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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第51話  最終話
579/596

51-3






     51-3




 長い階段を上り、地下鉄の駅から外へ出る。

 その途端感じる、湿り気を含んだ潮風。

 鼻をくすぐる潮の香り。

 ただ感慨に耽ると同時に、少しの憂鬱さも付きまとう。


 振り返って駅への入り口を見れば、「名古屋港」の文字が大きく示されている。

 名古屋港水族館の思い出は良い物ばかりで、憂鬱さとは無縁。

 ただその側にある高校。

 私がもう一つの母校と思っていた場所には、複雑な思いが去来する。

 自業自得と言ってしまえば、それまでだけど。


 大して気持ちの整理も出来ないまま、正門前に到着。

 放課後とあって、生徒の姿は殆ど無い。

 グラウンドの方から、掛け声がかろうじて届くくらいで。

 空はすでに赤く、日が暮れるのも時間の問題。

 影は長く薄く伸び、風も一際冷たくなってくる。

「どこまで行くの」

 正門をくぐったところで話しかけてくるサトミ。

 それは私も迷う所。

 張り紙を貼ったプレハブ小屋くらいは確認したいが、今の私は部外者。 

 草薙高校の制服を来ているため、正直言えば結構目立つ。

 そして目立つのは本意ではなく、ただ他に行きたい場所がある訳でも無い。

「ちょっと見回って、すぐに帰る」

「切ない話ね」

 気のない調子で話すサトミ。

 彼女もここには半年間通っていて、思う事の一つや二つはあるはず。

 それが周りの目を気にしながらの来訪では、文句の一つも言いたくなるだろう。



 幸い誰かに呼び止められる事もなく、プレハブ小屋に到着。

 私が貼った、正直センスのないポスターは健在。

 それには少し安堵する。

「卒業後はどうするの、このポスター」

「残すよ。ここを変な目的のために使って欲しくないからね」

「良い目的のためにも使いづらいと思うわよ」

 それには答えず、ラミネートされたポスターに手を触れる。

 私がこの学校に残した唯一の物。

 私と学校を繋ぐ、微かな絆とでも言おうか。

 あまりにも身勝手で、ささやかな。

「……鍵は掛かってるな」

 ドアに触れ、それを確かめるショウ。

 鍵はシリンダー式で、業者に頼めば取り替えるのは可能。

 ただショウが試すとそれで開いたので、替えてはいないようだ。

 とはいえ室内に興味はなく、ショウも中へ入ろうとはしない。

「じゃあ、帰ろうか」



 重い空気。

 重い足取りで正門を目指す。

 この学校に通っていた時にはあり得なかった感情。

 全てが楽しい思い出とは言わないにしろ、ここまで憂鬱になる出来事はなかった。

 転校後、ガーディアンとしてこの学校に戻ってくる前は。

 とはいえそれも自分が撒いた種。

 誰かに責任を負わせる類の物では無い。

「もう帰るの?」

 静かに、自然な調子で尋ねてくる取手さん。

 気付くと彼女は正門の脇に立っていて、夕日に染まりながら微笑んでいる。

 つい気後れして連絡はしていなかったが、さすがに私達の存在は気付かれていたようだ。

「帰るというか、来れた義理でも無いと思って」

「そうかしら」

「まあ、私の勝手な思い込みでもあるけどね」

 とはいえ諸手を挙げて歓迎されるとも思えず、私達が来る事を喜ばない人の方が多いはず。

 結局は、自業自得という言葉が付きまとう。

「もう卒業なんだから、気にしなくても良いと思うけれど」

「理屈としてはね」

「そういうところ、意外と真面目よね」

 くすくすと笑う取手さん。

 意外と言われても困るが、行動と思考のギャップは多少あるかも知れない。


「最近、学校の様子はどう?」

「すっかり元通り。平穏な日々が過ぎて行くわ」

 振り返られる、茜色に染まった校舎。

 私もかつて彼女と共に通い、共に過ごした。

 そしてその平穏な日々を守るために戻って来た。

 胸の痛みを感じる事もあるけれど、その言葉が聞けただけで少しは救われた気がする。

