エピソード EX4-1 ~セルフパロディ・ケイ渡り鳥編~
一つの……
前編
名古屋市熱田区。
その地名通り、熱田神宮を擁する地区。
12月ともなれば、吹き抜ける木枯らしにも冷たさが増していく。
高校の正門前。
ダッフルコートをたなびかせ、塀に沿った道を駆けていく小柄な少女。
愛らしい顔を引き立たせる、やや茶色掛かったショートヘア。
仕草や表情は愛嬌に溢れ、彼女を知らぬ者でも心を和らげるだろう。
「ユウ、待って」
息を切らせて、その後を追ってくる黒髪の美少女。
切れ長の瞳とほっそりした顎が印象的な。
モデルのような無機質さはないが、容易に声を掛けづらい雰囲気を身にまとっている。
「待てない。早くしないと、遅刻だよ」
「もう、十分間に合うわよ」
絶え絶えの息の中示される、華奢な腕に巻かれた腕時計。
だがユウと呼ばれた少女が、その時刻を見る事はなかった。
「……誰」
怯えた様子もなく、腕を掴み上げた男を睨み上げるサトミ。
抵抗する素振りを見せないのは、間違っても彼に見取れているからではない。
平凡で、どこにでもいそうな地味な顔立ち。
体格もさほどなく、猫背気味なのが目に付く程度だ。
「その辺は、おいおいと。彼女は休むって、先生に伝えておいて」
「誰よ、あなた」
黒髪の少女とは対照的に、リュックを降ろし剣呑な目付きを向ける少女。
男はそれとなく身を引き、自分と彼女の間に黒髪の少女を置いた。
「見ての通り、悪者さ」
「え」
「君に言っても仕方ないけど、多少トラブルがあってね。それまで、この子の身柄を預からせてもらう」
営利誘拐。
どう見ても高校生と思える彼が行う犯罪とも思えない。
出来ない、という事とはまた別だが。
「どうした」
虎ですら退きそうな、圧倒的な威圧感。
卑劣な男とは違う、整った顔立ち。
身長でも彼を見下ろす程で、立ち振る舞いから見て何らかの格闘技を習得しているのは間違いない。
「玲阿君」
親しみと安堵の声を漏らす、小柄な少女。
腕を取られたままの少女も、苦笑気味に後ろを振り返る。
「開放するなら今よ」
「俺に勝ち目がない事くらい分かってる。ケンカでも、見た目でも」
「いい判断ね」
「とはいえ、そんな事を言ってたら俺は年中土下座する羽目になる」
鳥、それとも雲。
とにかく彼等の頭上を、一瞬影が走る。
そして次の瞬間、影は華奢な少年へと生まれ変わる。
腕を取っている男とは相容れない、可愛らしい顔。
しかし彼等に意思の疎通があるのは、お互いの顔に浮かぶ笑顔を見れば明らかだ。
「柳君、車は」
「向こうの角に」
「ありがとう。俺は彼女を連れて先に戻るから、時間稼ぎをよろしく」
「了解」
腰を落とす、柳と呼ばれた少年。
前に出かけた玲阿と呼ばれた少年は、そこで足を止める。
自分より明らかに小さな体格。
しかしそれ以上前へは進ませない、空を裂くような気迫。
「心配しないで。彼女に危害を加える気はないから」
「信じろっていうのか」
「心配なら、浦田君に聞いて」
放られる携帯。
駆け出す柳。
玲阿は舌を鳴らし、手首を返して携帯を隣の少女へと放った。
「どうする」
「警察へは連絡出来ない。……サトミ、女の子だから」
「ああ」
誘拐された少女へ偏見や憶測。
大切なのは真実ではなく、そういった想像。
それを許せる程、彼女達は温厚ではないようだ。
「しかし、俺達だけでどうするって問題でもないだろ」
「そうだね」
苦しげに漏れる呟き。
握り締められる携帯。
小さな手の中の、わずかな希望。
それが例え悪魔からの贈り物だとしても、彼女達はすがるしかなかった……。
「部屋はここ。トイレと風呂とキッチンは、他の部屋を通らなくても行ける」
ベッドにクローゼット、ローテーブル。
綺麗だが、物のない部屋。
