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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第7話
58/596

7-4






     7-4




 人間、大人しくしているのが一番だ。

 というか何時だって、私は大人しい。

 ただ向こうがちょっかいを掛けてくるから、それを跳ね返すだけの話。

 その辺の誤解が、どうもあるように思える。


「寮にこもってればいいんだよ」

「私は、外に行きたいの」

「勝手にすれば」

 わざとらしく肩をすくめ、ゲームを始める男の子。

 私は空いているコントローラーを取り、即座に参加した。

「お、やるって?」

 小馬鹿にした表情。

 だけどそれは、見る見る翳りを帯びていく。

 そして気付けば、彼のキャラは底無し沼へと落ちていった。

「この程度。相手にならない」

「ちょ、ちょっと待った」

「待たない。沙紀ちゃん、代わって」

「私、ゲームは得意じゃないんだけど」

 渋る彼女にコントローラーを渡し、二人のプレイを観戦する。

 結果は先程と同じ。

 違うのは、木っ端微塵に弾け飛んだ事くらい。

「手加減……、してないわよね」

「このゲーム、面白くない」

 自分の腕を棚に上げ、別なゲームに切り替えるケイ。

 下手なんだから、やめればいいのに。


「もう、早くして。行くわよ」

「荷物持ちなら、ショウに頼んでくれ」

「あの子は、実家に行ってる。いいじゃない、どうせゲームしかやる事無いんだから」

「俺はゲームをやるために、この世に生まれてきた」

 真顔で答えられた。

 うるさいから、電源切ってやれ。

「わっ」

 珍しく叫ぶケイ。

 そして、震え出した。

 怒り、それとも悲しみ。

 どっちでもいいけどね。

 しかしゲームのデータが消えたくらいで、大袈裟な。

「あ、あんたね。俺のベストタイムを、指先一つで」

「そんなの、今すぐ塗り替えられるわよ」

 沙紀ちゃんはコントローラーを振って、自信満々に微笑んだ。

「まさか。丹下さん、冗談が過ぎますな」

「浦田君、それが本当なの」

 電源が再び入り、妙にリアルな猫がゲートに入ってきた。

 私も何度かやった記憶がある、動物のレース物。

 動きも怖いくらいリアルで、本物かと思う程。

 ただ途中で胴や手足が伸びたり巨大化するから、結局はコンピューター処理された画像だと分かる。

 今沙紀ちゃんがやっているのは、リアル性重視のノーマルモード。

 真顔の猫が、ショートトラックを駆け抜けている。

「……大体、分かった」

「連射でしょ、後はゴール前のタイミング」

「ええ。まあ、任しておいて」 

 力強く親指が立てられ、ゲームがスタートする。

 その途端、沙紀ちゃんの指が恐ろしい速さでボタンを叩き出す。 

 まるで、けいれんしてるんじゃないかと思えるくらい。

 顔は画面の猫以上に真剣で、相当赤みが差している。

 この人も、案外はまるタイプだな。


「だー」

 その結果、茶トラの猫がぶっちぎりでゴールを駆け抜けた。

 画面には「YOU WIN! AND BEST SCORE!」の文字が。

 ネットワーク上でも好記録らしく、東海地区の上位ランキングに入ったとの表示もされている。

「嘘だろ。大体、これ何」

 二本足で歩き出した猫を指さすケイ。

 猫なので、勿論猫背だ。

「いい記録出したから、ご褒美じゃないの」

「New Character Entryって出てるもんね」

 私達の声は聞こえないのか、真顔で画面に見入っている。

 おそらくは、彼一人なら一生お目に掛かる事のなかったキャラを。

「とはいえ、丹下さん。この程度じゃまだまだね」

「あ、雪野さん。そんな事言って」

「ほほ、やる?」

「ええ、受けて立つわ」

 コントローラーを掴み、不敵に微笑みあう私達。

 お互いの間を火花が走り、指先がボタンを捉える。

 熱くも激しい女の戦いが、今始まろうとしていた……。


 怒号と歓声がひとしきり通り過ぎ、ふぬけた笑い声が室内に広がっていく。

「あー、疲れた」

「ちょっと、やり過ぎたみたい」

 赤くなった指先をさする沙紀ちゃん。

 私も指先を、氷の入ったグラスの中に浸けている。

「でもまだ、イタチが出てないわよ」

「さっきいたけど」

「あれは、オコジョ。広い意味で言えば、同じだけどね」

 後ろから、醒めきった声が聞こえてきた。

「あ、いたの?」

「ここは、俺の部屋です」

「はは」

 わざとらしく笑う沙紀ちゃんに、ケイはため息で答えた。

「あ、もうこんな時間」

「大変、早く行かないと」

 上着を手にしてバタバタと部屋を出ていく私達。

「行ってらっしゃい」

「浦田も来るのよ」

「あのさ、俺は……」

「言い訳は聞いてない。ほら」

 沙紀ちゃんは勝手にセキュリティを作動させ、ハンガーに掛かっていたパーカーを彼に放った。


「ったく。で、どこ行くって」

「大須。ちょっと、何やってるの」

 どこが袖だか分からず、パーカーを着られないケイ。

 子供でも、そんな事はしない。

「絡まってるから、この。あれ、え?」

「もういいから。はい」

 見るに見かねた沙紀ちゃんが、自分の着ていた赤のジャケットを渡す。

「俺、こういう色着ないんだけど」

「何も無いいよりはましでしょ」

 そして代わりに、ケイから受け取った紺のパーカーを難なく着た。 

 というか、それが普通だ。

「うわ」

 クローゼットを開け、中の鏡を見て顔をしかめている。

 嫌と言うより、恥ずかしいのだろう。

 基本的に、寒色系しか着ないからね。

「別に、おかしくないよ」

「俺には、違和感があるの……。ちょっと、小さいかな」

 腕を伸ばし、袖を確認してる。

 沙紀ちゃんも女の子としては大柄だけど、こうしてみるとケイも一応男の子なんだと気付かされる。

「大須行くって、ゲーム?」

「古着よ。今日、閉店セールがあるの」

「でも、車がないのよね」

 この3人で車を持ってるのは、沙紀ちゃんだけ。

 今はそれを実家に置いてきているため、足が無い状態になっている。

 私の家まで取りに行ってもいいけど、歩きではちょっと遠い。


「地下鉄で行きましょ。ここからは、直通で行けるわ」

 寮のラウンジで、時刻表をチェックしている沙紀ちゃん。

 その上には地下鉄の路線図が併記されていて、学校の近くの駅「神宮西」から「上前津」までは一本でつながっている。

 寮からの無料バスという手もあるが、誰もが利用するため非常に込む。

「地下鉄、か」

「どうかした?」

「あれ、この前のディフェンスライン。あいつらに出会うかと思って」

 鼻を鳴らし、ケイはジャケットの袖をまくった。

「連中、地下鉄内のパトロールもやってるらしい。しかも今は、休日の昼間。会う可能性は結構ある」

「相手にしなければいいのよ。それに向こうも、私達の相手ばかりする暇は無いんじゃなくて」

「そう願いたいね」

 彼の呟きに、私も胸の中で頷いた。

 多分無理だろうなと思いながら。



「名古屋港・蟹江方面へ向かわれる方は1番ホームへ。この電車は大曽根・八事を経由する環状……」

 金山ターミナル駅に着くと同時に、いつものアナウンスが繰り返された。 

 これを聞くと、地下鉄に乗ってるんだなという実感が強く沸く。

 最近は車が多いので、多少の懐かしさも合わせて感じられる。

「乗ってる全員で押したら、次の駅には何時着くんだろ」

 最後尾にある運転席側の壁にもたれ、下らない考えを洩らす男の子。

 私と沙紀ちゃんは知り合いだと思われないように、彼との距離をそれとなく開けた。

 そして私達の視線が向いた先に、ちょこんと座っている男の子。

 この間、バスでケイが席を譲った子だ。

 まだ足は引きずり気味だったけど、松葉杖は持っていない。

「多分、近所に住んでるのね。同じ駅で乗ったし、この前のバス停も近くだったもの」

「子供一人旅。大変だね」

「そんなに大袈裟なの?」

 二人して笑っていたら、車両内が突然静まりかえった。

