エピソード EX5 ~1編編・屋神視点編~
邂逅
大きな窓から望める熱田神宮。
大晦日にもなれば、歩道は参拝客でごった返す。
今更、神も仏もあったものじゃないが。
「何か」
静かに語りかけてくる小坂。
元は傭兵で、知り合ったきっかけは殴り合った事。
下らない話ではあるが、今は補佐役みたいなものだ。
元傭兵はこいつ以外にもいて、血の気の多い馬鹿も揃っている。
こいつはその辺をまとめるこつというか、能力を持っている。
「こっちの話だ。来年は俺も卒業だから、後は頼むぞ」
「俺に勤まるかどうか。せいぜい、頑張りますが」
「いいんだよ。馬鹿をまとめてるだけで。今と同じでいい」
遠巻きにこちらの様子を伺う男女。
元々ここに巣くってた連中で、強引に入り込んだ俺達を受け入れてくれた奴らでもある。
やってた事はともかく、外見ほど無茶苦茶ではない。
無論、誤解されるだけの事をやっていたのだが。
「どうした」
「く、……。三島さんが」
慌てて言い直す女。
三島も何も、熊は熊だ。
連中の後ろから現れる、頭二つ飛び出た男。
横幅も普通の奴の二倍はあり、大抵の人間が怖がるのも理解出来る。
「お前、怖いんだ。今度から、熊のお面でも被ってこい」
無言の三島。
せめて、頷くなり否定するなりしろ。
「何か用か。俺は忙しいんだ」
「餅でも付くか」
「は?そういう事をやる場所に見えるか」
くすんだ壁やガラス。汚れた床。
ゴミはかろうじて落ちてないが、清潔とはお世辞にも言いにくい。
それでも注意しているので、ここはまだましな方。
下の階は、足も踏み入れたくない。
「大体、そういうキャラでもないだろ。ここにいる奴らは」
「お前に言っている」
そう来たか。
たまに口を開いたら、これだ。
第一、餅付きってなんだ。
手際よく返される餅。
臼へめがけて杵を振り下ろし、直ぐさま振りかぶる。
重いし、きりがないし。第一餅付きって。
「おい、もう終わりだ。お前、代われ」
目の前にいた、三島とは違う意味での大きな男に杵を渡す。
でもって、すぐに他の奴に変更する。
なんか、汗が飛び散りそうだったので。
「あの」
「お前は、餅米運んでろ」
「はぁ」
丸い背中をさらに丸めて去っていく男。
せめて、言い返すくらいしろよな。
「脅さないでくれますか」
笑い気味にたしなめてくる鶴木。
北地区出身で、今はSDC代表補佐。
つまりは、三島の腹心だ。
「脅すって、あの体型だぞ。俺なんて、簡単に押しつぶすだろ」
「精神的な事を言ってるんです。ケンカが強い弱いではありません」
「下らん。しかし、ここで餅を付いてどうする。売るのか」
「一部は近所に、後は学内で配る分です。生徒会とか、ガーディアン連合とか。勿論、学校にも納めますよ」
笑う鶴木。
それは餅を配る事についてか、学校という点についてかは知らないが。
「ん、もう止めたんですか」
木刀を担ぎながらやってくる右働。
兄貴のように馬鹿でかい訳でも、坊主にしてる訳でもない。
小柄ではないがむしろ細身で、顔立ちも柔らかめ。
あいつよりも人間が丸く、軽い雰囲気である。
「やってられるか。お前こそやれ」
「お任せを」
担がれる杵。
振り下ろされる臼。
いや。それは臼に落ちた時点で、そう見えた。
とはいえ力任せに振っている訳ではなく、音としてはむしろ軽め。
木刀以上に重いはずだが、そんな様子はみじんも感じさせない。
「すごいな。正門へ持って行って、金取るか」
「天満さんみたいな事言わないで下さい。あ、いいところへ」
無造作に放られる杵。
悪いバランスでふらふらと揺れながら、宙を舞う。
三島は柄の部分を難なく掴み、片手で肩に担いだ。
冗談じゃなく、片手でも付けるんじゃないのか。
しかしそうやって遊ぶ事はなく、両手で持って実直に餅を付く。
淡々と、黙々と、延々と。
「本当、面白みに欠ける野郎だな。臼を叩き割るくらい、やってみろ」
「そんな事は、やらん」
生真面目な返事。