地味な顔の男はリモコンを操作し、ベッドへ放った。
「欲しい物があれば、手に入る物の範囲で差し入れる。食事は、注文を出してくれたらそれもある程度は応じる」
「随分、待遇がいいのね」
「君をいじめても、何の得にもならない。その身柄を預かってるって事が重要なんだよ」
TVを付け、適当にチャンネルを変える男。
しかし興味の引く物がなかったらしく、そのリモコンもベッドに放られる。
「監視カメラはこのフロア全体に付いてる。ただ、トイレと風呂は除外しよう。言ってくれればそれ以外のカメラも、数分は止めて構わない。着替えもあるだろうし」
「外部との連絡は」
「これを」
リモコンの横に並ぶ携帯。
柳がユウへ渡したのと、同じタイプのようだ。
「君の友達に渡すよう伝えてある。利用は自由で、充電器は後で持ってくる。勿論盗聴はするが、言ってくれればこれも数分は聞かないようにしよう。プライベートな事や、女性にしか分からない事もあるだろうから」
「その間に、悪巧みをしたらどうする気?」
「どうもしない。彼等を舐めてる訳じゃないが、こっちはこういう事で飯を食べてね。ケンカが強いだけの高校生にやられるようなら、廃業してる」
「あなた、傭兵?」
醒めた口調で尋ねるサトミ。
男は軽い調子で頷き、ジャケットの懐からカードを取り出した。
浦田 珪の名前。
下の方には、大学卒業資格という文字も見える。
「学校外生徒とも言う。名古屋には、殆どいないって話だが」
「知識として知ってるだけよ。あなたは、誰に雇われたの」
「人質の態度じゃないな。……学校に雇われてるよ。生徒会がごねてるから、抑えてくれって」
「私は、生徒会のメンバーじゃないわ」
「アドバイスは、年中求められてるだろ。東海地区どころか、全国でもトップレベルの成績。蔭の生徒会長って所かな」
ローテーブルに置かれる、数枚の書類。
レポートの抜粋で、これはサトミに関する内容らしい。
「知恵袋の君を抑えておけば、今後の交渉もやりやすい」
「警察に通報されたらどうするの」
「君の友達は、そこまで馬鹿じゃないだろ。女の子がさらわれたなんて、後でどんな噂が立つか」
鼻で笑う浦田。
かなり、悪い表情で。
「彼は、優しそうだったのに」
「柳君?あの子はいい子だよ。ただ、別に騙してる訳でもない」
「ありのままの姿を見せてるって」
「当然」
ノックされるドア。
返事をする浦田。
「ただ今」
満面の笑みを湛え、部屋に入ってくる柳。
彼は浦田に軽く触れ、サトミへは申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさい。僕は止めたかったんだけど」
「この人が、どうしてもって?」
「ごめん」
もう一度頭を下げる柳。
彼の気持を心底表すように。
「いいのよ。それより、玲阿君に何かされなかった?」
「あの、大きい人?軽く向き合っただけだから、大丈夫だよ。やり合ったらどうなるか分からないけど」
「心配ない。あんなの、顔だけだ」
鼻で笑う浦田。
柳は静かに首を振り、拳を彼に見せた。
小さく、だが確かに震える拳を。
「まだ、震えが止まらない」
「あいつが怖いから?それとも、武者震い」
「多分、両方だと思う」
「あいつのデータはなかったな。遠野さん」
視線をサトミへと向ける浦田。
威圧的ではなく、友人へ尋ねるような雰囲気で。
「学校では秘密にしてるけど、古武道宗家の息子さん。空手や柔道で言うなら、黒帯が何本あっても足りないレベルらしいわ」
「あの、小さい子は」
こちらは柳。
彼なりに、何らか感じる物があったのだろう。
「子供の頃から、同じ道場で稽古をしてたとは聞いてる。彼程ではないけど、やっぱり格闘技の有段者並の実力はあるって」
「古武道、か。柳君、どう」
