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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
クリスマスエピソード
590/596

エピソード EX3(クリスマスエピソード)   ~1年編・玲阿家編~





     紡がれる思い




 30畳はあるリビング。

 落ち着いた色合いの、高級感を漂わせるソファーや家具。

 ローボードの上には細かい細工の施された装飾品が幾つも並び、足の長い絨毯が床に敷き詰められている。

「何だ、これ。薄いな」

 音を立ててジョッキを置き、年代物と思われるワインを注ぎ足す壮年の男。

 短く刈られた髪と、精悍な顔立ち。

 陽気さと、ふと感じる鋭さ。 

 ジョッキでワインを飲むという感覚から、彼の性格は自ずと推測される。

「高いんだから、程々にしなさい」

「その前に、体を気遣ってくれ」

 へらっと笑い、男は一気に半分程を飲み干した。

 彼をたしなめた穏やかな顔の男性もそれを受け取り、全てを空にする。

 大きくたわむソファー。

 優しげな雰囲気を漂わせてはいるが、前に座る男同様時折鋭い気配を放っている。

「あんたの息子は」

「レストランで、ディナーだと聞いている。イブですからね」

「けっ。色気づきやがって」

「あなたの娘と一緒にですよ」

 苦笑する月映つきえ

 彼の弟である瞬はもう一度鼻を鳴らし、皿に盛られているチキンスティックを手づかみで食べ出した。

「夫婦だし、仕方ないか。で、俺達は仕出しの料理を食べると。こういう時は、家族揃って手料理だろ。普通は」

「悪かったわね、普通じゃなくて」

 長い足を組み変え、ワイングラスを手の中で転がす綺麗な女性。

 赤いセーターに紺のタイトスカートという出で立ちで、凛とした表情が瞬を捉える。

「冗談ですよ、鈴香すずかさん。さ、御一献」

「馬鹿」 

 そう言いつつも、まんざらでもない顔で酌を受ける鈴香。

 瞬はボトルの残りを全て飲み干し、それで肩を叩いた。

「しかしイブだってのに、盛り上がりに欠けるな」

「もう少し飲まれますか?」

「いえ、このくらいで」

 ニヒルに微笑む瞬。

 丸みのある体型の女性はくすっと笑い、持ってきた熱燗をテーブルの上へと置いた。

「済みません、お義姉さん」

「いいのよ。私は動いてる方が好きだから」

「血が、そうさせる?薙刀の達人、師範としての」

「さあ、どうかしら」

 グラスを重ね合わせる女性二人。 

 瞬と月絵は肩をすくめ、サラダをちびちびと食べ出した。


「四葉はどうした」

 重みのある声。 

 オールバックの白い髪。

 まっすぐに伸びた背筋と、厳格さを感じさせる顔立ち。

 和服が似合いそうな雰囲気であるが、半袖のポロシャツにコットンパンツという服装である。

「彼女の家さ」

「ああ、雪野さん」

「いいね、若い奴は。あそこの家はアットホームな雰囲気だし、俺も行きたいよ」

「お前は、幾つなんだ」

 呆れ気味に彼をたしなめる男性。

「息子の年くらい覚えろよな、親父」

「そういう意味ではない」

「あ、そう。どうせ破門になった、馬鹿息子だよ」

「私に言うな」

 冷静に言い返す父。

 瞬はため息を付き、首を後ろに向けて壁に掛かっている写真を仰ぎ見た。

「あのじじいのせいで」

「お前の祖父でもあります」

「勿論、兄貴にもな。ったく、人の破門を解かないで死にやがって」

 遠い、懐かしむような視線。

 切なさの漂うリビング。

 静かに響くBGM。

「父さんには、父さんの考えがあった。それをお前は弁えずに、勝手に飛び出したんだ」

「いや、違うね。あのじいさんが勝手に破門を言い渡してきたんだ」

「不毛な会話は止めて下さい。もう、お祖父様はいないんですから」

 静かにたしなめる月映。

 二人も分かっているのかすぐに口を閉ざし、グラスを手に取った。

 傾けられる事のない、満たされたグラスを。

「瞬さんが戻ってきたのも、イブでしたよね」

「え、そうでしたっけ」

「全く。あなたは、本当に駄目なんだから」

「悪かったな。そんな昔の話なんて、覚えてるはずがないだろ……」






 住宅街の一角。 

 「レイアン・スピリッツ」 