「もう帰るね。また連絡する」

「わざわざありがとう」

 胸元で小さく手を振る取手さん。

 私達も彼女に手を振り返し、来た道を戻っていく。

 ここへ来るのは、もしかすれば今日で最後。

 今この瞬間さえも、思い出に変わっていく。

 温かく、だけど切ない。

 ささやかで、だけど私に取ってかけがえのない日々は。




 神宮駅で地下鉄を降り、ふと気付く。

「ああ、家まで直接帰れば良かったのか」

 学校に戻る用事はなく、荷物は背中に背負っている。

 地下鉄はすぐに次が来るため、時間的なロスは数分程度。

 ただ、多少の間抜けさは否めない。

「私は学校に戻るわよ」

「何かやるの?」

「残務処理が残ってるの。ユウは暗くなる前に帰りなさい」

「子供じゃないんだからさ」

 とはいえ視力の事を考えれば、早く帰った方が無難。

 学校での残務処理はないが、家で自分の部屋を整理しても悪くはない。

「ショウは?」

「ユウを送っていく。暗くなる前というか、もう暗いだろ」

「ありがとう」

「だったら、また明日」

 足早にホームの雑踏へと消えるサトミ。

 その黒髪はすぐに見えなくなり、私達もホームへ滑り込んできた地下鉄へすぐに乗り込む。


 軽い揺れと少しの混雑。

 帰宅ラッシュの予兆といった程度の混み具合。

 まだ学生の姿が多く、雰囲気としては華やかさが先に立つ。

「士官学校の準備は良いの?」

「持ち込める荷物は限られてるからな。それこそ、着替え程度さ」

「結構大変そうだね」

「好きで行くんだから仕方ない」

 網棚に手を掛けながら笑うショウ。

 大きすぎるの考え物だな、この光景を見ていると。

「何かいる物は無いの?」

「特にない」

「そうかな」

 彼がいらないと言う以上、何も必要はないはず。

 だが、私の中で何かが引っかかる。

「……分かった。今分かった」

 顔の前で手を叩き、目の前にいたOL風の女性にぎょっとされる。

「ああ、済みません。時計、時計。目覚まし時計」

「時計?なんで」

「流衣さんが、風成さんに時計を贈った話。それを思い出した」



 風成さんが昔入院していた頃、流衣さんが自宅と同じ時を刻む時計を彼にプレゼントした。 

 同じ時間を共有するという意味を込めて。

 時計ならかさばらないし、あって困る物でも無い。

 また金額も、私が買える程度の額で収まるはず。

「無理しなくても良いんだぞ」

「私も時計くらい買えるって。……ここ、どこだ」

 視線を彷徨わせ、ドアの上にあるディスプレイを確認。

 次の駅は堀田で、もう少し先が新瑞橋。

 大きなターミナル駅で、即ち地上は繁華街である。




 新瑞橋で地下鉄を降り、地上に出てやはり視線を彷徨わせる。

 今まで何度となく下を通ってはいるし、車で通った事もある。

 ただ立ち寄った記憶はそれ程多くなく、ちょっと縁遠い街。

 私の家からは比較的近いのだけど、こちらへ遊びに来た事はそれ程はない。

 とはいえ大型の商業施設が建ち並ぶのは、どの街も変わりはない。

 知っている店があるかどうかの違いくらいで。

「時計屋さんくらいあるよね」

「あるのかな」

 地下鉄の駅から一番近い、大きな商業施設の中へと入る。

 ファッション関係のテナントが複数入っているビルで、時計屋さんの一つや二つはあるだろう。


 知らない場所なので、まずは地図を確認。

 エスカレーターの横にある店内地図を見て、時計屋さんを探す。

「3階だね」

 エスカレーターに乗り、手すりに手を掛け上を見上げる。

 昔ならここを駆け上がっていたのかも知れないが、今はすっかり落ち着いた物。

 急ぐ用事もないし、のんびり行くに限る。


 やがて3階へ到着。

 もう一度地図を確かめ、その記憶を頼りにフロアを歩く。

「春物が出てるね」

 薄手の上着に視線を向けつつ、目元に手を添える。

 今は眼鏡を掛けていて、どうにもずり下がってくるので。

「調子悪いのか」

「全然。鼻が低いだけ」

 これは眼鏡の構造上ではなく、私の構造上の問題。

 ただ鼻は一生成長するらしいので、今後の課題としておこう。



 さすがに今日は迷わず、時計屋に到着。