「あれだけの体格だし、鍛練も積んでるようだからかなり厳しい。でも、こっちは実戦経験で優ってるからね」
「あいつが出てきた時は任せる。女の子の方は、加減して」
「了解」
素直に頷く柳。
浦田は室内を軽く見渡し、ドアへと向かった。
「という訳だから、しばらく付き合ってもらう。何かあったら、遠慮なく言ってくれればいい」
「いつ帰れるの」
「交渉相手次第だけど、年内には片を付ける。年末は、温泉でのんびりする予定だから」
閉まるドア。
柳はサトミに一礼して、その後に続いた。
彼等の目の前で、監視カメラにタオルを掛けたサトミに苦笑しながら……。
「どうするの」
「私に、何か関係でも」
冷たく言い放つ、穏やかな顔立ちの女性。
セミロングの髪を少しかき上げ、机に手を付いたユウを見上げる。
「私は彼女の友達でもないし、生徒会とも関係ないの」
「生徒会って?」
「よくは知らないけど。学校と生徒会が揉めてて、その解決手段として学校がおかしな人間を雇ったって話は聞いてる」
面倒げに説明する女性。
ユウは机を叩き、きびすを返した。
「どこ行く気」
「生徒会。いや、職員室か」
「あなたが抗議しても、あしらわれるだけよ。証拠も何もないんだし。あるのは、遠野さんがさらわれた事だけでしょ。それも目撃者は、あなた達だけ」
冷静に突き付けられる事実。
喉元で唸ったユウは、すぐに振り向き机に手を付いた。
「そこまで分かってるなら、協力してよ」
「ケンカは嫌いだし、遠野さんと関わる気もない」
「元野さん」
「体裁を考えずに、警察へ行った方が無難よ。学校が雇ったのは、おそらく傭兵と呼ばれる高校生。報酬のためなら、手段を選ばないって話。現に遠野さんは、誘拐されてる訳だし」
羽織っていたブルゾンのポケットから、携帯を取り出す元野と呼ばれた女性。
その指先が、ボタンを押していく。
「ちょっと」
「あなたが出来ないなら、私が連絡する。いくら何でも、見過ごす事は出来ないから」
「大丈夫だと思う。やった事は悪いけど、おかしな事はしない雰囲気だった」
「保証でもあるの」
机に置かれる携帯。
それが突然、着信音を鳴らす。
「掛かってきてるわよ」
「私のじゃないの。サトミをさらった男の子達からもらった物」
「じゃあ、その誘拐犯から」
「だと思う」
特にためらいもなく、通話ボタンを押すユウ。
ここは元野も、表情を厳しくする。
「……サトミ?……う、うん。……大丈夫?……そう。……いや、警察には言ってない。……うん。……あ、分かった。……そうだね、うん。……分かった」
「遠野さんが、逃げてこられたの?」
「ううん、まだ捕まってるみたい。取りあえず、着替えと本を持ってきてって」
「さらわれたんでしょ。それとも、友達の所に泊まりにでも行ってるの」
疑うような視線。
サトミの拉致。
または、今の通話内容に。
「本当だって。信じないなら、付いてきたら」
「そうやって、私を巻き込む気?」
「気になるんでしょ」
「分かった。その代わり、危ないと判断出したらすぐ警察に連絡するわよ」
JR、名鉄、市バスのターミナル駅でもある神宮前駅。
地理的には熱田神宮の西に位置し、都心とは違う落ち着いた雰囲気を持っている。
南側にシャッターのしまった商店が軒を連ねているため、寂れたという言い方も出来るが。
「あれ?」
駅の方へ顎を向ける元野。
金色に染めた短い髪と、派手な服装。
柄の悪そうな顔立ち。
それに似た人間が、周囲に何人かいる。
「違う、あっち」
そこから少し離れた自販機の前。
地味な顔立ちと、黒のジャケットにジーンズ。
どこにでもいそうな、普通の少年。
「見た目では判断出来ないって事」
そう元野が呟いたと同時に、彼女達の方へ歩いてくる浦田。
