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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
クリスマスエピソード
594/596

エピソード EX6   ~2年編・天満さん主観~






     思い




「クリスマスがどうしたっていうの」

「お金、予算がない」

 端的に伝え、あれこれ言われる前に申請書を全て机の上へと並べていく。

 予算編成局局長・中川凪。

 大仰な肩書きの付いたプレート越しに、凪ちゃんは申請書を集めながら微笑んできた。

「却下よ」

 一言で切って捨て、申請書を処理済みの箱へと放り込もうする。

 その手を掴んで申請書を奪い返し、改めて並べ出す。

「嶺那。私は前言わなかった?予算は足りてるかって。年末は物入りだから、簡単に臨時の予算は組めないって」

「言ったかもね。でも、今いるのも事実なのよ」

「無い物はないの。来週にはどうにかなるから、その時来て」

 来週って、クリスマスは今週。

 冗談で言ってるのか、仕事が忙しくて追い込まれてるのか。

 何にしろ、お金が無いのだけはよく分かった。

「困ったな」

「企業から調達すればいいじゃない」

「人手も欲しいの。何も無しで働いてくれる人なんている?この年末の忙しい時期に」

「しかもクリスマス。私達は、何をやってる訳」

 大きなデスクに飾られたミニチュアのツリーを指さし、唸り声を上げる凪ちゃん。

 そんな事に今頃気付かれても困るが、言いたい事やよく分かる。

「後払いの形を取るなら、ある程度は融通出来るわよ」

「じゃあ、それでお願い。でも、現金が出来たらすぐ連絡して」

「はいはい。あー、面白くない」



 放っておくといつまでも愚痴られそうだったので、そうそうに予算編成局の建物を抜け出し現場へと向かう。

 やる事はいくつもあるが、気になっている案件の一つは正門から奥の建物へと続いていくイルミネーション。

 小さな電球を網の目状につなげた、よくある電飾の飾り。

 前から正門付近は飾り付けていたが、建物まで延長させたのは今年が始めて。

 その分予算がかかり、人手も必要になってくる。

「局長。全然足りませんよ」

「豆電球が?」

「人間です」

 寒い風に吹かれながら、脚立を使って並木に飾り付けをしている運営企画局の局員達。

 通常こういった作業は運営企画委員会、つまり実行部隊の仕事。

 ただ委員会は委員会で仕事は山のようにあり、また元々その辺りの垣根は低い。

 ちなみに私は不器用なので、こういった作業にはあまり関わらないようにしている。

「大丈夫。予算の目処はついたから、適当に人を集めて。ただし、後払いでも良いって人だけ」

「分かりました。でも、この忙しい時期に集まります?」

「まあね。あーあ、馬鹿な企画しちゃったな」

「怖い事言わないで下さい」

 真顔でたしなめられ、慌てて並木道を駆け抜ける。

 やる事はまだまだあるし、ここで足止め食らってる暇はない。

 自分は教師ではないけれど、師走とは良く言ったものだ。



 次にやってきたのは声楽部と吹奏楽部。

 部室というか活動する部屋は隣同士で、性質上両者はほぼ一つのクラブと言ってもいいくらい。

 防音設備の整った演奏用の大きな部屋に入り、練習している彼等を眺めていく。

 全員やる気の満ちた表情で、個別の練習にも力が入っている。

「あ、いたいた。どう、調子は」

「悪くないですよ。イブとクリスマスへ向けて、完璧に仕上げていきますので」

 頼もしく言い切ってくれる、サックスを抱えた大柄な女の子。

 音楽に関しては専門外なので、この自信が今は頼もしい。

「予算が足りないって事は、無いよね」

「ええ。今回はあくまでも部活動の一環ですし、夜食も部費で賄えますから。……苦しいんですか」

「いや。そんな事はない」

 自分に言い聞かせるようにそう断言し、腕を組んで目を閉じる。

 今は全体が揃っての、クリスマスメドレーの演奏。

 自然と気持ちは暖まり、そして華やいでくる。 

 予算が足りない事なんて、全然気にする必要もない。

 という程気楽な立場でもないため、頬を両手で包んで気持ちを切り替える。

「じゃ、演奏の方はよろしく。不都合があったら、早めに連絡してね」

「分かりました。お仕事、頑張って下さい」



 次にやってきたのはSDC本部。 

 すれ違う誰もが大男かすらりとした長身の女性ばかり。 

 私も小柄ではないが、ガリバー旅行記なんて言葉を思い出す。

 局長のIDに物を言わせ、代表執務室へと辿り着く。

 しかし目当ての人はそこにいなく、隣の狭苦しい部屋に収まっていた。

「ここは使うなって、凪ちゃんからも聞いてません?」

「代表は涼代さんで、俺は代行に過ぎない」

 生真面目な事を言い、書類にサインを書き込んでいく三島さん。

 この部屋は元々資料室で、草薙高校を代表するような人間が利用する場所ではない。

 とはいえ彼の心情は分からなくもないので、私達も強制してまで代表執務室へ移らせる事は出来ない。

 何より物理的に、不可能なんだけど。

「それで福祉施設をまわるサンタの件は」

「相撲部とアメフト部に動員を掛けてる。50人もいればいいだろ」

「ありがとうございます。ただちょっと予算が足りないので、手当が減るか支払いは遅れるんですが」

「必要ない。あくまでも善意の行動なんだから、金をもらう理由がない」

 彼らしい、また私の窮状を見越しての暖かい言葉。

 ここは素直に気持ちを受け取り、端末でSDCに使用するはずだった予算をよそへ回す。

「それと言いにくいんですが、サンタを一人追加して欲しいんです」

「誰でも連れて行けばいいだろ」

 書類に視線を落とし、少しも上げようとしない三島さん。

 どうやら、野生の勘が働いたらしい。

「学内でもイベントをやるので、一人必要なんですよ。身体能力の高い人が」

「言っている意味が、全く分からない」

「バイク2台でそりを引いて、その後ろに乗ってもらいます。大丈夫だとは思うけど、転んだ時危ないから」

「俺だって、転べば危ないぞ」

 すでに自分の事だと前提にして話を進める三島さん。

 ただし話を聞いてる暇はないので、イベントのスケジュール表を渡して話を終える。

「どうして俺が」

「いいんですよ。サンタのダンスチームに入ってもらっても」

「トナカイよりましか」

