50-8
50-8
行きはよいよい帰りは怖い。
ではないが、簡単に帰れないのは確か。
火事騒ぎで玄関には警備員が集まっているはずで、窓を伝って降りるのも新妻さんがいるので難しい。
「やっぱり、堂々と外に出て行く?」
「付いてきて」
髪をなびかせてきびすを返す新妻さん。
彼女が向かったのは廊下の突き当たり。
その先には壁があるだけで、非常階段すら見当たらない。
彼女は何も無い壁の前に立つと、その壁を黙って指さした。
「どうかしたの?」
「何も見えない?」
「目が悪いから」
「そうだったわね、ごめんなさい」
申し訳なさそうに謝る新妻さん。
そして彼女は壁に手を触れ、指で壁をなぞり始めた。
「切れ込みがあるの」
「隠し扉?」
「端的に言えば」
新妻さんが壁を押すと、さながら忍者屋敷のように壁が回って奥の通路が見えた。
「何これ」
「古い草薙高校の名残だろ」
少し悪い顔をするケイ。
名残で思い付くのは、噂の拷問部屋。
そのものではないにしろ、それに関係した通路という意味か。
とはいえ真正面から出ていくよりはましと思い、新妻さんの後に続いて壁を抜ける。
一応警戒したが、中は至って普通の通路。
少し狭くて照明は暗いものの、歩く分には問題ない。
「そこ、閉めてね」
「ああ」
空いた壁を押して、元の位置へ戻すショウ。
すると壁はすぐにふさがり、またこちらから見ると取っ手が付いている。
「色々と曰くはあるけれど、拷問部屋は存在しないわよ」
「そうなんだ」
「ここにはね」
それ程楽しくはない台詞。
とはいえ、そこへ連れて行かれないだけまだましか。
通路にはドアも窓も何も無く、ただひたすらに壁が続くだけ。
時折階段があって、それを降りる時もあれば上る時もある。
今自分がどこにいるのかは全く見当が付かず、屋上に出ても驚かないと思う。
「脱出通路と言われているけれど、隠し金庫に通じてると考えた方が的確ね」
「隠し金庫?」
「時折現金で決済する必要があって、その現金を保管しておく場所の事。さすがに現金をその辺には置けないでしょ」
そう言って笑う新妻さん。
現金といっても、それは額によると思う。
ただ置いておくと悪い事が起きそうな額なので、多分私が想像しているより二桁か三桁は0が多いんだろう。
幸か不幸か隠し金庫には付かず、ようやく行く手にドアが現れた。
新妻さんがコンソールのスリットにIDを通すと、そのドアが音もなく横へスライドする。
「……どこ、ここ」
「地下鉄の構内。駅員も知らない場所よ」
長い距離を歩いたと思っていたが、そんなに遠くまで来てたのか。
ドアをくぐると、確かによく見る駅の壁。
タイル柄の薄い黄色のあれだ。
「後は外へ出るだけね」
慣れた調子で歩いていく新妻さん。
ここもまだ隠し通路の途中らしく、通路自体は狭く誰かが向こうから歩いてくる事も無い。
「いっそこのまま地下鉄に乗って、逃げ出したいわね」
小声でのささやき。
何かを言おうとも思ったが、どちらかと言えば一人言。
私の言葉を待っている訳では無いだろう。
「逃げ出す程の度胸もないのだけれど」
再び現れるドア。
今度もコンソールのスリットにカードを差し入れ、モニターを確認しながらドアをくぐる。
その先は、本当に駅の構内。
よく分からないがかなり奥まった部分で、人が来るような場所ではないようだ。
「こんな場所もあるんだね」
「戦時中、物資を保管していた場所だと聞いているわ。地下壕代わりにも使っていたみたいね」
「ふーん」
新妻さんに付いて歩いていくと、やがて見慣れた駅の景色へと変わっていく。
改札に階段。
そして地下鉄の到着を告げるアナウンス。