 可愛い腕時計を横目に見つつ、目覚まし時計を探す。

「……この辺かな」

 ショーケースの上に置かれた幾つもの置き時計。

 ランドセルくらいのサイズで、人形がひっきりなしに踊っている時計もあるがそれはパス。

 ちょっと意味が違ってくる。

「アナログとデジタルと、どっちが良い?」

「見やすいのはデジタルだろうな」

「なるほどね」

 風情としてはアナログだが、本人がデジタルというのならそちらを選択。

 またアナログよりもデジタルの方が、種類は多い。

「電波時計が多いな」

 自動的に時間を修正してくれるのは便利だが、今の私に取ってはありがた迷惑。

 時間を調整しても、すぐに本当の時間に戻ってしまう。


 それでも幾つか見つけ出し、後は機能とデザイン。

 しかし機能はどれもほぼ同じ。

 となると、デザイン勝負になってくる。

「派手じゃない方が良いよね」

「赤は困るな」

 私が目を付けていた時計を指さすショウ。

 男の子だし、その辺はさすがに困るか。

「だったらこれは?」

 グレーでボタン以外は何も無いシンプルな横に長いデザイン。

 私の手の平に収まるサイズで、ベッドサイドにあっても邪魔にはならないだろう。

「ユウが良いなら、それで」

「私は問題無いよ。えーと、済みません。これ下さい」

 近くを通りかかった店員さんに声を掛け、時計を提示。

 箱に入った、同じ型の時計を持って来てもらう。


 ラッピングしてもらった時計をショウに渡し、エスカレーターで下の階に降りながら彼に尋ねる。

「他に何かある?」

「無理するなよ」

「無理はしてないんだけどね」

 無限にお金を持っている訳では無いが、彼に何か出来るのも今の内だけ。

 だったら、それこそ多少の無理はしておきたい。

「じゃあ、種」

「はい?」

 言っている事の1/10も分からず、すぐに聞き返す。

 ショウにもそれが通じたのか、自分で「ああ」と呟いた。

「朝顔の種。あれを、向こうで育てる」

「そういう意味。だったら、帰りに渡すね。他には」

「もう十分だ」

 頭の上に置かれる大きな手。

 それでは私の気が済まないと言いたいが、あまり押しつけても彼に負担かも知れない。

 何より一生の別れという訳でも無いし、多少心残りの方が良いのだろうか。

 違うかも知れないけどさ。




 玄関先で種を渡し、今日はここで彼と別れる。

 彼自身準備はしなくても、家族の気持ちはまた別。

 少しでも一緒にいたいと思うだろうから。

「今日は食べていかないの?」

「色々忙しいんだって」

「ふーん」 

 お玉片手にキッチンへ戻るお母さん。

 私も部屋へ戻り、着替えを済ませて一階へ下りてくる。


「作りすぎたって事は無いよね」

「一応、食べるかどうかを確認してから作ってる。これからは、ちょっと寂しくなるわね」

 テーブルに置かれるオムライスと鮭のソテー。

 ちょっとではないと思いながら、手を合わせてスプーンを手に取る。

「いつ行くの?士官学校には」

「卒業式後」

「卒業式、ね。本当、卒業出来て良かったわ」

 私以上に安堵の表情を浮かべるお母さん。

 とはいえこちらは、一度退学になった身。

 今は、姿勢を低くしてやり過ごすしかない。




 食事を終えてお風呂に入り、リビングでアルバムを眺める。

 中等部の頃から最近までの分全部をテーブルに積んで。

 体格は勿論、これに映り込まない中身もそれぞれ変化をしてきた。

 サトミは昔に比べて丸くなったと思うし、それはショウも同様。

 モトちゃんは一層貫禄が出てきたと思う。

 ただ木之本君は今も昔も優しくて気遣いが出来、良い意味で変化はない。

 ケイも変わらないけど、あまり良い意味とは言えないな。


 対して自分はどうだろうか。

 いくら小柄とはいえ、さすがに中等部の頃よりは成長をしている。

 しかし内面は、みんなほどの変化はない気もする。

 多少落ち着いてきたとはいえ、あくまでも多少。

 サトミ辺りに言わせれば、今も昔も私は私。

 それがいいかどうかは別にして。

「昔を懐かしむ年でもないでしょ」

 アルバムを一つ手に取り苦笑するお母さん。

 確かに私はまだ18才。