 ため息混じりに呟く熊さん。

 ではなく、三島さん。

 長居するとまた揉めそうなので、さっさと逃げる。



 朝から学内を走り回ったせいか疲労のピークに達し、教棟の食堂で一休みする。

 端末で済ませる事も出来るが、それでは余りにも味気ない。

 何より誠意に欠ける。

「いいよ、うん。……そう、限界まで高く。倒れたら?……あれ、教棟の上から吊れないかな。……うん、それでお願い」

 無論端末で済ます事もあり、こちらは業務連絡に近い内容。

 どちらにしろ、後で見に行かない事には始まらないが。

 伏せていた体を上げ、手つかずのランチに目を向ける。

 ちらし寿司とお吸い物。

 箸を手にしたところで端末が着信を告げ、結局再延長となる。

「……キャンドル?それは並木道に。……ああ、消火器。……足りないって、始めに数えた時は。……分かった、カードに送金するからそれで。……うん、それでお願い」

 頭を掻きながら、端末で予算の残りを計算する。 

 三島さんのお陰でSDCの分は浮いたが、追加の消火器代でかなりの分が相殺された。

 ある程度は余裕を確保しておきたいので、せめてこれだけでも……。

「……ケーキって、それは支払い済みでしょ。……いや、それは向こうの都合じゃない。……分かってる、ここで言い合っても仕方ない。……うん、それでお願い」

 残金はほぼ底を尽きた。

 三島さん、少しの間だっただけど助かりました。

「なんか疲れ気味だな」

 鼻歌交じりにやってきて、私の前に味噌ラーメンを置く塩田君。

 すでに冬休みなので、ガーディアンである彼の仕事は殆ど無い。

 いや。実際はあるのだが、部下が優秀なため彼は何もしなくていい。

 無論彼自身有能ではあるにせよ、私のように走り回る必要はないらしい。

「予算がないのよ」

「そういう話は、俺にしても無駄だぞ。慢性的な赤字だからな」

「期待はしてなかったけど、そう聞かされると余計に疲れる」

「良い奴紹介してやる」 

 高利貸しの知り合いでもいるのかな。



 予想通り、やってきのは大山君。

 とはいえ生徒会副会長であり、彼個人が融通出来る予算は勿論その権限は絶大。

 地獄に仏とは、まさにこの事か。

「多少ならどうにかなりますよ。今言った分については、総務局から動員して対処させましょう」

「お願い。少しだけ、助かった」

「他に、問題でも?」

「根本的に予算がないの。凪ちゃんには初めから過少申告してたし」

 私でも年末に色々と出費があるのは分かっていて、普段から無理を言っている自分としてはあまり彼女に負担を掛けたくなかった。

 それがこの様ではどうしようもなく、こうなったら友人としての立場をもっと利用すれば良かったと今更思う。

「少し散歩しますか」

「え」

「散歩。外へ行きましょう」


 冷たい北風。

 その風に揺れる常緑樹の小さな葉。

 頼りない日差しが並木道を照らし、薄い影を行く手へ投げかける。

「ここも掃除しないと駄目だな」

 道に散乱する落ち葉。

 風情はあるが、雨が降れば滑りやすくもなる。

 いくら天気予報で何度確認しようと、絶対という事はあり得ないから。

「……あ、私。当日でいいから、道の掃除もお願い。……いや、落ち葉。……うん、それでお願い」

 しかしこれは、掃除する人への手当が必要になってくるな。 

 案内標識はここと、あそこと、向こうと。

 よし、問題ない。

「それで、外に何かあるの」

「少し休んだ方がいいかと思ったんですが」

 苦笑気味に長い前髪を掻き上げる大山君。

 その気持ちは嬉しいが、今は気持ちだけで十分だ。

「悪いけど、そういう余裕がないのよね」

「新妻さんは、もっと余裕を持ってましたよ。あの人の場合は、体調の面であまり動けないからでもありましたが」

「先輩には適わないわよ。第一、悠然と構えるタイプでもないし」

 何より先輩とは、能力が違う。

 私はあそこまでの魅力も冷静さも無い。

 状況を把握する力も、何より人を率いていく力に欠ける。

「なるほど。しかし、外は寒いですね」

「おい、俺は帰っていいだろ」

 肩を押さえながら付いてくる塩田君。

 帰るも何も、いた事にすら気付かなかった。

「ご自由に。ただし、何か用事が出来るかも知れないので待機はしていて下さい」

「おい。何言ってるんだ、お前」

「予定がある訳でもないんだし、問題ないでしょう」

 落ち着いた顔で平然と指摘する大山君。

 逆に塩田君は食い殺しそうな顔で彼を睨み付け、肩を怒らせて引き返していった。

「結局、水葉さんと別れたの?」

「所詮塩田は高校生。大人にさしかかった大学生と一緒に過ごしてれば、彼も子供にしか見えなかったんでしょう」

「厳しい話だね。というか、塩田君が単純に子供って気もするんだけど」

 何が楽しいといって他人の噂話程楽しい事はなく、さっきまでの切羽詰まった気分も少しだけ和らいだ。



 渡り廊下の自販機でお茶を買い、細い柱にもたれて空を見上げる。

 うっすらと赤みがかり、東の方はすでに闇の中にある。

「クリスマス、か」

「どうかしました?」

「凪ちゃんとも話したけど、この時期に何やってるのかなと思って」

「張り合いがあっていいと、私は思いますけどね」

 私へ同意する事もなく、淡々と返してくる大山君。

 実際彼の仕事に対する姿勢は私の比ではなく、連日学校に泊まり込んでいる程だ。

 副会長に就任してから生徒会の運営は実質彼が中心となって行われていて、生徒会長が選出された今も責任の大きさとみんなからの信頼は変わらない。 

「そう。私はさすがに、ちょっとね」

「女の子には、特別な時期ですから」

「はは。男の子にもじゃないの」

「さあ。私は、盆も正月もないので。クリスマスがなんなのかも、殆ど忘れてました」

 笑い話にもならない話。

 ただ彼がそれを気にしている様子はなく、単に事実を告げているという顔だ。

「寂しい話ね」

「そういう考え方もあります。何なら、天満さんもしばらく泊まり込みます?」


 別に、彼と同じ部屋へ泊まる訳ではない。

 自分に与えられた局長の執務室は十分に広いし、運営企画局のブースには宿泊用の部屋もある。

 つまりは、そこを利用するだけだ。

「ボディーソープ無かった?」

「試供品ならいくらでも」

 物置となっている小さな部屋を指さす局員。

 バスタオル一枚では心許ないが、部屋に入ってあちこち探す。

 これはクッキー、ノート、たこやき器?

