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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第51話  最終話
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51-9






     51-9




 カーテンの隙間から差し込む白い日差し。

 軽く伸びをして、時計を確認。

 セットした時間より、少し早く起きられた。


 ベッドから出てカーテンを開けると、空は薄い青色一色。

 雲一つ無い気持ちの良い快晴で、良い卒業式となりそうだ。


 顔を洗ってトイレを済ませ、軽くシャワーを浴びる。

 精神的には、身を清めている感覚。

 ここまでしなくても良いんだけれど、まさに気持ちの問題である。


 脱衣所で新しい下着に替え、部屋に戻ってシャツと靴下を履いていく。

 後はスカートとブレザー。

 最後にリボンを結び、鏡でチェック。

 寝癖もなく、全て完璧。

 スティックと端末。それに眼鏡とサングラス。

 最後にリュックを持って、部屋を出る。

 ああ、それと上着か。




 リビングのソファーに上着とリュックを置き、キッチンへ入る。

 お母さんも起きていて、欠伸混じりにフライパンと格闘中。

 ほうれん草のソテーか。

「卒業式にふさわしい朝ご飯って何だろう。ご飯かな、それともパンかな」

「赤飯じゃないの」

 適当な調子で返してくるお母さん。 

 一理あるとは思ったが、炊飯器を開けても現れるのは炊きあがった白米だけ。

 明るければ色の識別は出来るので、赤飯でないのは私にも分かる。


 結局ご飯をよそい、ほうれん草のソテーとみそ汁。

 後は梅干しと海苔で食べていく。

 日本人ならやっぱりお米。

 ソテーの段階で、和食とはずれてる気もするけれど。

「時間は良いの?」

「まだ余裕」

 そう答えはしたが、途中で何かあっても困る。

 少し余裕を見て出発しよう。


 歯を磨いてもう一度顔を洗い、上着を羽織って眼鏡を掛ける。

 この明るさなら問題は無いが、やはり万が一を考えて。

 後はスティックと端末をポケットに入れ、準備万端。

「ハンカチは」

 ハンドタオルを差し出してくるお母さん。

 そこまで泣かないとは思うが、厚意は厚意。

 一応受け取っておく。

「私達も後で行くから」

「分かった。また学校で。そう言えば、お父さんは?」

「ビデオの準備をしてたわよ」

 海苔の入れ物を担ぐお母さん。

 どうやら、撮影の真似をしたようだ。

 良いんだけど、ちょっとやだな。



 定刻通りに停留所へ到着するバス。

 まだ早いのと、今日は卒業式。

 1、2年は原則として休みなので、車内はかなり空いている。

 結果席も空いていて、ドアに近い場所を確保して上着を脱ぐ。

「発車します」

 私が座ったと同時に動き出すバス。 

 こうした気持ちで乗るのも今日で最後。

 バスで通学をしたのは決して多い回数ではないけれど、思い入れはやはり強い。

 見慣れたはずの流れていく景色も、今日は少し新鮮。

 名残惜しさが胸を突く。



 感慨に耽っている間に草薙高校前へ到着。

 バスを降り、塀に沿って正門へと向かう。

 桜舞い散るにはまだ早い時期。

 風も冷たく、季節としての春が訪れるのはもう少し先だろう。


 正門脇には大きな立て看板があり、「第12回草薙高校卒業式」と書かれている。

 つまり私は、12期生か。

「おはようございます。卒業生の方はこちらへどうぞ」

 正門前に出来ている小さな列。

 そして数名の職員と生徒。

 そこに並んでいた生徒は胸にピンクの花を付けられ、晴れやかな表情で正門をくぐっていく。


 私も列に並んでいると、エリちゃんが息を切らして駆け寄ってきた。

「ま、間に合った」

「何が?」

 尋ねてみるが返事無し。

 そういう余裕すらない程、息が切れているらしい。

「……今、花を付けますから」

「ああ、そういう事。わざわざそのために走ってきてくれたの?」

