51-7
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翌日。
バスを降りて正門へ向かうが、昨日まで同様生徒の数はやや少なめ。
3年生だけでなく、1、2年生も休んでいる子が多いようだ。
自習では生徒としても、登校する意義が見いだせないのかも知れない。
私も去年の件が無ければ、ここまで生真面目に通っていたかは疑問である。
教室に入っても、状況は同じ。
クラスメートは普段の半分くらいといったところ。
今から登校する方が多いにしろ、少ないのは間違いない。
「どうして私はここにいるのって顔ね」
丁度教室に入ってきた、髪全体にウェーブを掛けたお嬢様っぽい子が話しかけてくる。
そこまでは思ってないが、多少なりとも顔には何かが出ていたようだ。
「自分こそ、休まないの」
「寮で寝てるかここで寝てるかの違いでしょ、せいぜい。それにもう卒業なんだし、最後まで出席するのも良いじゃない」
学校への思い入れを語る女の子。
なるほどと思いつつ、その台詞に頷く。
「それよりも雪野さんは、卒業出来るかちゃんと確認したら」
眼鏡を押し上げながら怖い事を言ってくる、清楚な顔立ちの女の子。
そう言えばこの子、今時珍しく眼鏡を掛けてるよな。
「目、悪いの?」
「これは伊達眼鏡。ファッションよ」
「ファッション?」
「意味はないけど意味はある。深いわよね」
そうかな。
まあ、本人がそう言うならそれで良いか。
「でも本当に、卒業は大丈夫なの?」
心配するように尋ねてくる、前髪にウェーブを掛けた優しそうな子。
単位も出席日数も問題無く、後は卒業式を迎えるだけ。
そう彼女に告げ、二人で笑う。
「みんな結構心配してるのよ。大丈夫かなって」
「去年の事はともかく、今年は至って真面目にやってるじゃない」
一斉に頭を叩かれた。
最後まで、彼女達とは相容れないな。
やがてサトミ達も登校してきて、予鈴が鳴ると村井先生がバインダーと共に現れる。
そういう表現は変化かと思うけど、私のイメージ的に。
「今日も授業は自習ですが、あまり騒ぎすぎないように。それと学校から何かを借りていたり提出する書類がある人は、速めに処理して下さい。それらが済んでいないと、卒業出来ない場合があります」
「嘘」
「本当よ」
どうして、私限定で返事をするのよ。
でもって、ちょっと不安になってきた。
端末で、提出が必要な書類を確認。
それを見る限りは全て提出済みで、こちらは問題無い。
プロテクターは借りていたが、それも返却済み。
後は、何かあったかな。
「ああ、ワイヤー」
いや。これは矢田局長から借りていた物で、その後確か買い取ったはず。
備品の借り入れも確認すると、やはり思っていた通り。
今後の生活でこれを使う場面があるとは考えにくいが、高校生活では何かとお世話になった。
ただ渡瀬さんはあまりこれが好きそうではないので、譲る事は難しいだろう。
「これ、どうしようか」
リュックから例のワイヤーを取り出し、サトミに見せる。
文庫本を読んでいた彼女はそれを一瞥し、すぐに視線を本へと戻した。
「売ればいいじゃない」
「買う人なんている?それに結構気に入ってるんだけど」
「何が」
すかさず食いついてくるショウ。
物に思い入れをすると、すぐに反論をしてくるな。
学内で行われているリサイクル関係のデータベースを見るが、これに関する要望は無し。
実際使っているのは私やショウ。
後はガーディアンが、降下専用のワイヤーを使っている程度。
ここまで強力なウインチ機能は、実際の所必要はないんだろう。
「そう考えると、つくづくガーディアンって特殊な事をやってるんだね」
「ユウが、でしょ」
あくまでも突っ込んでくるサトミ。
その辺は曖昧にしてくれないようだ。
「まあ、いいや。後は、なんだろう」
備品の借り入れ状況は全て返却済み。
個人的な貸し借りも記憶はなく、またサトミ達なら卒業後しても問題無い。
「全部終わったのかな」
「心置きなく卒業出来て良かったじゃない」
「本当に何も無い?」
「私も特には思い付かないわ。後はのんびりと、残りの時間を過ごしたら」
まったりとした雰囲気を漂わせるサトミ。
ただ、それは彼女の考え方。
私はその残りを、出来るだけ有意義に使いたい。
「ちょっと中等部を見てくる」
席を立ったところで、視線だけを動かすサトミ。
