えないんだけど、彼女達には本気でやり合っているとも思えるのだろう。 


 それにショウと柳君は一見アドリブで技を出しているように見えるが、そうではない。

 カポエラや聴剄のように、相手の動きやリズムを把握してそれに呼応した動きをとっているのだ。  

 お互いなんの申し合わせや約束事がある訳ではないけど、その辺りは格闘センスのたまものだろう。

 またこうして見ていると、両者の戦い方の違いが何となく分かる。

 オーソドックスで、基本的な動きが多いショウ。

 ややアクロバティックで、トリッキーな動きが主の柳君。

 これはお互いの経験と、体に染み込んだ技、そして本来の素質の違いでもあると思う。

 実家の古武術を幼い頃から修め、その鍛錬に余念がないショウ。

 聞いた話だけど、あくまでも自己流の戦い方を押し進めてきた柳君。

 型通りの動きと、自由な動き。 

 勿論お互いその両方をこなす事は出来るが、こればかりは自然と身に付いたものが現れるようだ。

 夕闇の迫る中、汗を迸らせて戦う両者。

 そのどちらの顔も、楽しげで喜びに満ち溢れている。

 凛々しさの奥に、澄み切った心をのぞかせて。

 いつまでも見ていたいと思わせる、私にとっては胸がときめくような光景。

 素敵な男の子達の、純粋な笑顔。

 赤く染まる二人の姿は、その影が落ちる私の胸にもしっかりと焼き付いていた。



「映未さんが、格闘馬鹿って言う訳ね」

「可愛い顔して、あれだから」

「でも、モト。素敵じゃなかった?」

「まあ、そうかな」

 先程の事を延々と語っている二人を放っておいて、私は先に脱衣所へと向かった。

 格闘技の分からない彼女達にも、多少はあの戦いの素晴らしさが理解出来たようだ。

 しかし湯舟から出ているサトミはともかく、入りっぱなしのモトちゃんは熱くないんだろうか。

 ダシが出きらないか、少し不安である。


 ドライヤーを使うまでもないので、濡れた髪のまま廊下を歩いていく。

 エアコンが効いているし、短いからすぐ乾くのだ。

 これ以上熱いのは勘弁して欲しい、という理由もある。

「やってるね」

「え、ええ」

 荒い息の間に返事を返す沙紀ちゃん。

 彼女の前には、卓球台。

 ただそれは壁へと付けられていて、ボールも壁と彼女のラケットの間を行き来している。

 それも、ノーバウンドで。 

「サーカス入ったら」

「そういうもの?」

「知らない」

 そんな答えに、思わず手元が狂う沙紀ちゃん。

 それでもすかさずラケットを返し、台に着く寸前でボールを打ち返した。

「いっそ、オリンピックに出たら」

「さすがに、そこまでのレベルでも……」

 完全に手元が狂い、ボールが私の目の前に飛んできた。

 手首を返し、それを軽く受け止める。

「もう、優ちゃんが邪魔するから」

「はは、ごめん」

「試合する?」

「いい。私、だるくて」

 お風呂上がりには、ちょっと辛い。

 それに、このマッサージチェアから動きたくない。

 極楽って、こんなところにあったとは。

 念仏唱えなくてもよかったんだね。

「大体、裾まくり過ぎ」

「動きにくいの。誰も来ないから」 

 と言った途端、真っ赤な顔になる沙紀ちゃん。

 タオルを肩に掛けた柳君も、真顔で立ち止まる。

「す、すごいね」

 かろうじて出た言葉が、これ。

 確かに。


 浴衣の裾を思いっきりまくり上げ、火照りを帯びた長い足が惜しげもなくさらけ出される。

 ミニスカートと同じくらいの露出とはいえ、浴衣というのがまた違った見方をさせてくれる。

 ちなみに私がやっても、笑われるだけだ。

「は、はは。冗談冗談」

 こそこそと裾を直す沙紀ちゃんだけど、今度は胸元がはだけだした。

 何せ、大きいから。

「い、今のも無しね」

「いやらしい子。あー、やだやだ」

「優ちゃん、変な事言わないで」

 帯をきゅっと締め、どうにか浴衣の乱れを抑え込む沙紀ちゃん。 

 そうすると見事なボディラインがはっきりと浮かび上がり、また違う色気も感じさせる。

 スタイルのいい人は、何やっても得だな。

「ぼ、僕。来ない方がよかった?」

「まさか。ほら沙紀ちゃん、丹前来てよ。丹下が丹前……。つまんない」

「私のせいじゃないでしょ」

 そうだけど、もう一ひねり欲しいところだ。


「みんな、楽しそうだよね」

 卓球のボールを台の上に転がしていた柳君が、ぽつりと呟く。

 夕方も聞いた、あの言葉。

