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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第51話  最終話
587/596

エピソード(外伝) 51   ~ユウ視点~






     卒業




「わっ」

 慌てて顔を上げ、口元を拭う。

 悪い夢を見た。

 学校を退学になった、悪い夢を。

 欠伸をしながら部屋を見渡すと、ハンガーに制服が掛かっているのが見えた。

 退学したのなら、制服はもう必要ない。

 最近色々あったので、それが夢になって現れたんだろう。



 階段を下り、リビングで新聞を読んでいるお父さんに挨拶をする。

「特に、これといったニュースもないね」

「平和で何よりだよ」

 そう言ってお茶をすするお父さん。

 それもそうだと思いつつ、炊飯ジャーからご飯を注いで席に付く。

「さっき、怖い夢を見てさ」

「怖いって、どんな」

「学校を退学する夢」

 明るく笑い、焼き魚をおかずにご飯を食べる。


 リビングに響く笑い声。

 ただし、笑っているのは私だけ。

 お母さんはキッチンへ消え、お父さんは新聞を顔まで上げて返事もしない。

 おかしいな、なんか汗が出てきたぞ。

「ちょっと、冗談でしょ。制服は部屋にあったじゃない」

「何が冗談なの。大体、どうしてあなたは家にいるのよ」

「どうしてって、寮を追い出されたから」

 キッチンから聞こえるお母さんの言葉に返事をして、少しずつ記憶を辿る。

 洗い立てのように濡れた箸が手から滑り、顔から血の気が引いてきた。


「だって夢、でしょ」

「寝てるの、あなた」

 果物ナイフ片手に現れるお母さん。

 慌てて逃げだそうとしたら、リンゴを剥きだした。

 だけど、今はちょっと近付かない方が良さそうだ。

「ちょっと、お父さん」

「熱でもある?」

 新聞越しに、不安そうな視線を投げかけてくるお父さん。

 額に手を当てるが別に熱くはないし、少し寝たりないだけ。

 時計を見ると、いつもならもう学校へ出かける時間。

 そんな時間にのんびりご飯を食べている自分に、ようやく事実という物が理解出来てくる。

「あれ?」

「あれじゃないわよ。これ、見なさい」

 テーブルの真ん中に置かれる一枚の書類。


「卒業証明書 雪野優は高等部における全課程を修了した事を証する。多年制学校法人草薙グループ高等部事務局」


 卒業証書ではなく、証明書。

 何にだったかは忘れたが、書類が必要と言われてもらったもの。

 そうか、卒業か。

 結構日にちが経つのに、本気で間違えた。

「あの制服、何なの?」

「昨日クリーニングから戻って来たんじゃない。クローゼットにしまいなさいよ」

「ああ、そうか。卒業出来て良かった」

「それはこっちの台詞よ」

 怒られた。

 しかし去年のように汗をかく事もないし、血の気が引いたりもしない。

 良かった良かった。




 ただ問題がこれで全て解決した訳では無い。

 左手の薬指にはめられたシルバーの指輪。

 ショウとの婚約との証。

 彼はもう士官学校へ行ってしまったが、サトミ達への報告を忘れたまま。

 難題を残したとも言える。

「サトミって、どこにいるかな」

「部屋にはい無いわよ」

「寮でもないだろうし、マンションか」

 正直気は進まないが、先延ばしに出来る事でも無いし行くとするか。

 ちなみに、ニャンへはすでに報告済み。

 「ふーん」という反応を頂いた。

 淡泊というか素っ気ないというか。

 その辺も込みで、彼女らしいとは思ったが。



 スクーターに乗り、ナビを頼りにサトミが借りているマンションの地下駐車場へ到着。