それを聞いて、ようやく戻って来たのだと実感をする。
階段を歩いている時は、正直かなり不安だったので。
駅の外へ出て、冬の日差しに目を眩ませる。
いつもは頼りないと思っているが、ずっと奥底にいたせいかめまいを覚えるくらい。
これは、私の目が悪いためでもあるとは思う。
「大丈夫か」
目元を押さえてる私を気遣ってか、心配そうな声を掛けてくるショウ。
すぐに手を振って問題ないとの意思を示し、軽く首を振る。
「急に明るくて疲れただけ。治ってないね、まだ」
「歩けるか」
「もう元に戻った。でも一応、サングラスは掛けてみる」
ポケットから取り出したサングラスを掛け、負担を軽減。
これはこれで視界を妨げられるが、明るさで疲れるよりはまだ良いだろう。
「あなたも、色々苦労してるのね」
「私が?そうかな」
「自覚をしていないのが、あなた達の良い所よ」
「悪いところだろ」
久し振りに喋ったと思ったらこれか。
そのまま学校へ戻ると、正門から出てきた消防車とすれ違った。
「火事は大丈夫だったの?」
「枯れ草が燃えただけだ。たき火だよ、たき火」
平然と答えるケイ。
世話になって言うのも何だけど、ひどい以外の言葉が見つからないな。
「それで、この後はどうするつもり」
足を止め、静かに尋ねてくる新妻さん。
特に考えて無いとは言えず、ただ彼女が私達に付いてきてくれただけで私は満足。
事は成ったと言って良い。
「まだ全然終わってないぞ」
「分かってる。ようはあの職員や弁護士をどうにかすれば良いんでしょ」
「出来るのなら」
「やってやれない事は無いのよ、この世の中に」
自警局へ戻ると、仁王立ちしているサトミに出迎えられた。
「火事って何」
「たき火だ、たき火。煙が多くて、勘違いされた」
「そういう犯罪まがいの行為が許されると思ってるの」
「悪い奴が多いよな」
反省の欠片もない態度。
サトミはケイを刺すような目で睨み、床を指さした。
「しばらく反省してて」
「おやすいご用だ」
喜々として正座するケイ。
誠意の欠片も感じられないと来た。
少しして、難しい顔をしたモトちゃんが受付に現れる。
「……何してるの」
「先駆者は、いつの世も虐げられる」
「せめて、壁際でお願い」
「俺にふさわしい場所だよな」
四つん這いで壁へと移動するケイ。
もう言葉も無いよ。
新妻さんは気まずそうに視線を逸らし、一言も発しようとはしない。
それを見かねたのか、モトちゃんの方から彼女へと歩み寄る。
「ごめんなさい。私達が至らなくて」
「……謝られる理由は無いけれど」
「私の心情的に謝りたかったの」
「元野さん達に迷惑を掛けただけじゃなくて。勿論、このままで済むとは思ってないわよね」
自重気味に笑う新妻さん。
彼女は停学、もしかして退学まで視野に入れて行動をしていたかも知れない。
その行動を妨げたのは私達で、それで少なくとも彼女は救われた。
ただ新妻さんと共に行動をしていた。もしくは利用しようとしていた人間にとっては面白く無い話。
とはいえそんな事は今に始まった話ではない。
職員だろうと弁護士だろうと、敵ならば戦うだけ。
理不尽な仕打ちには、断固として抵抗するだけだ。
噂が流れたのか、情報を辿ってきたのか。
案の定やってくる、先日出会った弁護士達。
この先はサトミ達の出番。
私は一歩下がって、様子を窺う。
「大丈夫だよね」
「弁護士くらいで慌てていては、草薙高校の生徒は勤まらないでしょ」
「ケイも前、そんな事言ってたな」
「……前言を撤回するわ」
それは無いだろうよ。
弁護士達は私には目もくれず、腕を組んで顎を逸らしているサトミへ挑み掛かるような視線を浴びせかけた。