「優さんが一番早く来るとは思ったんですが、まさかここまで早いとは」 

 にこりと笑い、少し屈んで花を付けてくれるエリちゃん。

 それに手を触れ、卒業式に挑む事を実感する。 

「ありがとう。サトミ達は、まだだよね」

「ええ。また後で、ご挨拶に伺います」

「ご苦労様」

 私の後ろに並んでいた子に花を付けるエリちゃん。

 忙しそうになってきた彼女に軽く手を振り、私も正門をくぐる。

 卒業生として晴れやかに。

 そして切なさと共に。




 学内は生徒がいない分、いつもよりかなり静か。

 ただ時折慌ただしく目の前を横切る生徒や職員がいて、大きなイベント前の雰囲気は伝わって来る。

「なー」

 植え込みから飛び出て、のたのたと歩いて行く灰色の猫。

 この子達は、万年留年だな。

「卒業しないの?」

 返事もしないし、見もしない。

 例により、耳をこちらに向けているだけで。

「私はもう卒業するからね。これからも頑張って」

「ふっ」

 鼻で笑い去っていく灰色の猫。

 これでは、お母さんが怒るの無理はない。



 いつものように教室へ入り席に付く。

 だが今日は筆記用具を並べる必要はなく、ただ座るだけ。

 クラスメートも殆ど来ておらず、やはりいつもとは雰囲気が違う。

「……ああ、そうか」

 正面にある黒板に書かれている、「卒業おめでとうございます」という大きな文字。

 おそらくは後輩が書いた物で、その周りにも短い文章や絵が書き添えられている。

 ドラマで見るような卒業式の一コマ。

 私もそれに乗っかってみよう。


 ペンを手に取り、何を書くのか検討。

 当たり前だが、卒業式に関わる文章や絵でないと意味が無い。

 寄せ書きの時も、同じような事を考えた気もするな。

「今までありがとう、と」

 そう書いた文章の横に猫。

 猫は関係無いと突っ込まれそうだが、前言撤回。

 関わって無くても気にしない。

「卒業式と猫の相関関係は何」

 おはようの前に突っ込んでくるサトミ。

 嫌な所を見られたな。

「猫は良いから、サトミも何か書いて」

「寄せ書きはもう書いたでしょ」

「それはそれ、これはこれ」

 ペンを強引に渡し、体を黒板へと向けさせる。


 サトミもさすがに思案の表情を浮かべ、少しして猫の隣に文章を走らせた。

「今までありがとう」と。

 私の文章と同じだが、同じで困る事は何も無い。

 むしろそれは嬉しい事と言えるくらいだ。

「へへへ」

「おかしくはないでしょう」

「へへ」

「もういいわよ」

 とうとうサトミもくすりと笑い、私の手を軽く握ってくれる。

 私も彼女の手を握り返し、黒板を二人で見つめる。

 卒業を祝い、喜ぶ声で埋め尽くされた黒板を。



 黒板を見ながら二人で楽しんでいると、モトちゃんが登校してきた。

「猫?」

 もういいんだって、それは。

 という訳で彼女にもペンを渡し、何かを書いてもらう。

「意外と難しいわね、これは」

 そういう割には、いきなり書き出すモトちゃん。

 「今までありがとう」と。

「やっぱり、二人と同じ事を書かないとね」

「もしユウが変な事を書いてたらどうしたの」

「それでも書けばいいじゃない」

 度量の大きいところを見せてくれるモトちゃん。

 サトミは何かを言いかけ、ただそれも無粋と思ったのか苦笑して胸元の花に手を添えた。

「取りあえず、全員これが付いてて安心したわ」

「それは私の台詞よ」

 そう言って笑い合うサトミとモトちゃん。

 何しろ私とサトミは、一度退学になった身。

 この学校で卒業式を迎えられるとは思ってもおらず、感慨もまたひとしおと言える。



 やがてショウが到着。

 彼にもペンを渡し、文章をお願いする。

「これからもよろしく、か」

 そう書いて一人頷くショウ。

 ケイがいたら突っ込みそうだけど、これはこれで良い文章だと思う。

「今日は制服なんだね」

「卒業式だからな」

 襟のネクタイを緩め、大きく息をするショウ。

 どうも体型に合ってないらしい。

「軍の制服は大丈夫なの?」

「向こうは規格が違う」