 入るにはまずカメラの認証。加えて大柄な警備員が数名常駐。

 かなり厳重かつ、ハイクラスなマンションらしい。

「えーと、ここか」

 地下駐車場内にエレベーターがあり、そこでサトミの部屋を選択。

 事前に登録しておいた指紋か掌紋だかが勝手に認証され、ドアが開く。

 取りあえず、監視カメラは睨んでおこう。



 フロアに到着すると、広いロビーのような通路に出た。

 以前屋神さんから借りていたマンションと同レベル。

 このフロアには3部屋しかなく、かなりハイソなのは間違い無い

「えーと、こっちか」

 部屋の前でインターフォンを押し、待つ事しばし。

 キーの開く音がして、ドアがわずかに開いた。

 理屈は分からないが、入って良いらしい。

「お邪魔します」

 玄関は広いが、雰囲気としては寮の部屋と同じ。

 シックな雰囲気で、基本的に物が少ない。

 間違っても、猫のぬいぐるみなんて置いてない。



 リビングに入ると、ソファーでサトミが文庫本を読んでいるところ。

 タイミング良くモトちゃんもいて、洗濯物を畳んでた。

「ちょっと良いかな」

 まずは床に正座。

 二人は何がと言う顔でこちらを見る。

「婚約したから」

「その助詞には何が続く訳」

 意味の分からない事を言い出すサトミ。

 面倒な人だな、本当に。

「でも終助詞に近いから、そういう使い方でも問題はないわね」

 勝手に納得しないでよね。


 当然これで終わりのはずはなく、仁王立ちして見下ろされる。

「誰と、誰が、いつ、何故、どういった経緯で」

「ショウと私が、卒業式前に。経緯は今更言うまでもないというか、お互い好きだから」

「本気なの」

「本気も何も、ほら」

 左手をかざし、サトミに指輪を見せる。

 彼女は今まで見た事も無い早さで私の手を取ると、薬指を掴み上げた。

「「随分シンプルじゃない。婚約指輪は、普通宝石がはめこまれてるでしょ」

「そうなの?私はこれでも十分だけどね」

「大体、婚約って何。まさか、子供が出来たとか言わないわよね」

 その内キッチンからナイフでも持って来そうな顔。

 顔に影が差すっていうの。

「それはない。一応約束だけをして、結婚するのは私が大学を卒業した後かショウが士官学校を出た後。まだまだ先の話」

「急にどうして」

「それは私も分からない」

 半ば勢い。

 とはいえ後悔は何も無く、幸せで胸が満たされてるだけだ。



 私が渡した指輪に見入るサトミ。

 モトちゃんと言えば、詰め寄ってくる事もなくにこやかに笑ってるだけ。

 そもそも、詰め寄られる理由が無いんだけどね。

「良かったじゃない」

「まあね。早すぎるかなとは思ったけど」

「6年も付き合ってたんだから、むしろ遅いかも」

 指を折り始めるモトちゃん。

 それは私とショウの出会ってからの年数。

 付き合いだしたのとはまた違うし、とはいえいつから付き合いだしたかといえば自分でも不明。

 だったらやはり、6年か。

「ご両親には報告したの?」

「二人が長野へ行ってる間に。早く言おうかとも思ったけど、サトミがさ」

 キッチンから秤を持って来て、指輪の重さを調べ出すサトミ。

 これだから、言いたくなかったのよ。

「ケイ君や木之本君達には?」

「今から。でも、ケイは嫌なんだよな」

「どうして」

「絶対笑う」

「笑っても良いじゃない」

 それが良くはないんだって。




 彼等にもマンションへ来てもらい、婚約の話をする。

「おめで……」

「ぶはっ」

 木之本君の言葉へ被せるようにして吹き出すケイ。

 彼も何かを言おうとするが、笑ってばかりで言葉にならない。

「これだから嫌だったんだって」

「すぐ収まるでしょ」

「どうかな」

 手だけ動かし、何かを伝えようとするケイ。

 しかし言葉は出て来ず、笑い続けるだけだ。