気付けば餅は付き上がり、湯気の立つそれが木の箱へと移される。
「丸めろとか言うなよ」
「まさか、そこまでは。奥にぜんざいを用意してありますから、食べていって下さい」
だから、こういうキャラじゃないんだっていうの。
大体、三島と二人で食べる物でもないだろう。
異様だぞ、この光景は。
「今年も終わりだな」
突然呟いたのが、この台詞。
基本的に無駄な事は話さないので、何かの意味があるのは間違いない。
「暇か」
「まあな。彼女もいないし、やる事も別にないし。こたつに入って、ミカンでも食べるさ」
「年末の話ではない」
「サンタにでもなりたいのか。お前でかいから、多分似合うぞ」
げらげら笑うと、冷静に見つめられた。
それも、多少真剣な眼差しで。
「何となく、言いたい事は分かった。でも、それはお前に任せる」
「どうしてだ」
「知るか。餅だ、餅持ってこい」
自分で食べる訳ではない。
年末以外も暇なので、少し動こうと思っただけだ。
「鏡餅ですか」
ころころ笑う天満。
たまたま一緒にいた中川も、楽しそうに餅を突いている。
「一応、俺が付いた。ありがたく拝め」
「何なら、学校を倒すまで取っておきますか」
神棚に餅を収める天満。
そんなのあったのかと思いつつ、椅子に座って足を乗せる。
何か言いたげな視線が飛んでくるが、このスタイルは止められない。
「今年は、何かいい事あったか?」
「後輩が育ってきてますよ。雪野さん達」
「ああ、あの小さい。相棒に、格好いい男がいただろ」
「玲阿君?あの子は、ちょっと生真面目というか気弱で」
くすっと笑う中川。
確か三島に勝ったはずだが、性格的にはまた違うようだ。
ただあまりふざけた人間でも困るので、その方がむしろ好都合か。
「今のところ、学校とやり合う気はないみたいですけどね」
いつにない真剣な顔で目を細める天満。
中川は何も言わず、壁を拳で突いている。
「止めろ」
「屋神さんは、よくやってるじゃないですか。杉下さんも」
「壊しても……。いや、お前は自分で払えるのか」
「無論、予算はがっちり握ってます。その内、私的な口座でも作ろうかな」
物騒な事を言いやがって。
とはいえこっちも、杉下のカードを預かったまま。
そういう危ない橋を渡らなくても、多少の額なら融通は利く。
マンションのカードもあるし、悪い商売くらい出来そうだな。
「じゃ、帰る。あまり出歩くとまずい」
「下らない気を遣わなくても。誰も、気にしてませんよ」
「本当。案外、気が小さいんですね」
「言ってろ。じゃあな」
土産にもらった餅を抱え、教棟の裏へと回る。
待ち合わせでも、やる事がある訳でもない。
連れ込まれただけだ。
「金が無いなら、カードだ。それもないなら、盗んでこい」
面白い事を言う奴だな。
まあ、仲間が10人もいれば当然か。
しかし、わざわざ俺に絡むかね。
「……間違いない。こいつだ」
後ろの方から聞こえるささやき。
なるほど。
純粋な恐喝ではなく、傭兵か学校絡みか。
そうなるとこっちも、大人しくはしてられない。
すっと前に出て、真上から睨む。
無言で。ただ冷徹に。
あっさりと腰を抜かす男。
仲間はこいつを残し、あっさりと逃げる。
「武器を全部出せ。動いたら、鼻から追っていくぞ」
泣きそうな顔で脱ぎ捨てられるジャケット。
ジーンズと靴も。
追いはぎか、俺は。
「誰か、来てっ。強盗がいるっ」
冗談、ではなさそうだ。
こんな事で退学にでもされたら、一生の笑い者になる。
とにかくここは、逃げるに限る。
最近のガーディアンは、練度が高いらしい。
無闇に抵抗しなかったせいもあるが、あっさりと捕まった。
でもって、連行された。
目の前にいるのは、まだあどけない顔をした男。
1年で、しかも人の良さそうなタイプに見える。
「名前は」
「知らん。課長か……。いや、局長を呼んでこい」
「ふざけないで下さい」
怒られた。
でもって、なんか泣けてきた。