「まあ、こんなに大きい高校生もそうはいないでしょ」

 ショウの肩に触れ、くすくす笑うモトちゃん。

 つまり彼に見合ったサイズの制服は作っても殆ど売れないので、結果ブレザーは窮屈となる。

「色々苦労してるんだね。見直した」

「そこまで大変でもないんだが」

 それもそうか。



 次にやってきた木之本君にペンを渡すと、彼も迷わず書き込み始めた。

「卒業おめでとう」

 それは自分もじゃない。

 なんて突っ込む場面でもないが、彼らしいと言えば彼らしい。

「今日はお父さん達も来てる?」

「うん。朝一緒に出て、二人は名古屋駅でご飯を食べてる。式までには来ると思うよ」

 その言葉に頷き、何となく端末で時刻を確認。

 式の開始はもう少し後。 

 木之本君の両親も、そろそろ名古屋駅を出発しているかも知れない。 

 そうなると後は、サトミの両親。

 これは姿を見るまでどうなるか分からず、少し気を揉んでしまう。


 最後に浦田兄弟が到着。

 さすがにケイも、今日ばかりはそれ程だるそうにはしていない。

 あくまでも、それほどは。

「書いて良いんだよね」

 自分からペンを取り、文章を書き込むヒカル。

「まだまだ、これから……。良いのかな、これ」

「まだまだこれからだよ」

 そう答え、にこりと笑うヒカル。 

 使い勝手の良い台詞だなと思いつつ、ケイにもペンを渡す。

「書く事なんて何も無いぞ。……これでいいか」

「草薙高校万歳?」

「卒業式にふさわしいだろ」

 素っ気なく答え、壁に背をもたれるケイ。

 ふさわしい気もするが、根本的に違う気もする。

 良いけどね、この際は。



 そうして盛り上がっていると、紺のスーツに身を包んだ村井先生が現れた。

「全員いるわね」

 クラス全体を見渡し、満足げに頷く村井先生。

 彼女はバインダーを振り上げると、それをドアに向かって指し示した。

「行くわよ、卒業式に」




 彼女を先頭に、ひとかたまりになって動く私達。

 私は警備担当だが、本格的な警備からは一応除外されている。

 そうでなければ、こうしてのんきにここを歩いていられないだろう。

「えーと、スティックはと」 

 背中のアタッチメントにスティックを装着。

 これさえあれば、誰が襲ってこようと大丈夫。

 まさに、背中を預けた状態だ。


 窓からは中庭が見え、木々にはわずかながら緑が現れ始めている。

 本格的な春が来るのはもうしばらく先の事。

 だけどその足音はもう聞こえていて、その訪れを実感するのは卒業後になってから。

 そんな季節の微かな変化が卒業式の切なさを、より演出するのかも知れない。




 講堂への正面玄関は生徒で溢れ、到着したクラス順に中へと入っていく。

 私はここで離脱。

 後は警備担当として、式に参加する。

「よいしょ、よいしょ」

 列から離れ、正門の横でストレッチ。

 足元はスニーカー。

 正直卒業式の靴ではないが、何かあった時革靴ではさすがにきついので。

「ユウ」

 軽く拳を振るショウ。

 彼に頷き、牽制気味にロー。

 足を上げたところでベクトルを替えてミドル。さらにハイへと繋ぐ。

 それらは全てブロックされ、代わりに大振りのフックが飛んでくる。

 腕の下をかいくぐり、鳩尾に飛び膝。

 そのまま体を回転させ、回し肘打ちから後ろ回し蹴りにつなげる。

「終わりだ、終わり」

 壁際で両手を上げるショウ。

 そして講堂に入っていく生徒達は、得体の知れない物を見るかのように私達を避けていく。

 まさかとは思うが、私が一方的に攻めてると勘違いされてないか。



 生徒の列が途切れた所で、私達も講堂の中へと入っていく。

 席は前の方から順次埋まり、卒業生の席はほぼ空きがない状態。

 後ろの在校生や父兄用の席も半分以上埋まっている。 

 講堂内は薄暗いので、私にはぼんやりとしか見えていないが。

「結構集まってるね」

「今のところ、問題は無さそうよ」

 端末をチェックしながら答えるサトミ。

 私も端末の画面を見て、イヤホンを耳にはめる。

 それで自警局の通信を受信。