付いていかないという意思表示のようだ。
「何か用事でもあるの?」
雑誌を読みながら尋ねてくるモトちゃん。
それに首を振り、背もたれに掛けていた上着を羽織る。
「もう卒業だからね」
サトミは依然、視線だけを向けてくる。
関係無いじゃないと言いたいようだ。
「モトちゃんも行こうよ」
「そうね、久し振りに訪ねるのも良いかな。サトミ、何かあったら連絡して」
「この時期に何かあったら困るわね」
かなり気を抜いた返事。
この子がこういう態度を取るのも、今が卒業間近だからだろう。
久し振りに訪れる中学校。
とはいえ場所としては、高校の左隣。
バスからは毎日見えるし、停留所で押し出される時はその前を通りもする。
そのため懐かしさはさほど無く、ここも込みで高校生活の日常とも言える。
制服の効果か警備員さんに制止される事もなく、正門を通過。
そのまま教棟へ続く通路を歩いて行く。
通路沿いの木々は少しずつだが芽が息吹始め、花壇も綺麗な花がちらほらと現れている。
「特に変わってないね」
「良い事よ」
大きく伸びをしながら答えるモトちゃん。
時には変化する事が必要な場合もあるが、変化しない方が良い時だってある。
思い出の場所に関しては、モトちゃんの言うように後者だろう。
教棟にはさすがに入らず、通路に沿って移動しグランドへと出る。
遠くの方でサッカーの授業が行われていて、微かに声援の声が届いてくる。
それに微笑ましさと少しの切なさを感じているのもつかの間、視界に嫌な物が飛び込んできた。
物自体は悪く無いが、私の印象として。
見えたのは、教棟の真正面にあるポール。
昔これに嫌な教師を吊して上げた事が何度もあった。
今考えればかなりひどい話。
とはいえ、それはそれで思い出か。
「懐かしいわね、あのポール」
荒んだ顔で呟くモトちゃん。
私はコメントのしようもない。
グランドに沿いながら、二人並んで歩いて行く。
高校の時よりは、もしかしてもっと多感だったかも知れない時期。
今となっては全てが思い出で、思い出せない大切な事もあるんだろう。
それは高校での思い出も。
「過ぎればあっという間って言うけど、本当だね」
「計6年か」
そう言って私の頭を撫でるモトちゃん。
中学と高校生活を合わせると6年間。
それは同時に、私達が一緒に時を過ごした時間でもある。
「本当に苦労した」
「今頃言わないでよ」
「だったら、いつ言うの」
それは一生、胸の中にしまっておくんじゃないの。
お互いを牽制しつつ、高校へと戻る私達。
正門をくぐったところでモトちゃんを後ろにかばい、コートのポケットからスティックを出す。
ぼやけた視界の先に映る、先日私に意見をしてきた男達。
向こうもこちらに気付いたのか、徐々に距離を詰めてきた。
「あれがそう?」
「自警局にも来たんでしょ」
「私が見たのは、女の子の集団だった。ただ、雰囲気としては似てるわね」
どう似てる、とは答えないモトちゃん。
この辺は彼女らしい気遣い方。
私からすれば、悪意しか感じないと答えたいが。
やがて私にも一人一人の表情が見える距離まで近付き、改めて自分の立ち位置とモトちゃんの位置を確認。
後ろから誰かが来ようとそのくらいの気配は感じられるし、モトちゃんに指一本触れさせる気は無い。
これは感情以前の問題。
私が私である事と同意義と言っても良いくらいだ。
「自重しなさいよ」
耳元でささやいてくるモトちゃん。
彼女からすれば、私の毛が逆立ってるように見えているのかも知れない。
「それは向こうの出方次第でしょ。一応、ショウ達に連絡して」
「了解」
モトちゃんがポケットに触れたのを確認し、相手との距離を測る。
距離が詰まっている分十分相手の動きも見られ、仮にゴム弾で撃たれようとも打ち返すのも可能。
不安な要素は一切無い。
さすがに連中も露骨な敵意は見せず、ただ行く手は遮られたまま。
無理矢理突破するのは可能だが、そこまでする必要もないか。
「授業中に外出ですか」
「自分達はどうなのよ」
「我々は警備をしているだけです。遊んでいる生徒がいないかどうか」
「どんな権限があるの。それは学校から許可されてるの?誰が認めてるの?」
矢継ぎ早に質問するが、返事は無し。
答えたくないのではなく、答えられないだけのようだ。
学内の治安維持は、ガーディアンの専権事項。