「頼むから、3年を連れてきてくれ。……いや、連れてこなくていい」
ここで知り合いにでも見つかったら、やはり一生の笑い者だ。
それこそ退学したくなる。
「倒れてた相手からも話は聞いてます。やりすぎとはいえ、あなたの悪いようにはしませんから」
人を思いやる、優しい言葉。
世の中、まだまだ捨てた物でもないらしい。
とはいえそれで、事態が何一つ改善される訳でもない。
仕方ない。こいつには悪いが、無理矢理逃げるか。
「な、何を」
何って、立っただけだろう。
部屋にいるのは、こいつだけ。
キーは昔と同じなら、俺のカードでも突破出来る。
「逃げられたって言えばいい。じゃあな」
「じゃあって。ちょっと」
ドアの前に立ちふさがる男。
震える足、青い顔。
しかし警棒を構え、一歩も引かぬと言う表情を見せている。
こういう連中が普通にいる、この学校。
泣きたくなるが、感慨に耽っている場合でもない。
「偉いよ、お前」
脇を抱えて横へどかせ、カードを近付けてドアを開ける。
だが予想通り、ドアの左右にもガーディアン。
まずいどころの話じゃないな。
「う、動くな」
構えられる警棒。
囲まれる周囲。
突破は出来なくもないが、後でかなり恥ずかしい事になりそうだ。
「誰か、ネット持って来てっ」
おい、冗談だろ。
こいつら、わざとじゃないだろうな。
「分かった。戻る。戻るから、静かにしてくれ」
自分から尋問室に戻り、足を机へと乗せる。
こういう態度を取る状況ではないが、それは今更という話だ。
「名前は」
「河合」
「IDは」
「無くした」
自分でそう答え、つい自分で笑う。
聞く奴が聞けばかなり笑えるんだが、本当に照会し始めた。
そういう名前の奴は、多分探せばいるだろう。
「全然顔が違うぞ」
「じゃあ、他人なんだろ」
「な、なんだと」
叩かれる机。
身を乗り出し、睨んでくる男。
さっきの可愛い顔をした奴ではなく、うるさそうなタイプ。
こいつなら、殴っても何も後悔はしない。
「貴様。このまま、ただで済むと思うな」
なんか、眠くなってきた。
餅を付いて、少し疲れたのかも知れない。
やる事もないし、軽く寝るか。
「お、おいっ。起きろ」
「うるさいな。女とは言わないから、せめてさっきの奴呼んでこい」
「この野郎。人が下手に出てれば、調子に乗りやがって。ガーディアンを舐めるなよ」
下手、ね。
ガーディアンの人材は揃ってると思ったが、そうでもなさそうだ。
それとも、個人差がありすぎるのか。
「さてと」
もう一度立ち上がり、一直線にドアへと向かう。
さっきは多少遠慮もあったが、今は違う。
いくらやる事がなくても、馬鹿を相手にする程暇じゃない。
「こ、この」
背中に、何かが当たる感触。
プロテクターでふさがれてるため、痛みはない。
何にしろ、馬鹿がやった事を気にする必要もない。
「……と」
向こうから開くドア。
入ってきたガーディアン。
それも、ただの奴ではない。
ドアの向こうに見える敬礼。
それに応じ、俺を睨む男。
「出ろ。身柄は、こちらで預かる」
「し、しかし」
「なんだ」
「い、いえ」
慌てて目をそらす男。
以前にも増して、迫力が出てきやがったな。
「来い」
教棟の外に出て、軽く深呼吸する。
恥を掻いたには掻いたが、こいつなら仕方ない。
その意図は、ともかくとして。
「助かった」
「馬鹿馬鹿しい。お前、ふざけてるのか」
冗談ではなく怒ってる塩田。
言いたい事は痛い程分かるが、俺も好きで捕まった訳じゃない。
「色々敵が多くてな」
「だから……。いや、何でもない」
切られる言葉。
今度もやはり、言いたい事は分かる。
だがそれは、決して言葉にはならない。
今更、もう。
「じゃあな」
返事もしない塩田。
俺も別に、求めはしない。
かつては同じ道を歩んでいた。
でも、今は違う。
俺が逸れてしまった限り、それが交わる事はない。
アパートへ戻り、餅を机に放り投げる。
多少、殺伐とした心境。
