表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第50話
573/596

50-6






     50-6




 週末になり、今度は地権者の元へと向かう。

 今回は下呂まで出かけず、市内の別宅へと。

 という事は自宅がどこかにある訳で、意味が分からなくなってくる。


 今度も全員制服。

 ただ迎えの車は用意されず、ショウが運転するワゴンでその邸宅へとやってくる。

 向かってる先は市内の南東部。

 新興住宅地と呼ばれる地域で、建て売りの住宅が建て並ぶ。

 もしここに住んでいたら、自宅に着くのも危ういな。



 心の準備も何も無く、その別宅へとすぐに到着。

 ちなみに今回はマンション。

 地下駐車場に車を止めて、事前に指定された専用のエレベーターに乗り込む。

「乗って大丈夫かな」

「心配ないだろ」

 エレベーターの壁に手を添えて、一人頷くショウ。

 壊す事前提で話してるな、この人。


 エレベーターもすぐに到着。

 ドアがスライドすると、そこはすでに室内。

 一応その先にドアはあるが、部屋へ直結しているようだ。

 そのドアにショウが手を触れると、何かを感知したのかドアの方から勝手に開く。

 私はポケットに手を入れ、スティックを握る。

 笑われようと、襲われた後で嘆くよりまし。

 またこの地権者の人間性は、正直疑わしいので。



 幸い広いリビングにいたのは、その地権者とお付きの人らしい若い男性が二人だけ。

 カメラや防犯システムは備わっているにしろ、露骨に襲われる雰囲気は取りあえず無い。

 部屋は他にも複数あるので、警戒自体は怠らないが。

「君達の活躍は、マスコミを通じて楽しませてもらったよ。私も、借地権を譲った甲斐があった」

 お腹を揺すって笑う地権者。

 言いたい事はあるが、借地権のお陰で去年助かったのは事実。

 またこの場で反論するのは、あまり賢くもないだろう。

「ありがとうございます。今回お伺いしたのは事前にお伝えした通り、借地権の延長と草薙高校への優先的な貸与についてです」

「好きにしてくれて構わないよ。なんなら、私から一筆書こう」

「恐れ入ります」

「ただ、魚心あれば水心とも言う。誠意を示して欲しいものだ」

 暗く輝く地権者の瞳。

 モトちゃんは薄く微笑んで、後ろに控えていたケイを振り返った。

「そう仰っているけれど」

「一応、幾つか持って来ておりますが」

「去年もらったワイン。ああいうのは嬉しいね」

 悦に入った表情を浮かべる地権者。

 あれの中身がホームワインだとは、まだ気付いていないようだ。


 ケイがリュックから取り出したのは、古びた瓶。

 ラベルはかろうじて張り付いているだけである。

「琉球泡盛の古酒です。炭素測定した結果、120年程度と判明しています」

「100年物は確かに珍しいが、コレクションには収まってるよ」

「まずは露払いという事で」

「意趣があると言う訳か。ふむ、なるほど」 

 地権者が顎を振ると、控えていた若い男性が瓶を恭しく持って行った。

 100年前のお酒が飲めるとか疑問に思うし、そもそも中身がなんなのかも疑わしい。

「こちらもどうぞ」

 もう1本出てくる瓶。

 ケイの説明によるとウォッカで、それ程ラベルは古くない。

「銘柄はさほど珍しくありませんが、その価値はお分かりかと」

「……本物かね」

「ラベルをご確認下さい」

 やはり若い男性が受け取り、今度は白い手袋をはめている。

 彼はそれを丹念に確認し、地権者へ頷いて見せた。

「シベリア臨時政府か。懐かしいな」

 過去を懐かしむにしては、あまり品のない表情。

 何に思いを馳せているのかは、聞かない方が良さそうだ。


 最後はやはりワイン。

 これもそれ程古くはなく、ただワインは生産された年が重要。

 その辺を押さえているのだろう。

「終戦の年に生産された物です」

「この銘柄では作られなかったと聞いているよ」

「ご確認を」

 繰り返される同じ作業。

 男性はやはり、地権者に頷いてみせる。

「なるほどなるほど。第三次大戦と絡めている訳か。私もあの戦争では、大きく儲けさせてもらった。それに借地権についても、堀川の埋め立ては戦争中。確かに、今回の土産にはふさわしい」