警備員はその補助。
警察の介入すら拒む程の権限を、学校から付与されている。
それに似合うだけの責任もまた。
この連中は権限ばかりに目が行き、責任については全くの無関心。
もしくは分かってないか。
その時点で、相手にする存在ではない。
「元野さん、ですよね」
返事もしないモトちゃん。
無視ともまた違う、明確な拒絶。
話す価値すらないと、肩に置かれた手からその意志が伝わってくる。
「元野さんですよね」
やはり返事は無し。
男の顔色が変わるが、それでも相手にしようとはしない。
「……そういう態度に出るなら、こちらにも考えがありますよ」
勝手に一人で話す男。
どういう態度に出るのかは知らないし、ふざけた真似をさせる気も無い。
またここまでの行動を見ている限り、そこまでの度胸があるようにも思えない。
私達に襲いかかる訳では無いらしく、武器を取り出そうとはしない男達。
また実戦経験が豊富には見えず、取りあえず武装だけしたという感じ。
武器だけを持って強くなったと勘違いするタイプか。
「いつまでも余裕が保てると思わない事です」
「何をやるのか知らないけど、誰かに危害を加えるならその場で拘束するわよ」
「ガーディアン程度が大きい口を叩かない方が良い」
「何程度だろうと関係無いでしょ。私は私個人の意見を言っただけだから」
スティックのスタンガンを作動。
その先端を地面へ押し当て、火花を広範囲に散らす。
男達はそれだけで逃げ腰になり、私達から数歩後ずさった。
この程度の覚悟で、良くあれこれ言えた物だ。
「そ、そんな真似をして」
「警告はした。何を考えるのも自由だけど、実行に移せば私もその時は判断をする」
「後悔するなよ」
「どっちが」
火花を散らしたままスティックを担ぎ、顎を反らす。
何ならこの場で全員拘束しても良いくらい。
昔だったら少なくとも、ここまで甘くは無かっただろう。
陳腐な捨て台詞を残して去っていく男達。
周囲に仲間がいないのを確かめ、スティックをコートのポケットにしまう。
「あそこまでひどいと、さすがに言葉も出ないわね」
さらっとひどい事を言うモトちゃん。
とはいえそれは同意見。
何をしたいのかが分からないし、行動している根拠も不明。
ガーディアンと敵対するだけの能力があるとも思えず、今後自分達がどう思われるかも良く分かってない気がする。
「それでも、手は出すのは禁止。相手にするまでもないでしょ」
「放っておく事自体、どうかとも思うけどね」
「今更停学とか始末書なんて、かなり恥ずかしいわよ。それと前も言ったけど、卒業式に出られなくなったらどうするの」
それはちょっと困るというか、面白くはない。
卒業式自体は、言ってしまえば形式に過ぎない。
人によっては欠席をして、卒業後の準備をするケースもあるくらい。
とはいえ、その形式が大切な時だってある。
何と言っても3年間の総決算。
それは私達自身だけではなく、学校に対しても。
また後輩からの祝福を受ける場としても。
出席するのはその気持ちを受け止めるためでもある。
「3年生が迂闊な行動を出来ないと見越しての態度だろうけど。あまり賢くはないわね」
「全員拘束して終わりじゃないの?」
「どうしてもとなったらそうする。武器の所持は気になるけれど、集団だから下手すると乱闘になりかねない。卒業式前に大がかりな騒ぎになるのは学校も好まないと思う。彼等は、その辺も考えてるんでしょうね」
「やっぱり拘束して終わりだと思うな」
むしろ拘束すべきと言いたいくらい。
私があれこれ言われるのはこの際構わない。
ただ誰かに危害が及んだり卒業式に影響があった後ででは遅いんだから。
「仮に拘束する時でも、1年生か2年生を使うから。ユウは大人しくしてなさい」
「何か気にくわないな」
「くれぐれも自重してね」
「分かってる」
私も処分を受けたいとは思わないし、この時期ならなおさら。
とはいえああいう連中を放置するくらいなら、処分を受けた方がまだましとも思う。
仮にそれで卒業式に出られなくなっても、みんなが無事に過ごせるのがその方が良い。
「変な事、考えて無いでしょうね」
さすがに鋭いな、その辺は。
それと、変な事では無いと思うけどな。
教室に戻り、机の上に置かれた色紙を手に取る。
色紙の中央を起点として円上に書かれた細かい文字や絵。
寄せ書きか、これ。
「私も書いて良いの?」