 振り返る人生もそれ程はない。

「お母さんはどうなの」

「優みたいに波瀾万丈な人生は送ってないから、改めて振り返る程でもないわ」

 そんな物だろうか。


 という訳で雪野家のアルバムを持ってくるが、確かにあっと驚くような写真は無い。

 基本的に家族写真で、途中から私が増えているくらい。

 包帯を巻いていたりとか、何かが破損している写真は出て来ない。

 それは雪野家に限らないとも思うが。

「まだまだ、これからか」

「……何が」

「いや。全然分からない」

「もう寝たら」

 どうやら、そうした方が良さそうだ。




 少し早めに布団に入り、気付けば朝。

 その分体は軽く、寝覚めも良い。

 ちょっと寝過ぎたくらいで、外を走る余裕は無さそうだが。


 服を着替えて一階へ下り、用意されていた食事をテーブルへ運ぶ。

「頂きます」

 ご飯に焼き海苔と漬け物。

 おかずは他にもあるが、私としてはこれだけでも十分。

 後はみそ汁と熱いお茶があれば良い。

「今日はどうするの」

「何が」

「寮の片付けとか友達と騒ぐとか、予定があるのかと思って」

「寮は大体片付け終わってる。騒ぐ予定は、どうなんだろう。今日ではないと思うけど、その日になったら連絡する」

「後は挨拶回りじゃないの。今までご迷惑をお掛けしましたって」

 深々と頭を下げるお母さん。

 あながち間違えても無いだけに、コメントのしようが無い。


 ご飯を食べ終え、余裕が少しあるのでテレビを観る。

 するとお父さんが、新聞越しにこちらをちらちらと眺めてきた。

「どうかした?違うチャンネルの方が良い?」

「いや。そうじゃないけどね。卒業後に話したい事があるとか言わないよね」

「それこそ特にないと思うよ。お礼を言うくらいじゃないの」

 笑ってみせるが、お父さんはくすりともしない。

 どうもこの流れは、嫌な方へと向かってる。

「私、そろそろ出かけるから」

「僕も行こうかな」

 同時に立ち上がってくるお父さん。

 良いんだけど、ちょっと嫌だな。




 温み始める朝の空気。

 無論まだ上着やマフラーは必要だけど、下の方から凍えるあの感覚は日々薄れつつある。

 真冬から春へ移りゆく時期。

 私も卒業。

 物事が変化する時でもある。

「大学を出てからでも遅くはないと思うんだよね」

「はぁ」

「いや。僕も大学在学中に結婚はしたんだけどね」

 説得力0の事を言いながら私の隣を歩くお父さん。

 返事のしようもないな、これは。

「まずは自分達の足元を固めて、住む場所も見つけて。お互いが安定し合ったところで、ようやく話し合っても良いと思うんだ」

「はぁ」

「いや。優が小さい頃、僕はシベリアに抑留されてたんだけどね」

 何が言いたいのか意味不明だな、もう。



 バス停でお父さんと別れ、私はタイミング良くやってきたバスに乗り込んで高校へと向かう。

 言いたい事は分かるし、私達も今すぐ結婚するつもりはない。

 ただ婚約はちょっと考えていて、その事は少し匂わせておいた方が無難だろう。

「何笑ってるの」

 突然声を掛けられて隣を見ると、村井先生に見下ろされていた。

 随分余裕だな、この人。

「遅くないですか」

「私も色々と忙しいのよ。卒業前なんだから」

「ふーん」

 教師が忙しいのは、卒業式よりも採点やら通知表に関しての気がする。

 とはいえ今更愛想を振りまいても遅く、突然評価が数段階アップするとも思えない。


「最近大人しいわね」

「元々大人しいですよ」

 一斉に見てくる周りの生徒達。

 どう考えても知らない人ばかりで、いかに自分の評判が悪いかを思い知る。 

「卒業式までは大人しくしてなさいよ」

「暴れる要素が無い限り、何もしません。というかいつでも、理由があって行動してしてたんですよ。無意味にではなくて」

 やり過ぎた事はあるかも知れないが、全ての責任を押しつけられるのは心外。

 その事は強く主張したい。

「理由はこの際良いのよ。とにかく無事平穏に卒業しなさい」

「私はそのつもりです。ただ何かあれば、当然行動はしますけどね」

「はぁ」

 肩を落としバスを降りていく村井先生。