「恐れ入ります」

「じゃ、脱いで」

 何一つ、全く意味が分からない。




 それでも交渉は成立。

 ケイはワゴンの後ろで喘いでいるが、ここに関しては彼の自己犠牲だけで事が成った。

「まあ、見たくなかったな」

 率直に感想を漏らすショウ。

 後部座席で寝ていたケイは足でドアを蹴り、怒りの意思表示をした。

 今は何も言えないし、言いたくもないんだろう。

 私も出来れば、思い出したくはない。

「生徒組織を押さえて、地権者を押さえて。後は何?」

「教育庁ね。つまりは、モトのお父さんに話を通せば済む話よ」

「そんな簡単かしら」

 遠い目で窓の外を眺めるモトちゃん。

 現実逃避したい気持ちはよく分かる。

「とにかく連絡をお願い。自治体については、私が抑えておく」

「高校生の会話ではないわね」

「今更、何よ」

 苦笑気味に笑うサトミとモトちゃん。

 確かに高校生の日常会話に、自治体の交渉は出て来ないだろうな。

 ただそれこそが、彼女達の日常。

 3年間の高校生活を象徴する一コマでもある。



 車はすぐに、玲阿家の本宅へ到着。

 とはいえここは本家という意味で、地権者の所とは性質は異なるが。

「ばうばう」

 車を降りた途端出迎えてくれる羽未。

 その頭を軽く撫で、まずは背中に乗る。

「乗らないで」

 冷ややかに指摘するサトミ。

 乗った後で言われても遅い。

「サトミも乗ればいいじゃない。楽だよ」

「乗る理由も根拠も何も無いわよ。そもそも犬に乗る文化なんて、有史以来存在しないのよ」

 また大げさな話を言い出したな。



 サトミを放っておいて、羽未と共に庭を散策。

 芝は枯れていて、奥にある木々も常緑樹以外は葉が落ちている。

 風は冷たく空は高く、いかにも冬といった風情。

 それはそれで趣きもあり、何より羽未が温かいので気分はいい。

「なー」

 真後ろから聞こえる野太い鳴き声。

 振り返る間もなくコーシュカが隣に並び、そのまま羽未の上に飛び乗ってきた。

「ちょっと」

「なー」

 それはもう良いんだって。


 羽未の頭に手を添え、悠然と周りを見渡すコーシュカ。

 この光景もなんだろうな。

「猫はこたつで丸くなるんじゃないの」

 返事もしないと来た。

 とはいえイエネコ以上に野性味の強い種類。

 このくらいは寒い内に入らないのかも知れない。

「なー」

 そう思った途端、羽未から飛び降りて母屋へ向かうコーシュカ。

 果てしなく好き勝手に生きてるな。

「私達も戻ろうか」

「ばう」

 一鳴きして、庭の奥へ向かう羽未。

 まあ、犬との会話が成立しても困るけどね。




 家の中はさすがに温かく、猫でなくても丸くなりたくなる。

 元々丸っこいという指摘は気にしない。

「あの酒、役に立った?」

 にやにやしながら、床へ転がっているケイへ話しかける瞬さん。

 想像はしていたけど、出所はやはりこの家だったか。

「結局あれは、なんだったんですか」

「その辺にある奴を適当に詰めた。勿論泡盛には泡盛を入れてあるよ。瓶は兄貴のコレクションをちょっと」

 なんのコレクションをしてるんだか。

 ただ、それでも役に立ったのは確か。

 そこは素直に感謝しておこう。

「戦争で大儲けしたって言ってましたよ」

「軍需産業に関わってた財閥なら、そういう事もあるだろうね。こっちはそれどころではなかったけど」

「割に合わない話ですね」

「それもまた人生さ」

 随分割り切った考え方。

 それこそ、生きていればそれで良いくらいに思っているのかも知れない。



 詰め替えたというお酒を見せてもらうが、市販の物ばかり。

 また定価以上の価値があるとは思えず、そうなるとこれもまた人生という話になってくる。

「これは普通に飲まれそうな気もするんですが」

「そこはそれ。たまたまこういう味になりました、なんて答えれば良いんだよ。レア物だから、比較が出来ない」

 また悪い話になってきたな。

「なんにしろ、お世話になりました」

「こういう話なら、いつでも乗るよ。なんならその地権者の家を攻めてみるのも面白いな」

 口調は冗談っぽいが、目付きはやや鋭い。

 戦争が絡むと、昔の感情が蘇ってくるのかも知れない。

「取りあえず、今回は無事に交渉が済んだので」