「賊をかくまってるそうですね。放火、不法侵入、不正アクセス。高校生でも、実刑は免れませんよ」
「まさか状況証拠だけで、そう仰ってはいないですよね」
冷ややかに尋ね返すサトミ。
先頭にいた弁護士は目付きを悪くし、胸元にあるバッチを指さした。
「私は弁護士。法律論で戦うつもりですか」
「法律を知っているのが弁護士だけとは限らないでしょう。そんな独占資格が国内に存在するとは、聞いた事もありませんが」
「我々弁護士は、国家とも対等に渡り合える資格があるんですよ。その意味が分かりますかね」
「それは単に身分保障の問題であって、弁護士が優れている事の証明にはならないでしょう。何か勘違いしてませんか」
辛辣な、心の奥を刺すような口調。
弁護士は顔色を変えて、サトミを指さした。
「名誉毀損で訴えられたいのか」
「即日反訴しますから、そのつもりで。なんでしたら、今すぐ訴状を書きましょうか」
「なんだと?」
「当方の弁護士や司法書士を買収するつもりでしょうが、無意味な事は止めた方が良いでしょう。ちなみに今回は、私が司法書士として登記を行いましたので。仮に全員が買収されようとも、それは徒労に終わる事をお伝えしておきます」
「お、お前は高校生だろう」
「司法書士の受験に、年齢制限はありませんよ。当然ご存じですよね」
顔写真入りのカードを示すサトミ。
私にはよく分からないが、司法書士としての身分証なのだろう。
先頭に立っていた弁護士は舌を鳴らし、いきり立った顔でサトミを指さした。
「登記と犯罪の問題は、全く別だ。犯罪者をかくまってる時点で、お前達も有罪だ」
「法廷では無いですから、証拠を示せとは申しませんが。個人の行動を指摘するのであれば、私達もあなた方の素行を述べさせて頂きます」
「なに?」
「敵の素行調査を行うのは当然でしょう。無論真っ当な人生を送っていれば、調べられて困る事も無いでしょうが」
いつの間にか取り出したDDをちらつかせるサトミ。
弁護士が血相を変えて手を伸ばすが、それはショウのハイキックではね除けられる。
「貴様。暴行の現行犯だぞ」
「痴漢未遂犯を遠ざけたのですから、彼の行為に非はありませんよ。むしろ逮捕権を行使したいくらいです」
「ふざけるなよ、お前」
「……分かりやすく言いましょうか。我々は借地権を譲る意思は一切なく、あなた達を草薙高校への背信行為として告訴する事も検討しています。これは私の個人的な意思ではなく、草薙グループとしての総意です。どうしてもと言うのであれば、次は法廷でお会いしましょう」
改めて取り出される書類。
そこには草薙グループからの委任状という文字が読み取れる。
内容はやはり分からないが、弁護士が後ずさるだけの事は書いてあるようだ。
「お引き取りを」
「貴様。このままで済むと思うなよ」
「名古屋弁護士会にも同様の訴状を届けておりますので、まずはご自身の弁護士資格がいつまで有効かを確かめたらどうですか」
「何」
「お引き取りを」
サトミを指さしたまま後ずさる弁護士。
そしてそのままずるずると下がり、気付くと廊下の彼方まで去っていた。
残りも臑に傷がある身なのか、当然と言わんばかりにそれへと従う。
サトミはDDと書類をケイに渡し、酷薄な表情で彼を見据えた。
「素行調査はともかく、委任状なんてあったかしら」
「何なら事後申告でも問題無い。大切なのは真実じゃなくて、連中が信じる事。後は行く先々で言い訳をしてくれれば、自分で犯罪を告白する形になる」
「本当、最低ね」
「善人には生きづらい世の中って事だよ。それと、スタンドプレーも程々にってね」
それはさっきの連中に対してか。
もしくは、新妻さんに対してか。