良い気分も、全部どこかへ吹き飛んだ。
「ちっ」
冷蔵庫の中は空。
それ以外に食べる物も無し。
あまり多くても困るが、無くても辛い。
とはいえ、大して食欲もない。
「メリー・クリスマス」
ドアの外から聞こえる、馬鹿げた台詞。
聞き慣れた声だが、包丁を背に隠してドアに近付く。
「誰だ」
「開ければ分かる」
それももっともか。
少しだけドアを開け、足で押して部屋に飛び込む。
かなり馬鹿げているが、経験上このくらいは警戒したい。
この時期にドアがないのは、かなり辛いし。
「大げさな。俺だよ、俺」
ひょこりと顔を出す林。
傭兵も、年末年始は休みなのだろうか。
「何しに来た。もう、用はないぞ」
「つれない人だ。女の人とかは?」
「いない」
「らしくないね。これ、お土産」
手渡される、やたら度数の高そうな中国酒。
日本生まれで日本育ちの癖して、こういう事にはこだわるな。
「それで、用は」
「伊勢の方にいたんだけど。昔を懐かしむのもいいかと思って」
「学校へ行けよ」
「それはどうかな」
言葉を濁す林。
こいつにとっても、あそこは鬼門か。
男で向かい合い、酒を酌み交わす。
言いようもなく虚しいな。
「学校は?」
「とりあえず、落ち着いてる。揉める要素が、今のところ無いしな」
「そう。逃げ出した、俺が聞く事でもないけど」
「こっちは、恥ずかしながら残った身さ」
溶けていく氷。
音を立て、その間に酒が染みこんでいく。
「冴えないですな」
「悪かったな」
「まあまあ。景気づけに、軽くやりましょう」
寒い中、外に連れ出される。
何をやるかと思ったら、爆竹を取り出しやがった。
「おい。日本の正月でも、まだ先だぞ」
「気分だよ、気分」
「騒ぐと人が……」
人の制止もきかず、爆竹に火を付ける馬鹿。
何しろ束なので、消すどころか近付く事すら出来ない状況。
「逃げろっ、逃げるんだっ」
やはり馬鹿げた事を言い、いきなり走り出す林。
まさか置いていかれる訳にもいかず、慌てて後に追いすがる。
「おいっ」
逃げながら、爆竹をばらまく林。
こいつ、俺をここからも追い出させる気か……。
馬鹿を締め上げ、隠れ家に移る。
「今日は帰れないな」
人ごとのように呟く馬鹿。
ただ、おかげで多少は気が紛れた。
こいつに、その意図があったかどうかはともかく。
「構いませんよ。ここに泊まっても」
苦い緑茶を出してくる大山。
酔い覚ましにはいいが、当然旨い訳もない。
「持つべき者は友だね」
「宿泊費は、格安にしておきます」
「鬼だね」
同じトーンで呟く林。
さすがに付き合ってはいられず、こたつに埋まって横たわる。
「ベッドくらいありますが」
「こういうところで寝るのが、気持ちいいんだ」
「私は、構いませんけどね」
ふと、目が覚めた。
照明は落ち、二人の姿もない。
こたつの上は片付けられていて、お茶のペットボトルだけが置かれている。
それに口を付け、ため息を付く。
自分のやってる事、やって来た事が脳裏をよぎる。
楽しい事ばかりではない。
辛く、重く。
思い出したくないような出来事も。
夜中に目が覚めれば。
いや。夜でなくても、思い出す。
ふとした瞬間。
かつての名残を見かけた時。
誰かに会った時。
自分が逃げてきた道が、目の前に広がっていく。
俺にとっては、二度と歩けない道が。
朝。
すでに林の姿はなく、大山が朝食の準備をしている。
「林君は、もう帰りましたよ」
「あいつは、何しに来たんだ」
答えない大山。
それは誰にも、答えられないだろう。
学校のすぐそばまで来て。
俺達にも会って。
だけど、そこには足を踏み入れない。
咎める者はいないし、部外者でも入る事は簡単だ。
自分さえ許せるのなら。
「さてと。俺も帰るか」
「何か、ご用でも」
「ここにいても仕方ないだろ。暇なら、天満と遊んでこい」
「あの人と一緒にいると、疲れるんですけどね」
苦笑する大山。