「書かないとむしろ困るわね」
苦笑して、私の頭を撫でるサトミ。
それもそうか。
「何書こうかな」
奇をてらった事を書いても仕方ないし、将来見た時に恥ずかしい。
やはり無難に、卒業の挨拶とかになるだろう。
「3年間済みませんでした」
わざわざ隣に来て、そう呟くケイ。
そんな事書かないわよ。
少し考え、やはり無難なフレーズを選択。
「みんな、今までありがとう。と」
後は小さく猫の絵を描く。
卒業と猫は関係無いが、草薙高校と言えば猫。
そう私は勝手に思い込んでるので。
「モトも書いて」
色紙を回収し、モトちゃんに手渡すサトミ。
するとモトちゃんは筆ペンを取り出し、「みんなも頑張って」と達筆な字で書き記した。
「これで全員揃ったわね」
「この色紙はどうするの」
「学校で保存してもらうわ。後はコピーして、印刷した物をみんなに配布。まだまだ忙しいわよ」
忙しいのは、色紙を持って教室を出ていった木之本君じゃないの。
一人では大変そうなので、ショウとケイを伴い彼の後を追う。
辿り着いたのは職員室に併設された資料室。
中には端末やコピー機がずらりと並び、その奥には段ボールが山と積まれている。
「色紙もコピー出来るの?」
「専用のコピー機があるからね。まずはスキャンをして」
普通のコピーのように、色紙を機械にセットしてボタンを押す木之本君。
すると試し刷りなのか、薄い紙が一枚出てきた。
印刷されているのは、色紙と同じ図柄。
ここまでは成功したようだ。
「後は色紙をセットして、人数分印刷するだけ。すぐ出来るよ」
「それで終わり?」
「校章とかプリント出来ると、面白いかもね」
「分かった。借りてくる」
印刷は彼等に任せ、私は職員室へと移動。
暇そうにしている村井先生に声を掛ける。
「校印、校印」
「光陰矢のごとしって言いたいの?」
「印鑑、印鑑。判子下さい」
「全然意味が分からない」
そういう言い方はないだろうよ。
意外と綺麗に整頓されている机を見渡し、書類を一枚発見。
それには崩した字で、印鑑が押されてある。
「これ、この印鑑が使いたいんですけど」
「ああ、その校印。……悪用するつもりじゃないでしょうね」
疑り深いな、どうにも。
もしくは、日頃から疑われるような事をしているかだ。
「寄せ書きに押すだけです。悪用するつもりはありません」
「押すなら、ここで押して。絶対に」
「ちょっと」
「これは公文書に使う印鑑なのよ。何かあったら、誰が責任を取ると思ってるの」
それは、責任者である大人じゃないの。
なんて答えたらバインダーが降って来るので、ショウに頼み色紙を運び込んでもらう。
「大体寄せ書きに、校印なんて押した?」
「記憶がないね」
素っ気なく答える若い男性教師。
村井先生は鼻を鳴らし、次々と印を押していく木之本君の手元を指さした。
「でもこの子達は押してるのよ。時代の流れかしら」
「全然分からんし、自分こそ昔はもっと……」
「仕事がたまってるんでしょ。早く行ったら」
男性教師の背中をぐいぐい押して遠ざける村井先生。
私達の事をあれこれ言うけれど、どうもこの人自身結構ひどい過去があるみたいだな。
「何か言いたいの」
「いえ、別に。それより一人一人に、何かコメントを書いて下さい」
「コメント、ね。まあ、そのくらいなら」
意外とあっさり引き受けてくれた。
結構言ってみるものだな。
何を書いているか見るつもりはないが、一枚一枚時間を掛けて文章を書いている。
なんだかんだと言っても私達の担任として、生徒達の事を考えてくれていたんだろう。
「……何してるの」
「校印を押してます」
「書類の偽造でもする気?」
人聞きの悪い事を言い出す校長先生。
この姉妹は、私達を一体何だと思ってるのかな。
「そうやって疑う心が、生徒の可能性を潰すんですよ」
「可能性。あなたの可能性って何なの」
そんな事を聞かれても困る。
思いつきで行った事に対して、真剣になられてもね。
「……寄せ書き?寄せ書きに校印なんて押した?」
「まあ高嶋君は、この程度ではなかったからな。北米での話は、ここまで轟いてきたよ」
私達の側を通り過ぎなら、ぽつりと漏らす古典の老教師。
でもって校長先生は血相を変えて、言葉を出さず手だけを動かすときた。
この辺は一度、卒業後に聞きに来よう。
校印は全て押し終わり、後はコメントをもらうだけ。