 そういう態度は無いと思うが、悠長にその背中を眺めてる場合でも無い。


 私もバスから降り、大勢の生徒に混じって正門へと向かう。

 大声の挨拶も、生徒会の姿も何も無し。

 ただ特に寂しいとは思わず、これこそ平穏な日々。

 挨拶自体は悪く無いが、強要されると一気に気分が悪くなる。



 教室に到着し、筆記用具を並べているとサトミが登校してきた。

「おはよう。朝、村井先生に会ったよ。卒業式までは大人しくしろって」

「私も同意見ね」

 しれっと答え、後ろに座るサトミ。

 つくづく、自分の過去を振り返らないな。

「何よ」

「別に。それとお母さんが、挨拶回りをしたらって」

「迷惑を掛けた人も多いし、良い考えね」

 自分についてはどうなのよ。


 二人で睨み合ってる内にモトちゃんがやってくる。

「あなた達は、朝から何してるの」

 呆れた顔をしつつ、抱えていた大きな封筒をサトミに渡すモトちゃん。

 中から出てきたのは数枚の書類。

「……最優秀生徒、最優秀評価生徒、優秀生徒。何、これ」

「前言ってたでしょ。最優秀生徒を選ぶって」

「最優秀生徒はモトちゃんとして、他のは?」

「評価は、サトミ。3年間学年学内トップなんだから、文句の付けようがないわね」

 最優秀は主観的な部分もあるが、成績に関しては限り無く客観的。

 実際3年間不動のトップでは、誰も太刀打ちしようが無い。

「卒業式の際に表彰するから、覚えておいて」

「そういうの、苦手なの。表彰はキャンセルするよう、伝えておいて」

「仕方ないわね。とにかく、お礼の言葉くらいは考えておきなさい」

「スピーチもしないわよ」

 苦笑してサトミの頭を撫でるモトちゃん。

 出来れば聞いてみたいところだが、無理強いすれば逃げるだろうな。


 でもって残ったのは、優秀生徒。

 その一枚が、私の前に滑ってくる。

「運動の分野に関して優れた成績を収めたので、これを賞する。……私の事?」

「ええ。代表で表彰状を受け取っても良いわよ」

「遠慮する」

 義務ならやるが、積極的にやりたい事でも無い。

 ただ書類はもう一枚追加され、それにはショウの名前が載っている。

「後は木之本君も。こちらは、生徒活動での評価ね」

「ふーん。……あ、来た来た」

 揃ってやってくるショウと木之本君。

 二人に書類を渡して褒めていると、その後ろを幽鬼みたいな足取りでケイが通り過ぎていった。

「私、優秀だって」

「俺には無縁な話だ」

「捏造すればいいじゃない」

「どこまで虚しいんだ、それは」

 朝から珍しく笑うケイ。

 確かにこれは、名誉に関する事。

 実績の改ざんはまだしも、名誉を捏造するのは相当に間が抜けている。


 とはいえもらってないのは彼一人。

 もらえた義理でも無いし、それには反対する人も多そうだが。

 まあ、処分されないだけまだましか。

 私も含めて。




 やがて村井先生がやってきて、朝のHRが開始される。

「……連絡事項は以上。元野さん達は、全員私の所へ来るように」

「どうして」

「……来るように」

 だからそのくらい、初めに教えてくれても良いじゃないよ。


 言われるまま教壇の周りに集まると、彼女は私達全員を一人一人見渡した。

「朝雪野さんも言ったけど、卒業式までは大人しくしているように。学校もあなた達を高く評価してる。その期待にも背かないように」

 さっきの、最優秀とか優秀の事か。

 とはいえ、それはそれでこれはこれ。

 評価を取り消されようと、理不尽な事を見過ごす訳には行かない。

「くれぐれも、大人しくしてなさいよ」

 私を見ながらの台詞。

 余程顔に出ていたようだ。

「だからって、目の前で問題があったらそれを解決しようとするのは当然でしょう」

「見過ごすとか他に任すとか。そういう発想はないの?」

「今目の前で起きているのなら、自分が行動するしかないじゃないですか。評価なんてどうでも良いですよ」

「……そういう事は、私以外の前では言わないように」

 ため息を付きつつ教室を出ていく村井先生。

 何よ、まるで私が悪いみたいじゃない。




 1時限目も自習。

 もういっそ、家で寝てたいな。

「あーあ」 