「あ、そう。まあ、その内、顔を見に行ってみるかな」

「父さん」

 やや生真面目な声を出すショウ。

 顔を出すだけで済むとは思ってないのだろう。

 それは私も、強く同感するが。




 飲み物が無くなってきたので、ショウに案内されてキッチンへとやってくる。

「はぁ」

 大きく息を付き、椅子にへたれ込むショウ。

 さっきの、瞬さんの台詞をひきずってるようだ。


 私の場合こういう経験はたまにだけれど、彼の場合はそれこそ毎日。

 気苦労が絶えない日々を送ってきたのかも知れない。

 今頃言う話ではないが、我慢強い性格もその辺が関係あるのかな。

「毎日大変?」

「いや、別に。どうして」

「なんとなく」

「年中幸せとは言わないけど、問題なく毎日を過ごしてると思うぞ」

 普通に答えるショウ。

 本人は、それ程自覚はしていないようだ。



 ただ、こうしてのんびりとした時を過ごせるのもあとわずか。

 卒業すれば彼は士官学校へ入学。

 名古屋から離れて、寄宿舎生活。

 同じ時を過ごす所か、会う事すらままならない。

 その時が来れば寂しく思うのだろうが、今はその実感が薄い。

 あくまでも理屈として彼と離れるとイメージするだけで、現実味が無いとでも言うのだろうか。

 今まであまりにも長い間一緒にいたから、余計にイメージが湧かないのかも知れない。


 顔を上げ、何か言おうとショウを見る。

 しかし特に言葉は思い付かず、彼も怪訝そうに私を見つめるだけ。

 いきなり起き上がって睨まれたと思ってるのかも知れない。

「まあ、いいか」

「何が」

「いや、別に。もうすぐ卒業だし、色々準備しないとね」

「準備する事は別にないだろ。荷物を片付けるだけだ」

 随分現実的な事を言い出すな、この人も。

 とはいえ旅行する予定も無いし、何かイベントを企画している訳でもない。

 私も寮には少し荷物が置いてあるので、それを片付ける必要はある。

「その前に誕生日じゃないのか」

「ああ、そうか。忘れてた。今更誕生日って気もするんだけど」

 誕生日が恨めしい年齢ではないが、はしゃぐ時期は過ぎた気がする。

 そう思えるのも、私が多少なりとも成長した証しなんだろうか。

「それとテストだな」

 とことん現実に引き戻してくれるよな。




 それはともかくとして、ショウの部屋へと移動。

 室内をチェックする。

 彼が士官学校へ行った後は、この部屋を使わせてもらえる事になっている。

 他の部屋も使って良いらしいが、出来れば馴染んだ場所がいいので。

 広さとしては20畳程で、寮よりも広いくらい。

 また家具としてクローゼットと本棚。後は机とベッドがあるだけ。

 それが余計に広さを感じさせるんだろう。

「物が無いよね」

「無いと困るか?」

 逆に聞かれた。

 無いよりはあった方が良いと思うけど、彼からすれば体一つあれば良いと思ってるのかも知れない。

「取りあえず、ローテーブルを運ぼうかな」

「好きだな、机」

「使うでしょ、普通」

「ふーん」

 適当に相づちを打たれた。

 そういえば寮にも置いてないよな、この人。

「まあ、良いけどね。後はなんだろう」

「何より、タオルケットじゃないのか」

 そういう扱いをされても困る。

 否定する根拠も、一切ないけどね。



 週が開け、普段通りに学校へ登校。

 木枯らしの吹きすさぶ一番寒い時期。

 今日は珍しく雪も舞っていて、学校の塀沿いに歩いていても下から凍えてきそうなくらい。


 正門前に視線を向けると、例の集団が見当たらない。

 寒くて止めたのか、とうとう虚しくなったのか。

 理由はともかく、いなくて困る理由は何も無い。

「わっ」

 その代わりと言おうか、血走った目の男女が門の奥に潜んでいた。

 敵意ではなく、妙な情念のこもった雰囲気。

 出来れば側に寄りたくはなく、ただ正門をくぐらないと中には入れないので近付くしかない。


 刺激しないよう慎重に、かつ足早に彼等の前を通り過ぎる。

 どうやら私は眼中に無いらしく、関所は通過。

 というかなんなのよ、あれは。


 不可思議な光景は正門前だけでなく、教室へ到着するまであちらこちらで出くわした。

 何かイベントがある日だったかな、今日は。

「おはよう」 

 妙に爽やかな声を掛けてくるケイ。

 朝から挨拶。加えて元気。