出来上がった分は、ショウが綺麗な白い段ボール箱へと詰めていく。
本当、どこまで行っても無限の段ボール地獄だな。
「あなた、まだ士官学校へ行かなくて良いの?」
「入隊は卒業後ですから」
「ふーん。今年はあなただけじゃないの、士官学校に入学したの。そう言えば、去年一人いたわね」
「それは俺達の先輩です」
胸を張り誇らしげに語るショウ。
彼の姿が輝いて見えたのは、差し込む日差しのせいだけではないだろう。
「大変かも知れないけど、頑張る事ね。二人は進学だった?」
「お陰様で」
にこりと笑う木之本君。
校長先生も彼には優しく微笑み返し、私には意味ありげな視線を向けてきた。
「まさか、大学でも同じ調子でやるつもりはないわよね」
「つもりはないですし、そもそも高校とは雰囲気が違うでしょう」
「だと良いんだけど。葵、何か言ってやって」
「ペンのインクが切れたから、替えを持って来て」
そういう事ではないと思うんだけどな。
色紙を全て段ボールに詰め、それを村井先生に差し出す。
「卒業式の後に渡して下さい」
「え、私が保管するの?」
「お願いします。コメントも書いてますし」
「それはそうだけど。私が保管するの?」
だからそう言ったじゃない。
確かに、結構な量だけどさ。
「では、私達はこれで失礼します」
「最後の最後まで振り回されたわね」
段ボールを叩きながら苦笑気味に呟く村井先生。
それに私も笑いつつ、職員室を後にした。
後は本当に何も無く、引き継ぎは全て終了。
私物も持ち帰り、やり残した事は何も無い。
本当は幾つもあるんだろうけど、残り2日でどうにかなるものではない。
放課後に自警局へやってきても状況は同じ。
例のソファーに座り、明日以降のスケジュールを確認する。
卒業式までは特に予定は無く、その後は謝恩会。
そしてショウを見送り、サトミのマンションに荷物を少し運び込むくらい。
「……大学の教科書って、どうするの」
「選択する講義が決まった後で買えば良いのよ。高校でもそうだったでしょ」
「なるほどね」
文庫本を読んでいたサトミの答えに頷き、大学の履修要項を確認する。
1年生の間は教養科目も若干あり、言わば高校の授業を延長した内容。
歴史や国語、英語なんて講義名が並ぶ。
ただそれ以外は学部や学科ごとの必修科目であったり、選択科目。
入学する生徒全てが、同じ授業を受ける訳では無い。
「付いて行けるかな、私」
「内定が出たのは、大学がそう判断したからでしょ」
「本当に?」
「建前上はね」
怖い事を言ってくれるな、この人は。
でもって多分、その通りなんだろうな。
サトミが持っていた大学の教科書。
これは日本史の教科書か。
「……家制度に付いて、すごい細かく書いてあるけど」
かつては子供全員に財産が分与されていて、ただその形態は徐々に変化。
やがて長子相続が原則となっていく。
勉強にはなるかも知れないが、かなりマニアックだし日本史と呼んで良いんだろうか。
「どんな授業を行うかは、教授や講師に任されてるの。ひどい場合は10年の間変わらず、全く同じ内容を話すらしいわよ」
「それはそれで助かるんじゃないの。テストの時とか」
「講師は講義を行うだけでなく、自身もその学問を学び追求する立場でしょ。10年同じという事は、10年間何もしてなかったのと同じ事。そんな人間の講義を聴くに値する?」
そこまで深く考えてなかったとは答えず、教科書を彼女に返して時計を見る。
時間は経過したようでそれ程でもなく、ただ私がここにいられるのはもう残りわずか。
この一分一秒が惜しい気もする。
「それはいいんだけどさ」
「それ?」
「後で聞く、後で。生徒の自治とか言ってる連中。あれは本当に放っておいて良いの?」
「正確に言えば、良くはないわね。ただ3年生はそれに関わってる程暇ではないでしょ」
今の私は暇だけど、それは私に限った話。
引き継ぎや色々な準備に追われている人からすれば、サトミが言うようにどうでも良いのかも知れない。
「つくづくあの手合いと相性が悪いわね」
「良い人なんていないでしょ。それに私は……」
騒がしくなる衝立の向こう側。
殺気立つ空気。
何があったのかと思いつつ、サトミと一緒に人が集まってる方向へと向かう。
辿り着いた先は自警局の受付。
その先にはガーディアンが列を成し、今にも突進しそうな雰囲気である。
「何事?」