 の大きな看板が玄関の上に掛かった、トレーニングセンター。

 受付の女性に挨拶をして、中へと入っていく二人の少年。

 お互いあどけない顔立ちで、一人は小学校低学年といった所か。

「何やるの」

 壁に貼られた、プロリーグのポスターを見上げながら尋ねる端正な顔立ちの少年。

 彼よりは年長の、中学生くらいの少年はその壁を拳で叩きにやりと笑った。

「寒稽古さ、寒稽古」

「それは、正月にやるんじゃないの」

「お前は真面目な奴だな。いいんだよ、いつだろうと夏だろうと」

 相当にふざけた答え。

 端整な顔立ちの少年は表情を曇らせ、歩みを緩めた。

「心配するなって。話はしてあるから」

「う、うん」

「お前も、ここはたまに来るんだろ。四葉」

「そうだけど。大抵は父さんとだから」

 疑わしげに視線を上げる四葉。 

 彼の従兄弟である風成は鷹揚に笑い、彼の肩を抱いた。

「いいんだよ。さあ、着替えるぞ」


 マットの敷かれた、広いトレーニングルーム。 

 鏡張りの壁と、サンドバックやパンチングマシーン。

 今もジャージ姿の男女が、ストレッチやスパーリングを繰り広げている。

 そこへやって来た二人の側に、細身の男性が歩み寄る。 

 穏やかで優しげな顔立ち。

 ジャージの胸元には、インストラクターを示すIDが付けられている。

「おや。風成さん、四葉さんも。今日は、どうしたんですか」

「年納めに、軽くやろうと思って。いいですよね、水品さん」

 あどけない、だからこその勝ち気な表情。

 水品は穏やかな顔を緩め、静かに頷いた。

「私とやりますか」

「それもいいかな。四葉、どうする」

「俺は、その」

「無理矢理連れてこられたという顔ですね。家での手伝いはいいんですか」

 言葉に詰まる四葉。 

 風成は彼を肘で軽く突き、体を解し始めた。

「どうしてお前は、そう真面目なんだ」

「風成さんが、自由過ぎるとも思いますけどね」

「水品さんまで。とにかく、家には内緒って事で」

 不意に伸びる、風成の足。

 顎を引き、難なくそれをかわす水品。

 合図も警告も無しの一撃。

 子供とはいえ、その鋭さはここにいる練習生のレベルを越えているだろう。

「危ないですね」

 余裕で笑う水品。

 その言葉と同時に、風成は床へと崩れた。

「なっ」

「実戦なら、死んでますよ」

「子供相手に、容赦無しだな」

「不意打ちを仕掛ける子供が、何を言ってるんです」

 風成を助け起こし、水品はドアへ視線を向けた。

「仕事がありますので、少し待ってて下さい。他のインストラクターとやっても構いませんが、玲阿流ではなくここのルールでお願いしますよ」

「了解。大変だなー、管理職は」

「他人事みたいに言って。あなたは、将来の玲阿家師範ですからね」

 しっかりと釘を刺し、飄々とした足取りでドアを出ていく。

 それを見送った風成は、隣で体を解している四葉の耳元へ顔を寄せた。

「おい。気付いてるか」

「こっちを見ている子?」

「襲ってくるぞ。勿論、ご丁寧に声を掛けてな」

「やるの?」

 咎めるような視線。 

 しかしストレッチは、さらに入念に続けられる。

 ほんの子供。

 物事のなんたるかを理解するには、まだ早い年齢。

 それでもこれから起きうる事態を、彼は理解している。

 育った環境。

 それとも、血が。


「何だ、お前ら」

 のっけからの、険悪な態度。

 風成はのんきな顔で、後ろを振り返った。

「インストラクターの知り合いさ」

「練習生じゃないのに、でかい面するな」

「ガキが」 

 彼等を取り囲む、中高生風の男達。

「どうかしたのか」

 遠くから声を掛けるインストラクター。

 男達の一人が振り返り、笑顔で答える。

「スパーリングをやろうと思いまして。まだ準備があるんですよね。ここは、俺達だけで大丈夫ですから」

「ああ。すぐ戻る。君達、程々にね」

「分かってます」

 怪訝な顔をする男。 

 インストラクター達が出ていったのを見届け、表情が一気に厳しくなる。

「程々って、何がだ」

「大体、あんな言葉遣いしたか?」

「知るか。それより」

 四葉達へ向けられる視線。

 険しい、敵意に満ちた。

「いいジャージ着やがって。誰の紹介だ、え」

「早く帰って、ママに甘えた方がいいぞ」

「その前に、金出せよ。こっちも年末で、大変でさ」

