エピソード EX8 ~2年編・矢加部さん視点~
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パーティ会場に流れる、楽団の生演奏。
カクテルドレスにタキシード。
テーブルには食べ物が次から次へと運び込まれ、ただそれに手を伸ばす人はあまりいない。
グラス片手に談笑するのが忙しいのか、会場の隅で内密な話に勤しみたいのか。
何となくため息を付き、大きな窓ガラスに映った自分の姿に視線を向ける。
背中の開いた、真っ赤なドレス。
胸元には宝石が輝き、髪は結わえてアップしている。
高校生にしては大人びた。それとも背伸びした格好。
その分表情は疲れ気味で、虚ろに見える。
「矢加部さん、ですか」
声を掛けられ、笑顔を作って優雅に振り向く。
声の主は、ブリティッシュ風のスーツに身を包んだ若い男性。
儀礼的にグラスを合わせ、相手の名刺を受け取る。
昨日も交わしたような会話。
きっと明日も交わすだろう、建前と惰性に満ちた台詞。
それでも笑顔は崩さず、興味を持った振りをして逐一頷く。
この場で求められるのは社交性であり、自分の意見や行動力ではない。
「是非ともお父様によろしくお伝え下さい」
私に会いに来る人が、必ず付け加える一言。
あくまでも私は父の代理。
求められるのは矢加部家の力であり、父の意向。
私は単なる窓口、その代理に過ぎない。
誰も私という存在を求めてはいないし、必要ともされていない。
この場に招かれるのも矢加部家に生まれたからであり、私個人の資質や能力は何一つ関係ない。
それは目の前で、自分の会社について語る若い男性についても同じ事。
典型的な二代目、三代目といった雰囲気。
仕事は親の側近任せ、自分は成果だけを得る。
苦労も知らず、またそれを無意味と捉える人達。
世間から見れば私もその中の一人で、所詮はお嬢様でしかない。
「もうすぐ、クリスマスですね」
「ええ」
反射的に答え、心の中で疑問符を浮かべる。
クリスマスとは何なのか、一瞬理解が出来なかった。
毎晩のように催されるパーティ。
それが少し派手になる日の事か。
「何か、ご予定でも」
「ええ。多少」
曖昧に答え、相手に立ち入る隙を与えない。
向こうから見れば所詮小娘。
籠絡するのはたやすいと思っているだろうが、育ってきた環境が環境。
この場は私にとっての日常。
どう振る舞えば良いか、何を話せば良いか。
相手の意図はどこにあるか。
自分はどう振る舞うべきか。
今更考える事もなく、意識する必要もない。
「では、また何かありましたら」
若干不満そうな表情を残して去っていく男性。
名古屋において矢加部家の存在は大きく、一時期ほどの勢いがないとはいえその振る舞いは東海地方の企業だけでなく自治体にも影響を及ぼす。
その一人娘ともなれば、策を弄してでも取り込もうとする人間は大勢いる。
窓に映る自分の姿。
私はこの社交場で踊っているのか、踊らされているのか。
派手なドレスの色は、闇の中に溶けこんでいる。
憂鬱な気分のまま家に戻ると、真由さんが尋ねてきていた。
「また、すごい格好ね」
遠慮無く評する真由さん。
矢加部家と鶴木家は、江戸時代から続く主従の関係。
今更主従でもないし、私と彼女はむしろ私が従う立場。
そう考える事自体、時代錯誤とも言える。
服を着替え、ワンピース姿でリビングへと戻る。
真由さんは母と一緒に栗を剥き、じれったそうに指を動かす。
「斬りましょうよ、真っ二つに」
果物ナイフを手にして、栗を握りしめる真由さん。
母は苦笑して、試しにやってみるよう促した。
一瞬鋭くなる眼光。
手首の先が消え、次の瞬間両断された栗がテーブルの上へ転がっていく。
ただし結果としては半分に切れただけで、皮は以前として付いたまま。
根本的な解決には至っていない。
「面倒な食べ物ね。メイドさんが剥いてくれないの?」