 サトミの言うように、今のところは平穏な状況。

 また卒業式自体が大荒れになった事は無いらしく、今日も大きなトラブルは無いだろう。

 あったらあったで、最後に一仕事するだけだ。




 やがて席はほぼ埋まり、壇上を教職員が慌ただしく動き始める。

 ざわついていた観客席は少しずつ静かになり、時折ささやき声が聞こえる程度になっていく。

 徐々に高まる緊張感。

 姿勢を正す生徒や父兄。

 おそらくはその絶妙なタイミングで、アナウンスが入る。

「ただ今より、第12回草薙高校卒業式を執り行います」



 アナウンスに促され席を立つ生徒と父兄。

 私は席の最後尾の後ろに立ち、周囲を確認。

 この辺りは父兄が中心で、逆を言えば不審者が紛れていても分かりにくい。

 端末でのチェックはしているとは思うが、何事も絶対という言葉はありえないから。


 まずは国歌斉唱。

 講堂に響く君が代を私も声を揃え、ただ意識は周りへ向けたまま。

 卒業式は大事だが、だからこそそれを守るのが私の仕事。

 今は卒業生であると同時にガーディアン。

 式の感慨に浸ってばかりもいられない。


「一同ご着席下さい」

 国歌斉唱が終わり、生徒と父兄が席に付く。

 イヤホンから入ってくる情報も、今のところは何も無し。

 他の会場でも、トラブルは起きていないようだ。

「卒業証書授与」

 壇上の中央に進み出る校長先生。

 そして舞台中央に設置された階段、生徒会長が現れる。

 生徒代表は当たり前だが、生徒会長。

 彼は校長先生の前まで進み出ると、一礼して姿勢を正した。

「卒業証書。石山烈。右の者は草薙高校における全課程を修了した事をここに認める。多年制学校法人草薙グループ高等部校長。高嶋瞳」

 演台越しに渡される卒業証書。

 それを両手で恭しく受け取る生徒会長。

 観客席からは拍手が起こり、校長先生も笑顔で拍手をする。


 晴れやかな表情で階段を降りていく生徒会長。

 その間も惜しみなく送られる拍手。

 この拍手はまた、卒業する全ての生徒達に送られるもの。

 鳴り止まない拍手に、私も胸を熱くする。




 式は淡々と進行。

 校長先生の話が手短に終わった所で、舞台下に次期生徒会長の女の子が現れる。

「在校生送辞」

「はい」

 しずしずと階段を上る女の子。

 彼女は舞台に登ると演台を回り込み、一礼して半紙を広げた。

「3年生の皆さん、卒業おめでとうございます。春はまだ少し遠く、ですがその足音が確実に近付いているこの時期。それは皆さんの門出と共に」

 心を込めて読み上げられる送辞。

 それに聞き入っているとつい胸が詰まってしまい、目元に手が伸びる。

「ユウ」

「大丈夫。泣きそうになっただけ」

「それなら良いんだけど」

 イヤホンを通して聞こえるサトミの声。

 どこで見てるのかと思いつつ、私も周りに意識を集中。

 式は式、警備は警備。

 自分の感情にばかり浸っている訳にも行かない。




 心に染みいる送辞が終わり、女の子が拍手の中舞台の下へと降りていく。

 私も改めて目元に触れ、さすがにハンカチを取り出しもう一度目元に運ぶ。

「大丈夫か」

 真後ろから聞こえる声。

 ハンカチで目を押さえながら振り向き、ショウに微笑む。

「泣いてただけ」

「それなら良かった。まあ、卒業式だしな

 そう言って朗らかに笑うショウ。

 卒業式以外で泣いていたらさすがに問題だけど、今日は人生の中で泣いても良い日の一つだから。

「今のところ、問題は無さそうだね」

「外は分からんが、中で暴れる奴もいないだろ。私服の警官も結構混じってるらしい」

「どうして」

「去年、色々あったからじゃないのか」

 曖昧な答え。

 でもって、その辺は私も突っ込まないでおく。

 その色々が何かは、身に染みて分かっているので。



「卒業生答辞」

「はい」

 舞台下から上がっていく女の子。

 生徒会長ではなく、女の子。

 それも、私のよく知る。

「……はっきりとは見えないんだけどさ。もしかして、モトちゃん?」

「間違いない」

「生徒会長じゃないの?」