「例の生徒自治を掲げる連中が来てます。アピールをしたいようですね」
そう言って鼻を鳴らす受付の女の子。
心底どうでも良いという顔で。
「何がしたいのかな、一体」
「全然分かりませんし、分かりたくもないですよ」
そこまで言われると、私もこれ以上突っ込みようがない。
受付のカウンターに背をもたれ、騒ぎを眺める七尾君。
ただ右手は腰から下げた警棒に触れていて、決して油断はしていない。
「あれは何なの」
「そろそろ春だし、色んなのが出てくるんだよ」
「さすがに目に余らない?」
「だからここまでの大騒ぎになってきた。連中も引っ込みが付かなくなってるのかもね」
ケイではないけれど、見誤ったという訳か。
彼が言うようにガーディアンは殺気立ち、先走って動くケースも出てきそう。
それを押しとどめる必要もありそうである。
「拘束出来ないの?」
「武器を持ってるからね。卒業式前に大乱闘は好ましくない」
「武器を持ってる方が好ましくないでしょ」
「その辺の矛盾を突いてきてるんだよ、連中も。頭が良いのか、馬鹿なのか。とはいえ、放置しても仕方ない」
肩を回しながら歩き出す七尾君。
私もその後を追い、ガーディアンの先頭に立っているショウを発見する。
「……あの子は何してるの」
「何かあれば、真っ先に突っ込む気らしい」
「いや。そうならないようにしてたんでしょ、今まで」
「家訓がどうとかって言ってたな」
ガーディアンの間を抜けながら話す七尾君。
玲阿家の家訓は幾つかあって、この場合は間違いなく「引く無かれ」。
彼らしいと言えば彼らしく、さすがに今回ばかりは攻められない。
連中の主張は結局の所、ガーディアンの否定に繋がる。
私達が単に暴力だけで勢力を保っていたような言い方が。
無論私達も崇高な理念だけで行動はしていないし、過度な行為に走る場合もある。
しかし報酬やその権限と、私達に課せられた義務と危険。
その両者を秤に掛けた場合、決して報酬側に傾くとも思えない。
それでも私達がガーディアンを続けているのは、生徒の自治。
即ち、草薙高校のためという強い意識。
そこに通う生徒としての誇りと自負心故。
私達はまさに血と汗を流し、それを貫いてきた。
だからこそ、口先だけで自治を語る連中を許せない。
ショウが先頭に立ってるのは、おそらく私と同じ考えだろう。
それは今更尋ねなくとも分かる話。
中高と6年間共に過ごしてきた仲間だから。
ショウより前に出ようとしたところで、ショウと七尾君に止められる。
「落ち着け」
「自分だって前にいるじゃない」
「万が一を考えてだ」
何だ、万が一って。
もしかして、私が突貫するっていう意味か。
それは多分、良い判断だな。
「玲阿君は、雪野さんを押さえてて。……御剣君と渡瀬さんは」
「ここに」
七尾君の隣に並ぶ二人。
御剣君はすでに警棒を抜いていて、いつでも戦える状態。
渡瀬さんはインカムを付け、時折小さく頷いている。
「俺達が処理すると言いたいが、一応卒業を控えてるんでね。済まないけど、リスクは君達に負ってもらいたい」
「望むところですよ」
獲物を見つけた虎みたいに笑う御剣君。
虎は笑わないけどね。
「渡瀬さんは全体の状況判断と指示。軽い相手だし、大まかにやってくれればいい」
「分かりました」
姿勢を正して敬礼する渡瀬さん。
彼女は一歩下がり、ガーディアンの中にいた緒方さん達と端末を見ながら話し出す。
「ここで引いてくれれば良し。あまり手荒な真似はしたくないが……」
七尾君の気遣いも虚しく、天井に炸裂するゴム弾。
私達の最前列には盾を持ったガーディアンが並び、また余程の至近距離でない限りゴム弾は対して危険ではない。
だが発砲したという事実は何より重く、こちら側も盾の間からモデルガンの銃口が一斉に覗く。
「渡瀬さん。早急に拘束するよう指示を。御剣君は連中を牽制」
「突っ込みますか?」
「武器の種類によっては、リスクが大きすぎる。誰かネットを。それで無理矢理捕まえる」
ガーディアンの間を抜けてくる太い銃。
それを御剣君が受け取ったところで、馬鹿笑いが廊下に響く。
笑い声は、自警局。
つまり生徒会のブースと一般教棟の境界線。
そこに貼られたポスターの前で。
「誰でも歓迎だってよ」
「馬鹿じゃないのか」
「破ろうぜ、こんなの」
スタンガンを起動し、スティックを投擲。