 普通の人なら気にも留めないが、この人が元気なのは明らかに不自然。

 ろくでもないイベントがあるようだ。

「今日がなんの日か知らないとか」

「一年で一番寒い日?」

「心が寒い奴はいるだろうな」

 持って回った言い方。

 ただ私も、ようやく今日が何の日かは理解出来た。

「バレンタインディなんだね、今日。全然忘れてた」

「それでは、ショウも失踪する訳だ」

 しないわよ。



 最近学校の事にかまけて、チョコを忘れていた。

 当然買うには買ってあって、女の子である以上このイベントは外せない。

「俺にもくれよ」

「嫌だ」

「あーあ、日本っていつ滅びるのかな」

 真顔で言わないでよね。


 すぐにサトミが登校。

 私の後ろで寝ているケイを一瞥し、その隣に座る。

「今日、バレンタインディよね」

「男にとっては最悪な1日だ。神は人類を見捨てたんだ」

「人気のある男の子には、幸せな1日でしょ」

「そういう奴は、別な星から来てるんだろ。それか、別な次元から」

 顔を上げて真剣に語るケイ。

 バレンタインディになると、いつも情緒不安定だな。


「おはよう」

 いつも通り、爽やかに現れるショウと木之本君。

 二人とも慌ててもいなければ落ち込んでもおらず、あくまでも平常心。

 今日がバレンタインディだと聞いても、そういう日もあるんだなとしか思わないだろう。

 そういう余裕が、女の子に受けるとも言える。

「今日、バレンタインディだよ」

「みたいだね」

 苦笑気味に、机の上に紙袋を置く木之本君。

 この子は早速か。

 ショウは手ぶらだが、彼の場合は予約制。

 自由競争にすると混乱どころの話ではないし、彼のファンはフライングを良しとしない。

 そういう統制の取れ方が、また怖いとも言える。


 最後にモトちゃんがやってきて、くすりと笑った。

「今年も色々ありそうね」

「ケイが、1年で1番悪い日だって」

「バレンタインディくらいで、おたおたしないでよ」

 大物は言う事からして違う。

 今の一言で、クラスメートの男の子は半分討ち死にした気もするが。




 重さと高揚感が入り交じる教室内。

やがて予鈴が鳴り、村井先生がバインダー片手に登場する。

「今日はバレンタインディ。毎年言ってますが、高額な商品の受け渡しは慎むように。また学内で過剰な行為に走る事も厳禁とします」

 過剰な行為か。

 私は想像しただけで卒倒しそうだな。

「それとお昼休みに、雪野さん達は職員室へ来るように」

「どうして」

「……来るように」

 どうして理由を言わないのよ。

 言えないような理由だと困るけどさ。




 一時限目が終わると、クラスメートが慌ただしく動き出す。

 呼び出される男の子もいれば、突然教室を飛び出していく女の子もいて。

 かと思えば、出ていってすぐに戻ってくる子もいたりする。

 今日一日は、多分こんな雰囲気。

 まあ、それも含めてバレンタインディなんだろう。

「ショウのチョコはどうするの」

「万事怠りないよ。呼び出しを食らおうと、渡す物は渡してもらう物はもらう。そういう決まりだろ、バレンタインディは」

 サトミの質問に、自信を持って言い切るケイ。

 実際渡したいのに渡せないのは相当に切なく、その意味では彼の頑張りは良い事だと思う。

 ショウへの負担がどの程度かはともかくとして。

「それ以前に、俺へ賄賂を持ってくるべきだろ。俺も人間なんだから、そういう事をされれば便宜の一つもはかるって物だ」

 人間、ね。 

 まずはその前提から疑いたいな。



 午前中の授業も終わり、お昼休み。

 食堂へ向かいたいところだが、呼び出されたのだから仕方ない。

「言っておくけど、全員で行くんだからね」

 こっそり教室を出ていこうとしたケイを呼び止め、スティックで床を叩く。

 今は床。

 逃げたら次に何を叩くかは、彼が一番分かっている。

「ご飯も抜き、チョコもない。俺の人生は闇に包まれてるな」

 今更何を言ってるんだか。




 職員室へ入り、村井先生の姿を探す。

「こっちよ、ユウ」

 一昨年から数学の教師です、みたいな慣れた足取りで歩き出すサトミ。

 結構な広さの部屋で、誰がどこにいるかなんて教師でも把握してないはず。

 でもって、すぐに村井先生の前に到着するんだから恐れ入る。