 やがてしゃがみ込み、それでも収まらずに床へ倒れて笑い出した。

 もしかしてこの人、一生分笑ってるんじゃないだろうな。

「もう良いって」

「良くはない」

 かろうじて突っ込むケイ。

 でもって、改めて笑い出した。

 とうとう涙まで流し出し、だけど感動とはおおよそ程遠い空気。

 どうでもいいけど、呼吸困難になってないだろうな。



 しばらくして多少落ち着いてきたのか、ティッシュで顔を拭きながら体を起こすケイ。

 それでも肩はまだ揺れていて、しゃっくりのように口元から声が漏れる。

「そんなにおかしい?」

「高校生だろう、まだ」

「もう卒業した」

「同じだ、同じ。大体、旦那はどこ行った。いないじゃん」

 そう突っ込み、また笑い出す。

 もう良いんだって。

「まあまあ。笑う門には福来たるだよ」

 かなり訳の分からないまとめをしてくれるヒカル。

 らしいと言えばらしいけどね。


 ただ笑うのはともかく、彼の言いたい事は私も十分理解してる。

 あまりにも急で、若すぎる婚約。

 加えて相手が側におらず、数年の間離れ離れ。 

 ショウは逆にそれだから婚約と言い出したんだろうけれど、人によっては色々言いたくもなるのだろう。

「良い事だと思うよ、僕は」

 ようやくフォローしてくれる木之本君。

 この人なら、こう言ってくれると思ってた。

「ありがとう。確かに急なのは分かってたよ。でも今婚約するか数年後婚約するかだけの違いとも思ってね」

「玲阿君も、そんな事考えるタイプだったんだ」

「それは私も意外だった」

 何しろ展開がかなり急。

 告白も何も無いまま、いきなり婚約。

 一番戸惑ってるのは、結局自分かも知れない。

「卒業も出来て婚約も出来て、良い事ばかりじゃない」

 嬉しい事を言ってくれるモトちゃん。


 大体去年の今頃なんて、退学直後。

 編入出来る高校を探してた時期で、幸せとは対極の立場にあった。

 それを考えると、今の自分は出来すぎなくらいである。

「私は指輪の簡素さが気になるけれど」

 人の婚約指輪を照明にかざし、一人小首を傾げるサトミ。

 彼女が言う通り、宝石もなにもないシンプルな指輪。

 世間で言う婚約指輪とはちょっと違う。

 とはいえ高校を卒業したばかりの私達には、却ってこの方が自然、

 ダイヤが乗った物を贈られても、正直困る。



 ともあれ報告会は終了。

 指輪を返してもらい、部屋の中を歩いてみる。

 間取りは4LDK。

 大学生が住むには広すぎるし、様々なシステムは最先端の物。

 家具も豪華ではないが質の良い物が揃っていて、むしろこっちの方が驚いてしまう。

「モトちゃんが泊まる時があるにしても、一人だともったいないくらいだね」

「学校から一番近かったのよ、ここが。隣の部屋は、また別な事にでも使おうかしら」

「何、隣って」

「このフロア全体を借りてるの。ユウが夢だった、ロビーで寝る事も出来るわよ」

 別に夢だと語ったつもりは一度もない。

 ただ関係無い人が降りてこないのなら、ロビーに布団を敷いて寝るのも可能。

 これはその内やってみよう。

「ケイと木之本君は?」

「僕はアパートを借りてる」

「ケイは僕が引き取る事になっててね」

「俺も家賃は払うんだ」

 ぐいぐいヒカルを押しつぶすケイ。

 なんだかんだといって仲良いな、この兄弟。



 空いてる部屋を木之本君達に貸せばとも思ったが、木之本君は絶対に遠慮しそう。

 むしろ彼にとってはそれは窮屈な生活になるかも知れない。

 とはいえケイと隣同士というのもぞっとはせず、やはり貸さない方が正解か。

「花嫁修業は良いの?」

 くすくす笑いながら、大学の入学案内をめくるモトちゃん。

 良くはないけど、改めて修行する事は何も無いと思う。