「その辺の事情は分からん」

 そう答えながら拍手するショウ。

 随分気が早いなと思いつつ、観客席を回り込んで前へと向かう。

 これは、警備を任された事が逆に功を奏したな。

 喜ぶ事かどうかは別にして。



 通路を早足で歩いていると、小声で声を掛けられた。

「何してるの」

 真顔で尋ねてくるスーツ姿のお母さん。

 その隣にはお父さんもいて、ちょっと困った顔になっている。

「モトちゃん、モトちゃん」

「見れば分かるわよ。あなたは、どうして走ってるの」

「今忙しい」

「ちょっと、優」

 感慨も何も無いやりとり。

 後で何か言われそうだが、今は前に出る方が先。

 とにかく急ぐとしよう。



 父兄の列を過ぎ、大きな通路をまたいでさらに前へと進む。

 ここからは卒業生の列で、見知った顔もちらほら見える。

 通路側は父兄やガーディアンが要所要所に立ち、これでは何かした途端取り押さえられるのは間違いない。

 私の行動は、この際大目にみてもらうとしよう。

「この辺で良いでしょう」

 なんだかんだと言って、私の後ろに付いてきたサトミが声を掛けてくる。

 確かにこれ以上前になると、観客席全体を背負う恰好。

 それでは警備もなにもない。


 ふと気を抜いたところで、ショウに軽く肩を突かれる。

 何がと思いながら彼の顔を見上げると、今度は顎を振られた。

 モトちゃんの方にも気を払いつつ、彼の視線を辿っていく。

「……暗くて見えない」

 視力が低下している所に、この薄暗さ。

 モトちゃんのようにはっきり分かってる人ならともかく、それ以外の人は正直みんな同じに見えてしまう。

「来てた」

 小声で呟くショウ。

 このタイミングでこの場所に訪れる、私達が意識する人物。

 つまり、サトミの両親か。

「はは」

「何がおかしいの」

 怪訝そうに私を見てくるサトミ。

 この様子だと、全然気付いて無さそう。

 思う所は色々あるが、取りあえずは黙っておこう。



「そろそろか」

 ショウの視線を辿り舞台上へ目をやると、モトちゃんがこちらを向いて一礼した。

「答辞。……桜舞い散る中入学した私達は、3年間同じ思い出を共有してきました。辛い事苦しい事。そして楽しい事嬉しかった事。今振り返るにはまだ早い、だけどどれもがかけがえのない思い出ばかりです。生徒の自治が校是の我が校ですが、勿論生徒の力だけで全てを成し遂げてきた訳ではありません。教職員の方々、業者の方々、自治体、企業の方々。そして私達を育ててくれた家族があってこそ、今の私達があります」

 落ち着いた口調で語るモトちゃん。

 手元にはメモも用紙も何も無く、彼女は真っ直ぐ前を。

 卒業生達を見て話す。


「難しい授業に四苦八苦し、夏休みに海へ行き。テスト結果に一喜一憂し、羽目を外して叱られもし。記憶を辿ればいつまでも話し続けられる事でしょう。そうして過ごしてきた高校生活も今日で終わり。もう二度と、戻る事は出来ません。それは嬉しさと共に切ない事で、叶うならばもう一度この3年間を繰り返したいと思うくらいです」

 静かな行動に響くモトちゃんの声。

 誰が真っ直ぐと前を向き、彼女の言葉に耳を傾ける。

「幸せな3年間だったと、私は胸を誇って言う事が出来ます。振り返った記憶には決して、楽しい事ばかりではありません。時には苦しみ、挫折し、絶望を感じました。でもその時には必ず、手が差し伸べられてきました。私の手を取り、共に歩いてくれた人達がいます。目を閉じれば、私の記憶にはいつもその人達が傍らに映っています。かけがえのない、生涯の友達が。今日からは別々の道を行くとしても、彼等と過ごした3年間は決して色あせる事はありません。私の思いもまた」

 滲む景色。

 苦しくなる呼吸。

 慌ててポケットに手を入れ、ハンカチを探す。


「在校生の皆さんも、そんな出会いや思い出が作れるよう心から願っています。その出会いと思い出を紡ぎ出してくれたこの高校に深く感謝すると共に、ここにいる全ての方々に感謝致します。今までありがとう。そしてこれからもよろしく。3年間、本当にありがとう。以上で答辞を終わらせて頂きます。卒業生代表、元野智美」