 別に何かがあった訳じゃない。

 ただ数名の若者が、乗り込んできただけだ。

 それとほぼ同時にドアが閉まり、静かに地下鉄が動き出す。

「最悪」

「無視無視」

 彼等から顔を背け、真っ暗な窓の外へ目を移す。

 ……大人と子供が映る窓。

 私は窓からも顔を逸らし、ケイに話しかけようとした。

 しかしその彼は、乗り込んで来た若者達をじっと見ている。

 赤いバンダナを巻いた、ディフェンスラインを。


 その中の一人が、車両の中央へ歩いていった。

「君」

「は、はい?」

 不意に声を掛けられ、戸惑い気味の顔を上げる男の子。

「あそこの男性に、席を譲ってはどうかな」

「え?」

「君はまだ若いし、立っていても平気だろ」

 ドア前の手すりに掴まっていたおじいさんも、困惑の表情を見せる。

「あ、あの。私はすぐ降りますので、その子に座らせてあげて下さい」

「遠慮は結構ですよ。お年寄りは敬うものですし、若者は謙譲の心を持つべきです」

「い、いえ。本当に大丈夫ですから」

 おじいさんの制止も聞かず、男の子の前にディフェンスラインの連中が並び出す。

 これでは促すどころか、恫喝だ。

 年端もいかない子供が、大勢の人間に囲まれて動揺しない訳がない。

「さあ。強情を張らないで、立ったらどうかな」

「君のせいで、みんな困ってるよ」

「少しくらい立っていた方が、運動にもなるぞ」

 一人の手が男の子に伸びていく。


「……止めろ」

 静かな低い声。

 男の手首を掴み、押しのける様に後ろへ下がらせる。

「何をするっ」

「止めろと言った」

 男の子を背にかばうケイ。

 いきり立った男が、腰の警棒に手を触れつつ距離を詰めてきた。

「お年寄りに席を譲るのは当然だろう。それを阻む権利が、君にはあるのか」

「常識がないんじゃない、あなた」

「ほら、どくんだ」

 彼等の声が、静まりかえった車両内に響き渡る。 

 まるで今にも殴りかかりそうな連中に、ケイは鼻を鳴らす事で答えた。

「お前ら、人を馬鹿にするのもいい加減にしろよ」

「制裁を受けたいのか」

 腰を落とし、ケイを囲むディフェンスライン。

「それも結構だけど、少し言わせてもらう」

「言い訳なら聞いてやるぞ」

 横柄な口調と見下した目線。

 警棒に手は当てられたままである。


「席なんて、座りたい人間が座ればいい」

「何?」

「眠い、疲れてる、顔を伏せていたい気分。他人には分からなくても、本人には座りたい理由だってある」

 ケイは猫背の姿勢を直さないまま、パーカーのポケットへ手を突っ込んだ。

「それがどれだけ辛いのか、他人が判断する事じゃない。年齢以前の問題だ」

「だ、だからといって」

「この子は、足を怪我してる」

 さすがにディフェンスラインの連中が顔色を変える。

「嘘だと思うなら、勝手にしろ」

「あ、その、あ……」

 言葉にならない言葉。

 地下鉄は上前津駅のホームへ滑り込み、暗がりから明かりへと車窓の風景も変化する。

「……大丈夫?」

「は、はい」

 立ち上がった男の子に、優しく声を掛けるケイ。

「ユウ、ここで降りるんだろ」

「あ、うん」

 男の子に付き添う彼の後を追う、私と沙紀ちゃん。

 ディフェンスラインの連中も、何故か付いてくる。


 ホームのエスカレーターを登り終えると、ケイが軽い足取りで彼等に歩み寄っていった。

 身構えるディフェンスライン。 

 しかし彼はポケットに手を入れたままで、何かするような素振りは見せない。

「俺達に、まだ何か用?」

「……事務所へ来てもらう」

 感情を強引に抑え込んだささやき。

 警棒を出すような真似はしないが、行く手はすでに遮られている。

「女の子も?」

「ああ、全員だ」

「分かった」

 勝手に了承するケイ。

 ただs私達も、それに異存はない。

 ちゃんと話し合って、誤解を解いておきたいと言う気持もある。  

「事務所はすぐ近くだ」

 地上への出口へと歩き出すディフェンスライン。

 その後に続いたケイが、後ろにいた女の子へ近寄った。

頼みがあるんだけど」

「え?」

 まだあどけなさの残る顔の女の子。

 それが強ばり、警戒気味に一歩下がる。

「大した事じゃない。さっきの子に、付き添って欲しい」

「で、でも」

「社会奉仕の一環さ。もしタクシーにでも乗るなら、これを」

 財布から出された数枚の紙幣が、強引に女の子の手へと収められる。

「悪いけど、お願い」

「は、はい。分かりました」

 固いながらも笑顔を見せた彼女は、男の子が向かった別なホームへと元気よく駆け出していった。

「……何をした」

「事情を聞けば、そっちも納得出来る」

「どうして、彼女に頼んだ」

「さっき俺を囲んだ時、あの子だけ困ってた」

 薄く笑い、彼等を抜いて先に行くケイ。

「……まともな感覚が残ってるっていう意味ね」

 耳元で囁く沙紀ちゃんに頷き、階段を上っていく猫背の背中を見上げる。

 見た目はともかく、さっきのは格好良かった。

 これでまた、お金がなくなるけどね。



 地下鉄の出口を出たすぐ側の大きなビルに入り、2階に上がる。

 階段や廊下は広く、床なども手入れが行き届いている。

 他のテナントは殆ど入っていない様子で、歩いている間に人とすれ違う事もない。

 少しずつ整然とした雰囲気が強まり、監視カメラや警報装置が目に付くようになる。

 やがて正面に「Defence Line」とロゴの入ったガラス張りの壁が見えてきた。

 警備をしているのか、ドアの前には数名の男女も。

 彼等はこちらに気付くと、姿勢を正して頭を下げた。

「お疲れさまです」        

「ああ。支部長は」

「外出してますが、何かご用ですか」

「いや、また後でいい」

 取りあえず中に通される私達。

 会話を聞いている限り、上下関係があるようだ。 

 私達ガーディアンにもそれは存在するけど、あくまでも役職だけの話である。

 それは組織である以上否定出来ない側面だし、また彼等が統制されたグループであると推測出来る。

 まあそういう推測は、ケイに任せるとして。


「彼等にお茶を」

「あ、はい」

 きびきびした動作で女の子が奥へ消えていった。

「座ってくれ」

「どうも」

 遠慮もせず、腰を下ろす。

 いいソファーらしく、背中が半分くらい埋まってしまった。 

 室内は広く、奥にもさらに何部屋かあるようだ。

 見た限り、どうやらフロアの半分は占有している様子である。

 テーブルや調度品も高そうだし、棚に並んでいる警備機器やAV機器も良い物が揃えられている

 それはともかくこれだけの装備と人数を考えたら、威張りたくなるのも無理はない。

 下らない事だけど。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 お茶を持ってきてくれた女の子に会釈すると、優しく微笑まれた。

 さっきケイが話した子もそうだけど、まともな人も結構いる。

 むしろ、そういう人の方が多い気もする。

 もしかして威張っているのは、私達を目の敵にしてる連中だけじゃないのかな。

 勿論あくまでも推測で、本当は何も分からないけど。


「名前は、雪野さん、丹下さん、浦田君」

「よくご存じで」

 お茶をすすり、素っ気なく答えるケイ。

 以前名乗ってるし、あれから色々調べたのだろう。

「そんなに我々と揉めたいのか」

「事情はあなたも知ってるでしょ。私達は、悪い事は何もしていない」

「あくまでも非を認めないと?」

「非ですって」

 沙紀ちゃんの顔が厳しく引き締まり、上体が前に傾く。

「我々には、この街を守る使命がある。君達が何をしようと勝手だが、それによって治安が乱れると判断したから注意したまでだ」

「使命?ボランティア組織にしては、随分な言葉を使うわね」

「私達の崇高な理念を理解さえすれば、君もそんな事は言わないと思うが」

「ディフェンスラインの綱領は読んだわよ。第一項……、積極的な社会奉仕によって、地域社会の安全と住民の安らぎへの手助けとなる。書いてある事は立派だけど、その意味をはき違えてるんじゃなくて」