 料理は一応一通り出来るし、掃除洗濯も普通にこなす。

 裁縫も得意とは行かないまでも、世間一般程度の事なら可能。

 いわゆる家事に関しては問題無い。

「今からする事は何も無いと思うよ。お母さんは、おしとやかになれみたいな事を言ってたけど」

「お花でも習ったら」

「そういう問題かな」

「全然違うと思う」

 おい。




 ただ習い事は一応あるので、マンションを後にしてそこへと向かう。

 ぶら下がるサンドバッグとマット敷きの床。

 荒い息づかいと交差する拳。

「こんにちは」

 サンドバッグと向き合っていた水品さんに声を掛けるが返事無し。

 すぐ真後ろから話しているので、聞こえていない訳は無い。

「どうかしました?」

「私に言う事は無いですか?」

「ああ、仲人。仲人お願いします」

「……何の話ですか」

 振り向くや、私の肩を掴んでくる水品さん。

 どうやら、全然違っていたらしい。

「何の話でしたっけ」

「アルバイトの話をすると、この間言っていたでしょう」

「ああ、忘れてた。最近、色々ありまして」

「それで、仲人とは」

「ショウと婚約したので、結婚式の時はお願いします」

「へぇ」

 人間驚くと、それ程大きな反応はしない様子。

 もしくは、思考が停止しているかだ。



 さすがにトレーニングルームで話す事では無く、水品さんの部屋に移動して改めて報告。

 結婚は数年先だとも告げる。

「どうしてそんなに急なんですか」

「それは私にもちょっと」

 勢いでとは答えようも無く、お茶をすする。

 とはいえ後悔は何も無く、むしろもっと早くても良かったと思うくらい。

 あくまでも結婚を約束しただけであり、それなら早すぎて早すぎる事は無いと思う。

 多分。

「アルバイトの件は?」

「大学もあるので毎日は無理でしょうから、そちらの都合に合わせます」

「もっと大学生らしいアルバイトでもよかったのではないんですか」

 何だろう、大学生らしいアルバイトって。

 ファミレスとかコンビニとか、そんな感じかな。

 ただ時間に追われるのは厄介そうだし、慣れない事をしても失敗するのは目に見えている。

 だったら多少甘えもあるが、働けるのならここが理想。

 何をやるのかは、私も良く分かってないが。



 机の上に置かれる契約書。

 勤務日は不定期で時給制。

 交通費支給とある。

「交通費は無くても良いんですけど」

「決まりですし、労基に突っ込まれても困りますから」

「そういう事も考えてるんですね」

「一応はここの責任者ですから。サンドバッグを殴るばかりが仕事ではありません」

 なるほどと思いながら住所氏名を埋めていく。

「それにしても雪野さんが大学生ですか」

「お陰様で」

「インストラクターの試験も勉強をしておいて下さいね。将来はここの運営もお願いします」

「いつの話ですか、それ」

「婚約もしたんですし、そのくらいは良いでしょう」

 さらりと答える水品さん。

 そういう問題では無いと思うんだけどな。




 契約書の写しをもらい、家へと戻る。

 初めは土日がメインで、平日は無理をしない。

 大学のリズムに慣れて勉強に差し支えないと思った所で、少しずつ増やすかシフトを考えて行こう。

「今度は仕事を始める気?」

 リビングのテーブルに置いた契約書を眺めるお母さん。

 まさかと思うが、家にいくらか入れろとでも言い出すのかな。

「これは私のお小遣いというより、結婚資金だからね」

 先手を打ち、契約書を封筒へしまう。

 貰えるお金はささやかな物だろうが、それでも少しずつ積み重ねていけば家具の一つくらいは買えるはず。

 そうして、自分の事を自分でやれるようになっていきたい。

「何も言ってないでしょ。……世間の相場はこのくらい?」