「ご飯食べたいんですけど」

「これ食べなさい、これ」

 差し出される段ボール。

 まさかと思うけど、乾パンじゃないだろうな。



 さすがにそういう事は無く、中身はパンとおにぎり。

 それはそれで、どうかとも思うけど。

「なんですか、これ」

「納入したいっていう業者の手作りパンとおにぎり。試食品が余ったの」

「ふーん」

 こういうのも賄賂って言うのかな。

 焼きそばパンで、どんな癒着を計るのかは疑問だが。


 もそもそフィッシュバーガーを食べていると、軽く机を叩かれた。

「用があるから呼んだのよ。最近、また揉めてるみたいじゃない」

「私が揉めてる訳じゃなくて、職員が言いがかりを付けてきてるんですよ。職員が」

 思わず声を張り上げ、周りの教師にぎょっとした顔で見つめられる。

 間違いなく、職員室で叫ぶ事では無かったな。

「とにかく私達から仕掛けた訳じゃないし、非もないですよ。それにこの前、話は通したでしょう」

「生徒会に協力を呼びかけてる件は。そこまでは聞いてない」

「一人より二人、二人より三人。大勢の方が出来る事もありますからね」

「その分揉め事も大きくなるんじゃなくて」

 牙でも剥きそうな顔で睨んでくる村井先生。

 しかしこちらも引く訳には行かず、手を振って怒りを示す。

 同時にフィッシュバーガーが揺れるのは仕方ない。


「私達は何も、トラブルを大きくするために行動している訳ではありません。大体職員を問いただせば、こっちは何もしなくて済んだんですよ。職員はどうしてるんですか、職員は」

「ユウ」

 私の頭を上から押さえるサトミ。

 つくづく懲りないな、私も。

「彼女の言う通り、我々はトラブルを収束するために行動をしています。若干のイレギュラーな出来事は生じると思いますが、放置して置くよりは数段ましかと」

「……学校と生徒会の対立。なんて事態にはならないでしょうね。そういう話も、漏れ聞こえてくるわよ」

「そこは先生から、上手に説明してくれると助かります」

 薄く微笑むサトミ。

 村井先生は対照的に額を押さえ、深くため息を付いた。

「とにかくこれ以上混乱を引き起こさない事。学校とも対立しない事。何かあれば、すぐに報告する事」

「万事そのように」

「後は卒業まで大人しくしてなさい。それと、段ボールの中身は全部持って帰って」

 幸い大したお咎めもなく解放された。

 大体借地権の方が問題のはずだし、こんな事でわざわざ呼び出さなくても良いと思うんだけどな。

 それは私の主観であって、村井先生からすれば卒倒したい気分なのかも知れないが。



 いまいち釈然としないまま残りのフィッシュバーガーを食べていたら、村井先生が手招きしてきた。

 もっと近くに寄れと言いたいようだ。

「なんですか」

「大丈夫でしょうね」

「暴れるつもりはないですし、後は卒業するだけです」

「そっちはどうでも良いの。そうじゃなくて、例の件」

 どうでも良いとは思わないが、こっちが本題か。

 そちらも問題は無く、むしろ周りが騒ぎすぎているだけ。

 というか、どこから話が漏れてるのかな。

「前話した通りですよ。なんの問題もないですし、何の進展もありません」

「本当に大丈夫よね。卒業式に籍を入れるとか、そういう事も止めてよね」

「卒業したら関係無いでしょう」

 話題が話題。

 さすがに小声で話すが、ついトーンが高くなるのは仕方ない。

「卒業しても、しばらくは私にも責任がついて回るのよ。……同棲してるとか言わないわよね」

「何もしてません」

「あー、何もかもが嫌になって来た」

 それは私が言っても良いと思う。




 ようやく村井先生から解放され、段ボールの中身をラウンジで食べる。

 ショウは少し不満そうだけど、私はおにぎりをもう一つ食べれば十分だ。

「さてと。そろそろ始めるか」

「何を」

「玲阿君の公開処刑だよ」

 にやりと笑い、テーブルの上に「玲阿四葉」と書いたプレートを置くケイ。

 その途端、周りにいた女子生徒が一斉にこちらを振り向いた。

「長らくお待たせしました。ただ今よりチョコの受付を致しますので、事前に配付された番号通りにお並び下さい。整理券を紛失した方は、木之本君へ連絡を。また予約は生徒会業務終了まで行いますので、随時御連絡下さい。では1番の方からどうぞ」