 厳しい姿勢で彼等に臨む沙紀ちゃん。

 あまり口には出していなかったけど、彼女も腹に据えかねていたようだ。

「誰かのために役立ちたいなら、相手を思って行動するのが当然でしょ。それなのにあなた達は、自分達の理屈だけで行動してる。ただの、自己満足じゃない」

「我々は、常に正しい行動を取っている。部外者の君にとやかく言われる筋合いはない」

「私もこの街の住人よ。それとも、気にくわない人間は部外者として区別する訳」

 応対していた男性と沙紀ちゃんの間で、鋭い視線がかわされる。

 理解や共感など、お互い抱く気配もない。


「相当に反社会的じゃないか」

「他人を力尽くで威圧するよりましよ」

「……支部長の言われていた通りだな」

 男性の後ろに控えていた人達が、ぽつりと洩らした。

「何それ。私達を知ってる人なの」

「それだけ、君達の評判が悪いという事だ」 

 何の感情も交えず答えられた。

 呟いた男の子はみんなから咎めるような視線を受け、小さくなっている。

「それと一言断っておくが、我々が力を持つのはその抑止力を考えてだ。こちらが強いと分かれば、不用意なケンカやトラブルは避けられる」

「あなた達も学校で、治安関係の組織にいるんだから分かるでしょ」

「分からないわ。私達は、暴力をひけらかす真似なんてしないから」

 あくまで突っぱねる沙紀ちゃん。

 私も言いたい事はたくさんあるけど、彼女が頑張ってるからここは大人しくしていよう。


「力には力で対抗する他ない。我々はそうして今までやってきたし、それを支持してくる人も大勢いる」

「長い目で見れば、恨みを買うだけだわ。それをも抑え込む程の、圧倒的な力でも持ってるならまた別だけど」

「そうして欲しいのか」

 恫喝の込められた低いささやき。 

 彼の気配が濃くなり、周りの人間も威圧的に距離を詰めてくる。

「……やれる物ならやってみなさい。私達には通用しないと教えてあげる」

 身構えも、立ち上がりもしない沙紀ちゃん。

 彼等が全員腰の警棒に手を当てても、平然と腰を下ろしている。

「3人。しかも何も持たないで、勝てると思ってるのか」

「何なら、私一人で相手してもいい」

「俺達を甘く見るな。ディフェンスラインでは、格闘訓練を最優先課題として行っている」

「そういうのを、子供の火遊びって言うのよ」

 動きかけた男の子を目線で制し、前髪を軽く横へ流す。

 黒髪が照明に輝き、表情に闘志が秘められていく。

 気高く凛々しいその面差しに。

 真紅の闘気を、美しく立ち上らせて……。


 それだけで気力が萎えたのか、露骨に目を逸らす彼等。 

 目を逸らすのはなんとか踏みとどまった男性も、顔中に脂汗をかいている。

「過信と自信を取り違えない事ね。あなた達が何をしようと勝手だけど、私達にだって信念や考えがある。それに反した行動を見た時は、いつだって相手になるわ」

 やや低い声を響かせ、たおやかに立ち上がる沙紀ちゃん。

「お茶、ごちそうさま」

 お礼を言われたお茶を持ってきてくれた女の子は、夢から覚めたような顔で首を振る。

 沙紀ちゃんは苦笑気味に会釈して、もう何も言わず部屋を出ていった。

 私もすぐに席を立ち、彼女に続く。

「とにかく、私達は放っておいて。お互い、その方がいいと思うわ」

「……街の治安を守るのが、俺達の使命だ」  

 体を震わしつつ、かろうじて答える男性。

 他の連中も、ぎこちない仕草ながら頷いている。

「その心構えはいいけど、その内痛い目に遭うわよ。あなた達に反感を持っているのは、私達だけじゃないと思うし」

「部外者に心配されなくても、その対応は当然してある」

 怯えていた表情の中に、卑屈な笑顔が見える。

 まだ何か、私の知らない面が彼等にはあるらしい。

 どちらにしろ関わり合いにならなければいいだけだ。

「せいぜい頑張って」

 いい加減に手を振りドアを出ると、一斉に取り囲まれた。

 事務所内にいたディフェンスラインの連中が、集まってきているらしい。

 しかし沙紀ちゃんも私も、この程度では動じない。

「まだ何か用?」

「もう少し、ここにいてもらおう」

 輪が小さくなり、無表情な顔が近寄ってくる。

「力尽くで従わせようとでも?」

「リンチをする訳ではない。我々の理念について、しばらく勉強してもらう」

「こうして人数に頼るの自体、暴力を肯定してる証拠よ。自分達に自信があるなら、一人で意見を言いに来なさい」

「かまわん。講義室に連れて……」

 誰かがそう言いかけ、再び輪が縮まり始めた時。


 それまでずっと黙っていたケイが、前へ出てきた。

「済みません、トイレどこです」

「あ?」

「トイレ。俺、近いんですよ」

 周囲の険悪な雰囲気を全く気にせず、前屈み気味にそわそわしている。

「おい。ふざけてる場合じゃないんだぞ」

「あ、まずい。洩れそう」

 身を震わせ、恥ずかしそうに背中を丸める。

 失笑めいた笑いと白けた空気が漂い始め、誰かが奥の方を指さした。

「ああ、どうも。病気持つと、やっぱり駄目ですね」

「膀胱炎か」

「いえ、伝染病です」


 笑いは即座に止み、無表情な顔が青白くなっていく。

 相変わらず身を震わせているケイは、それとなく全員の顔を見て回った。

「体液から伝染るんで、普段は携帯用のトイレにしてるんですけど。今日それを忘れちゃって。申し訳ないです、後で衛生局に連絡して消毒をお願いしますから」

「……そんなに、危険なの」

「いえ、死ぬような病気じゃないです。全身の湿疹とかゆみ、下痢、頻尿、倦怠感、記憶力の減退。それが一生続くだけですよ」

 叫び声が上がり、女の子達が逃げ出した。