辺りを警戒する素振りがないのは、自信ではなく事前に調べてあるか護衛が付いているのだろう。
「どうも」
軽い、友達と待ち合わせしていた時のような態度。
元野は若干身を引き、彼の顔を見つめた。
「友達、かな」
「いいえ。ただし、おかしな事をするならすぐに警察へ連絡する」
「そうならないよう、祈ってくれ」
他人ごとのように返事をして、地面にあったバッグを担ぐ浦田。
サトミへの差し入れだが、中身を調べようという素振りもない。
「言付けは。といっても、携帯があるか」
「彼女をさらってどうする気」
「生徒会への抑止力だよ。単に頭脳を抑えた事だけじゃない。誰だってさらえるって意味さ」
「随分、卑怯な手を使うのね」
挑発気味に鼻を鳴らす元野。
浦田はにこやかに笑い、バッグを担ぎ直した。
「そういう人間だから仕方ない。……動くなよ。見えない場所から、誰かが監視してる」
「え」
「俺に対してか、君達に対してか。でも、心配ない」
携帯を放る浦田。
元野はおぼつかない動きでそれを受け取り、訝しげに通話ボタンを押した。
「……元野と言いますが。……え、はい。……いえ、あなたに怪我は。……そう、ありがとう。……縛って、その辺に放り出したって言ってる」
「身元はそっちで確かめてくれ。俺は、報酬さえもらえればどうでもいいから」
「普通じゃないわね。監視なんて」
「金が絡めば、何だってするさ。俺みたいに」
携帯を受け取り、背を向ける浦田。
無防備で、隙だらけの。
しかしユウも元野も、彼に何かをしようとはしない。
先程の警告は、すでに無効だろう。
また、あれが真実かどうかを確かめる術はない。
それでも彼女達等は、動かない。
自分達とは明らかに異質な存在を前にして。
「荷物を預かってきた」
「ユウと玲阿君だけ?」
「いいや。小さい子と、優しそうな顔をした子。ちょっとトゲのある感じだけど」
「元野さんね」
苦笑してバッグの中身を確認するサトミ。
着替えや洗面用具、後は彼女が指定した本が数冊入っている。
「スタンガンでも入ってる?」
「どこで買うのよ」
「それもそうだ」
ベッドに放られる、特殊警棒。
怪訝そうな顔をするサトミに対して、浦田はそれを手に取るよう促した。
「私、素人なんだけど」
「護身用さ。ここにいるのは、俺と柳君だけじゃない。正確な人数は言えないけど、おかしな奴もいる」
「使い方は?」
「振れば伸びる。それとグリップの下にスイッチがあって、スタンガンが作動出来る」
グリップの下を指で撫でるサトミ。
同時に、青い火花が打撃部位の辺りから放出される。
「相手の体に当てれば、大抵失神する。もっと小さいのもあるから、それも置いていこう」
ライターサイズのスタンガンをやはりベッドへ放り、リストバンドを添えた。
「ポケットに入れてもいいし、ストラップを付けてリストバンドから袖の奥へ隠してもいい。不意を突くには、その方がいいかな」
「至れり尽くせりじゃない」
「前も言ったように、君をいじめても意味がない。それに待遇を悪くして逃げる気を強くすると、こっちも監視が面倒になる」
「手の込んだ事を。それだけ努力する暇があるなら、生徒会を潰した方が早くない?」
人質とは思えない、物騒な提案。
それも、かなり真顔での。
「リスクを考えないと。田舎ならともかく、都会ではすぐに警察やマスコミが絡んでくる。多少面倒でも、身長に事を運んだ方がいいんだよ」
「何をしたいのか知らないけど大変ね。夕食は、パスタをお願い」
「仰せの通りに」
相容れない者同士の、不可思議な会話が交わされていた頃。
「どうなってるのっ」
机を激しく叩くユウの姿が、生徒会室にあった。
その後ろには、醒めた面差しで腕を組んでいる元野の姿もある。
「どうと言われても」
怯え気味に目を逸らす男。