 あの時以上の、寂しげな表情。

 そして私に、掛ける言葉は見つからない。

 言葉は幾らでも思い浮かぶし、口にする事も出来る。

 ただ今の私が言う事に、どの程度の重みがあるのか。

 自分の面倒すら見切れないそんな私に、人を説く資格はない気がする。

「……僕はずっと一人で生きてきて、それをずっと当たり前だと思ってた。舞地さん達はまた別だけど、こんな風に僕を受け入れてくれる人がいるとは信じられなくて」

「柳君……」

「ごめん、変な事言って。みんな優しいし、良くしてくれるから余計不安になっちゃって。どうして僕なんかに、そんなにしてくれるんだろうって思うと」

 笑顔を作ろうにもそれはすぐに消え、視線が伏せられる。

 自分自身を無価値に思う、その気持ち。

 私のよく知らない彼の生い立ちと、その生き様。

 それが時折、翳りを帯びた表情へと変える。

 かろうじて語られたその心境は、私まで苦しくなるくらいの思い詰めたものだった。

 普段なら明るく声を掛けられる。

 たわいもない冗談で、彼の気を紛らわす事だって出来る。

 でも今の柳君は、そんなその場しのぎで済ませられないと分かっている。

 そして今の私に、自信を持って何かを語る事は出来ないとも。



「その気持ちは、分からなくもないけど」

 固い、小さな声。

 暗がりの窓を見つめ、背を向けていた沙紀ちゃんの言葉。

「私も中等部の頃は、何となく生きていた。自分の価値ややりたい事も考えずに、ただその日が楽しければいいと思ってた」

「丹下さん……」

「自分の居場所や、仲間、これからの事。何も考えてなかった。それで良いとも悪いとも」

 自嘲気味な苦笑が漏れ、窓が開け放たれる。 

 吹き込む山間の冷えた夜風。

 彼女の長い髪が大きくなびき、その身を包む。

「自分が何をすればいいのか、どうしたいのか。あるきっかけで、そんな自問自答に辿り着いたの。それで分かったのは自分の価値の無さと、考えの無さ。惰性で生きていた自分の姿」

「そう……」

「自分が本当に受け入れられているのか、なんて事も少しは考えたわ。だから柳君の気持ちも、私なりには分かるつもり」

 再び洩れる、苦笑めいた笑い声。

 沙紀ちゃんは窓を閉め、広がった髪をそっと撫でつけた。

「だったら受け入れられるためには、どうすればいいか。そう考え始めたその日から、私は髪を伸ばしたの。自分が変わった証として」

「僕にも、変われと?」

「それは柳君自身が決める事よ。私がそうしたように。今のままでも、あなたは十分にみんなに受け入れられている。でも自分がそれに納得出来ないのなら、何かをしても悪くはないかもね」

 その言葉に、表情を揺り動かす柳君。

 でも沙紀ちゃんは振り向く事なく、廊下を歩き出した。

「沙紀ちゃん」

「柄にもなく恥ずかしい事言ったから帰る。今の話、みんなには内緒ね」 

 後ろ向きのまま手を振り、いつもより大きく見えるその姿は廊下の奥へと消えていった。

 柳君に語った色々な事を、私の胸にも残して。


「僕は、変わった方が良いのかな。雪野さんはどう思う?」

「私からも、なんとも言えない。それに人へアドバイス出来る程、私は立派な人間じゃないから」

「浦田君の事、まだ気にしてるの。玲阿君や遠野さんの事も」

 私は曖昧に頷き、壁へ背をもたれた。

 さっきの沙紀ちゃんの言葉が、まるで自分にも向けられたような気持のまま。

「そうだよね。自分で考えないとね」

「ごめん。私、なんの力にもなれなくて」

 苦しい思いで頭を下げようとしたら、優しい笑顔に出会った。

 私を元気づけようとしてくれる、柳君の微笑み。

 彼自身苦しく辛いはずなのに、それなのに。

「……一言言えるのは」

「え?」

「沙紀ちゃんが言ったように、柳君は今のままでも十分だよ。私は、そう思ってる」

「ありがとう、雪野さん……」

 笑顔は安堵のそれに変わり、いつものにこやかな笑みが戻ってくる。

 私の心を和ます、可愛らしい表情に。



 彼自身、本当にこのままで良いとは思っていないだろう。

 でも、今が駄目なはずはない。

 だって、そんな素敵な笑みを浮かべられるのだから。

 私のために。

 友達のために。

 その笑顔の価値に気付く日が早く来るようにと、私は胸の中で強く祈った。





     




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