私達全員に、という考え方もあるが。
「これにて一件落着。さて、どうする」
どうするとは、今後の事に付いてではない。
間違いなく、新妻さんの処遇について。
ただその判断をするのは、私ではないしケイでもないはず。
モトちゃん、それとも新妻さん本人だろう。
「初めに言っておくけど、退学は認めないから。責任を取って留年というのも無し。それ以外の意見があるなら、言ってみて」
「あなた、結構ひどいのね」
「退学して、その後に残された気分ってどの程度分かる?」
私達をまじまじと見ながら話すモトちゃん。
1年越しに怒られるとは思わなかったな。
「意見がないのなら、関係者全員に謝ってきて。それで終わりにしましょう」
「そこはぬるいのね」
「謝る以外に出来る事なんて、何も無いじゃない。反省して謝って、それを許して終わり。世の中、そういう物なのよ」
随分と大きくまとめるモトちゃん。
サトミは何か言いたそうだが、彼女がそう決めたのなら私達が異論を挟む余地は無い。
という訳で、新妻さんは謝罪へ向かう。
残された私達はこれで解散。
「では今から反省会を開きます。全員、私の部屋へ来るように」
「良くやるよ」
「全員、来るように」
ケイを見ながら話すモトちゃん。
終わる訳は無いか、やはり。
大きな椅子に座り、机に肘を付くモトちゃん。
彼女はまず、サトミへと視線を向ける。
「弁護士とやり合う事自体は構わない。ただ、挑発が過ぎる」
「引いては負けでしょ、あの場面では」
「司法書士の資格を取ったなんて、聞いてないけれど」
「今年取る予定なの。大丈夫、受かる自信はあるから」
「一歩下がって、反省してなさい。次、ショウ君」
歯ぎしりしそうな目付きでモトちゃんを睨み、一歩下がるサトミ。
そんな彼女と入れ替わるようにして、ショウが前へ出る。
「暴力は振るわないように。弁護士が言ってたように、暴行罪で起訴されてたわよ」
「あのくらいは許容範囲内だろ」
「良いと言うまで、隅で腕立て伏せ。今すぐに」
むっとしつつ、それでも壁際で腕立て伏せを始めるショウ。
それを見てげらげら笑うケイに、モトちゃんがペンを向ける。
「素行調査って、いつしたの。委任状なんて、どこにあるの」
「言っただろ、信じる事が大切だって。愛と同じだよ。証拠よりも、お互いが信じ合う事。それが大切なんじゃないかな」
「今度同じ事を言ったら殺す。ショウ君の隣で腹筋をやりなさい。今すぐに」
「あーあ、借地権なんて売り飛ばせば良かったな」
最悪だな、この男。
今に始まった話じゃないけどさ。
最後に残ったのは、私と木之本君。
どちらも何もやってないので、お咎めは無し。
木之本君はともかく、私にしては珍しいとも言える。
単に出番がなかったからでもあるが。
「ユウは本当に成長したわね」
「そうかな」
「昔なら、真っ先に暴れ回ってたでしょ」
遠い目で天井を見上げるモトちゃん。
どんな過去に思いを馳せてるのか、全然知りたくもないな。
「ねえ、木之本君?」
「さあ。それより、玲阿君達を止めたら」
さりげなく逃げる木之本君。
結構ひどいな、この人も。
「仕方ないわね。二人とも、もう良いわよ」
少し息を乱しつつも、すぐに起き上がるショウ。
対してケイは床で丸くなったまま、動こうともしない。
気持ちは分かるけどね。
「それと一言。今回の件では、矢田君が色々と動いてくれた。新妻さんに各局が協力しないよう働きかけたり、生徒会としてさっきの連中に組みしないとの意見を学校に申し出たりね」
「ふーん」
意外ととも思ったが、彼が常に私達の敵に回る訳では無い。
そういう機会がずっと続いていたので、誤解をしている面は否めないが。