七三の髪型とメガネ、神経質そうな顔立ち。
いかにも、生徒会にいそうな雰囲気である。
「あなた達のせいで、こうなってるんじゃないっ。向こうから、連絡は入ってるんでしょっ」
「え、ええ。でも、だからといって学校に屈する訳にも」
「サトミと体面と、どっちが大事なの」
低い、押し殺した声。
男はさらに目を逸らし、押し黙る事でそれに応えた。
「もう、いいっ」
生徒会室を飛び出ていくユウ。
元野はため息を付き、ドアに手を掛けた。
「あ、あの」
「私は付いてきただけですから。話がしたいのなら雪野さんか、さらったという相手にどうぞ」
皮肉を残して出ていく元野。
一人残された男は、疲れ切ったため息を付き机に乗っていた書類を片付け出した。
「どうなってるのよっ」
「私に怒らないで。……どこへ行く気」
「職員室」
襟首を掴む元野。
ユウはうっと唸り、女性にしては背の高い彼女を見上げた。
「今と同じ事になるだけよ。それに、あちこちで話せば噂が広がる」
「だったら」
「どうしたらいいか分かるのなら、とっくに解決してるわ。玲阿君はどこへ」
「知らない」
首を振る優。
知っているという顔で。
「さっきの彼を付けたとか」
「知らないって」
「平気で人をさらうような相手よ。彼がどうなってもいいの?」
「ならないよ。玲阿君は」
絶対的な自信と信頼。
微かに赤みを帯びる頬。
友情を越えるような、淡い何かを漂わせ。
「大体、尾行なんて出来るの?」
「相手が鈍いからね。もう一人腕の立つ子がいたんだけど、その子は側にいなかったから」
「私が、携帯で話した子?」
「そう。見た目もいいのに、どうしてあんなのと一緒にいるのかな」
的外れとも、正論とも付かない不満を漏らすユウ。
元野はため息を付き、廊下から見える熱田神宮の遠景に目を細めた。
「何にしろ、神様のお膝元で罰当たりな話ね」
「天誅が下るわよ、その内」
高級マンションの前にある、狭い路地。
疾風の如く駆け抜ける影。
同時に上がる、鈍い声。
「遠野さんは」
自分の口元を、目で見る浦田。
玲阿は舌を鳴らし、慎重に口を覆っていた手を離した。
「俺でも拉致しに来た?」
「話を聞いてるの俺だ」
「それはいいけど、ここで叫んだらどうなると思う?どう考えても、悪者はそっちだ」
たわいもない、牽制にもならない台詞。
しかし玲阿の表情に、動揺の色が浮かぶ。
騙されやすいとも、人がいいともいう。
どちらにしろ、こういう事には向いてないのだろう。
「心配するな。彼女に手は出してないし、その気もない」
「お前を信用しろって?」
「彼女を監視してるのは柳君だ。あっちなら、俺より信用出来るだろ」
微かに頷く玲阿。
浦田は悟られない程度に好意的な笑顔を浮かべ、周囲へ視線を向けた。
「今、俺達と一緒に行動してる奴が戻ってくる。一応、顔くらい見てけ」
「え、ああ」
「当然、武器も持ってる。さすがに、銃は持ってないだろうが」
鼻で笑う浦田。
仮にそうだとしても、気にならないとでも言いたげに。
「カメラは」
「あるか、そんなの」
「使えないな、お前。何のために、ここへ来てるんだ。ポケットにあるから、それを使え」
疑う様子もなく、浦田のポケットへ手を入れる玲阿。
そこに罠があるとは考えないらしい。
「これか」
「馬鹿、それはスタンガンだ」
「……ああ、これ」
「早くしろ、来るぞ」
襲ってきた相手に指示する襲われた相手。
しかも、言う事を聞いていれば世話がない。
「撮れたか」
「6人は」
「出入りしてるのは、それだけだ。何かの時、役に立つだろ」
「え、ああ」
カメラを返そうとする玲阿。
浦田はその頭をはたき、カメラを指差した。
「撮った映像はどうするんだ」
「あ、そうか」
「デジカメだから、データだけ持って帰れ」
「え、ああ」