 大きく伸びて、机に伏せる。

 こうしていれば暴れるも何も無く、大人しくしているのと同じ事。

 自堕落なんて言葉も思い付くが、その辺は気にしないでおく。

「ユウ、出かけるわよ」

「行ってらっしゃい。私はここで寝て過ごす」

「挨拶回りをするんでしょ。ほら、早く」

 襟を掴んで引き起こすサトミ。

 だから、猫の子じゃないんだって。



 その辺の壁でも叩きたくなるが、さっき大人しくするようにと言われたばかり。

 結構、言い得て妙だな。

「それで、どこ行くの」

「取りあえず学内でお世話になった人全員ね」

「学内で、お世話。誰かな」

 まずは天崎さん、次に古典の先生。

 後は誰だろう。食堂のおばさんとか購買の職員しか思い付かないな。


 到着したのは校長室。

 モトちゃんの挨拶を後ろで聞きつつ、お世話になったのかなとも失礼な事を考える。

 とはいえ私達が復学出来たのは、彼女が許可をしてくれたから。

 お礼を言う理由はあっても、恨む理由は無い。

 いや。別に恨んではないけどさ。

「とにかく勉強をして、何事も無く卒業してくれればそれで結構。卒業式までは、大人しくしているように」

 にこやかに話す校長先生。

 でもって、すぐにその笑顔が強ばった。

「どうして睨むの」

「え」

 指を差されたので目元に手を添え、軽く揉む。

 殆ど条件反射だな。

「私は大人しくしてますし、好きで暴れた訳でもありません。大体……。いや、もういいです」

「分かってくれればそれで良い。それとあなた達は表彰される程評価を受けてるのだから、その点も意識するように。周りはそういう目で見てくるし、後輩にも影響するのよ」

 後輩、か。

 それを言われると辛いというか、さすがに私も考えてしまう。

 今更取り繕ってもとは思うけど。



 次にやってきたのは、教務担当管理官執務室。

 天崎さん。

 つまりはモトちゃんのお父さんに会いに来た。

「良かったよ、無事に卒業出来て」

 ゆったりと椅子に腰掛け、ため息を付く天崎さん。

 地味に失礼な事を言われてる気がしないでもない。

「でも智美が最優秀生徒というのは、どうなんだろう」

 案外、自分の娘に対しては評価が低いな。

 もしくは、元々の基準が高いかだ。

「娘さんは状況によっては、生徒会長になってましたからね。むしろこれでも控えめな評価ですよ」

 淡々と告げるサトミ。

 モトちゃんはその隣で、苦笑をしているが。

「まあ、名誉な話ではあるが。私はいまいち、そういう事には疎くてね」

「でもモトちゃんは、表彰は何度もされてますよね」

「だから逆に、誰でももらう物だと思ってたんだ」

 すごい話だな。

 そもそも世界観が根底から違うんだろう。

 私がもらう物なんて、処分の通知がせいぜいだ。



 不意に開くドア。

 そしてお弁当箱。

「お父さん、お昼ご飯を。……あら、どうかしたの」

 お弁当箱を抱えながら私達を見てくるモトちゃんのお母さん。

 それは私達の台詞だと思う。

「天崎さんにご挨拶をと思いまして。私達も卒業ですから」

「わざわざありがとう。ともかく、みんなで卒業出来るのは良い事よ」

 にこやかに語るお母さん。

 それは私も本心から思う。

 この中で誰か一人留年とか退学になったら、せっかくの卒業も台無し。

 つまり、昨年度の私達がいかにひどかったかという話にも繋がる。




 執務室を後にして、今度は職員室へとやってくる。 

 机の間を抜けて行くと、窓際の日向でお茶をすすっている古典の老教師と目が合った。

 この学校に教師は大勢いるが、勉強も含めて一番教わったのはこの人だと思う。

「おや。まだ授業中ではないんですか」

「自習なので、ちょっと抜けてきました。それと先生に、卒業のご挨拶をと思いまして」

「もうそんな時期ですか。時が流れるのは早いものですね」

 遠い目で窓の外を見やる老教師。

 彼はこうして、何人もの生徒を送り出してきたんだろう。

 私達もまた、その中の一人になる訳だ。

「卒業しても、源氏物語の勉強は続けて下さいね」

「私、あの話は好きじゃないんですけど」

「楽しいばかりが人生ではありませんよ」