 一礼して壇上を降りていくモトちゃん。

 もうその姿は輪郭しか見えず、拭いても拭いても涙が途切れる事は無い。

 仕方ないので顔全体を押さえ、しばらくそのままで顔を伏せる。

「何よ、それ」

 呆れ気味に突っ込んでくるサトミ。

 確かに、ハンドタオルへ顔を伏せていても仕方ない。

 とはいえ、これはお母さんに感謝だな。

「自分だって、泣いてるじゃない」

「そういう事もあるわ」

 目頭にハンカチの端を添えるサトミ。

 さすがにタオルへ顔を伏せてるような真似はしないようだ。


 また周りの女の子は結構泣いているが、男の子はそれ程でもない。

 ショウも真面目な顔ではあるにしろ、泣いてはいないしその素振りもない。

「泣かないの」

「意外と図太くてね」

 そう答え、にこりと笑うヒカル。

 やっぱりこの子には、笑顔がよく似合う。

 その隣でハンカチを取り出している木之本君も。




 式はその後も滞りなく進み、知事からの電報が読み上げられる。

 式次第を確認すると、来賓者の祝辞が最後。

 幸い、何事も無く終了しそうな雰囲気だ。

「一同、ご起立下さい」

 一斉に立ち上がる卒業生と父兄達。

 私は再び周囲に意識を向け、不審な人物がいないかをチェックする。

 これは警備担当以前の問題で、結局自分は最後までガーディアンなんだと実感してしまう。

「以上をもちまして、第12回草薙高校卒業式を終了させて頂きます。卒業生退場」

 講堂内に流れる校歌のBGM。

 右側の列から卒業生が通路に出て、正面玄関へ向けて歩いて行く。

 拍手と、暖かい雰囲気に包まれながら。

「私達も移動しよう。サトミ、状況は」

「特に問題なし。講堂の外で、ガーディアンが卒業生の列を誘導してる」

「了解。そういえば、ケイはどこにいるの」

「俺は俺で忙しいんだ」

 突然イヤホンに聞こえる彼の声。

 良く分からないが、自警局の警備本部にいるようだ。

「何してるの」

「色々言いたいが、もう卒業。俺の胸にしまっておく」

 そんな大げさな話なのか。



 やがて最後の列が通路に出て、私達もその後ろについて歩き出す。

 さすがに警戒は少し解き、ついため息が口から漏れる。

 卒業式に何をやっているのかと思う一方、これもまた自分にふさわしい。

 サトミ達を巻き込んだ結果になってしまって申し訳ないが。

「最後までごめんね」

「何が」

「卒業式なのに、警備まで付き合わせて」

「モト風に言えば、いつも傍らにいるんでしょ」

 軽く私の手を握るサトミ。

 私もそっと握り返し、目元を押さえる。

 最後の最後まで、結局彼女には敵いそうにない。




 講堂の外に出るとそこにも在校生がいて、通路の左右から拍手を送ってくれている。

「おめでとうございます」

 時折掛かる声に頭を下げつつ、周囲を見渡す。

 警戒しているのではなく、最後の名残を惜しむために。

 こうした一つ一つが思い出となり、一瞬一瞬が貴重な時だと改めて分かる。

 本当は卒業式でなくても、日々の生活が。

 今はそれをより強く意識する場面にあるからこそ、余計に気付くのだろう。


 風は冷たく、春の訪れはもう少し先の事。

 それでも街路樹の枝には、わずかながら緑の芽が息吹きつつある。

 私達が風に舞う落ち葉だとすれば、春からの新入生がその芽だろうか。