 それに刺激を受けたのか、他の連中も一斉にケイの側から離れ出す。

 受付前のスペースは、壁に張り付くディフェンスラインとケイを前に置く私達という状況になっている。


「えーと、トイレは奥ですね」

「い、いや。今日はもう帰ってもらって結構だ」

「俺、時間余ってるんです。ディフェンスラインの勉強をしっかりして帰りますよ」

 ふらふらとケイが歩き出すと、その先にいる人間が慌てて逃げ出した。

「そ、その。今講義用のDDを、別な支部に貸してあるんだ。綱領や行動規範を説明する幹部も、外出してるし」

「じゃあ、現場の話でも聞きたいですね。何なら、入隊しましょうか」

 細い瞳が鋭く光り、ディフェンスラインの全員を捉えていく。

 それを見た彼等は、まるで悪魔にでも見定められているような顔で固まってしまった。

「とにかく、トイレ借ります。3日くらい使えなくなりますけど、その間は衛生保全手当が支給されると思います。もしかして、ビル全体を消毒するのかな」

「わ、悪い。今日は引き取ってくれっ」

 出口のドアが開けられ、全員が泣きそうな愛想笑いを浮かべている。

 まず沙紀ちゃん、そして私が外に出る。

「えーと、また来てもいいですか。俺どうも、ディフェンスラインを誤解してたみたいです。ちゃんと綱領を勉強したいですね」

「い、いや。申し訳ないが、今は定員オーバーなんだ。そ、その、申し出は嬉しいんだが」

「そうですか。じゃあ仕方ない」

 残念そうに肩を降ろし、事務所から出てくるケイ。

 そして沈んだ表情で、私達の後を付いて階段を下りてくる。

 寂しげに、肩を落としたまま……。



 ビルを出ると、秋の柔らかい日差しと涼しげな風がやってきた。

 開放感というか、体が軽くなった気分すらしてくる。

「近寄らないで」

 邪険に言い放って、すぐに距離を開ける。

「病気持ちだなんて、知らなかったわ」

 嫌そうに顔を振り、やはり逃げ出す沙紀ちゃん。

「俺も」

 苦笑気味な呟き。

 私達は声を合わせて大笑いした。

 かゆくてトイレに行きたくなるって。

 普段ケイがよく言ってる症状じゃない。

 倦怠感とかも、ただの寝不足だし。

 確かに、それが伝染ったら困るけどね。

「さっきの丹下じゃないけど、力に力で対抗する必要なんて無い。あの程度の冗談で十分さ」

「向こうは本気にしてるわよ。ねえ、沙紀ちゃん」

「そうね。衛生局に問い合わせてるかもしれない」

 ケイは鼻で笑い、風に乱れた前髪をかき上げた。

「ああいう連中は、性根まで消毒されればいいんだ」

「珍しく感情的ね。前玲阿君が言ってたけど、相性が悪そうだし」

「いやいや。俺はガンジーに傾倒してるから。本当は、無抵抗主義に帰依してるんだよ」

 女の子の顔を殴って、それが原因で狙われたくせに。

 本当、嘘つきなんだから。



 それでも古着屋さんでしっかり買い物を済ませると、結構いい時間になっていた。

 服を選んでた時間もそうだけど、その前のゲームの時間が余計だった。

 あれは、人を堕落させるね。

 今度ケイの部屋から没収して、私の部屋にしまっておこう。

 で、たまにやろう。

 ……なんて、堕落した考えを持ってしまうくらいに。

「アイスティー」

「本日は、魚介パスタとラザニアのセットがお安くなっておりますが」

「いえ、アイスティーだけで」

「かしこまりました」

 可愛い笑顔のウェイトレスさんが下がって、注文票がテーブルに置かれる。

「お腹空いてないの」

「金がないんじゃ、何も買えない」

 悲しくもおかしい答えが返ってきた。

 さっきの古着屋さんでも、恨めしそうにジーンズ睨んでたし。

 私のコットンシャツを上げようかな。 

 でもサイズが合わないから、着られないか。

「はい」

「何か」

「上げる」

「……ありがとう」

 怖い顔で、シャツの端切れをポケットにしまうケイ。

 人の好意は、素直に受け取りなさい。

 もしもの時に、使えるかも知れないじゃない。

 私は、端切れを使った記憶は一度もないけど。


 下らない事をやっていると、いい音といい香りと共に鉄板がやってきた。 

 ナポリタン、冷製トマトスープセット。

 Sサイズなので、私にも十分食べられる量である。

「旗立てろ、旗を」

 アイスティーをすすりながら、文句を言ってくる男の子。

「格好付けて、全部渡すからよ」

「カードの残金が、まだあると思って。でもよく考えたら、それは永理が引き落としたんだった」

「底抜けね」 

 同情の余地を見せず、大笑いする沙紀ちゃん。

 そして彼女の前には、ソースの絡んだカルボラーナが鎮座ました。

「いただきます」

 二人の唱和があり、パスタをすする気味のいい音がする。

 この適度な焦げ具合と、ミートソースの香りがまた。

 やっぱり人間、食べてる時が一番幸せだ。


 でもって、不幸せな人は。

「砂糖入れて、糖分取ろう」

 カロリーの面からすれば、それでもいいのだろう。

 精神的に満足出来るかどうかは知らないけど。

「少し、食べる?」

「……涙が出ました」

「馬鹿」

 沙紀ちゃんからフォークを受け取り、拝みながらパスタをすすってる。

 何よ、いい雰囲気じゃない。

 でも面白くないな。

「少し、食べる?」

「……涙が出ました」

 同じ事を言って、私の海藻サラダを食べている。

 こういうの好きじゃないんだよね、この子。

「海藻って、カロリーが殆ど無んでしょ」

「大丈夫、お腹は膨れるから。美味しい?」

 ほら、頷いてる。 

 嫌そうな顔に見えたけど、気のせいだ。

「トマトジュース飲む?」

「あんた、嫌がらせか」