「彼は彼なりに学校を思って行動をしてるのよ。短慮に走らずね」
「ふーん」
「短慮に走らずね」
聞こえてるわよ、私にも。
とにかくこれで、全ては解決した。
全てというのは、今私達が出来る事に関してはという意味で。
やり残した事を考えればきりはないが、それを全て解決しようと思えば後10年くらいは留年する必要がある。
「終わったのかな、これで」
「ん?ああ、そうね。特にやる事は無いと思うわよ。取りあえず私物を片付けて、引き継ぎの準備をしておいて」
そう言いながら、自分も机の引き出しを開けて中身を取り出し始めるモトちゃん。
すでに二月の半ば。
私達が学校に残れるのも、後2週間程度。
生徒会。自警局に関しては、むしろ今まで居座っていたと言うべきか。
振り返ればあまりにも長く、ただ過ぎてしまえば一瞬。
サトミやショウ達と出会ったのは6年近く前で、でもその時の事は今でも鮮明に思い出せる。
それがもう思い出となっている事に、むしろ驚くくらいで。
「終わったんだね」
「そう、終わり。立つ鳥跡を濁さず、とも言うわね」
ぎりっと釘を刺してくるモトちゃん。
私だって、今更暴れ回ろうとは思わない。
暴れ回るような出来事があれば、当然その時考えるが。
「大丈夫、よね」
「勿論。私物と言ってもこの前小谷君が部屋の荷物は整理したし、ソファーの側に置いてある物くらいかな。それと、寮の片付け。そっちも荷物は無いけどね」
「だったら引き継ぎを順次お願い。サトミ達もね」
「私が反省する理由ってあるのかしら」
長いよ、もう。
執務室を出て、私がいつも収まっているソファーへとやってくる。
近くの棚に私物はあるが、持って帰るのが大変と言う量でもない。
「片付けてるんですか」
ひょこりと顔を覗かせる渡瀬さん。
私は貯金箱を手にして、それを軽く振った。
「これ以外なら、全部置いて行ってもいいけどね」
置いてある物は文房具品と、生活必需品。
後はタオルケット。
是が非でも持って帰る必要がある物では無く、家に帰れば同じ物が普通にある。
「ただ、この場所自体がどうなのか」
ちょっと言いにくそうに指摘する渡瀬さん。
よく考えてみれば、ここは単なるソファー。
私は勝手に占有していたが、そういう事が出来る場所ではないのかも知れない。
「……私物は持ち帰る。渡瀬さん、何か欲しい物はある?」
「タオルケットはお借りします。これは備品ですよね」
「そうだったはず」
まさか、備品使用状況書が出て来ないだろうな。
幸いそういう事は無く、リュックに文房具を収めていく。
とはいえ使った記憶のない物も多く、この辺はサトミが持ち込んだのかも知れない。
「寂しくなりますね」
ぽつりと呟く渡瀬さん。
3年生は全員卒業し、当然沙紀ちゃんや北川さんも卒業。
切ない気持ちになるのは致し方ない。
「よく考えると私は、去年あまり思わなかったな。自分が退学になったから、正直それどころじゃなかった気もする」
卒業式こそ感慨めいた気持ちになったが、それ以外は先輩達との別れを和む余裕は殆ど無し。
何より自分達が学校を去る立場で、その準備にばたばたしていたイメージが強い。
つまり渡瀬さん達とは二度目の別れ。
つくづく私達はひどいとしか言いようがない。
「なんだか、色々迷惑を掛けるね」
「どうしたんですか、急に」
「いや。去年退学した事を思い出して」
「ああ、そういう事ですか。でもあれは仕方ないというか、どうしようもないですよ。場合によってはもっとひどい事態になってたかもしれないし、今私達がここにいるのも雪野さん達のお陰だと思いますよ」
随分な褒めよう。
そういう事に慣れてないだけに、自分自身が一番それを信じられない。