 義務的に開催を告げるケイ。

 そして「1番」と書かれた札をモデルみたいな女の子から受け取り、端末にその番号をスキャンした。


 後は、こちらから見ているとやはり義務的な作業。

 ただチョコを渡す女の子の表情は真剣で切なげ。

 この数十秒に一生を懸ける、みたいな雰囲気を醸し出している。

 そんな光景も、今年で見納め。

 そう思うと、少し感慨を覚えなくもない。

「どうしたの」

「この騒ぎも今年で終わりだなと思って」

「来年あったら怖いわね」 

 静かに告げるサトミ。


 来年の今頃、ショウは士官学校での寄宿舎生活。

 当然周りは男性ばかり。

 そこでこの光景か。

 怖いどころの話じゃないな。

「背筋が寒くなってきた」

「大体、今日チョコを忘れるのはどうなのよ。倦怠期?」

「そこまで大げさな話じゃなくて、単にばたばたしてて忘れてた。それに元々、バレンタインディに全てを懸けるタイプでも無いし」

 大きなイベントではあるが、改めてここに気合いを入れる程でも無い。

 これは出会った頃から変わらず、チョコを渡す時もさほど緊張はした記憶はない。

「倦怠期かな」

「今、自分で否定したじゃない」

「いや。あまりバレンタインディに思い入れがないからさ」

「思い入れる必要がないだけじゃなくて」

 なるほどね。


 さすがに今更告白という段階でもないと思うし、それはずっと前からそうなんだろう。

 だとすればバレンタインディも、絆を確かめるイベントの一つ。

 1年に1度の大切な日とまでは、私の中では意識されにくいんだろう。

「サトミこそ、ヒカルに渡したの」

「僕がどうかした」

 突然真横から聞こえるヒカルの声。

 この子も結構、神出鬼没だな。

「チョコをもらいに来たの?」

「どうして」

「バレンタインディだから」

「それって、今日?」

 今知ったという顔。

 それではサトミも、床にしゃがみ込む訳だ。




 お昼休みが終わり、チョコの受け取りは一旦終了。

 残りは放課後に行うとの事で、ここからは授業が再開される。

「卒業まであとわずか。体育の授業で怪我をしてもつまらないし、適当にやりたい事をやってなさい」

 例により投げっぱなしの体育教師。

 とはいえこんな授業も残り数回。

 それにも少し寂しさを覚える。


 私は特にやりたい事もなく、体育館の隅にしゃがみ込んで膝を抱える。

 暖房も効いていて、何より食後。

 自然とまぶたは重くなる。

「ほら」

 渡されるバトミントンのラケット。

 不敵に笑うサトミ。

 懲りないなと思いつつ、壁伝いに立ち上がって肩を回す。

「どうでもいいけどさ。100回やっても100回私が勝つよ」

「101回目に、私が勝つかも知れないでしょ」

 良い事言ったのかな、今。


 ネットを張るのも面倒なので、そのまま壁際でシャトルを打ち合う。

 こうなると勝敗は、シャトルを落とした方が負け。

 ただし極端に遠くへ打ったり下へ打っても仕方なく、ラリーを続ける事が前提。

 それくらいならサトミも続けられるらしく、ただ表情は真剣その物。

 彼女は、この瞬間に全てを懸けているように見える。

「危ないよ」

「話しかけないで」

 例により、どたばたとラケットを振るサトミ。

 見た目は良いのに、こういうところで変な損をしてるよな。

「私も混ぜて」

 ラケットを振りながら笑うモトちゃん。

 3人でのラリーか。

 難易度は少し上がるが、方法を考えれば大丈夫だろう。


 取りあえずサトミとモトちゃんでペアになり、私が打つシャトルを返してもらう。

「えいっ」

 思いっきり空振るサトミ。

 その勢いに押され、モトちゃんは慌てて逃げ出す。

 当然シャトルは床へ落ち、虚しさだけが漂っていく。

「じゃ、邪魔しないで」

「サ、サトミが私の顔をめがけて」

 付き合いきれないな、もう。

「モトちゃん、こっちきて。サトミの側だと、怪我する」

「その方が良さそうね」

「覚えてなさいよ」

 二者二様の台詞を聞きつつ、モトちゃんを私の前に配置。

 彼女が打ち漏らした分を、私がフォローするシフトにする。


「え、えいっ」