「頼めばやってくれるわよ。でも、そんな事頼んでもね」
「私なら背中を流してもらって、添い寝もしてもらうけどな」
豪快に笑い、栗の身をスプーンで掻き出す真由さん。
その軽口に私も少し笑い、ため息を付く。
大した事をした訳ではないが、疲れが溜まっているのかも知れない。
「もうすぐ、クリスマスよね。何か予定はあるの?」
「パーティが幾つか入ってます」
「個人的な予定よ」
「特には」
スケジュール表に隙間はないが、それが私個人のスケジュールだとすればほぼ空欄。
あくまでも矢加部家の長女。父の代理。矢加部という名前があってこその話。
私個人が求められる訳ではない。
「来ましたよ、迎えに」
肩を落として現れる武士君。
真由さんの実家である鶴木家と御剣家は遠縁の関係。
だからといって運転手代わりに呼びつけるような立場ではなく、これは全く個人的な上下関係。
この人に逆らう人を、今まで見た事がない。
いや。全くいない訳でもないが。
「では、失礼します。ご馳走様でした」
「栗ですか」
「好きなら、持って行く?」
「好きではないんですけどね」
熊みたいに大きな手で鷲づかみにして、無造作にポケットへ入れる武士君。
何が好きではないか、今一度問いかけたい。
帰る二人を駐車場まで見送り、茹でてない栗も武士君に渡す。
「肉が好きなんですけどね、俺は」
「そんな事言ってるから、四葉君に勝てないのよ」
「そういう問題なんですか」
「問題なの」
根拠の欠片もない事をきっぱり言い切る真由さん。
それには武士君も苦笑して、私に礼を言って車を走らせる。
すぐに遠ざかるテールランプ。
駐車場のライトが一段明かりを落とし、冷たい夜風が頬を打つ。
広い敷地、何台もの車。
明かり越しに見える大きな建物。
それははあくまでも父の物。
先祖が築き上げた、矢加部家の物。
私自身とは無縁の物でしかない。
ただ世間から見れば、私は矢加部家そのもの。
私の発言も行動も、全ては矢加部家の物として捉えられる。
どちらにしろ私個人はどこにも存在せず、言ってみれば印鑑のような物。
矢加部家ではあるが、それ自体に意味はない。
家名と形式。必要なのは、ただそれだけ。
だから私は、その求めに応じて振る舞う以外に道はない。
わがままなお嬢様。
家柄を鼻に掛けた女として。
殊勝な態度を取ろうとも、逆にそれは嫌みと取られるだけ。
だとすれば、初めから尊大に振る舞えばいい。
押し寄せる重圧を跳ね返すためにも。
好奇の視線を避けるためにも。
結局私は、矢加部という名前に守られるしかない。
クリスマス前。
廊下を行き交う生徒達は皆楽しげで、足取りも軽い。
今年を締めくくる。
人によっては最大で最高のイベント。
私にとっては、昨日と同じ一日でしかないが。
「学内のイベントはどうします?少し、人手が足りないのですが」
バインダーを振りながら現れる小谷君。
ガーディアンの動員は現場の担当者に一任されている。
また大規模な動員は、自警課課長の専権事項。
それには局長も、局長補佐でも簡単には口を挟めない。
ただ彼も無能ではなく、そのくらいは理解している。
つまり、話には続きがあると思えばいい。
「旧連合のガーディアンを動員してもよろしいでしょうか」
執務用の机に顔を伏せている矢田局長に話し掛ける小谷君。
この二人は、先輩と後輩の間柄。
親しい関係で小谷君も矢田局長に従ってはいるが、彼の心情は連合寄り。
これも許可と言うよりは、報告と考えていい。
「人数が足りないという事は無いはずですが」
視線を上げて問い返す局長。
小谷君は頬に手を触れ、多少言いにくそうに口を開いた。
「確かに人数は足りています。ただ、練度の高いガーディアンは限られていまして」
「……前島君」
話を振られた前島君も小谷君と同じような表情をして、ゆっくりと首を振る。
自警局が保安部の傘下にあるが、役職としては局長が上。
とはいえ彼に命令する事はなく、気兼ねや遠慮めいた気持ちが介在するらしい。