「そうよ」

 ヘヘッと笑い、手を上げる。


「はい、お呼びでしょうか」

 相変わらず可愛い笑顔で応対してくれるウェイトレスさん。

「トマトジュースをお願いします。デカンタで頼む?」

「そんなのは、メニューにない」

「よろしければ、ご用意いたしますが」

 冗談っぽく申し出でられた。

 いいね、こういう楽しい人は。

 とはいえ、本当に持ってこられたら私も困る。

「いえ、グラスで結構です」

「なんなら、お猪口で結構です」

「かしこまりました」

 会釈して戻ってく彼女。

「浦田、嫌いなの?サラダにも、トマトは入ってたじゃない」

「トマトジュースは別物。あれは、絶対に許せん」

「私は、嫌いじゃないけど」

 と、クォーターサイズのピザをかじる沙紀ちゃん。

 おっ、チーズがこぼれた。

 生ハムも落ちた。

 あー、何してるの。

「ど、どうかした、優ちゃん?」

 そう言われて、フォークを持って立ち上がろうとしていた自分に気付く。

「食い意地女はほっとけば。どうせ、そのピザが食べたいだけなんだから」

 ぐっ、分かったような口をきいて。

「あげてやって下さい。そこの、哀れな女の子に」

「でも、もう全部食べちゃったから」

「大丈夫、その皿にこぼれた分で」

 まさかという顔で、それでもお皿を私の前に持ってくる沙紀ちゃん。

「あ、あのね」

「いらないなら、俺がもらう。まだ食べ足りないし」

 伸びてきた手をフォークで牽制し、まだ柔らかいチーズを口に運ぶ。 

 程良い塩加減とこの食感。 

 もう、たまらないです。

「あ、あの。もう一皿頼もうかしら。それを全員で、ね」

「ユウが恥ずかしい事するから、丹下が気使ってるよ」

「うっさいな。私は、食べ物を大切にしてるだけなの」

 全然人の話を聞かず、ウェイトレスさんにシーフードピザを頼む沙紀ちゃん。

 なってない。

 マヨポテトでしょう、普通は。

「優ちゃん、どうかした?」

「どうせ、他のピザが食べたかっただけだって。無視無視」

 鋭いな。

 私の底が浅いとも言えるけど。


「お待たせしました」

 しばらくしてさっきのウェイトレスさんが、トマトジュースのグラスを持ってきてくれた。

「こちらはサービスです。よろしければどうぞ」

 一緒に置かれるショットグラス。

 中身はやはり、真っ赤なトマトジュース。

「あ、済みません」

「いえ。ご用の際は、またお申し出下さい」

 会釈して、颯爽と戻っていく彼女。

 気さくな態度を取っているが、客に対する丁寧な姿勢はあくまでも崩さない。

 プロとは、まさにこういう人を言うんだろう。

 結構、憧れたりもする。

「飲みなさいよ」

「ええ?」

「私からのおごりです、浦田君」

「ありがとうございます、丹下さん」

 すごい嫌な顔でグラスに口を付けるケイ。

 でもほんの少し喉が動いただけで、グラスはすぐに戻された。

「もうお終い?」

「というか、これは飲み物じゃない」

「こんなに美味しいのに」

 と言って、こくこくと飲んでいく沙紀ちゃん。

 ふーん、二人で廻し飲みね。

 まあいいや。

 私はこっちのショットグラスでも飲んでよ。

 ……ん。

 な、何これ。

「スッポンの生き血でも入ってた?」

「タバスコだ、タバスコ」

 グラスを持ったまま動こうとしない私に、ふざけた事を言ってくる二人。

「そんな訳、無いわよ」

 ははっと笑い、二人の肩をぺたぺた叩く。

 うん、あなた達お似合いだね。

 何か気分も良くなってきた。

 あーっと叫んで踊り出したくなるくらい。

 そして私は、きびきびとした動きでワインを運んでいるウェイトレスさんに手を振った。

 沙紀ちゃん達の関係を見抜き、私に気を遣ってくれた彼女に。

 お酒、ごちそうさまでしたと……。



 結局ディフェンスラインが何をしたいのか分からないまま数日が経ち、そんな事は頭の中から消えかけていく。   

 学校にいれば彼等に会う機会もないし、それ以外のトラブルで忙しいせいもある。

 大体私は、書類を書くのがその……。

「あー」

「叫ばないで」

 冷静に。

 いや、冷たくたしなめるサトミ。

 すでに彼女は自分の分を終え、気楽そうに指先を手入れしている。

「暇なら手伝ってよ」

「そのくらい自分でやりなさい。私の半分もないんだから」

「才能が無いの、私は」

「面倒なだけでしょ。ショウを見て」

 そう言われて、隣に顔を向ける。

 精悍さと甘さの漂う顔が真剣さを帯び、書類と端末を食い入るように見つめている。

 まっすぐ伸びた背筋、無駄口を聞かず黙々と仕事に向かうその態度。

 一生懸命さと、彼らしい頑張りもまた伝わってくる。

 本当、真面目なんだから。

 勿論、それが格好いいんだけどさ。

 恥ずかしいから、口には出さないけどね。

「適当でいいの、適当で」

 そんなショウとは対照的な、気の抜けた口調。

 コーラ片手に、データを打ち込んでいるケイ。

 姿勢は相変わらず猫背で、何だかやるきのなさそうな顔。

 ふざけてると、知らない人が見たら思うだろう。

 でも実際の仕事量は、ショウの倍は軽くやっている。

 基本が事務系だからね、この子は。

「はい、お終い。じゃ、俺は帰ります」

「ちょっと、何勝手な事言ってるの」

「自分だって、この前服買いに行っただろ」

 うっ、返す言葉がない。

 ショウは書類の書き込みで手一杯。

 サトミも結構早く帰ったりするので、私以上に怒れない。

「本屋が、俺を呼んでるんだ」

 リュックを背負い、急ぎ足で部屋を飛び出ていく浦田君。

 呼ぶ訳無いじゃない。