 陰気な笑い声。 

 狭まる輪。

 二人は平然とした顔で、その様を見つめている。

「お前ら、ここの人間じゃないだろ」

「どうして分かる」

「そういう馬鹿は、水品さんが許さない」

「ガキの割には、多少は頭が回るな。俺達は、見学者って奴さ。練習生にって誘われてるけど、弱いんだここの連中は」

 再び上がる笑い声。

 風成も、一緒になって笑っている。

「何がおかしい」

「お前らの馬鹿さ加減が。止めてくれるはずの、インストラクターまで帰して」

「ふざけるなよ。このガキ」

 一気に膨らむ敵意。

 ジャージのファスナーが開けられ、袖をまくる者もいる。

「……四葉、玲阿流の家訓は」

「引くなかれ」

「そういう訳だ」



「……これは」

 穏やかな顔を微かにしかめる水品。 

 マットの上に崩れる、何名もの男達。

 その中心には、息を整えている風成と四葉の姿がある。

「風成さん」

 威圧感漂う、低く重い口調。

 風成は小さく唸り、手を激しく動かした。

「そ、その。いきなり襲ってきたから、こちらも対抗上。な、四葉」

「引くなかれ」

「ば、馬鹿」

「二人とも。玲阿流の家訓もいいですが、この子達はまだ練習生にもなってないんですよ」

 ため息を付き、ドアを入って来るなり目を丸くしたインストラクター達に手当をするように告げる。

「こうなると責任上、練習生にしないと問題ですね」

「え、でも」

「イブの夜を、警察で過ごしたくはないでしょう」

「は、はい」

 がくがく頷く風成。

 四葉の方は事態が飲み込めていないのか、固い顔で荒い息を整えている。

 それは肉体的な物ではなく、精神的な高ぶりから来ているのだろう。

「多少素行に問題がありそうな連中でしたし」

「あ、知ってたんですか」

「勿論。だから軽くあしらって、お帰り願おうと思ったんですが」

「い、いいじゃないですか。練習生が増えれば、入会金も練習費も入ってくるんですから」

「治療費も掛かりますよ」  

 冷静に指摘し、意識のない男達へ活を入れていく。

「彼等には私から話しておきますから、早く帰りなさい」

「あ、はい。じゃ、そういう訳で」

「引くなかれ」

「馬鹿。もういいんだよ」

 ぶつぶつ言う四葉の手を引き、慌てて出ていく風成。

 優しい笑顔でそれを見送った水品は、腰を屈めて男達の一人に話し掛けた。

「君達は、今日からここの練習生です。いいですね」

「ど、どうして。お、俺は」

「今度は、私が相手になりましょうか」

 目の前から消える拳。

 次の瞬間、男の頬には水品の腕が当てられている。

 拳はその頭を打ち抜いた、遥か彼方の位置へと。

 真っ青な顔で、激しく頷く男。 

 他の者も、床から同じような顔でその様を眺めている。

「まいったな」

「先生、どうかしたんですか」

「あ、雪野さん」

 苦笑して振り向く水品。

 そのまま腰を落とし、幼い少女へと目線を合わす。

 可愛らしい顔立ちの、小柄な女の子。

 自身の全てを教えている、愛弟子とも呼べる存在へ。




 高級マンションの地下駐車場へ入っていくバイク。

 四葉は後ろから飛び降り、ステップを踏んで体勢を立て直した。

「あ」

 小さく上がる、あどけない声。

 バイクを駐車スペースに停めた風成は、ヘルメットを取って彼を振り向いた。

「どうした……。あ」

 同じような声。 

 また、彼よりも低い姿勢。

「よう、人さらい」

 鋭い眼差しを向け、あごを反らす男性。

 スリムなダブルのスーツを着こなす、引き締まった体型。 

 襟のネクタイを緩めた男性は、その指先でバイクへと触れた。

「しかも、バイク泥棒か」

「ち、違うって」

「家の手伝いはどうした」

「そ、その。さぼった訳じゃなくて、体を鍛えに」

「水品から連絡があった。おぼっちゃま二人が、お暴れになってますと」

 逃げる風成の襟首を掴み、浮いた足を刈って体を倒す。

 手は襟首から顔へと動き、そのまま一気に床へと押し付ける。


「危ないな」

「少しは驚け」

「それはもう、信じてますから」

「お父さん、何してるの」

 遠慮気味に、スーツの袖を引く四葉。

 瞬はその頭を撫で、もう片方の手で風成を頭ごと引き上げた。

「風成、家に送ってやる。その前に、四葉は着替えろ」

「別に、汚れてないけど」