「小谷君の言う通り、連合に任せるのが一番でしょう。俺の部下を動かしても良いですが、クリスマスに銃は無粋ですよ」
「しかし」
「元々クリスマスに警備をするだけでも、士気は低いんです。その分人数を補うのは当然でしょう」
理詰めで責める前島君。
彼の立場こそ微妙だが、発言は常に正論で的を射ている。
いっそ彼が自警局長になれば良いという陰口も、あちこちでささやかれる程だ。
「矢加部さんの意見は」
今度は私に振ってくる局長。
私と連合との確執を突いてきた良いと言いたいが、確執があるのは極一部。
塩田さんや元野さんに含むものはないし、小谷君の提案には賛成だ。
「特に問題はないかと。むしろ、連合から有能な人材を引き込む良い機会では」
「……指揮権は生徒会ガーディアンズ。雪野さん達は参加させない。この二点は守って下さい」
「了解です。それに雪野さんは、警備なんてしないでしょう。そんな日に、わざわざ」
疲れた顔で笑う小谷君と、肩をすくめる前島君。
確かにクリスマスだというのに、人が楽しんでいるのを眺めながら警備するのはあまり楽しい物ではない。
「済みませんが、私は家の用事がありますので」
「良いですよ。仕事は俺が代わりますから」
愛想良く応じてくれる小谷君。
決して楽しい用事ではないが、こうして理解を示してくれるのは少し嬉しい。
ちなみに彼等3人は、当日も本部詰め。
冴えないクリスマスではある。
クリスマス・イブ当日。
ホテルの大広間で行われるクリスマスパーティ。
そういう名称が付いているだけで、いつものパーティーと何が違う訳でもない。
本物のモミの木を使ったツリー。
コンパニオンが、ミニスカートでサンタクロースに扮しているのがせいぜいで。
「メリー・クリスマス」
時折聞かれる浮かれた声。
とはいえこうして楽しんでいる人もいるので、こういった趣向も決して無駄ではない訳か。
「きゃっ、ごめんなさい」
私の足元を駆け抜け、深々と頭を下げるドレス姿の幼い少女。
その愛らしい仕草つい笑顔を誘われ、そっと彼女の頭を撫でてしまう。
うっすらと茶色掛かったショートカット。
愛嬌のある顔立ち。
何となく誰かを想像しなくもないが、少なくともこの子は素直で礼儀正しい。
「済みません。彼女が、ご迷惑をお掛けしたみたいで」
その隣で頭を下げる、もう少し年が上の男の子。
ただ私から見れば、どちらも子供。
小学校低学年といった所。
さらに言うとこの会場に詰めかけた大人達から見れば、この子達も私も子供にしか見えないだろうが。
「危ないから、周りを見て。気を付けてね」
「はい」
可愛らしい、素直な返事。
当たり前だが私を睨み付けたりはせず、にこりと微笑んだかと思うとテーブルに並んでいる料理に目を奪われている。
顔立ちも異なっているので、兄弟ではなく友達。
親同士が知り合いといったところか。
気付けば子供達は別なテーブルへ移り、親か親戚らしい家族に混じってケーキを食べている。
クリスマス用に発注された、靴下をかたどったケーキ。
私はさすがに見て楽しめば十分だが、彼女達はその味が全て。
食べる事こそに意味があるようだ。
「ガキなんて連れてくるなよ」
後ろから聞こえる不平。
コンパクトを取り出し、それとなく呟いた相手を確認する。
ワイングラスと葉巻を手にした、若い男。
先日私に話し掛けてきた、どこかの二代目か三代目。
自分も子供だという自覚もなく、ここが禁煙だと分かっていてのこの振る舞い。
注意するのも馬鹿らしく、声を掛けられる前にこの場を離れる。
レストルームで鏡を見つめ、遠くから聞こえる歓声にため息を付く。
いつ果てるとも知れない宴。
目的など誰も考えていなければ、初めから存在もしない。
ある者は知己を広げ、仲を深め合う事だとも言う。
もしくはこうして散財する事で、経済を活性化させているのだとも。