 幻聴が聞こえるなら、医者に行けばいいのに。


「はー」

 ようやく顔を上げ、ショウが長いため息を付く。

「終わったの?」

「ああ、半分」

 なんだ、それ。

 しかも、その満足そうな顔はなに。

「ちょっと、ケイに負けてるわよ」

「負けてるって……。あれ?いない」

 今時気付いてる。

 もう駄目だ、このおぼっちゃまは。

「あんな子でも、取り柄の一つくらいはあるわ。その代わりケンカはショウ達の方が強いんだから、それでいいじゃない」

「理屈ではそうでも、ケイに負けるなんて屈辱なの」

「大袈裟だな。よく分からないけど」

 ショウは苦笑して、マグカップを手にした。

 そして、振った。

「空だ」

「飲めば無くなるわ」 

 コンロと、お茶葉やカップが入ってる棚を指さすサトミさん。 

 入れろという事らしい。 

 それに対しショウは、特に文句も言わず用意をしだした。

 でも私は知っている、サトミのマグカップも空だったのを。


「悪い子」

「このくらい普通よ。それにケイは、いつもやってるわ」

 確かにそうだ。

 勿論私達もするけれど、回数にすれば彼の方が多いだろう。

 不意の来客があった時などは、気付くとお茶が差し出されるくらいだ。

「コーヒー、コーヒーが飲みたい」

 ティーパックを出そうとしていたショウに、注文を出す。

 だって、私のマグカップも空だから。

「クッキー食べたいわ」

 チョコの銀紙を綺麗に伸ばしながら、サトミも注文を出す。

「だったら、私ミソラーメン。ネギ多めで」

「いいわね。後、豚キムチと半ライスお願い」

 テーブルを叩いて、激しく要求する私達。

「ちょっと、聞こえてるの?」

「返事がないわよ。復唱しなさい」

「聞こえてるし、返事をする気もない……」

 ため息交じりにポットを持ってくるショウ。

 もう片手には、市販のクッキーとキャラメルの袋。

「あら、インスタントを入れる気?」

「気が利かないわね。豆を挽いてよ」

「道具も豆も、ここにはない」

 と真面目に答え、ごく正確にコーヒーをすくっている。

 しかもわざわざ、表面を摺りこいで。

「そんなの、適当でいいって」

「細かい子ね、体の割には」

 しかしショウは人の話が聞こえないのか、さっき以上に真剣な顔でお湯を注いでいる。

 この人もしかして、ラベルの但し書き通りにやってるんじゃないの?


「180mlってどのくらい?」

 今度は私とサトミが、彼の話を聞いてない。

 コーヒー一つ入れるのに、何やってるんだか。

「あなた、普段どうやってコーヒー入れてるの」

「自分の部屋で飲む時は、コップの傷で判断してる。大体、滅多に作らないし」

「おぼっちゃまじゃないんだから……。いえ、この子は玲阿家のご令息だったわね」

 余程面白かったらしく、手を叩いて笑うサトミ。

 よく一人暮らし出来てるな。

「コーヒーもそうだけど、食事くらい自分で作れないと困るわよ。本当に一人住まいになったらどうするの」

「今は未来の事より、このお湯が……」

 ポットから注ぐお湯の量を、微妙に調整し始めた。

 その熱意と労力は買うけど、なにか間違ってる。

「ちょっと、もういいって」

「そう?」

「私は、自分で入れるわ」 

 手際よくコーヒーをすくい、お湯を注ぐサトミ。 

 辺りへ香しい匂いが、一気に広がっていく。

 さっきショウが作った時には、殆ど香らなかったのに。

 それは何故か。

「……ぬるい」

「量は正確だぞ」

 子供っぽく怒る玲阿君。

「それに、薄い」

「だから、量は正確だって」

 まだ言ってる。

「もういらない」

「もったいない事言うな」 

 なら、自分で責任を取りなさい。

 私は少しだけ飲んだマグカップを、彼に渡した。

「ブラックの方が好きなんだけど」

 そう言って一口含んだ彼の顔が、わずかにしかめられる。

「ほら、自分だって飲めないじゃない」

「い、いや。これ砂糖とミルク入ってるから」

「じゃあ、今の要領で作ってあげるわよ」

「……俺が間違ってました」

 深々と机に頭を付けて、「おかしいな」とか言ってる。

 面白いけど、困ったもんだ。


「はい、これ飲んで」

 サトミが、いい香りの立つマグカップを二つ差し出してくれた。

 馬鹿げた事をやっている間に、作ってくれたらしい。

「ありがとう……」

 マグカップに口を付け、満足げに唸るショウ。

 私はブラックなんて飲めないので、砂糖とミルクを入れて。

「あー、美味しい。やっぱり、こうでなくちゃね」

「俺は、マニュアル通りに作ったのに。寮でも、この通りやってるんだぜ」

「その代わりもっと手際がいいでしょ。しばらくは修行を兼ねて、ここで家事手伝いをしなさい。まずは、窓拭きから」

 凛とした顔で、上手い事押し付けるサトミ。

 おぼっちゃまはそれに気付かず、素直に頷いている。

「また悪い子」

「いいのよ。もっと厳しくしてもいいくらいだわ」

 サトミは薄く微笑み、指先をほっそりとした顎のラインに滑らせた。

 綺麗だし素敵だけど、ちょっと怖い。

 でもって魔性の女に睨まれた男の子は、真顔で窓拭きに勤しんでいる。

「真面目な子でよかったわ。いいお手伝いさんになれそうね」

「本当。もう一人の子に見習わせたい」

「無理な考えだと思う」

 それは同感だ。

 悪い子じゃないんだけど、いい子でも無いんだよね。

 二人とも、少しずつお互いの長所短所を分け合えればいいのに。

 それに関しては、私も人の事は言えないけど。

 と、綺麗なサトミの横顔を見つめながら思ったりする。

 でもこの場合、私の長所ってなに?