「無いよ」

「もういいです。バスルームに持って行きますから、早く戻って下さい」

「悪いね」

「それと男の子が来たら困るので、そういう恰好も止めて下さい」



 少し反省をしてバスルームへ逃げ込み、すぐさまバスタブへ沈み込む。

 まさしく幸せに浸かっているような気分で、夏とは違う優しい気分になってくる。

 冬の寒さは辛いけど、こういう瞬間があるからまた楽しい。

「お風呂か。……大浴場なんてないし。……ああ、分かった」

 バスルームに備え付けられている端末を使い、学校の事務局と連絡を取る。

「申し訳ありません、運営企画局局長天満と申しますが、施設の使用許可をお願いします。……いえ、温水プールを。……はい、管理はこちらで全て。……はい、それでお願いします」

 プールの管理と施設全体の管理、後は監視員が何人かいるな。

 さて、この予算はどうするか。

「天満さん。ボディーソープ持ってきました」

「ありがとう。あのさ、お風呂って何度が適温?」

「40度から42、3度じゃないですか。それが、何か」

「いや。温水プールの温度を上げて、お風呂にしたいなと思って。勿論、体は洗わないよ」

 ボディーソープを受け取り、それで腕を洗いながら話を進める。

 今時眼鏡を愛用している彼女は怪訝そうに私を見つめ、そのままドアを閉じようとした。

「ちょっと。何か言ってよ」

「クリスマスとお風呂と、何かつながりがありました?」

「冬は寒いでしょ。だから、暖まってもらおうと思って」

「湯冷めしません?」

 なるほど、そういう事もあるか。

 現に今の自分が寒くて仕方ない。



 お風呂を上がり、頭をタオルで洗いながらさっきの事を考える。

 湯冷めは問題だけど、その後外でうろうろすればの話。

 つまり、温水プールの開放はイベントの終盤に合わせればいい訳か。

「時間の設定だけ遅らせて。後、休憩所とタオルも用意して。ボディソープ、は必要ないか」

「本気ですか?」

「何か足りないと思ってたのよ。クリスマスだからって、それにこだわってばかりじゃ意味がないでしょ」

「こだわる事に意味があると思うんですけどね」

 小声で何やらささやきつつ、卓上端末を操作する彼女。 

 肩の荷が下りたというか、少し気が楽になった。

 どうせなら、お酒でも飲もうかな。

「ビールある?」

「持ってきます。低アルコールでいいですよね」

「ありがとう」


 チーズをおつまみに、ビールの缶を傾ける。

 あくまでもビールの味がする飲み物という程度だが、雰囲気はこれで十分だ。

「入浴剤って、入れて良いのかな」

「どうなんでしょう。排水のシステムでは問題ないとしても、当然その後でプールを洗う必要が出てきますよ」

「また人手か。いいや。入浴剤も追加。在庫が山のようにあるから丁度良いし」

「非常に言いにくいんですが、予算が欲しいと各部署から連絡が入ってます」

 さきいかと同時に報告書を提出する彼女。

 気付くとドアの隙間から何人かがこちらを覗き、訴えかけるような眼差しを向けてくる。

「分かった。ちょっと、出かけてくる」

「大丈夫ですか?」

「平気平気」


 千鳥足ではないが、若干おぼつかない足取りで男子寮へとやってくる。

 やはり、お風呂上がりの一杯は効くようだ。

 女子寮とは違い警備員の姿はどこにもなく、暇をもてあました男の子が玄関前のロータリーにたむろしてるくらい。

 空いてる手はいくつもあるのに、それが使えないのはもどかしい。

「浦田君呼んで」

「誰、それ」

 顔を見合わせ、首を振る男の子達。

 知名度が低いので、名前だけでは通じないか。

 とはいえ知る人ぞ知るという子であり、生徒会内部には秘密裏に彼を監視する私的なグループも作られている。

「じゃあ、玲阿君でいいから」

「あいつには女をとりつがないようになってるんだ」

「どうして」

「きりがない」 

 もてる男の特権とでも言うのだろうか。 

 いや。特権ではないが、あの子なら間違いを起こしたいと思う女の子はどれだけでもいるだろう。

 しかしこんな事だったら、端末を持ってくるんだったな。

「……どうかしました?」

 大人しそうな、優しい顔立ちの男の子が声を掛けてきた。

 トラブルには不釣り合いな雰囲気の子だが、人の良さは全身から滲み出ている。

「木之本君。あのさ、浦田君に会いたいんだけど。この子達、取り次いでくれなくて」

「ああ。浦田だけでは、通じませんからね。どうぞ、こちらへ」


 彼に連れられ、ラウンジに通される。

 そこには浦田君が待っていてくれたが、酔っているのか二重になって見えている。

「双子のお兄さんです。大学院生の」

「ああ。笑うくらい似てるね」

「笑ってやって下さい」

 朗らかな笑顔でそう言ってくるお兄さん。

 一方弟の方は、いつも通り皮肉っぽい微笑みを浮かべてこちらを見ている。

「くつろいでるところを悪いんだけど、ちょっと相談に乗って欲しいの」

「クリスマスのイベントですか?」

「いや。そっちは、大体目処が付いてきた。問題は、そのイベントを実行するだけの資金が足りなくて」

「資金繰りですか。そんな都合の良い方法があれば、俺も知りたいですね」

 紙コップを指でつつきながら答える浦田君。

 もっともな話だが、そう簡単に納得するなら私はここに来ていない。

「多少非合法でもいいからさ」

「銀行襲いますか?時期が時期ですから、普段よりは現金が集まってますよ」

 声を潜めて話しかけてくる、浦田兄。

 冗談にしては真に迫った顔で、思わず頷いてしまいそうになる。

「馬鹿が。こいつの話は聞かなくて良いですから」

「あ、うん。そうだよね。で、何かアイディアは?」

「大して難しくないですよ。それぞれのイベントを手伝ってくれた人は、もれなくパーティーにご招待。ただし、飲食物は各自の持ち込み。簡単なゲームあり、プレゼントあり」