 私が思いに耽る間も拍手が途切れる事は無く、今ばかりはガーディアンとしての気持ちも緩む。

 卒業生として、送り出される者としての意識をより強く感じながら彼等の見送りに感謝の気持ちを抱く。




 教室に付いた所で上着を羽織り、スティックを机の上に置く。

 さすがに制服姿で外を歩くのは寒く、いつまでも感慨には耽っていられない。

「何も無くて良かったね」

「式の途中に暴れる生徒も、あまりいないでしょ。せいぜい、学校の外かしら」

「いたの?」

「いたさ」

 サトミとの会話に割り込んでくるケイ。

 良く見なくても頬にはガーゼが貼られていて、立ち回りの一つも演じたらしい。

「俺は式に出るって言ったんだよ。それがこれだ。神様って、俺の何が気にくわないんだ」

 何もかもじゃないの。

 とは答えず、クラスメートが配っている紙の手提げ袋を受け取る。

 中身は卒業の記念品。

 当然というか、紅白饅頭も入っている。

「これがないと始まらないよね」

「もう終わりじゃない」

 同時に突っ込んでくるサトミとケイ。

 本当、最後の最後まで変わらないな。



 記念品が行き渡ったところで、村井先生が到着。

 その後ろには、段ボールを抱えたショウと木之本君。

 こっちはこっちで、例により馴染んでいるな。

「お疲れ様でした。では卒業証書を渡すので、出席番号順に来るように。元野さんも、私の手元に来てるから」

「分かりました」

「1番の子から順番にね。……はい、おめでとう」

「ありがとうございます」

 にこやかに微笑み、証書と色紙を渡す村井先生。

 そして何かを話ながら、最後に握手。

 その光景を見ているだけで、もう一度目元が潤んでくる。 

「急に涙もろくなったわね」

「だって、ここで卒業出来るとは思ってなかったから」

 去年の卒業式。

 つまり今と全く同じ時期に、私達は退学を言い渡された。

 その時は卒業も何も無く、高校生ですらなかったのだから。

 それが今は草薙高校の生徒として卒業出来るとなれば、涙の一つも出るものだ。


 教壇前に出来た列に並ぶサトミとモトちゃん。

 私も少し間を置いて、彼女達の後ろに並ぶ。

「はい、おめでとう」

「ありがとうございます」

 はにかみ気味に証書と色紙を受け取るサトミ。

 村井先生は彼女にも一言声を掛け、次の子に証書を渡した。

 そしてモトちゃんにも証書と色紙渡し、一言。

 何を言ったのかと思ってる間に、私の番が回ってくる。

「はい、おめでとう」

「ありがとうございます」

 両手で証書を受け取り、それを脇に抱えて色紙をもらう。

 これで晴れて、私も卒業。

 3年間色々あったけれど、今は全て良い思い出だったと言ってみたい。

「まあ、良い生徒だったわよ。多分」

 苦笑気味に呟く村井先生。

 それに戸惑いつつも、頭を下げてその言葉に応える。

 卒業式のお世辞だとしても、そんな事を言ってもらえるのは嬉しいものだ。



 最後にショウと木之本君にも証書と色紙が渡され、全員席へと付く。

 村井先生はクラスメートを見渡し、満足げに大きく頷いた。

「改めて、卒業おめでとう。皆さんはもう卒業生で、正確に言ってしまえば高校生ではありません。だから今もの私と皆さんは、個人と個人。固く言えば、他人同士。対等な関係でもあります」