言われるままの玲阿。
浦田は画像を再生し、小さく頷いた。
「ちゃんと撮れてるな。ったく、よくお前一人で来たな」
「お前が遠野さんをさらうから」
「それもそうだ。何にしろ、もう少し計画して行動しろ」
机に置かれる、デジカメの記録メディア。
「何してきてたの」
「さあ、俺もちょっと」
首を傾げる玲阿。
彼が一番、そう思っているかもしれない。
「どちらにしろ、共犯者が分かっただけでも収穫でしょ」
苦笑気味に、パソコンへ取り込んだ映像をチェックする元野。
初めから、あまり期待をしていなかったらしい。
「子供のお使いじゃないんだからさ」
容赦ないユウ。
玲阿はむっとして、机に手を付いた。
「何よ」
「俺だって、真剣にだな」
「で、結果は」
「そりゃ、結果は伴ってないけど。だからって」
激しく睨み合う二人。
体格では比べようもない。
しかし気持の上では、お互い対等らしい。
「二人とも、落ち着いて」
冷静にたしなめる元野。
二人はため息を付き、視線を逸らした。
お互い、そういう状況でないのは分かっているのだろう。
「確かに、あれは普通じゃない。ただ、遠野さんが危害を加えられるようにも思えない」
「俺もそう思う」
「だからって、放っておく訳も行かないでしょ」
堂々めぐりする話。
元野は小さく頷き、携帯を机の上に置いた。
「警察へ連絡した方が無難ね。あの男が遠野さんを、危うい立場に追いやるとは思えないとしても」
「それは、可能性でしょ。他に、仲間もいるみたいだし」
「他に手はない。現に玲阿君も、何一つ出来なかったじゃない」
「それは、俺が駄目だから。殴り合いならともかく、ああいう相手にはどうしようもない」
結論が出たとも言いたげな元野。
しかしユウは、毅然とした態度で携帯を押し戻した。
「言いたい事は分かる。それが正しいとも。でも、サトミが違う意味で傷付くかも知れないんだよ。だから、出来るだけ内密にしないと」
「放っておけば、傷口が広がる可能性もある。あなたに、その責任が取れる?」
静かで。
だからこその重い指摘。
元野は答えを待たず、携帯をブルゾンのポケットへ戻しドアへと向かった。
「じゃあ、後は任せる。私は初めから、関係ないんだし」
「ちょっと」
「あまり時間が掛かるようなら、私が警察へ連絡するから」
閉まるドア。
代わって訪れるのは沈黙。
重苦しく、やるせない。
「もう一度マンションに行ってもいいけど、多分あいつにあしらわれるだけだ」
「私が行っても同じか。駄目だね、私達は」
「仕方ない。とも言えない状況だし」
二人の口から漏れるのは、ため息のみ。
この出来事の解決につながる事柄は、出てきそうにない。
おそらくは首謀者。
ただ、そういった風格や雰囲気は微塵もない男。
「あ?」
「牛乳よ、牛乳。買ってきて」
威厳すら込めて、窓の外を指差すサトミ。
浦田はさすがに、眉間の辺りへしわを寄せた。
「いる物を用意するとは、確かに言った。でも、今何時だと思ってる」
「寝るにはまだ早いわ」
「このっ」
舌を鳴らす浦田。
平然と顎を反らすサトミ。
その間に、しなやかな動きで柳が割って入る。
「いいじゃない。牛乳くらい」
「人質に丸め込まれてどうする」
「だって」
「リマ症候群だな、ったく」
ジャケットの襟を直し、浦田は部屋を出て行った。
柳もサトミに一礼して、その後に続く。
その背中に、「肉まんも」という言葉が掛かったのはどういった意味だろうか……。
「リマ症候群って?」
「以前ペルーで、人質を取って立てこもった事件があっただろ。その時、犯人が人質に同調というか仲良くなったんだよ」
「分かるけどね、その気持ち」
「分からなくていい」
外側からキーを掛ける浦田。
彼は廊下を過ぎ、リビング風の部屋へと入った。