「プレゼントって、喜ばれそうな在庫は殆ど無いわよ」

 ある程度彼の言いたい事を理解しつつ、それでも確認のためなおも尋ねる。

 浦田君は軽く頷き、テーブルの下を指さした。

「靴下に、飴とガムとクッキー、後はポストカードくらい入れて配ればいいでしょ。何せクリスマス。暇な男女には、良いイベントです」

 相変わらず人の心理を突いてくるというか、見た目に寄らず細やかな子だ。

 今のアイディアを叩き台にして内容を詰めれば、どれだけでも生徒は集まってくれるだろう。

「ありがとう。助かったわ」

「いえ。大山さんにも頼まれてましたので」

「大山君?」

 どうも彼には色々気を遣わせてるみたいだな。

 あの子も気を遣うというか、気の回る子だ。

「まあ、いいや。ポストカードって、何かいいのある?」

「雪野さんが、絵上手いですよ。可愛らしい、ポストカードに似合いそうなタッチだったはずです」

「詳しいね。その映像を見られる?」

「これをどうぞ」

 端末に表示される、木之本君が言う通りの可愛い絵。

 ウサギがニンジンを枕に寝ていて、柔らかで暖かいパステル画である。

「悪くないね。他に何枚かあったら、それを用意して。雪野さんには使用料を払うからって、伝えて」

「分かりました。こっちのネコなんて、お勧めですよ」

「何匹いるの、これ」

 画面を埋め尽くす、ネコ、ネコ、ネコ。

 それも適当に描いている訳ではなく、どれも生き生きとした表情で丁寧なタッチ。

 意味は分からないが、可愛い事この上ない。

「いや。まったりと和んでる場合じゃない。じゃ、また今度」




 運営企画局へ戻り、全体の進捗状況をチェックする。

 一部は徹夜で作業に当たる部署もあるため、この時間でも少しずつ%が上昇していく。

 無論交代制であり夜通し起きている訳ではないが、激務なのには変わりない。

「文面はさっきの通りで、全生徒に配布。後、靴下を調達してきて」

「そんな子供だましみたいなプレゼントで大丈夫なんですか?」 

 眼鏡を押し上げ、懐疑的な表情を浮かべる彼女。

 彼女のような冷静なタイプには、少し分かりにくいかも知れないな。

「大丈夫なの。それとポストカードは?」

「テスト版は出来てます。どこで売ってたんですか、これ」

「秘密。河合さんがいたら、見せてあげたかったなー」

 鯨が潮を吹き、その上でイルカが飛び跳ねているポストカード。

 しかしいない人の事を考えても仕方なく、御神輿を担いでいる熊達のカードと一緒にしまう。

 これは、彼等に後で届けるとしよう。

「あの人は、山鯨ですよ」

 手伝いに来てくれていた大山君もポストカードを手に取り、おかしそうに笑っている。

「ああ、猪か。これは」

「豚でしょう」

 風船になって空を飛んでいる豚の群れ。

 意味は分からないが、人の心を和ませる絵なのは間違いない。

「返事は来てる?」

「すでに100件の問い合わせがあります。6掛けと見ても、それなりの数字ですね」

「よしよし。予算もかからないし、少しは助かったかな。部屋の手配をお願いね。後、飲み物とお菓子は在庫を全部出して」

「分かりました」

 ようやく一息ついた気分。

 これでしばらくは、何もしなくても良さそうだ。

 予算について完全に解決した訳ではないが、人手さえ確保出来れば現状では問題ない。

 予測不可能な事が起きない限りは。



 席を立とうとして、そのままソファーに戻った。

 いや。戻ってしまった。

 膝に力が入らず、目の前がかすんで見える。

 風邪にしては熱が無く、喉が痛い事もない。

「顔色悪いですよ。大丈夫ですか」

「どうかな。ちょっと、医療部行ってくる」

「歩けます?」

「そのくらいは」

 立ち上がろうとして、改めて倒れ込む。

 自分で自分が制御出来ない状態で、このまま倒れ込んでもおかしくはない。

「何してるんです」

「腰が抜けた」

「仕方ないですね」


 意外と簡単に私を背負い、医療部までやってくる大山君。

 そういう柄ではないとか恥ずかしいという意識は殆ど無く、第一今が夢なのか現実なのかの判断すら出来てない。

 彼の手を借りて診察室へ入り、白衣姿の医師と向かい合う。

 雑然としたデスクには凪や私のデスクにもあるミニチュアのツリーが置いてあり、ここにもささやかなクリスマスが来ていると実感出来る。

「脱水症状と、栄養失調ですね。それとアルコールが若干検出されてるから、酔いが回ったと思います」

 淡々と告げる若い男性の医師。

 そう言えばあのビールが、今日始めて口にした食べ物だった気もする。

「二三日入院して、静養して下さい」

「今、忙しいんですけど」

「ああ、クリスマスか。羨ましいな。僕は、72時間の連続勤務だよ」

 明るい顔で、怖い事を教えてくれる医師。

 72時間といえば、3日間。

 労働基準法とか、医師法に触れないのだろうか。

「とにかく、今日は入院してもらいます。一応、イブには退院出来ると思いますよ」

「でも」

「自分で歩けないんだから、仕方ありません。個室、お願いします」

 よく分からない注文をする大山君。

 また今の自分にすれば、何がどうだろうとどうでもいい話。

 とにかく早く退院さえ出来れば、それでいい。




 広いが何一つ物のない、殺風景な病室。

 あるのはベッドと白いカーテン。

 そして白い壁に天井だ。

「良い休養と思って、気楽にしてて下さい。運営企画局の仕事は、私の方で処理しておきます。今、資金以外の案件はないですよね」

「うん。スケジュール表通りに進行してくれれば、それでいい」

「分かりました。病院を抜け出したりしないで下さいね」

 念を押し、端末でどこかと連絡を取る大山君。