「正装って奴だ」



 大きな木の門構えの中へと入っていく、一台の車。

 駐車場に停まったそれから降りてくる家族連れ。

 ダブルのスーツを着こなす瞬に、ブレザー姿の四葉。

 赤いワンピースに同色のコートをまとった美少女と、黒いコートを羽織った彼女によく似た女性。

「何で俺だけ」

「お前は、ここの家の人間だろ」

「しかし、さ」

 一人ジャージ姿の風成。

「いいの?」

 不安そうに尋ねる美少女。

 風成は鷹揚に頷き、道に沿って生えている大きな木の幹を拳で突いた。

「自分の家へ帰るのが、そんなにおかしいか」

「だってお父さん、破門なんでしょ。いつも、門はくぐらないじゃない」

「さらっと厳しいね、お前は。母親似だな」

 睨み付けてくる女性の視線をかわし、次の木を突く。

 揺らいだ枝が葉を散らし、彼等の上へと舞い降りる。

「でも、どうして急に」

「俺が知りたい。なあ、鈴香」

「さあ、どうしてかしら」

 風が冷たいといった風情で、コートの肩を押さえる女性。 

 今度は彼女が、瞬の視線をかわす。

「あ、お帰りなさいませっ」

 大声を張り上げ、深く頭を下げる大柄な男達。

「風成君、君は随分と大物だね」

「馬鹿ね。お父さんへに、決まってるでしょ」

「あ、そうなの?それは、ご丁寧にどうも」

 一人一人の肩を叩いていく瞬。 

 男達は身を固めて、緊張しきった顔でさらに頭を下げる。

 最後にもう一度挨拶をした男等は、最敬礼して瞬達を見送った。

「随分、大物でいらっしゃるのね」

 皮肉っぽく笑う鈴香。

「知るか。しかし、よく俺の事なんて覚えてるな」

「まだ5年も経ってないのよ。あなたが、ここを出ていってから。私達を、置き去りにして」

「すぐ呼び寄せただろ。それに、じじいがお前らを手放さなかったから……」

「誰に対して、物を言っている」

 錆を拭くんだ低い声。

 オールバックの髪には白い物が混じっているが、眼光は鋭い以外の例えようがない。

 決して長身ではない体から放たれる、強烈な威圧感。

 しかし瞬は破顔して、陽気な調子で手を挙げた。

「よう、親父」

「少しは口の利き方を改めろ」

「破門になるような人間なんでね。兄貴とは、出来が違うんだよ」

「お前という男は。風成も、手伝いはどうした」

 威厳その物といった声。

 さすがに風成は身を小さくさせ、大人しく謝っている。

「説教はもういいよ。それより、誰が呼んだんだ」

「父さんだ」

「じいさんが?クリスマスプレゼントに破門を解くって柄でもないだろ」

「私も、よくは知らん。取りあえず、中へ入れ」



 広いリビング。

 上座の席に付く、老年の男性。

 だがその威圧感は瞬の父をも凌ぐ迫力で、高そうな度数の洋酒をグラスごと飲み干している。

「アル中になるぞ」

「……瞬か」

 リビングに入ってきた彼を睨め付ける、険しい眼光。

 瞬は鼻先で笑い、男性に酌をしていた月映の隣へ座った。

 テーブルに、白紙の巻かれた日本酒を置いて。

「この年で、病を気にしてどうする」

「違いない」

 同じくグラスごとあおり、視線を合わす瞬。

「それで、俺に何の用だ」

「用などない。破門した男などに」

「じゃあ、帰らせてもらう。兄貴、またな」

「待ちなさい。お祖父様も」

 立ち上がる彼の腕を押さえ、視線を父親へと向ける月映。

「何だ」

「今の当主はお父様なのですから、一言お願いします」

「お前という奴は。……老いては子に従えだそうです。父さん」

「勝手にしろ」

 言葉とは逆に、上から下へと流れていく意志。

 ややぎこちない空気ながら、他の者も席へと付く。



 控えめなBGMと、軽い会話。

 テーブルには豪華な食事と、高級な洋酒が幾つも並ぶ。

 だが大人達の空気を感じ取ってか、子供達もそれ程箸は進まない。

「お前が出ていってから、何年になる」

「戦争が終わってすぐだから、4年、5年か?とにかく、そんなくらいさ」

「そうか」

 静かにグラスを傾ける父。

 瞬は肩をすくめ、大振りのロブスターを手づかみで食べ出した。

「女房子供はここにも来るんだし、問題もないだろ。さてと、少し酔い覚ましでもするかな」


 広い邸宅内を歩いていく瞬。 

 スーツの上着はなく、ネクタイもかなり緩められている。

 酔ったという言葉とは裏腹な、正確で規則正しい足運び。 