どちらもあながち間違いではないが、所詮は見栄と惰性の産物。
このパーティが無くともこの世は動くし、人間関係が滞る事もない。
特権階級という立場に酔った馬鹿騒ぎとしか思えない。
それが今日だけの事ならまだしも、連夜続けばさすがに付き合いきれない。
父や母が社交界に顔を出したがらないのは正解で、多少周りと疎遠になろうともここに来て気分を害すると思えば賢明な選択だ。
ただしそれは、すでに地位も名誉も確立した両親の話。
未だ名前すらろくに覚えられていない私は、この淀んだ海で泳ぎ続ける以外にない。
気を重くしつつ会場に戻ると、依然として騒ぎは続いていた。
何をやってるのか興味はないが、愛想笑いを浮かべてテーブルを渡る。
手つかずのまま下げられる料理。
一杯分を注いだだけで見向きもされなくなるワインボトル。
厨房でこの全てを捨てる訳ではないにしろ、逆に全てが再利用される訳でもない。
ここでは感じるはずのない、非難がましい視線を振り払ってお茶のグラスを手に取る。
アルコールは好きではないし、飲んでいては身が持たない。
こういう時は、子供であり女性というのは特権と言える。
ワインボトルを担いでうろついている、例の男。
すでに足元はおぼつかず、顔は真っ赤。
私が主催者なら即座に退場させたいが、この場にいる以上客は客。
むげな事は出来ないのか、スタッフは苦い顔で男の様子を見守るだけ。
こういう光景を見ると、むしろ大人の方が倫理感に欠ける。
これが草薙高校なら、問答無用で拘束して終わりだ。
しかしそんな訳はなく、ここは大企業の主催するパーティ会場。
多少羽目を外すくらいで丁度良い、くらいの意見が大勢を占める。
ただそれにも程度があり、グラスを床に落としている男は目に余るのだが。
さすがに一言注意しようと思ったところで、男が会場の正面。
壇上へと歩き出した。
先程までは歌手のグループがクリスマスソングを歌っていて、今はバンドが後片付けをしているところ。
ただ男が向かったのはそちらではなく、壇上の右端。
大きな、人一人軽く入れそうな花瓶。
今はどこで手に入れのかひまわりが活けられ、その隣にツリーがそびえるというセンスがあるのか無いのか不明な構図。
明らかに嫌な予感。
酔った勢いと、格好の標的。
ツリーは天井に届くほどで、倒れれば怪我人どころでは済むはずはない。
ひまわりはこの時期に手に入れるのは困難で、相当高価。
ただ問題はそちらより、大きな花瓶。
この会場の正面を飾るのなら、それ相応の品物。
割りました、済みませんで済む物とは思えない。
しかしそこは酔った勢い。
自分への過信が、行動をエスレートさせる。
慌てて止めに入るスタッフ。
その手を振り払い、花瓶に向かう男。
ひまわりを取ろうとしているのか、それとも花瓶その物をどうにかする気か。
放っておけと言いたいが、その考えはすぐに霧散する。
壁際で、眠そうにしていた先程の少年と少女。
彼等はひまわりを仰ぎ見て、その眠さをかろうじて堪えていた様子。
夏空によく生えるあでやかな黄色の花を見て。
距離的に、花瓶が倒れれば彼等にも被害は及ぶ。
悠長に、お茶を飲んでいる場合ではない。
結局私も、この場の淀んだ空気に毒されていたのか。
完全に出遅れたのは否めない。
そしてハイヒールと、膝下のスカート。
制服の感覚で走り出したまでは良かったが、悪い夢のように進まない。
花瓶の端に手を掛ける男。
ゆったりと、スローモーションで倒れてくる花瓶。
想像を絶する金額の花瓶を守るか、見ず知らずの少年達を守るか。
迷う理由は何もない。
倒れてきた花瓶に足を掛け、全身の力を込めて押し返す。
反対側は壇上で、当たり前だが花瓶を支えるようには出来ていない。
構わず腰を落とし、膝の辺りに走る痛みを堪えつつ足を伸ばす。
一瞬のどよめき。
それが何か気にする余裕もなく、足を伸ばしきって花瓶に背を向ける。
ふと漏れる安堵のため息。