 何の話かと思い、クラスメート達も怪訝そうな顔をする。

 しかし村井先生はにやりと笑い、教壇に手を付いて身を乗り出した。

「それ以前に私はあなた達の教師です。卒業しようと出世しようと、例え総理大臣になっても。あなた達は一生私の生徒ですから、これからも、そのつもりで私に接するように」

 一瞬の間。

 そしてまばらな拍手。

 それはクラス全体に広がり、先生への感謝の言葉が投げかけられる。

「では、今日はこれで解散。気を付けて帰りなさい」

「はいっ」




 もう一度タオルを取り出し、顔を拭く。

 朝タオルを渡された時はどうしようと思ったけれど、予想以上に重宝してる。

「やっと終わったわね」

「終わったわよ、何もかもが」

 そう言って大きく伸びをするモトちゃん。

 サトミはくすりと笑い、軽く彼女の背中に触れた。

「3年間、お疲れ様でした」

「こちらこそ。ユウ、目の調子はいいの?」

「泣いても問題無いって、医者は言ってた」

「それなら良いけれど。さて、私達も帰りますか」

 モトちゃんが宣言するが、ショウは段ボールを畳みそれを小脇に抱えているところ。

 ここまで来ると、神々しいとしか言いようがない。


 という訳で、全員彼に従い焼却炉へとやってくる。

 徐々に猫の数が増え始め、いかにもこの辺りの景色。 

 草薙高校なんだなと思えてくる。

「随分多いのね」

「焼却炉の熱に寄ってくるらしいよ」

「初めて知ったわ、そんな話」

 仕方なさそうに笑うモトちゃん。

 確かに、あまり知らなくて良い知識ではあったと思う。


 卒業式とあり、焼却炉に集まる生徒など皆無。

 いるのは私達と猫だけか。

「捨ててくる」

 そう言って、建物に入るショウ。

 付き合う程の事でも無いので、私達は外で待つ。

「おいで」

 近付いて来た猫を手招きするが、反応無し。

 それでも相変わらず、耳だけはこちらに向けると来た。

「寄ってこないね」

「あまり寄ってこられても困るじゃない」

「それもそうか」

 一匹二匹ならともかく、十匹二十匹となったら話は別。

 可愛い以前に恐怖を感じる。

「でもこの猫は、これからどうするのかな。舞地さんもいないし」

「人間、何とでもなるわよ」

 さらりと答えるサトミ。

 猫の事を聞いたんだけど、それ程間違えた答えでもない。


 退学になった私達も、今は晴れて卒業生。

 サトミが言うように、何とかなった形。

 だとすればこの猫達も、逞しく生きていく事だろう。

 私の心配など、杞憂だと言わんばかりに。

「はは」

「何か面白い事でもあった?」

「人生が」

「ふーん」

 軽く流された。

 その辺は、嘘でも感動してよね。




 今日は自警局へは立ち寄らず、そのまま正門へと向かう。

 サトミ達はまだ荷物があるようだが、それは後日取りに来るらしい。

 また行けば行ったで仕事をしてしまうので、卒業式くらいはそれを避けたいと思ってるのかも知れない。

「もう二度と、ここに来る事は無いな」

 何とも晴れやかな顔をするケイ。

 刑務所じゃないんだから、いつ来たって良いと思うんだけどな。

「卒業後も書類を取りに来るとか、用事はあるでしょ。それに母校じゃない、思い出の詰まった」

「辛かった事も、良い思い出?あはは」

 突然笑い出した。

 あれは私が言った訳じゃないし、そういう気持ちを持っているくらいの意味。

 本当に辛い事が良い思い出だったと、モトちゃんも言った訳ではないと思う。

「僕はこの学校に、辛くて苦しい思い出しかないんですよ。切られて、殴られて、お金を巻き上げられて。退学にもなって」

「でもそれって、自分が悪いんでしょ」

「言ってる意味が分からん」

 それはこっちの台詞だよ。




 ケイの愚痴はともかく、泣いても笑っても今日で卒業。

 用があって尋ねる事はあっても、通う事はもう二度とない。

 それを思うと、ついタオルを取り出してしまう。

 少し恥ずかしいが、私がここにいられるのも今日が最後。

 だったら、もうちょっとくらいは泣いていたって良いだろう。


 長いと思っていた並木道も思う終わり。 

 振り返れば教棟は遠くに見えて、涙でぼやけてはっきりとは分からない。

 降り注ぐ日差しが暖かく、春の訪れをわずかながらに告げている。


 きびすを返し歩き出し、生徒達が集まっている正門をくぐる。

 たった一歩外に出ただけ。

 それだけで、気持ちが何処か変わる。

 草薙高校の生徒から、その卒業生。

 ここを巣立った者として。

 一歩下がれば、場所としては元に戻る。

 だけど気持ちが戻る事は無い。


 正門脇に立てかけられた、「卒業式」と書かれた大きな看板。

 その式ももう終わり、今は名残を惜しむ卒業生達が正門前で話し込む。

 時折起きる拍手と歓声。

 カメラのフラッシュ。


 私もそれに加わりながら、気持ちはどこか遠くに感じる。

 卒業してしまった事の実感。切なさと寂しさのせいで。

 昨日までと何かが変わった訳では無い。

 時が経ち、証書をもらい、高校の敷地を出ただけの事。

 それでも私はもう、昨日までの私とは違っている。

 それが誇らしくもあり、寂しくも思う。



 不意に吹き抜ける強い風。

 青空に落ち葉が舞い、どこまでもどこまでも飛んでいく。

 高く、果てしなく、空の彼方へと。


 思わず差し伸べた手の届かない彼方へと。

 その指先の隙間から漏れる、柔らかい日差し。

 落ち葉が待っても、どこまでも飛ばされても。

 春は訪れ、季節は巡る。

 当たり前のように、何事もなかったように。




 時は戻らないし、繰り返しもしない。

 少しずつ、気付かないほどの速度で進んでいく。

 振り返れば、そうだったのかと思う程の早さで。

 さながら、私達が過ごした3年間のように。






    







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