 段々大きくなる掛け声。

 対してシャトルの勢いは相変わらず。

 途中で頼りなく失速し、ただ丁度モトちゃんの前へと降って来る。

「わっ」

 若干ぎこちなくラケットを振り抜くモトちゃん。

 シャトルはガットに当たり、それでも前へ飛んでいった。

「やっ」

 勢いよく腕を振るサトミ。

 今度はその勢いのまま飛んでいくシャトル。

 モトちゃんは対応出来ず床へ転んだようにも見えるけど、気のせいだ。


 すぐに走り出し、後ろ向きのままラケットを振る。

 当たりは甘いが、かろうじてサトミの方へと飛んでいく。

「え、えいっ」

 例により、勢いよく空振りをするサトミ。

 今度もすぐに走り出し、前のめりに倒れたサトミを飛び越えシャトルをつま先で捉える。

 浮いたそれを改めてラケットで跳ね返し、どうにかモトちゃんの方へと飛ばす。

「え、えいっ」

「たっ」

 二人並んで同時に振り抜くサトミとモトちゃん。

 しかしシャトルはどちらのラケットにも当たらず、その真後ろへぽとりと落ちた。


 色んな意味で疲れたので、そのまま床へしゃがみ込む。

 参ったな、もう。

「ユウ一人が楽しんでるだけじゃない」

「そうそう」

 怖い事を言い出す二人。

 今ならラケットをへし折っても、誰も怒らないと思う。




 これだけ激しく動くと、後何も出来る訳がない。

 六時限目は意識が半分くらい無く、気付くと帰りのHRが終わっていた。

「さて、続きだ」 

 元気良く席を立つケイ。

 どうして張り切っているのかは知らないけど、元気がないよりはまし。

 彼に引きつられていくショウは、重さ以外伝わってこないが。

「随分のんきにしてるけど、予算局の件は良いのかな」

「何事もメリハリでしょ。気を張り続けていても、持たないじゃない」

 そう言って私の肩に触れるサトミ。

 そんなの物かなと思いつつ、私もリュックを背負い教室を出る。




 ラウンジの通路に続く、女子生徒の列と列と列。

 それこそ学校中の生徒が集まったのではと思うくらいの数で、中には明らかに他校の生徒も混じっている。

「で、何がメリハリなの」

「そういう事もあるわね」

 文庫本を読みながら、しれっと答えるサトミ。

 自分に関わりがないと、つくづく関心を示さないよな。


 私も関わりがない。

 とまでは言えず、ただあまり近付くのも迷惑かと思いショウ達とは離れて隣のテーブルに収まる。

 そうする間にも用意された段ボールにチョコのが詰め込まれ、それを御剣君が積み上げていく。

 手伝ってくれるのは良いけど、積み上げる意味は何だろうか。

「御剣君はここにいて良いの?」

「他に仕事がありましたっけ」

「チョコをもらう予定の一つや二つはあるでしょう」

「俺が?どうして」

 すごい素で尋ね返された。

 無自覚どころの話ではないな。


 しかし以前より良くなったとは言え、やはり近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのは確か。

 ショウのような愛想良さや取っつきやすさもなく、初対面の女の子が気安くチョコを渡せるタイプでは無い。

 そういう部分を乗り越える勇気が湧いてくる日ではあるんだけど、ここにいる時点でそれも難しいか。

「色々と大変だね」

「急に、なんですか」

「いや、特に。さてと」

 リュックからふ菓子を取り出し、それを食べる。

 チョコはどれだけでもあるけれど、さすがにそれへ手を付ける勇気はないので。

「あなた、悠長にしてて良いの」

「何が」

「今日バレンタインディだよ」

 突然サトミの話を奪うヒカル。

 ただこの笑顔を見る限り、他意は無いように見える。 

 過去、他意があった試しも無いし。

「……ごほん。明日渡すのと今日渡すのでは、意味が違ってくるでしょ」

「良いよ。帰りに送ってもらって、その時家で渡す」

「それはそれでどうなの」

「問題かな」

「そう言われると困るけれど」

 小首を傾げ、思案の表情を浮かべるサトミ。

 何しろ私達は、色恋沙汰に長けてないからな。

 その手の演出とは無縁であり、想像力も働かない。

 懲りすぎるのが苦手とも言える。