 話の内容からして、私の身の回りの物を用意してくれているようだ。

「最近忙しかったですから」

「でも、みんなが働いているのに自分だけ休んでるなんて」

「病人は休むのが仕事です。では、また」

 あっさりと帰って行く大山君。

 ドアが閉まり、病室にはいい知れない静寂が訪れる。

 咄嗟に手を動かすが端末はどこにもなく、ベッドを移動させるリモコンに触れただけ。

 また仮に端末があっても、どこに連絡をして何を伝えればいいか分かってない。

 焦りと不安だけがただ募る。

 何もない、誰もいない病室。

 そこで何もしないまま、時だけが過ぎていく。



 先輩は、ずっとこんな気持ちを味わってきたんだろう。

 何も出来ないもどかしさ、悔しさ、苛立ちを抱え。

 それでも不平めいた事を殆ど口にせず、数多くの事を成し遂げてきた。

 私はこの短い間だけでも押し潰されそうだというのに。

 ため息を付き、体を横にして目を閉じる。

 どちらにしろ、今は思考が続かない。

 思い浮かぶのはクリスマスという単語と先輩の顔。

 あの時、学校と戦った時側にいた人達の姿。

 離れ離れになり、志半ばで去っていった人もいる。

 私はのうのうとここに残り、しかし彼等に託された使命を果たす事も出来ない。

 落ち込んでいく気持ち。

 かすれていく意識。

 サンタは、私の所には来てくれそうにはない。


 翌日。

 日も昇らない内から起こされ、簡単な問診を受ける。 

 すぐに出てきた食事はおかゆで、直後に点滴。

 余り実感はなかったが、かなり病人じみてきた。

 ここは医学生やインターンの教育目的を重視したティーチングホスピタルで、また学内という性質上長期の入院は想定していない。

 つまりここに入院しているという事は、すぐに退院出来る事の裏返し。

 病状は軽いと言われているような物だ。

 だからといって気が楽になる訳でもなく、イベントの準備がとにかく気になる。

 しかし外部との連絡手段は無し。

 何より、誰も尋ねてこない。 

 今日顔を見たのは看護婦と、医学生を連れた医師くらい。

 カーテンの開いた窓からは外の景色が眺められるが、高い木々によって視界は下半分が遮られている。

「お昼ですよ」

 朝も来た看護婦が、やはりおかゆを持ってくる。

 色んな意味で味気ない食事ではあるが、多分今はこれ以外の食べ物を体が受け付けないだろう。

「点滴は、もう外しますね」

 やっと制約の一つが消え、精神的に楽になる。

 点滴のバッグは体に装着出来るため移動に不自由はない物の、チューブを付けたままの生活は決して過ごしやすいものではない。

「あの、着替えは」

「ああ、ごめんなさい。朝届いてたんだけど、持ってくるの忘れてた。食器を提げる時、他の物も持ってきますね」

 明るく笑い、軽い足取りで病室を出て行く看護婦。

 明日はイブ前夜。

 彼女は彼女で、何か予定でもあるのだろう。

 私も色々あったはずだが、それが何なのかはもう分からない。


 若干自暴自棄になりながら、赤いパジャマへと着替える。

 今までは病院に備え付けの味気ない浴衣のような服装だったため、多少は気分が良くなった。

 時計を見るが、まだお昼を過ぎたばかり。

 TVはクリスマス関連のイベント情報を流し、タレントがテーマパークで騒いでいる。

 私はといえば、ベッドの上に座ってその映像を眺めるだけ。

 テーマパークに行く当てもなければ、行く暇もない。

 それどころか今は、この病院からも出られない。

 TVを消し、着替えと一緒に届けられていた雑誌に目を通す。

 企業の幹部が読むような経済誌で、草薙高校を特集した内容が掲載されている。

 生徒の自主性により学校が運営される、全国でも珍しいケース。

 その代わり職員を削減出来るため、運営の経費は意外と安く付くと経済誌らしいコメントが載っている。

 ただそれは人件費に限った話で、設備の維持や大量の教材に掛かる経費については言及していない。

 何より、運営する生徒の負担についても。

「あれ」

 生徒へのインタビューが何人分か載っていて、そこに自分の名前も書いてある。

 記憶を辿るとインタビューをされた事を思い出せるので、ねつ造ではない。

 こんな事を答えたか、と自分でも不思議に思う内容ではあるが。

 確か文化祭の時期で、忙しくて相当適当に答えたと思う。

 もしくは、規定のマニュアル通りに。

「どうしようもないな」

 雑誌を閉じて、ベッドに倒れ天井を見上げる。

 結局私は、今まで何をやってきたんだろうか。



 気付けば眠っていて、問診に来た看護婦に起こされた。

「特に問題はないですね」

「ええ。いつ帰れますか」

「先生に聞いてみないと、そのへんはちょっと」  

 愛想良く笑う看護婦。

 多分過去何度と無く繰り返された質問と答えであり、ただ答えが分かっていつつも尋ねずにはいられない。

「人を呼んでもいいですか?」

「んー。面会謝絶ではないけど、出来ればゆっくりしてもらいたいから」

 婉曲に否定され、渋々それに頷く。

 いくつか口頭で聞いてみたい事や指示したい事もあったが、それもままならない。 

 端末は手元になく、無理矢理呼びつける事も不可能である。

「今は大人しく寝てるのが一番ですから」

「そう、ですね」

「もう少ししたら、夕ご飯持ってきますから」


 ようやくおかゆからは解放されたが、おかずの内容はあまり変わらない。

 漬け物と、野菜を軟らかく煮たコンソメのスープ。

 素っ気ない食事を済ませ、食器のトレイを外の廊下へ運ぶ。

 入院しているのは自分だけなのか、返却用のキャスターには何一つ乗っていない。

 薄暗い廊下に人影はなく、部屋へ戻っていく自分の足音が木霊するだけだ。


 ベッドに倒れ、ぼんやりとTVを眺める。