ポスターの貼られた壁と男達の間にそれを転がし、強制的に距離を開ける。
同時に私自身もダッシュ。
男達との距離を一瞬で詰め、銃を持っていた男の肩に跳び蹴り。
あざ笑った男達の足元を水面蹴りで同時に全員床へと転がす。
そして火花を散らすスティックを拾い上げ、残っている棒立ちの連中にそれを突きつける。
「両手を挙げて、床に膝を付いて」
「お、お前。こんな真似をして……」
「膝を付けと言った」
スティックを横にフルスイング。
男達の頭上すれすれを通過させ、無理矢理跪かせる。
全員が床にひれ伏したところで、壁のポスターを確認。
幸い傷一つ付いておらず、少しだけ笑みが浮かぶ。
「……何か、面白い事でもあった?」
冷ややかな。
氷河期の嵐でも、もう少し温かいと思わせるような口調。
振り向くより先に肩へ手が掛けられ、サトミの顔が私の肩越しに現れた。
「雪野さん。何をしてるのかしら」
「だって、ポスター」
「3年生は自重するようにって、誰か言わなかった?」
言っただろうね。
多分、会う人全員が。
男達は全員拘束され、ガーディアンに引き立てられる。
先程までの勢いは全くなく、青白い顔で震えるだけ。
それはガーディアンに捕まったせいだと思いたい。
「結局最後の最後まで、雪野さんが締めるんですよね」
長い警棒で肩を叩きながら呟く御剣君。
人聞きが悪いと言いたいが、今日に関しては反論のしようが無い。
「でも、それでこそ雪野さんですよ」
にこりと笑う渡瀬さん。
喜べないよ、全然。
「とにかく、まずは始末書。後は処分があるまで謹慎してなさい」
「どうして」
「知りたい?」
日本刀を喉元に突き立てられたような気分。
サトミは小さくため息を付き、近付いて来た北川さんと沙紀ちゃんに頭を下げた。
「ごめんなさい。私も気にはしてたんだけど」
「まあ、雪野さんだから」
さらっとひどい事を言う北川さん。
つくづく私は信用が無いな。
「でも、良くやってくれたってみんな思ってるわよ」
沙紀ちゃんはそう言って私の肩にそっと触れた。
みんなというのは語弊があるかも知れないけれど、ガーディアンに関してだけ言えば雰囲気は好意的。
それ程の敵意や悪意を感じない。
だからといって、私の行動が褒められた訳でも無いが。
周りをサトミやガーディアン達に囲まれ、局長執務室へと移動。
手で頭を押さえているモトちゃんに出迎えられる。
「お帰りなさい」
「あれは仕方ないでしょ」
「仕方なくはないの。まずは始末書。それと抗議文が数通届いてる。さっきの連中ではなく、元々私達を目の敵にしてるグループから」
机の上に並べられる書類。
一枚は始末書、それ以外が抗議文か。
「経緯を聞く限り、ユウが一方的に悪いとは思わない。ただ、卒業式前にする事でも無かった」
「それは違う。あのポスターを破られるのなら、私は胸を張って卒業する資格が無い」
「言い切られると困るのよね。取りあえず始末書を書いて。それと今日は、もう外に出ない事」
改めて謹慎を申し渡された。
言いたい事は山のようにあるが、さすがに退学や停学という話が出て来ないのにほっとする。
半ば、処分されたらされたとは思っていたにしろだ。
空いている机で定型文と署名を書き込み、それをモトちゃんに提出。
端末で、さっきのポスターの映像を確かめる。
「無事だね」
「その代わり、ユウはリスクを負ってるのよ。卒業式に出席させない、くらいの主張をされたらどうするの」
「さっきも言ったように、あれの見過ごすくらいなら卒業も何も関係無い」
「本当に偉いわよ、あなたは」
あやすように私の頭を撫でるモトちゃん。
皮肉ではなく、どうやら褒めてくれているようだ。
執務室を出ると、当然の事ながらサトミが待っていた。
その脇と通り過ぎようとするが、即座に腕を掴まれる。
「始末書だけで済んで助かった。なんて思ってないでしょうね」
「あれを見過ごす事は出来ないでしょ」
「卒業式はどうするの。モトから聞いてるかも知れないけれど、批判が結構来てるのよ」
「式によりも大切な事が世の中には幾つでもあるじゃない。私にとっては、あのポスターがそうなの」
周りから上がる感嘆の声。
どうやら、結構良い事を言ったらしい。
サトミの受けは、わずかにも良くないが。
「私達は誰にでも認められてる訳でも無いし、去年の件はまだ尾を引いているの。退学や停学は無理でも、卒業式に出席させないって言ってくる職員もいるのよ」