 短所はいくらでも思いつくのに、長所って……。

「ちょっと、外行ってくる」

「リュックを持って?」

 鋭いサトミの指摘を無視して、一気にドアまで走る。

「あ、逃げたっ。ショウッ」

「一生懸命拭いてます……」

 ドアを閉める間際に、情けない声が聞こえてきた。

 後は小姑と仲良くやってて。



 飛び出して来たはいいけれど、行く当てがない。

 家出した小学生だって、もう少し計画性があると思う。

 困ったもんだ。 

 いえ、私が。

 こういう時は、どこへ行けばいいのか。

 答は簡単。

 というか、もう足は向いている。


「……何してるの」

「あ、七尾君」

 精悍さとクールさの漂う顔立ち。

 もう夕方だというのに、しわ一つない黒のシャツとスラックス。

 今まで、何してたんだろう。

「ちょっと、のどが渇いたから」

 私は適当な事を言って、カウンターの上に置かれたジョッキをあおった。

 厨房の奥では、いつもビールを持って来てくれるおばさんが笑っている。

「玲阿君達は」

「まだ終業時間じゃないもん」

「じゃあ、雪野さんは」

 聞こえない振りをして、残りのビールを一気に飲み干す。

 度数はかなり低いので、この程度では酔っぱらわない。

 と思う。

「ちょっと、いいかな」

「いいよ、なに」

 綺麗とも可愛いとも言える顔を寄せてくる七尾君。 

 若干の動揺を覚える前に、一言ささやかれた。

「浦田君の噂を、さっき聞いたんだ。あまりよくない物を、幾つか」

「え?」

「だから雪野さん達は、どう考えてるのかと思って」

「いや、私は知らない……」

 ジョッキを持つ手を止め、思考を巡らせていく。

 噂、さっき、聞いた。

 た、たこ焼き、キツネうどん。

 ん、が付いたから負け。

 ……そんな訳無い。

 やっぱり酔っているようだ。


「でもビール飲んでるくらいだから、俺が心配し過ぎてるだけだね」

「今お酒が廻ってるから、考えがまとまらないの」

 「いつもでしょ」という内なる突っ込みは放っておいて、もう一度考えてみる。

 た、大変。

 そうじゃないけど、そうだ。

「どうしよう」

「俺に聞かれても。それにあくまでも、噂だし」

「悪いの?」

「よくはない」

 ……噛み合ってないのか、からかわれてるのか。

 とにかく普段以上に頭が廻らないから、誰かに相談した方がいい。

 また人に頼ってしまうけど、どうも嫌な予感がする。

 この間の大内さんの顔が、何げによぎったのだ。

 最近私達に仕掛けて来た人といえば、彼女が筆頭株だから。 


「誰か、相談出来るような人を……」

 そう七尾君に話しかけたら、視界に一人の男の子が映った。

 私はすぐに顔を逸らして、話を続ける。

「知らない?」

「丁度来たよ」

 こちらに歩いてくる、矢田自警局長を指さす七尾君。

 悪気はないんだろうけど、私は何も嬉しくない。

 別に彼が嫌いな訳ではなく、すぐ怒るし文句を言ってくるから。

 それを嫌ってるといえば、それまでだ。


「雪野さん、ちょっと」

「何よ、私は今忙しいの」

 「ガウ」と吠え、ジョッキをあおる。

 隣では七尾君が、仕方ないなという顔で苦笑している。

「先日のパトロールに関して、生徒から苦情が来ています。携帯許可の出ていたスタンガンを取り上げられたと。浦田君には注意しておきましたが……」

「聞いてない。それに提出書へ書いた通り、それで他の生徒を脅す素振りがあったの。だから取り上げたんじゃない」

「しかし彼は、規則違反を犯していません。口頭の注意で済んだのではないんですか。彼だけでなく、突然怒鳴られたという別な苦情も私のところへ……」

 延々と私達への苦情を並べ立てる局長。

 私は首だけ動かして、ちびちびジョッキを舐めていた。

「……聞いてますか、雪野さん」

「き、聞いてる」

 突然鋭い眼差しで見つめてきたので、激しく頷く。

 この子線が細い割には、たまに迫力あるのよね。

 結局、聞いてないけど。

「とにかく、これからは気を付けるように」

「はいはい、申し訳ありませんでした」

 大げさに頭を下げ、敬礼もする。

「君は、もう少し反省というか……」 

 しかし局長はやるせないため息を付いて、言葉を切ってしまった。

 何よ、まるで私が問題児みたいじゃない。

 こっちは悪い事なんてしてないのに。


「相当手を焼いてるようだね」

「苦情件数が、トップクラスなんです。その処理だけで、半日費やす事があるくらいで」

 今度は七尾君相手に愚痴りだした。

 よかった、後は任せて私は帰ろう。

「雪野さん、どこ行くの」

「帰る。もう用事ないし」

「矢田君に相談したら?生徒会幹部なんだし、力になってくれると思うよ」

「えー?」

 露骨に顔をしかめ、残っていたビールを飲み干す。

 いいじゃない、飲んだって。

「どうかしたんですか」

「君からの苦情伝達役になっている、浦田君。知ってるだろ」

「ええ、一応」

「彼に、悪い噂が立ってるんだ。それが少し気になったから、どうしようかと思って」

 思案の表情を浮かべる局長。

 真剣そうなので、私も茶々は入れない。 

 この人はこの人なりに、私達を思っていてくれるのは知っているし。

 でも、共感は出来ない。

 相性が悪いのよ。

「……ここでは何ですから、僕の執務室へ行きましょうか」 



 まただ。

 またここだ。

 怒られた記憶しかないから、この部屋に来るだけで気が滅入ってくる。 

「あ、どうも」

 お茶を持ってくれた秘書さんに会釈して、局長に声を掛ける。

 正確には自警局の総務課に在籍する、自警局員。

 慣習で秘書と呼ばれているだけで、秘書課を持っているのは生徒会長だけだ。

 その呼び方も慣習という話もあるけど、そこまで知らないしどうでもいい。 

「あなたそんな所にふんぞり返ってないで、彼女にお茶入れてあげなさいよ」

「僕は、今忙しいんですが……」

「彼女だって忙しいわよ。ねえ」

「そういう訳でも」

 おかしそうに笑う秘書さん。

 しょっちゅうここに来ているので、彼女とはもう顔見知りになっている。

 新井さんという、私達と同じ1年生。 

 大手企業への内定が、今から決まっている人でもある。

 それだけ優秀で、見栄えも申し分なし。 

 息子の嫁に欲しいタイプだ。

 と、会社では部長が言うんじゃないの。 

 知らないけど。

「今、入れてきます……」 

 情けない顔で続きの部屋に出ていく局長。

「生徒会幹部をあごで使うなんて、雪野さんも無茶苦茶だな」

「いいの。そのくらいした方が」

「関係ないわよ、私は」

 くすくすと笑った新井さんが、急に辺りを見渡し私の隣に腰を下ろした。


「知ってる、雪野さん?」

「何を?」