 今年流行した歌のメドレー。

 立場上タイトルや歌手の名前は知っているが、こんな曲だったのかと今更ながら気付くものも多い。 

 歌を聴いている暇やTVを見ている余裕など無く、毎日忙しく何かに追われていた。

 それとも追いかけていたのだろうか。

 どちらにしろ今はする事もなく、スーツ姿で歌う綺麗な女性の歌に耳を傾けている。


 空を飛んで、雲を掴み

 だけど手応えは何もない

 思い描いていた夢は、そこには無かったんだと気付かされる



 どこかで聴いたような歌詞。

 歌い終わった後で司会者とトークがあり、古い歌のリバイバルだとようやく理解する。

 あの頃の自分はもっと大人しく、誰からも相手にされず、一人で過ごしていた。

 そう。丁度今の自分のように。

 夢のような事ばかりを考え、それを口にして馬鹿にされ。

 いつも自分の中に閉じこもり、一人想像の中に生きていた。

 夢ばかりを追い求め。

 ただ私の場合は歌詞とは違い、空を舞う翼を持ってはいなかったが。


 新妻さんと初めて出会ったのは、多分病室だと思う。

 彼女は日差しの中で黒髪をきらめかせながら、私に優しく微笑んでくれた。

 たわいもない話に付き合い、相づちを打ち、意見をしてくれた。

 真剣に私の話に耳を傾け、理解しようとしてくれた。

 今も私に翼は無いけれど、それを見上げた瞬間がこの時だったと思う。


 照明を落とし、横になって考えてみる。

 私にとってここで過ごすのは、一時の事。

 こんな事もあったなと、後で思い出しもしない程度の時間。

 でも新妻さんにとっては、ベッドからの眺めがより日常だった。

 自宅でも、病室でも。

 また普段局長室でも、大抵はソファーへ横になっていた。

 少ししたからの思慮深い眼差し。 

 満足に自由もきかず、時には数日高熱が続き身動きすらままならない時もあった。

 口を開く事すら辛そうで、だけど彼女は文句を言いはしなかった。

 前向きに生きていた。

 その内心は分からないし、決して語りはしないだろう。

 こうして一日寝ていただけの私に、その気持ちが分かる訳でもない。

 彼女はいつもここで何を思い、何を見ていたのだろうか。




 翌日。

 どうにか退院が許され、その足ですぐに運営企画局へ行く。

 病人ではないので何をしても問題はなく、また今は状況を把握する事こそ自分にとっての薬だと思うから。

 出迎えてくれた何人かの子と軽く挨拶をして、進捗状況を確かめる。

「大丈夫?」

「ええ。副会長が頑張ってくれたので。昨日はここに泊まり込んだみたいですね」

 女の子が指さしたのは局長室ではなく、受付のブース。

 しかしそこに大山君の姿はなく、今日行われるイベントのポスターが何枚か置いてあるだけだ。

「予算は?」

「突発的なトラブルはなかったので、どうにかなりました。予算編成局からも多少資金を回してもらいましたし」

 私がいなくても世界は回る。

 などと言う大袈裟な話ではないが、今は彼等の気持ちに感謝しよう。

「じゃあ、私は少し休んでて良い?」

「勿論。タオルケット用意しますね」


 ソファーへ横になり、忙しく立ち回るみんなを眺める。

 あれこれ口を挟まなくとも全員的確に仕事をこなし、一つ一つ片付けていく。

 今は焦燥感などなく、むしろ気持ちは落ち着いている。

 多分新妻さんは、こういう心境も味わっていたんだろう。

 一所懸命働くみんなを誇らしく、頼もしく思っていたのだと。

 人を信頼するという気持ち。

 全てを委ねる懐の深さ。

 新妻さんはコンダクターと呼ばれ、人を操るように思われていた。

 でも実際はそういした信頼感こそ、コンダクターと呼ばれた所以ではないだろうか。

 人の能力を最大限生かし、さらに引き出す。

 指示をするのではなく、導いていく。

 こうしてみんなを見渡し、一つ一つを確認し、全体を一つにまとめていく。

 彼女はいつもここで、優しく微笑んでいた。

 その意味に今頃気付くなんて、私は今まで何をやってきたんだろう。


「わっ」

 突然の叫び声。 

 感極まっていた所へのそれに、思わずソファーから転げ落ちる。

「な、何よ」

「吹奏楽部から、資金を提供して欲しいとの申し入れがあります。後で返却するとは言ってますが」

「別に、お金なら出すけど」

「それが、この額はちょっと」

 おずおずと差し出されるプリントアウトした書類。

 その額を見て、思わず紙を破りたくなった。

 昨日東京で他校との合同コンサートを行い、別に送った楽器が北米へ向かったとある。

 年末における忙しさ故のトラブルか、単なる誤配か。

 イベントの準備が無事に済まないのは毎度の事だから慣れてはいるが、サンタのプレゼントにしてはやや規模が大きすぎる。

「楽器って、そんな高いの?」

「サックスだと、軽自動車が買えるくらいですよ。勿論品物によるでしょうけど」

「でも、楽器がないんじゃね。レンタルは?」

「一応当たってはみます」

 切羽詰まった顔になり、端末で連絡を取り始める局員達。

 私もさすがに上体を起こし、タオルケットを膝に掛けてその様子を眺める。

 だが誰からも借りられるとの報告は入らず、やがて端末での連絡も一人また一人と止めていく。

 室内に訪れる、重苦しい静寂。

 好事魔多しではないが、今までが順調だった分みんなのショックも大きいのだろう。


 だから何だ。

 嘆いていれば、救いの手が差し伸べられるのか。 

 困っていれば、誰か良い考えを出してくれるのか。 

 辛いからといって目を背け、時が過ぎるのを待っていればいいのか

 冗談じゃない。

 人間は、何のために生まれてきたんだ。 

 泣いて暮らすためじゃない。

 憂い、悲しみ、空しさを味わうためじゃない。

 あがいて、もがいて。