こいつらの関係はいまいち分からないし、俺が構う事でもない。
「二日酔いですか?」
「さあな。何にしろ、酒でも飲まないとやってられん」
「退学した方が、楽と?」
「胃薬はいらなくなりそうだな。その代わり、林みたいになる」
そのどちらがいいのか。
俺には判断出来ないし、したくもない。
「で、今の生徒会長ってどんな奴だ」
「新カリキュラムですからね。有能ですし、人心掌握にも長けてます」
「肝心の人間性は」
「さあ。なかなか尻尾を掴ませない人物でして」
苦笑する大山。
こいつにそう言わせるくらいだから、普通ではないんだろう。
「しかし、実際は屋神さんの方が詳しいと思いますが」
意味ありげな視線。
少し置かれる間。
正確には、俺が置いた訳だが。
「雇ったのは、間らしい。その時点で、どうかとも思う」
「なるほど。タイプ的に杉下さんかと想像してたんけどね」
「よく分からん。その会長も、間にしても」
鼻で笑い、こたつの上のミカンを握る。
掴み所がないというか、何を考えてるか分からないというか。
だからこそ、学校相手にあれだけの事が俺達も出来た訳だ。
能力的には、ごく普通。
人間的にも。
しかしあいつが俺達をまとめていたのは事実であり、欠ける者もいなかった。
俺を除いては。
「気になるなら、お会いになりますか」
「間は、名古屋にいるのか?」
「いえ。もう一人の方です」
学校近くのファミレス。
一礼して席に着く、細身の男。
物腰は落ち着いていて、一種独特の雰囲気もある。
伊達に生徒会長は務めてないか。
「悪いな、わざわざ」
「いえ。私も、一度お会いしたいと思ってました」
お世辞という訳でもない表情。
ただし、好奇心もある程度は含まれているだろう。
「俺と付き合っても、いい事無いけどな。首になった男だし」
「経緯は間さんから伺ってます。こちらに来たのは彼の勧誘があったからですが、あなたの事も十分考慮に入れました」
「俺は何もしてない。偉いのは、河合なり間さ。それ以外の、辞めていった奴とかな」
何の見返りもなく、自分から辞めていった奴ら。
その気持ちに、俺達はどれだけ報いる事が出来たのか。
考えるだけで、憂鬱になっていく。
「現状を、どう思われます?」
「俺に聞くな。お前の問題だ」
「聞き方を変えましょう。勝てると思いますか?」
「当たり前だ」
予断無く、即座に言い切る。
今は何も出来ないし、する気もない。
だけどこの気持ちだけは、変わらない。
「では、どうして戻ってこないんですか」
核心を突く台詞。
それは今まで、大山達からも何度と無く聞かされた。
だが、俺が戻る訳にはいかない。
仮にそれが、下らない意地だとしても。
ここにいない奴らの事を考えれば、結論は自ずと導き出される。
「元傭兵や問題を抱えている生徒をまとめて下さるのは、確かに大変助かってます。彼らは潜在的に、学内を混乱させる要因ですから。でも」
「それで十分だろ。第一俺は、人を率いる器じゃない」
「去年は、屋神さんがまとめられたのでは」
「河合が辞めたから、仕方なくな。ただ実際は杉下達が動いて、間に責任を押しつけてただけさ。今更でしゃばっても仕方ないし」
カップをあおり、追加を頼む。
ゆっくりと、丁寧に注がれるコーヒー。
揺らめく湯気の向こうに、物言いたげな表情が見える。
「俺からも質問だ。お前は、勝つ気でいるのか」
「無論、と言いたいところですが。人手が不足していまして。屋神さん達の時程は、上手くいかないかも知れません」
「俺達は、ぼろ負けだ。かろうじて、時間を稼いだくらいで。せいぜい、頑張るんだな」
いつまでも話しても、きりはない。
俺にはもう、関係のない話。
関われない事だ。
あくまでも裏で、多少の手助けをするくらいで。
「いかがでしたか」
ファミレスを出た途端、背後から声を掛けてくる大山。
そちらを振り向かず、歩いたまま答える。
「分からん。ただし、奴が万が一学校側に付いてるなら」