 やがて彼は、静まりかえった道場へと現れた。      

 照明はなく、高い位置にある窓からのわずかな光が青いマットを照らしている。

「多少は綺麗にしたのか」

 床の感触を確かめつつ、周りを見渡していく。

 先程までの醒めた表情は、そこにはない。

 固く結ばれた口元、眉間に寄った皺。

 拳は体に押し付けられ、床を踏みしめる一歩一歩に力がこもる。

 苦悩、怒り、不安、悲しみ。 

 それだけではない。

 喜び、嬉しさ、感動。

 幾つもの感情の重なった、深い表情。

 若い頃には思いもつかない、浮かびもしない。

 時を経て、幾つもの経験を重ねた今だからこその。


「貴様も、そういう顔をするようになったか」

 闇の奥から響く声。

 瞬はスラックスに入れていた手を抜き、前髪へ触れた。

「いたのか、じいさん」

「わしが敵なら、死んでおったぞ」

「ここは戦場じゃない。それに俺は破門の身だ。玲阿流の道場だからって、襲われる義理もない」

 静かな応え。 

 正座をしていた祖父はゆっくりと立ち上がり、彼の前へと歩み寄った。

「少しは、強くなったか」

「そんな事を聞くのは、あんたか親父くらいだ。俺はまだまだ、子供だって?」

「月映もな。貴様よりは、多少ましだが」

「世間の連中に聞かせてやりたいね」

 鼻で笑う瞬。

 祖父の方は、至って真面目な顔である。

「それで、どうして俺を呼んだ。今さら破門を解くって訳でもないだろ」

「わしは知らん」

「何だ、それは。ったく、ぼけじじいが」


 跳ね上げた肘からの裏拳。

 瞬はヘッドスリップでそれをかわし、懐へと飛び込む。

 襟を掴み腰を落とすが、祖父の体はわずかにも動かない。

「石でも抱いてるのか?」

「その腕で、よく生きて帰って来れたな」

「白兵戦なんて、しょっちゅうあった訳じゃない」

 拗ねたように答え、手を離す。 

 祖父はジャケットの襟を直し、静かに一歩踏み込んだ。

「っと」

「なるほど」

 足の上に向けられた、瞬のかかと。

 燃えるような視線をかわし合う二人。

 お互いはどちらともなく距離を置き、張りつめていた空気を解いた。

「孫相手に不意打ちとはね」

「戦いを制する基本だ」

「武道とは、礼に始まり礼に終わるんだろ」

「世迷い言だな」

 真顔で答える祖父。

 一線を退いたとはいえ、古武道宗家の当主でもあった人間が。


「お父さーん。いないのー」

 道場の入り口辺りから聞こえる、あどけない声。

「お父さん、どこ」

 もう少し冷静な、しかし不安げな声。

 四葉の姉である流衣は彼の手を引き、慎重に道場へと足を踏み入れた。

「お父さん……。大お祖父様」

 丁寧に頭を下げる流衣。

 それを見て、四葉もおずおずと頭を下げる。

「身内に頭を下げさせるなよな」

「わ、わしはその。流衣、礼などいいといつも言っておるだろうが」

「そうは参りません。年長者は敬われる物。まして自身の大お祖父様ともなれば、当然の振る舞いです」

 流衣は真剣にそう語り、柔らかく笑った。

 対して祖父は固い顔で、ぎこちなく頷いている。

「孫には弱いって話は聞くけど、ひ孫だともっと弱いのかね」

 のんきに頷く瞬。

 四葉は眠そうに目元を抑えている。

「お前は子供か……。って、子供だな。それで、何か用か」

「食事も片付けたから、遊んでないで戻ってきなさいって」

「人をガキ扱いしやがって。なあ」

「わしは、その。四葉、眠いのか」

 先程までとはまるで違う、優しさを含んだ声。

 苦笑気味な瞬の視線を気にしつつ、その頭を撫でる。

「眠いなら寝てろよ」

「わざわざ迎えに来てくれたのに、その言い方はなんだ」

「スパルタなんだ、俺の所は。先祖代々」

 からかうような口調。

 思わずといった具合に押し黙る祖父。

 先程から、かなり押され気味である。


「こんな寒い所で、何してたの」

 訝しそうに道場内を見つめる流衣。

 瞬と祖父は何かを言いかけるが、ため息混じりに首を振った。

「お前に言っても分からん。なあ、四葉」

「え」

 間を置いて返ってくる、くぐもった答え。

 瞬は笑って、彼を担ぎ上げた。

「貴様こそ甘いじゃないか」

「親だからいいんだよ。流衣も、ほら」

「私を、幾つだと思ってるの」

「あ、そう」