 例えそれが徒労に終わるとしても、行動するために存在する。 

 少なくとも私は、先輩からそう教わった。

 何より、そうして今の自分を作り上げてきた。

 思い切って新妻さんの元を訪ねたあの日から。


「みんな、聞いて」

 タオルケットをソファーへ放り、手を叩いて注目を集める。

 憔悴しきった顔や、あきらめを漂わせる笑顔。

 中には徹夜明けの子もいると思う。

 そうでなくても全員疲労がたまっているのは間違いなく、こうして落ち込んでいくのも無理はない。

「悩んでても始まらない。すぐに車を何台か手配、それと吹奏楽部が希望する楽器のリストアップ。彼等からは一定期間のスケジュールを空けるよう、一任を取り付けて」

 急に何を言い出すんだという顔。 

 また空回りが始まったと言いたげにも見える。

 確かに空回りかも知れない。

 だけどそれでも、少しは進む事が出来る。

 効率が悪くたって、見た目が変だって。

 大切なのは、この場より一歩でも前に進む事なんだから。

「楽器メーカーに連絡して、何でも良いから借りられる物を片っ端から探して。……ヤマハは浜松だから、ヤマハでいいか」

「は、はい」

 言われた通りヤマハの広報へ連絡を取る女の子。 

 その様子を眺めつつ、手元に届いた必要な楽器の一覧をチェックする。

 殆ど全部か、これは。

「サンプル品が若干あるようですが、リスト全部の分は難しいとの事です」

「近隣の直営店と提携先、音楽教室にも連絡。同じく、学校も小中高と当たる。誰か、草薙大学にも連絡とって」

「は、はい」

 一斉に端末を手に取る局員達。

 室内には活気が戻り、誠心誠意を込めての交渉があちこちで始まり出す。

 勿論これで全部が借りられるまでにはいかないだろう。

 だけど、まだまだこれからだ。

「情報局に照会。吹奏楽を趣味としている生徒へも連絡。それと、資産家の子弟にも。たしなむ程度です、なんて子もいるから」

「は、はい」

「……チョロよし、コントラバス良し、ホルン良し、クラリネット良し」

 確定済みの楽器は各自の卓上端末に送られ、後は足りない楽器を追っていけばいい。

 同時に貸してくれる相手先へ局員を送り、吹奏楽部員も同行させる。

 他人の慣れ親しんでない楽器にどの程度対応出来るかは分からないが、そこは吹奏楽部員の技量を信頼したい。

「メーカーからの試供品で、リサイクルショップに売れる分は全て売却。そのお金で、手に入らない楽器を購入。その旨、メーカーにも連絡して」

「は、はい」

「後は、紅茶入れて。それとお菓子。私、ホワイトチョコ」

「あ、今すぐ」

 周りから起きる笑い声。

 仕方なさそうな笑顔。

 忙しいからこそ、追い込まれているからこそ。

 自分自身を見失わないようにする。

 私は紅茶が好きで、甘い物が食べたい。

 そういう姿を見て、みんなは安心する。

 私は私を貫き通す。



 夕方前にはリストに載っていた分が集まって、ようやく室内にも安堵の空気が流れ出す。

 無論この後は返却作業が残っていて、そちらの方も大変なのは誰一人口にはしない。

 さすがに私も、今は考えたくもない。

「どうも、ありがとうございました」

 サックスを首から提げ、お礼を言ってくる吹奏楽部の部長。

 どうやら彼女は、大丈夫だったらしい。

「ああ、これ?私は、肌身離さず持ってる主義ですから」

「ふーん。じゃあ、寝る時も抱いて寝るとか」

「当然です」

 ごく自然に、真面目な顔で答えられた。

 冗談のつもりだったが、これ以上は突っ込まない方が良さそうだ。

「借りた団体や個人を回るツアーの計画も、よろしく」

「確かに、承りました」

 深く頭を下げ、サックスを抱きしめたまま運営企画局のブースを出て行く部長。

 人間、多少変わってる方がもしもの時には良いのかも知れない。

「天満さん。ツリーの件で連絡が入ってます」

「またか。……はい、天満ですが。……星が降ってきた?」



 慌てて特別教棟の前に飛び出て、天を突くようなツリーを見上げる。

 よくもここまで高くしたというレベルになっていて、倒れてこないようにあちこちを吊ってはいるが弊害はやはり出たか。

 とはいえあまりにも高すぎて、最上部に取り付けてあった星があるかないかは誰にも分からない。

 こうして足下に転がっている以上、上に無いのは言うまでもないが。

「軽くて良かった」

 サイズとしては私が一抱えする程の、金色の巨大な物体。

 ただし材質は発泡スチロールで、ツリーの上部部分も同様。

 当たり前だがそんな高い所に重い素材を使っていては、大惨事につながるので。

 とはいえ軽すぎるのも問題で、星が見つかったのは正門前。

 どうやら長い旅を経てきたようだ。

「笑えますね」

 私より前に到着していた大山君は、星に触れて楽しそうに笑い出した。

 笑い事ではない気もするが、今は笑う以外にする事もないだろう。

「どうするんです?」

「言うまでもない」

「そう思って、呼んであります」

 不意に目の前へ現れる塩田君。

 不機嫌この上ない、イブ前夜にはふさわしくない顔で。

 ちなみに彼はジャージ姿で、体のあちこちに取り付けられたハーネスからはワイヤーが伸びている。


 巨大なツリーは良い目印になるらしく、暖かそうな服に身を包んだ生徒達が集まっている。

 彼等はこの後学内のイベントを楽しむか、それとも外で食事をするのか。

 何にしろ今日からの数日間は、幸せという言葉だけを考えていられるだろう。

「さて、準備も整いました。皆さん、拍手を」

 自分で手を叩き、まばらな拍手が収まるのを待つ。

 背中に星を付けられた塩田君はますます機嫌が悪く、ただ日の傾きかけた今はその顔も良くは見えない。