「私って、困った先輩じゃないかな」
「そんな事無いですよ、全然」
「沙紀ちゃん達と比べても?」
「あはは」
そこは笑わないでよね。
取りあえずここの私物には目処が付きそう。
後は引き継ぎを簡単に済ませ、他に片付ける必要がある物を考える。
「何か私がやり残してる事ってあるかな」
「他の部屋は殆ど使ってないですし、書類も今ので取りあえず終わりですよ。それとも、心残りでも?」
上手い事言うな。
実際、そうなんだけどさ。
「自分でもよく分からない。……ああ、プロテクターは備品か」
ずっと身に付けていたので、その事すら忘れてた。
ただ装備品では備品なのは、プロテクターと例のワイヤーくらい。
それ以外は、ほぼ私物。
グローブやゴーグル。何よりスティックは。
「この辺は、辞めるまで借りておくか」
仮に返し忘れても、サトミが必ず言ってくる。
それはそれで、安心とは言えないが。
「このワイヤー、いる?」
「何を言ってるんですか」
すごい目で睨まれた。
彼女からすれば、火の付いたダイナマイトを渡されそうになった心境かも知れない。
「後は、もう無いか」
こうなると手持ちぶさたと言うより、少し驚く。
自分と自警局。ガーディアンとのつながりが、思ったよりも薄い事に。
あくまでも物に対してだけれど、こんなに何も無いとは思わなかった。
「もっと色々手続きとか返す物があって、忙しくしてる間に卒業式が来ると思ってた」
「ガーディアンは多分、そんな物だと思いますよ。備品以外は、特に」
「なるほどね」
言ってみれば、体一つあれば出来る仕事。
簡素な手続きさえ済ませば、ガーディアンになるのも辞めるのも簡単と言う訳か。
ソファー周りの荷物は渡瀬さんに一任し、私は自警局内を彷徨う。
こんなに早く片付くとは思ってもみなかったので。
「随分余裕ですのね」
耳元の髪をかき上げ、ふっと笑う矢加部さん。
何をしにと思ったが、この人も自警局所属。
ここにいても、不思議はない。
「自分こそ暇そうじゃない」
「私は全ての仕事を、もう後輩に任せてあります。後は事後処理をして、荷物を持ち帰るだけですわ」
矢加部さんの荷物か。
どこかの部屋を占有して、服や装飾品で埋め尽くしてそうなイメージだな。
「何か」
「全然。そう言えば、選挙はどうなったの」
「彼女が勝ちましたよ。大差とは言いませんが、それなりの差を付けて」
今頃何をと言いそうな顔。
どうやら結果自体は、先週に判明してたようだ。
「負けた方はどうなるの」
「それなりのポストは与えられるでしょう。泡沫候補は別ですが」
「あれって、立候補して恥ずかしくないの?」
「私も、常々疑問に思ってます」
人の顔をまじまじと見ながら話す矢加部さん。
やり残してた気分を感じる理由って、彼女を懲らしめる事じゃないのかな。
こうして矢加部さんを自警局で見かけるのも、私達が卒業間近だから。
普段とは違う出来事に、自然とその事が意識されてくる。
「先輩、これはどうするの」
突然現れ、カエルのおもちゃを突きつけてくる神代さん。
これはモトちゃんの部屋にあったはずで、何より私に渡されても非常に困る。
「どうして私に聞くの」
「元野さんが、こういうのは雪野先輩の管轄だって」
「そんな事言われても困るけど。……でも、これは残しておいて。塩田さんの頃から、カエルのおもちゃは存在してた。多分、伝統だね」
「その前は?」
それは私も知りたい所だ。
気付くとテーブルに荷物が満載。
いらない物が満載されたとも言える。
賞味期限間近のカップラーメンもあったりして、間違いなく誰かが勘違いしてるな。
「ちょっと、これをどうしろって言うのよ」
「雪野さんの私物と伺ってますが」