 寂しげな微笑み。

 だが四葉の頬に顔を寄せ、すぐに表情が和らぐ。

「お姉ちゃんは、俺も嫌い。玲阿流も嫌いだって」

「お父さんを嫌いとは言ってないでしょ。玲阿流はともかく」

「流衣」

 難しい顔でたしなめる祖父。 

 流衣は構わず、長い髪をかき上げた。

「歴史としては認めますけど、跡を継ぐという気はありませんので。そちらは、風成にお願いします」

「長子はあいつだから、そうなのだが。しかしな、流衣」

「大丈夫です、大お祖父様。この子がいますから」

 父の胸で健やかな寝息を立てる四葉。 

 しかし祖父は即座に首を振り、瞬を指差した。

「気持はありそうだが、どうした訳か父の跡を継ぎたいらしい」

「お父さんの跡って、軍へ?」

「悪いかよ」

 二人の視線を受け、子供のように言い返す瞬。 

 流衣はため息を付いて、柔らかそうな四葉の頬を突いた。

「馬鹿な子ね」

「お前、母親に似てきたな」

「お母さんの子供だもの。当然でしょ」

「じゃあ、こいつは俺に似る訳だ」

「似ないわよ」

 厳しく返し、もう一度頬を突く。

「じいさん、あんたが吹き込んだじゃないだろうな。軍に行けって」

「わしは知らんぞ。確かにそういう家系ではあるが、時代が時代だ。そこまで、強制させる訳にはいかん」

「丸くなったね、随分。俺達には、絶対だとか言ってたのに。それとも、やっぱりひ孫には甘いのか」

 下がってきた四葉を抱え直し、祖父を見やる四葉。

 咎めるというよりは、からかうようにして。

「あんた、親父、兄貴と俺。で、こいつ。少なくとも、こいつは4代目か」

「その年になったらの話だ。子供は誰でも、そういう事を言う」

「こいつの事は、俺が一番知ってるよ。一度やると言ったら、何があってもやる男だって」

 幼い、本当に子供の表情。

 今も周りの会話にも気付かず、父の胸で眠りに付いている。

 そんな彼を、男と呼ぶ父。

 その二人を、遠い目で見つめる祖父。

「こいつが軍に入るとしても10年以上先の話だし、その頃には平和になってるさ」 

「破門になったお前の子供だ。好きにしろ」

「するよ。お前は英雄なんて呼ばれなくてもいいからな。人の後ろに隠れて生き残るんだぞ」

「馬鹿が」

 笑い合う二人。

 それが聞こえたのか四葉が顔を上げるが、すぐに目を閉じて顔を胸へと寄せる。

「こんな所にいたら、風邪引くわよ」

 呆れ気味に声を掛ける流衣。

 開いた窓からは夜風が吹き込み、暖房など無い道場内は凍えそうな程に冷え切っている。

「仕方ない。じゃ、こいつを寝かせて帰るとするか」

「お父さん、泊まっていかないの」

「破門だからな」 

「大お祖父様」

 交互に向けられる、流衣の視線。 

 だがどちらも、口を開かない。

 先程の張りつめた空気ではなく。

 お互いの気持ちを理解し合う表情。

「馬鹿、もう。知らないから」

 きつく睨み付け、足早に道場を出ていく流衣。

 二人は苦笑気味に口元を緩め、彼女の後を追い始める。

「あいつは、本当に母親似だな」

「貴様がだらしないからだろう」

「悪い孫であり悪い息子であり、悪い父親って?そういう家系なんだろ」

 軽く切り返し、胸元で眠る四葉を見下ろす。

 笑い気味の、健やかな寝顔を。

「……こいつらの事を、頼む」

「セキュリティコンサルトなど止めたらどうだ。こうして家族まで危険に晒してまで、する必要があるのか」

「目の前で死んでく人間を、放って置く訳にもいかないだろ」

 静かな、苦い口調。

 視線に鋭さが増し、四葉を抱く腕に力がこもる。

「ここにいれば、確かにこの子達は安全だが」

「だろ。玲阿って名前が無い分、こっちは辛いけどな」

 何か言いかける祖父に首を振る瞬。

「つまり、実力で勝負してるって訳さ。これがまた楽しいんだ」

「貴様」

「兄貴が望んでも出来なかった事。自分の望み通りに、家も許嫁も関係なく生きる事を俺はやってる。誰かが破門してくれたおかげで」

 子供っぽい笑顔。

 敬意と、思慕と、思いを寄せた。

「兄貴の場合は許嫁っていっても、知らずに付き合ってた馬鹿だけどな」

「馬鹿は貴様だ。先方を断るのに、どれだけ苦労したと思ってる」

「俺に言うな。大体親父だって、許嫁とは結婚しなかったって聞いたぜ」

「親子揃って、馬鹿が」

 むくれる祖父。