「普通じゃないかな。高くはないけど、安くも無いと思うよ」

 おそらくはRASレイアン・スピリッツ内の規定に基づいた時給。

 何をやるかまでは詳しく聞いていないが。

「婚約して働いて、大学で勉強もして。何を目指してるの、あなた」

 そんなに大げさな話では無いと思うんだけどな。


 部屋に戻り、ベッドに倒れてクッションに顔を埋める。

 ばたばたしていて、さすがに疲れた。

 しかし今からの予定は何も無く、それは大学入学までの間はずっと。

 こうしてのんびり過ごしていても咎められない、一生の中でも貴重な時間。

 勿論自堕落に過ごして良い理由にはならないが、少しくらいは気を抜いても良いと思う。



 気付くと夕方。

 気を抜きすぎた。

 ベッドから降りて、放り出したままになっていた封筒を引き出しへしまう。

 机の本棚は相変わらず空のまま。

 高校の教科書は一冊もなく、ノートが数冊倒れそうになっているだけ。

 これを見ると卒業したんだなと、今更ながらに実感をする。

 宿題もないし、予習も復習もしなくて良い。

 非常に開放された気分。

 それと同時に、こんな事をしていて大丈夫かなとも思う。

 今まではほぼ毎日のようにそれらをやっていたのに、卒業後はぱったりと停止。

 途端に学力が落ちるとは思わないが、間違っても上がる事は無い。


 卓上端末を起動し、学年末テストの答案用紙を呼び出す。

 それを数問解き、すぐに答え合わせ。

 結果は5問正解の1問不正解。

 ちょっと汗が出てきた。

「……勉強しよう」




 結局教科書を引っ張り出し、分からなかった箇所のページを開く。

 分からなければ、こうして調べれば済む話。

 何より勉強をして困る事は無い。

「……難しいな、これは」

 古典だから辞書を引けば分かると思ったが、さにあらず。

 単語単語は分かっても、全体ともなるとぼんやりとも理解出来ない。

「駄目だこれは」

 リュックに教科書とノートを詰め、上着を羽織ってリュックを背負う。

 端末をポケットに入れ、眼鏡を掛け、スティックを……。

 いや。これはもう必要無いから、ハンドタオルに包んで引き出しへしまう。

 よし、出かけよう。



 到着したのは草薙高校。

 何というか、あっという間に戻って来てしまった。

 終業式も終わっているので生徒の姿は殆ど無く、警備員さんが正門前に立っているだけ。

 私を不審者とは思わなかったらしく、普通に敷地内へと入っていく。


 緑の芽吹く並木道を歩き、膨らみ始めたつぼみに眼を細める。

 日差しは暖かく、吹く風も穏やか。

 猫ものんきに私の前を歩くという訳だ。



 教棟に入り、記憶を頼りに職員室へとやってくる。

 やはり教師の姿は、かなりまばら。

 ただ私が会いたい人はいたので、すぐに駆け寄りリュックから教科書を取り出す。

「済みません。教えて欲しいんですけど」

「勉強熱心で結構ですね」

 穏やかに微笑む古典の老教師。 

 卒業後に私が訪ねてきた事は、特に気にしてないようだ。



 枕草子を朗読し終え、ノートを閉じてお礼を言う。

 お茶とふ菓子も出してもらい、日向でのんびりくつろぐ自分。

 卒業したという実感が薄れるな、これは。

「そうそう。ずっと聞きたかったんですけど、校長先生と村井先生ってどんな生徒だったんですか」

 これは以前からの疑問。

 優秀な生徒というのは伝え聞いているが、具体的な学生生活は不明。

 お姉さんの方はまだしも、妹の方は特に。

 老教師はお茶をすすり、窓の外に目を向けて日差しに手をかざした。

「彼女達が通っていた頃は草薙高校という名前でもなくて、また戦中戦後。学内が非常に荒れてましてね。銃撃戦もありまして、そんな時代に彼女達は高校生生活を送ってた訳ですよ」