 一人で勝手に悩んでいると、大きなペットボトルが目の前に置かれた。

「差し入れ。すごいね、これは」

 苦笑気味に女の子の列を見つめる七尾君。

 ペットボトルは私にではなく、ショウへの差し入れか。

「どうかしたの?」

「いや。雪野さん達が俺を警戒するから、ご機嫌伺いに」

「警戒はしてないよ、私は」

「それはそれで、また怖いんだけどね」

 今度は一転、明るく笑い出した。

 無自覚な信頼が重荷という奴か。

 いや、分からないけどさ。

「新妻さんに協力する訳ではないんでしょ」

「俺はそのつもりでも、世間の印象っていうのがあってね。あいつは元々予算局側。その予算局が行動を起こすなら、同調するはずだ。みたいな」

「なるほどね」

「ただ前も言ったように、俺は予算局側じゃなくて中川さん側。北地区側として行動してきただけだから。こういう言い方は良くないけど、新妻さんに組みする理由は薄い」

 今度は少し厳しめの表情。

 普段見せない、彼のもう一面である。


「では一旦休憩となります。ラウンジ内の自販機を開放しておりますので、ご自由にお使い下さい。なお休憩後も整理券の順番通りで受け付けますから、順番についてはお守り下さい。ただし体調不良など理由がある方は、優先的に受付致します」

 事務的に連絡するケイ。

 その隣で、テーブルに顔を伏せるショウ。

 で、誰が体調不良だって。

「本当ヒーローだよな。恰好良くて、強くて、優しくて。欠けてる部分がないんじゃないの」

「そうでもないよ。家事全般は不向きだし、行動に偏りが目立つ」

「厳しいね。俺から見ると玲阿君とか遠野さんって、完璧に見えるけど」

「サトミなんて、欠点の……。一つも無いとも思うよ」

 塊などとは言える訳もなく、慌てて言い直す。

 そうして睨む事自体、欠点なんだって。


 七尾君は苦笑しつつ、持って来たペットボトルのお茶を近くにあった紙コップに注ぎだした。

「俺も駄目だな」

「何が」

「何もかもが」

「七尾君が駄目なら、ケイなんて地の底に住むしかないよ」

 当然これも睨まれる。

 だけど本当なんだから、仕方ないじゃない。

「俺がどうした」

「七尾君が、自分は駄目だって」

「出来る人間は謙虚なんだよ」

「出来ない人間は?」

「出来ないから、自然と謙虚になるしかない」

 何だそれ。

 分かるけどさ、言いたい事は。

「それで、何か用?」

「新妻さん側に付くと思われても困るから、ご機嫌伺いに」

「律儀だね、どうにも。でも、そっちはもう良いよ。すぐ片付くから」

「仕事が早いね」

「相手が行動を起こす前に処理すれば、トラブル自体存在しなくなる。目に付いた事象は、片っ端から潰せば良いんだよ」

「秘密警察だね、さながら」

 そう言って笑い、席を立つ七尾君。

 そして御剣君を手招きし、一言二言ささやいて去っていった。


 当然全員の視線は、御剣君へ集まる事となる。

「何でもないですよ。皆さんが良い先輩だから、俺はその事を感謝するようにって」

「それは御剣君から見ても?」

「え?」

 どうして声を裏返すのよ。

 大体この子七尾君には懐いてるみたいだけど、私に接する態度とはかなり違うんだよな。

「それより、チョコ。もう時間よ」

 文庫本を読みながら、腕時計を指さすサトミ。

 意味が分からなくなってきたが、これもまた私達らしいか。



 良い先輩と呼ばれる程の自信はないし、そう思われるだけの行動もしていない。

 つくづくひどい話だとは思う。

 卒業間近だからこそ余計に、そういった後悔ばかりが意識される。

 こうしてショウのバレンタインディの光景を見るのも最後。

 御剣君が手伝う姿も、そろそろ見納め。

 学内でのトラブルとも、やがて完全に無縁となる。

 私が望む望まないに拘わらず。




 だからこそ、今という時を大切にしたい。

 こうして笑い声がさざめき、笑顔が溢れ、たわいもないやりとりをする瞬間を。

 私に取っての、代えがたい一時を。






   







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