「ご心配なく。その際は、即刻切ります」
「なら、俺から言う事はない」
元に戻る気分。
昼間だが、酒が飲みたくなるような。
さすがにそこまではせず、ゲーセンに入って憂さを晴らす。
よくある、キックマシーン。
ストレスを発散させるには都合良く、その分数値も跳ね上がる。
数発ローを叩き込んだところで、足が痛くなった。
かなりムキになっていたようだ。
「うるさいな、この野郎」
後ろから聞こえる声。
知り合いの冗談ではなく、また俺へ向けられてるらしい。
構わずもう一発叩き込み、ゆっくりと振り返る。
いたのは柄の悪そうな男女が数人。
昨日の連中は雇われだろうが、こっちは本物か。
とはいえ相手にするのも馬鹿馬鹿しく、背を向けてさっさと逃げる。
殴って気が晴れるのは一瞬。
その後には、今以上の重い気分が待っている。
「ちっ。その顔、二度と見せるなよ」
「格好悪いー」
「所詮、俺達にかなう訳無いっていうの」
言いたいように言わせておき、店を出かけて思い留まる。
さっきの連中が動き出し、俺とは反対側へと歩いていった。
その先にいるのは、やたらに大きな男とやたらに小さい女。
奇妙な取り合わせだが、また妙にしっくりきてる。
何より無邪気に笑い、楽しそうだ。
今の俺とは正反対の、ささやかでも幸せな時を過ごす。
そこに絡む馬鹿。
女連れと思い、いい金づると判断したのか。
しかし反応したのは、女の方。
人の顔の辺りまで飛び上がり、その真横に飛び後ろ蹴りを放った。
恐怖か風圧か、後ろへひっくり返る馬鹿連中。
当然すぐに逃げ出し、カップルは何事もなかったように楽しんでいる。
多少軽くなる気分。
人間、我慢ばかりしても仕方ないか。
という訳にはいかず、結局は自重するしかない。
自分の立場を考えれば、余計に。
「どうかしましたか」
静かに語りかけてくる小坂。
心境が揺れている、とは答えずに首を振って窓の外を眺める。
学校を囲む塀と、街並み。
その先に見える、熱田神宮。
俺に、それを見下ろす価値があるのかどうか。
「ここにいて、いいんですか」
「いちゃ悪いのか」
「いえ。予定があるのかと思いまして」
予定も何も、今の俺にはやる事なんて無い。
この旧クラブハウスに来て、日がな外を眺めるだけで。
あるとしたら、ろくでもない事だけだ。
誰かと揉めるか、それを押さえるかの。
「今日が何の日か知ってますか」
前も聞いたような台詞。
ここでようやく、意味に気付く。
「お前こそ、どうなんだ」
「適当に、知り合いと遊びますよ。でも、屋神さんは予定があると思って」
苦笑気味な指摘。
それ程遊んでいる訳ではないが、そういう時期もあるにはあった。
「別にない。一人でこたつに入って、ミカンでも食べるさ」
「らしくないですね」
「なんだ、らしいって。まあ、せいぜい楽しんでろ」
アパートの駐輪場。
若干古ぼけたアメリカンタイプのバイク。
手入れはしているが、物自体が古いのは仕方ない。
「いや。こっちか」
青のレーサーレプリカ。
乗り心地はともかく、早さは段違い。
ハンドグリップのヒーターを入れ、ジャケットの襟元をふさぐ。
こんな事をしても、暖かいのは初めだけなんだが。
案の定、震えが止まらない。
真横を通り過ぎる大きなトレーラー。
その風にあおられ、側道にまで飛び出そうになる。
鼻は出てくるし、手首は痛いし。
これ以上走ると、さすがに危ない。
すぐにサービスエリアへ入り、お茶を飲む。
暖かくなるのは、ほんの一瞬。
震えはなかなか収まらない。
目の前を行き過ぎる、ライダーズジャケットを着た集団。
俺とバイクへ、交互に向けられる視線。
とはいえ挑発的なそれではなく、仲間を見るようなもの。
この寒いのに、馬鹿だなと。
無論、お互いに。
バイクに乗る集団。
整然とした隊列。
周囲に威圧感を与える事はなく、颯爽とこの場を去っていく。
ふと燃える何か。
紙コップをゴミ箱へ捨て、ヘルメットと手袋を装着する。