少女を守るように、彼女を包み込んで身を固くしている少年。
その身を彼に委ねている少女。
背後から聞こえる花瓶の割れる音。
そんな事はどうでも良い。
この二人さえ守れれば、私はそれで。
しかし世の中、当たり前だが私の感情や気分だけでは動いていない。
すぐに周りを囲まれ、申し訳なさそうに意見が述べられる。
花瓶の価値、貴重さ。
そして当然だが、金額も。
「この女に弁償させろ」
一人声高に叫ぶ男。
どうやら持ち主はこの男で、多少ぞんざいに扱ったのもそのせいか。
「人の花瓶を割やがって。これはもう二度と手に入らない、俺が頭を下げて作らせた物なんだぞ。今すぐ親を呼んで、金を持ってこさせろ」
一方的な物言い。
誰のせいでと言いたくもなるが、それは言い訳。
割ったのは誰でもない、私自身。
弁明の余地は一切無い。
「あ、あの」
何か申し出そうな少年と少女を制し、静かに息を整える。
自分らしくない、短慮に走った行動。
割るより二人を抱えて逃げた方が早かったかも知れないし、下はカーペット。
突き飛ばせば済んだ話かも知れない。
ただ、それは今更。
私が花瓶を割った。
その事実があるだけだ。
そして、一人私をなじる馬鹿な男が。
落ち着こうと思ったが、どうも無理らしい。
教えてやろう。
一体誰を相手にしているかを。
誰を怒らせたのかを。
私なりのやり方で。
「分かりました。全額弁償させていただきます」
「それだけで済むか。賠償金も用意しろ」
好き勝手に攻め立てる男。
酒に酔い、自分に酔い、力を過信し、己が何者かも見失い。
この世に存在している理由が理解出来ない。
「では、これで」
カードを一枚床へ投げ捨て、男に顎を振る。
それを不審そうな顔で拾い上げ、端末とリンクさせる男。
その額に血走った目が大きく見開かれ、口元がだらしなく緩む。
「賠償金の手付けは、それで。正式には、追って両親と相談した後にお支払いいたします」
「え」
男はそれが花瓶の代金込みと思ったはず。
おそらくそれでも十分すぎる額だろうが、甘く見られては困る。
私ではなく、矢加部家の存在を。
「これをお作りになった陶芸家へ、同じ物を作っていただきます。無論それ以外の、同格の先生方にも数点。大皿と小皿。水挿しもご一緒に。少々お待ちを」
近くの人に男の身元を確かめ、彼のアドレスを確認。
知り合いの陶芸家に通話を入れ、男に連絡するよう話を付ける。
青い顔で端末を手にする男。
勿論、この程度で終わらす気はない。
「花瓶がない間、その代わりをご用意させていただきます。東京、ルーブル、スミソニアン、エルミタージュ、ロンドン、ボストン、各美術館からお好きな物をお取り寄せ下さい。こちらも、随時ご連絡が届くかと」
顔中に汗をかきながら通話を続ける男。
間を置かず、スタッフがジュラルミンのケースをキャスターに乗せて現れる。
「ホテルにある現金がこれだけでしたので、賠償金の足しにして下さい。それと花瓶の代金は、こちらをどうぞ」
白紙の小切手帳とペンを放り投げ、男を促す。
しかし私の言葉は聞いているのかいないのか、青い顔で震えるだけ。
「数点花瓶が入手出来たので、今すぐご自宅に搬送いたします。入らないようでしたらご自宅の改装も致しますので、お見積もりを実家へ送って下さい。とりあえず周辺の土地を今すぐ買収いたしますから」
床に崩れ、手を付いてうなだれる男。
何か謝っているようにも聞こえるが、今更という話。
馬鹿馬鹿しくて、話にもならない。
「済みませんが、その辺で」
申し訳なさそうに間に入る、主催者の一人。
そちらにも噛みつこうかと思ったが、それは無意味。
彼が拾い上げたカードと小切手帳をしまい、ひまわりを手にして肩に担ぐ。
地下駐車場で、深く反省をする。
やり過ぎも良いところで、一言謝り妥当な額を支払えば良かっただけ。
一時的に気分は良かったが、今は虚しさしか残らない。
「待て」
予想通り追ってくる男。