 この人が言うと、例えようもなく重く感じられるな。

 とはいえ、あまり勉強をしたくないのは変わらないが。

「昔は良くあったんですけどね、生徒のお礼参りが」

「最近はどうなんですか」

「去年を除いては、至って平穏ですよ」

 乾いた笑い声を上げる老教師。

 耳が痛いどころの話じゃないな。



 挨拶を済ませて教室を出ていこうとしたところで、ジャージ姿の女性教師が飛び込んできた。

 私達の体育の受け持ちで、普段はグラウンド脇の体育教師室にいるはず。

 とはいえ、挨拶に行く手間は省けた訳だ。 

「どうかしたんですか」

「追試を受ける生徒がいてね。普段の素行を調べに来たの」

 思わず顔を見合わせる私達。

 とはいえそんな連絡は受けておらず、それぞれが胸を撫で下ろした顔になる。

「落第はしないんですよね」

「原則、何があろうと進級させるのがこの学校なの。原則ね」

 暗に去年の事を言われてる気がする。

 実際退学になったんだから、返事のしようもないんだけど。

「本当、最後の最後まで苦労するわ」

「手が掛かる生徒ほど可愛いとか」

「あはは」

 怖い顔で笑われた。

 これ以上は、ここにいない方が良さそうだ。




 そんな事をしている間に、気付けばお昼。 

 食堂はかなり空いていて、色々言われても3年生は出て来ない生徒も多いのだろう。

 私も休みたいと思わなくもないが、何しろ一度退学になった身。

 学校へ通えるだけありがたい、なんて意識も少し働く。

「ちょっとメニューが寂しいね」

 個別のサイドメニューは殆ど無し。

 通常のフリーセットも、おかずの数が少ない気もする。

「こんなの、まだまだ」

 和食のセットメニューである豚肉丼を頼み、さっさとテーブルへ向かうケイ。

 何がこんなのかは知らないが、ショウと木之本君も至って真面目な顔で頷いている。

「裏メニューみたいな物でもあるの」

「近からず、近からずだな」

 違うなら違うって言ってよね。



 私は上海焼きそば。

 野菜多めで、ヘルシーなイメージがあったから。

 ただ出てきたのは、普通の焼きそばとスープだけ。

 後は漬け物が、申し訳程度に添えられている。

「どこが上海なのかな。……少し焦げてはいるけどさ」

 テーブルについて、もそもそと上海らしい焼きそばをすする。

 ショウ達は何も言わず、黙って豚肉丼を掻き込んでいる。

 食事時なのに、いまいち盛り上がらないな。

 盛り上がる理由も無いんだけどさ。

「もう少し食べたいと思わないの?」

「急に食欲でも湧いたのか」

「いや、品数を」

「去年だったかな。朝にポテトサラダサンド、昼もポテトサラダサンド。夜はポテトサラダホットサンド。お土産に、ジャガイモ持ち帰り放題だったよ」

 訥々と語るケイ。

 ジャガイモは嫌いではないが、三食ポテトサラダはちょっと困る。

「何かに挑戦したの?」

「冬休みや夏休みは寮生が帰省するから、メニューが限られるんだよ。今日のメニューから見ると、豚を買い込んだと思う」

「へぇ」

 中等部で3年間、高校で2年あまり。

 寮で食事をしてきたけれど、そんな事初めて知った。

 というか、卒業間近になって知った。

 こんな時に新発見をするなんて、ちょっと驚きだな。

 それも嫌な意味で。



 荒んだ空気の中昼食が終わったので、気分を変えるために購買へとやってくる。

 幸いここの品数はいつもと同じ。

 迷わずふ菓子を買って、それをかじる。

 いつも通りの優しい味。

 お腹にももたれず、やっぱりふ菓子に勝るお菓子はないな。

「あなたは、最後までそれを食べるのね」

「これ以外選択肢が無いからね。チョコバーを除けば」

 美味しいお菓子は他にもあるし、食べる事もある。

 ただ好きなのを選べと言われれば、まずふ菓子。

 チョコバーは、ちょっとお腹を膨らませたい時だろう。

「頑なと言うか、変化しないというか」

 そう言って、お茶だけを飲むサトミ。

 この人こそ駄菓子を買った事は、殆ど無いはず。

 どちらが頑なかは、私もちょっと突っ込みたい。




 授業は午前中で終了。

 後は自警局へ行くだけだが、その自警局でも取り立ててやる事は無い。