すぐに集団の後ろへと追いつく。
とはいえかなりの早さで、法定速度はかなり超えている。
割れるバイクの隊列。
ただ、先頭はそのまま。
ハンドサインで礼を告げ、その間に入っていく。
収まる正面からの風圧。
速度は今まで以上。
彼らに引っ張られるようにして、高速をひた走る。
ヘルメットのモニターに現れる、インターチェンジの表示。
正面にも大きな標識が現れる。
それを指さし、少し左へ寄る。
すっと割れるバイクの列。
その間をすり抜け、インターチェンジへ入る道へ車線を変える。
一気に加速する集団。
彼らに向かい、もう一度ハンドサインをする。
一斉に返ってくるハンドサイン。
すぐに見えなくなる姿。
こちらもカーブに差し掛かり、彼らから遠ざかる。
言葉も、挨拶すらもない。
一瞬のつながり。
だけど確かに、心へ残る。
暮れ始める空。
ナビを頼りに、海岸沿いを走っていく。
赤く染まる海。
広い海岸線に、寄せては返す大きな波。
寒さは相変わらず。
さながら、世界中で一人きりになった分。
そして海を見ているためか、寂寥感なんて言葉が思い浮かぶ。
ナビへ視線を落とし、言われるままに右折する。
住宅街を抜け、市街地の手前で一旦止まる。
勢いに任せ来たのはいい。
しかし、どの面下げて行くって言うんだ。
今から、名古屋まで戻るか。
ナビの表示は、二通り。
目的地までは5分と掛からない。
名古屋までは、今と同じ時間が掛かる。
それも、悪くはないか。
「何してるの」
不意に掛けられる声。
澄み切った、深い森の奥から吹き抜けてくる風のような。
新妻はくすっと笑い、抱えていた紙袋を抱え直した。
事前に話した訳でもないのに、都合良く現れるな。
俺の行動くらい、軽くお見通しという訳か。
「たまには、お前の顔を見てもいいかと思ってな」
「クリスマス・イブなのに、暇なのね」
「お前は、どうなんだ」
「凪さんは、名古屋よ。塩田君へ会いに。多少疎遠になってるみたいだから、この先は知らないけど」
「怖い事言うな」
二人して少し笑う。
赤く染まる西の空。
東はすでに、闇の中に溶け込んでいる。
冷たさを増す風。
漂ってくる、切なげな香りの潮風。
「乗れよ」
ジャケットを肩に羽織らせ、エンジンを掛ける。
すると新妻は、無言で前のシートにまたがった。
「おい」
「これでも上手いのよ。三島君から、聞いてない?」
「知るか。後ろから抱きつくぞ」
「振り落とされてもいいなら、ご自由に」
急加速するバイク。
冗談抜きで振り落とされそうになり、慌ててシートにしがみつく。
「この馬鹿が」
「何か言った?」
「いや。お前は綺麗だなって」
「今頃気付いた?」
ふざけた事を言い、市街地に向かう新妻。
どこへ行くのかは知らないし、知りたくもない。
何か、もうどうでもよくなった……。
翌日。鼻をすすりつつ、学校へとやってくる。
昨日から、すでに冬休み。
学校に来る必要はない。
俺が、普通の生徒なら。
普段は授業に出ている訳ではない。
それなのに、休みになっても学校へ来る。
我ながら、さすがに馬鹿らしい。
「僕も、一応忙しいんだけどね」
「お前の都合なんか聞いてない。探せ」
「自分でやってもいいんじゃないかな」
鼻で笑い、端末を振る沢。
小さくなる警告音。
沢はそこでボタンを操作し、小さく頷いた。
「今のは、古いタイプの監視カメラ。それ以外は、無いみたいだね」
「取っても取っても、出てくるな」
「一ついくらで契約してるんだろう」
楽しそうな笑顔。
まさか、こいつが請け負って自分で探してるんじゃないだろうな。
一通りフロアをチェックして、年末の大掃除を終える。
本当の掃除もしたいところだが、そういう事をやりたがる奴は誰もいない。
というか、今ここには俺達しかいない。
「じゃ、僕はこれで」
「ああ」
「元気ないね。薬ならあるよ」
「俺はまだ、死にたくない」
沢を追い払い、玄関の前でしゃがむ。
もう何もしたくない心境。