「それは私が悪いの?」
「長いものには巻かれろとも言うでしょ。状況を少しは見なさい」
随分達観したというか、自分を棚に上げた発言だな。
大体この人が長い物に巻かれた事なんてあったんだろうか。
「何」
「別に。それで、本当に出席出来ないの?」
「主張してるのは少数だけど、影響力は0でもない。とにかく反省してなさい」
「どうして」
「……反省をしてなさい」
納得は全然出来ないが、身の危険を感じたので例のソファーに収まる。
しかしあそこで行動しなかったら、間違いなく一生後悔していたはず。
やり過ぎとは思っても、反省する要素は一切ない。
「よう、スーパーヒーロー」
へらへら笑いながら向かい側のソファーに座るケイ。
それを無視して、草薙大学のパンフレットを開く。
「つれないな」
「私は間違った事をしたとは思ってないの」
ぎょっとした顔で私を見つめるケイ。
こちらも何がという顔で、彼を見つめ返す。
「俺達、最近ずっと話してただろ。卒業前だから、大人しくするようにって」
「覚えてるよ。だからって、あれを見過ごす事は許されるの?許されないでしょ」
「ユウが1年か2年なら、それでもいいさ。始末書を書いて、頭を下げるだけで。ただ卒業前の3年生がやる事でも無いんだよ、普通は」
「退学になる訳でもないんだし、構わないじゃない」
「この。……おい、先生。どうして止めなかった」
抱えていた段ボールをテーブルの上に置くショウ。
それにしても、果てしなく段ボールだな。
「早すぎて、止めようがなかった。とはいえ、悪い事をした訳でもないからな」
「すごいよな。なんだか、俺が間違えてる気がしてきたよ」
地味に嫌な事を言ってくるな。
私だって、それ程褒められた行動だとは思ってない。
ただ誰にだって譲れない事があり、私に取ってはあのポスター。
そしてポスターを貼った時の経緯、貼った理由。
それを考えれば、誰が何と言おうとあのポスターは守り抜く。
ふいに。
もしくはタイミングを見計らってか、ケイはにやりと笑って語り出した。
「とはいえ、たかが卒業式だ。出なくて困る訳でも無い」
「お前は出るんだ」
「いやいや。玲阿君、ここは連帯責任ですよ。雪野さんが出席出来ないなら、俺が出られる訳が無いじゃないですか」
出席出来ない前提で語らないでよね。
というか、ちょっと嫌な汗が噴き出てきた。
「卒業式って、父兄が来るよね」
「来るだろ。男鹿半島まで行って親を説得してきた子もいるくらいだし」
「そうだよね。そうだよね」
サトミの両親が出席するよう説得したのは私とショウ。
当然私の両親も、卒業式には出席する。
そこに私がいなかったらどうなるか。
「まずいよ、これは。出席出来なかったら、お母さんに怒られる」
「言いたい事はいくらでもあるけど、気にしてくれて助かった」
大きく息を付き、ソファーに崩れるケイ。
対して私は体を起こし、噴き出てきた汗をタオルで拭う。
「まずいよ、これは」
「もう聞いた。玲阿君、君が止めないからこうなるんだよ。もういっそ、二人で逃げ出しなさい」
「逃げても解決しないだろ。それに出席出来ないと決まった訳じゃない。なんなら代わりに俺が欠席しても良い」
「惚れたね、俺は」
真顔で言わないでよ、もう。
しかし今更気付いたというか、お母さんの事は想定外。
自分の短慮を悔やんでも仕方ないが、これはちょっと見過ごしていた。
私は自分で責任を取れば良いと思っていたし、処分されてもそれは自分自身の問題だと考えていた。
だけど私の行動は、決して私一人だけで収まるとは限らない。
お母さんは私を怒るだけにしろ、モトちゃんやサトミには確実に迷惑を掛けている。
これはただ反省しただけでは済まない話である。
「どうしよう」
「何千人といるんだし、ユウの姿を見つけようもない。言い逃れはいくらでも出来る」
「場所を教えろって、前もって言われたら?」
「渡瀬さんでも座らせれば良いだろ。それと式に出席出来ないと決まった訳じゃない。どうしてもって言うのなら、いくらでも手の打ちようはあるし」
苦笑して立ち上がるケイ。
彼にも迷惑を掛けてるなと思いつつ、小声でお礼を言う。
卒業間近になっての問題。
もしかすれば小さい。
だけど私に取っては結構切実な。
自分自身が招いた、だけど譲れなかった一線。