「それに荷担してたんですか」

「荷担というか、結果として事態に巻き込まれるケースがありましてね。その辺を探せば、彼女達の撃った弾痕が残ってると思いますよ」

 なんだ、それ。

 私の事をあれこれ言っておきながら、自分達の方がひどいじゃない。

 こっちは撃たれた事はあっても、撃った事は殆ど無い。

 私自身に関して言えば、全くない。


 もう少し聞こうと思った所で、背後に気配。 

 バインダーを振りかざした村井先生が立っていた。

「何してるの」

 それはこっちの台詞じゃないの。

「古典で分からない所があったので、聞きに来ました。それより昔銃撃戦に参加してたって、本当ですか。それなら私よりもひどいじゃないですか」

「好きで参加した訳じゃなくて、撃たれたから撃ち返しただけよ。そういう時代だったの」

 どんな時代なのよ、それって。

 しかしこれ以上尋ねていると、本当にバインダーが振ってきそう。

 続きはまだ今度にしよう。



 学内を歩いて行くが生徒の姿は殆ど無く、時折クラブ生のジョギングする姿が見える程度。

 知り合いにも会わず、せいぜい猫と出くわすくらい。

 私がここにいるとまた何か言われそうだし、早めに帰るとしよう。




 神宮駅前に出ると、こっちはかなりの人出。

 中高生風の若者も大勢いて、よく考えれば今は春休み。

 学校よりも街にいるのは当然か。


 少し時間をもてあました気分。

 端末を取り出し、ショウのアドレスを表示。

 彼と会おうとしたところで、すぐに気付く。

 ショウはすでに士官学校へ行った後。

 名古屋にはもうおらず、会えるのはしばらく先の話。

 それは今日明日という事では無い。

「連絡は、しない方が良いか」

 取るなとは言われてないが、彼も今は忙しいし大切な時期。

 あまり騒がしくするのも悪い。




 家に戻り、リュックから古典の教科書とノートを出して復習をする。

 こうしていると高校生の時と同じような過ごし方。

 結局私は草薙中学、そして高校での体験が身についているんだろう。


 復習も終わった所で、教科書とノートを段ボールではなく本棚へ戻す。

 また気になる箇所が出てくるかも知れないし、たまには復習をするのも悪くはない。

 ほんの少しだけど、サトミの気持ちが分かった気もする。



 階段を降りてキッチンへ向かうと、お母さんが夕食の準備をしていた。

「今日、何」

「カレー。野菜炒めて」

「はい、きた」

 エプロンを着て、袖をまくり手を洗う。

 後はすでにカットされた野菜を鍋へ放り込み、焦げ付かないようにかき混ぜる。

「花嫁修業かな、これ」

「料理が出来れば良いって物でも無いでしょ」

「じゃあ、何ができればいいの」

「考えた事も無い」

 怖い事を言ってくるな。


 カレーの準備ができたところで、レシピ本を開いてデザートを検討する。

「学校のプリンを再現したいんだよね」

「あれは洋酒が入ってると思うわよ。前食べた時、そんな感じがした」

「洋酒、ね」

 私が高校時代に書き溜めたメモにも、そんな事が書いてある。

 ブランデーよりラムっぽい風味。

 ただ香り着け程度で、濃厚ではない。

「卵多めで、甘さ控えめ。卵黄だけで作ってるのかな、やっぱり」

 過去何度か挑戦しているが、何となく似ている物が出来るだけ。

 それはそれで美味しい物の、完全な再現には至らない。

「卵、牛乳、生クリーム、バニラ、ラム酒。作業工程に1日掛けて作ってるのかも知れない」

「どうせ暇なんだし、大学が始まるまでずっと作ってれば」

 笑いながら鍋をかき混ぜるお母さん。

 そこまで暇ではないと思うが、せっかくの機会。

 少し突き詰めるのも面白いと思う。




 カレーとサラダにコーンスープ。

 デザートは勿論プリン。

「随分作ったね」