真顔で、先週発売の雑誌をその上に置く真田さん。
取りあえず、深呼吸をしておくか。
「食べ物と本は却下。ゴミなら全部ケイに渡して」
「おい」
不意に現れて突っ込んでくるケイ。
こういうタイミングは逃さないよな。
「だってこれ、絶対私のじゃないよ」
「俺の管轄でもないだろ。……まあ、いい。ゴミは全部受付前に集めて。隠蔽したい書類でも何でもいい。浦田先輩が、最後までみんなのために働くからさ」
隠蔽と言っておいて、良く自分を褒められるな。
テーブルにあった荷物も2/3が移動。
代わりに受付前へ、ガラクタの山が積み上がる。
「この間監査が入った時に、結構整理したでしょ」
「いらない物ほどたまるんだ。紙は全部燃やして、使えそうな物は売り飛ばす」
「それでも残った物は?」
「売った金で、業者に引き取ってもらう。メール一本で、明日には全部片付く」
そう言って、端末を操作してメールを送るケイ。
すぐに返信が来たらしく、一人満足げに頷いた。
「足が出たら、それは俺が負担する」
「随分気前が良いじゃない」
「先輩だから、そのくらいはやらないと」
何とも爽やかな笑顔。
でもって似合わないというか、多分お金を払ってでも処分したい物があるんだろうな。
とはいえ自警局内の整理が出来たのは確か。
私もどちらかと言えばため込む性格なので、このくらいの思い切りは少し羨ましい。
「後は何をやればいいのかな」
「何もしなくて良いだろ、もう」
そう言って、受付のカウンターに肘を付くケイ。
確かにやる事は無いのかも知れないが、気持ちはまた別。
どうも、やり残した事があるように思えてならない。
「ねえ、何やるの」
「そんなに暇なら、卒業パーティーとか謝恩会とか、そういう事でも考えれば?」
「なるほどね」
卒業をすれば、今までのように会えなくなる人もいる。
だから最後くらいは、みんなで楽しく過ごしたい。
「良い事言うね」
「俺はいつでも、みんなの幸せしか願ってないよ」
「じゃあ、お金出して」
「貯金箱の金を使えばいいだろ」
取りあえず、スタンガンを作動させておくか。
残念ながら、お金がなければ今の世の中身動きは取れない。
場所は最低限どうにかなっても、そこから先はお金が物を言う。
ゴミの山から小さな段ボールを確保。
その中に、まずは自分でお金を入れる。
「ケイも入れて」
「自腹かよ」
「当たり前じゃない。参加する3年生は全員出してもらうから」
カウンターにプリントを置き、リストを作成。
3年生だけだと、20人程度か。
それだけいれば、結構な額が集まるだろう。
足りない分は、大人に援助をしてもらうとして。
「ショウ、ショウは」
「どうした」
段ボールを3つ抱えて現れるショウ。
それは私の台詞だと思う。
「尹さんに頼んで、お肉を安く譲ってもらって」
「何かやるのか」
「謝恩会や卒業パーティ。やっぱりここは、尹さんを頼るべきかなと思って」
「店に関しては、こっちの都合が良い時間を抑えてくれるらしい。食材も日時さえ伝えれば、用意するって。お金は殆どいらないってさ」
これでお肉と場所は確保。
おんぶにだっこの気分だが、ここは厚意に甘える所なんだろう。
「私も連絡するけど、尹さんにお礼言っておいてね。……だとすると、集めたお金で何を買おうかな」
「肉はどうだ」
それは今言ったところじゃないよ。
その後はカンパを回収。
全員分が集まると、結構な額になる。
「何に使おうか、これ」
「お世話になってる人にお礼でもしたら」
枝毛を探しながら答えるサトミ。
態度はともかく、良い事は言った気がする。
「でも、そういうもの?」