「矢田君、女の子と揉めてるって」

「……セミロングの、綺麗だけど怖い感じの子?」 

 嬉しそうに頷いた新井さんは、その綺麗な顔を寄せてくる。

 コロンの香りが鼻をくすぐり、ちょっといい気分。

 同性でも、つい勘違いしそうなシチュエーションだろう。

 私はサトミや沙紀ちゃんで慣れているため、物悲しい気分になるだけだ。

 それはともかく、話を聞こう。

「この間、J棟で怒鳴られてたらしいわ。何でも、中等部での出来事が原因らしいんだけど」

「私も、前期に会った事がある。逆恨みだって、局長は言ってた」

「どうかしら。矢田君その子の事、ちょっとあれみたいよ」

 あれ、か。 

 確かにあの時も、そういう雰囲気はあった。

 ふーん、あの子がね。

「新井さん、他には?」

「ガーディアン連合代表の塩田さんと、生徒会副会長の大山さん。あの二人が怪しいって。勿論、そういう意味でね」

「ま、まさか」

「でも、よく二人で学校に泊まってるじゃない。私も夜中に、一緒にいるのを何度も見かけたもの」

「ないない、それはない」 

 と笑い飛ばす。

 意外とありそうだったので。

 この子はこの手の怪しげな裏情報に詳しいから、私はよくお世話になっている。

 それにお互いいい加減な話だと理解してるため、余計面白いのだ。

 真夜中のグランドに犬と猫が整列してたというのが、最近のヒットだと思ってる。


「あ、戻ってきたみたい」

「続きは、また今度ね」

 素早く立ち上がり、スーツのしわを治す新井さん。

 そして澄ました顔で、端末の画面を見入っている。

 ようやく戻ってきた局長は、彼女に座るよう促しティーカップを置いた。

「上手く入れられませんでしたが、どうぞ」

「申し訳ありません」

 たおやかにティーカップを持ち上げ、楚々と仕草で一口含む。

「……塩田さんと大山さんの噂なんだけど」

 七尾君の言葉に、思わずむせ返しそうになる新井さん。

「え、浦田君じゃないんですか」

「ああ、間違えた」 

 わざとだな、この人。  

 でも、面白かったらいいや。

「し、失礼します。仕事が残ってますので」

 新井さんは真っ赤な顔で立ち上がり、ティーカップを持って部屋を出ていってしまった。

 七尾君へ、恨みがましい視線を残して。

「どうか、したんですか」

「さあ、俺は知らない」

 ドアの向こうから微かに聞こえる笑い声。

 何かを叩く音も、聞こえないでもない。

「……それで浦田君の事なんですが。情報局へ行った方がいいと思います」

「プライベートな情報は、非公開だろ」

「自警局長名で、話を付けておきます。一応僕も立ち会いますから」

 そこまでしてくれるんだ。    

 少し見直した。

 あくまでも、少しね。

「情報局、か。今の局長は誰」

「前期から変わってません」

「すると、生徒会長が兼任してると。なるほど」

 しきりに感心している七尾君。

 今思ったけど、この人ケイに似てるな。

 勿論外見じゃなくて、考え方とかが。 

 さらに、爽やかで男らしい雰囲気もある。

 もしかして、断然こっち?


 下らない事を考えている間に、情報局のブースにやってきた。

 ここは一般生徒に公開されている情報を閲覧する場所で、机の上に卓上端末が幾つも置かれている。

 各生徒が持っている端末でもネットワークから閲覧は可能だけど、より詳細で許可のいるデータもチェック出来るのだ。

 今でも何人かの生徒が端末を前にして、メモやコピーに勤しんでいる。

 またブース内にはインストラクター役である情報局の生徒がいて、彼等の手助けと不正アクセスに注意を払っている。

「ご苦労様です」

 彼等に頭を下げていく局長。

 何してるんだと思ったけど、よく考えたら自警局の局長だった。 

 つまりは生徒会の大幹部。

 という訳で、情報局の生徒達もかしこまって挨拶を返している。

「結構偉いんだね、今気付いた」

「ああ。それに組織は違っても、一応俺達の上に立つ人間だから」 

 一応、の部分を強調する七尾君。

 彼もまた、名前や役職だけで従う人ではないようだ。

「どうかしました?」

「こっちの話」

 素っ気なく答え、ブースの奥を覗き込む。 

 各種の情報を管理する部署はまた別な部屋にあって、一般生徒は勿論生徒会関係者でも立入禁止。  

 そこに立ち入れる情報局の生徒は情報処理関係の企業にも籍があり、厳しい守秘義務を課せられている。

 だからここは生徒会や学校というよりも、外部企業の出張機関に位置付けてもいいくらい。  


「浦田君の情報は、これです」

 近くの卓上端末を使い、データを表示させる局長。

 私と七尾君は身を乗り出して、画面を覗き込んだ。

「成績は結構いいな。細かい点数までは載ってないけど」

「それを閲覧するには、もうワンランク上の許可が入ります」

「でも、数学がひどい。どうやって、進級してるんだ」

 七尾君が、感心とも呆れとも付かないため息を付いた。 

 AからFまでで成績が評価されていて、Fだと不合格。

 ちなみにケイの数学は、中等部から一貫してE-(マイナス)。

 落第寸前である。

「その代わり、国社はいいわよ。Aから下にいってないもん」

「文系と理系のギャップがあり過ぎるんだ。どうなってるんだろう」

「分かんない。だってあの子、二桁の足し算が出来ないんだから」

 フォローしようと思ったけど、結局けなしてしまった。

「二人とも。成績じゃなくて、彼の噂に関して調べて下さい」 

 困った顔でたしなめてくる局長。

 あ、そうか。

 えーと。


「生徒間にある、個人に対する情報。あ、これこれ。七尾君、コピーとって」

「人使い荒いな」

 苦笑して、机にあった空のDDとワイヤレスでリンクさせている。

 ここの備品なので、勝手に使っても問題はないです。

「……出来た。内容が内容だし、場所を変えよう」

「そうね。これ、もらっておくわよ」

「どうぞ。僕は、局次長にお礼を言っておきますので」

 気を使う人だな。 

 本当なら私もそうするところだけど、今は早くこれを調べたい。

「後はお願い。七尾君、行こう」

「ああ。矢田君、また」

 私達が急ぎ足でブースを出ていくと、局長が何か言いたそうな顔をした。

「どうかした」

「いえ、その。さっき、新井さんと……」

「ああ、女の子と揉めてるんでしょ。このお礼じゃないけど、何かあったら私達の所に来て。それか、舞地さんに頼んだら。彼女達は、あなたの部下なんだし」

「そ、そういう訳でも……」

 はっきりしない答えだけど、表情は少し明るくなった。

 人には揉めるなとか言っておいて、いざ自分になるとこれだからな。








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