 しかし四葉が起きそうになったのを見て、すぐに声をひそめる。 


 長い渡り廊下。

 道場とは違い暖房が入り、明るく照明が灯っている。

「ん」

 その途中で、足を止める四葉。

 全面がガラス張りとなっている両側の壁。

 庭先の照明が、白いきらめきを映す。

 夜空を染める、無数の雪を。

「ホワイトクリスマスか」

「玲阿家は、クリスチャンではない」

 真顔で返す祖父。

 瞬は肩をすくめ、四葉を軽く揺さぶった。

「ほら、雪だぞ、雪。……完全に寝てるな」

「寝かせてやれ。雪なら、いつでも見られる」

「あんたと一緒には、これが最後かも知れないだろ」

 小さな、雪の空へと吸い込まれていくささやき。

 四葉は眠そうな顔をゆっくりと上げ、微かに目を開けた。

「やっと起きたな。ほら、四葉」

「あ、雪」

 嬉しそうに上がる、あどけない声。

 冷たさも気にならないのか窓に手を当て、笑顔を浮かべている。



 肩に舞い降りる雪。

 瞬はそっと手を伸ばし、四葉の頭に積もった雪を払った。

 そんな事にも気付かず、口を上げて空を見上げる四葉。

 純粋な、輝くような笑顔で。

「子供はいいよ。雪を見ただけで楽しいんだから」

「お前はどうなんだ」

「いい事よりも、嫌な事を思い出す」

 しかめられる、端正な顔。

 祖父は鼻を鳴らし、同じような顔で体を押さえた。

「どうした」

「嫌な思い出があるのは、お前だけではないという事だ」

「元鬼曹長殿にも、嫌な思い出はありますか。だから、親父や俺達を士官学校に?」

「さあな」

 素っ気ない答え。

 瞬は気にもせず、シャツを脱いで祖父へと差し出した。

「おい」

「こっちは現役で、この程度でどうこうなる鍛え方はしてない」

「四葉に掛けてやれ」

「同じ事さ」

 空を見上げる四葉の前に差し出されるシャツ。

 彼はそれを受け取り、舞い落ちる雪を手で払った。

「はい」

 素直な笑顔。

 心をそのまま表した、あどけなく純粋な。

「お前は、父親似だな」

「え?」

「いや、何でもない」

 四葉の頭を撫で、祖父は受け取ったシャツを肩へと掛けた。

 彼には少し大きい、白いシャツを。

「おー、寒い。だけどな四葉、シベリアはもっと寒いぞ」

「しべりあ?」

「ああ。お父さんが、昔いた所だ。何でも凍るし、雪には埋まるし、狼は出るし。命令とは言え、よくあんな所へ行ったよ」

「ふーん」

 あまり関心のない返事。

 まだ幼い彼には想像が付かす、それよりも目の前に降ってくる雪の方が楽しいのだろう。

 瞬もそれは分かっているのか、彼の頭を撫でて指先に息を吹きかけた。

「さて、そろそろ帰るかな」

「ああ」

「破門とはいえ、一応はあんたの孫だ。正月にでも、また来る」

「ああ」

 短い答え。

 瞬は子供のように笑い、暗い庭の奥へと駆けていった。

「お父さん、どこ行くの」

「俺の事は構うな。お前は自分と、家族を守れっ」

「う、うん。……どういう意味?」

 すでに見えなくなった父にではなく、祖父を見上げる四葉。

 幼さと素直な性格から、冗談が通じなかったらしい。

 さすがに呆れたのか、祖父は口元で適当に呟いた。

「お父さーん」

「また来るから、心配するな。それより風邪を引くといけないから、早く戻ろう」

「あ、うん。でも、どうしてお父さんは泊まらないの?」

「あれは頑固だからな。誰かに似て」

 小さな、暗い庭先へと消えていくささやき。

 今はない、自分の孫を追うような視線。

 だがそれはすぐになくなり、雪と戯れる四葉の肩へ触れる。

「さあ、戻ろうか」

「うん」

 手をつなぎ、母屋へと向かう二人。

 大切な夜。

 雪の舞う、心に残る光景。

 今は楽しさだけが。

 それすらもいつかしか、薄れていく。

 でも、無くなりはしない。

 人の心は。

 その思いは……。






「雪は、降らないか」

 窓辺に立ち、薄く笑う瞬。

 苦さを含ませて。

「何の話?」

 彼にグラスを差し出す鈴香。

 瞬は首を振り、それに口を付けた。

「……ん」

「どうしたの」

「これって、あの時持ってきた酒だろ」

「そうですか?」

 振り返られた月映は、知らないという顔で妻を見る。

「さあ、私も」

「親父」

「父さんが持ってきたんじゃないのか」

 冗談っぽく笑い、グラスを傾ける父。