「どういう物かは知らないけれど、挨拶回りなりお礼自体はした方が良いでしょ。今まで、散々迷惑を掛けてきたんだから」
「自分は掛けてないって言い方だね」
「とにかく、そのリストも作りなさい」
肝心な事は答えないな。
それでもリストを作り、サトミのチェックを仰ぐ。
「まあ、こんな所ね。そのお金で、花でも買ってみたら」
「花か。それは良いかも」
食べ物なら、それこそ食べて終わり。
花もいずれは枯れるが、その分気持ちを込められる気がする。
「その集まりは、どういう趣旨でどういう構成なの」
また難しい事を言い出すよ、この人は。
「趣旨はみんなで楽しく。構成は、ただ食べて飲むだけ。無目的ね、なんて言わないでよ。そういうものなんだからさ」
「人が動物と根本的に違う理由は、目的意識を抱く事でしょ」
「そこまで大げさな話でも無いと思うんだけど。だったらサトミは、出し物でも考えてみたら」
「私に恥を掻けとでも言うの」
どうして失敗前提なのよ。
冷静な自己分析だとは思うけどさ。
リストを見つつ、そこでふと気付く。
「木之本君の両親も、卒業式には来るよね」
「そう聞いてるよ」
「モトちゃんの両親も」
「お父さんは仕事かも知れないけれど、お母さんは来るでしょ」
普通に帰ってくる答え。
そうなると、後は机にかじり付いてなにやらスケジュールを考えているサトミの両親。
彼女から言い出すはずはないし、とはいえ両親も積極的に来るとは考えにくい。
「あの子の両親も呼んだ方が良いよね」
小声でモトちゃんに話すが、あまり芳しくない表情。
木之本君も似たようなものである。
「来てくれるかしら」
「何なら私が秋田まで言っても良いよ」
「そこまで言うのなら、ユウに任せるわ。木之本君、チケットの手配をお願い」
「男鹿半島だよね。リニアで行くか、飛行機で秋田まで飛ぶか。日本海側から行くルートは、眺めが良いよ」
何を言ってるんだか、この人は。
結局リニアに決定。
早さでは飛行機だけど、金額としては倍近く。
日本海ルートは、色んな意味で違うと思う。
「当然一人で行く、なんて言わないわよね」
「どうして」
「辿り着く自信があるなら構わないわよ」
そう言われると結構困るし、多分旅だった後も困るはず。
リニアに乗るのは問題無く、乗り換えが出来ない程世間知らずでもない。
ただ男鹿半島に着いた後は別。
タクシーでサトミの実家へ直行しない限り、駅の前で途方に暮れる気がする。
「ショウと一緒に行って来たら。卒業旅行も兼ねて」
「良いのかな」
「問題無いでしょ。木之本君、チケットは?」
「日付さえ決めてくれれば、すぐ取れるよ」
「だったら、今週末に。それと説得出来なくても、落ち込まないでよ」
軽く諭してくるモトちゃん。
また説得出来ない可能性の方が高いので、過度な期待は禁物だろう。
心残りに思っていた一つは、もしかするとこの事。
両親との和解までは求めないが、せめて卒業式に顔を出すくらいはして欲しい。
世間では当たり前の。
だけどサトミにはあまりにも遠い話。
卒業まであとわずか。
それまで、自分の出来る事をしていこう。
一つずつ、一歩ずつ、確実に。
第50話 終わり
第50話 あとがき
という訳で、ストーリーとしてはほぼ終了。
後は第51話を残すだけとなりました。
対して第50話自体は、かなりあっさりした展開。
盛り上がるでもなく、落ち込むでもなく。
淡々と、粛々と状況が進行。
2年編の終盤とはかなり異なりますが、作中でもあるようにユウ達はすでにチートキャラ。
敵という敵が存在しません。
新妻妹は一角の人物ではある物の、相手が悪すぎました。
そして後は、第51話。
これで本編はラストとなります。