 私物の整理も済ませているし、私の場合元々固定の仕事がある訳ではないので。

「あーあ」

「……何、急に」

 詰問するような視線を向けてくるサトミ。

 本当、何にでも理由を求めるよな。

「別に。自警局でもやる事が無いなと思って」

「何も無くて結構じゃない」

「まあ、ガーディアンとしてはね」

 ガーディアンが暇なのは、それだけ平和だから。

 学内が落ち着いていればそもそもガーディアン自体が必要無く、それはサトミの言うように理想の形。

 存在自体が無意味とは言わないけれど、ガーディアンが絶対必要な状況こそが本来は異常とも言える。



 自警局に到着するが、予想通り仕事は無し。

 ただそれは私だけでなく、他の3年生も似たような物。

 仕事より身辺整理、荷物の片付けをしている姿が目立つ。

 残り後2週間あまり。

 他に片付ける事ややるべき事があれば、あまりのんびりもしていられないだろう。


 とはいえ私は他にやる事もないので、例のソファーに座ってタオルケットを膝に掛ける。

「えーと、これか」

 残しておいたはらぺこぺこりを手にとり、表紙をめくる。

 タイトルは、「ラーメンの憂鬱」

 かなりシュールなタイトルで、内容も今読むと結構すごい。

 とはいえ子供の頃は何も意識せず読んでいて、無邪気に笑っていた気がする。


 内容は、ラーメン屋さんの悩みについて。

 結構な繁盛店だけれど、いつもお客がスープを残すのが主人の悩み。

 残したスープがいつしか池になって、川になる話。


 はらぺこぺこりの解釈本は幾つか出ていて、ラーメンの憂鬱も複雑な解釈がされていた。

 ただ作者はそこまで深く考えてはおらず、単に子供が喜ぶような内容を書いただけらしい。 

 お菓子の城のノリだろう、つまりは。



 コショウを先に入れるか後に入れるかで戦争を始める政治家達に心の中で突っ込んでいると、衝立越しに見下ろされた。

「先輩、ちょっと良い?」

 良いも悪いも無いので、目の前のソファーを指さす。

 神代さんは衝立を回り込み、ソファーに座ってため息を付いた。

「私、来期からどうしたらいいと思う?」

「どうもこうも、今まで通りで大丈夫じゃないの」

「役職が付くんだよ」

「だからって肩肘張ったり、威張る必要もないでしょ。頑張るのは構わないけど、違う事をやろうと思えば大抵失敗するよ」

 というか、私に相談されても困るんだけどな。


 もう一度のため息。

 私はタオルケットを横に置き、はらぺこぺこりを彼女に渡した。

「それ、読んでみて」

「どうして」

「サトミじゃないんだから、理由を考え過ぎなくて良いんだって。脳天気にやれとは言わないけどね」

「それが出来ないから、苦労してるんじゃない」

 雑にページをめくる神代さん。

 いまいち内容に集中しているようには見えず、どうも思い詰めすぎてるな。

 そういう性格だから仕方ないには仕方ないんだけど。


「私より、モトちゃんに相談したら」

「そんな、恐れ多い」

 おい。

 だったら私は、どういう目で見られてるのよ。

「大体私も先輩って柄じゃないから、相談されても困るんだよね」

「はぁ」

「それにこの1年間は先輩としても振る舞ってるんだから、心配する事は無いんじゃないの」

「そうかな」

 少し安心したような顔。

 私のアドバイスが大した影響を与えたとは思わないが、こういう顔をされるとこちらもほっとする。

「他の子も不安がってるの?」

「どうだろう。チィはいつも通りだったけど」

 不安で小さくなる渡瀬さんも、確かに想像はしづらいな。

 だからこそ、私もあまり気に病まなくて済みそうだ。

 私の後を継ぐのは彼女なんだから。



 ちょっと元気を取り戻した神代さんを見送り、ソファーへ戻る。

 それにしても、私に相談か。

 される度に、つくづく自分には不向きだなと思う。

 とはいえこんな思いを抱けるのも、後2週間あまり。

 全ては限りある時間の中での話。

 今の気持ちも含め、大切にこの胸に抱えていこう。













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