立ち直ったのか、なんなのか。
少なくとも和解を申し出にきた顔ではない。
「舐めた真似しやがって。ただで帰れると思ってるのか」
抜かれるサバイバルナイフ。
護身用にしては大きすぎ、悪趣味か別な趣味か。
ただし照明に光る刃の鈍い輝きは、それが本物である事を告げている。
加えて背後からの足音。
私を救う白馬に乗った王子ではなく、黒いスーツを着込んだ柄の悪い男達。
この男のボディーガード。
暴力団とつながりがあるというのも、単なる噂ではなさそうだ。
1対5。
か弱い女子高生一人と、武装した大人が5人。
悲鳴を上げて逃げるか。土下座をするか。
こびを売ってこの場を誤魔化すか。
「脱ぐか脱がされるか、選べよ」
嗜虐的な表情を浮かべ、ナイフを手の平で叩く男。
思わず顔から血の気が引き、息が詰まる。
しかし悪夢ではなく、これは現実。
それも、私の身に起きている。
私達以外には誰もいない地下駐車場。
監視カメラからも死角の位置。
選択肢は幾つも残されてはいない。
男の言いなりなるか。
無理にでも逃げるか。
それとも。
ナイフ片手に手を伸ばしてくる男。
下品に歪む赤ら顔。
背後の男達も、牽制気味に距離を詰めてくる。
もはや逃げ場はなく、後は男達にされるがまま。
所詮、何の力も持たない女子高生。
家柄。家名があるだけの、単なる小娘に過ぎない。
右前に体を沈み込ませ、伸びてきた手をかわしつつ男の顎に掌底を当てる。
バランスを崩した男の背後に回り、その背中に前蹴り。
護衛にぶつけ、連中の動きが止まったところで突進をする。
倒れた男を踏み越え、まずは膝蹴り。
突っ込んできた護衛の腕を取り、足を払ってコンクリートの床に叩き付ける。
残りは二人。
そんな彼等向かい、コートの中へ右手を入れながら不敵に笑ってみせる。
「下がるなら見逃す。それ以上近付けば、覚悟を決めなさい」
戸惑いと焦り。
真冬の地下駐車場。
それでも彼等の頬には汗が伝う。
私の家柄。
その権力と財力を持ってすれば何が出来るかは、彼等の方が詳しいくらい。
「もみ消すのは簡単だけど、せっかくのクリスマス。この場を赤く染めても興が冷める」
甲高い声を上げ逃げていく護衛。
床に倒れた護衛も四つんばいで逃げ出し、最後に残った男の顔にヒールのかかとを突きつける。
「私を誰だと思ってる訳」
「そ、それは」
「下郎が」
鼻をしたたか蹴り付け、改めて床に倒れた男を一瞥する。
道に転がる石ほどの価値もない男を。
もしくは、そう処理してもいいという目付きで。
「も、申し訳ございませんっ。や、矢加部様」
「今日はクリスマスに免じて、水に流させて頂きます。ただし同じ事がもう一度あれば、その時は警告もいたしませんので」
「は、ははー」
土下座する男には目もくれず、自分の車の前に立つ。
そのボンネットに座り、にやにやと笑っている真由さんの前に。
「駕籠を用意した方が良かったかしら」
「冗談は良いんです。見てたのなら、助けて下さい」
「護身術も、たまには実戦で使わないとね」
くすくす笑う真由さん。
私も一応、自分の身を守る程度の術は身に付けている。
自分の周りに例外な人間が多いため、それを使う機会がないだけで。
「でも、銃なんて持ってた?」
「まさか」
コートから、先程花瓶から抜いたひまわりを取り出し彼女に渡す。
その奥にはスタンガンも入っているが、それを彼女に突き出す必要はない。
私を守ったのは、結局矢加部家。
それがあってこその脅しであり、信憑性。
また護身術を身に付けられたのも、当然ながらこの家に生まれついたから。
私は矢加部家の人間で、それに誇りを持っている。
その家名を高め、後世に受け継いでいくのが私の使命。
格式と伝統を。
我が家の栄誉と名誉を。
時にはそれを重荷に感じる時もあるけれど。
否定しようと逃げようと、それから本当に逃れるなんて出来はしない。
何よりそんな気は毛頭無い。
自由はなくとも。