そこにいるのは、柄の悪い男達。
全員が全員という訳でもないが、概してそういう者が多い。
「少し出掛けてくる。彼女の監視は怠るな。ただし、監視カメラは使うなよ」
「覗き見くらい」
「使うなと言ったぞ」
喉を鳴らす、金髪の男。
浦田の威圧感に対してではない。
彼が無造作に、目元へ近付けた割り箸へ対してだ。
「他に、文句がある奴はいるか」
返ってくるのは、重苦しい沈黙。
単なる脅しとは思えない、彼の躊躇ない動きへの。
鈍い音を立てて開くドア。
ベッドから起き上がり、咄嗟に身構えるサトミ。
「そう警戒するなよ」
下品な笑顔を浮かべる男。
彼の後ろに付き従う、数名の男も。
「別におかしな事をするって訳じゃない。なあ」
聞きたくもない類の笑い声。
サトミは感情を感じさせない表情で、彼等を見つめる。
「抵抗してもいいぞ。その方が楽しいからな」
緩みきった顔で手を伸ばす男。
軽く身を引くサトミ。
男は鼻で笑い、一歩前に出た。
「がっ」
すさまじい絶叫。
床に転げる男。
サトミは後ろに隠してあった警棒を構え直し、スタンガンの電圧を高めた。
「次は」
「ないよ」
俯せに倒れる、ドアの前にいた男。
その後ろから、包丁片手に現れる浦田。
刺したのではなく、背中か後頭部に打撃を加えたらしい。
どちらにしろ、身動き一つしないが。
「柳君」
「こっちは済んだ」
拳を、床へ向かって振る柳。
明らかな返り血が、床へ転がった男達へと降りしきる。
「わざと隙を作って、私を襲わせたの?」
「そういう面もある。使えない馬鹿を抱える程、人間が出来てないんで」
「全員、この学校の生徒でしょ。あなたの部下はいないの」
「人望がなくて」
一人の男の喉元へ、包丁を突き付ける浦田。
痛みのためか、慌ててそれから逃れようとする。
「動くと、頸動脈が切れるぞ。それとも、そうして欲しいのか」
「い、いや」
「という訳だ。明日学校に退学届けを出して、どこかへ消えろ。他の奴も、全員。次はないからな」
血の気の引いた顔。
先程の、物理的な恐怖ではなく。
さながら、悪魔にでも出くわしたような。
人の姿をして、街角ですれ違っても気付きはしない。
今日という日がこなければ。
「人数が減ったら、やりにくいんじゃなくて」
「学校が使ってくれというから、手元に置いただけだ。少ない方が、却ってやりやすい」
「少数精鋭って訳。どちらにしろ、この部屋は使いたくない」
血と唾液と、小便が多少。
物自体傷付いてはいないが、サトミの言う通りここで毎日を過ごしたいとは思えない。
「じゃあ、相部屋かな」
「誰と」
「俺達と」
「冗談でしょ」
肩をすくめる浦田。
鼻の辺りを掻いて、顔をそむける柳。
「ちょっと」
「俺達がリビングで寝てもいいけど」
「何よ。私を悪者みたいに言って。大体、あなたがさらうからいけないんでしょ」
「話は後で聞く」
胸元に放られる、小さな紙袋。
温もりのある、口の辺りから白い湯気を立てた。
「さてと、風呂にでも入るかな」
ゆっくりとバスルームへ向かう浦田。
サトミは紙袋から肉まんを取り出し、そっと口へ運んだ。
朝。
スクランブルエッグを、皿へ盛る柳。
サトミは彼に礼を言い、昨日買ってきてもらったミルクに手を付けた。
「彼は」
「起きてるけど、朝は食べないんだ。話すのも嫌なんだって」
「夜更かしでも?」
「ただ単に、朝は駄目みたい」
「人間としても、じゃなくて」とまでは付け加えないサトミ。
「どうして、彼と一緒にいるの」
質問、それとも指摘。
柳はオレンジジュースをグラスに注ぎ、両手でそれを包んだ。
「浦田君が良くない事をやってるのは分かってる。でも、だからって裏切るつもりもない」
「何故?」
「遠野さんは、自分の友達が悪い事をやってると分かってたらどうする」