 どんぶり鉢のプリンを見て、控えめに表現するお父さん。

 たくさん作れば美味しく出来ると思ったが、むしろ固めるのが大変。

 外に出したら、もしかすると崩れてくるかも知れない。

「草薙高校は奥が深いね。今日、改めて思い知った」

「卒業してから分かる事もたくさんあるよ」

 カレーにスプーンを差し入れながら語るお父さん。

 なるほどと思いつつ、私もカレーを頬張る。



 多分私は高校の事を、1/10も分かっていなかったと思う。

 今日の出来事だって、全体からすればほんの一部。

 全てを分かるには一生掛かっても足りないだろう。

 私が過ごし、私を育み、慈しんでくれたあの場所は。

「大体この前卒業したばかりなのに、行くのが早すぎるでしょ」

「勉強しに行ったの。人間生涯勉強だって」

「たまに変な事言うのね」

 変な事は言ってないと思うけどな。




 食事を済ませて部屋へ戻り、引き出しを開ける。

 取り出したのは、タオルに包んでおいたスティック。

 最近はこれを持ち歩く事もなく、天候が悪い時くらい。

 つまりは杖代わりになりそうな時に持って行くだけ。

 この先も、多分これに頼る機会は無いだろう。

 物理的な面においては。


 だけどこれは、私の心の拠り所。

 ショウとの絆であり、6年間私を支えてくれた大切な相棒。

 もうこの子が活躍する機会は無く、またそれは寂しいけれど決して悪い事では無い。

 人を傷付ける事も、傷付けられる事も無いんだから。


 表面を軽く磨き、丁寧にタオルで包み直し引き出しにしまう。

 感謝の気持ちを込めて、今までありがとうと心の中で伝えながら。




 本棚にあるのは古典の教科書とノートだけ。

 いつも机の上に置いていたスティックは引き出しの中。

 制服はクローゼットにしまわれ、もう私の視界には入っていない。


 卒業をして2週間程度。

 今日のように、学校へ戻る事だって出来る。

 でも昔に戻る事は叶わない。

 またそれを願うべきでもないだろう。

 全てはもう過去の事。

 それを懐かしむ時はあっても、そこに留まり続けても仕方がない。

 幾つもの大切な、かけがえのない思い出。

 それを胸に抱き、これからを生きていこう。




 着信を告げる端末。

 苦笑しつつそれを手に取り、通話に出る。

「……いや。まだそんな時間じゃないでしょ。……まあ、そうかもね。……なに、それ」

 たわいもない、多分高校の頃と変わらない会話。




 卒業をしても、年を取っても、進む道が違っても。

 私達の関係は変わらない。 

 出会った時からずっと、それだけはいつまでも。

 それが私達の誇り。

 草薙高校で過ごしてきた私達が紡ぎ上げた、大切な宝物。






                             了











     エピソード51 あとがき


今作は卒業直後。

でもって、大学入学前。

彼女達にようやく訪れた、休息の時とも言えます。

実際そんな休んでいるかと言えば、いつもの調子なんですが。


登場人物を絞ったのは、かなり意図的。

ほぼ、南地区の主要メンバーのみになってます。

ユウにとっての、精神的に近い存在と言いますか。

本来は、このくらいのこぢんまりした集まりの中で過ごす存在なんだと思います。

とはいえそれでは話が進まないため、色々やらかしてますが。


ちなみにラストの電話の相手は、謎というかどうにでも取れるようにしてあります。

本命はサトミかモトちゃん。

ショウっぽい雰囲気もあるんですが、硬派な彼がいきなり掛けてくるとも思えませんし。

かなりどうでも良いですが、そういう訳でした。


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