人が思う程幸せではない生き方だとしても。
私はこの人生を気に入っている。
気ままな暮らしに憧れはする。
そんな事も出来たらいいなと思いもする。
でもそれは、私ではなくても出来る事。
私は、私に出来る事をする。
私だけに出来る事を。
叶わない夢を見る時期は、もう過ぎたのだから。
クリスマスプレゼント
玄関に並ぶ小さな靴。
パタパタと聞こえる小さな足音。
小柄な少女は私を見ると、そのまま引き返していこうとした。
「用事があるから来たんです」
「私に?」
パジャマ姿で、怪訝そうに尋ねてくる雪野さん。
彼女との経緯を考えれば、この反応は不思議ではない。
「アニマルセンターの支部を岐阜と三重に、数カ所作る事になりました。そのご報告です」
「普通にすごいね。その調子で、全国展開してよ。それで、交通事故に遭ったタヌキやキツネとかも収容出来たら良いんじゃないの」
非常に無責任な発言。
私の抱えている仕事を半分くらい押しつけてやりたいが、一応礼は言ってきた。
人間性はともかく、礼節はある程度わきまえているから。
ある程度は。
「あら。矢加部さん。どうかしたの」
ちょこちょことやってくる、彼女に良く似た女性。
正確には、彼女が似ていると言うべきか。
「犬猫センターを増やすんだって」
「ああ、前言ってた。ついでに、この子の引き取り手も探してよ」
「まずは、親猫をどうにかしたら」
楽しそうにじゃれ合う雪野母子。
何となく微笑んでしまいそうになり、慌てて表情を作り直す。
「私は、これで」
「お茶くらい飲んでいったら。今、ロシアンティーをいれてるの」
にこやかに微笑むお母様。
ここで断るのも無粋。
雪野さんも一応良さそうなので、とりあえずはお邪魔しよう。
リビングでロシアンティーと、昨日のパーティーの残りらしいお菓子を少し頂く。
部屋の隅には、小さなツリーが出しっぱなし。
明かりがないと、少し寂しく見えなくもない。
「矢加部さんは、この時期パーティーパーティーで大変でしょう」
そこは大人。
事情も分かっていて、労りの言葉を掛けてくれるお母様。
雪野さんは、昨日の残りらしいケーキの切れ端を食べている。
私の出席するパーティーでは厨房の段階で捨てられそうな物だが、彼女は満面の笑みを浮かべそれを頬張る。
幸せの定義は難しいけれど、それが主観であるのは間違いない。
楽しそうな笑い声と笑顔。
普段の私の生活には薄い物。
今日はクリスマス。
だからという訳でもないが、これがささやかなクリスマスプレゼントなのだろうか。
了
クリスマスエピソード EX8 あとがき
本編。優視点では高慢ちきでお嬢様を鼻に掛けた高慢ちきな女。
ただ実際は今回のように、それは本人も承知。
一々言い訳をするのも面倒なので、敢えてそのステレオタイプを利用している部分もあります。
彼女は彼女なりに色々思い悩み、苦労している様子。
ただ性格上、彼女と優が相容れる事はこの先も無いでしょう。
ちなみに矢加部家は、東海地方を地盤とする財閥。
没落していると作中にありますが、それは最盛期に比べてという話。
東海地方で矢加部家は、名門中の名門。
矢加部家に関わらない企業は存在しない程で、その意向は自治体の運営にも影響します。
現在の当主である矢加部さんのお父さんはその辺に無頓着というか、現状維持で十分と考えるタイプ。
お母さんもおっとり型で、その辺が矢加部さんの苛立ちであり「没落」と言われる所以。
対して舞地財閥は、北関東の名門。
その影響力は国政にも及び、矢加部家をしのぐ勢いを今は持っています。
ちなみに矢加部家は製造業中心。
舞地家は、情報金融部門が中心。
国内有数の財閥同士とあり、親同士の面識は以前からあります。
また玲阿家などとは、江戸時代からの関係。
御土居下同心の上役という設定。
実際の上役は成瀬家なんですが、そこはフィクションと言う事で。
というか、玲阿家自体存在しませんけどね。