このまま年を越しても、気付かないんじゃないだろうか。
「何をしてる」
まさに真上からの声。
背後に太陽を背負い、逆光の中に浮かぶ三島。
「お前が余計な事言うから。この寒い中、わざわざ高速に乗ってだな」
「それは、お前の都合だ」
この野郎、真顔で言いやがって。
しかし怒る気力もなく、ため息をついて立ち上がる。
「行くぞ」
「どこへだ」
「知らん。今度は、お前が付き合え」
エレベーターへの電源供給は、昨日から止められている。
学校の職員も大半が休んでいるため、文句を付けようもない。
「この、この」
壁を叩きつつ、階段をよろよろと上がる。
三島は黙々と付いてくる。
「ここか、屋上は」
堅いドア。
キーはあるが、電子キーではなく鍵穴にキーを差すタイプ。
どうも、開かずの扉になっているようだ。
「この、この」
前蹴りをかまし、きしんだところで肩から突っ込む。
あっさりと開くドア。
なんか歪んだようにも見えるが、気のせいだ。
直ぐさま吹き抜ける、冷たい冬の風。
静岡は、どうやらこっちより暖かいらしい。
いつも俺がいるのは、このもう少し下。
それでもかなりの高さなのだが、今はさらに遠くまで眺める事が出来る。
「富士山でも見えるんじゃないのか」
「無理だろ」
真顔で否定する三島。
当たり前の事、真剣に言うな。
「あーあ」
手すりを飛び越え、腰からワイヤーを伸ばしてフックする。
でもって、三島を手招きする。
「来い」
「何のために」
「理由なんて必要あるか」
「馬鹿が」
お前に言われたくない。
真冬に、屋上からぶら下がる。
それも年も押し迫った、この時期に。
三島じゃないが、馬鹿以外の何者でもないな。
「うー、寒い」
肩を押さえ、その場で何度か足踏みをする。
建物からわずかにせり出した、ひさしのような場所。
三島と並べば、少し狭く感じるくらいの。
「よし。彫るぞ」
「何を」
「名前だ、名前」
どこで手に入れたかも忘れたナイフを取り出し、建設時期の書かれたプレートに突き立てる。
どうやらこの建物が出来たのは、戦後すぐらしい。
だからどうという事もなく、その横に俺の名前が刻まれるだけだ。
「馬鹿馬鹿しい」
文句を言いつつ、やはり名前を刻む三島。
翳ってくる空。
赤く染まる建物。
学校も、街も、熱田神宮も。
無論、俺達も。
「大体よ。どうしてお前は、静岡に行かなかったんだ」
「お前は、今までどうして行かなかった」
あっさりと反論され、口をつぐむ。
今更あいつに会えた義理じゃないし、会う理由もない。
新妻を守り消えなかった俺には。
「冴えないな」
「知るか。この野郎」
軽く三島を突き飛ばし、下へ落とす。
しかし叫び声も上げず、ワイヤーで器用に降りていく。
「あーあ」
こっちも飛び降り、三島の後を追う。
あれ。ワイヤーがない。
「っと」
慌ててしがみつき、二人してぶら下がる。
相当の重さにも耐えきれるはず。
はずというか、耐えないと困るだろ。
そう思った途端、聞き慣れない音がする。
「わっ」
「おっ」
二人して叫び、地面めがけて落ちていく。
丁度今日は、クリスマス。
天使が空から、舞い降りる時期。
馬鹿が落ちる時期ではないだろう。
了
エピソード x5 あとがき
第10話での、クリスマスの話。
屋神の視点になっています。
第12話で新妻が「嬉しかった」とか言っていたのは、おそらくこの事なんでしょう。
この辺りの人間関係は色々複雑なんですが、書くときりがないので。
それこそ、分岐のストーリーになるくらいです。
北米にいる河合ルートもありますし。
その後の彼らとか、本当にきりがありません……。
しかし、この人も意外と気苦労が絶えないようです。
立場が立場ですから、仕方ないんですが。
逆に言えば、それだけの事をやったという訳でして。
それがクリスマスになっても、こういう事をやる羽目になるんでしょう。
それはそれで、楽しそうですけどね。