「願いを掛ける前に地面へ落ちてしまった流れ星。だけど皆様、ご安心を。今からこの塩田丈君が、勇敢にもフリークライミングでツリーの頂上を目指します」

 どよめきと失笑。

 奇異な眼差し。

 馬鹿な事をという空気。

 それに構わず塩田君を促し、ツリーの足下へ移動させる。

 枝の張りだした巨大なもみの木。

 私には、どう登るかも想像出来ない。

「では皆さん。塩田君に声援を。私達の希望を背負い、彼は今旅立ちます。それ、し・お・た、し・お・た」

 手拍子と共に彼の名前をコールする。

 数人がそれに呼応し、やがてそれはツリーを取り囲んでいた全員に広がっていく。

「馬鹿が。どうなっても知らんぞ」

 小声で文句を言い、もみの木にしがみつく塩田君。

 彼はリスさながらに器用な動きで上へと登り、その姿は一瞬にしてもみの木の中へと消えた。 

 ツリーを囲んでいた生徒達はすぐに下がり、彼の姿を探し出す。

 誰かが叫びながら指さした位置を目で追うと、星がゆっくりと上へ移動している。

 それは巨大なサンタのぬいぐるみを押しのけ、靴下の隣を通り抜ける。

「はは、すごい。さあ、みなさん。改めて、塩田君に声援を。それ」

 今度は名前の連呼ではなく、それぞれの思い思いの言葉が掛けられる。

 頑張れ、慌てるな、慎重にと。

 自分の思い。

 それを形にして、言葉にして、人に伝えていく。


 やがて星の姿は最上部へ達し、それと同時に大きな拍手が巻き起こる。

 薄闇の中で淡く輝く金色の星。

 外部には夜行性の塗料が吹き付けられていて、今夜からの数日間は私達を優しく照らしてくれるだろう。

「どうにかなりましたね」

 笑い気味に声を掛けてくる大山君。 

 この数日は彼に頼りっぱなしで、私から掛ける言葉は見つからない。

 彼自身膨大な仕事を抱え、言ってしまえばこのような些事に付き合っている暇はない。

 それでも何事もなかったかのように涼しげな顔で、日の暮れた空に浮かぶ淡い星を見上げている。

「ありがとう」

 短く。

 だけど思いを込めて、そう告げる。

 それ以外の言葉は思い付かず、またこれ以外の言葉は必要ない。

 彼は何も言わず前髪を掻き上げ、短く返事をしてくれた。

「どうしたしまして」

 素っ気ない、だけど彼らしい一言。

 自然と私も笑顔が浮かび、心の中が暖かくなる。

「今日は忙しいの?」

「年内はずっと。当然、年が明けてもですけどね」

「手伝おうか。正月のイベントは殆ど無いし」

「それは助かりますけどね」

 不安げな、私を気遣う眼差し。

 その意図を悟り、両手を振り回して元気さをアピールする。

「一日寝てたし、もう大丈夫。私は先輩とは違うから」

「何がです」

「見た目も能力も、何もかも。あの人には敵わないなって」

「そういう悟り方ですか」

 おかしそうに、私がそう答えるのを分かっていたように笑う大山君。

 そんな彼の隣で、淡く輝くツリーの星を見上げる。

 いくつもの思いや気持ち。

 人の願い、祈りの結晶のきらめき。

 私はそれを見上げるだけの存在に過ぎず、星空を舞う翼もない。


 周りから聞こえる、友達やカップルの会話。

 暖かで、和やかな。

 誰が何をしたとか、だれのおかげでという事は関係ない。

 そこにあるのは笑顔と優しさ。

 幸せという言葉だけ。

 私には、それさえあれば何もいらない。

 そのために、私は存在するのだから……。  






     クリスマスとは




 部屋の明かりを消して、ケーキのキャンドルに火を灯す。

 淡い炎越しに見えるのは素敵な男の子、ではなく仏頂面をした凪。

 風情に欠けるため、すぐに照明を付けて火も吹き消す。

「つまんないわよ」

「女二人なのが?」

「それもそうだし。クリスマスなんて、もう終わってるじゃない」

 だるそうに壁に掛けられたカレンダーを指さす凪。

 かろうじて年は越してないといった日付で、世間的にはクリスマスなど記憶の片隅にすらないだろう。

「杉下さんに連絡した?」

「忙しい、で終わり。あの男、乙女の純情をなんだと思ってるのかな」

「乙女と思われてないんじゃないの」

 焼き上がった餅をかじり、その伸び具合に満足する。

 というか、もうすぐ正月じゃないのかな。

「サンタはどこにいるのよ」

「三島さんに頼む?」

「そりから転げ落ちた、あれ?すごかったけど、ああいう演出だったの?」

「そうは聞いてないんだけどね」

 結局三島さんはそりから落ちて、しかし希有な身体能力により怪我一つ無く仁王立ちでバイクの前に降り立った。

 結果的にはイベントの中で一番盛り上がった場面であり、彼には甘い物でも送っておこう。

「冴えないクリスマスね」

「良いんじゃないの、たまには」

「去年も聞いた気がするわ」

「来年は大丈夫」

 根拠もなしにそう答え、湯飲みを掲げる。

 凪も自分の湯飲みを掲げ、苦笑気味に口を付けた。



 幸せを享受する側ではなく。

 それを演出する側。

 口ではあれこれ言っても、お互いそれに不満はない。

 先輩達から託された事。

 それとは違う、私達の使命でもあるんだから。






                         了










     エピソード ex6 あとがき




 かなりやっつけ仕事な内容です。

 大山との関係をもっと書き込もうかと思いましたが、思う所もありそれは取り止めました。

 実際はどうなんでしょうか、この二人。


 天満さんの性格は、表面的には陽性。

 内面は意外と冷静で、この小説のキャラにありがちな過去を引きずっているタイプ。

 その辺りについては、中等部編で。

 何にしろ病院で過ごす時間程虚しい時はありません。



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