「地獄から這い出てきたのかよ。琉球クーデターの英雄も、とうとうぼけたのか」

「怖い事言わないで。大体、どうして地獄なの」

「人殺しの家系だからな。少なくとも、天国にはいないさ」

「向こうで、家族揃って鬼退治ですか?」

 どっと笑う男達。

 女性二人はため息混じりに首を振る。

 もう、呆れもしないという様子で。



 少しして、廊下の方から足音がする。

「ただいま」

 遠慮気味に入ってくる、革のジャケットを手に掛けた四葉。

 すぐにその隣から、赤いコートを羽織った優も顔を出す。

「こんばんは。お邪魔してます」

 明るい、嬉しそうな笑顔。

 それはイブだから、というだけでもなさそうだ。

「家の方は、いいのかな」

 静かに尋ねる父。

 優はこくりと頷き、コートを空いていたソファーの背もたれへ掛けた。

「こっちのごちそうも気になりまして」

「はは、なるほど。取りあえず、少し飲みなさい」

「あ、どうも」 

 両手を合わせ、グラスを受け取る優。

 半分程つがれた日本酒を口に付け、ショウへと渡す。

「……少し、甘いな」

「酒の味が分かる年になったのか、お前は」

「父さん、何か言った」

「いいえ。さてと、飲み直すとするか」



 凍えるような夜風。

 気温は氷点下近くまで下がり、冷えた空気が辺りの景色を引き締めて映し出す。

 わずかな照明以外明かりのない、漆黒の闇。

 空に輝く無数の星々が降ってくると錯覚する程の眺め。

「ホワイトクリスマスって訳には、いかないな」

「あ、何が」

 怪訝そうに尋ねる四葉。

 瞬は首を振り、流れていく白い息を目で追った。

「ほら」

「なんだよ」

「いいから」

 肩に掛けられる、黒の革ジャン。

 微かに顔をしかめ、それを受け入れる瞬。

「……お前は、昔から変わらないな」

「え?」

「いいんだよ。その気持ちさえあれば」

 夜風に乗る、切ないささやき。

 手に提げられた、日本酒の一升瓶。

 いつか彼が、祖父に渡した。

 今日まで開けられる事の無かった物。

「大お祖父さんの事を、覚えてるか」

「少しだけ」

 戸惑い気味に答える四葉。

 その鼻先に飛んでくる、肘打ちからの裏拳。

 四葉はヘッドスリップでそれを交わし、瞬の襟を掴んで腰を落とした。

「……石でも抱いてるのか」

「さあな。っと」

 足元へ向けられたかかとを見てにやりと笑い、瞬はすぐに距離を置く。

「血は争えないって訳か」

「さっきから、何言ってるんだ」

「いいんだよ、知らなくても。それよりも従兄弟を見習って、彼女とホテルでも行って来い」

「あ、ああ?」 

 寒空の中顔を赤くする息子。

 父は大笑いして、彼の肩を抱く。



 今は気付かない。

 時を経て、人から人へと。

 そうとは気付かなくても。

 いつか分かる時が来る。

 微かな記憶、忘れていた思い出。

 心の奥にしまわれた、遠い過去。 

 振り返っても見える事はない。

 だけど、消える事もない。

 紡がれていく気持、人の思いは。 






                                了







 玲阿家を中心としたストーリーで、読んでもよく分からないかも。

 つまりは、私の自己満足という話です。

 この玲阿家だけで独立した話が書けるくらいなので、つい。


 補足を少し。

 作中通り、軍人の家系。

 曾祖父は、曹長。月映(ショウの伯父)は、少佐。瞬(ショウの父)は、大尉。

 父(ショウの祖父)は、将官(准将→退官時に少将?)。

 琉球クーデターなる物にも、関わってるようです。 

 これは沖縄が自治政府へ移行するきっかけの話なんですが、書く余裕がないので。

 ちなみにショウの従兄弟である風成は、軍へは進んでません。

 また月映の妻(ショウの義理の伯母)は、彼の許嫁で薙刀の達人。

 古武道という関係から知り合い、後でお互いが許嫁だと知りました。


 ちなみに玲阿家は旧家(御土居下同心)ですが、それ程大金持ちという訳ではありません。

 今はレイアンスピリッツの収入ロイヤリティーなどがあるので、かなり裕福になってますけどね。

 まだ色々ありますが、この辺で。


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