「殴ってでも止める」
強い。
朝の白い日射しの中で輝く、サトミの横顔。
柳は眩しそうに、だがしっかりとその顔を見据えた。
「僕は、その後に付いていく。ただ、それだけ」
「諫めようとは思わないの」
「それで止めてくれるなら、とっくにやってるよ」
仕方なそうに漏れる笑顔。
自信と、誇りを微かにかいま見せた。
「いい事なんて無いでしょ」
「放っておく訳にもいかなくて。……あ、浦田君。お茶飲む?」
無言で去っていく浦田。
それでも柳が急須にお湯を注いだのは、彼がわずかに頷いたのを見たからだ。
サトミからすれば、その仕草すら目に留まらなかっただろうが。
それから少し後。
学校の教室。
難しい顔で腕を組むユウ。
多少だが、怒りの色も見て取れる。
「遅い」
「遅刻じゃないだろ」
「そうだけど」
「よく食べて、よく寝る。基本だよ、基本」
血色のいい顔で、彼女の隣りに座る玲阿。
机は、生徒の希望を考慮した席替えで決められている。
彼等の場合隣になるのを主張した訳ではないが、周りが気を利かせているのだろう。
昼食。
学食ではなく、教室で食事を取る二人。
「食べないのか」
「食べる」
半ば無理矢理といった感じで、俵型の小さいおにぎりを頬張るユウ。
ショウは一合はありそうなご飯を平らげ、残っていたおかずも全て口の中へと運んだ。
「何もしない訳にはいかないでしょ」
「ああ」
「じゃあ、どうするかって話になるんだけどさ」
「ああ」
今日、一日中かわされている会話。
正確には、サトミがさわれた後からずっと。
「あの男、学校に雇われてるんだよね」
「でも職員なのか教師なのか、それとも教育委員会とか」
「うん。大体、どうして学校と揉めてるの」
ようやくだが、事件の周囲へと目を向ける二人。
ケースによっては、近道かも知れない道へと。
「不正を追及してるとか」
「それは無いだろ。そんな事するより、警察に言った方が早い」
「じゃあ、予算を削られた」
「いまいちだな」
進まないように見える議論。
ただ、手をこまねいているよりはましだろう。
彼等の心境としても。
「何か」
俯いたまま呟く、黒いキャップを被った少女。
華奢で、ユウより少し大きいくらいの体付き。
場所は中庭の隅。
どういう訳か、足元には数匹の猫が丸くなっている。
「学校と生徒会が、どうして揉めてるか知りたいの」
すっと差し出される、綺麗な手。
間違っても、握手を求めている訳ではない。
「お金取る気?」
「嫌なら、自分で調べれば」
突き放すような口調。
ユウは小さく唸り、財布から小銭を取り出して手の平に置いた。
「揉め出したのは、二学期になってから」
「それで」
「報酬分は話した」
素っ気ない返事。
ユーモアのセンスはあるらしい。
「こ、この」
「雪野さん、落ち着いて。じゃあ、これで」
ユウを制止して、数枚の紙幣を手渡す玲阿。
黒いキャップの少女はそれをしまい、微かに顔を上げた。
鍔から覗く瞳は、細く鋭い。
「額は少ないが、友情に免じて」
「知ってるの」
「学校と生徒会が行っている協議の要項と、今までの議事録」
大きな封筒を差し出す事で、返事に代える少女。
ユウは何か言いたげに彼女を見つめ、小さく口を動かした。
「玲阿君、行こう」
「え、ああ。じゃあ、何か分かったら連絡して下さい。お金は、どうにかしますから」
「ああ」
駆け足で遠ざかっていく二人。
少女はキャップを少し上げ、精悍だが優しさを帯びた顔を彼女達の背中へと向けた。
だがそれは一瞬で、すぐに屈み猫達に手を触れる。
まるで、何事も無かったかのように。
日溜まりの中での時を過ごす。
おそらくは、昨日までのユウ達がそうだったように。
普通で、平凡な時を。
その時を振り返るまでは築かない、幸せな瞬間を。




